黄色の庭
数え切れないほどの誕生に立ち会った
数え切れないほどの人間を見てきた
数え切れないほど死に直面した
私が生まれてどのくらい経ったのだろう
私を植えてくれたのは、黒い着物が似合うおばあさんだったような気もする
いや、入学したばかりの幼い少女だったような気もする
いずれにせよ、頭の中のアルバムの写真は色褪せ思い出すことが出来ない
「由貴?」
縁側に出てきた青年は小さな声で私の今の名前を呼ぶ
風が運ぶうわさ話を聞いて私が知っていることは
彼は「亮介」と言う名前で「由貴」というのは失踪した妻の名前と言うことだけ
「何か、用事ですか亮介さん。」
「いや、きみがまた何処かに行ってしまいそうな気がしてね。
ちょっと見に来たんだ。」
もう、かれこれ5年ぐらいになるだろうか
彼と夫婦のまねごとをし、暮らしているのは
「そうですか…心配かけてすみません。」
「いや、僕が勝手にしていることだからね。
気にしなくていいよ。」
「あ、そろそろお昼の時間ですね。
ちょっと、買い物に行ってきます。」
「なら僕も行こう。
ひとりじゃ重たいだろう?」
「大丈夫ですよ。
亮介さんは散歩でもしてきてください。」
私がそう言うと口元に笑みを浮かべて彼は「ありがとう。」と言った。
◇ ◆ ◇
「由貴、ちょっと聞きたいことがあるんだけど良いかな?」
「なんですか?」
昼食の準備をしていた手を休め彼の方に身体を向ける。
彼の顔は少し汗ばんでいて緊張しているように見えた。
そして、なんとなく「嫌な予感」がした。
「……由貴、僕と君が結婚したのはいつだった?」
「8年前ですけど、それがどうかしたんですか?」
「…さっき、君が買い物に行っている間、僕は散歩に行っていたんだ。」
それは、知っている。
自分が勧め、玄関まで一緒に出て行ったから。
「それで、由貴に会ったよ。
…最初は幻覚か何かと思っていた。
けれどね…彼女も僕に気付いていたんだよ。」
「……。」
彼が言う「由貴」は失踪した妻のことだろう。
「由貴」は「死んだ」じゃなく「失踪した」
だから、どんなに確率が低くても会う可能性はあると分かっていた。
ああ、嫌な予感はこのことだったのか。
けれど、5年の間続いた夫婦ごっこもこれで終わると思った。
「君は…、君は誰なんだい…?」
彼の声は微かに震えていた。
ついにこのときが来た、そう思った。
もう「由貴」の演技をすることはない。
「私ですか?
其処の庭にある向日葵ですよ。
随分昔から植えられてその種が繁殖し続けていますから、実体化する事が出来たんでしょうね。
貴方が丁寧にお世話してくれていたおかげですよ。
まぁ、信じる信じないは別ですが。」
現実味のないこんなことを信じる人なんて居ない。
そんなことは分かってる。
だから、もう大丈夫。
消えても平気?
消えてもちゃんと一人でたっていられる?
言うべき事は言った…?
まだ言ってない…?
私の言葉を聞いた彼は呆然としていた。
口を開きかけては閉じる。
その繰り返し。
「…そうだったんだね。
君は、本当は由貴じゃないのに…長い間由貴として振る舞っていてくれたんだね。
あの日…僕が由貴の名前を呼んだばかりに……。」
彼は俯き、地面は涙をしみこんでいく。
「でも…。」
彼は口ごもり、私はどうして良いのか分からない。
頭の中で何かがぐるぐる回っている。
私は彼に何が言いたかった?
今、何が言いたい?
「でも、僕は君といた時間は、この時間は…楽しかった。」
彼の言葉が私に何を言わせるのかを決めた。
そうだ、私もそう思っていたはずだ。
「私もですよ、亮介さん。
貴方の妻の「由貴」としてじゃなく、「楽しい」と感じました。
でも、お別れです。
貴方は「ヒト」で私は「向日葵」なんですから。」
そう言いうと私の身体は薄れ、足下から灰のようになっていく。
「由貴っ!!」
「…私はもう「由貴」じゃありません。
ただの「向日葵」ですから。
でも、貴方にとって私は「由貴」なんでしょうね。」
「違う!
君が由貴じゃなくても、人でなくても、僕は君が大切なんだ。
……それだけは知っていて欲しい。」
「…亮介さん、お世話になりました。
それから…貴方に私の言葉を捧げましょう。
向日葵の花言葉は……。」
私が言い終わる前に私の身体は全て灰になり、
5年間の事は何事もなかったかのように、
庭に彼が一人だけ取り残されていた。
私は何処か別の庭の向日葵となり、今此処にいる。
私が5年間「由貴」として過ごしたあの庭は「向日葵館」として町の名物となっているらしい。
けれど、風達が教えてくれた噂だから本当かどうかは分からない。
向日葵の花言葉
それは……「貴方を見つめる」
亮介さん、本当ならずっと…ずっと貴方を見つめていたかった。
◇ ◆ ◇