La Nigreco

n-ro.8 2002.2.14

資料2 
アメリカのテロリスト養成キャンプ
――アルカイダとフォート・ベニングの違いは何か?


米国はジョージア州のキャンプにて数十年にわたりテロリストを訓練してきた。そして、今もその訓練は継続して実施されている。

「無実の人々を殺害する者や無法者を支援するいかなる政府も、自らが殺人者および無法者と見なされる。そして、その政府は孤立し、自らを危機に追いやることになる」と、アフガニスタンへの攻撃を開始した日に、ジョージ・ブッシュは宣言した。

彼が「いかなる政府も」と述べたことはいいことだ。何故なら、まだ、テロリズムの支援者として、はっきりと世間で認識されていないが、彼が直ちに目を向けなければならない政府がいまひとつ存在するからである。過去55年間、その政府はテロリストの訓練キャンプを運営してきている。

そして、彼らテロリストの手によって殺害された犠牲者の数はアルカイダによって、実行された今回のニューヨークでの攻撃、大使館爆破、他の暴挙(正しいか、正しくないかは別にして)の犠牲の数をはるかに上回っている。

そのキャンプは安全保障協力のための西半球協会(the Western HemisphereInstitute for Security Cooperation:略称Whisc)と呼ばれている。ジョージア州のフォート・ベニングを拠点とし、ブッシュ政府によって資金が賄われている。今年の1月まで、WhiscSchool of the AmericasSOA)と呼ばれていた。

1946年以降、SOAは6万人以上のラテンアメリカの兵士や、警察官を訓練してきた。その卒業生の中には、南米大陸で最も悪名の高い拷問執行者、大量殺戮者、独裁者、政府お抱えのテロリストが含まれる。SOAの活動を監視しているグループによって編集された数百頁に及ぶ文書が示すように、ラテンアメリカはSOAの卒業生たちによって、ズタズタにされてしまったのである。

今年6月、かって、SOAの生徒であったバイロン・リマ・エストラダ大佐はグアテマラで98年にファン・ゲラルディ司教を殺害したとして有罪判決を受けた。ゲラルディ司教はグアテマラのD2(リマ・エストラダと他の2名のSOA卒業生によって運営されている軍事諜報機関)によって企てられた大量殺人に関する報告書作成を支援したとして、殺害されたのである。D2は448のマヤインディアンの村々を殲滅し、数万人のマヤインディアンを殺害したのである。ルーカス・ガルシア、リオス・モント、メヒア・ビクトーレスなどによって構成されていた政権がこの大虐殺を企てたのあるが、その内閣の4割はSOAで訓練を受けた者たちである。93年、国連のエルサルバドル真相究明委員会は市民戦争において最も残忍な行為を犯したとして、複数の陸軍将校を名指しした。その将校のうち3分の2はSOAで訓練を受けた者たちであった。

その将校たちの中にはエルサルバドル「死の軍団」のリーダーであるロベルト・ド・アウビソン、オスカー・ロメロ枢機卿を殺害したグループ、89年にイエズス会の神父たちを殺害した26名の兵隊のうちの19名がいる。さらに、チリーでは、アウグスト・ピノチェトの秘密警察および3個所の主要強制収容所はSOAの卒業生によって管理されていたのである。76年にワシントンDCで発生したオルランド・レテリエルおよびロンニ・モフィット(訳者注:チリの活動家)殺害事件も、SOAの卒業生の一人が支援していたのである。アルゼンチンの独裁者ロベルト・ビオラおよびレオポルド・ガルチエリ、パナマのマヌエル・ノリエガおよびオマール・トリホス、ペルーのファン・ベラスコ・アルバラド、さらに、エクアドルのギレルモ・ロドリゲス、かられはすべてSOAの訓練を受けていた。フジモリ政権下のペルーにおける「グルポ・コリナ死の軍団」のリーダー、ホンデユラスの有名な3・16戦闘を指揮した5人の将校(彼らは80年代にホンデユラスで死の軍団を支配していた)のうちの4名、そして94年のメキシコにおけるオコシンゴ大虐殺の責任者であった司令官も同様に、SOAの訓練を受けていたのである。SOAを弁護する人々は、これらの出来事は大昔のことだと言い張る。しかし、SOAの卒業生は米国の支援を受けて、現在、コロンビアで進められている汚辱にまみれた戦争にも参画している。

99年米国国務省の人権に関する報告書は二人のSOA卒業生を平和委員アレックス・ロペラの殺害者として名指しした。昨年、人権監視団はSOAの元生徒がコロンビアで私設軍隊を運営し、誘拐、失踪、殺人、虐殺を繰返していることを明らかにした。今年の2月には、コロンビアで私設軍隊によって30人の農民が拷問を受け、殺害された事件に連座したとして、ひとりのSOA卒業生が有罪判決を受けている。SOAはいま、他のいかなる国よりも、コロンビアから、一番多くの生徒を入学させている。FBIはテロリズムを次のように定義している。

「野蛮な行為……一般市民に恐怖を与えたり、抑圧したり、また政府の政策に影響を与えたり、政府の行動に影響を及ぼす行為」これはまさに、SOAの卒業生たちが実践している活動のそのものの正確な描写である。しかし、彼ら卒業生たちがこれらの活動に関与しているということを、本当に、私たちは確かなこととして説明できるのか?

それに関しては、66年アメリカ政府はSOAの訓練マニュアルの中で、7つについて明らかにせざるを得ない状況に追いこまれた。その他テロリストにとって最も多用される主要活動のとして、恐喝、拷問、処刑、証人の親戚の拉致があげられる。昨年、SOAの活動を監視するグループによって行われたキャンペーンもその理由の一つなのだが、数人の米国の国会議員はSOAを閉鎖しようとした。しかしながら、その提案は10票の差によって、否決されてしまった。その代わりに、下院は、SOAを閉鎖し、そして、その後直ちに異なった名前で再開するという、議決をしたのである。

すなわち、下院は一般大衆の記憶を流し去ってしまおうとの意図のもとに、かって、英国でWindscaleの地名をSellafieldに変更したごとく(訳者注:Windscaleには英国政府が第二次大戦後アメリカ政府に対抗して進めていた核爆弾製造実験の施設があったが、57年に核爆発危機の寸前まで行った火災事故が発生し国民に恐怖を与えた)、SOAは自らをWhiscと変名することにより、過去のことを消し去ってしまったのである。SOAのマーク・モルガン大佐が国会での議決の前に国防省に「国防省のお偉方の何人かがSchool of the Americasの名前がついていたのではいかなる活動にも援助ができないとおっしゃったのである。そして私たちはこのことを憂慮し、名前を変えることを提案しているのです」と供述している。さらに、SOAを存続させようと戦っていたジョージア州出身の上院議員であるポール・カバデル氏も各新聞に名前の変更は「基本的には化粧直しにすぎない」と語っている。

しかし、Whiscのホームページを訪れてみればわかることだが、SOAが記録からまったく抹消されてしまっている。「歴史」と記された頁すら、SOAについて何も言及していないのである。

Whiscの履修コースには「平和活動のための事業計画、災害救援、民兵活動、麻薬撲滅活動の計画・実行などの関連する幅広い分野をカバーしている」と記されている。Whiscの人権活動についての記述に数頁が割かれている。しかし、ほぼ全トレーニングプログラム、戦闘、指揮技術についての説明はあるが、反乱鎮圧や尋問についての記述が無い。また、Whiscの「平和」や「人権」という内容は議会をなだめ、予算を確保することを願って、SOAによって提供されたのである。しかしながら、「平和」や「人権」の履修科目を選択する生徒はほとんどいないのが実情である。

このテロリスト訓練キャンプがその内容を変えることを期待しても無理である。結局は、この訓練キャンプはそのような過去を持っていたと認めることすら拒否しているのであるから、ましてや彼らがその過去から学ぶことありえない話である。

この学校と、ラテンアメリカで今もなお頻発している残虐行為とを結びつける証拠は、アルカイダの訓練キャンプとニューヨークの攻撃とを結びつける証拠よりも、より明らかであるということを考えると、ジョージア州のフォート・ベニングで訓練された凶悪犯に対して私たちはどう対処すべきなのであろうか。ひとつの方法としては、私たちが自分たちの政府に対して働きかけ、できる限りの外交圧力をかけること、さらには、テロリスト訓練学校の指揮官を非人道的な犯罪行為を共謀した罪により裁判にかけるべく、その身柄の引渡しを要求していくことも可能であるかもしれない。

もう一つの方法としては、私たちが自分たちの政府に対しアメリカ合衆国を攻撃するように要求することである。具体的には、米国政府を転覆させ、国連の監視の下にある、新しい政府によって置き換えるべく、米国の軍事施設、都市、空港、攻撃するように要求してはどうだろうか。

この提案がアメリカ国民の賛同を得られない場合は、アフガニスタンの国旗を印刷したビニール袋にナンやドライカレーを入れて、飛行機からばら撒き、アメリカ人の気持ちを掴み、私たちに対する支持を得るようにしてはどうだろうか。

皆さん方はこのような処方箋は馬鹿げていると反対されるであろう。私自身、そう思う。しかしながら、このような行為と今、アフガニスタンにおいて遂行されている戦争との間において、道義上において、その差を見出そうといくら試みても、私は見い出すことができないのである。

*America's Terrorist Training Camp
What's the difference between Al Qaeda and Fort Benning?
By George Monbiot. Published in the Guardian 30th October 2001
* http://www.monbiot.com/dsp_article.cfm?article_id=465

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