アナキズムFAQ

訳者ノート

 無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)をめぐる論争について、鹿児島県立短大の斉藤悦則さんが詳しい解説を書いている。Webでも読めるので、興味のある方は参照されたい。

 

「インターネット上におけるアナキズム論争」

 

 私は基本的に自分の趣味からアナキズムを理解するようになった。パンクロックとの接触が私にアナキズムの持つ現状否定的側面と「自分がやりたいことは自分でやる」(Do-It-Yourself:DIY)という方法論を教えてくれた。さらに、幸いなことに、私のパートナーはパンクスではないが、DIYの権化だった。専門として学んで来た行動分析学が人間行動は身の回りの環境のありようによって変化する、ということを教えてくれ、仕事として行って来た障害を持つ人々に対するサービスが、個人に対して多様な選択肢を提供できる(個人の多様な選択を受け入れることができる、と言ってもいいだろう)社会が良い社会だ、ということを教えてくれた。そして、数年前に始めたフライフィッシングから、自然環境の一部としての人間、ということを教わり始めている。

 このように書くと、「真面目な」アナキストの中から嘲笑の声が上がるかもしれない。中産階級の戯言のように思われるかもしれない。結局のところ、障害を持つ人々に対するサービスを除き、どれも要するに余暇の世界のことだからだ。だが、私はそうは思わない。現在の資本主義体制の下で、私達の生活は、睡眠と食事を除き、仕事・自分の身の回りの管理・余暇に分断されている。仕事は賃金を得るための手段にすぎない。どの様に言おうと、結局のところ、金銭の奴隷となることでしかない。身の回りの管理は、文化が要求してくることだ。一ヶ月間風呂に入らなかった人や裸で外を歩く人は何らかの形で制裁がやってくる。仕事にせよ身の回りの管理にせよ何かを回避するためのことである。要するに奴隷だ。賃金制度の中で労働者の自主管理などといっても結果は見えている。現状において、個人がこうした隷属関係をラディカルに変えようとするのなら、自分の土地で農業を営んで自給自足し、他者との関係を最小限に押さえるのが一番だろう。だが、そうしたところで国家は税金などの様々な形を取っていつまでも付きまとってくるのだ。奴隷状態から逃げられないようになっているのだ。奴隷制度の象徴である選挙でもしようというのか?自分から進んで奴隷になるのは、やめておけ!

 現状を打ち倒そうという考えはよく理解できるが、その動機がネガティブなものから生じている以上、同じことを繰り返す可能性がいつまでも残る。同時に、ポジティブな動機も育てなければ片手落ちではないかと思う。現状において、自分で自分なりの自由の感情・自由な行動を育むことができるのは、余暇のレベルにおいてしかない。民衆芸術の運動などはその最たるものなのではないだろうか。自分が行っている余暇について文句をつけてくるのは、ほとんどいない。自分の自発性だけで行うことができるし、金のためにやっているのでもない。金がなくてもやれる余暇など山ほどある。全く以って、アナーキーじゃないか?この余暇のレベルにおいてさえ、次第に奴隷制度の影響が現われつつあるかもしれないと最近思っている。つまり、人々が、行動する傾向すらも失いつつあるのではないか、と感じているのである。金をかけずに、めちゃくちゃ遊びたまえ!

 私は今、米国オレゴン州にいるが、こちらでは数多くのパンクスがアナキズムの運動に参加している。パンクロックを通じて、アナキズムに入ってくる中学生や高校生もいる。
 翻訳をするにあたっては、原文に難しい言い回しがあったり、くどかったり、引用文がなぜこんなところに使われるのか分からなかったり、と苦労したが、アナキズムの理解には非常に勉強になった。アナキズムの入門にはもってこいだと思う。間違いなどがあったら指摘して頂きたい。 

(M,1999/05/21)

 

 もう10年も前のことになるが、アナキズムを少しカジったことがあった。その時はどうしても疑問を感じてしまい、馴染めなかった。バクーニンも大杉栄も魅力はあるが、デタラメなオヤジではないか。なのに「アナキズムの偉人」として崇拝したり、アナキズムをマルクス主義に代わる「偉大な思想」のごとく位置づけたり、どういう感性なんだ。結局、宗教やマルクス主義と少しも変わらないではないか。
 そこで、アナキズム団体の機関誌に「アナキズムはヤクザな思想であり、また、それで良いのだ」という趣旨の投稿をしてヒンシュクを買った。それ以来、アナキズムとはずっと疎遠になった。

 今でもその考えに基本的に変わりはない。ただ、当時は若かったせいもあって、ぽくの方も視野が狭く寛容な心が欠けていたように思う。もう少し冷静にアナキズムを考えてみてもよかったはずだ。
 最近になって、自分の考えを文章にしてみようとしたが、どうもうまく説明できない。いろいろと考えてみたが、やっぱりアナキズムのキーワードを使わないと説明しにくい。
 一度、アナキズムを勉強し直そうかと考えていたとき、インターネット上で「アナキストFAQ」を見つけた。イントロダクションを読んでみると、なかなかいいことが書いてある。全文は相当の量になるが、英語の勉強も兼ねてこの機会に読んでみようか。こうしてFAQを読み始めることになった。
 読みはじめてみると、共感できる部分と違和感を感じる部分がそれぞれ半々である。しかし、イントロダクションにもある通り、それでいいのだろう。フレキシブルで、オープンで、多様なのがアナキズムの良さなのだ。

 今日のアメリカ資本主義の一人勝ち状況は、社会にますます弱肉強食原理を強めつつある。マルクス主義やレーニン主義の凋落は自業自得だが、気がついてみると、弱肉強食の資本主義に対抗できる選択肢がない。もちろん、資本主義やアメリカと対等に勝負することなどできないが、弱肉強食の土俵に上がらないでもやっていけるオルタナティブをなんとか探したい。ぼくにとってアナキズムは、そのための一助にすぎないし、また、それでよいと思っている。

 アメリカの事情には疎いので、意味がよくわからなかったり、何でこんなことを言うのだろうと疑問に思うところも少なくなかった。「リバータリアン」という言葉は日本では聞き慣れないけれども、欧米ではかなり使われているようだ。これにはうまい訳語を考えられなかった。
 「アナルコ・キャピタリズム」については詳しくはわからないが、チャード・バーブルック(小倉利丸氏が紹介している)によると、「新右翼の企業家的熱情と新左翼のアナキズムの和解のひとつの方便」だそうで、最近流行しているネオ・リベラリズムの理論的支柱の一つらしい。FAQが激しく反発しているのはそのためだろう。

 初めて翻訳をやってみて難しさを実感した。正確な意味がわからず、憶測で訳してしまった所もある。誤訳もあるかもしれない。悪い点をご指摘いただければ幸いである。

(T)

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