アナキズムFAQ

J.5 アナキストはどのような代替社会組織を創り出すのか?

アナキズムとは「自分で行動する」(Do-It-Yourself)ということである。住み良い社会を確保するために人々がお互いに助け合うことである。個々人の私的自由を保護し、拡充し、芳醇にすることである。このように、アナキストは今この場で資本主義と国家双方に対する代案を構築することの重要性に敏感に気づいている。実践的代案を創り出すことによってのみ、我々は、アナキズムが実行可能だということを示すことができ、自由の諸テクニックと諸責任を養うことができるのである:

『もし我々が、自分の組織の中でリバータリアン共産主義の諸原理を実践していれば、それを完全に採用するようになるその日には、もっと進歩し、もっと準備万端になっていることだろう。』(グラハム=ケルセイ著、アナルコサンジカリズム・リバータリアン共産主義・国家、79ページに引用されたC.N.T.メンバーの言葉)

古い世界の殻の中で新しい世界を創り出すことにより、我々は、個々人が自分の関心事を管理でき、それを行う自分の能力を発展させる環境を創り出す手助けをするのである。つまり、我々は、現行システムに対する社会闘争を促進し支援しながら、より良い社会の土台を敷く「アナキズムの学校」(schools of anarchism)を創り出すのである。間違ってはならないが、我々がこのセクションで論じる代案は、直接行動や社会闘争の必要性に取って代わりはしない。それらは、究極的には置き換えられることになる資本主義社会内部で、社会闘争がアナキズム諸傾向を構築し強めることを可能にする枠組みなのである。

したがって、アナキストが、生活を、資本主義の下でもっと耐えられるようなものにするとか、資本主義の下でもっと楽しめるようなものにさえするといったことに無関心だと考えることは誤っている。自由社会は、無から生じることはない。社会闘争と社会組織の長い歴史と共に個々人と地域社会が創り出すものなのである。したがって、ヴィルヘルム=ライヒが次のように指摘しているのは正しいのだ:

『全く明らかなことだが、「自由な個々人」から成立し、「自由な地域社会」を構成し、それ自体をそれ自身で管理している、つまり、「自己を統治している」社会が、天意によって突然創り出されることなどない。有機的に進化しなければならないのだ。』(ファシズムの大衆心理、241ページ)

そして、アナキストが資本主義社会内部でアナキスト代案を創造しているときに促しているのは、この有機的進化なのである。アナキストが生み出す代案(職場での組合であれ、地域の組合であれ、協同組合であれ、相互銀行であれ)は、ある種の共通した特徴を持っており、それは例えば、自主管理されていること、平等と権力分散に基づいていること、相互扶助と連帯に基づいた連邦的ネットワークの中で他のグループや協会と共に活動すること、などである。言い換えれば、これらが、精神においても構造においてもアナキズム的なのであり、そのことで、現在そうあることと可能なこととの実践的架け橋を創り出すのである。

そして、アナキストは、代案の構築を、資本主義下における自身の活動の鍵となる側面だと見なしている。なぜなら、あらゆる形態の直接行動同様に、これらは「アナーキーの学校」であり、また、自由社会への移行をもっと容易にするからである。マラテスタによれば、『その利権を擁護するために組織は作られているが、労働者は自分が被っている抑圧の意識と、経営者と自分たちとを分断する敵対心の意識を発達させ、その結果として、よりよい生活を熱望し始め、集団的闘争と連帯性に慣れるようになり、資本主義体制と国家体制の中で可能な改善を勝ち取るのである。』(アナキスト革命、95ページ)「アナーキーの実践」のはっきりとした実例を創り出すことで、我々は、我々の思想が実際的だということを示すことができ、「良い実例」を使ってアナキズム思想を人々に納得させるのである。したがって、FAQのこのセクションでは、アナキストが支援している様々な代案と、我々がそれらを支持している理由を示す。

この活動に対してアナキストが取るアプローチは、社会的組合主義と呼ぶことができよう−−メンバーの生活のある種の側面(究極的には、全側面)に変化をもたらす諸グループの集合的行動である。「社会的組合主義」は、多くの様々な領域で様々な形を取っている(その中の全てではないが、いくつかはここで論じられる)。だが、集団的直接行動・自主組織・自主管理・連帯・相互扶助という同じ基本的側面は共有しているのである。こうした「社会的組合」は(過去の労働運動同様に)『労働者の志気を高め、全ての人の幸福を求めた闘争の中で自由な発意と連帯に労働者を慣らせ、アナキズム的生活を労働者が想像し・願望し・実践することができるようにする』(エンリコ=マラテスタ著、アナキスト革命、28ページ)手段としてみなされるだろう。

この議論の中ですぐにはっきりしてくるだろうが(まるで、これまではっきりしてこなかったようだ!)、アナキストは自助の断固たる支持者なのだ。この言葉は、最近、残念ながら右翼が(自由という言葉同様に)堕落させてしまった。「自由」同様、「自助」は、この表現を本当に主張してはいない右翼の支配から救い出されねばならない。実際、アナキズムは労働者階級の自助から創り出され、その自助を基盤としていたのだ。『労働者階級の解放は、労働者階級自身の仕事でなければならぬ』という第一インターナショナルの有名なスローガンから他の解釈が生じるだろうか?つまり、アナキストは、自分たちの問題が何かを自分で明らかにし、それを解決するために行動するという労働者階級の能力に大きな信頼を置いているのだ。

様々な代案をアナキストが支援し促すことは、この自主解放プロセスの鍵となる側面であり、だからこそ、アナキズムの鍵となる側面なのである。ストライキ・ボイコットなど目立った直接行動は、社会的代案を創設し構築するという長期にわたる困難な課題よりもセクシーに見えるかも知れない。だが、これらは、「目立った」諸活動を支援するためのインフラストラクチャーであると同時に、新しい世界を創造する土台なのだ。だからこそ、アナキストが支援し、構築している代案に焦点を当てることは重要なのである。ここで我々が論じる様々な代案は、古い殻の中で新しい世界を構築するプロセスの一部なのである。そこには、防衛的・支援的なもの(協同組合や相互銀行のような)と同時に、もっと戦闘的な諸組織(地域組合と仕事場での組合のような)に参画することも含まれているのである。戦闘的な組織は反逆精神を創造し、アナキスト社会を創造する可能性を創り出す上で最も重要ではあるが(これは、闘争を援助する支援組織の成長に反映されるだろう)、どちらも階級闘争でそれぞれの役割を持っているのだ。

我々は、同時に、アナキストは、我々が創造しようとしている諸代案の基盤として、社会闘争の内部にある「自然の」諸傾向を調査していることを強調しなければなるまい。クロポトキンが述べているように、アナキズムは『社会で既に生じている進化の諸傾向の分析と、そこからの将来に関する帰納法に』基づいている。アナキズムは『権力を求めた少数派から自分のみを守るために、共通の立法諸機関を発展させようとしている民衆自身の創造的、教育的力を(中略)代表』しているのである。言い換えれば、アナキズムは、労働者階級の自主活動によって創り出されるこうした諸傾向に基づき、資本主義内部で発展しているものの、資本主義とは敵対しているのだ−−こうした諸傾向は、労働組合や様々な形での職場闘争・協同組合(生産と信用貸し)・リバータリアン学校などのような組織形態で表現される。アナキストにとって、アナキズムは、『民衆の間で、現実生活の闘争の中で生まれたのであって、学者の書斎で生まれたのではない。』そして、『民衆の建設的、創造的な活動(中略)と抗議行動−−(共同体の)諸機関(中略)に押しつけられてきた外的力に対する叛逆−−に』その起源を持っているのである(クロポトキンの革命的パンフレット、158ページ、147ページ、150ページ、149ページ)。この「創造的活動」は、職場での階級闘争を創り出している諸組織に表現されており、その内のいくつかについてはFAQの本セクションで扱う。従って、アナキストが支援する諸代案は、ヒエラルキーに対する社会闘争や労働者階級の反抗と無関係に見てはならない。事実は逆であり、そうした代案はほとんどいつでもその闘争の表現形態なのだ。

最後になるが、ここで、我々が挙げる諸代案には、アナキストが創造する全ての組織形態がリストされているわけではない、ということを示しておく。例えば、我々は、ある問題や改良に対して反対だとか賛成だとかのキャンペーン行う連帯グループと組織は取り上げなかった。アナキストは、そうした組織を好ましいとして、アナキスト思想・戦術・組織形態を広めるためにその内部で活動する。だが、アナキストはそうした諸組織と闘争を無視しすることはないが、圧力団体(非常に効果的なのだが)は、ここで我々が示すものほどの永続的変革の枠組みを作り出すことなどないのである(こうした「単一争点」キャンペーンについてはセクションJ.1.4とJ.1.5を参照)。

また、「計画的コミュニティ」と呼ばれるものも取り上げてはいない。これは、個々人からなる一群が、資本主義の中で不法占拠をしたり、土地などのリソースを購入したりして、その場所で自身でアナキスト=コミューンを創り出すのである。大部分のアナキストは、資本主義と国家は無視すべきものではなく、戦わねばならないものだとして、この考えを拒絶している。さらに、その規模が小さいために、共同体生活での実験が実行可能だった試しはなく、ほとんどいつも短期間で失敗に終わってしまうものだ(こうしたコミュニティ、象徴的なものとして見なせば、こうした構想に対するクロポトキンの態度は、グラハム=パーチェス著、進化と革命、122ページ〜125ページにうまく纏められている)。ドロップアウトが資本主義と国家を止めることはない。そうしたコミュニティはシステムを無視しようとするだろうが、システムがコミュニティを無視することはないといずれ分かる羽目になる−−そうしたコミュニティは、好むと好まざるとに関わらず、資本主義の競争的圧力と生態系に対する圧力に支配されるのである。

従って、我々がここで論じる様々な代案は、資本主義内部でアナキストの代案を創り出そうとし、その目的は変革する(革命的手段によってであれ、進化的手段によってであれ)事なのである。様々な代案は、資本主義と国家に対する挑戦を基盤にしており、ドロップアウトをすることでそれらを無視するのではないのだ。日常生活と関連した直接行動と代案構築プロセスだけが、自分自身と社会双方を革命的にでき、変革できるのだ。

J.5.1 地域組合主義とは何か?

地域組合主義は、我々の造語であり、国家の内部で参加型地域社会(古典的アナキズムでは「コミューン」と呼ばれていた)を創り出すプロセスのことを指している。

基本的に地域組合は、地域社会の関心ある成員が、自分の地元地域で見られる不当行為に対抗し、地元地域の中で改善を求めて戦う組織を作ろうと決意して創設するものである。地域組合は、住民が自分たちや他の人たちに影響する諸問題を提起でき、そうした諸問題を解決する手段を提供できるフォーラムなのである。従って、地域組合は、地元の人々が自分の地域社会生活に直接参画し、自分たちが個々人として、そしてもっと広い社会の一部として直面している諸問題を共同で解決する手段なのだ。その結果、政治は、特定の人々だけ(つまり政治家)が行う専門的活動へと分離されないのである。逆に、政治は地元地域の共同のものとなり、日常生活の一部となり、全員の手中にあるものとなるのだ。

想像できるだろうが、アナキスト社会で存在すると思われる参加型地域社会のように、地域組合は、その成員による集団集会に基づくであろう。集会では、成員に影響する諸問題が議論され、それらに対する解決方法が議論される。将来のアナーキーコミューンのように、こうした地域組合は、他の地域の組合と共に、共同活動を調整し、共通の諸問題を解決するための連邦を形成するであろう。こうした連邦は、基本的組合集会それ自体同様、直接民主主義、委任された代理人、成員の意志決定が遂行されていることを調べるための行政的活動委員会に基づくのである。

地域組合は、ストライキなどの社会的プロジェクトの資金集め、ピケやボイコットの組織編成、闘争での人々の支援一般を行うこともできるであろう。自分たち自身の直接行動形態(例えば、税金と家賃に対するストライキや環境保護の抗議行動など)を組織することにより、国家と資本主義企業が現在提供している有効な諸機能に取って代わる協同組合の自主管理型インフラストラクチャーを建設しながら、国家を弱体化できるのである。

さらに、国家と資本主義企業に対する抵抗を組織することに加え、こうした地域組合は、資本主義内部でオルタナティブ経済を創り出すための重要な役割を演じることもできるだろう。例えば、そうした組合は、組合に関連した相互銀行や信用組合を持つこともできるだろう。そのことで、自主管理型協同組合や社会サービスや社会センターを作るために必要な資金を集めることができるようになるのである。このように、共同体化された協同組合部門は、地域組合とその協同組合銀行の共同体的連邦と共に発展できるのである。

こうした地域組合は、近年、労働者階級に対する非常に悪辣な攻撃と戦うために、多くの国々で作られてきた。英国では、国内の町内会でグループが創り出され、保守政府が行った地域課税(人頭税として一般に知られている)に対する不払い運動を組織した。こうしたグループと組合の連合が、闘争を調整し、資源を引き出すために創り出されが、最終的には、政府が嫌われ者の税制から手を引き、サッチャーを政権から引きずりおろす手助けをしたのだった。アイルランドでも、同様の不払いキャンペーンを使って水道産業の民営化を打倒するために、同様のグループが作られたのだった。

だが、こうしたグループのほとんどは、それが地元地域に権能を与えるためのもっと広範な戦略の一部だとして受け取られてはいない。それでもごく少数だが、そうした戦略は潜在的に可能だということを示しているものもあるのだ。この可能性は、欧州での地域組織の二つの実例で見ることができる。一つはイタリアで、もう一つはスペインである。

イタリアでは、アナキストが、Spezzano Albanese(イタリア南部)で底辺の自治体連合(Municipal Federation of the Base: FMB)を非常にうまく組織している。この組織は、(ある活動家の言葉によれば)『市役所の権力に対する代案』であり、『未来のリバータリアン社会がどのようになり得るかをかいま見させて』くれる。連合の目的は、『この地域でのあらゆる関心事を纏めることである。自治体レベルで介入することで、我々は、労働の世界だけでなく、地域社会の生活にも参画するようになっている。(中略)FMBは、(市役所の諸決定に対する)様々な対抗計画を作っている。この諸計画は議会に提出されはしない。民衆の意識レベルを高めるため、この地域での議論で提議されるのである。好むと好まざるとに関わらず、市役所は、こうした様々な計画に責任を負わねばならないのだ。』(「イタリア南部の地域組織作り」、pp. 16-19、Black Flag、no. 210、 p. 17、 p. 18)

このようにして、地元の人々は、自分と地域が何を達成するのかを決定することに参画し、地方・全国・国家に対抗する自主管理型「二重権力」を創り出しているのである。地元の人々は、自主管理型地域集会に参加することで、自分自身の事柄に関与する能力とそれを管理する能力を発達させ、その結果、国家は不要であり、自分たちの利益にとって有害だということを示している。さらに、FMBは、内部にある協同組合をも支援し、共同体所有で自主管理型の経済部門を資本主義内部に創り出している。こうした発展が、資本主義経済での孤立した協同組合が直面する諸問題を減少させる手助けをする−−セクションJ.5.11を参照−−のであり、協同組合が直面しているこうした諸問題に対して、『解決を模索するため、全ての動向、全ての問題と矛盾を一つに纏めようとする』(前掲書)ために、能動的に活動してきたのだ。

欧州の別な場所、スペインでは、CNTが、長く苦しい活動を経て、カディス近郊のプエルト=レアル地域に、大規模な村落集会を産み出した。その地域集会は、造船所の労働者による産業闘争を支援するためにできたのだった。あるCNTメンバーが説明しているように、『毎週木曜日、この地域の町や村で、全村集会が開かれていた。ここでは、造船所の労働者であろうと、女性であろうと、子供であろうと、祖父母であろうと関連しうる(造船所の合理化という)特定の問題に誰もが関係していたのだ。(中略)そして、実際に、何をこれから行うのかということについての意志決定プロセスで、投票し、参画したのだった。』(プエルト=レアルのアナルコサンジカリズム:造船所の抵抗から直接民主主義と地域管理へ、6ページ)

こうした民衆の入力と支援とともに、造船所の労働者はその闘争を勝ち取った。だが、集会は、ストライキの後も継続し、健康・課税・経済・生態系・文化の諸問題を含んだ『地元地域にある12の別々な組織をうまく連結させたのである。それらの組織は全て、資本主義の様々な側面との(中略)闘争に関心を持っていたのだ。』それ以上に、闘争は、『意志決定がトップでなされ、決定事項が下にしみ出てくるという、政治政党が持つ構造とは全く異なる構造を産み出した。意志決定を底辺で行い、上に持ち上げる、これがプエルト=レアルでうまく達成したことなのである。』(前掲書)

このようにして、下からの草の根運動が、直接民主主義と直接参加と共に構築され、ヒエラルキーなしで民衆が自分で物事を直接的に決定しながら、本来の地元政治文化の一部になったのである。こうした発展こそ、強力でダイナミックな地域生活を伴う、直接民主主義と直接参加を中心とした世界の胚種構造なのだ。だからこそ、マルティン=ブーバーは次のように論じていたのである。『人間集団が、共通の事柄を管理するにあたって代表者を立てれば立てるほど、(中略)その中には共同体生活が少なくなり、地域社会として貧弱になっていく。』(ユートピアへの道程、133ページ)

共同体的自主管理の手段を創り出すことで、地域組合主義をアナキストが支援し、勇気づけることは、国家と資本主義に抵抗するために必要な組織形態を構築するだけでなく、地域を芳醇にする手助けをすることにもなる。このようにして、我々は、(願わくは)国家に置き換わる反国家を構築するのだ。それ以上に、仕事場での集会(プエルト=レアルのような)を伴う地域組合主義は、闘争に打ち勝つことに非常に効果的に役立つ相互支援ネットワークを提供する。例えば、1916年のスコットランドのグラスゴーで大規模な家賃不払いストが最終的に勝利を収めたのは、労働者が家賃不払いのために逮捕されたスト参加者を支援するためにストライキを開始したときだったのだ。

こうした発展は、イザック=プエンテの以下の主張が正しかったことを示しているのである:

『リバータリアン共産主義は、国家抜きで、私的所有抜きで組織された社会である。この目的のために何かを発明したり、新しい組織をひねり出したりする必要はない。将来の生活が何を中心として組織されるかということは、今日の社会の中に既に存在するのだ:自由な労働組合と自由な自治体(つまり、コミューン)にである。
労働組合:ここでは、工場労働者と集合的搾取が行われているあらゆる場所の労働者が自発的に結合する。
自由な自治体:その起源を太古の昔に持っている集会であり、ここでもまた集落や小村の住民が自発的に結合し、その地方の社会生活における諸問題の解決方法を提示する。
『どちらの組織も、連合主義と民主主義の原理に基づいて運営され、その意志決定において主権者となるであろう。より高次の団体に世話になることもない。産業諸連合で組織されている連絡通信団体に対する経済要件に示されているように、お互いに連合するということだけが義務なのである。
労働組合と自由自治体は、現在、私的所有下にある(が、集合的に使用されている)全てのものの集合的所有、もしくは、共同所有を前提としており、それぞれの地域に合わせて生産と消費を(つまり、経済を)調整するであろう。
『二つの言葉(共産主義とリバータリアン)を一つにしてしまうという正にそのことが、それ自体で、二つの思想の統合を示しているのだ:その一つは集産主義、つまり個々人の独立性をいかなるかたちでも損なうことなく、その貢献と協働を通じて全体調和をもたらす傾向であり、もう一つは、個人の独立性が将来も尊重され続けるということを再保証しようとする個人主義なのである。』(リバータリアン共産主義、6ページ〜7ページ)

地域組合主義と産業別労働組合(次のセクション参照)との結合が、アナキスト社会創造の鍵となるであろう。地域組合主義は、国家内部で自由コミューンを創り出すことにより、我々が自分たち自身の事柄を管理し、一人に対する損害は全員に対する損害だと見なすことに馴染むことができるようにしてくれる。このようにして、社会的な力が国家に敵対するように創り出されるのである。町の議会はそれでも政治家の手中にあるかもしれないが、町の議会も中央政府も、地域組合と地域集会で表明され、組織されるなら、民衆の反応がどのようなものになるかを気に掛けずに動くことなどできはしないであろう。

J.5.2 何故アナキストは産業別労働組合を支持するのか?

単に、それが効果的だからであり、アナキスト社会では産業がどのように組織されるのかについてのアナキストの考えを示しているからであり、資本主義の抑圧と搾取を終わらせる鍵となる手段だからである。マックス=シュティルナーは次のように指摘している。『労働者は、最も莫大な力をその手している。そして、その力を徹底的に意識し、利用するようになれば、労働者に抵抗できるものなど何もないのだ。労働者は、労働を止め、労働の産物を自分たちのものだと見なし、それを享受すればよいだけなのである。これがあちこちで現れている労働混乱の意味なのである。』(唯一者とその所有、116ページ)

リバータリアンの仕事場組織は、この力を組織し行使する最良の方法である。だが、アナキストが産業別労働組合を支援する理由を論じる前に、アナキストが支持する労働組合のタイプは、英国のTUCや米国のAFL-CIOのような改良主義・企業組合と関連しているものとはほとんど何の共通性も持っていないことを指摘しておかねばなるまい(詳細は次のセクションを参照)。

こうした組合では、アレキサンダー=バークマンが指摘しているように、『一般組合員はほとんど何も口出しできない。一般組合員は、指導者に自分の力を譲渡し、組合指導者がボスになっている。(中略)そのようにしてしまえば、自分が譲渡した力が、いつ何時でも、自分と自分の利益に対して行使される可能性を持つことになるのだ。』(アナキズムのABC、58ページ)改良主義組合は、仕事内容ではなく、産業毎に組織を作っている場合であっても、頭でっかちで官僚主義的なのだ。従って、改良主義組合は、資本主義の会社や国家−−いずれも、トップにいる役員は、底辺にいる人々とは異なる関心を持っている−−と同じやり方で組織を作っているのである。アナキストがそうした組合主義形態を組合員の利益に逆らっているとして敵対するのは不思議なことではない。労働組合役員がその組合員を裏切ってきたのには長い歴史があり、それがこのことを充分証明しているのだ。

従って、アナキストは、別種の仕事場組織を企図している。それは、現在主流の労働組合とは全く異なるやり方で組織されるものである。この新しい種類の組織を産業別労働組合(多分、産業別サンジカリズムとか仕事場集会の方が、紛らわしくなく、よりよい名前なのかも知れないが)と呼ぶことにする。

産業別労働組合は、労働者が直接的に自分の組織と闘争を管理すべきだ、という考えに基づいている。従って、仕事場での集会を基盤としており、同じ地域にある様々な仕事場間での連合だけでなく、同じ産業内での個々の仕事場間での連合に基づいているのである。産業別労働組合は、一種別の産業にいる全ての労働者を一つの団体へと組織した組合である。つまり、実際の仕事内容に関わらず、全労働者が一つの組合にいることが望ましいとしているのである。例えば、建設現場にいるレンガ積み職人・配管工・大工などが皆、建築労働者組合の組合員になるといった具合である。組合は、それぞれの仕事内容毎に、組合内部にそれ自身のセクションを持つ(例えば、配管工が、仕事内容と関連した諸問題を議論できるように)が、中核となる意志決定の焦点は、仕事場で雇用されている労働者全員の集会になる。全員のボスが同じなのだから、同じ仕事場の人々が一つの組合にいることは論理にかなっているのである。

だが、産業別組合は、労働者が組合に強制的に加入させられるといったクローズドショップ制と混乱してはならない。アナキストは全ての労働者が一つの組織で団結してほしいと思っているものの、労働者がある組合を離れ、別な組合に加入できることは極めて大切なのである。クローズドショップ制は、組合の官僚に力を与えるだけであり、組合官僚に組合員を管理する(もしくは無視する)権限をより多く与えるだけである。アナキストの労働組合には官僚がいないのだから、クローズドショップにする必要はない。組合が組合員の希望に敏感であるためには、組合で「発言」しやすいだけでなく、組合を「離脱」しやすくなっていなければならい。そのためには、組合の自発的性質が大切なのである。

アルバート=メルツァーが論じているように、クローズドショップ制は『(労働組合の)指導部が、組合員を除名する権利を一旦行使すれば、その人は組合を辞めるだけでなく仕事も辞めてしまうことになるため、指導部が全権を有する』ことを意味する。従って、アナルコサンジカリズムは『クローズドショップ制を拒絶し、自発的な組合員制を重んじ、そのことでいかなる指導部も官僚制も回避しているのである。』(アナキズム:賛成論と反対論、56ページ−−また、こうした問題に関する十全な議論は、思想と行動誌、第11巻、1989年秋号掲載の「何故組合官僚制は存在するのか?」シリーズ第3部にあるトム=ウェッツェルの優れた論文、「ユニオンショップの起源」を参照)自発的な組合員制なくしては、大部分のリバータリアン組合でさえも、官僚主義的になり、その組合員の欲求と階級闘争に鈍感になるかもしれないのである(アナルコサンジカリスト組合であっても、ヒエラルキー的資本主義経済内部で働かねばならないために、ヒエラルキーの影響を受けてしまう。たとえ、自発的組合員制が、リバータリアン構造と戦術とともに、こうした諸傾向と戦う手助けをしてくれるとしても−−セクションJ.3.9を参照)

だからといって、明らかに、アナキストによるクローズドショップ制反対論は、ボスや保守派や右翼リバータリアンの反対論と何の共通点も持ってはいない。こうした人々は、労働者に労働組合加入を強制することを非難する一方で、労働者に対するボスの力を何も考えずに支持しているのである(実際、ボスによるセクハラなどの抑圧的行動が正当化されていることを考えれば、仕事を確保するために労働者が企業の組合に参加しなければならないことをボスが大喜びで支援していることは想像に難くない−−こうした「自由」の擁護者たちが反対を提起するのは、ボスが強制的組合加入を嫌っているときだけなのである)。クローズドショップ制に対するアナキズムの反対論は、(組合官僚制度に対する反対論同様に)アナキストがヒエラルキーと権威主義的な社会的諸関係に反対していることから生じている。右翼の反対論は、純粋に、その資本主義賛同・権威賛同という立場の産物であり、労働者が労働時間中に二人(特に、この第二の者がある程度まで労働者の利益を代表しなければならないとすれば)ではなく、一人のボスにだけ従う様を見たいと思っているのである。一方、アナキストは、労働時間中に全てのボスを排除したいと思っているのだ。

産業別労働組合において、組合員の資格は、労働の現場で集会を開き、いつストライキを行うのか・賃金ストをいつ行うのか・どのような戦術を使うのか・どのような要求を行うのか・どの問題をめぐって戦うのか・ある行動は「公式的」なのか「非公式的」なのかを決めるためのものである。このようにして、一般組合員が自分の組合を管理するのであり、他の組合集会と連合することで、各人の力を他の仕事仲間と連携するのである。サンジカリズム活動家のトム=ブラウンは次のように明確に述べている:

「シンジケートの基盤は、その仕事場で召集された大規模な労働者ミーティングである。(中略)このミーティングは工場委員会と代理人を選ぶ。工場のシンジケートは、地元にある様々な工場委員会全てと連合する(中略)他方、工場は、例えばエンジニアリングの工場は、地区エンジニア連合に加盟している。そして、地区連合は、全国エンジニア連合に加盟しているのである。(中略)そして、それぞれの産業別連合は、全国労働者連合に加盟している。(中略)そうした委員会のメンバーがどのように選ばれるかが最も重要なのである。まず第一に、委員会メンバーは、自分の意見を吹聴している国会議員のような代表者ではない。自分を選んだ労働者のメッセージを運ぶ代理人なのだ。代理人が何が「公式的」政策なのかを労働者に話すことはない。労働者が代理人に話すのである。

代理人は、自分を選んだ人々によって即時的リコールを受ける。継続して2年間以上代理人の座につくことはできず、次に指名されるまで、4年間経過していなければならない。代理人として賃金を払われることは滅多になく、支払われるのは、その地区のその産業での賃金だけである。

シンジケートにおいては、メンバーが組織を管理する−−官僚がメンバーを管理するのではなく−−であろう。労働組合では、ピラミッドの上に行けば行くほど、その人は行使する権力を持つようになる。シンジケートでは、上に行けば行くほど、権力を持たなくなるのだ。

工場シンジケートは自身の事柄について十全なる自律性を持っているのである。(サンジカリズム、35ページ〜36ページ)

既にお分かりだと思うが、産業別労働組合は、アナキズムの組織的考えを反映しているのである。下から組織され、地方分権的で、連合に基づき、大衆集会にいるメンバーが直接管理するのである。これは、産業に適用されたアナキズムであり、階級闘争の必要性に適用されたアナキズムなのだ。こうした組織形態を支援することで、アナキストは、「実行中のアナーキー」を理解するだけでなく、階級戦争に勝つための効果的ツールを作り出しているのである。このように組織を作ることで、労働者は資本主義内部で協働的社会の枠組みを構築する。ルドルフ=ロッカーはこのことを以下のように明示している。

シンジケートは(中略)その目的として、既存社会内部で生産者の利益を防衛し、社会生活の再構築の準備をし、実際に実行する。(中略)従って、シンジケートは二つの目的を持っているのだ。(1)雇用者と戦う戦闘的労働者組織として、生活水準の保護を求めた労働者の要求を強化すること;(2)労働者の知的訓練の学校として、労働者が生産と経済的生活全般に関する管理技術を熟知するようになること。(アナルコサンジカリズム、51ページ)

労働組合が弱体化し、無用のものとして扱われる(労働組合自身の戦術・構造・政策がその理由の一部である)につれ、世界中で労働者の賃金が停滞してきた(良く見積もっても、生産性が増大している裏で賃金は落ち込んでいる)という事実を考えれば、労働者が自分自身を守るために組織を作る必要は大いにある。我々が慣れ親しんでいる中央集権的でトップダウンの労働組合は、効果的な闘争を行うことができないと証明されているのだ(実際、労働組合が闘争を妨害してきた回数は数え切れないほどあり、その理由は、「悪い」指導者のためだけでなく、こうした組合が組織を作るやり方と資本主義内部でのその役割のためでもある)。従って、アナキストは産業別労働組合(労働者集会間の協働)を、公式的労働組合主義の停滞に対する効果的なオルタナティブとして支援しているのである。アナキストが、そうした仕事場組織・仕事場闘争の新しい形態を、どのように勇気づけているのかについては、次のセクションで論じる。

確かに、多くの急進主義者は、そのような地方分権型で連邦的な諸組織が混乱と不和をもたらすと考えている。だが、アナキストは、国権主義的で中央集権的な労働組合組織は、参画ではなく無関心を、連帯ではなく薄情さを、団結ではなく画一性を、平等ではなくエリート主義をもたらすと主張する。独立した行動を全く許さず、死んだような規律と官僚主義的無感覚によって個人のあらゆる発意を殺していることは言うまでもない。古い形の組織は、何度も試みられてきたが、いつも失敗していたのだ。労働者がこのことを知るのは早ければ早いほど良いのだ。

最後にもう一点。多くのアナキスト、特に無政府共産主義者が、組合は、アナルコサンジカリスト組合であっても、強力な改良主義的傾向を持っていると見なしている(セクションJ.3.9で論じたように)ことについて述べておかねばなるまい。だが、全てのアナキストは、自律的な階級闘争の重要性とその闘争を戦う手助けとなる組織の必要性を認識している。従って、無政府共産主義者は、産業別労働組合の組織を作るのではなく、産業別労働組合の考えを職場闘争に適用しているのである。つまり、無政府共産主義者も、全ての労働者を大衆集会へと組織し、ストライキ参加者の希望を実行するリコール可能な行政委員会を選ぶことの必要性については同意しているのである。そうしたアナキストが、自分たちの実践的思想を「アナルコサンジカリズム」と呼んではいないし、自分たちが作り出したいと思っている仕事場集会を「組合」と呼んでもいないだけのことで、本質的に極度に似通っているのだから、双方について「産業別組合」という言葉を使って議論することは可能である。重要な違いは、多くの(大部分ではないにせよ)無政府共産主義者が、全ての労働者を組織するという目的を持った永続的な仕事場組織は、すぐに改良主義になるだろうと見なしている、ということなのである。このために、無政府共産主義者は、仕事場組織内部でアナキズムのメッセージを広め、その革命的諸側面を全面に出し続ける(そして、産業別ネットワークを支援する−−このことについては次のセクションを参照)ために、アナキストがアナキストとして組織を作ることが必要だと考えるわけである。

言葉の使い方と実践方法について多少違いがあるものの、全てのアナキストは、我々が上で概観したような産業別労働組合の考えを支持するであろう。

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