十字路の少女

 

 今日はいないな。
 僕は塾へと自転車を進めながら、いつもの場所に目をやった。 まだ日差しの強い時間で、空がうっすらと紫がかって見えるほど暑かった。 頭の中身までやられてしまったのか、普段なら考えないようなことが気にかかる。
 塾での英語のテストのことは忘れて、脳内で少女のいつもの行動を僕は再生した。

 十字路の角にある、小さな雑貨屋の店先に少女は座っている。 しゃがみこんだまま、いつも何かぶつぶつとつぶやき、時折手をひらひらと動かしている。 その行動はどこか奇怪で、ある種のパフォーマンスのようにも見えた。

 まだ、十歳ぐらいだろうに、こんな夕方に何をしているんだろうと僕はいつも考えていた。
 そうだ。
 少女が店先に座り込んでいるのは、いつも空が赤く染まり、夜がやってくる一歩手前の時間だった。 まだ明るい時間なのでいないのだろう。
 帰りには会えるかもしれない。僕はそう考えると、自転車を強くこぎはじめた。

     *  *  *

 もう夕方近いのに、やけに人が多かった。塾の帰り道のことだ。 僕は、人ごみをかきわけるようにして、少女がいるであろう方向へと向かった。
 やはり、いた。いつものように、雑貨屋の店先にしゃがみこんでいる。 赤い空と同じ色に、少女の姿も染められていた。 ただし、今日は一人ではない。小さな白い犬が少女の傍にいて、ひらひらと動く少女の手を追いかけている。
 ひどく可愛らしいしぐさだった。 少女が手を軽く上に動かすと、小犬はぴょんとジャンプして、飛びつこうとする。 くすくすと笑う少女の声もはっきり聞こえた。

「可愛いね」
 僕は自然に声をかけていた。
 少女が初めて僕を振り向いた。少女の大きな瞳に見つめられて僕は慌てて言った。
「えっと、可愛い犬だね」
 少女の目が軽く細められた。何かを見定めるような、意思を持った瞳だった。
「この犬、ロンっていうの。ほら、あいさつしなさい」
 少女は小犬を抱えて僕のほうに、突き出した。
 僕はそのとき、さっきから小犬の声がしないことに気づいた。 口が上下に開いて、明らかに甘えた声を出しているだろうに。
「そこの交差点で、この犬はねられたの」
 だから、声を出せなくなったのだろうか。
「さっきも、事故があってた。中学生の男の子が車とぶつかったって言ってたよ」
 少女の言いたいことが僕には分からない。いや、考えたくなかったのかもしれない。
「ロンの声が聞こえないのなら、まだ間に合うよ。早く戻ったほうがいい」
「何を……」
「分かっているんでしょう?」

     *  *  *

 僕がどうやってこの世に戻ることができたのかは分からない。
 とにかく目が覚めたときには、病院のベッドの上にいたのだから。

 僕が塾に通えるほど元気になったあと、あの十字路を通ることもあったが、少女の姿はなかった。
 もし少女に出会えたとしても、あの小犬は多分今の僕の目には映らないのだろうけれど。