MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
ディヤルバクル(トルコ)
ウル・ジャーミイ (大モスク)

神谷武夫

ディヤルバクル


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黎明期のモスク

 7世紀にイスラーム教が成立すると、それは軍隊を組織して、またたくまに周辺地域を征服し、エジプト、シリア、トルコ、ペルシアにまたがる広大なアラブ帝国を建設した。イスラーム教徒は毎日5回神を礼拝するのが務めなので、征服地にはどこでも ただちにモスクが必要とされた。戦場においては 建物を建てる暇はないので、地面に線を引いて 礼拝スペースを区画し、メッカの方向を指示しただけの「戦場のモスク」が設けられもしたが、征服した都市においては、既存の建物を利用するのが 一番手っ取り早かった。
 征服前の中東はキリスト教化した ローマ帝国に支配されていたので、どこの町にも キリスト教の聖堂が建っていたので、イスラーム側はこれを接収して、最初はキリスト教徒と共用し、次第に専用のモスクに作り変える ということを、どこの地でも行ったのである。

  
ウル・ジャーミイの中庭と、中庭を囲む回廊の柱

 トルコにおける 最も古いモスクのひとつ、ディヤルバクルのウル・ジャーミイ(大モスク)もそのような経過をたどった。かつてはアミーダと呼ばれたこの都市は 紀元前に遡る歴史をもつ古都であったが、地理的に絶えず外敵の攻撃にさらされる位置にあり、ローマの植民地、ペルシア領、ビザンチン帝国領、アラブ帝国領と、有為転変をけみした。 当時は まだトルコ族が東方から移住する以前であったから、むしろシリア圏の都市であったと言える。
 この町にはキリスト教のカテドラル、聖トマス聖堂があり、これをイスラーム教徒とキリスト教徒が共同使用した。時間や曜日で分けたこともあったろうが、770年頃には 全体の3分の2のスペースをムスリムが使用していたという。 住民のイスラーム化が進むと、これは完全にモスクに建て替えられた。現在の建物は、トルコ族のセルジューク朝による 11世紀のものである。


内向きのモスク

 ウル・ジャーミイは、堅固な市壁で囲まれた町を 南北に貫く メイン・ストリートに面しているが、しかしその長さはわずか 30mぐらいで、モスクの全外周 約 320mの1割にも満たない。あとの部分は すべて町並みの建物に埋もれているので、ほとんど外観というものがない。外にモニュメンタルな偉容を誇ろうとはしない、イスラーム建築の性格をよく表している。


ウル・ジャーミイ 平面図
(From Ekrem Akurgal "The Art and Architecture of Turkey" 1980)

 道路側の あっさりした石の壁面には大きなアーチ開口があり、これをくぐって階段を降りると 広い長方形の中庭に出るが、この南側の長辺に面するのが 主たる礼拝室である。敷地幅いっぱいの礼拝室は 奥行きがごく浅い代わりに 極端に幅が広い長大な部屋で、メッカに面するキブラ壁がたっぷりと とられている。中央部のみ スパンが大きく、天井も高くなっていて、その両翼に2列のアーケード(連続したアーチ列)が伸びている。


ダマスクスの影響

 こうした独特なモスク形式には、実はモデルがあった。シリアの首都の ダマスクスにある大モスク(8世紀)がそれで、最初のイスラーム王朝であるウマイヤ朝を代表するがゆえに ウマイヤのモスクと呼ばれている。そこにも かつてキリスト教の聖ヨハネ聖堂があったが、それを解体して、その4列のアーケードを中央部の両翼に並べて 長大な礼拝室を作ったのである。
 その他、入口以外は建物の外観が見えないこと、長方形の整然とした中庭に浄めの泉と八角円堂が建っていること、キリスト教の鐘楼に範をとった角型のミナレットが建っていること など、至る所に類似が見られる。セルジューク朝のスルタン、マリク・シャー(在位 1072〜92)は ダマスクスの栄光を トルコ南部のディヤルバクルにも もたらそうと考えたのである。

  
礼拝室のミフラーブとミンバル、木製天井

 ダマスクスと異なる点は、礼拝室の中央が ドーム屋根でないこと、アーケードの柱が 円柱ではなく太い角柱であること、中庭の周囲に モザイク装飾がまったくないことで、それだけ こちらの方がイスラーム建築らしい 質実剛健な印象がある。
 けれども、敷地の中央に造形的な本堂を建てるのでなく、そうした通常の宗教建築のあり方を反転させて、中庭という ヴォイドな空間を敷地の中央に設けて、建物はすべてその周囲に寄せてしまうという方法は まったく同一であり、世界の宗教建築の歴史においても 実にユニークである。

 ダマスクスに倣ったこの建築形式は シリアのアレッポやハマ、その他で実現されたが、しかし世界のモスク建築の主流となることはなかった。特にトルコでは オスマン朝の時代になってから 巨大なドーム屋根でモスクを覆う方法に転換し、アラブ型とは はっきり異なったモスク形式を確立することになるのである。

( 2004年6月「中外日報」)


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