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 ・生きとし生けるものの命

 

動物達の命、3年・6ヶ月・60日の命。

人間が生きていくためには、何かを食べなければならない。
何かの犠牲なしでは、人は生きていくことができない。その犠牲の上で、私たちは生きている。動物や植物の「命」をいただいて、私たちは生きているのである。それが食事の際の「いただきます」の意味である。それは人間のために命を奪われた生き物への「感謝の言葉」である。

牛肉、豚肉、鶏肉・・・私たちが毎日のように食べるお肉。
お店に行くと、肉はきれいに「ラップ」で包装され、それが動物の体の一部であったとは思えないほどです。魚だって同じだ。

3年、6ヶ月、60日の命。
牛は、この世に生まれて 約3年で牛肉になり、
豚は、生まれてから 約6ヶ月で豚肉になり、
鶏(ブロイラー)は、わずか 60日の命です。

この世に生まれても、みんな足早で一生を終えます。
彼らはこの世に生まれても、たったこれだけしか生きられないのだ。


堵殺場に連れられていく牛は、みんな終始おとなしいという。。
目にいっぱい涙を溜めて泣いている牛もいるそうです。
きっと、これからどうなるか分かっているのでしょう。自分の命が・・・。

豚は電気ショックで悶絶させられ、牛は堵殺銃で眉間を撃ち抜かれます。ニワトリは逆さに吊るされ、首を切られて失血。私たち人間は何と残酷なのだろうか。その残酷な殺され方を知ると、なぜ私たちは、ここまでして動物の肉を食べなければならないのか、悩んでしまう・・・。

世界三大「伝統医学」の一つ、インドの『アーユルヴェーダ』は言う。



それぞれの食物に宿る「意識」は、ある意味でこれを食した者の意識と融合する。例えば、ある人が牛肉を食べたとき、その牛肉のもつ性質を粗雑なレベルから精妙なレベルに至るまで受け継ぐことになる。

我々が肉体を維持しながら生きていくには、どうしても他者を犠牲にするしかない。肉を食べることも、野菜を食べることも、あるいは空気を吸って吐き出すことすらも、ある意味では自然に犠牲を強いている。

「動物たちは高度な意識を持つゆえに、殺されるときの苦痛や怨念もまた、我々には想像もできないほどのものだ。それは精妙な意識の波動となって、殺された後の動物の細胞の一つひとつに染みついている。そして(人がこれを食べると)、この意識もまた、我々の細胞の一つになる」。何かを食べるということは、そのものの「意識」まで、自分の細胞に受け継ぐということである。

・・・このような事実を知って、生きとし生けるものに感謝し、なるべく犠牲を最小限に抑えようというのがアーユルヴェーダの考え方です。



人間に生まれたことは、とても幸運なことなのです。
それゆえ、この命を精一杯生きなければ、私たちのために犠牲になった「無言の命」に申し訳がたたないのだ。

この世に、自分が生まれたことに感謝し、命は大切にすること。
たとえどんなことがあっても、自死という手段は取ってはならない。絶対に。もしそうした手段を取ったたとき、あなたは自分のとった行為に苦しむことになる。後悔の念に苦しむことになる。そして、再びこの世に舞い戻って、同じ課題に取り組むことになる、一からやり直すことになるのだ。

輪廻転生が自らの選択であるように、死の時期も自らが選択している。
そこに、運命などというものが関与する隙はない。しかし、自ら命を絶つことは、異界への不法入国のようなもので、その場はそれで終わっても、自分でそれを乗り越えないかぎり、何度でも同じパターンのものがやってくる。

今回の転生で直面できなかった問題は、やり残した課題となって、次の人生で直面する。あなたの「魂」がそれを求めるのだ。自分の成長・進化のために、それを求める。

死後の世界、あの世の霊界は「思いの世界」です。心で思うことがそのまま現実化する世界です。人は苦しみがなく、願ったことが叶い、実現するため、魂の成長・進化、修行ができません。霊界では人は魂を磨くことができないのです。それができるのがこの世、私たちが生きる物質世界です。

自死によって何一つ問題は解決されません。
それ以上に残酷なことは、残された家族が心に深い傷を負って、誰にも言えぬまま、自分たちを責めるということです。心に深い傷、悲しみを抱えて一生を過すということです。その悲しみ、無念さは消えることはない。

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