アナキズムFAQ

J.5.3 既存労組に対してアナキストはどのような態度をとっているのか?

前セクションで記したように、アナキストは、既存労組とは根本的に異なる仕事場組織を作りたいと願っている。そこで、次の疑問が生じる。アナキストはこうした既存労組に対して一般的にどのような態度をとっているのだろうか?

この疑問に答える前に、官僚主義的で改良主義の諸制度としての労働組合にどれほど敵対していようとも、アナキストが、労働者階級闘争を望ましいと思っていることを強調しなければならない。つまり、労働組合員やその他の労働者がストライキをするのであれば、アナキストはそれを支援するのである(ストライキが完全に反動的でない限り−−例えば、本質的に人種差別的なストライキを支援するアナキストはいない)。これは、ほとんど全てのアナキストがストライキを、傷を負わずに前進できない(you don't scab and you don't crawl)自分たちの政治運動にとって根本的なものだと見なしているからである(一握りの個人主義的アナキストは例外だが)。従って、労働組合に対するアナキストの批判を読んだからといって、すぐに、我々が産業闘争を支援しないと考えてはならない。我々は、支援するのである。ただ、そこに時として参画しているいくつかの組合について非常に批判的なだけなのだ。

さて、アナキストは労働組合をどのように考えているのだろうか?

たいていの場合、労働組合に対する典型的なアナキストの見解は、「敵意ある支持」だと呼んでも構わないだろう。アナキストは、こうした組合がどれほど官僚主義的なのか・その組合員をどれほど継続的に裏切り続けているのかを充分意識している限りにおいて、敵意があるのだ。こうした組合が通常は「ビジネス」組織程度のものでしかなく、組合員の労働力を可能な限り最良の取引で売ろうとしていることを考えれば、組合が官僚主義的で、官僚機構の利益がその組合員の利益と相反するものであることは驚くにあたらない。だが、組合の試みが当初の抵抗と組合を作った思想から遠く離れたとしても、悪しき労働組合であっても労働者階級の連帯と自助の試みを代表しているという点では、我々の態度は「支持」的なのである。労働者が労働組合に参画することは、労働者が自分のボスとは異なる利益を持っているということを、ある程度まで、認識していなければならないことを意味する。労働組合が現在も生き残っていることを説明するためには、様々な階級的利益があり、自身の利益を促すために、労働者は自分が階級的方向性に粗って組織を作らねばならないことを理解しているという事実による他ないのだ。

労組内部に保守主義・官僚機構・後進性がどれほどあったとしても、様々な階級的利益があるという本質的事実を完全に破壊できはしない。労働組合の正にその存在そのものが、基本的階級意識がある程度まで存在していることを証言しているのだ−−大部分の労働組合がそうではなく、資本と労働は共通の利益を持っていると主張していようとも。ここまで論じてきたように、アナキストはもっともな理由でこの主張を拒否しており、労働組合の正にその存在が、この主張は真ではないと示している。労働者と資本家が同じ利益を持っているとするなら、労働組合は存在していないだろう。それ以上に、労働者とボスの利益が同じであるという主張は、労組とその組合員双方を理論的に武装解除し、その結果、闘争を弱体化させるのである(結局、ボスと労働者が似たような利益を持っているのならば、いかなる闘争であれ悪しきものであり、ボスの意志決定は労働者の利益であるはずなのだ!)。

従って、アナキストの見解は、ボスと労働組合の矛盾した性質を反映しているのである−−一方で、それらは労働者闘争の産物であるが、他方では、非常に官僚主義的で鈍感で中央集権的であり、(従って)その常勤役員は、賃労働との闘争(その結果、労働者が職を失うことになるかも知れないのだが)において、全く本当の利害関係を持ってはいないのである。事実、労働組合の正にその性質こそが、組合(つまり、常勤役員)の利益が、役員が代表していると主張している労働者との闘争に持ち込まれることを確実にしているのである。

このことは、英国のリバプール波止場人足に関してTGWUが行った恥ずべき活動を見れば最もよく分かるだろう。労組役員(とTUCそれ自体)が組合員の支援を拒絶したのは、組合員がピケラインを超えることを拒否したために組合を除名された1995年のことであった。波止場人足は自分たちで闘争を組織し、世界中の波止場人足組合とコンタクトを取り、世界中の連帯行動を組織したのである。それ以上に、英国中に出現した支援グループのネットワークが、その闘争に対する資金を集めたのだった(また、アナキストがストライキ参加者を支援するときに演じた役割について、我々は誇りに思っている)。多くの労働組合主義者たちは、「自身の」組合が同じような裏切り行為をしたという話を語ってくれることだろう。

こうしたことが生じるのは、労働組合が、企業からの承認を得るために、産業の一部について約束できなければならないためである。組合は、組合員の意志に反していようとも、ボスとサインした契約を実行しなければならない。従って、労働組合は、産業において、管理部門と労働者との間にある第三の力となっているのであり、それ自体の利益を追求するのである。諸契約を実行する必要が、すぐさま、確実に、組合をトップダウンで中央集権的にさせてしまう−−さもなくば、組合員が組合の協定を破ってしまうことになるのだ。折衝会議において交渉をしなければならないときに、組合は組合員を統制できなければならない−−これは通常組合員がボスと戦うことをを止めさせることを意味している−−のである。これは奇妙なことに聞こえるかも知れないが、肝心な点は、組合役員は、労働規則と、組合側の交渉の一部として非公式のストライキがないこととを雇用者に売らねばならない、ということである。さもなくば、雇用者は労働組合を無視するであろう。労働組合の性質は、地元の組合員から権力を取り去り、それを組織の頂点にいる役員の手に中央集権化することなのである。

つまり、組合役員が組合員を裏切っているのは、労働組合が社会で果たしている役割のためであって、役員が陰険な個々人だからではない(そういう人もいるが)。あまりにも多くの権力を持っており、常勤で高額の金を払われていながら、決して本当は何の説明責任を持っていないため、役員はそのように行動するのである。権力−−そして富−−は、どのような人であろうとも、堕落させるのだ。(労働組合に対するアナキストの観点をうまく紹介しているものに、アレクサンダー=バークマン著無政府共産主義とは何か?の第11章もあるので参照して欲しい)

通常、大部分の労働者は労働組合官僚制の性質を本当に疑問視することはないが、労働者が何らかの脅威に直面すると一変するのだ。労働者は、労働組合は自分たちとは異なる利権を持っているという事実に真正面から向き合わされるのである。労働組合が賃金カットや一時解雇などに合意するのを目にするのである−−結局、労組の常勤役員の仕事は、危険にさらされていないのだ!だが、もちろん、そうした政策は、短期的には役員の利益になったとしても、長い目で見れば、その利益に反している。結局、雇用者を打倒できず、雇用者に対する効果的な抵抗を示すことができない組合に参加したいと思う人などいるだろうか?マイケル=ムーアが著書これを削減せよ!の一章を「何故労組指導者は××のようにバカなのか?」−−労働組合官僚が実際にどれほど間抜けになり得るのかを実感するためには必読である−−と題したのかは想像に難くない。悲しいかな、労働組合官僚制は、労働組合が組合員を売り飛ばしていることが何度となく見られてきたように、視野が狭いまま加入している人々全員を悩ませているように思える。鶏が最終的にねぐらに帰るように、AFLやTUCなどの労働組合の官僚制は、グローバル資本と会員数の低下という時代を見いだしてきているのである。従って、労働組合指導者の活動は、キチガイじみていて、視野が狭いように見えるかも知れないが、こうした様々な活動は、社会の中での立場と役割によって組合指導者に押しつけられているのである。このことが、何故労組の指導者は余りにも平凡なのか、そして、何故急進的指導者さえもがいつもいつも全く同じことを繰り返す羽目になっているのかを説明してくれるのである。

アナキストの中で、労働組合員に対して、自分の組合員証を引き裂くように要求する人はほとんどいないだろう。アナキストの中には、特に無政府共産主義者やアナルコサンジカリストの中には、(非常に正しくも)労働組合を軽視しかしていない(そして、闘争の時に組合員を支援しはするが、労組内部で活動しない)人々もいるが、アナキストの大多数は、もっと実際的な観点を取っている。反体制的なサンジカリスト組合が全く存在していなければ、アナキストは既存労組の中で活動する(職場代表になるかも知れない−−特にそれが常勤のポストであれば、労働組合でこれ以上のポジションに選ばれることに同意するアナキストはほとんどいないだろう)ことになり、アナキズムのメッセージを広め、リバータリアン的底流を作りだそうとし、願わくはもっとアナキズム的な労働運動へと発展して欲しいと望むあろう。

従って、大部分のアナキストが既存労働組合を「支援する」のは、実行可能なリバータリアン代替案を創造するまでだけなのだ。つまり、我々は、労組の内外でアナキズム思想を広めようとしながら、労働組合員になるのである。このことは、アナキストは組合の中で自分の活動という点で柔軟に振る舞う、ということを意味している。例えば、多くのIWWメンバーは、「二つのカードを持っている人」であった。つまり、IWWのメンバーであると同時に、仕事場で地元のAFL支部にも加入し、AFLのヒエラルキーがストライキなどの直接行動の支援を拒否すると、IWWを頼りにしたのだった。アナキストは一般労働者の自主活動を促すのであって、我々のために活動してくれと労働組合官僚に際限なく求める(不幸にして、これは左翼であまりにもよく見られることだ)ことはしないのだ。

労働組合内部でのアナキストの活動は、ヒエラルキーとその堕落効果に関する我々の考えを反映している。我々は、労働組合の裏切りという問題に対する左翼社会民主主義者・スターリン主義者・トロツキスト主流派の反応を完全に拒絶する。彼らは、「より良い」役員を選ぼうとしたり、指名しようとしたりしているのだ。彼らは、その地位を占めている人間という点で主にその問題を見ているのである。だが、この見方は、人間個々人は生活環境によって、そして、社会で演じている役割によって形成されるという事実を無視しているのである。つまり、大部分の左翼的・進歩的個人でさえも、官僚制度の中に置かれれば官僚になってしまうのだ−−そして、我々は、腐敗の問題は、役員に支払われている高い給料から生じるのではなく(無論これも一要因ではあるが)、組合員に対する権力(これが、部分的に、高給に反映されているわけだが)から生じていると記しておかねばばなるまい。

立場と結びついた高給を取ることを拒否する「急進的」常勤役員を選ぶことが良い、という主張は誤っている。変えられるべきは、ヒエラルキー的労働組合構造の性質であって、その副作用ではない。左翼は、ヒエラルキーそれ自体に問題を感じていないからこそ、この種の「改良」を支持しているのである。彼らは、組合員が指導部にいかに依存していようともその効果をなくしたいとは実際には思っておらず、「より良い」指導者(つまり、自分自身か、その党の党員)を現在の指導者と置き換えたいと思っているのであり、従って、組合員のために行動する労働組合官僚制をいつまでも要求し続けるのである。このようにして、彼らは、労働組合主義者が、「より良い」指導部−−つまり自分たち−−を支援する必要があると思っているのだ。アナキストは、全く逆で、問題は、労働組合の指導部が弱体化し右翼化することでも、行動しないことでもなく、組合員がそれに従うことだと考える。従って、アナキストは、一般組合員による自主活動を促し、ヒエラルキー的指導部それ自体が悪いのであり、個々の指導者が問題なのではないという意識を促すことで、(左翼であろうと右翼であろうと)指導者への依存をなくそうとしているのだ。

上からの「改良」(これは初めから失敗することが分かっている)ではなく、アナキストは下から働きかけ、労組の一般組合員に権能を与えようとしているのである。力・発意・管理を作業現場の一般組合員が持てば持つほど、官僚制に頼らずにすむのだ。だからこそ、アナキストは、実際に横たわっている労働者の力−−生産時点での力−−を増加させるために、労働組合内外で活動するのである。これは、通常、アナキスト思想を労働者仲間に広める活動のネットワークを創造することでなされる(次のセクション、「産業別ネットワークとは何か?」を参照)。

『労組内部にある』こうしたグループは、『ボスとの闘争について連帯しているというただ一つのことだけを条件にして、(労働組合が)労働者の意見がどのようなものであれ、政党がどのようなものであれ、その全ての労働者に対して確実に開かれ続けているように努力しなければならない。それらは、資本家の精神に敵対し、労働や組織を独占しようという試みに敵対しなければならない。労働組合が政治家の選挙などのような権威主義的目的の道具になり果てることを防がねばならない。直接行動・権力分散・自律・自由発意を伝道し、実践しなければならない。組合員が組織の生活に直接参画し、指導者や恒久的な役員抜きで物事を行う方法を学ぶことができるように援助する努力をしなければならないのである。

『つまり、そうしたグループはアナキストであり続け、いつでもアナキストと密接な関係を保ち、労働者の組織は目的ではなく、どれほど重要であろうとも一つの手段、アナキズムを達成する道を準備する一手段に過ぎないということを肝に銘じておかねばならないのだ。』(エンリコ=マラテスタ著、アナキスト革命、26ページ〜27ページ)

この活動の一部として、アナキストは、我々が前セクションで焦点を当てた産業別労働組合という考え−−つまり、仕事場集会とリコール可能な委員会を通じた、労働者による直接的闘争管理−−を闘争の最中に推し進めるのである。だが、アナキストは次のことを意識している。経済闘争(と労働組合それ自体)は、『目的それ自体では有り得ない。なぜなら、国家の役割を目立たせるために、政治的レベルでも闘争が行われねばならないからだ。』(エンリコ=マラテスタ著、人生と思想、115ページ)つまり、労働者の自主組織と自主活動を促すと同時に、アナキスト集団は、闘争と闘争に参画している人々を政治化しようともする。自主活動と、社会闘争内部での平等者間の政治的論議というプロセスだけが、労働者階級時の自己解放プロセスと、新しく、もっとリバータリアン的な仕事場組織の創造とを確たるものにできるのである。

こうした活動の結果が、新しい仕事場組織形態(仕事場集会やアナルコサンジカリスト組合)になるかもしれないし、既存労働組合を改良しより民主的にしたものになるかもしれない(ただし、既存労働組合を改良できると信じているアナキストはほとんどいないが)。だが、いずれにせよ、その目的は、現在の労働運動にいる多くの組合員をできるだけアナキストにすること、もしくは、最低限、労組と仕事場闘争に、もっとリバータリアン的で急進的なアプローチを持ち込むことなのである。

J.5.4 産業別ネットワークとは何か?

産業別ネットワークとは、革命的産業別労働組合のようなリバータリアン仕事場組織を作るための手段である。産業別ネットワークの考えは、1980年代後期にアナルコサンジカリスト国際労働者協会英国支部が始めたものである。これは、アナルコサンジカリストやアナキストの思想を仕事場で促し、そのことで、産業別労働組合(セクションJ.5.2を参照)の考えに基づいた仕事場運動が拡大し拡充できる基盤を作り出す手段として開発された。

この考えは、非常に単純である。産業別ネットワークは、特定産業において、アナキズムやアナルコサンジカリズムの考え、つまり直接行動・連帯・ボトムアップの組織を支持する闘士の連合なのである(純正アナキスト=ネットワークとアナルコサンジカリスト=ネットワークの違いは後述する)。言い換えれば、これは、「当初は、経済領域における政治的集団であり、その目的は、産業内部で余り受け身ではないポジティブな組織を構築することにある。長期的目標は、(中略)当然、アナルコサンジカリスト組合の創造である。」(階級戦争に勝利する、18ページ)

産業別ネットワークは、一つの仕事場にいるアナキストとサンジカリストの諸集団が産業別に団結することで構成される組織となる。それら諸集団は、定期的な会報などのプロパガンダ手段に資金提供するために、自分たちの資源を一つに纏めるのである。そうしたプロパガンダは仕事場や産業内部で配布される。こうした会報とリーフレットは、仕事に関係した諸問題を提起し議論し、社会的・政治的文脈に仕事場の諸問題を置くと同時にそれらを取り戻し、勝ち取る方法を提起し議論する。このプロパガンダは、一般的なアナキズム思想とアナキズム分析だけでなく、仕事場組織と仕事場抵抗に関するアナキストの考えを提示するようになる。このようにして、アナキズム思想と戦術についてより幅広い人々が耳にすることができるようになり、アナキストは、アナキストとして仕事場闘争について意見を述べることができるのである。

伝統的に、多くのサンジカリストとアナルコサンジカリストは、一つの大きな組合戦略を擁護してきた。その目的は、全ての労働者を労働者階級全体を代表する一つの組織に纏めることであった。だが、今日では、大部分のアナルコサンジカリストと全ての社会的アナキストは、闘争中の意志決定を労働者集会が行うことを主張している(セクションJ.5.2で論じた基本的なやり方である)。アナキスト集団やアナルコサンジカリスト(もしくは革命的)組合の役割は、基本的には、そうした仕事場集会を行うよう呼びかけ、こうした大衆集会による闘争の労働者直接管理を主張し、直接行動と連帯を促し、アナキスト思想と政治を明示し、物事が、いわば沸騰し続けるようにさせておくことになるのである。

産業別ネットワークがこのように支持されているのは、大部分のアナルコサンジカリストが、二重組合(一つの仕事場や一つの国に一つ以上の労組があること)に直面していることを認識しているからである。これは、歴史的に、大規模なアナルコサンジカリスト組合運動が存在した全ての国において、真実であった−−スペインとイタリアにおいては、幾つかのサンジカリスト組合だけでなく、社会主義諸労組なども共存していたのだった。従って、大部分のアナルコサンジカリストは、革命的状況が発展する前に、労働者階級の大多数を革命的組合に引き入れることなど期待できないのである。さらに、アナルコサンジカリストは、次のことを理解しているのだ。革命的労組は『単に、経済的闘争勢力ではなく、政治的文脈を持った組織でもある。そうした労組を構築することは、莫大な労力と経験を必要とする。』(前掲書)産業別ネットワークはその一つの側面に過ぎないのである。

産業別ネットワークは、我々が直面している実際の状況を扱おうとしており、現在の現実から究極の目標に向けて動くための戦略を提供するのである。仕事場に一握りのアナキストとサンジカリストしかいない場合、また、幾つかの仕事場に分散している場合、こうした仲間の労働者を、孤立したもっと一般的な煽動活動に追いやるのではなく、彼らが組合の中で効果的に活動する方法を開発することが明らかに必要である。一握りのアナキストだけではゼネストを有意義に要求することはできない。だが、我々は、産業上の特定問題について煽動し、仲間の労働者をその問題について何か行動を起こすように組織することはできる。そうしたキャンペーンを通じて、一般組合員による労組と直接行動の利点を証明し、仲間の労働者に自分たちの思想は単なる抽象的理論ではなく今ここで実行可能であると示し、新しい組合員と支持者を引きつけ、自分の仕事場で革命的労組を発展させる能力をさらに発達させるのである。

つまり、産業別ネットワークの創造と仕事場集会の呼びかけは、現在我々がいる場所−−非常に少数派であるアナキズム思想とともに−−の認識なのだ。付け加えておけば、労働者集会の呼びかけは、本来、アナキストの戦術ではなく、労働者階級の戦術である。労働者が闘争時に充分な時間を掛けて発達させ使用してきたのである(事実、これが現在の労働組合が創られたやり方だったのである)。同時に、組合員が労働者として直接アピールを行い、効果的代案を作り出すことによりその官僚主義組織と改良主義政策を浮き彫りにすることで、改良主義者と反動労組に責任を負わせるのである。

産業別ネットワークという考えを拒絶するアナキストも少数おり、その人々は、一般労働者グループという考えを支持している。そのグループは、現在の労組がもっと戦闘的で民主的になるように圧力を掛けることを目的としている(アナルコサンジカリストの中には、そうしたグループを使って、労組を、リバータリアンの革命組織へと改良することができる−−「内部からの穿孔」と呼んでいる−−と主張しているものもいるが、大部分のアナルコサンジカリストは、この方法をユートピアだとして退け、労組の官僚制は国家同様に改良不可能だと見なしている)。それ以上に、「一般労働者」グループに反対する人たちは、そうしたグループは、時間とエネルギーを実践的で建設的な活動から引き離し、その代わり、次のことに浪費してしまう、と主張しているのである。『組合構造、(中略)指導部がもっと説明責任を持つことの必要性など、(中略)に対する変化を一貫して論じることで、それらは誤った希望(を提供する)だけでなく、エネルギーと不満とを現実の問題から遠ざかる(ように導いている)−−これこそ、改良主義労組の社会民主主義的特徴である。』(階級戦争に勝利する、11ページ)

「一般労働者」アプローチの支持者たちは、小さな「純正」サンジカリスト組合やアナキスト集団を創ることで、産業別ネットワークがアナキストを大部分の労組組合員から孤立させてしまうのではないか、と恐れている。だが、こうした懸念は、産業別ネットワークの支持者たちから否定されている。彼らは、そうすることが重要な場面では、参加者が少ない非定型の支部ミーティングではなく、仕事場で、労組組合員とともに活動をする、と述べている。従って、

『我々は、労組のその他一般組合員となっている多くの労働者から自分たちを孤立させようとはしない。我々は、労組組合員の大部分は名目上組合員だというだけだ、ということを認識している。それは、社会民主的(つまり、改良主義的)労組の主たる活動は、仕事場の外にあるためなのである。(中略)我々の目的は労働者を団結することであって、分断することではない。

『これまで、次のように論じられてきたものだ。社会民主的労組は、この種の活動に耐えられないだろう。我々は除名され、そして孤立してしまうだろう。それならばそれでも構わない。だが、仕事場の闘士たちが、労働組合とは独立に発言権を見いだし、そのことで、どのみち我々にとって有用ではなくならないかぎり、(中略)このことが生じるとは思わない。我々の目的は、社会民主主義を支持することではなく、それが労働者階級とは筋違いだということを暴露することなのである』(前掲書、19ページ)

双方のアプローチが持つ利点と欠点がいかなるものであれ、産業別ネットワークは、既存労組支部の中で動き、「一般労働者」グループは闘争の代替構造を提供しながら、これら二つの活動は実践の上でオーバーラップしてくるだろう。

上記したように、産業別ネットワークについてアナルコサンジカリスト支持者と無政府共産主義者との間には少しばかり違いがある。これは、産業別ネットワークの機能と目的をどのように見るかに関わったものである。どちらも、そうしたネットワークは、自身の産業内で煽動し、資本主義の搾取と抑圧に対する抵抗を組織するよう大衆集会を呼びかけ支援しなければならない、ということに同意している。だが、ネットワーク集団に誰が参画できるのか、そして、その目的は何であるべきなのかということについては意見が一致していない。アナルコサンジカリストは、産業別ネットワークを永続的なサンジカリスト組合の構築の焦点にしようとし、そのことで、サンジカリスト組合の一般的目的を受け入れた労働者全員に産業別ネットワークを開放しようとしている。だが、無政府共産主義者は、産業別ネットワークを、アナキスト思想を労働者階級の中で増大させる手段だとし、サンジカリスト組合の構築について主たる関心を払ってはいない(多くの無政府共産主義者はそうした発展を支援しているものの、支援していない人たちもいる)。

従って、無政府共産主義者は、戦闘的「一般」労働者のネットワークと共に、仕事場に基づいたアナキスト集団の支部を必要だと見なしているが、他者を装いながら一つになる(something that is one but pretends to be the other)という考えを拒絶している。無政府共産主義者は、そうしたネットワークは、古典的アナルコサンジカリズムの諸問題を回避するどころか、最悪の諸問題の一つ−−つまり、どのようにすれば組織がアナキズム的でありながらも非アナキストに開かれるようにするのか−−を際立たせているように思える、と論じている。

だが、これら二つの立場の類似性は、違いよりも大きく、だから、我々がこのFAQで行っているように、共に纏まることは可能なのである。

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