アナキズムFAQ

J.5.5 アナキストはいかなる形態の共同金融を支持しているのか?

アナキストは、協同組合諸形態を支援することが多いが、そこには、クレジット(信用貸し)や金銭に関連するものも含まれる。この協同組合金融・銀行業務は、多くの形態を取っている。例えば、信用金庫・LETS構想などである。このセクションでは、二つの中心的組合金融形態である相互主義LETSについて論じる。

相互主義はプルードンと人民銀行に関連した考えの名称である。本質的に、相互主義は、労働者階級の人々が資金と預金を貯蓄している信用金庫の連邦である。このことがクレジットを実費だけで手配できるようにし、そのことで、労働者が利用できる選択肢を増やすと共に、労働者に低金利でより多くの融資を行えるようにすることで貸付金利息を廃止してしまうのである。LETSは、「地域通貨構想」(Local Exchange Trading Schemes)の略であり、類似した考えが様々な形で現れている(明らかに、それぞれが無関係に出現している)。LETSに関する詳しい考察は、V=G=ドブソン著、市場から家庭へ経済を持ち帰るを参照してほしい。

どちらの構想も資本主義内部で代替通貨とクレジットを創ることを中心に展開しており、労働者階級の人々が、新しい通貨としての「労働券」を作り出すことで、資本主義金銭システムを追い出すことができるようにしている。このようにして、労働者が、地域型(非常に低い利子の)クレジットのソースを持つことで、自身の生活・労働諸条件を改善でき、資本家と資本主義金融システムに依存しなくなるだろうと期待しているのである。相互主義の支持者の中には、この方法を資本主義を改革する理想的方法だと見なしている人々もいる。労働者が、自分の仕事に必要な道具を購入するか、経済組織内部で交渉力を増大させることにより、自力で働くようになり、そうしたことを買い取ることで(by buying them out)、資本家から産業上の民主主義を得ることになる。それと共に、普通の労働者が非常に低い利子率でクレジットを利用できるようになれば、賃金奴隷の終焉はすぐに生じるだろうというわけである。

こうした思想は、社会主義運動内部に長い歴史を持っている。その起源は、19世紀初頭の英国社会主義運動であった。ロバート=オーエンなどの当時活動的だった社会主義者たちは、労働券と交換のアイディアを、資本主義内部で労働者階級の諸条件を改善する手段として、そして、自主管理型地域が連邦した社会へと資本主義を改良する手段として、考えていた。事実、『公正な労働交換』は、『1832年のロンドンとバーミンガムで設立され』、それは『労働券と小生産品の交換』を伴っていた(E=P=トンプソン著、英国労働者階級の成立、870ページ)。明らかに、イングランドにおけるこうした初期の試みとは別に、P=J=プルードンは、相互主義と呼ばれることになる同じ思想にフランスで数十年後に到達したのだった。彼の言葉に依れば、『人民銀行は、近代民主主義、つまり、人民の主権性という原理、そして、共和主義者のモットーである「自由・平等・博愛」の原理が持つ金融的・経済的側面を非常にはっきりと具現化している。』(プルードン選集、75ページ)同様に、合州国(その一部は、ロバート=オーエンから着想を得たジョシュア=ワレンの活動の結果だが)においては、資本主義の害悪から労働者を守り、労働者の自律と賃金奴隷からの解放を保証する手段として、労働券・交換・無料のクレジットに関する包括的な議論がなされていた。プルードンの著作が北米で読めるようになったとき、その基本的主張は充分知られていたのであった。

従って、労働者階級の生活諸条件を改善するための手段としての、もっと言えば、産業上の民主主義・自主管理・資本主義の終焉を確立するための手段としての労働貨幣を使った相互銀行という考えは、社会主義思想の中で長い歴史を持っているのである。不幸にして、社会主義のこの側面は、マルクス主義(こうした初期の社会主義者たちを「ユートピアン」だと呼んだのだった)の勃興と共に重要ではなくなってきた。こうした信用金庫や代替交換構想の試みが、労働者階級の政治的諸政党を作るという試みに全般的に置き換えられてしまったのである。マルクス主義的な社会民主主義の勃興と共に、建設的社会主義実験と労働者階級の集産的自助は、資本主義国家内部で働くことに置き換えられてしまった。だが、ありがたいことに、労働者階級がまたしても相互主義の理念を改めて創造している(LETS等の地域貨幣構想の成長に見ることができる)ことで、歴史は、マルクス主義に対する最終的勝利を示してくれているのである。

J.5.6 相互クレジット構想の鍵となる特徴は何か?

相互銀行は、前セクションで述べたように、クレジット(信用貸し)協同組合の一形態であり、そこに、個々人が、個々人として・地域社会の一部として利益を得るために資金をまとめておくのである。LETSは相互主義のもう一つの形態であり、近年、明らかに独自に発達したものである(カナダから始まって、世界中に広まっており、現在では数百のLETS構想の中で、数十万人の人々を巻き込んでいる)。相互銀行とLETSは次のような鍵となる側面を持っている:

    (1)協力:誰もネットワークを所有しない。そのメンバーが直接管理する
    (2)無搾取:残高やクレジットに利子は付かない。せいぜい管理上のコストが請求されるだけであり、そのおかげで共同所有と共同管理が成り立っているわけである。
    (3)同意:同意なしでは何も生じない。強制的な取引は存在しない。 (4)金銭:「正当な交換」を支援する手段として、それぞれが独自の金銭(伝統的には「労働券」と呼ばれていた)を使用している。

クレジットを組織することで、労働者階級の人々が自力で仕事をできるようになり、ゆっくりだが確実に、資本主義を、自主管理に基づいた共同組合システムで取り替えることができるようになるだろうと期待されているのである。LETS構想は、そうした壮大な構想を持っていないものの、歴史的に相互主義は、資本主義内部で活動し、資本主義をを社会主義に転換することを目的としていた。最低限、LETS構想は、社会内部において銀行や金融資本が持っている力と影響力を減じており、相互主義は、労働者階級の人々がそうした寄生に対する実行可能な代替案を確実に持つようにしているのである。

この点は重要である。なぜなら、金融制度と金銭は「中立」だと考えられていることが多い(特に、資本主義経済では)からだ。だが、マラテスタは正しくも次のように論じている。『銀行は、交換を促す手段である、もしくは、主としてそうである(中略)ということを信じるなど間違っている。銀行は、交換と通貨に対して投機し、資本に投資し、資本が利益を産み出すようにするといった典型的な資本主義操作を実現する手段なのだ。』(人生と思想、100ページ)

現在でも、資本主義の中で金銭はかなりの部分商品なのである。これは、物品とサービスの生産においてなされる仕事量の簡便な測度以上のものである。商品として、金銭は、世界のいかなる場所にも行くことができ、実際行っている。世界中で、金銭は、その所有者に対して最大の報酬を与えることができ、従って、金銭を最も必要としている地域社会から流出することが多いのである。金銭は、資本家が労働者階級の自由を買い、自分のために剰余金を産み出させる手段なのだ(結局、富は、『自分の利益のために他者を無理矢理働かせるために、社会の諸制度によってある個々人に投資された力』なのである。(ウィリアム=ゴドウィン著、ウィリアム=ゴドウィンのアナキズム論文集、130ページ))。この考察からだけでも、クレジットと金銭の労働者階級管理は、クレジットの代替資源にアクセスすることが労働者階級の選択肢と力を増大させることができる限り、階級闘争の重要な一部なのだ。

それ以上に、クレジットは重要な社会管理方法でもある。抵当や査証料(visa bill)を払わねばならない人は、もっと従順で、ストライキや様々な政治的問題を引き起こすことはしないものである。そして、もちろん、クレジットは、不景気や賃金下落に直面している大衆の消費を拡大する。一方、資本家はそこから利益を得ることができる。事実、1980年代と1990年代の家庭にのしかかる借金負担の増大と、富の集中の増大には関連があるのだ。つまり、『実質時間給の減少と世帯収入の不振のために、中産階級と低層階級が同じ地域に留まるためには借金をしなければならなかった。彼らは、さらに金持ちになっている金持ちから借金をしている。金持ちは剰余資金につく利子を得るための場を必要としているのであり、残りの人々はオイシイ貸出ターゲットになっているのである。』(ダグ=ヘンウッド著、ウォール=ストリート、64ページ〜65ページ)

国家(そして国家を動かしている資本家)が、国家や国家諸機関の手中に金銭を保持しておくことにあまりにも関心を持ちすぎていることは疑いもない。相互クレジットが増加すれば、利率は下落し、富は労働者階級地域にもっと留まるようになり、労働者階級の社会的力は増大するだろう(なぜなら、人々はより高い賃金とよりよい諸条件を求めて−−債務返済の恐怖が少なくなるように−−闘争することが多いからだ)。

従って、相互主義は対抗経済と名付ければよいようなことの一例なのである。対抗経済とは、「資本市場」や資本主義銀行へ金を持っていくことのない地域型信用組合の創造を意味する。資本家の力と統制を弱体化し、社会闘争と社会変革を支援する手段としての金の使用方法を見つけだすことを意味しているのである。

このようにして、労働者は貨幣供給量をますます管理し、貨幣供給量を使って、資本が労働者階級を抑圧し搾取するために資本を使うことを止めさせるようにしている。既存の労働者年金基金システムの結果は、これが何故重要になり得るのかを示している一例である。現在、労働者年金基金は、資本主義企業(特に、多国籍企業等のビッグ=ビジネス諸形態)に投資するために使われており、こうした企業は投資された金を使ってその活動経費に当てている。その狙いは、そのように投資することで、労働者は年を取ってから充分な年金を受け取る、ということである。

だが、実際の勝ち組は誰かといえば、銀行家と大企業だけである。驚きもしないことだが、こうした年金基金企業のマネージャーは、最高の利回りでそうした企業に投資している。そうした企業は、通常、人員削減をし、その労働力から最大の剰余金を絞り出している企業なのだ(そして、生き残るために利用できる資金にアクセスするために同じ戦略に従うように他の会社を強いているのである)。

基本的に、労働者仲間の仕事を上がったりの状態にしたり、資本の力を増大させたりするために自分の金を貸しているのなら、自分と同じような人々にとって物事が困難になる手助けをしているだけでなく、自分自身にとっても物事が悪くなる手助けをしているのである。いかなる人も孤島にいるわけではなく、労働者階級に対する資本の影響力の増大は、直接的にであれ、間接的にであれ自分に影響を与える。もちろん、労働者が不安定さを経験したいとか、人員削減の恐怖を味わいたいとか、定年になったときにちょっとばかり多くの金をもらうために自分の労働生活で賃金が停滞しても構わない、などと思っているなどと示唆することはキチガイ沙汰であろう。

このことは、資本主義が我々に対して使っているトリックの一つを際立たせている。つまり、老年になったときの恐怖を使って、我々をシステムに取り込もうとしているのだ。家を買うために一生涯かかる負債を抱えるにせよ、自分の金を資本家に貸すにせよ、我々は、単に何が正しくて何が間違っているか以上に、自分が価値を置いているものを買い取るように勧められている。このことによって、政府は、我々をいとも簡単に統制できるようにしているのだ。我々は、恐怖の中で生きることから逃げだし、我々を騙して資本主義・金権政治システムにおける「出資者」のように行動するようにさせている状態を止めねばならない。年金基金を使った企業の買収・多国籍企業の規模の拡大・労働力の削減からも分かるように、こうした「出資」は、結局、他者に利益を与えながら、現在将来の商取引になってしまうのだ。

本当の敵は、こうした年金構想に関与している労働者ではない。年金構想を管理している権力者と、より高い利益と株価を調達するために労働者から最後の一セントまで搾り取ろうとしている企業である。世界規模で労働者が失業し、貧困になっていることがこのことを助長しているのである。彼らが世界の諸政府を統制しているのだ。彼らが現行システムの「ルール」を作り出しているのだ。だからこそ、彼らが利用できる金銭を制限し、地域型信用金庫や相互損害保険協同組合を創造することで、金銭に対する民衆管理を増大させ、我々自身の代替的なクレジット・交換手段を創造する(相互主義が提起しているように)ことが重要なのである。このことが、我々自身に権能を与え、我々の闘争を支援し、我々自身の代替社会を作り出すことができるようにしてくれる。金銭は、現在そうあるように、資本の権力とボスの権威を代表しているのである。金銭は「中立」ではない。金銭を管理することは階級闘争において重要な役割を持っている。そうした諸問題を無視するのなら、自分自身のリスクを覚悟しなければならないのである。

J.5.7 大部分のアナキストは、相互クレジットだけで資本主義を廃絶するのに充分だと考えているのか?

端的な答えは、ノーである。大部分のアナキストはそう考えていない。個人主義アナキストと相互主義者(プルードン信奉者たち)は、相互銀行は資本主義を廃絶する唯一確実な方法だと考えているが、大部分のアナキストは、相互主義をそれ自体で目的だとは見なしていない。プルードンが想定していたようなやり方で、資本主義を改良し去ることができると考えている人はほとんどいない。クレジットに対するアクセスが増加するからといって、それは経済内部に存在する生産と市場の力関係を扱ってはいない。従って、金融変換に向けたいかなる動きであれ、それが有用かつ効果的になるためには、資本主義社会のあらゆる力に対するより広範囲にわたる攻撃の一部とならねばならないのだ(相互クレジットとその使用に関するアナキズム的見解に関しては、セクションB.3.2も参照)。従って、大部分のアナキストにとって、相互主義的諸制度は、他の形態の労働者階級自主活動・自主管理と組合わされることで初めて、階級闘争において重要な役割を果たしうるのである。

協同組合・労働組合を組織する原動力・ストライキの支援を創り出す中で、相互銀行ネットワークを構築する(贈与や融資によって、もしくは、食料などの生活必需品を無料や割引で提供できる食品協同組合などの協同組合に資金提供することによって、直接的に)ことにより、相互主義は、資本主義システム内部でリバータリアン代替案の構築を手助けする手段として使うことができる。こうした代替案は、現行システム下での生活をより良くしながら、同時に、闘争をしている人々が目的を達成する手助けをし、ブラックリストに載った労働者や解雇された労働者に対する代替収入源を提供する手段になることで、現行システムを転覆する役割を果たしうるのである。バクーニンは次のように述べている:

自分たちの生活を、少しばかり扶養的なものにし、少しばかり困難ではないようにするため、共同事業の中で協力しようではないか。可能ならばどこででも、生産者−消費者協同組合と相互クレジット協会を確立しようではないか。現在の経済諸条件下においては、いかなる現実的な・適切なやり方でも、そうした組合と協会が我々を自由にすることはないが、それでもなお、それらが経済を管理する実践の中で労働者を訓練し、未来組織の尊い種を蒔く限り、大切なのだ。(バクーニンのアナキズム、173ページ)

つまり、アナキストの中で、相互主義がそれ自体で充分だと考えているものはほとんどいないが、相互主義は、階級闘争の中で一つの役割を演じることができるのである。直接行動・仕事場闘争・地域闘争・仕事場組織・地域組織に対する補足として、相互主義は労働者階級自主解放の中で重要な役割を演じる。例えば、地域組合主義(セクションJ.5.1を参照)は、それ自体の相互銀行と貨幣を創り出し、それらを使って、協同組合に資金提供し、ストライキなどの社会闘争を支援することができるだろう。このように、健全な自治体所有型協同組合部門は、資本主義内部で発展させることができ、仕事場協同組合が直面している孤立に関する諸問題(セクションJ.5.11を参照)を克服し、同時に、闘争に参画している人々に対する確固たる支援の枠組みを提供できるだろう。

それ以上に、相互銀行は、資本主義内部でアナキズム的社会諸関係を構築し、強化する方法になり得る。なぜなら、資本主義と国権主義の下にさえ、広範な相互扶助と、事実、アナキズム的・共産主義的生活様式が存在しているからだ。例えば、共産主義的取り決めは、家族の中に存在し、友人や恋人の間に存在し、アナキスト組織の中に存在している。

相互銀行は、この代替(贈与)「経済」と資本主義との橋渡しを構築する手段になり得るだろう。相互主義的代替経済は、地域社会と、個々人間の信頼の絆を強化する手助けをするであろう。そして、次第に民衆が交換を媒介することなくお互いに助け合うようになるにつれ、共産主義的部門の範囲が増大するために、その適用範囲を大きくすることになろう。つまり、相互主義は、資本主義内部に存在する贈与経済が増大し、発展する手助けをしてくれるであろう。

J.5.8 近代的な相互銀行システムはどのようなものになるのか?

プルードンの相互銀行構想は、これから説明するように、近代社会の諸条件に採用することができる。(注:プルードンは相互主義の決定的出典であるが、フランス語を読めない人々には、米国人の弟子たちの著作を参照することをお奨めする。例えば、ウィリアム=B=グリーン著、相互銀行やベンジャミン=タッカー著、忙しすぎて本を書けない男による本の代わりに。)

現代的な相互銀行システムの一つのシナリオは次のようなものであろう。地域の物々交換協会が代替通貨を発行し始め、現行システムにいる全ての個人がそれをお金だとして受け入れる。この「通貨」は、最初は、硬貨や紙幣の形態を取らないだろうが、物々交換カード・個人小切手・インターネットを通じて転送される「電子マネー」のような取引を通じて完全に循環するようになる。物々交換協会によるこの通貨供給を「相互物々交換所」もしくは縮めて「交換所」と呼ぶことにする。

交換所には、二つの使命がある。まず第一に、メンバーに対して原価でクレジットを供与する。第二に、運営コスト(クレジット発行と取引情報の管理にかかる労働コスト・不良債務による損害に対する保険など)をカバーするのに充分な少額のサービス手数料(多分1パーセント以下)だけでシステム内部のクレジット金の流通を管理する。

交換所は、次のように組織され機能する。元々の物々交換協会メンバーが、一定量の財産を担保として抵当に入れることで、交換所の加入者になる。この担保を元に、新しいメンバーの口座を開設し、担保にした財産の査定価格の一部と等価の相互金の総額を使って貸し出しが行われる。新しいメンバーは、特定の日にちまでに貸し出された金額とサービス料金を返金することに同意する。そして新しい口座の相互金は、物々交換カードを使ったり、個人小切手を書いたり、全ての債務の支払を相互金で受け取ることに同意した他のメンバーの口座にインターネットで電子マネーを送ったりすることで、交換所を通じて転送されるのである。

もちろん、この種の口座を開設することは、保証として一定量の財産を担保に入れることについて署名入りの覚え書きと引き替えに、借手に対するクレジットを拡張することによって、商業銀行が「貸し出す」という意味で、「ローン」を引き出す場合と同じである。重大な違いは、交換所は、商業銀行が頻繁に要求しているように、交換所が既に持っている総額を「貸し出し」てはいない、ということである。その代わり、クレジットという形態で新しいお金を創り出すことを誠実に認めているのである。新しい口座も、口座を開設したいと交換所に話すだけで、開設することができる。そして、既に残高を持っている人と調整して、品物やサービスと交換で新しい口座に相互金を振り込むようにするのである。

もう一つの形態は、LETSシステムと関連しているものである。この場合、多くの人たちが協会を作るために集まることになる。その人たちが、交換単位(これは、国の通貨単位に対して同等の価値を持っている)を創造し、その名前を決め、その単位で値段が付けられた商品とサービスをお互いに提供しあうのである。こうした提供事項と必要事項がディレクトリにリストされ、そのディレクトリは定期的にメンバーに流布される。メンバーは、誰と取り引きしたいのか、自分たちが行いたいことを幾らで取り引きするのかを決める。取引が完了すると、買い手が記入した「小切手」を売り手が受け取ることで取引は承認される。これらは、システム会計処理担当者に順送りされ、そこで全ての取引が記録され、メンバーに口座明細が定期的に送られることになる。会計処理担当は、メンバーが選出し、メンバーに対して説明責任を持つ。残高に関する情報は、全てのメンバーが目にすることができる。

このシステムでは、最初に述べたものとは異なり、メンバーが担保として財産を提出する必要はない。LETS構想のメンバーは、財産提出抜きに「借金」することができるのである。ただし、「借金」は相応しくない言葉であるが。というのも、メンバーは借金をするのではなく、将来的にシステム内部で何らかの仕事を行うことを公約し、そうすることで、購買力を創り出すからである。そうしたコミットメントを受けようというメンバーの意欲が、他の人々が通貨単位を自由に使用し、そのことで取引を創り出すことと同様に、地域に対するサービスとして述べられるのである。実際、既存の通貨単位の数は、交換されている現実の富の量に適合しているのだ。メンバーが信用に基づいて消費し運営しようとするときにのみ、システムは機能するのであり、このシステムが使われるとともに信頼が構築されるのである。

十全に機能した相互銀行システムは、これら二つのシステムの諸側面を組み込むことになる見込みが高い。メンバーが巨額の融資を必要としているときには、担保が必要となるだろうし、将来の仕事にコミットするのであれば、マイナスクレジットを持つLETSシステムがシステムの通常機能となるだろう。相互銀行が最大マイナス残高限度を認めるのであれば、その限度を超えた取引に対して担保を取ることが承諾されるだろう。だが、はっきりしていることは、相互銀行システムは、それが巻き込まれている状況の中で最良の運用手段を見つける、ということなのである。

J.5.9 相互クレジットはどのように機能するのか?

この新しいシステムでビジネス取引がどのようになるか例を使って考えてみよう。相互クレジットが、貸方が担保を提供するものになるか、貸方が担保を提供しなくても良いものになるかに応じて、二つの可能性が考えられる。まず、担保を提供する場合を考えてみよう。

有機農家のAさんが、自分が所有している土地の一区画を担保として抵当にし、家を建てたいと思っているとしよう。資本主義市場では、この土地は4万ドルの価値がある。土地を担保にすることにより、Aさんは相互金で、例えば、3万ドル(3/4の割合である)で、交換所のクレジット口座を開設できる。Aさんは、このシステムには大工・電気技術者・配管工・金物商などの多くのメンバーがいて、その商品やサービスの支払を相互金で受け取りたいと思っているということをよく分かっている。

相互クレジットを獲得し、そのことで相互金の交換所に負債をしている他の加入メンバーが、自分の商品やサービスの見返りに相互金を手に入れたいと思っている理由は分かりやすい。なぜなら、自分の負債を返済するために相互金を回収しなければならないからだ。だが、相互金で負債を抱えていない人は、相互金をお金として受け入れたいと思うだろうか?

その理由を知るために、失業中の大工のBさんを想定してみよう。現在、Bさんは交換所に口座を持っていないが、交換所についての知識はあり、それを運営している人たちを知っている。メンバーのリストを吟味し、この新しい組織のポリシーに通じるようになった後で、不履行しそうな信頼できない受取人にまで軽薄にクレジットを拡大してはいないことを確信している。Bさんは、自分がAさんの新しい家で大工仕事を行う契約をし、相互金で自分の仕事料をもらうことに同意すれば、自分が相互金を使って、食料品・衣服・車の修理など商品やサービスを、既にこのシステムに加入している地域の様々な人たちから買うことができる、ということも知っている。

そこで、Bさんは、Aさんのために仕事を行い(特に、景気が悪く、通常の通貨はなかなかもらい難くなっているため、多分、是非その仕事をしたいと思ってさえいるだろう)、相互金で料金を受け取ることにするだろう。Bさんは、Aさんの家の仕事をした見返りに相互金を例えば8000ドル受け取れば、その結果、このお金は、Aさんの土地抵当の20%(Aさんの相互クレジットに示されているものと同じ値)に相当することも知っている。また、Aさんが新しい価値を生み出す−−つまり、有機フルーツや有機野菜を生産し、このシステムにいる他のメンバーに対して相互金で売り出す−−ことでこの抵当を返済する約束をしており、新しい富(これが、Aさんの相互クレジットに交換媒体としての価値を与える)を産み出すことがその約束なのだ、ということも理解しているのである。

この点をちょっと別な言い方で述べてみると、次のようになる。Aさんの相互クレジットは、Aさんが将来創り出すと保証している商品やサービスに対する担保権として見なすことができる。この保証を確保するために、Aさんは、自分が何らかの理由で義務を遂行できなかった場合に、担保に入れた土地は他のメンバーに相互金で売られてしまう、ということに同意しているのである。このようにして、負債(多分負債以外の分もあるだろう)を取り消すために充分な価値が、システムに返却されるようになっているのである。この条件が、交換所はその会計簿を精算できることを保証し、メンバーに相互金は信頼できるという安心感を与えるのである。

記しておかねばならないが、新しい富が継続的に創造されるため、新しい相互クレジットの基盤も同時に創造されることになる。従って、Aさんの新しい家が建てられた後も、Aさんの娘・Cさん、さらには友人のDさん、Eさん、Fさんなどが、集団所有・集団運営型の有機農業レストラン(これは、作物の販売路として、付随的にAさんの利益にもなるだろう)を始めたいと決意したものの、Cさんとその友人たちが、立ち上げの融資を得るために充分な担保を持っていないとしよう。だが、Aさんは、保証として自分の新しい家(例えば、8万ドルの価値だとする)を担保にして、彼らのために覚え書きに共同サインをしてあげようと思っているとする。このことで、Cさんとその仲間たちは、相互クレジットで6万ドルを手に入れることができ、そのお金を使って、レストランを始めるために必要な器具・備品・家具・公告などや、建物の賃貸料を払うことができるようになるのである。

この例は、財産のない人たちが新しいシステムでクレジットを獲得できる一つの方法である。もう一つの方法−−自分のために共同でサインをしてくれる財産所有者がいない(もしくは、そうした人に頼みたくない)人のための−−は、住宅や自動車のローンを組むときに現在使われている方法同様に、頭金を作り、後払いされる土地を抵当として使用するやり方である。だが、相互クレジットを使えば、この種の資金調達方法は、資本財を含めていかなるものでも購入するために使うことができるのである。

このように、担保を提供の手段を持たない個人の場合についても考えることができる。例えば、有機農家のAさんが、自分が働いている土地を所有していない場合を考えてみよう。こうした場合、それでも仕事をやり終えたいと望んでいるAさんは、自分が必要とする技能を持っている相互銀行メンバーと接触する。適切な技能を持ち、Aさんと共に働くことに同意したメンバーは、責任を持って必要とされる仕事を行うことになる。その代わり、Aさんは、相互金の小切手をそのメンバーに渡す。相互金は、メンバーの口座に返金され、Aさんの口座から差し引かれる。このクレジット発行に対してAさんは利子を払うことはなく、クレジットの総額は、将来に相互銀行メンバーに対して何らかの仕事をするという意志を示すに留まるのである。

相互銀行は、マイナスバランスについて気にする必要はない。既に被っているマイナスがシステム内部の富を既に創出(プラス)しており、システム内部に留まっているため、マイナスバランスがグループ内部で損失を産み出すことはないからである。もちろん、相互銀行は、マイナス残高の上限を認め、その限界よりも多くのクレジットについては何らかの担保を要求するだろうが、大部分の交換についてこのことが該当することはまずないだろう。

相互金は、金などで(相互銀行において)償還することはできないため、内在的価値を持っていないということを思い出すことが重要である。相互金は、全て、将来の労働の約束なのである。従って、相互銀行に関する著作でグリーンが指摘しているように、相互金は、『物々交換を促すための単なる媒体』なのだ。この点で、相互金は、小切手と物々交換カードを使っている物々交換協会が現在流通させているいわゆる「物々交換金」に非常によく似ている。そこで、正確に言えば、相互金の単位は「相互物々交換金」と呼ばれなければならないだろう。だが、通常の物々交換金は物々交換が生じると同時に創り出され、その取引で交換された価値を記録するために使われるが、相互物々交換金は、実際の物々交換取引が生じる前に創り出され、将来の物々交換取引を促すことを意図しているのだ。この事実が大切である。なぜなら、この事実は、交換所は本質的に物々交換協会なのであって、銀行・貯蓄・信用金庫ではなく、従って、前者の諸制度を支配している法律の対象にすべきではない、という法的主張の基盤として使うことができるからである。

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