
矢部 信彦さん (21期) 1973年卒業 |
2016年6月 掲載 |
「 数学同好会と文化祭の思い出 」 |
大学卒業(S52年)から現在(H28年)まで続いているアリダビ会(年に2回、有馬記念とダービーを予想して祝う会)にて執筆をお願いされたので、当時を振り返って書いてみたいと思います。
高等部1年の担任は数学の二谷先生でした。
もともと数学は好きだったし、中等部で中途半端にやっていた卓球を続ける気力も無かったので、二谷先生が顧問の数学同好会に入りました。なんと先輩が1名、後は1年生が3〜4人という小さな同好会でした。我々が入部しなかったら廃部だったのです!正直、1年生の時、何を勉強していたのかさっぱり思いだせません。というか、3年間、普段の部活動で何をやっていたのか、ほとんど覚えていません。
覚えているのは、すべて文化祭の事です。
1年生の時の文化祭のテーマは同級生の伊藤利一君の発案で「ブラックボックス」でした。y=f(x) つまり関数をブラックボックスに例えたわけです。で、何を作ったかというと、ベニヤ板で小さな箱を作り、左右に丸い棒を出し、片方の棒を押したり引いたりした時の反対側の棒の不思議な動き(まあ、たいしたことありません。(笑) 一緒に引っ込んだり、半分の量が飛び出したり。。。)を見てそのからくりを推理してもらう、そんな展示でした。夏休みだったかな、伊藤君の実家の浅草のカネゲンビルの屋上でノコギリなんか使って一生懸命作った記憶があります。
で、文化祭では、自然科学部門の投票で、あっさりと電子計算機同好会に敗れたのでした。そりゃそうでしょ。当時最先端の大型コンピュータを使って恋占いやってるんですから、敵うわけありません。でも、ひとつだけ嬉しい思い出があります。電子計算機同好会の顧問だった高柳先生とトイレで一緒になり、「君の数学同好会の展示は良かったよ。うちの展示よりずっといいよ」と言ってくださったのです。
二年生になり、私が部長になりました。
幸運な事に後に部長になる森田君という優秀な後輩も入り、その年の文化祭のテーマは、部長の独断で、私の大好きな迷路。(笑) ほとんどは紙上の迷路でしたが、ひとつだけ板を使った立体迷路を作りました。入口から出口までビー玉を転がしていくのですが、迷路の一部が取り外しできる2枚の四角いパーツになっていて、それを正しくはめないと迷路から出られない仕組みです。
これはウケたのですが、やはり電子計算機同好会に敗れます。
三年生になり、森田君が部長になりました。なんと可愛い3人の女子新入生も入り、俄然やる気の出る私。(^^ゞ 文化祭のテーマは電気確率パズル。確率というより順列組み合わせなのですが、秋葉原でいろいろなスイッチやらブザーやらランプを買ってきて、それらを接続し、正しいスイッチの組み合わせになるとランプが付き、下手をするとブザーが鳴る、そんなおもちゃをたくさん作りました。
結果は、ついに自然科学部門で優勝!
「表彰の時に顧問の二谷先生が両手を大きく振り回して拍手してたぜ」と同級生の矢代君が教えてくれました。
数学同好会での楽しい3年間を締めくくる素敵な思い出です。
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事務局注 : このパンフレットに「数学同好会」の展示案内を見つけて
思い出執筆をお願いしました |

「数学同好会」の展示案内です。

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