◆原告意見陳述 (要旨)◆

   


平成15年()第721号 大気汚染物質排出等差止等請求控訴事件

控訴人(1審原告)   西 順司 外98名

被控訴人(1審被告)   国  外9名

 

意見陳述要旨

 

2003年9月18日

東京高等裁判所  第8民事部    御中

 

                            原告ら訴訟代理人

弁護士                      

外59名

 

第1 本裁判の意義(代理人中島晃の陳述)

 私は、薬害ヤコブ病の大津訴訟弁護団の団長であり、かつまた全国各地でたたかわれている公害裁判の弁護団によって構成されている全国公害弁護団連絡会議の代表委員の1人でもありますが、本日は東京大気裁判の原告弁護団の一員として、控訴審の審理の開始にあたって一言意見を申し述べます。

 言い古されたことではありますが、公害裁判は被害に始まり、被害に終わるといわれています。

 それは、公害被害者が言い尽くすことのできない悲惨で深刻な被害に苦しみながら、自らの被害の救済を求める最後のよりどころを裁判所に求めて、訴訟提起に踏み切ることによって始まり、裁判所が、公害被害者の被害の訴えに真剣に耳を傾け、深刻な被害の実態を直視して、被害をひきおこした原因者に損害賠償を命ずる判決を下す、あるいはこれと同様の和解を成立させることにより、被害の全面的な救済が図られることによって、終わることを意味しています。

 わが国の裁判所は、これまで四大公害裁判をはじめとする公害裁判で、損害賠償の分野では、加害企業や国に賠償を命ずる判決を下すことを通して、公害被害者の救済にとって大きな役割を果たしてきました。それは、公害被害者のみならず多くの国民の期待にこたえるものであり、この点でわが国の裁判所は、公害被害者の救済に積極的な姿勢を示すことで、司法の存在意義を国民の前に鮮明にしてきたといえます。

 しかしながら、東京大気裁判における地裁判決は、こうした被害者救済の流れからみれば、まことに不十分なものといわなければなりません。

 とりわけ、非沿道の面的汚染を否定し、メーカー責任を認めなかったことは、公害裁判における被害者救済の流れに逆行するものであり、国民の期待を大きく裏切るものになったといわざるを得ません。

 私は、この裁判所が、東京地裁判決のこうした不十分さを是正され、被害者救済のために積極的な判断を示されることによって、司法の存在意義を内外に明らかにされることをまず何よりも望むものです。

 さて、わが国の公害裁判の歴史をふり返るとき、公害環境政策の形成に、公害裁判がきわめて重要な役割を及ぼしてきたことを指摘しておく必要があります。いいかえれば、公害裁判の帰趨が、日本の公害環境対策の動向を左右してきたといっても過言ではありません。

 このことは、裏返していえば、裁判所で自らの責任を指摘されるまで、何ら有効な公害防止対策や被害の救済措置を講じてこなかった企業の無責任な対応と、これを放置してきた行政の怠慢がいかに深刻なものであったかを物語っています。

 四大公害裁判の一つであり、大気汚染公害訴訟のさきがけとなった四日市公害訴訟判決は、わが国で初めて大気汚染による健康被害について排出者の責任を認めるものとなりましたが、これは公害患者の救済について、汚染者負担の原則を明確にしたという点で、画期的な意義をもっています。そしてまた、判決でコンビナート立地企業の共同不法行為責任が認められたことが地域全体の汚染物質の排出総量を減少させるという排出総量規制制度の導入につながったという点でも、非常に重要な意味を持っています。

 さらには、この判決が契機となって、公害健康被害補償法が制定されたという点で、四日市公害判決が、大気汚染公害に関するわが国の公害対策と環境政策に及ぼした影響ははかり知れないほど大きなものがあります。

 ところで、四日市公害訴訟で問題となった硫黄酸化物(SOx)による大気汚染は、その後の環境基準の改定強化によって大きく改善をされるに至りましたが、 これに代わって今日ではディーゼル貨物車による排ガス汚染が深刻な問題となっています。

 したがって、自動車排ガスによる大気汚染公害の解決と公害患者の救済にとって、排ガス汚染の主犯である自動車メーカーの責任を問うことは、もはや避けて通ることのできない課題となっています。

 したがって、排ガス汚染について排出者であるメーカーの責任を認めることなしには、私たちが今直面している東京での深刻な大気汚染公害の解決はありえないことであり、そのためにも、汚染者負担の原則にもとづき、自動車排ガスによる健康被害についてメーカー責任を明確にすることが今何よりも求められていることです。

 四日市公害判決が固定発生源による大気汚染公害の解決にはたした役割がいかに大きなものであったかはさきに述べたとおりですが、これと同様の役割を、移動発生源による大気汚染公害が真正面から問われているこの東京大気裁判で、この裁判所に是非とも果たしていただきたい。そのために裁判所が非沿道の面的汚染とメーカー責任を認める踏み込んだ判断を下されることによって、司法の存在意義を明確にされ、公害裁判の歴史に新しい画期を作り出されることを心から期待して、私の意見陳述を終わります。

 

第2 公害裁判と司法の役割(代理人篠原義仁の陳述)

1、本来、公害防止対策と被害救済は行政の第一次的課題として解決される必要があります。しかし、日本の行政は、余りにも無為無策、無責任で、結局、被害者は人権救済の最後の拠り所として裁判に起ち上り、その結果として司法が行政をリードして政策的前進が勝ちとられてきました。

  そこには、原告団、弁護団、支援の力を結集した精力的斗いがありました。

2、公害裁判斗争に押されて、変革を迫られた政策の推移と理由付けを当初の文献に即して確認してみることとします。

  「戦後わが国は戦争の永久放棄を宣言し、民主主義と平和主義を国の基本方針と定めました。そして、荒廃した国土と壊滅した経済社会から立ち直り国民の福祉の向上を図るため、エネルギー産業、重化学工業を主軸として、経済の高度成長を進めることになったのであります。国民は20年にわたって懸命の努力をつづけ、ようやくその目標に近づいたかに見えたとき、高度経済成長の反面である深刻な環境破壊に直面することになったのであります。大気は汚れ、河川は汚濁にまみれました。都市は過密化し、貴重な自然は破壊され始めました。遂には公害による多数の患者と死者さえ発生するに至ったのであります。日本国民は、より多くの生産、より大きいGNPが人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました。数多くの海岸が埋めたてられてコンビナートとなり、緑豊かな自然が削りとられて道路となり、住宅となりました。都市からは緑が消え、僅かばかりの公園すら手入れが行きとどかず、草花は踏みしだかれました。知らず知らずの間に人々は自然を愛する豊かな心を失うようになり、自然をいつくしむ公徳心さえも低下して参りました。環境破壊は人間の精神をもむしばみ始めたのであります。」

  と述べ、公害被害の本質を正確に把握しました。これは、1972年6月(注:四日市公害判決が72年7月)にストックホルムで開催された国連人間環境会議での日本代表大石環境庁長官の演説の一部です。

  環境庁作成の著作(公害健康被害補償制度解説書)では、公害健康被害補償法の制定理由を「このようなわが国における公害健康被害の問題の重大性と、そして健康被害者に対する根本的な救済の緊要性とが、本制度を生み出すための基本的な背景となっている。本制度では汚染原因者から賦課金等を徴収しこれを健康被害救済のために充てるという仕組みのものとなっているが、このような制度は諸外国にその例をみないところであり、これは、まさにわが国における公害健康被害の問題がきわめて深刻であることを意味している」と説明しました。

  大気汚染公害、とりわけ道路公害の深刻性と重大性は、1970年代と変わるところはなく、正確にいえば、被害はより一層広範に拡大、進行しています。

  西淀川、川崎と現在進行形の被害は断罪され、尼崎、名古屋に至っては差止請求も認容されるに至りました。

  もはや、道路沿道地域での被害者の救済と公害の根絶は東京判決の動向にかかわらず、一刻の猶予を許しません。東京大気裁判の役割は、この流れを押しとめることなく、さらに加速することでした。しかし、一審判決の水準は、(詳細は控訴理由書にあるとおり)私たちの期待を大きく裏切りました。控訴審にあっては、環境庁でさえ認めた、公害被害の重大性を再認識することから出発してほしいと希望します。

3、救済制度について環境庁は、1972年7月に成立した公害対策基本法に関連して「同法では、公害の未然防止の施策を明らかにするとともに第21条第2項に『政府は、公害に係る被害に関する救済の円滑な実施を図るための制度を確立するため、必要な措置を講じなければならない。』と規定し、公害対策の1つの柱として公害被害救済制度確立の必要性を明文でうたい上げている。」と説明し、次いで「昭和44年(1969年)には、『公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(昭和44年12月15日法律第90号。以下、『救済法』という。)が制定され、当面の緊急措置として医療費等の給付を行なう行政上の救済措置が講ぜられることとなった。

  公害によって障害された健康を回復するためには各種の治療行為が必要であり、その費用は患者にとって大きな負担となっている。本来、公害病患者の医療費は、原因者たる加害企業がこれを負担するのがたてまえであるが、現行の民事法制度の下では、故意過失の有無、因果関係の究明等の点で立証に困難な場合が多く、また裁判の結論を得るまでには長期間を要し緊急に救済を必要とする健康被害の救済には間に合わない場合が多い。救済法は、こうした背景の下に、公害対策基本法に基づき、公害に係る健康被害者を迅速かつ適正に救済することを目的とする行政上の制度として制定されたものである。」と述べるに至っています。

  公害被害の重大性に鑑み、裁判の結果を待つまでもなく、せめて医療費の救済を行おうとして、四大公害裁判の判決以前である、1969(昭和44)年に医療費救済の制度が発足しました。

  今の環境庁の姿勢とは雲泥の差です。

  司法が国、地方自治体、加害企業を断罪しない以上、より正確にいえば4つの判決に加え、首都東京、最大の被害地域東京での判決で、トドメを刺さない以上、行政は重い腰を動かさないぞ、といって、最後の抵抗を試みているのです。

  環境省は設立当時の理念に立ち返ることが必要ですし、環境省にそれをめざめさせるためにも司法の断罪が必要となっています。

  「(医療費)救済法は、公害健康被害者の救済を図ろうとするものであるものの、根本的には、民事的な解決が図られることを前提に、その応急的な必要最小限の医療的救済を図ろうとするものであったため、逸失利益に対する補償がないなど給付内容が限定されており、損害補填についての抜本的措置を別途検討する必要があるという問題が残されている。

  また、無過失責任法も公害健康被害の民事上の解決にあたり故意過失の立証を不要とすることにより被害者の損害補填を円滑に行わしめることを目指すものであり、その立法は民事体系上きわめて重要な意味をもち、法制上画期的なものといえる。しかし、現実の問題として被害者の損失補填を考える場合、やはり同法をもっても民事訴訟の手段により損害賠償を求めるものであるために、その解決にはかなりの労力と日時を要するという問題があり、民事的解決のみによっては被害者の救済に万全を期するとはいいがたい現状にある。とりわけ、都市や工業地域においてみられる大気の汚染による閉塞性呼吸器疾患(ぜん息等)のような、複合汚染による非特異的疾患救済は、個々に因果関係を証明して民事上の解決を求めることは著しく困難な事情にある。

  こうした現行法体系の限界を乗り越え、公害健康被害の救済を迅速かつ円滑に行うためには、公害による健康被害者に対し一定の給付をもって損害を補填し、その費用を汚染原因者に負担せしめるという仕組みを行政上の制度をして確立することは、どうしても緊急の課題として要請されざるを得ないところである。本制度の制定はかかる背景のもとに行われたものであった。」

  これも環境庁の説明です。

  4つの判決に東京大気一審判決が加わり、道路沿道50メートル地域内での因果関係は、すでに揺るぎないものとなっています。四日市判決(72年7月)をうけて、翌年9月に補償法は成立しました。この経緯に照らせば、救済制度の再構築は必然です。しかし、環境省は動きません。被害者との直接交渉で自動車メーカーはもちろん、道路公団もそして最近に至っては国土交通省さえも主務官庁である環境省の働きかけがあれば積極的に対応すると言明しているのに環境省は動こうとしていません。

  制度の枠組み、給付内容の考え方は確定しています。思うに、財源問題に難点ありと考えているのかもしれません。そうであれば、社会の常識に照らして自動車メーカーの加害者責任を確定することは救済制度の構築の上からも必要で、それはまた緊急性を要するところとなっています。

  いずれにしても1960年代後半に被害者が提起し、1970年代前半には環境庁でさえも認知した、被害者救済の法理とこの実践的展開である法制度の整備が、現在の大気汚染の被害者と加害者構造の正当な把握のもとに現代版救済制度として再構築される必要があります。大気汚染の被害者は固定発生源型から移動発生源型へと加害者構造が変化した中でも、その加害態様に対応して、従前をはるかにしのいで急増しています。

  くり返します。被害の救済は、一刻の猶予も許しません。

4 次に差止の問題に触れます。

  橋本龍太郎内閣総理大臣は、「日本の大気汚染経験」(平成9年公刊。英語版、日本語版。)の発行にあたり、「特別寄稿」を寄せ、

  「5年前の地球サミットの際に、私が環境庁の諸君に作成してもらった「レポート・日本の公害経験」に引き続いて、この度、国連環境特別総会を控えて「日本の大気汚染経験」レポートが公表されました。

  私が、以前から、日本の経験を、成功例をサンプルとして提供するだけの日本ではなく、今日までの間に我々が犯した失敗、そしてその失敗を回復するまでの努力をどのようなプロセスをたどり、どのような結論に至ったか、自らの国の失敗を提供することを恐れない国になりたい、そういうことを考え、また、言ってきました。そして、必要とする国があれば、我々は、過去の自らの失敗の記録、回復のために払った努力、そしてその結果の分析、全てをお知らせする、そういう努力を日本はしていくべきだと思っています。

  今回の「日本の大気汚染経験」のレポートは、私が、常々思っていたことを分かりやすく、かつ具体的に説き明かしてくれています。本レポートは、明治維新により日本が近代化の道を歩み始めてからの歴史を振り返り、戦後の経済の高度成長の過程で生じてしまった大気汚染による健康被害を、経済的成功の陰の問題と明確に認識し、その克服のために払った人々の努力を明らかにしています。さらに、都市・生活型の大気汚染と格闘している状況も率直に記述し、その解決には、地球環境問題への国内の取り組みと同じく、環境への負荷の少ない経済社会システムの構築が必要であることを述べています。

  私は、このような検討が、研究者や国の環境行政に携わっている人だけでなく、公害の激しかった時代に緊張関係にあった地方公共団体、企業、そして患者団体の人々も参加して、共同の作業を行うことができるようになったことに、日本が確実に変化しつつあることを実感します」

 と述べました。

  橋本原稿に引用された「レポート・日本の公害体験(平成13年12月公刊)は、5年前の地球サミット(ブラジル会議)開催に先駆けてまとめられ、そこでは

  「日本では、第2次世界大戦の戦後復興とこれに続く経済成長の過程での配慮が十分になされず、結果として深刻な公害被害を経験してはじめて相当の公害対策が行われるようになり、今日では、なお深刻な問題を抱えているものの、かつて激甚であった公害因子については環境汚染状況は改善された(弁護団注 但し、この点の認識は、大いに異議があり、批判されなければならない)。

  このような事後的な対応は、深刻な被害やこれに伴う社会的あつれきを生じさせた点で好ましいものでなかったばかりか、経済的な面でも適切ではなかった。すなわち、公害健康被害などの額(日本の場合、往々にして、実際に生じた被害の額)とこうした被害を生じさせないような対策に要する費用と比較すると、前者が後者を大きく上回っていたのである。

  本書は、この点をかつて生じた具体的な公害事例に即して例証したほか、なぜ環境配慮が乏しかったのかを当時の経済政策や公害行政のあり方のなかに探り、また、開発の早い段階から行う環境への配慮の留意点などを指摘している。」

  「この『レポート・日本の公害経験』の誕生の背景事情については、本書に収められた橋本前大蔵大臣の御寄稿に詳しいが、作業の指示を受けた我々環境庁職員は、当初、果たしてどのような手法、構成によって作業目的を達したらよいか、正直に言って大いに迷った。

  『開発の初期段階から環境配慮をすることが重要である』。あるいは『事後対策よりは未然防止を』といった言葉は、確かに、スローガンとしてはすっかり定着していた。が、こうした当たり前とも思われることをいざ実証しようとするとかえって前例もなく頭を抱えてしまった。」

  と述べつつ、具体的検証作業を経て、損害賠償による事後的救済より公害防止の事前防止の重要性を、経済学的分析を通じて確認しました。

  つまり、政府自らが我が国の歴史的経験をふまえて、公害の事前予防の必要性を強調し、事前予防こそ現代的課題と認識したわけです。

  前記「日本の大気汚染経験」は、橋本総理が述べる内容を受けて、

  「日本の公害経験を伝えるという点で、本報告書は、地球サミットが開催される前の1991年に発刊された『日本の公害経験−環境に配慮しない経済の不経済』(地球環境経済研究会)の続編、あるいはその大気汚染版とも言えるものである。前著では、公害が生じてからの事後的対策に比べ、未然防止対策の方がはるかに経済的であり、開発の初期段階から公害対策を行うことの大切さを訴えた。これに対して、本報告書では、日本の大気汚染経験を経済的な視点から整理・考察するにとどまらず、政策的対応、科学技術的対応、その他全般にわたる日本の政府企業、国民が行った努力の成功と不十分さを率直に評価し、そこから開発途上国を含む世界の国々にむけたメッセージを打ち出すことに努めている。

  本報告書が、持続可能な開発の実現に寄与することを願ってやまない。」

  と前書きし、それに続けて同書第1章「日本の大気汚染経験と世界」(10頁)では、「日本の大気汚染経験」のタイトルのもとに

  「日本は大気汚染対策は成功したか

   日本における公害問題の発生は、欧米諸国に比べれば短期間に圧縮された急速な工業化の過程で発生したものだっただけに、環境悪化の速度、被害の発生など、どれをとっても劇的なものであった。

  1977年にOECDがとりまとめた報告書『日本の経験−環境政策は成功したか』では、要約された結論として『日本は、数多くの公害防除の戦闘を勝ち取ったが、環境の質を高めるための戦争ではまだ勝利を収めていない』と述べている。その後、この結論の前半部分をとらえて、日本は公害対策先進国であるとの評価が流布している。

  しかし、いかなる意味において日本は公害対策先進国なのか。このことはOECDのレビューから20年を経た今日、その後の日本における環境基本法の制定(1993年)による新たな環境政策の展開、地球サミットや『アジェンダ21』の策定などの地球環境問題をめぐる国際情勢をふまえて、改めて十分な検証を行うべき課題である。実は、OECD報告書は、公害に関しても『大成功を収めたのは緊急措置がたてられ、実施された分野のみである』『ある分野では対策が進んでいるのに、他の分野では比較的遅れているという対照的な状態が、日本の政策の特色である。』と述べており、日本の公害対策が全て成功したとは決して述べていなかったのである。

  その後、1994年のOECDの報告書『日本の環境政策−成果と課題』(日本の環境保全成果審査報告書)では、日本の大気保全対策について『過去200年にわたって二酸化硫黄、窒素酸化物及び一酸化炭素の排出に関し、政府、産業部門のあらゆるレベルでの協力による多大な成果を挙げてきていると評価する一方、『現在残されている大気汚染問題は、二酸化窒素、光化学オキシダント、浮遊粒子状物質及び有害物質に関するものである。』と述べ、環境基準の達成にむけた対策戦略の作成、有害大気汚染物質のモニタリングについての検討、大気汚染物質の他の環境媒体へ移動の可能性を考慮した予防的な対応を、運輸政策への環境配慮の統合とともに求めている。前半は、日本の環境政策の成功部分の評価であり、この部分の評価は1977年の報告書に共通する。しかし、後半に述べられている部分については、今日においても日本の環境政策はまだ十分な成功を収めていない。」

  と述べています。

  これはわが国が世界に発信した見解であり、その内容はわが国として国際的な責任を負っているものです。

  そして、その内容はきわめて正当です。課題は、その問題点の克服にこそあります。

  大気汚染被害者の増大とその解決こそがわが国が果たすべき歴史的責任であり、国際的責務になっています。

  ちなみに、同書は、第3章「公害健康被害の発生とその補償」のむすび(52頁)として次のように述べるに至っています。

  「公害健康被害者の補償から得られた教訓

  大気汚染によって多数の被害者の発生をみたことは、環境対策を経済システムに内部化できなかった『市場の失敗』でもあり、『政策の失敗』でもあった。このような失敗は、どこの国においても繰り返されてはならない。

  日本では、公害健康被害の発生を目の前にして、被害者の運動や、事後的な補償方法である裁判等を通じて、その後の厳しい大気汚染の規制が産業界の協力の下に実施されることとなり、また、公害対策基本法(現環境基本法)に基づく、『人の健康を保護する上で維持することが望ましい』レベルとしての大気環境基準や、大気汚染を未然に防止するための各般の行政枠組みが整備されることとなった。また、損害賠償を命ずる判決をふまえて、産業界も協力して法律により公害健康被害補償制度が創設された。

  大気汚染による健康被害が今後再び発生することのないよう、大気汚染の態様の変化を常に注視し、恒常的に窒素酸化物をはじめ人体への影響が危惧されている物質についてその大気汚染と人の健康影響等に関する各種の調査・研究を実施していくことが必要である。また、こうした調査・研究は、国内的なレベルにとどまらず、大気汚染の状況や社会・文化的土壌を異にする多くの国々において、国際的に比較可能な方法で実施され、相互に情報と知見の交換を行いつつ比較検討されることが重要である。」

  と述べています。これは疑うことなく国自身の文書であり、被害者弁護団の書面ではありません。

  長々と引用してきましたが、この当時の国自身の認識が未だ全面展開されておらず、自動車メーカーをはじめとする加害者構造へのメス入れと補償法制度への協力取付も未了です。

  被害者救済と差止の実現のためにも司法の役割がますます重要となっています。

  過去の公害裁判は、時に逆流に流されて、社会の要請に反する判決もありましたが、大局的にみた場合司法は、非常識判決の弱点を乗り越えて大筋において公害根絶と被害の救済のために奮闘し、司法が行政を揺り動かしてきました。

  識者のいう司法の社会的機能、司法の立法機能が果たされてきました。

  貴裁判所においても一審判決の弱点の克服を行い、歴史の審判に耐えうる判断を行われるよう期待します。

 

第3 原判決の総括的批判(代理人原希世巳の陳述)

1 被害者救済

原判決は救済の範囲を巨大幹線道路の沿道などに限定し、99名の原告のうち

わずか7名を除いて、その請求を棄却した。

原告患者らは、日々襲ってくる呼吸困難発作の耐え難い苦痛と、死の恐怖に対

面させられる毎日を送っている。病気は原告患者の収入の道を閉ざし、経済生活を破壊する。子供の養育や学業を阻害する。被害は家族にも及ばざるを得ず、家庭を崩壊に導く。

 とりわけ未認定患者は、何らの補償もないなかで一層深刻な生活苦に見舞われている。重い治療費の負担のため満足な治療も受けられず、これが症状の悪化を招くという二重三重の苦しみにさいなまれている。

 自動車が人類にもたらした利便と豊かさは何物にも代え難いように見える。しかし自動車産業の繁栄の対極には、自動車排ガスにより今でも苦しみ続ける多くの公害被害者がいるのである。

原告らには何の罪も落ち度もない。原判決はこのような深刻な被害の救済に背

を向け、尼崎、名古屋判決の沿道救済の基準を機械的にあてはめて、原告が司法に託した被害救済の願いを踏みにじったのである。

2 メーカー責任

本訴訟は、わが国で初めて自動車メーカー、なかんずくディーゼル自動車を製

造・販売するメーカーを被告として、その公害加害責任を追及する裁判として注目を集めてきた。

 原判決はこの点につき、メーカーに被害発生の予見可能性ありとし、最大限かつ不断の努力を尽くしてできる限り早期に排ガス低減を行う社会的責務があるとしつつ、結果回避義務の存否の判断にあたって「被告メーカーや社会の被る不利益を考慮すべきだ」などとして、メーカーの責任を否定した(後述するとおり、生命、健康という至上の法益侵害が問題とされている公害裁判において、このような結果回避コストを考慮することの不当性は明らかであり、判例評釈でもこぞって批判されているところである)。

しかしこのような判示にもかかわらず、世論としてはメーカーは全く免責され

ていないことはその後の経過からも明らかである。

 判決翌日の新聞各紙の社説をみると、「メーカーは、社会的責任を自覚し、被害者救済のために一役買ってほしい」(朝日)、「国やメーカーは判決を重く受け止め、東京など大都市の大気汚染の改善と被害者救済に積極的に取り組む一歩にすべきである」(毎日)、など、軒並みメーカー責任を指摘する論調で共通している。

 また、東京都の石原都知事は判決当日の記者会見で、@国による健康被害者救済制度の創設を強く要求していく Aその際、メーカーの費用負担も含めて、国の責任で考えていくべきことを明言した。東京都議会においても昨年12月18日には「国会及び政府に対し、メーカーによる費用負担のあり方を検討し、大気汚染による新たな健康被害者救済制度を、国の責任で創設するよう強く要請する」との意見書を採択している。

  そしてメーカーらは、判決日当日の原告らとの交渉において確認書を作成し、この中で、「当社は、行政が新たな救済制度を制定する場合、社会的要請も踏まえて総合的に対応を判断します」(被告トヨタほか)、「当社は被害者救済制度を制定する場合、行政から要請があれば、真摯に検討する」(被告マツダ)などと、救済制度における財源負担について検討せざるを得ないことを原告団に約束したのである。

原判決がなんと言おうと、社会の常識はメーカーが公害被害に責任を負うべき

だと言っているのである。原判決は、被告東京都や世論はもちろんのこと被告メーカーの思惑からもとり残されて、ひとり裁判所のみが決断をためらった末のものであることが浮きぼりとなっている。

 

第4 差止請求を棄却した原判決の誤り

1 原告らの人格権を軽視する原判決

原判決は、少なくとも幹線沿道に居住する原告4名については、「当分の間は、

自動車排出ガスによる健康被害が継続することが、高度の蓋然性をもって予測し得る」と、今なお現在進行形の加害行為により健康被害を受け続けていることを明確に認定していながら、その差止請求を棄却した。

亡若松静子(原告番号9)は、自動車排ガスによる健康被害が死にまで至った。

これは究極の人格権侵害である。原判決は尼崎、名古屋と続いた人権擁護、公害の根絶を目指す判例の流れに逆行して、原告らの憲法上の権利である人格権を無視し、将来の被害発生の防止という裁判所の社会的役割を放棄したものであり、判決後の新聞各紙の社説等にも見られるとおり、社会的にも厳しく批判されている。

 

2 閾値の立証が不可欠であるとすることの誤り

  原判決が差止め請求を棄却した論拠は、閾値、すなわちその汚染濃度数値を超えた場合には気管支ぜん息を発症、増悪するという値が決められないというものである。

  しかし原判決自身が認めるように、各人の症状や気道の過敏性の程度、体調等により、各人ごとに発症、増悪をもたらす汚染物質濃度は異なるのであり、閾値は極めて相対的な概念である。したがって、厳密な境界線たる閾値のレベルでなくとも、科学的に立証十分であるより緩いレベルをもって差止基準とすれば何ら問題はない。暴露量が多くなるにつれ影響を受ける者の範囲も大きくなるのは当然であるから、厳密な閾値が認められないからといって、それより多量の暴露により、より大きな範囲の者に影響が生じている事態を放置してよいはずがない。

裏を返せば、原告らは科学的、疫学的知見からして、「少なくとも○ppmを超

えれば明らかに発症増悪の影響がある」ことさえ立証できればよいのであり、これに反論する被告側が「その値では影響が全く認められない」ことを立証すべきなのである。よって、原判決は、少なくとも判断の時点における資料の範囲で明らかになった発症増悪を生じる濃度を差止基準とすべきであった。

 

3 差止基準について

  原告らの請求においては、環境基準(二酸化窒素については旧環境基準)と同一の水準(二酸化窒素については「1時間値の1日平均値0.02ppm」、浮遊粒子状物質については「1時間値の1日平均値の0.10r/」及び「1時間値0.20r/」)をもって差止基準としている。しかし原告らはこれらの基準が環境基準であることをもって、差止基準とすべきだ等と短絡的な主張をしているのではない。これまでの国内外の疫学調査の分析等から、この基準を超えた場合に発病・増悪の危険が否定し得ないものとして上述の基準を主張しているのである。

  なお控訴理由書では、百歩譲って環境基準値が差止基準値として認められないとしても、考えられるいくつかの差止基準を予備的に主張した。なかでも原判決が、現実に大気汚染によって発病・増悪したものと認定した7名の原告についての暴露濃度が、発病・増悪の危険を有することは、原判決も否定し得ないはずである。例えば原判決において、原告國師美歩(原告番号97)の居住地域の汚染レベルを代表するものとされる八幡山自排局の平均値は、NO2「1時間値の1日平均値0.069ppm」、SPM「1時間値の1日平均値0.123r/」であるが、少なくともこのレベルの差止は認められなければならないはずである。

 

4 差止の必要性

  公害に苦しんでいる原告らが、被告らに対して大気汚染の防止を求めることはあまりにも当然のことである。今後もこの東京で生活して行かねばならない原告らにとって、裁判上の差止は命に関わる請求であるといえる。

  原判決でさえメーカーらに対する差止請求も法的には可能であり、認められる余地はあることを示唆している。控訴審の裁判所においては、将来の被害発生の防止という裁判所の社会的役割が今、問われていることを十分に認識した上で、差止を命ずることを切望する次第である。

 

第5 本件地域の深刻な面的汚染の実態(代理人雪竹奈緒の陳述)

1,本件地域の一般環境が他の大都市の幹線道路並の深刻な汚染実態にあること

 本件地域においては、昭和30年代半ば以降、大気汚染の深刻さが一貫して社会問題とされてきた。

 原判決が、一般の大気環境を含めて「相当深刻な状態」または「ゆゆしき事態」と判示したように、こうした深刻な大気汚染は幹線道路沿道に限られず本件地域の一般の大気環境にも及ぶものである。

(1),名古屋市・尼崎市の自排局との対比

 本件地域の一般局のNO2の年平均値を名古屋市・尼崎市の自排局のそれと対比すると、図表1−13−1、2の通りであり、本件地域の一般局NO2平均濃度は名古屋市・尼崎市の自排局の平均濃度にほぼ準じる濃度がある。

 本件地域の一般局のSPMの年平均値を名古屋市・尼崎市の自排局のそれと対比すると、図表1−14−1、2の通りであり、本件地域の一般局のSPM平均濃度は、名古屋市・尼崎市の自排局の平均濃度にほぼ準じる濃度がある。

(2),千葉大調査・自排局との対比

 次に、原判決が発症の因果関係を認める有力な根拠としたいわゆる千葉大調査の幹線道路沿道部の汚染濃度と本件地域の一般局の汚染濃度を対比すると、次のとおりとなる。

 (図表1−15−1)NO2・98%値についてみると、のべ119地点のうち、90地点、76%の地点で、千葉大調査の対象となった幹線道路沿道の汚染濃度の平均(0.061ppm)以上の汚染実態にあった。

 (図表1−16−1)SPM・2%除外値について対比してみると、のべ120地点のうち、66地点、55%の地点で、千葉大調査の対象となった幹線道路沿道の汚染濃度の平均(0.152mg/m3)を超える汚染実態にあった。

(3),まとめ

 つまり、一言で本件地域の汚染実態を表そうとすれば、「東京の一般環境大気は、他の大都市の幹線道路の沿道並」といえるのである。

2,自動車からの排出が主要汚染源であること

  (1),NO2につき、自動車の圧倒的な寄与率がシミュレーションによって明らかにされていること

 東京都が昭和60年度、平成2年度、平成7年度を対象として行った大気拡散シミュレーションによれば、NO2汚染に関する自動車排出ガスの寄与率は、一般局で平均63%、自排局で平均73%に達している。

  (2),自動車からの排出がSPMの主要汚染源であること

 東京都が、平成4年にCMB法で浮遊粒子状物質の寄与度を調査した結果によれば、SPMについての自動車排出ガスの寄与度は48%、微小粒子については56%に達している。

(3), まとめ

以上より、本件地域におけるNO2及びSPM汚染は、他の煙源と比較して

圧倒的に自動車排ガスの寄与度が高いことが明らかである。

3,一般環境大気の汚染原因の解明を放棄した原判決の不当性

  原判決は、本件地域の一般の大気環境を含めて「相当深刻な状態」または「ゆゆしき事態」と判示したにもかかわらず、こうした一般環境における汚染がどのような原因によってもたらされるのかについては、全く言及していない。

  既に西淀川、川崎、名古屋などの大都市を対象とした大気汚染訴訟において、汚染原因を解明する有効な手法として一致して認められている拡散シミュレーションを一切無視して、「汚染はあるが、汚染原因は不明ないし触れない」という原判決は、無責任も甚だしい。

4,汚染の現れ方の二重構造

  (1),NO2及びSPMの一般局と自排局の濃度の現れ方

  本件地域の一般局と自排局について、全ての測定局のNO2及びSPMの年平均値の平均を対比すると、一般局の平均濃度に対し、自排局のそれは、NO2については昭和48年〜平成13年の平均値で30%、SPMについては平成1〜13年の平均値で29%高いにとどまる。

 つまり、NO2・SPMともに、幹線道路沿道の高濃度汚染といっても、それは一般局濃度に現れるバックグラウンド濃度と当該幹線道路からの直接の影響による汚染の合計であり、しかも沿道汚染においてもバックグラウンド濃度の寄与が全体の約7割ほどを占めているのである。

(2),本件地域の大気汚染の現れ方の構造

  このように、本件地域全域の一般環境大気においては、他都市の幹線道路並の高濃度汚染が面的に広がっている(すなわち「面的汚染」)が、その原因は、特定または単一の汚染源によって説明できるものではなく、本件地域の多数の幹線道路及び細街路を走行する自動車すべてから排出される排気ガスがその主要な原因となっているものである。

 これに対して、幹線道路沿道においては、面的汚染によるバックグラウンド濃度を基底としつつ、これに直近の幹線道路からの直接の影響が上乗せされることによって、全国的にみても突出して高い特別の高濃度汚染が局所的に現れていることになる。

5,原判決が「交通量と距離」を因果関係認定の基準としたことの誤り

(1),濃度でなく「交通量と距離」を因果関係認定の基準とすることの誤り

 原判決(p181)は、大気汚染と気管支ぜん息の因果関係が認められる要件として「12時間交通量4万台以上」の幹線道路から「50m」という基準を挙げた。

 しかし、「交通量と距離」は、大気汚染暴露状況の指標に過ぎないのであり、これをもって、気管支ぜん息の発症・増悪の因果関係判定の基準とすること自体、誤りである。

 因果関係の有無の判断に際しては、端的に、千葉大調査の沿道部におけるNO2ないしSPMの汚染濃度と同程度の汚染に暴露されたか否かが問題とされなければならない。

(2),一般環境大気の汚染を無視して「交通量と距離」を基準とすることの非科学性

 幹線道路の沿道においてどの程度の汚染濃度が出現するかは、直近の幹線道路からの直接の影響と、バックグラウンド濃度の和による。しかるに、バックグラウンド汚染、すなわち一般環境大気の汚染状況を無視して、「交通量と距離が同じであれば汚染濃度は同じである」というのは、原判決自体が認定している一般環境大気の深刻な汚染という客観的な事実を自ら無視するものであり、自己矛盾の論理と言わなければならない。

6,幹線道路からの違法な侵害行為が沿道200mの範囲に及ぶこと

 控訴人は、一般環境における大気汚染と健康被害の因果関係を当然の前提とした上で、個別幹線道路からの汚染の寄与が、法的な違法性評価の問題として違法な侵害行為とされる範囲としては、幹線道路沿道から200mの範囲であると主張する。

 本件地域の幹線道路沿道の汚染がバックグラウンド汚染と当該幹線道路の影響の重合という2重構造をもっていること、及び、前者のバックグラウンド汚染自体によって既に大気汚染と健康被害の因果関係が十分認められることを踏まえると、「幹線道路沿道において大気汚染物質がどの程度の範囲で到達しているのか」という問題は、法的な因果関係の問題ではないことは明らかである。

 いわゆる距離減衰を論じる意味は、当該幹線道路からの汚染上の寄与が、法的に「違法な侵害行為」と評価されるのはどの範囲までか、という問題に他ならない。

  そして、控訴人は、控訴理由において具体的に挙げる距離減衰の調査を踏まえ、被告道路からの汚染物質の到達が法的に違法な侵害行為と評価される範囲は、当該被告道路から200mであると主張するものである。             

 

第6 発病・増悪・発作誘発の因果関係(代理人西村隆雄の陳述)

 はじめに

(1) 原判決は,千葉大調査の結果,気管支ぜん息に関する医学的知見及び動物実

験の結果等を総合的に考慮すれば,千葉大調査において調査対象となった幹線道路の沿道部に居住する児童と同様の自動車排出ガスへの暴露状況に置かれた場合には,成人,児童を問わず,自動車排出ガスへの暴露により,相当高い確率で気管支ぜん息の発症又はその症状の増悪が生ずる可能性があると認めるのが相当とする一方(原判決P178),本件地域の非沿道部(一般環境)の自動車排出ガスによる大気汚染との因果関係については,本件地域全域の大気汚染の状況,程度が本件疾病の発症,増悪の原因となるほどのものであったとの事実を認めるに足りる証拠はないとして,これを全面的に否定する判断を下した(原判決 P173)。

 しかし,本件地域にあっては,幹線道路沿道部のみならず,その後背地域である非沿道部(一般環境)にあっても,原判決が指摘するNOおよびSPMによる大気汚染の大半は自動車排出ガスによって占められていることを既に第1部において詳しくみたとおりであり,したがって,本件地域の幹線道路沿道部と非沿道部(一般環境)との間では,大気汚染の質に何らの差異はなく,汚染レベル(汚染の程度)において連続的な差がみられるにすぎないことがまずもって銘記されなければならない(ましてや,本件地域においては,先に第1部第1章第4において詳しくみたとおり,原判決が因果関係を認めた千葉大調査沿道部に匹敵するかこれを上回る汚染レベルにある非沿道部(一般環境)も多数存在しているのであり,汚染レベルを無視して,非沿道部(一般環境)のゆえのみをもって因果関係を否定することの誤りは,厳に慎まねばならない)。

 そうなると因果関係の判断にあたっては,もはや幹線道路沿道部と非沿道部(一般環境)を截然と区別して,非沿道部(一般環境)を十把ひとからげにしてオールオアナッシングで判断するずさんな判断構造は到底許されず,非沿道部(一般環境)の中でも,どの程度の汚染レベルであれば,本件疾病の発症・増悪・発作誘発の因果関係を認めることができるかとの点こそが,本件審理の最大のポイントとなってくるのである。

(2) なおここで注意しなければならないのは,本件訴訟において大気汚染と本件

疾病の因果関係を検討しようとする場合,正確には,@大気汚染への長期的な暴露によって本件疾病を発症し(発病の因果関係),A既に本件疾病に罹患している患者が大気汚染への短期ないしは長期的暴露によってその症状が増悪する(増悪の因果関係)因果関係が検討されなければならず,これを気管支喘息についてより具体的にみれば,@大気汚染への長期的暴露により気管支喘息を発症し,A既に気管支喘息に罹患している喘息患者は感受性が高いため,より低濃度の大気汚染への短期的暴露により喘息発作を誘発され,B喘息発作の誘発のくり返しによって,非可逆的な肺機能の低下がおこり,喘息症状が長期的に悪化する(長期的増悪)因果関係が検討されなければならない。

 これからわかるように,本件疾病のa発病とb増悪ないしは発作誘発をもたらす大気汚染レベルはおのずから異なって然るべき(後者の方が前者より低レベル)であり,したがって,大気汚染と本件疾病との因果関係を検討する場合,a発病の因果関係とb増悪ないしは発作誘発の因果関係を区別して,別途これを検討しなければならないのである。

2 法的因果関係の検討手法

 法律上の因果関係をどのようなものとしてとらえるかについては,東大ルンバール事件についての最高裁の確定判例がある(最判昭501024日民集2991417頁)。

 同判決は,「@訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、A経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を発生し招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、B通常人が疑いを差し挟まない程度の確信をもちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる。」とする。

 ところで公害事件等における高度の蓋然性の証明にあたっては,従来,疫学的知見が多く用いられてきた。しかしだからといって,法的因果関係の証明に疫学的因果関係の成立が要求される訳ではないことが銘記されなければならない。

 疫学的因果関係の証明は,特定の疾病の流行の原因を,疫学調査結果と,関連する科学的知見を総合して明らかにする科学的証明であり,したがって,疫学的因果関係が証明されれば、自然科学的な立証がなされたことを意味し、「高度の蓋然性」以上の程度にまで立証されたことになり、法的因果関係としては十二分の立証となる。

 ところが、公害事例における法的因果関係の証明に疫学的知見が多用されているといっても,科学的証明としての疫学的因果関係が証明されたとしたうえで法的因果関係を肯定している判例は必ずしも多くなく、その多くは,各疫学的知見を個別に吟味して,それぞれを法的因果関係を基礎づける間接証拠として評価したうえで,これと他の実験的知見さらには,当該地域の汚染実態と被害の多発、被害救済と公害対策をめぐる行政の対応,発生源企業の公害防止措置などの間接事実を加えて、これらを総合したうえで法的因果関係を認定しているのである。

 かかる手法は,「疫学的手法」と呼称されているが,これは先の疫学的因果関係とは明確に区別されるべきものである。

 したがって,疫学的因果関係の成立に至らないからといって,法的因果関係が否定されるわけではなく,よって,疫学的因果関係の存否のみにこだわるのは誤りであることが銘記されなければならない。

 本件では,一般環境における法的因果関係を基礎づける証拠として,千葉大調査(追跡研究)や同(曝露評価研究),AHSをはじめとする国内・外の重要な証拠が多く存在している。これらの各疫学調査及び実験的知見等を総合して,本件各疾病の発症・増悪・発作誘発と大気汚染との間の法的因果関係は,優に認定できるものである。

 ところで原判決は,今からさかのぼること15年以上も前の昭和61年専門委員会報告を持出し,我が国の一般環境大気の汚染レベルでは,本件各疾病が大気汚染によるものとは認められないとしたものと評価して,一般環境の因果関係を否定する重要な根拠としている。近時の有力な知見(千葉大追跡研究・同曝露評価研究・AHS)を意図的に無視し,15年以上も前の,しかも全く誤った理解に引きずられて判断を下したことの不当性については,詳述するとおりである。しかし,いずれにしても,百歩譲って,仮に61年報告がそれまでの知見に基づいて疫学的因果関係を検討し,原判決が認定したごとく消極の結論を出したものと解したとしても,それは疫学的因果関係が認められないというに過ぎないものであって,そこで検討されている個々の疫学的知見,実験的知見の間接証拠としての意義をいささかも奪うものではない。ましてや,61年報告後15年間にわたるその後の研究の蓄積は目ざましいものがあり,その後の知見とあわせて総合考慮すれば,十分に法的因果関係を肯定できるところとなっているのである。

 重ねて強調すれば,各疫学調査結果を総覧したときに関連の一致性等が認められて疫学的因果関係が証明された場合には,原因(大気汚染)と結果(本件疾病の発症・増悪・発作誘発)との関係について科学的証明がなされたことになるのであるから,直ちに法的因果関係も肯定さるべきであること言うまでもない。しかし仮に疫学的因果関係の成立までに至らなくても,直ちに法的因果関係を否定するのでなく,間接事実としての疫学調査結果に実験的知見等を総合して前記疫学的手法により法的因果関係を肯定することの可否が慎重に検討されなければならないのである。その意味で被控訴人らは,ことあるごとに疫学的因果関係が認められなければ法的因果関係も認めらないかの如き主張を行っているが,控訴理由第2部4頁以下で引用する裁判例の到達点からしても明らかな誤りであり,この点に十分な注意が払われなければならないのである。

2 一般環境の大気汚染をめぐる近時の有力な知見(長期影響)

 こうしてみたとき、法的因果関係の認定にとって重要な意義を有する近時の有力な疫学的知見として,以下の知見が注目される

(1) 千葉大追跡研究(甲C5,乙C1814140

 原判決は,同研究に関し,「『都市部における主要幹線道路の沿道部の大気汚染は,学童のぜん息の発症に関与し,増加させることが疫学的に示唆された』との安達らの結論は,その調査結果に照らし,十分首肯し得るものと認められるのであり,この調査結果は,本件において証拠として提出された多数の道路沿道に係る疫学調査の中でも最も重要な疫学的知見とみるべきである。」との評価を下し,これを本件道路沿道の大気汚染と気管支喘息の発病の因果関係を認める重要な証拠として採用している。

 しかし一方で同研究は,田園部との対比において,都市部の非沿道(一般環境)のぜん息発症率との間に有意な関連が認められており,田園部を1とすると非沿道部で男女平均で約2倍の発症危険が一貫して認められていることが重要である。

 ちなみに尼崎判決は,公健法の地域指定要件が,自然有症率の2倍以上とされていたことについて,「集団的な因果関係と個別的な因果関係という2段階の検討を経て大気汚染と指定疾病との間の因果関係の判定を行う必要があるとする以上…(この考え方は)本件においても参考とすべきである。」としていたのであり,少なくともこの見解を前提とした場合,先にみた都市部一般環境の2倍以上の発症危険は,都市部一般の大気汚染と喘息発症の因果関係を肯定するのに十分な知見ということができるのである。

 そして千葉大調査における都市部一般環境の大気汚染は,本件地域の一般環境と同様,主として自動車由来のNOおよびSPMを中心とする自動車排ガスによるものであることが明らかとなっている。

 そこで以上のとおりの積極的な関連性が認められた千葉大調査の非沿道(一般環境)の大気汚染濃度と本件地域(一般環境)のそれを対比すれば,別表@,Aのとおりである。千葉大一般環境は,NO0.0250.031ppm(年平均値の5年間平均),SPMが0.0480.057mg/m3(年平均値の5年間平均)であり,NOでは本件地域の大半の測定局において一貫して本調査の最高値を超えており(それ以外もほぼ全てが本調査の上記ゾーン内に入っている),SPMでも本件地域の大半の測定局が一貫して本調査の上記ゾーン内に入っており,その多くが本調査の全局平均以上となっており,測定のスタートした昭和48年から53年の大半の測定局および61年から平成3年の多くの測定局においては本調査の最高値と同等もしくはこれを超える汚染レベルとなっていたことがわかる。

 それにもかかわらず,本研究について一言の言及もないまま一般環境の大気汚染との因果関係を否定する判断を下した原判決は,不当極まりないものという他ない。

(2) 千葉大暴露評価研究(甲C189190

 これは先の千葉大追跡研究と一体となった一連の研究として2000年に発表された最新の知見で,尼崎・名古屋訴訟には提出されていなかった知見である。

 本調査の結果について,原判決は,次のように認定している。

「ぜん息の発症率が,屋外二酸化窒素濃度の高い地域に住む小児の間で高かった。多重ロジスティック回帰分析によると,屋外の二酸化窒素濃度が0.01ppm増加すると,ぜん息とぜん鳴の発症率が増加した(オッズ比2.10倍)が,そのような関連は,屋内二酸化窒素濃度との間ではみられなかった。」(原判決P120

しかし原判決は,本調査について,なぜか,「道路沿道に係る疫学調査」の項(原判決P119〜)において摘示している。

 しかし前項の千葉大追跡研究が都市部を沿道と非沿道に分けたうえで,これを田園部と対比して検討を行っていたのに対し,本調査は沿道,非沿道の限定をつけることなく,都市部・準都市部・田園部を通じて,最寄りの一般環境測定局(非沿道)の大気中NO濃度とぜん息発症率の間の関連を検討しているのである。その意味では,本調査が一般環境大気に係る疫学調査であること争いの余地がない。

 かかる本調査の結果について,原判決は次のとおり評価している。

「この結果は,二酸化窒素を含む大気汚染が,特に都市部におけるぜん鳴とぜん息の発症に重要であることを示しているかもしれない。」(原判決P120

 本調査の対象者は,先にみたとおり都市部沿道に限定されておらず,ここでいう「二酸化窒素を含む大気汚染」というのは,最寄りの一般環境測定局(非沿道)の汚染濃度に代表される一般環境の大気汚染のことをさしている。したがって原判決がここでいう「都市部におけるぜん鳴とぜん息の発症に重要」というのは,まさに沿道に限定されない都市部全般の発症につき都市部一般環境の二酸化窒素を含む大気汚染が重要であるとの評価を下していること明らかであり,この点が注目される。

 この点,原告らは,本研究は一般環境測定局の大気中NO濃度と喘息発症率の間に明確な関連を見出していることから,都市部の一般環境の大気汚染が,学童の喘息の発症に関与していることを明らかにする最新の有力な知見として注目されるところであると主張した(原告ら最終準備書面第7部 P3738)。原判決はこれに沿った積極的な認定をしながら,「一般環境大気に係る疫学調査の評価」の項(原判決P86〜)では一切これに言及することなく,一般環境の大気汚染との因果関係を否定する判断を下しているのであり,これまた全くもって不当極まりない。

 ここで本調査の都市部一般環境のNO濃度(3年平均)0.0250.031ppmと本件地域のそれを対比すると,別表@のとおり本件地域の大半の測定局において一貫して本調査の最高値を超えており,それ以外もほぼ全てが本調査の上記ゾーン内に入っていることがわかる。

 したがって本研究は,これまた本件地域の一般環境の大気汚染と気管支ぜん息の発病の因果関係を裏づける重要な知見となっているのである。

(3) 米国カリフォルニア,アドヴェンテスト・ヘルス・スタディ(AHS)

 これまた尼崎・名古屋訴訟では提出されていなかった最新の有力な知見である。

 同研究は,教団から喫煙を禁じられているキリスト教再臨派信者7000名を対象に10年ないし15年にわたって追跡調査を行ったというもので,対象集団の特性・規模・年月からして世界的にみても貴重な研究の1つである。

 そしてここで対象とされているのは,幹線道路沿道に限定されない一般環境の大気汚染と本件疾病の発症・増悪の因果関係を裏づける上で,先の千葉大追跡研究・同暴露評価研究と並ぶ重要な知見というべきである。

 同研究によれば,一般環境の大気中粒子とぜん息をはじめとした本件疾病の発症,増悪との有意な関連がくり返し認められているところであり,被告メーカーら自身も,「SPM曝露と喘息及びCOPDとの関連性に関する疫学研究として唯一,発病の点で両者の関連の可能性を示唆するデータである」(被告メーカーら準備書面(16)P61)として,珍しく同研究の「信頼性を何ら否定するものではなく」(被告メーカーら準備書面(22)P42),同研究の「内容自体は当初より争っておらず」(同P43)としているほどである。

 そこで被告メーカーらは,同研究の内容と信頼性については争いがたいとみて,同研究で関連が認められている濃度レベルは,本件地域よりもはるかに高いもので,その結果は本件地域に妥当しない旨の主張を展開してきた。

 たとえば,甲C54号証では,「TSPが200μg/m3を超えた時間数と各疾患の新規発症の関連が有意であった」との結果が得られているが,これは24時間値が限界濃度としての200μg/m3をこえた回数と有意な関連が認められたということであって,この200μg/m3というのは24時間値のことである。

 それなのに被告メーカーらは,これと本件地域を対比する段になると,突然24時間値200μg/m3をそのまま年平均値にすりかえて,これと本件地域の年平均値を対比するという大変な誤りを犯しているのである。

  そこで被告メーカーらの誤りを正して、本研究の結果をSPM濃度に換算して表示すれば、以下のとおりであって、最高でも24時間値100μg/m3をこえた回数、最低では何と24時間値32μg/m3をこえた回数との間で有意な関連が認められていることになるのである。

                          新規発症               症度悪化

AOD

慢性気

 

管支炎

喘息

AOD

慢性気

 

管支炎

喘息

 

TSP→SPM

μ,54

μ,54

81

μ,32

81

54

PM10 →SPM

80

100

 

μ,40

 

μ,50

PM2.5→SPM

 

34

 

μ,34

μ,34

μ,68

3434μg/m3を限界濃度とする超過回数と有意な関連あり

34+34μg/m3およびそれ以上の限界濃度の超過回数と有意な関連あり

 ここでこのうちの最高の限界濃度100μg/m3(日平均値)の超過頻度について本件地域の一般環境で対比すると別表Bのとおりであり,平成4年頃までは大半の測定局で年間30回(30日)を超えており,なんと100(100)以上の測定局も散見され,近年でも大半の測定局で20(20)は超える頻度で出現していることがわかる。

 以上からすれば,本研究の結果は,まさに本件地域のとりわけ一般環境の大気中粒子と本件疾病の発症・増悪を真正面から裏づけるところとなっているのである。

 しかるに原判決は,あろうことか本研究について一切無視して一言の言及もないばかりか,なんと争点整理の原告らの主張においても完全に黙殺して何らの摘示もしていない。

 あまりにもずさんかつ不当な判決という他,言うべき言葉を知らない。

4 その他の一般環境疫学調査(長期暴露)

(1) その他の一般環境疫学調査と1次判決

 以上みてきた最新の有力な知見以外にも,我が国の一般環境における疫学調査を振り返れば,岡山,6都市調査にはじまり,環境庁a・b調査,環境庁の2つの継続観察調査など,一般環境のNO2・SPMとぜん息・慢性気管支炎の有症率,発症率との関連を明らかにした研究が多数蓄積されている。

 しかるに原判決は,昭和61年専門委員会報告後の調査については,2つの継続観察調査(平成3,平成9年調査)について,新規発症率,有症率について一致した結果が得られていない,あるいは,近年の大都市ぜん息調査,サーベイランス調査において関連が出ていないことは無視しえないなど,統計解析の結果が一貫して有意な関連を見出しているとはいえないことを,一般環境の大気汚染の法的因果関係について消極の判断を下す理由にあげている(原判決P88)。

 一方,昭和61年専門委員会報告以前の調査につき原判決は,同報告がその時点での,大気汚染の生体影響に関する知見の到達点とみるべきとしたうえで,当時の我が国の一般環境大気の大気汚染レベルでは,本件各疾病が大気汚染によるものとは認められないとしたものと理解するのが,同報告の趣旨に沿うものとして,同じく一般環境の大気汚染の法的因果関係を否定する理由にあげている(原判決P169)。

(2) 有意性判断を妨げる諸要素

 統計的検定においては,現実には関連性がありながら,有意との判断を阻害する様々な要素が存在する。そもそも同じく疫学調査といっても,その内容をみれば,個々の調査には様々な質的な違いが存在しているのである。

ア 調査目的・デザインの違い

 大気汚染と健康影響の関連性を明らかにするには,大気汚染レベルが大きく異なり,他の条件はできる限り類似した地域を対象に選定することが望ましい。この点,我が国の疫学調査の中でみると,気象条件,地理的・社会的条件が類似した地域を対象に実施された6都市調査,岡山調査,2つの環境庁継続調査,千葉大調査などは概ねこれに合致する。

 一方,行政調査には,大気汚染と健康影響の関連性の解明のみならず,汚染や健康影響の情報を広範に把握することを目的としたものがあり,全国広範な地域を対象に実施された環境庁a・b調査などがこれにあたる。

 また全く別の目的をもって計画された調査において,一部,大気汚染と健康影響の関連性を調べたにすぎないものがあり,大都市ぜん息調査,環境保健サーベイランス調査がこれにあたる。

イ 誤分類

 誤分類とは,疫学調査において対象を分類していく際に,誤って本来入れるべき区分とは別の区分に分類してしまうことを指し,大気汚染疫学を例にとれば,大気汚染へのばくろ量あるいは健康影響の有無につき誤って分類してしまうことをいう。

 このばくろ量と健康影響の誤分類が別々におこる場合,関連性を高める方向で働くことはありえず,常に関連性を弱める方向に作用し,このため関連性が非有意になるケースが生じることとなる。

ウ 検出力

 統計的検定により有意性を判断する場合に,真実存在する関連性を検定によって見出す力のことを検出力という。

 統計解析の対象となる標本数が小さい場合,あるいは標本数は同じでも有症者数が小さければ(有症率が低ければ)検出力は低下し,真実は存在する関連性を見逃すことになる。

 これらの点を捨象して,結果が混在していることをもって一貫性に欠如するとの消極評価を下し,これをもって疫学的因果関係を否定するのは誤りであり,少なくともかかる阻害要因をクリアして有意な関連を見出した前記疫学調査を重要な間接事実として法的因果関係を認定することに何らの妨げはないと言うべきである。

 まして先にあげた近時の有力な疫学的知見を前にすれば,これらを総合して法的因果関係を認定することにいささかの困難もないのである。

5 短期影響に関する知見

 ところで,近年欧州を中心に一般環境におけるNO濃度,PM(PM10BS)濃度と喘息による入院,救急治療室利用,気管支拡張剤使用,往診さらには,慢性閉塞性肺疾患・喘息患者の死亡との間に有意な関連を見出した研究が多数蓄積されており,自動車排ガスによる大気汚染と喘息発作の誘発,さらには慢性閉塞性肺疾患・喘息による死亡との短期影響が明らかにされている。

 また一方,NOへの短期暴露による喘息発作誘発について明らかにした人体負荷実験の結果も蓄積されており,これに加えて臨床的知見によれば,大気汚染による喘息発作の誘発を繰り返すことによって,非可逆的な肺機能の低下がおこり,喘息症状が長期的に悪化する,すなわち喘息の長期的増悪がひきおこされることが明らかとなっている。

 そして上記いずれの疫学的知見でみても,その対象とされた汚染レベルと対比して,本件地域一般環境の汚染レベルは,その全てもしくは大半がこれと同等もしくはこれを上回るレベルとなっている。

 したがって以上から,本件地域一般環境の大気汚染と喘息発作誘発,さらには本件疾病の長期的増悪の因果関係が十分に裏づけられるところとなっているのである。

6 実験的知見

 大気汚染の生体影響をめぐる実験研究の進捗はめざましく,NOさらにはDEPに関する研究は,既に我が国の判例上因果関係が確定しているSOに関する研究をはるかにしのぐものとなっている。

 すなわちNOさらにはDEPに関する研究では,長期低濃度による動物実験が可能となっており,ヒトが日常的にさらされている濃度もしくはそれに近い濃度での実験的知見が得られるところとなっている。またNOへの低濃度短期暴露の人体負荷研究において喘息患者の発作誘発が明らかにされている。

 そして実験研究は,病理学,生理学,生化学の多面から積み重ねられて構築され,NOの生体影響を十分に説明し,さらにはDEPの影響のメカニズムを十分に示唆,指摘できるまでになっている。

 この点で,以下でみる実験的知見は,たしかに,本件地域一般環境で経験するのと完全に同一濃度レベルにおいて,本件疾病の発病のメカニズムが解明されているとまではいえないものの,これはもはや疫学的因果関係の判断視点でいう「関連の整合性」「生物学的妥当性」のレベル(生物学の既存の知識からして矛盾なく説明できるかどうかを検討して,単なる偶然による関連の可能性を排除するというレベル)を超えて,実験的知見自体で本件一般環境における濃度レベルの大気汚染によって本件疾病が発症,増悪する可能性について相当の蓋然性をもって裏づけていると評価できるまでになっているのである。

 かかる場合,「関連の一致性」の視点からみた場合に,仮に関連性を肯定できる結果とそうでない結果が混在していたとしても,単なる偶然による関連の可能性(見かけの関連の可能性)をより強く否定できることとなり,疫学的因果関係も十分に肯定できるところとなるのであり,ましてや,かかる実験的知見と先にみてきた疫学的知見,後述の間接事実を総合すれば,法的因果関係は十二分に肯定できるところとなるのである。

7 まとめ

 ところで,本件地域一般環境は長年にわたって,そして現在にいたるまで激甚な大気汚染にさらされており,深刻かつ広範な被害の存在が明らかにされており,またこれらをふまえてこれに対する立法・行政上の対応措置がとられた事実が歴然と存在している。これらの重要な間接事実をもってすれば先にみてきた疫学的知見,および実験的知見と相まって,本件一般環境の大気汚染と本件疾病の発症・増悪・発作誘発の因果関係が優に認められるところとなっているのである。

 

第7 自動車メーカーも責任は明らか(代理人大江京子の陳述)

T 本件の面的汚染と沿道汚染に関する責任主体と責任内容の整理

―主要な責任は、自動車メーカーにあること

原審原告(以下単に「原告」という。)らは、本件訴訟の目的である「面的被

害の救済」の必然性をより一層明確にするために、本控訴審において本件の汚染実態と責任主体を「面的汚染と沿道汚染」に対応して整理した。その上で、本件地域の面的汚染・面的被害防除のために最も有効な対策は、原審における水谷証言にあるとおり単体対策(@法的・行政的に最低限度の安全基準を設定する「単体規制」と、Aこの「単体規制」の枠内で、現実に公害防除に役立つ自動車を生産する自動車メーカーの「単体低減」)以外になく、とりわけ、自動車メーカーの「単体低減」が、決定的に重要であることを明らかにした。

控訴審においては、かかる責任構造を基本に据えて審理が為されるべきこ

とを、最初に強調しておく。

U 過失責任要件論―高度な予見義務(調査研究義務)・結果回避義務

1 公害事案における過失の内容とその判断枠組み

自らの企業活動に関連して人の生命・身体に対する抽象的危険(危惧感)

が存在する以上、かかる危険な企業活動を行なう企業は、常に十分な情報を収集して、人体に対する危険の有無、程度、原因、影響等々を調査・研究して、結果の発生を予見すべき高度の義務が課されており、結果の予見が可能であれば、それを防止すべき絶対的な回避義務が課されるとされること、さらに予見義務違反と結果回避義務違反の過失の2つの要素のうち重点がおかれるのは、予見義務であることについては異論がなく、これまでの判決例の一致した到達点である。

2 本件における自動車メーカーの予見義務・結果回避義務

上記の過失の内容と判断枠組みは、本件の被告メーカーらの過失責任を

検討する際にも当然に妥当することはいうまでもない(むしろ自動車メーカーらが負う義務は、固定発生源企業に課された義務よりも一層高度で厳格な義務であるべきことについては、控訴理由書でふれたところである。)。本件に即して自動車メーカー義務の内容を要約していうならば、以下のとおりである(控訴理由書第3部第2章第4)。

(1)自動車メーカーの予見義務(調査研究義務)

自動車メーカーは、大気汚染物質を大気中に排出する自動車の製造者と

して、@自らが製造する自動車から排出される大気汚染物質の一般的性質と人体への有害性、A走行条件にしたがった自動車単体の有害物質の種類とその排出量、B自社及び他社の製造販売する自動車の本件地域内における走行集中・集積状況、C本件地域の大気汚染状況と自動車排出ガスの影響度等につき、常に調査研究をつくして本件地域内の住民の生命身体への被害発生について予見すべき注意義務がある。これは当然のことながら、予見可能性が認定された以降の時期(原判決によれば昭和48年頃以降)についても、結果発生の危険がなくなるまで、常時継続的に負担し続けるものであることはいうまでもない。自動車メーカーは、常に最新の知見、情報、研究をもとに、結果回避のために採るべき最善の措置を採り得るよう調査・研究を尽くす義務がある。

(2)結果回避義務の内容と判断方法

自動車メーカーが負担する結果回避義務は、「排ガスレベルのできるだけ

低い基本的車種選択、最高水準の排ガス低減技術の可及的な導入及び技術的可能性のある新たな排ガス低減技術の研究開発とその前提としての各種調査研究等、自動車交通の集中集積地域における健康被害という結果を防止するために、経済性を度外視しつつあらゆる手段・措置を動員して適切な単体低減対策を採るべき注意義務」である。

そして、自動車メーカーの結果回避義務違反の有無を具体的に判断する

ためには、現実に重大な結果(本件地域における健康被害)が発生している事実、並びに結果の発生につき予見義務をつくせば予見可能であった事実を前提に、@単体低減諸対策の可能性及びA現実の自動車生産活動、現実の開発活動の諸事実を判断の基礎的事実として検討しつつ、上記の結果回避義務が尽くされているかを総合的に判断する必要がある。

    ここで以下の2点について特に裁判所の注意を喚起しておく。第1は、原判決は、個別的排ガス低減技術のそれぞれについて、「選択採用義務」「開発義務」(ないしのそれらの義務違反)は成立しない、よって、全体としても結果回避義務違反は認められないとの結論を出しているが、かかる個別的な判断は誤りであり、結果回避義務(違反)の有無の判断は、前記のとおり@Aの諸事情を広く基礎事実として総合的に判断される必要があるという点である。

第2は、上記@Aの検討要素に関わる情報の多くは、自動車メーカーが

内部的に独占しており、被告メーカーが積極的に情報開示しない限りは明らかにならない事情が相当部分を占めている点である。原審の証拠及び今後原告らが主張・立証する諸事情を前提にすれば、被告メーカーらの結果回避義務違反は十分に認められるが、仮にこれだけでは結果回避義務違反の認定には不十分であるなら、圧倒的な証拠偏在状況のもとでの訴訟審理の実質的公平を図るために、被告メーカーらに対して保有情報の積極的開示を促し、これに応じない場合には被告メーカーらに不利な法的判断を下すべきということである。

V 原判決のメーカー責任論批判

   原告らは、控訴理由書において、原判決が採用した過失責任の要件論・結果回避義務違反の判断基準・メーカー責任判断の考慮要素などの「過失判断の理論的枠組み」について、様々な角度から詳細な批判を加え原判決の不当性を明らかにした(第3部第2章第5)。このうち、ここでは、2点につき論及するにとどめる。

 1 結果回避義務の判断にあたり「結果回避コスト」を考慮したこと

 原判決は、「ハンドの定式(Hand Formula)」の影響を受けた平井宜雄教授の見解を採用している。しかしながら、(1)わが国の公害裁判例史上、ハンドの定式を採用し結果回避コストを考慮して被告企業を免責した裁判例は皆無であり、原判決は、四大公害裁判以降確立した公害判決例に違反するものであり、(2)理論的にも、公共性ないし社会的有用性を斟酌し損害賠償義務を免れさせることは許されず、少なくとも被害者と加害者の立場の互換性を欠く「公害」事案で、最高の価値とされる人の「生命・健康」被害が問題になっている事案においては、被告企業や「社会」の不利益(結果回避コスト)は、不法行為責任を否定する根拠とならないことは、提唱者の平井教授を含めて学説上全く異論を見ない定説であり、(3)さらに原判決は「ハンドの定式」の解釈すら誤っているなど、その不当性は余りにも明らかである。

 2 「結果回避措置を採る際の予見の困難さ」を考慮したこと

原判決は、結果回避義務の判断の際には、被告メーカーらの「結果回避措置

をとる際の予見の困難さ」をも考慮に入れるべきだとして、結果回避義務(及びその違反)の消極的判断の材料としている。

   このように「結果回避措置を採る際の予見の困難さ」を考慮すること自体、これまでの公害裁判例では前例がなく(企業に高度の予見義務を課している以上それが当然の帰結である)、原判決は、被告自動車メーカーに形式的には「高度の予見義務」があると論じながら、実際にはこれを骨抜きにしているに等しく、実質的な「要件の加重」であって、結果回避義務判断の法的枠組みの問題としてきわめて不当である。

   加えて、ここで指摘すべきは、原判決は事実認定のレベルにおいても誤りを犯しているということである。すなわち、被告自動車メーカーにおいては、自動車NОx法の改正に伴うあらたな車種規制について、さまざまな規制実施のパターンにあわせた一定地域のNОx、PM排出量の低減量・低減割合等に関するシミュレーションが実施されており、こうした調査研究が現実になされていることを見れば、原判決のように「結果回避措置(メーカーにとっての単体低減=環境負荷の低い自動車の製造販売)を採る際の予見」は「困難」であると断定するのは、そもそも事実認定レベルで誤っており、まして前記のとおり、自動車メーカーには課されるべき予見義務(調査研究義務)はきわめて高度かつ継続的であるから、これを前提とすれば「結果回避措置をとる際の結果回避の予見」は、原則として可能であると評価するのが妥当なのである。

W 自動車メーカーらの結果回避義務違反

原告らは、前述した被告自動車メーカーの結果回避義務の内容、判断方法、

判断基準に即して、ガソリン車選択採用を含むその他の重要な単体低減措置について検討を行い、これらを総合的に考慮すれば被告メーカーらの結果回避義務違反は十分に認定できること、あわせて原判決の認定の不当性並びに原判決の過失責任論(総論)の決定的な誤りが、具体的な結果回避義務違反の認定の誤りにつながっていること等について、控訴理由書第3部第2章第6以下で詳細に論述した。

ここでは、最も主要な単体低減措置であるガソリン車選択採用について、

結果回避義務違反の判断を支える具体的検討結果の要点を示す。

  @ ガソリン車選択採用の技術的可能性

    車両総重量11トン以下のトラックについては、技術的にガソリンエンジン搭載は可能であることは争いがない。従って「小型トラック」はガソリン車が技術的に可能であり、「普通トラック」も車両総重量11トン以下のクラスであればガソリン車が技術的に十分に可能である。

A 現実の生産活動とその結果としての普通トラック保有状況

    ガソリン普通トラックの生産は1970年代以降減少し続け、1980年以降は、普通トラックの保有台数におけるディーゼル車割合はほぼ100%となる。

  B  「ガソリン置換シミュレーション」

11トン以下のディーゼル車普通トラックをガソリン普通トラックに置換

した場合の DEP排出特性の変化状況をみると、次表の通り、東京エリアに限定すれば、1980年に58%、85年に64%、90年に68%、95年にも68%も実態より減少し、車両総重量8トン以下のトラックだけを置換した場合でも、上記の減少率はほとんど変化しない

 

@)車両総重量11トン以下の普通トラックのディーゼル化が阻止された場合

の、全普通トラックに対するDEP低減率の推計

 

 

地域

1980年

1985年

1990年

1995年

 

全国

   52.3%

   56.9%

   58.8%

   60.4%

関東

   52.9%

   59.5%

   63.0%

   64.3%

東京

   57.9%

   64.4%

   67.9%

   68.2%

 

A)車両総重量8トン以下の普通トラックのディーゼル化が阻止された場合の、

全普通トラックに対するDEP低減率の推計

 

 

地域

1980年

1985年

1990年

1995年

 

全国

   51.6%

   56.5%

   58.4%

   59.6%

関東

   52.1%

   59.1%

   62.6%

   63.8%

東京

   56.5%

   63.9%

   67.5%

   67.6%

 

B)車両総重量8トン以下の普通トラック、小型トラック、乗用車のディーゼ

ル化が阻止された場合の、全ディーゼル車に対するDEP排出量の変化

 

 

 

現状(1994年)

ディーゼル化阻止

(地域は東京)

 

 

 

 *57.2%削減

 ディーゼル普通貨物車

 55

 17.8

 ディーゼル小型貨物車

 10

  0%

 ディーゼル乗用車

 10

  0%

 その他のディーゼル車

 25

 25

合 計

100

 42.8

 

 すなわち、このシミュレーションは、乗用車・小型貨物車・ガソリン代替が容易な普通貨物車(車両総重量8トン以下)について、被告メーカーが単体低減対策としてのガソリン車選択採用措置を実行していれば、結果防除への大きな寄与(DEP排出量のすくなくとも半減)がなされたことは確実であったことを示している。

被告メーカーらは、十分に技術的可能性と絶大な大気汚染改善効果をも

たらす単体低減対策を完全に怠り、むしろそれと正反対の方向で現実の生産活動を行ってきたこととなるが、これ以外にも控訴理由書で詳細に述べる通り、技術的可能性のある複数の単体低減対策について被告メーカーはこれを怠ってきたものであり、上記の結果回避義務の内容とその判断基準に照らして、被告メーカーの結果回避義務違反=過失責任の成立は明らかというべきである。

X まとめ

以上のとおり、自動車メーカーの不法行為責任を否定した原判決は、過失責

任論の解釈において、これまでの学説・判例の到達点から著しく逸脱し、理論的にも事実認定的にも重大な誤りを犯ており、これがために、結果回避義務違反の具体的判断について、決定的な誤りを犯したものである。原告らは、今後新たな主張立証も加えつつ、原判決の誤りを、より一層明白にしていく予定である。

以上