「すべての検査をしたわけではないけれどこれはてんかんの発作に違いない」と、私と主治医は同じ考えにに至り ました。つまりそういうこととして治療を開始しようと同意したのです。そして、1999年9月10日にあんずの発作が始まってから50日後の10月30 日、あんずの投薬が始まりました。医者はてんかんに対する治療法(実際には発作を抑えること)に則った抗てんかん薬の規定量を処方しました。「フェノバー ル」という薬で、てんかん発作と言えば普通この薬から始めることが多いと思います。当時その病院では、錠剤ではなく粉薬を使っていましたので、医者はあん ずの体重を聞き、薬が効くであろう一番少ない量を処方しました。100mg(錠剤なら約3.3個分)を1日2回ということでした。
ま ずは1週間、そして2週間と飲ませていきましたが、あんずの発作が相変わらず続くことが分かり、その都度少しずつ薬の量を増やしていきました。詳細につい ては記録をとっていませんが、とにかくきちんと規定どおり薬を飲ませたのです。それでもあんずの発作は止まるどころか一向におさまる気配がありません。そ のときの私の気持ちは「人間の発作はたいてい薬でコントロールできるのにどうして犬は違うんだろう。これはおかしい。でもなんでだろう」というものでし た。
主治医は信頼のおける人たちで、嘘を言ったりごまかしたりすることはありませんが、人間の場合にはうまくいくものが犬には うまくいかないのかに対する納得できる回答はありませんでした。これは医者のせいというよりも、医者でさえ分からないということなのでしょう。そしてあた りまえのことに気づいたのです。犬(動物)の医療は遅れているということ。人間と違って、学校に行ったり仕事に行ったりしなくていい犬は人間とは違って 「社会生活」というものがありません。つまり、発作が起きてもその子の生活そのものには支障がないのです。つまるところは動物だからです。だからその犬が 犬らしく生きるための医療が進歩しないのです。
もちろん、最先端の医療に触れることができる犬(飼い主)もいることでしょう。 例えばアメリカなどでは、動物医療の専門化はごく普通のことです。でも日本では、いわゆる動物病院はまだまだ「地元の私の主治医」(いわゆるジェネラル・ ドクター)の域を出ません。つまり、日本の獣医師たちはどんな病気でも診て治療ができますが、ある専門分野に特化した知識と技術をもっていないのが現状で す。だから、実際に最先端の高度な医療を提供している病院はごく少数です。どんなにその子のことを心配したとしても、飼い主の時間、住んでいる場所、そし て経済的な問題といった、すべての条件を満たせない限りは最良の治療を受けることはできません。
そうだとすると、ごく普通の飼 い主にできることは、誠実な地元の医者を信頼して、できる限り最良の治療だと思われることを「自ら選択する」ことしかないと思うのです。そこには、ここま でしかできないのかというある種のあきらめも含まれます。私はそうしたさまざまな限界を感じつつ、とりあえず医者の言う通りの投薬を続けました。
あんずは薬を飲むとふらふらしましたが、これは発作の後の朦朧状態だったような気もします。医 者の目標は「1年に1度くらいの発作の頻度にすること」というのもでした。私はこれを「1年に1度まで発作が少なくならないといけない」と思い込んでしまったんですね。後で思 えば、どれだけ頻繁に発作が起こっても、どれだけ脳に負担があったとしても、重積発作になって最終的に発作が止まらなくなるという自体さえ避けられれ ばいいことに気づきました。医者が言いたかったのは、できるだけ発作を抑えたほうがいいこと、発作が続き重積にならないほうがいいことだったのです。
― つづく ―
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