のの 1984年?〜 1992年04月06日 享年:およそ8才 |
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日本猫 (オッドアイ) オス |
「のの」という猫は私が飼った初めての「自分の猫」でした。猫があまり好きではなかったつれあいを猫好きにした猫でもありました。
学 生時代の知り合いが、「引越しをするのでしばらくの間猫を預かってほしい」ということで、猫好きの私はふたつ返事で了解しました。結局、引越し先ではどう しても飼えそうもないということになってそのまま居残った猫がののでした。そういう経緯もあって、ののがうちに来たときにはすでに2才を超えた成猫だった ので、仔猫のときの写真はまったく残っていません。
猫は新しい場所(飼い主)にはなつきにくいともいいますが、ののは決してそういう猫ではありませんでした。元飼い主が引越し直後に遊びにきたときにはすでに飼い主にはまったく無関心だったので、私としてはちょっぴり気分がよかったのを覚えています。
ののは全身真っ白で、左右の目の色が違うオッドアイ(金目銀目)でした。おぼろげな記憶が正しければ、確か元飼い主の住んでいたところで「拾った」猫だったと思います。初めの名前は「しずお」で、元飼い主はいつも「しずおくん」と呼んでいました。
う ちの子になるにあたって名前を変えようと思ったのですが、今一つよい名前が浮かびませんでした。真っ白でふわふわした感じだったので「くも(雲」)にしよ うかと思いましたが、俳優の加藤剛がその名の猫を飼っていたのを知っていたのでやめにしました。もうひとつ浮かんだのは「ブリス」という名でした。「幸せ をもたらした猫」としてこの名をつけようとしたのですが、結局この名前は保留されたままになって次の猫に受け継がれました。
今 思えば決して動き回る子ではありませんでしたが、その頃は「やんちゃ」な感じがして、とりあえず「やんちゃん」と呼んでいました。私は今でも性別を問わず 名前に「のすけ(之助)」をつけるくせがあります。それで「やんちゃん」→「やんちゃのすけ」→「のすけ」→「の」と変化してしまって、数ヶ月の後には 「のの」に落ち着きました。こんなふうにだらだらと名前が決まったのはこれが最初で最後です。
ののは、独特の雰囲気をもったなんともすてきな猫でした。テーブルの端に座っている感じとか、すうーっと歩いてゆく様子など、とても不思議な存在感をもっていました。気品があって貴いとでもいうのでしょうか、別の言い方をすると、魂そのものがそこにあるという感じでした。
の のは名前を呼ぶと「にゃー」と返事をして駆け寄ってきましたし、外出から帰ると必ず玄関までお出迎えに来てくれました。性格はおだやかで、ひざで丸まるの が大好きでした。夜は私の枕を占拠して、私はしかたなく枕の端っこを使っていました。つれあいはそういうときは容赦しないので(笑)、ののは彼の頭の下に 敷かれて寝ていることもしばしばでした。そうでなければ、彼の首に巻きついて寝ていることもありました。結構からだの大きな子だったので、ずいぶん寝苦し い思いをしました。
静かな猫だったのですが、一度だけ私が大怪我をしたことがありました。あるときつれあいが何かのお土産で、 大量のするめを持って帰りました。猫にするめ(いか)はやってはいけないとは言いますが、ののの大好物であることには違いありませんでした。そのとき、の のにやろうとしたんだったかで(当時は、たまにやるくらいいいじゃないかと思っていたんだと思います)、するめを手にもって差し出しました。ののはするめ をみるやいなや、突然かぶりついたのです。それも私の指ごと。あっと思ったときには噛まれていました。みると、親指の爪がひび割れて小さな穴があいていま した。爪にはちょうど犬歯があたったらしいのです。爪の反対側の指先にも血がにじんでいました。指そのものも痛いですが、爪のところってひどく痛いんです よ。どれくらいで治ったか忘れましたが、とにかく痛かったことだけは記憶しています。
のので困ったことといえば、よくベランダ の手すりをつたってお隣のベランダに遊びに行っていたことでした。ののはベランダに出て外を眺めるのが好きだったのですが、あるときいなくなっているのに 気づきました。落ちたのかもしれないと心配しましたが、ふとお隣を見てみると、ベランダでコロコロころがって遊んでいるではありませんか。全身真っ黒(灰 色)です。「こっちにおいで」と言うのも聞かず、私と目を合わせたまま、楽しそうにコロコロしつづけるのです。仕方がないので好物のにぼしを持ち出してな んとか「救出」します。それからというもの、ちょっと目を離したすきにお隣までコロコロしに行っていました。
ののが死んだのは 1992年4月6日の朝11時15分。調べてみたら、当時の手帳に「11:15」と書き留めてありました。その日は休日だったか、私たちの仕事が休みだっ たかで、少し遅く起きたことを覚えています。いつも通り、ののは朝日を浴びながら、顔を洗ったり毛づくろいをしていました。ののがバランスを失って滑った ように見えたので、「ははは、こけちゃったな」と思ったのですがどうも様子が変。駆け寄ってみると、みるみる瞳孔が大きくなり、「ギャッ」という声をあげ てそのまま死んでしまいました。あっけない最期でした。
死んでいることは分かってはいたものの、人間なんとかしようとするもの なんですね。すぐに病院に駆け込みました。でも、なにかの理由でそのとき先生はいませんでした。しかたなく、つれあいがくたくたになったのののからだを抱 えて帰りました。あまりに突然に、それに目の前で死んでしまって、まったくなすすべがありませんでしたが、もっと何かできなかったのかと悔しい思いでし た。でも、数日前に偶然にも好物のかつおぶしをやったことを思い出して、ほんの少しだけ救われました。正確にはののの死因は分かりませんが、おそらく心臓 発作だったのではないかということです。
ののが死んでしばらくは、ふたりともずいぶん悲しみました。動物が1匹しかいなくてその子が死んでしまうと、突然家の中ががらんとするものです。ののが使っていたえさ入れとか水飲みのお皿、トイレなどがそのまま残されて、なんとも辛い思いでした。
今 こうしてのののことを思い出していると、もうずいぶん前のことになってしまって、いろいろな記憶が薄れていることに気づきます。もっとたくさんの思い出 や、ののへの思いがあったのになと思うと、時間の不思議を感じます。どちらにしても、私の、現在の動物との生活がこのののから始まったということには変わ りありません。
ののは、当時つれあいが勤めていた仕事場の桜の木の下に眠っています。
(2001年09月17日、記)
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