夏の記憶

 

「おい、藤田って覚えてるか?」
 僕は懐かしい筆跡を見ながら言った。藤田はこちらに引越す前からの僕たちの友達で、字が壊滅的に下手なくせに、自筆の手紙をわざわざ書きたがるのだ。
「覚えているよ、兄ちゃん」
 僕が解読に苦労しているのを、弟はもちろん知っていて面白そうに眺めている。
「小学校のときまでだったよなあ、向こうにいたの。あっ……」
 弟が、どうかしたのかという顔でこちらを見る。

『あの夏のことをときどき思い出すよ。弟さんにもよろしく。』

 藤田は最後にそう書いていた。

* * *

「おい、もっと静かにしろよ」
 僕は隣りを歩く藤田にささやいた。さっきから落ち着きなく、ペンライトを振り回しているのだ。暑苦しい上に、うっとおしい。
「だって、幽霊屋敷に行くんだろーが、静かにしていられるかっての」
 さすがに緊張しているらしい。声がいくぶんうわずっていた。
 もちろん、夏休みの初日に僕たち五人が行こうとしているのは、「人形館」と呼ばれるところであり、「幽霊屋敷」ではない。確かに、幽霊が出ただの、人形が夜歩いているだの、いろんな噂に事欠かない場所だけれど。

 月の光がわずかに外を明るくする夜の中を、僕たちは町外れに進んでいる。目指す人形館はすぐそこだった。夜中に見る人形館は、電気が消えているせいもあって、昼間よりもずっと恐ろしげに見えた。しかし、今さら引き返すわけにもいかない。僕たちはわずかな明りをたよりに、閉まっていない窓を探した。
 ほとんどの部屋に窓がある、と昼間人形館を訪れたことのある僕が言ったとき、一つぐらいは開いている窓があるはずだと主張したのはやっぱり藤田で、窓が開かない場合は、ガラスを割って侵入する計画になっていた。
 窓から入れたのは本当によかったと、僕は安堵したものだ。
 僕たちはそれぞれに色の違うペンライトを薄い布で覆い、出来るだけ光がもれないようにして、館の中に侵入した。もちろん、先頭に立たされたのは僕で、最後尾が中村だった。あいつが一番後ろにいれば、仲間がばらける心配はないだろう。
  そうして、昼間でも気味の悪い、人形だらけの部屋の中を僕は一つずつ案内するはめになった。居間、台所、お手洗い、寝室、子ども部屋……後ろのやつらのびくびくした様子を感じて、逆に僕は落ち着いてきた。特におびえている様子が伝わってくるのが、意外なことに吉田で、僕はどこに何の人形が置いてあるのかあらかじめ分かっているので、あまり恐怖感を感じなかったのだ。
 それに、人形の気配と人間の気配の違いは、はっきりと分かる。
 たっぷりとみんなの様子をうかがいながら館の中を一巡りして、帰ろうとしたときだ。僕は何となく、自分の前の方に人の気配を感じて、歩みを止めた。
 きっと、別の部屋から回り込んだ誰かがいるのに違いない。僕は自分のペンライトを消して、その気配に近づいて行った……。

* * *

 弟と家に帰ると、僕はめちゃめちゃに説教をされた。冒険の翌日のことだ。
 人形館に忍び込んだことはすっかりばれていて、親たちはそこの持ち主に謝りに行くはめになったらしい。
 外出禁止令も出されて、僕と弟はテレビをぼんやりと見ていた。今日は面白い番組が特にない。

「いいなー、それ、僕も欲しい」
 また始まった。夕食までもう少し間があった。いつもなら弟は母さんにまとわりついている時間のはずだが、今日はお目当てのものあるらしく、僕のそばから離れない。弟は僕が持っているものを、とにかく欲しがる傾向がある。そして、もらえないとなると、母さんに泣きつくのだ。
 しかし、「これ」は出来れば手元に置いておきたかった。
 ちょうど電話が鳴って、僕は話をうやむやにしたまま電話に出た。
「おー!どうしたんだよ?」
 電話をかけてきたのは、さっきまで一緒にいた藤田だった。電話口でなにかもごもごとしゃべっているのが聞こえてくる。よほど「人形館」が怖かったのだろうか。
 何度か話しかけると、藤田は思いがけないことを言った。
「お前に渡したの、何色だったけ?」
 僕は内心舌打ちをして、藤田の話の続きを待った。
「俺が持っているの紫なんだよ」
「だから、何なんだよ?」
「俺さあ、みんなに渡すときに、全員違う色のライトだ。ちょうど五色あってよかったって言ったんだ」
 僕もそれは覚えていた。何ておおげさなやつ、五人だからといって戦隊ものじゃないんだから……って。
「でも、六人いたよな、帰るときにさあ。お前ペンライト渡すときに落としただろう?だから、お前に渡したのは覚えているんだよなあ」
 僕は弟がいるはずの部屋の方を振り返った。そう、僕ははっきりと覚えていた。僕が自分のライトを消して、後ろを振り返ったときに、ライトは四色確かにあった。
 その後、僕は自分を追いかけてきた「弟」に会ったのだ。

「お前さあ、ちょっと疲れてんだよ。考えすぎだって。ほら、俺のあとを弟追っかけてきたんだしさ」
 僕は出来るだけ、明るい調子で言った。
「そうだったかな……そうだよな、俺たちが窓から入っていくとき、お前の弟がついてきたんだっけな」
 藤田はしばらくそうつぶやいたあと、俺のせいで人形館に行ったのがばれてごめんと謝った。
 いいやつだと思う。字がとんでもなく下手なのを除けば。

* * *

「お前によろしくだってさ」
藤田の手紙の中身を教えてやると、「弟」はうれしそうに笑った。