人は「成績」や「実力」だけが全てではない。もっと大切なものがあるという事を、万弁の言葉よりも、あるがままの自分を通して伝えることこそ、教師として、先人としての大事な責務であると根底では考えていたのではないでしょうか。戦後、未来の日本を担う若者たちを教育する道を選ばれたのも、そこに本当の目的があったのではないでしょうか?



そしてもう一つ、武藤先生が主導されていた「先生方による芝居」や越谷先生が主導されていた「作曲コンクール」にしても、そうした事ができる土壌が私たちの学校にはあった。と言う事も忘れてはいけないと思います。

先生方がおっしゃる言葉の中に「実は生徒たちに触発された部分も大きかった。」(山村先生 談)、また武藤先生や、越谷先生は「青山の生徒たちはどこか他の学校の生徒たちとは違う。」と、かねがねおっしゃっておられました。

つまり校風と言うものは、先生方によって与えられるものではない。生徒たちだけでできるものでもない。まして学校が作るものでもない。全てが混然一体となり、何代にもわたる生徒達、先生達の高等部での生活を通して、長い時間を掛けて醸し出されるようにして出来あがったものと言えましょう。

卒業後、何十年も経って様々な局面にさらされる事もあります。そうした時にこそ、我々卒業生にとっては「心のバウンド」がますます必要になってくるのではないでしょうか?
青山学院の、高等部の、「校風」というのはまさにそうした「心のバウンド」を育む揺りかごであったと思います。

中には、在校中はこうした「心のバウンド」と縁が無かった。と言う人もいるでしょう。
であれば、尚のこと、改めて青山学院高等部という学校の事を今思い返すことは意味のある事だと思います。また、今「先生方の芝居」についてとりあげる事になったのも、もしかすると今もなお、こうして生徒の事を見守っている優しい先生方からのメッセージなのかも知れません。


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