アナキズムFAQ

I.5 アナーキーの社会構造はどのようなものになり得るのか?

 アナーキーの社会的・政治的構造は、その経済構造に類似している。つまり、分権型で直接民主主義的な政策決定団体の自発的連合に基づく。それらは、町内集会と地域集会、そしてその連邦である。こうした草の根政治ユニットの中で、「自主管理」の構想は「自治」の構想になる。これは官僚主義国家と資本家階級(官僚主義国家はこの階級の利権に奉仕している)から民衆が自分の生活場所の管理を取り戻す自治体組織の一形態である。
 『新しい経済的局面は新しい政治的局面を求める』とクロポトキンは論じていた。『(リバータリアン)社会主義者が夢想したのと同じぐらい深遠な革命が、時代遅れの政治生活の型を受け入れる事などできない。条件の平等、労働手段の集団的所有に基づいた新しい社会は、代議制システムに一週間と耐えることはできない。社会革命を欲するならば、経済を組織する新しい方法に対応する政治組織形態を求めねばならない。未来は自由な利益集団に属するのであって、政府の中央集権化に属するのではない。自由に属するのであって、権威に属しているのではないのだ。』[Words of a Rebel, pp. 143-4]
 アナキズム社会の社会構造は、現行システムと正反対のものとなろう。国家のような中央集権型でトップダウンのものとは異なり、分権化され、下から上へと組織されるであろう。クロポトキンは次のように論じていた。『社会主義はもっと大衆的に、もっと地方自治主義的に、そして選挙で選ばれた代表者を通じた間接的政府に依存しないようにならねばならない。もっと自治的にならねばならないのだ。』[Kropotkin's Revolutionary Pamphlets, p. 185] この地方自治システムがどのように構成されるのかについては、アナキストによってその考えが多様であるが、基本的なヴィジョンと原則については完全に一致している。
 分権化と直接民主主義を通じた一般市民の権限拡張は、近代の都市と町に現在蔓延っている疎外と無気力を除去するであろう。そして、(民衆が自由になったときに常に生じることだが)都会の荒れ地を現在悩ませている社会崩壊に対処するための厖大な改革を解き放つであろう。人間味のないヒエラルキー型行政と原子化し孤立した「居住者」を持つ巨大なメトロポリスは、人間的規模の参加型地域社会(「コミューン」と呼ばれることが多い)ネットワークへと変換され、個々の地域社会は独自の性格と形態を持って自治を行い、自治体から生態圏から地球規模まで様々なレベルで他の地域社会との連合を通じて協働的に結び付くであろう。
 もちろん、民衆は「政治」に関心を持っていない、と論じることもできる(そのように論じられてきた)。さらに、この無関心が政府が存在する理由である、と主張する者もいる−−民衆が自分の責任と権力を他者に委任するのは、政治より他にもっとやり甲斐のあることがあるからだ、というわけである。だが、こうした主張は経験的根拠という点で誤っている。セクションB.2.6で示したように、フランス革命と米国革命双方において権力の集中化が生じた理由は、労働者が政治と社会問題にあまりにも多くの関心を示していたからであって、その逆ではなかったのだ(『中央集権型権力を攻撃すること・その特権を奪い去ること・権威を解消することは、自身の事柄の管理を民衆に委ねること・真に民衆革命の危険を冒すことであった。ブルジョア階級が中央集権政府をなおさら強化しようとした理由がこれなのである。』[Kropotkin, Words of a Rebel, p. 143])。
 簡単に言えば、少数者支配を促すために、人民大衆を社会の意志決定プロセスへ参加できないようにすることで、国家は中央集権されるのだ。社会構造が偶然に発展しない以上、これは当然である−−むしろ、社会構造の発展は、特定のニーズと要件を満たすために行われる。支配階級に特有の必要性が支配することになると、大部分の民衆が社会的に無視されることになる。その要件は少数者の権力のためのものであり、これが国家構造(そして資本主義企業)へと変換されるのである。
 この問題に関する歴史的証拠を無視したとしても、アナキストは私たちを取り巻く現在の無気力からこの結論を引き出しはしない。実際、アナキストは、この無気力は政府が存在する原因ではなく、政府が存在した結果だと断じる。政府は、本来、ヒエラルキー型システムであり、普通の人々は意図的に軽んじられている。システムの働きのために人々が感じている無力感は、自分たちがシステムに関して無気力になることを保証する。そのことで、富と権力を持つエリートが、抑圧され搾取された大多数の人々から妨害を受けずに社会を支配できるように保証しているのである。
 さらに、政府は、通常、大部分の人々が全く関心を示さない領域にも首を突っ込むものである。産業や労働者の安全・権利に関する規則のような事については、自由社会では、自身の決定に影響を受ける人々に任せるであろう(例えば、労働者が自分自身を不安全な労働環境にさらされるようにするなど考えにくい)。個人の道徳や行為の問題のような他の事柄については、自由人は関心を持たないであろう(もちろん、他者を害さない限り)。従って、この場合もやはり、自由コミューンで論じられることになる問題の数は減ることになるのである。
 また、分権化を通じて、自由人は、地元の問題を主として論じるようになり、多くの問題と解決策から生じる複雑さを減じることになろう。もちろん、より大きな問題も議論されるが、それらは特定の問題に限られ、国家の立法機関で提起されるものよりも自分たちに特有なことに集中するだろう。従って、中央集権化と、あらゆる問題を論じるという不合理な願望とが組み合わさることで、「政治」が退屈で無意味なものに見えるように手助けをしているのである。
 上記したように、この結果は偶然ではない。「平凡な」人々の社会的無視はブルジョア「民主主義」理論で実際に賞賛されているのである。ノーム=チョムスキーは次のように記している。

 二十世紀の民主主義理論家は次のように忠告している。『大衆はしかるべき場所にいなければならない。』そのことで、『責任ある人』が『当惑した群衆の蹂躙と叫び声から自由に生きる』ことができるようになる。『無知でお節介な素人』の『役目』は、参加者ではなく『行動に興味ある観客』であり、あちこちの指導者階級に自分の影響力を定期的に(選挙で)貸し出し、その後に自分の私的な関心事に戻っていく(Walter Lippman)。民衆の大多数は、『無知で精神的に未完成』であり、『必要な幻想』と『感情的に効き目のある過度の単純化』で飼い慣らしながら、公共の利益のために自身の居るべき場所に留めておかねばならない(Wilson's Secretary of State Robert Lansing, Reinhold Niebuhr)。こうした民主主義理論家の片われの「保守派」は、もっと極端に、正当な支配者である賢人たちにへつらっている−−通常は忘れ去られている些細な脚注、金持ちと権力者に仕えている−−に過ぎない。[Year 501, p. 18]

セクションB.2.6(「中央集権化から誰が利益を得るのか?」)で論じたように、民衆を政治生活から疎外すれば、金持ちが、確実に、自分が適していると思うように自分の権力を行使できるよう「放っておかれる」ことになる。言い換えれば、こうした社会的軽視は、十全に機能する資本主義社会に必要な部分なのである。従って、資本主義の下で、リバータリアン社会構造は、妨げられねばならないのだ。チョムスキーは次のように指摘している。『大衆は、主人の指示によって決められた要因の範囲内で、服従と狭い範囲の個人的利益の追求に価値をおくようにと教えられねばならない。民衆の繋がりと行動を伴う有意義な民主主義は、克服せねばならない脅威なのである。』[前掲書, p. 18] この哲学は、残忍なヒメネス独裁下のベネズエラで米国の銀行家が述べた次の言葉に見ることができる。

 自分の金でしたいことを何でも行うことができる自由がここにある。私にとって、これは、世界のあらゆる政治的自由に匹敵するのである。[Chomsky, 前掲書, p. 99 で引用]

 国家主義に対するリバータリアン代案を阻止することは、現行システムでよく見られる特徴である。民衆を社会的に軽視し、権能を剥奪することで、個人が自分の社会的活動を管理する能力が蝕まれ、弱めらる。「自由の恐怖」が発達し、権威主義的諸制度と「強い指導者」を受け入れる。その結果、自分の社会的軽視が強まるのである。
 この帰結は驚くべき事ではない。アナキストは、参加の願望と参加する能力は共生関係にある、と主張している。参加は自足するのである。参加を可能にする社会構造を創り出すことで、参加は増大する。人々が次第に自分自身の生活を管理するようになると、それを行う能力も増加する。重要な意志決定に責任を持つことに挑むこと、これは同時に個人的発達の機会なのだ。それ以前は無力だと感じていた者が、効果的な参加に必要な資源の入手を勝ち取る力を感じ始め、その資源を利用する方法を学ぶ力を感じ始めること、これは解放的経験なのである。一旦、人が能動的主体になり、自分の生の一面で物事を生じさせるようになると、受動的な客体であり続けることが少なくなり、他の側面においても物事を生じさせることができるようになる。結局、「政治」は非常に重要な主題であるが故に、政治家・金持ち・官僚どもに任せておくなどできないのだ。要するに、政治は、自分の友人・コミュニティ・究極的には自分が生きている惑星に影響を与えるのである。こうした問題を自分以外の誰かに委ねることなど出来はしない。
 従って、自分で自分に権能を与えた個人に基づく有意義な共同生活、これは一つのハッキリした可能性なのである(事実、歴史の中で繰り返し出現してきた)。大多数の人々を社会的に無視し、無力にしているのは、国家主義と資本主義が持つヒエラルキー構造である。増大する社会崩壊・生態系崩壊に直面している現代に蔓延する無力感の根元にはこれがある。だから、リバータリアン社会主義者は、中央集権国民国家に変わる徹底的に新しい政治システム、自治コミュニティの連邦を中心とした政治形態を訴えるのである。言い換えれば、アナキズムにおいて『社会は、諸社会からなる社会である。諸同盟の諸同盟からなる同盟、諸国の諸国からなる国、諸共和国の諸共和国からなる共和国なのだ。』[Gustav Landauer, For Socialism, pp. 125-126]
 こうしたシステムを創造するためには、国民国家を解体し、自己決定・下からの自由で平等な連邦に基づいてコミュニティ間の関係を再構築することが必要となる。以下の下位セクションでは、何故この新しいシステムが必要なのか、そして、このシステムはどのようなものになるのかをもっと詳しく検証する。イントロダクションで強調したように、これらは、社会組織に対するアナキズムからの可能な解決策を示唆しているに過ぎない。大部分のアナキストは、既存国家の崩壊後に、アナキストのコミュニティは非アナキストのコミュニティと共存することになるだろう、と認めている。私たちはアナキストである以上、アナキズムのヴィジョンを論じる。非アナキズムの未来像を描くことについては、非アナキストにお任せする。

I.5.1 参加型コミュニティとはどのようなものか?

 マレイ=ブクチンは『都会化の勃興と市民権の没落 The Rise of Urbanisation and the Decline of Citizenship』『都会化から諸都市へ From Urbanisation to Cities』に再版された)において次のように論じている。近代都市は、資本主義的仕事場の実質的な付属物であり、工場の副産物であり、工場に必要不可欠な対応物である(ここで、「工場」とは、従業員から剰余価値を搾り取るあらゆる事業を意味している)。このように、都市は、多くの人々−−従業員とその家族−−のニーズではなく、主として、資本家エリート−−雇用主−−のニーズに役立つように構築され、運営されている。この観点から、都市は次のように見なさざるを得ない。(1)原材料を輸入し、製品を輸出するための輸送中心地。(2)賃金奴隷の大規模寄宿舎−−これは、その労働を搾取している事業の近くの便利な位置に存在し、娯楽・衣服・医療設備等を提供し、同時に、労働者の行動を統制する強制メカニズムを持つ。
 こうした「市民的」機能は、資本主義支配階級の官僚主義的召使いどもが管理しており、その背後にある考え方は純粋に道具的である。労働者市民は、単に、目的それ自体ではなく、企業の目的に対する手段だと見なされている。この考え方は、近代都市が持つ圧倒的に疎外的な特徴に反映されている。非人間的規模、諸制度と役人の冷然たる非人格性、健康・快適さ・楽しみ・美学的配慮を犠牲にした効率性と「費用対効果」の実利的要求、居住者による商品と娯楽の集団的消費以外のあらゆる現実的な公共的やり取りの欠如、その結果としての社会的孤立とテレビ・アルコール・ドラッグ・ギャングなどへの逃避傾向。こうした特徴は、近代メトロポリスを、その居住者の大部分が切望している本物のコミュニティに対するアンチテーゼにしている。システムの中核にあるこの矛盾こそが、徹底的な社会的・政治的変革の可能性を含んでいるのである。
 この変革に対する鍵は、アナキストの観点からすれば、草の根の町内集会とコミュニティ集会における顔を付き合わせた直接民主主義を通じた自治に基づく参加型コミュニティネットワークの創造である。
セクションI.2.3で論じたように、こうした集会は社会闘争の中で生まれる。従って、闘争と闘争内部にいる人々が持つニーズを反映する。だからこそ、ここでの私たちのコメントは、こうした諸コミュニティが持つ顕著な諸特徴を一般化したものだと見なさねばならないのであって、青写真だと見なすべきではない
 伝統的に、こうした参加型コミュニティはアナキズム理論ではコミューンと呼ばれていた(『アナキズム社会の基本的な社会的・経済的集団は、自由で独立したコミューンである』[A. Grachev, Paul Avrich, The Anarchists in the Russian Revolution, p. 64 で引用])。アナキズム思想の中には、自由コミューンに関して二つの主要概念がある。一つのヴィジョンは仕事場の代理人に基づいたものであり、他方は町内集会に基づいたものである。それぞれを順にスケッチしてみよう。
 バクーニンは次のように論じていた。『未来の社会組織は、専ら、労働者の自由提携や自由連合によって、まず第一にその組合で、そしてコミューンで、地方で、国で、最後に国際的・世界的な大連合へと、下から上へと創られねばならない。』言い換えれば、『全ての労働者協会の連合的同盟がコミューンを構成するであろう。』[Michael Bakunin: Selected Writings, p. 206 and p. 170]
 コミューンに関するこのヴィジョンは、後年多くの革命(1905年と1917年のロシアや1956年のハンガリー)において創り出された。仕事場を基礎とすることで、このコミューン形態は、一日の大部分で自然に付き合っている人々の集団に基づくという利点がある(バクーニンは仕事場集団を、『現実の日常生活を定義』している『様々な仕事に基づいて』いるが故に、『自然な大衆組織』だと見なしていた [The Basic Bakunin, p. 139])。これは、集会組織を促し、社会的・経済的・政治的諸問題に関する議論を促し、代理人の任命と更迭を促す。それ以上に、一つの組織に政治的・経済的権力を組み合わせ、そのことで、労働者階級が現実に社会を管理することを保証するのである。
 このヴィジョンは後年のアナキズム思想家が強調していた。例えば、スペインのアナキスト、イサック=プエンテは次のように考えていた。町と都市において『自由自治体の一部は、地元の連合によって運営される。地元の産業組合連合における究極の主権は、地元の生産者全体の総会にある。』[Libertarian Communism, p. 27] ロシアのアナキスト、G=P=マキシーモフは、『コミューン連邦』を『自由に行動する無数の労働者組織から構成』されると見なしていた [The Program of Anarcho-Syndicalism, p. 43]。
 他のアナキストは、労働者評議会に町内集会を対置している。こうした集会は、町内・街・村落にいる全市民に開かれた全体会議になり、あらゆるレベルの連邦的調整に関する公共政策の源泉となると共に、その最終的「権威」になるであろう。こうした「町民会」は、普通の人々を直接的に政治プロセスに持ち込み、自分の生活に影響する決定に対して平等な発言権を与えることになろう。こうしたアナキストは、『民衆が−−可能なときには−−仲介者なしに、主人なしに、直接的に自治を行う』重要な実例として、1789年のフランス革命とパリコミューンの「諸地区」の経験を挙げ、この経験に基づいて次のように主張する。『アナキズム諸原則は1789年から始まり、その起源を、理論的思弁にではなく、フランス大革命の行為に持っている。』[Peter Kropotkin, The Great French Revolution, vol. 1, p. 210 and p. 204] 。
 労働者評議会を批判する人々は、全ての労働者階級民衆が工場や仕事場で働いているわけではない、と指摘する。例えば、民衆の多くは、子供の面倒を見ている親である。コミューンの基盤を仕事場に置くと、こうした人々は自動的に排除されてしまう。それ以上に、大部分の近代都市において、多くの人々は仕事場の近くに住んでいるわけではない。つまり、労働者評議会システムでは、議論に参加する人々がその決定事項に影響を受けないため、地元の問題を効果的に論じることはできない可能性がある(これは労働者評議会支持者が既に気がついていたことであり、居住者とその地域の企業との双方から派遣される代理人が評議会を形成することに賛同している)。
 さらに、マレイ=ブクチンのようなアナキストは、仕事場に基づいたシステムは自動的に「特定の関心事」を生みだし、そのことで、地域の諸問題を排除することになる、と主張している。コミュニティ集会だけが、『仕事・仕事場・地位・資産関係といった伝統的で特別な関心事を越え、コミュニティで共有の問題に基づいた一般的関心事を創り出す』ことができる [Murray Bookchin, From Urbanisation to Cities, p. 254]。
 だが、こうしたコミュニティ集会が妥当なものになるのは、それらが意志決定を行い、代理人を任命し、更迭するために迅速に開催されうるときだけである。資本主義都市では、多くの人々が生活の場から離れたところで仕事をしている。従って、こうした会議は、仕事の後か週末に召集されざるを得ない。よって、労働日や労働週を減じ、産業をコミューン化することが重要なのである。この理由で、多くのアナキストは、その地域に住んでいるものの伝統的な仕事場では働いていない人々(例えば、子育て中の親・老人・病人など)によるコミュニティ集会で補完される、コミューンの労働者評議会ヴィジョンを支持し続けている。
 これらの立場は厳格に分断されているわけではない。全く逆である。例えば、プエンテは、田舎において主要なコミューンは『集会(評議会)で会議を行う村民全員であり、この会議が地元の事柄を運営するために十全な力を持つ』であろう、と考えていた [前掲書, p. 25]。クロポトキンは、ロシア革命のソヴィエトを支持し、次のように論じていた。『国の経済・政治生活を管理するソヴィエト、労働者と農民からなる評議会という考えは優れている。必然的に、こうした評議会は自分自身の努力で自然な富の生産に関与している人々から成り立たねばならないということになるのだから、なおさら素晴らしい。』[Kropotkin's Revolutionary Pamphlets, p. 254]
 労働者評議会かコミュニティ集会かどちらの方法を特定の地域社会が採用するかは、地元の諸条件・ニーズ・願望に依ることになろう。厳密なルールを描くことは無駄である。労働週の減少と都市の中心地の分権化によって、コミュニティ集会が純粋にもっと現実的な選択肢になるまでは、労働者評議会をコミュニティ集会で補完するという、二つの方法の組み合わせが採用される見込みが高い。十全なリバータリアン社会では、コミュニティ集会が主要なコミューン組織となるだろうが、革命直後にはこれがすぐさま可能になるとは思えない。予測よりも、客観的諸条件が決定要因となるであろう。資本主義の下で、アナキストは、階級闘争における地域組合主義と産業組合主義の双方に賛同しながら、二つの組織形態を追求するのである(セクションJ.5.1セクションJ.5.2を参照)。
 コミューンの厳密な構造がどのようなものになろうとも、それは、同じ特徴を持つことになろう。それは、自由協同組織であり、参加する人々の専断的義務に基づくであろう。自由協同組織において参加は不可欠である。というのは、単に、それが、個人が集団的に自治を行うことができる唯一の手段だからである(自治をしない限り、他者が支配してしまう)。シュティルナーは次のように論じている。『唯一者として、君は、結社において一人で自説を主張できる。結社は君を所有してはいないからだ。君こそが、結社を所有、もしくは利用しているからだ。』協同組織を統治するルールを決めるのは提携している人々であり、提携している人々がそのルールを変えることができる(従って、「嫌なら立ち去れ」を越えた大きな改善になり得る)。協同組織が従う政策も同様である。よって、協同組織は、『私の魂以上の精神的権力として厚かましく出しゃばりはしない。私は、自分の原則の奴隷になりたいとは思わない。むしろ、自分の原則を、自分の継続的な批判にさらしたいと思うのである。』[Max Stirner, No Gods, No Masters, vol. 1, p. 17]
 故に、参加型コミュニティは、そのメンバーが自由に参加し、自主管理する。国家や資本主義の仕事場に存在する命令者と服従者との区別はなくなる。むしろ、提携者が自治を行うのである。参集した人々が自分の協同組織を管理するルールを集団的に決め、個々人としてそのルールに拘束されながらも、こうしたルールが常に修正され、破棄されるという意味で、参集した人々はルールよりも上位にいるのである(詳細については、セクションA.2.11「何故、大部分のアナキストが直接民主主義を支持するのか?」を参照)。既に見たように、参加型コミューンは新しい社会生活形態であり、国家とは根本的に異なる。分権型で、自治的で、個人の自律性と自由合意に基づいているからである。だからこそ、クロポトキンは次のように述べているのである。

 代議制システムはブルジョア階級が自分たちの支配を確保すべく組織したものであり、ブルジョア階級と共に消滅するであろう。まさに始まろうとしている新しい経済段階に対し、我々は新しい政治形態、代議制とは全く異なる原則に基づいた政治形態を求めねばならない。出来事の必然性がこのことを強いているのだ。[Words of a Rebel, p. 125]

 この『新しい形態の政治組織は、社会主義諸原則が生活に導入されることになる時には、計画されていなければならない。自明のことだが、この新しい形態は、代議制政府がなり得る以上に、もっと民衆的で、もっと分権型で、民衆集会型の自治に近いものにならねばならないだろう。』[Kropotkin, Kropotkin's Revolutionary Pamphlets, p. 184] 彼は、全てのアナキスト同様、現在の国家を継承したり、新しい国家を樹立することで社会主義が創造できるという考えは初めから失敗する、と考えていた。その代わり、社会主義の精神(自由や自治など)を反映した新しい組織を使うことで初めて社会主義は樹立される、と認識していた。従って、彼以前のプルードンとバクーニン同様、クロポトキンは次のように論じていた。『それは社会革命がとらねばならない形態−−独立コミューン−−だった。その居住者は、商品の消費・交換・生産を共有化しようと決めたのである。』[前掲書, p. 163]
 一言でいえば、参加型コミュニティは自由協同組織であり、共通の地域に生活している人々の民衆集会に基づき、この集会という手段を通じて、自分たち・そのコミュニティ・生命地域・惑星に影響する事柄を決定するのである。集会の基本的課題は、公的諸問題を提起し、決定を下すための公開討論の場を提供することである。それ以上に、こうした集会は、コミュニティ(そしてコミュニティ精神)を生成し、個々人間の社会的関係を構築し、充実させる重要な方法となろう。同様に重要なことだが、集会は、公共の事柄へ参加するプロセスを通じて、個々人が発達し、豊かになる重要な方法となるであろう。議論し、思索し、他者に耳を傾けることで、個々人は自分の能力と精神力を発達させる。それと同時に、自分たちの事柄を管理し、そのことで、他の誰かが管理をしないことを確実にするのである(つまり、自治を行い、他者が上から支配しないようにするのである)。クロポトキンが主張していたように、自主管理は参加する人々に対して教育的効果を持っているのだ。

 諸地区の総会の「恒久性」−−つまり、地区のメンバーが欲するときにはいつでも総会を招集でき、総会であらゆることを論じることができること−−が、全市民を政治的に教育するだろう。恒久的な−−討論の場が常に開かれている−−地区は、正直で知的な行政を確約する唯一の方法なのである。[The Great French Revolution, vol. 1, pp. 210-1]

 コミュニティの社会生活を一体化し、そのメンバーの政治的・社会的発達を促すと同時に、こうした自由コミューンは、地元の生態系と一体になるであろう。人間性は、人間それ自体とだけでなく、自然との調和の中に生活することになろう。

 心に描くことができよう。広場は小川と織り交ぜられる。集会の場所は木立に囲まれ、自然のシルエットが尊重され、優美に作られる。土壌は入念に育まれ、自分の手で植物品種を育て、家畜を育てる。可能な場所であれば、周辺で、野生生物をサポートできるだろう。[Murray Bookchin, The Ecology of Freedom, p. 344]

 クロポトキンがその古典的著作「田園・工場・仕事場 Fields, Factories and Workshops」において記しているように、コミューンそれ自体は、農業と工業をバランス良く組み合わせることを目差している。つまり、自由コミューンは、個々人を社会生活・公共生活へと、田舎の生活と都会の生活をバランスの取れた全体へと、人間生活をより広い生態系へと統合することを目差すのである。このようにして、自由コミューンは、人間の居住地を十全に生態調和的にしようとする。この惑星の他の部分から人間性が著しく不必要に(そして、人間性を剥奪し、没個性化するように)分断されている状態を終わらせるのである。コミューンは、人間性とこの惑星とに発現している多様性を促す重要な手段となるだけでなく、社会における生活の質を改善する鍵となるであろう。

 コミューンは、専ら、地元地域の好況生活を改善することに捧げられる。適切なシンジケート−−建築・公衆衛生・輸送・電力−−に自分たちの要求を行うことで、個々のコミューンの居住者は、全ての合理的な生活設備・都市計画・公園・運動場・街路樹・診療所・博物館・美術館を手に入れることができるようになるだろう。中世都市集会と同様、自分の街の事柄と情況に関心ある人なら誰に対しても参加する機会と影響を及ぼす機会を与えることで、コミューンは自治区議会とは全く異なる組織になるであろう。
 古代と中世において、都市と村落は、別個の土地柄と居住者という異なる特徴を示していた。赤石・ポートランド石・花崗岩、石工・煉瓦、屋根の勾配、関連建築物の配置、スレートや藁葺きの模様、それぞれの土地柄が旅行者の関心を増加させていた。それぞれが、城・家・大聖堂に表現されていたのだった。
 近代イングランドの、味気なかったり、殺風景だったり、けばけばしかったりする見栄だけの単調さとは何と異なることであろうか。今では全ての街が同じだ。全く同じウールワース、オデオン=シネマ、チェーン店、全く同じ「公営住宅」や「二戸建て郊外住宅」。東西南北、何が違うのか?何処が変わっているのだろうか?
 コミューンと共に、現在の街と田園生活の醜さと単調さは一掃されるだろう。それぞれの土地と地方、個々人それぞれは共に生活することで、生活の喜びを表現できるようになるだろう。[Tom Brown, Syndicalism, p. 59]

 町内集会の規模は多様なるだろうが、多分、現実的に見つけることのできる何らかの理想的規模を中心にして変動するだろう。それは、顔を付き合わせたやり取りが可能で、様々な個人的交渉を取ることができ、町内にいる全ての人々がお互いを知り、個人的な評価をすることのできる規模となろう。アナキストの中には、町内集会の理想的規模は成人一千人以下であろう、と述べている者もいる。もちろん、これは、あらゆる街や都市がそれ自体で集会連邦となるということを示している−−もちろん、これは、フランス大革命中のパリでは非常に効果的に実践されていたのだった。
 こうした集会は、少なくとも月に一度(特に、革命のような迅速で頻繁な意志決定が必要な時期には、多分もっと頻繁に行われるだろう)定期的に開催され、様々な問題を扱う。リバータリアン共産主義に関するCNTの決議文は次のように述べている。

 この管理の基盤はコミューンとなろう。こうしたコミューンは自律的でなければならず、それ自体の全般的目標を達成すべく地方レベルと国レベルで連合することになろう。自律権によって、集団的利益に関する合意事項の実施義務が妨げられることはない。
 コミューンは、いかなる自主的制限も持たずに、どのような一般的規範であれ自由討議後の多数決で合意されたのであれば、それを順守することを約束するだろう。その見返りに、こうしたコミューンは、別種の共存モデルに合意することが許され、全般的責務を免除された自律的管理を行う権利が与えられるだろう。
 コミューンは自律的でなければならず、他のコミューンと連邦を形成しなければならない。コミューンは、個人の利益になることであれば何であれ、それに関与する義務を持つことになろう。
 コミューンは、集落の組織・運営・美化を監督しなければならない。居住者が住居を持ち、その物品・産物が生産者組合や協同組織を通じて居住者に入手可能になっているよう確認しなければならないだろう。
 同様に、コミューンは、衛生状態、コミューンの統計データの保管にも気を配り、教育や保健サービスといった集団的要件、地元の通信手段の維持と改善といったことにも気を配る。
 コミューンは、他のコミューンとの関係を調整し、あらゆる芸術的・文化的探求を刺激するように配慮するだろう。
 この使命を適切に遂行できるように、コミューン評議会が任命される。こうした立場にいる誰も、経営者的権力や官僚的権力を持たず、(そのメンバーは)コミューン集会の承認を必要としない事細かな事項を論じるために、一日の仕事の終わりに、会議を行うために集まり、生産者としての自分の役割を遂行するであろう。
 集会は、コミューンの関心に応じて、コミューン評議会の要求に応じて、個々のコミューンの居住者の要請に応じて、必要なだけの頻度で召集されることになろう。
 コミューンの居住者は、内部の問題を自分たち自身で論じる。連合は、国や一地方に影響をもたらす大きな問題について議論する。全てのコミューンは、その集会と再会に代理人を送り、このことで、代理人が各自のコミューンが持つ民主的観点を伝えることができるようにするのである。関係する全てのコミューンは発言の機会を有する権利を持つだろう。一地方の性質を持つ問題に関しては、合意事項を実行するのは地方連合の義務である。従って、出発点は個人であり、次はコミューンを通じて、そして連合へ、最終的には連邦へと移行するのである。[Jose Peirats, The CNT in the Spanish Revolution, vol. 1, pp. 106-7 で引用]

 コミューン集会は、コミュニティとコミューンにいる人々に影響することを論じる。こうした地域コミュニティ集会がより大きなコミューン組織のメンバーになるに従い、コミューン集会は、既に示したように、より広い地方に影響する問題も議論するようになり、連邦集会(次のセクションを参照)でそれらの問題を論じるために代理人を任命する。記しておかねばならないが、このシステムはスペイン革命(セクションI.8を参照)中に採用され、大きな実を結んだのであり、だからこそ、希望的観測として見過ごすことなどできないのである。
 だが、もちろん、自由社会の実際の枠組みは実践の中で解決されることになろう。バクーニンは次のように正しく論じていた。社会は『(以前とは)異なるやり方でそれ自体を組織できるし、そのように組織しなければならない。だが、それは、上から下へ、理想的計画に従って、というやり方ではない。』[Michael Bakunin: Selected Writings, p. 205] コミューン連邦が必要となる、これは確かだと思われる。この点に関しては次のセクションで考えてみよう。

I.5.2 何故、参加型コミュニティの連邦は必要なのか?

 全ての問題が地元に関するものではない以上、町内集会とコミュニティ集会は大規模自治ユニットに対して委任され更迭可能な代理人を選び、都会地域・都市や街全体・国・生命地域・究極的には惑星全体といったより大きな地域に影響を与える問題を扱うようにするだろう。つまり、諸集会は幾つかのレベルで連邦化することで、共通の諸問題を扱うために共通の政策を発達させ、調整するのである。
 リバータリアン共産主義に関するCNTの決議文を見てみよう。

 コミューンの居住者は、内部の問題を自分たち自身で論じる。連合は、国や一地方に影響をもたらす大きな問題について議論する。全てのコミューンは、その集会と再会に代理人を送り、このことで、代理人が各自のコミューンが持つ民主的観点を伝えることができるようにするのである。
 例えば、もし、一地方の村落を結ぶために道路を建設しなければならなかったり、農業地域と工業地域との間で生産物の輸送と交換を扱うために何らかの問題が生じたりした場合、自然に、関連する全てのコミューンがその発言の機会を持つ権利を有することになる。
 一地方の性質を持つ問題に関しては、合意事項を実行するのは地方連合の義務である。従って、出発点は個人であり、次はコミューンを通じて、そして連合へ、最終的には連邦へと移行するのである。
 同様に、全国的性質を持つ全ての問題に関する議論も同じパターンで進められねばならない。[Jose Peirats, The CNT in the Spanish Revolution, p. 107 で引用]

 言い換えれば、コミューンは、『いかなる上位のものをも認めることはできない。コミューンより上位には、何も存在し得ない。コミューンより上位にあって、他のコミューンと協力して連合自体を自由に受け入れ、連合の利益を守ることなどできないのである。』[Kropotkin, No Gods, No Masters, vol. 1, p. 259]
 連合主義は社会のあらゆるレベルに応用できる。クロポトキンは次のように指摘していた。アナキストは『中央政府に独立コミューン群を支配してもらう必要などなく、中央政府が放棄され、自由連合によって全国統一が成し遂げられれば、中央自治体政府も同様に無用で有害なものになる、ということを理解している。同じ連合原理がコミューン内部でも働くであろう。』[Kropotkin's Revolutionary Pamphlets, pp. 163-164] 従って、社会全体が、地元地域から世界規模レベルまでの自由連合となるのである。そして、この自由連合は地元諸集団の自律と自治に公平に基づくことになる。連合主義と共に、協働が強制に置き換わるのである。
 協働が必要だからといって、それは中央集権機関を意味しない。自主管理機関に参加し、ひいては、自分が支持した決定を順守することに同意することで、自分の自律権を行使することは、自律権の否定ではない(ヒエラルキー構造に参加して、組織内部での自律権を放棄するのとは違う)。強調しなければならないが、中央集権型システムでは、権力はトップにあり、下にいる人々の役割は単に服従するだけである(権力者が選挙で選ばれるかどうかに関わらず、原理は同じなのだ)。連邦システムでは、権力が少数者の手に委ねられはしない(明らかに、「連邦」政府や「連邦」国家は中央集権システムである)。連邦システムにおける決定は組織の下部で行われ、上へと上がっていく。そのことで、権力が万人の手に分権化され続ける。共通の諸問題を解決し、共通の目標を達成するための共通の努力を組織するために協働することは、中央集権化などではなく、この二つを混同している人々は重大な誤りを犯している−−それぞれが生み出す権力関係の違いを理解できず、服従を協働と混同しているのである。
 経済的集産体の連合と同様、下部レベルが高次レベルを管理することになり、そのために、中央集権政府ヒエラルキーが持つ現在の先制的権力を撤廃するであろう。高次レベルの調整評議会や調整会議に出席する代理人は、どのように対処するのかについて、あらゆる連邦レベルで、自分が代表する集会に指示されることになる。こうした指示は、役目を果たさねばならない政策の枠組みに代理人を拘束し、責任を持たせ、任務を実行できなかった場合には代理人を更迭し、その決定を無効にすることになる。代理人は、選挙で選ばれるかも知れないし、抽選で選ばれる(つまり、現在の陪審義務同様に、くじ引きでランダムに選ばれる)かも知れない。
 大部分のアナキストは、社会的連邦の特定の職務については「公務員」が必要となる、と認めている。「職務」という言葉を強調するのは、そうした人々の仕事が現実に、本来、行政的なものであるが故に、その活動を記述する上で「権限」という言葉は最適ではないからである。例えば、ある人やあるグループが、コミュニティに対する代替エネルギー供給を研究すべく選ばれ、発見したことを報告するとしよう。こうした人々は、コミュニティに対してその決定を押し付けることはできない。そのようにする権限を持っていないからである。自分たちに指示した集団に知見を提示するだけである。こうした知見は、選んだ人々が従わねばならない法律ではなく、選んだ人々が自分でベストだと考えることを選ぶための一連の示唆であり情報なのである。別な例を挙げれば、ある人は、選択されたエネルギー供給の導入を監視するために選ばれるかも知れないが、どのエネルギー供給を使用するのか、そして、どの特定計画を実施するのかを決めるのは、コミュニティ全体なのである。同じことが連邦評議会に選ばれた代理人にも言える。こうした代理人は、自分を選んだ人々によって命じられた決定を持ち、選んだ人々に更迭される対象となる。こうした代理人が、自分の立場を悪用したり、コミューン集会の決定とは逆に投票したりし始めた場合、その代理人は、すぐさま更迭され、取り替えられることになる。
 こうした人は、コミュニティで選ばれた代理人である以上、言葉の最も広い意味で「公務員」である。だが、これは、こうした人が権力や権威を持っているという意味ではない。本質的に、こうした人々は地元コミュニティに管理され、説明責任を持つ当該コミュニティの取次人に過ぎない。明らかに、こうした「公務員」は政治家ではない。自分を選んだ人々に代わって政策決定を行わないし、行うこともできない。従って、自分を選んだ人々に対して政府のような権力を持たない。この方法によって、「公務員」は、民衆の召使いであり続け、民衆のために意志決定をする権限を与えられないことになる。さらに、こうした「公務員」は頻繁に交替することで、政治の専門化を防ぎ、一旦選ばれるとほとんど独断で行動する政治家という問題を防ぐことになる。もちろん、こうした人々は、自分を選んだ人々と共に働き、生活し続け、選ばれたからといって何の特権も(収入の増加やより良い住宅などの点で)受けることはない。
 従って、こうした「公務員」は、行政の立場に自分を選んだ組織の厳格な管理下にあるのである。だが、クロポトキンが論じているように、コミュニティ総会は『永続的−−常に開かれたフォーラム−−であり、正直で知的に優れた行政を保証する唯一の方法であり、(その基盤は)あらゆる執行権力の不信である。』[The Great French Revolution Vol. 1, p. 211]
 マレイ=ブクチンは次のように論じている。『連邦主義の見解には、政策決定と、採用された政策の調整・実行との明確な区別が含まれる。政策決定は、もっぱら、参加型民主主義の実践に基づいた地域民衆集会の権利である。行政と調整は、連邦評議会の責任であり、村・街・町内・都市を連邦的ネットワークに連結させる手段となる。従って、権力は、トップダウンではなく、ボトムアップに流れ、連邦においては、ボトムアップで流れてくる権力は、連邦評議会の範囲が、局所的なものから地方的なものへ、そして、地方からもっと広い範囲まで領土的に広がるにつれて減少するのである。』[From Urbanisation to Cities, p. 253]
 このように、民衆は政策に対する決定的発言権を持つことになろう。これこそが自治の本質である。個々の市民が順に公的事柄の調整に参加することになろう。言い換えれば、自治の「立法部門」はコミュニティ集会と連邦調整評議会に組織された民衆自身となり、「行政部門」(公務員)は、立法部門つまり民衆によって形成された政策を実行することに限定されるのである。
 公務員のローテーションに加え、民衆に対してこうした公務員が持つ説明責任を保証する手段には、次のようなものが含まれるだろう。選挙とくじ引きを広く使用すること、コンピュータや直接査察を使って「行政」活動の進行状態と記録を誰もが閲覧できるようにすること、市民集会の権利として高次の連邦会議へ代理人を命じ・役人を更迭し・その決定を無効にすること、地元地域から全国レベルまでそれぞれの重要な行政部門に対してくじ引き(陪審義務と同様に)で選ばれた説明責任審議会を創設すること。
 コミューン群の諸連邦は、共同行動を調整し、共通の諸問題と関心事を論じなければならない。連邦は、個人的・地域的・社会的自由を保護しなければならない。広範囲にわたる活動を調整する現在の方法−−国家を通じた中央集権主義−−は自由に対する脅威である。プルードンを引用しよう。『市民は主権を放棄し、市民の上位にある街・県・州は中央権力に吸収されており、もはや、政府に直接管理されている機関に他ならない。』続けて彼は次のように述べている。

 その影響はすぐに結果として現れる。市民と街はあらゆる尊厳を剥奪され、国家の略奪行為は倍増し、それに比例して納税者の負担は増加する。もはや国家は人民のために作られてはいない。人民が国家のために作られる。権力はあらゆるものを侵害し、あらゆるものを支配し、全てを吸収するのである。[The Principle of Federation, p. 59]

 さらに、『政治的中央集権主義の原理は、あからさまに、あらゆる社会的進歩の法則と自然進化の法則に反している。あらゆる文化的進歩はまず最初に小集団の中で達成され、全体としての社会に採用されるようになるのは徐々にでしかない、これが事態の性質である。従って、政治的分権化こそが、制限のない様々な新しい実験を行う可能性に対する最良の保証である。こうした環境のために、個々の地域社会は、他者に押し付けずにそれ自体で達成できる事を完遂する機会を与えられる。実地の実験は、社会の永続的発展の生みの親である。市民が必要だと思う範囲内で個々の地方が変革を達成することができる限り、個々の実例は地域社会の他の部分に果実をもたらす影響力となる。何故なら、様々な実例から生じる利点を、その有用性を確信できなかった場合には無理矢理採用せずに、比較考察する機会を持つことになるからである。その結果、進歩的地域社会は、他の地域社会に対するモデル、物事の自然進化によって真だと証明された成果として機能するのである。』[Rudolf Rocker, Pioneers of American Freedom, pp. 16-7]
 国家の中央集権化との対比は非常にハッキリしている。ロッカーは次のように論じている。『非常に中央集権的な国家において、情況は全く逆になり、最良の代議制システムもそれを変えることはできない。特定地区の代議士が、特定地区の圧倒的多数を自分の味方に付けているとしても、中央集権国家の立法議会では、少数派のままであり続けてしまう。何故なら、必然的に、こうした機関において多数を示すのは、知的に最も活発な地区ではなく、最も後進的な地区だからだ。個々の地区はその意見を表明する権利を確かに与えられているが、中央政府の承認無しにはいかなる変化ももたらすことはできず、最も進歩的な地区は沈滞を余儀なくされ、最も後進的な地区が基準を定めることになろう。』[前掲書, p. 17]
 アナキストが、クロポトキンが『地元での行動』と名付けたことを常に強調し、リバータリアン社会革命を『諸コミューンが、各々の環境の中で経済的変換を達成しようと試みる、と独立コミューンを宣言することで進行する』と見なしてきたことは驚くべきことではない [Peter Kropotkin, Act For Yourselves, p. 43]。このようにして、進歩した地域社会は、何が可能なのかということの実例を示すことで、他の地域社会を刺激して次に続くようにさせるであろう。分権化と連邦だけが自由とその結果として生じる社会実験を促すことができる。社会実験は社会の進歩を保証し、社会を住み良い場所にするであろう。
 それ以上に、連邦は自主管理を最大限に生かす必要がある。ロッカーは次のように説明している。『小規模コミュニティにおいては、遙かに容易く、個人が政治シーンを監視し、解決しなければならない諸問題に精通するようになる。これは、中央集権政府の代議士には絶対にできないことである。一人の市民もその代議士も、中央集権国家の莫大な時計仕掛け機構を完全に監視することも、おおよそ監視することさえもできない。代表者は、自分が全く個人的知識を持っていない事柄について意志決定を行うよう毎日強いられる。そして、査定を行うために、他者(例えば、官僚やロビイスト)に依存しなければならないのである。こうしたシステムが必然的に重大な誤謬と手違いを導くことは自明である。同じ理由で市民は自分の代議士の行動を点検し、批判することはできない。そのために、職業政治家階級が漁夫の利を得る新たな機会を手にするのである。』[前掲書, p. 17-18]
 言い換えれば、連邦は、中央集権化の危険に対して社会と個人を保護する必要があるのである。バクーニンが強調していたように、社会を組織するには二つのやり方があるのだ。『今日のように、強制的団結と集中という手段によって、高から低へ、中央から周辺へ』そして、未来のやり方は、連合化によって『自由な個人で始まり、自由な協働組織と自律コミューンへ、自由連合という手段によって、低から高へ、周辺から中心へ』である。[Michael Bakunin: Selected Writings, p. 88] つまり、『下から上への社会組織』である。[The Basic Bakunin, p. 131]
 このように、参加型コミュニティの連邦は、共同活動を調整し、社会実験を認め、コミュニティの(ひいては社会全体の)独自性・尊厳・自由・自主管理を保護する必要がある。これが、『社会主義は連合主義』であり、『こうした民衆草の根諸機関(つまり、「コミューンと農工協同組織」)が下から上へと漸進的段階で組織されて初めて、社会主義の政治的組織である真の連合主義に到達する』理由なのである [Bakunin on Anarchism, p. 402]。

I.5.3 連邦の規模とレベルはどの程度のものになるのか?

 これは実践でしか解決できない。一般に、連邦は町と都市を含めた広い規模で必要となるだろう、と述べれば間違いはないだろう。いかなる村落も町も都市も自給自足にはなり得ず、自給自足を行うことは望ましくない−−他の場所と連絡を取り合い、繋がり合うことは生活の本質であり、アナキストは孤立した地方主義へと後退したいとは思っていないのである。

 いかなるコミュニティも経済的アウタルキーを確立したいと望むことはできないし、そうすべきでもない。現在広く使用している物品の多くは、製造するために広範囲にわたる資源を必要にしているわけだが、このことが、経済的に自己閉鎖的な島国根性や地方根性を不可能にしている。地域間・地方間の相互依存は、債務などではなく、一つの財産−−文化的にも政治的にも−−だと充分見なすことができる。文化的融合は経済的交わりの産物であることが多いが、これを剥奪されると、自治体は矮小し、市民の私事本意主義へと消滅してしまうものである。共通ニーズと共有資源とは、分かち合いの存在を暗示する。それは、分かち合い、コミュニケーション、新しい考えによる活性化、そして、新しい経験に対する広い感受性をもたらすより大きな社会的地平を伴うのである。[Murray Bookchin, From Urbanisation to Cities, p. 237]

 これは、コミューン群によって創られた連邦の規模とレベルは多様になり、広範囲に及ぶだろう、ということを意味している。だが、このことについて一般化をすることは難しい。特に、様々な連邦が様々な課題と関心事のために存在するからである。それ以上に、コミューンのシステムは、資本主義下にある既存の村落・町・都市に基づいて始められる。これを避けることはできない以上、当然、連邦の初期の規模とレベルは既存の村落・町・都市に基づいて決められることになろう。
 連邦の規模は、当該居住地域に依存することになる見込みが高い。例えば、村落は、一つの集会に基づき、近隣の全村落をカバーする地元連邦の一部に(最低限)なるであろう。そして、この地元連邦は地域連邦の一部になる、といったようにして(最終的には)大陸的・世界的な規模へと上がって行く。言うまでもなく、連邦が高いレベルに行けば行くほど、会議の開催頻度は少なくなり、意志決定すべき問題という点で考慮しなければならないことが少なくなる。こうしたレベルでは、最も全般的な問題と決定事項だけを調整することになろう(その結果、メンバーとなっている諸連邦は、それぞれが適していると見なす指針だけを採用することになろう)。
 都市部では、町や都市は諸連邦に分かれねばならず、こうした諸連邦が代理人からなる町集会や都市集会を構成することになる。ロンドン・ニューヨーク・メキシコシティのような大都市を考えれば、このやり方以外に組織化はできないだろう。もっと小規模な町では、もっと単純な諸連邦を持つことができるかも知れない。ここで強調しなければならないが、自由社会で大都市が望ましいと考えているアナキストはほとんどおらず、社会変換の主要課題の一つは、メトロポリスをもっと小規模な単位に分割し、地元環境と統合することになろう。だが、社会革命はこうした大規模メトロポリスで行われることになるだろう。従って、ここでの議論でもメトロポリスを念頭に置かねばならないのである。
 規模の問題は、新しい連邦レベルが必要となるときに決められるだろう。数千人が住む町や村は、基本レベルのコミューンを中心に組織され得る。そして、一旦このレベルに到達すると、リバータリアン社会主義社会は新たな連邦レベルを形成することになるかもしてない。こうした連邦ユニットには、上記したように、今日の大都市内の各市街地・小規模都市・幾つかの近隣の町で成り立つ郡部が含まれることになろう。連邦の次のレベルは、代理人の数がどのぐらいになるかに依ることになる、と推測できる。一定数になると、連邦集会は管理が難しくなる。従って、新たな連邦レベルが必要になる。疑いもなく、これが連邦の規模とレベルを決定する基盤となり、あらゆる連邦集会がその活動を実際に管理でき、下部レベルの管理下にあり続けることができるよう保証するのである。
 この連邦と共に、規模の経済の問題を取り上げねばならない。一定レベルの連邦では、ある種の社会サービス・経済サービスを効率的に行わねばならないだろう(大学・病院・文化的諸機関といった規模の経済を念頭に置いている)。全てのコミューンが医者・託児所・地元の公共小売店・小規模の仕事場を有するだろうが、大学・病院・大工場などを全てのコミューンが持つことはできない。これらの機関はより広いレベルで組織され、それらを管理するために適正な連邦が存在する必要があるだろう。
 だが、この規模において、全住民が顔を付き合わせた会議を行うのは非現実的である。従って、このレベルでの意志決定機関は連邦評議会となるであろう。これを構成するのは、町内集会から命じられた更迭可能な交代制の代理人である。こうした代理人たちは政策を調整するのだが、その政策は、それぞれの町内集会で議論され投票で決定され、その地区全域でまとめらた上で、多数決によって地区の政策として決定される。こうした連邦集会や連邦会議で論じられる問題を提示するのは、地元コミューンであり、連邦評議会はその提起を照合し、討議を行う連邦において他のコミューンに対して提出する。このように、意志決定の流れは下から上へとなされるのであり、「最下部」の機関が最も権力を持つ。特に、連邦の「高次」レベルでなされた決定を形成し、示唆し、修正し、必要ならば拒否する権力を持つことになるのである。
 生命地域等の大規模な領域間の繋がりは、地理的に集中している鉱床・天候に左右される作物・一つの地域に集中させることで最も効率的になる生産施設といったものの配分に基づき、共通の価値観と物質的ニーズを基にして連邦的にコミュニティ群を結びつけるであろう。生命地域と高次レベルの連邦において、任務を命じられた更迭可能な交代制の代理人からなる評議会がこれらのレベルの政策を調整することになるが、こうした政策は、その代理人を更迭し代理人が行った決定を無効にする権利を通じて、なおも町内集会とコミュニティ集会による承認の対象となる。
 結局のところ、リバータリアン社会主義は、現在の競争的国民国家システムが地球規模で連邦化した自治コミュニティの協同的分権型生命地域システムによって置き換えられない限り、最適に機能できない−−実際、宿命的に弱体化してしまう−−だろう。なぜなら、リバータリアン社会主義国が稀少原材料とそれを購入するための現金をめぐって世界市場で競合することを強いられるのならば、以前に示した「プチブル協同組合主義」の問題が高次レベルの組織に置き換わってしまうだけになるからだ。つまり、競争的資本家として個々の協同組合が行動し、利潤や原材料などをめぐって全国市場でお互いに競争する代わりに、全体としての国やコミュニティが「集団的資本家」になり、地球規模資本主義市場で他の国々と競争することになってしまう−−例えば、軍国主義、帝国主義、そして「効率性」と「地球規模の競争」の名の下に正当化される仕事場における疎外や無力化を促す施策といった多くの問題を再導入しなければならない情況になってしまうのである。
 クロポトキンが論じていた(
セクション I.3.8)ように、生命地域内部での自給自足を確立することで、革命期間中にこの問題をある程度まで減じることはできる。利潤追求型巨大企業の莫大な広告キャンペーンによって偽りのニーズが製造されないため、リバータリアン社会主義経済においてこのことを確立するのは容易くなるはずである。クロポトキンが予測していたように、社会革命が(当初は)孤立と貿易パターンの崩壊に苦しむ以上、こうした政策をどのみち採用せざるを得ず、従って、生命地域間の貿易は、大部分、他のリバータリアン社会主義連合のメンバーとのものに自然と限定されるだろう。だが、この問題を完全に除去するために、アナキストは、生命地域の代理人からなる地球規模の評議会を創り、上記したような連邦の原則によって草の根レベルで形成され承認された政策に基づいて、地球規模の協働を調整する、と構想している。上記したように、大部分のアナキストは、連邦レベルが「高くなればなるほど」、その決定は指針以外の何者でもなくなる、と考えているのである。
 要約すれば、連邦の規模は実際の考慮事項に左右され、それは、人々が自身の町内集会の適正だと見なす規模と、町内集会・町・都市・地方などの協働の必要性に基づくことになろう。私たちは、自由社会がどのように発展するのかを予言することなどできないし、したいとも思わない。従って、連邦の規模とレベルは、アナキズム世界を実際に想像する人々によって決定されることになろう。私たちができることは、あり得ると思われる幾つかの示唆を行うことだけなのである。

I.5.4 こうした会議全てで、本当に何かが決定されるのだろうか?

 連邦構造は効率的な意志決定手段であり、終わりのない会議に行き詰まってしまうことはない、とアナキストは考えている。こう考えるのには様々な理由がある。
 まず第一に、自由社会が全ての時間を集会に費やしたり、連邦会議を組織することに費やしたりするとは思えない。ある種の問題は他の問題よりも重要であり、会議に自分の時間全てを取られてしまいたいと思っているアナキストもまずいない。自由社会の目的は、個人が自分の願望と欲望を自由に表現できるようにすることである−−絶え間なく会議を(もしくは会議の準備を)していたのでは、そんなことはできなくなる。従って、コミューン集会と連邦集会は自由社会で重要な役割を果たしているものの、常に会議が開催されているとか、アナキストが会議を個人の生活の中心にしたいと思っているなどと考えてはならない。全く逆なのだ!
 コミューン会議は、真に重要な問題を議論するために、例えば、週に一度とか、二週間に一度とか、一ヶ月に一度とかの頻度で行われるだろう。ありとあらゆる問題を議論するために常に会議を行う願望など本当にはないだろうし、そんなことに耐えられる人もほとんどいまい。つまり、こうした会議は、絶え間なくではなく、定期的に、そして、重要な問題を論じる必要が出たときに、行われるのである(必要とあらば、継続的な集会や、毎日の会議が緊急事態の際に開催されねばならないかも知れないが、これは稀であろう)。
 第二に、自由な人々がこうした会議に莫大な時間をかけたいと思うなど極度に疑わしい。重要で本質的であっても、コミューン会議と連邦会議は極度に機能的なものなのであって、戯言を述べあうフォーラムではない。時間を無駄にする人々や自分自身の声を聞くのが好きなに人々対しては、こうした会議の参加者が自分の感情をすぐさま知らせる、という情況になるであろう。コーネリュウス=カストリアディスは次のように述べている。

 数の問題が残り、人々は充分な時間で自分の考えを述べることはできないだろう、と主張されるかも知れない。この主張は妥当ではない。誰もが話をしたいと思っているような集会に20人以上の人が集まることなどないだろう。何か決めなければならないことがあるときに、選択肢が無限にあるわけではなく、議論が無数にあるわけでもない、ということを示すもっともな理由がある。制約なき一般労働者の集会(例えば、ストライキを決めるために集まるといった)において、「余計な」スピーチがあったことは一度もない。二つか三つの根本的な選択肢が表明され、様々な主張がやり取りされ、すぐさま決定に到達するのである。
 それ以上に、スピーチの長さは内容の重さに反比例するものだ。ロシアの指導者たちは党大会で四時間も話し続けることがあったが、内容は何もなかった。革命集会の表現の簡潔さについては、1905年のペトログラード=ソヴィエトに関するトロツキーの報告や、1956年のブダペストにおける工場代表者会議の報告を参照して欲しい。[Political and Social Writings, vol. 2, pp. 144-5]

 以下で見るように、このことはスペイン革命中にも間違いなく真実だった。
 第三に、こうした集会と会議が純粋に共同行動と調整に関わっている以上、頻繁に召集されることはないと思われる。様々な協同組織・シンジケート・協同組合は、職務上、協働しなければならず、従って、定期的に会議を持ち、一コミュニティもしくは諸コミュニティの特定地区に影響を与える実際の活動について適切な対策を取ることになろう。コミュニティの一人のメンバーが関心を持っている問題全てが、コミュニティメンバー全員の会議や連邦会議で最も上手く議論されるとは限らないのである。
 言い換えれば、コミューン集会と連邦は、具体的で充分定義された議題を持つことになり、従って、万人の時間を奪う「政争」の危険はほとんどない。故に、こうした会議で議論する問題は、誰も本当はよく分かっていない抽象的な法律や無意味な動議ではなく、関わっている人々にとって重要な具体的問題であろう。さらに、標準的手続きとして、問題を調査する下位集団が選ばれ、後に、提言を報告してもらうことになるかも知れない。そして、会議は、いかなる提言についても修正したり、受け入れたり、拒否したりすることができるのである。
 クロポトキンが論じていたように、アナーキーが基盤としているのは『書簡や提案書を交換し、会議によって到達する自由合意である。この会議で、代理人は、充分に特定された要点を議論し、要点について合意に達するために会合するのであって、法律を作るために集まるのではない。会議が終わると、代理人は、法律ではなく、協定案を持って帰るのであり、この協定案は受け入れることも拒否することもできるのである。』[Conquest of Bread, p. 131]
 会議を具体的な問題に基づいた職務機関にすることで、終わりのない議論という問題を、完全になくならないにせよ、減じることができる。さらに、職務集団がこうしたコミューン連邦の外部に存在することになる以上(例えば、工業集産体は、消費者グループからの招待参加者と共に、各自の工業について会議を組織することになろう)、大部分のコミューン会合での議題は限られたものになるであろう。
 産業活動・コミューン投資(例えば、住宅や病院など)・大規模なコミューン活動全体の調整に関わる指針に合意することが、最重要議題となるであろう。このようにして、万人が社会(commonwealth)の一部となり、人間の幸福と生態系の存続を最大化するために資源をどのように使うべきかを決定するのである。「小さな決定の暴政」(小さな決定が積み重なることで最終的結果が想定外のものになってしまうこと)に関わる諸問題は、個人の自由を蝕むことなく克服されるであろう(事実、健康的なコミュニティは、自立した批判的思考と社会的やり取りを促し、自主管理に基づく社会的諸機関に権限を与えることで、個性を豊かにし、発展させるのである)。
 こうしたシステムは空想なのだろうか?こうしたシステムが幾度となく存在し、機能していたことを考えれば、空想ではないと述べても支障はなかろう。全ての実例をここで取り上げることができないのは明らかであるため、二つだけ−−革命下のパリとスペイン−−を指摘しておく。
 マレイ=ブクチンが指摘しているように、パリは『18世紀後半、当時の標準からすれば、欧州で最大かつ経済的に最も複雑な都市の一つだった。その人口は約百万人だった。だが、1793年、フランス革命の絶頂期に、この都市のほとんど全体を(48の)市民集会が制度的に管理していたのだった。そして、その実務はコミューンが調整した。実際には、多くの場合、集会それ自体−−当時呼ばれていた言い方では地区−−が、コミューンに頼ることなく、相互の連結を確立していたのだった。』[Society and Nature, no. 5, p. 96]
 実際にコミューン自治がどのように機能していたのかブクチンの説明を見てみよう。

 パリの余りよく知られていない48地区はどのようなものだったのだろうか?どのように組織されていたのだろうか?そして、どのように機能していたのだろうか?
 イデオロギー的には、地区民(sectionnaires)(地区のメンバーは当時このように呼ばれていた)は、民衆主権を第一に信じていた。民衆主権という概念は、アルバート=ソブールによれば、人々にとって『抽象ではなく、地区集会に団結し自分の権利全てを行使していた人々の具体的現実』だった。人々の目にはこれは不可分の権利だと映っていたのだった。1792年11月にシテ地区は次のように宣言していた。『(他者に対して)主権を持つことを前提にしている全ての人は、暴君であり、公的自由の強奪者であり、死に値すると見なされるであろう。』
 主権は、事実上、全ての市民が享受するものとなり、「代表者」に先取りされはしなかった。つまり、1973年の急進的民主主義者は、全ての成人は、ある程度まで、公的事柄の管理に参加する能力を持っていると仮定していたのである。従って、個々の地区は、顔を付き合わせた民主主義を中心として構造化され、基本的には、民衆総会が地区の最も重要な審議会となり、この都市の一定地域における民衆権力を具体化したものとして機能していたのだった。個々の地区はコミューンに六人の代理人を選出した。これは、おそらく、パリの全地区を調整するだけのためだったと思われる。
 個々の地区は、様々な行政委員会も有し、そのメンバーも総会で募集されていた。[The Third Revolution, vol. 1, p. 319]

 こうした『諸地区』が、『ウィリアム=ゴドウィンによって数年後に英国で表明されたアナキズム原理は、その起源を理論的思弁にではなく、フランス大革命の行為にある』ということを示している、とクロポトキンが述べていたのは驚くべきことではない。[The Great French Revolution, vol. 1, p. 204]
 コミューン自治は、革命下のスペインでも遙かに大規模に実践された。共和制スペイン全土で、労働者と農民がコミューンとコミューン連合を形成した(詳細はセクションI.8を参照)。ガストン=レヴァルはこの経験を次のように要約している。

 スペイン革命とスペイン革命の原動力であるリバータリアン運動によって突き動かされた組織は、下から上への構造を持っていた。これは、現実の連合と真の民主主義に一致していた。管理と調整の委員会は、明らかに必要不可欠だが、委員会を選んだ組織の外部に出ることはなく、組織のただ中にあり続け、組織のメンバーが常に管理でき、メンバーが接することができるようになっていた。誰かが任務と異なる行動を取った場合には、その人を呼び出し、叱責し、交替することができる。こうしたシステムによって、そして、こうしたシステムの中でのみ、「大多数が頭ごなしに命じる」のである。
 シンジケート集会は、リバータリアン民主主義の表現であり、実践だった。この民主主義は、アテネの民主主義とは何ら共通点を持っていない。アテネの民主主義では、数日間ぶっ続けで市民がアゴラで議論し、論争した。様々な党派・氏族の対立・野心・人格が衝突し、社会的不平等を背景にして貴重な時間が果てしない口論で失われた。この点で、現代のアリストファネスには、「雲 The Clouds」の現代版を書く理由などない。
 通常、こうした定例会議は数時間以上かからなかった。会議では、具体的で明確な議題が、具体的で明確に扱われた。何か言いたいことがある人は、誰でも、自分の考えを述べることができた。委員会は、前回の集会以降に提起された新しい問題・これこれの決議を適用することで得られた結果・他のシンジケートとの関係・様々な仕事場や工場からの生産収益を提示した。このこと全ては報告と論議の対象だった。そして、集会は委員会を任命し、委員会のメンバーはどの解決策を採用すべきかメンバー間で議論し、意見の相違があった場合には、多数派の意見書と少数派の意見書が準備された。
 これはスペイン全土のシンジケート全てあらゆる商業とあらゆる工業で行われた。バルセロナでは、アナキズム運動の創生期から、組織の強さに応じて、数百、数千の労働者が集会に結集した。従って、個々人の義務と責任の意識は、常に決定的で断固たるほどまでに広がっていた。
 この民主主義実践は農業地域にも拡大した。村落の地元管理委員会の指名は、村落住民の全体会議で決定された。活動調整が必須となる様々な重要課題について、会議に集まった全ての人々が代理人を発議し、選出した。ただ、次のことを付言し、強調しておくことは価値があろう。全ての集産化された村落と全ての部分的に集産化された村落−−大きな集団だけをあげれば、アラゴン地方には400、レヴァンテ地方では900、カスティーリャ地方では300の集産体があった−−では、人々は週に一度、二週に一度、もしくは月に一度集会を開き、公共の福祉に関する全てのことについて十全に連絡され続けていたのだった。
 著者はアラゴン地方で数多くのこうした集会に参加した。集会では、様々な問題に関する報告が議題を構成し、住民がその報告を知り、理解することができるようになっており、社会と一体になっていると精神的に感じ、公的事柄の管理に責任を持って参加できるようになっていた。そのため、決定権が少数の個人に付与されている場合−−その人々が民主的に選挙で選ばれ、異議の可能性がなかったとしても−−に必ず生じる対立は、ここでは起こらなかったのである。集会は公的なものであり、異議と提議は公に議論され、シンジケートの集会と同様に、誰もが自由に議論に参加し、批判し、提案していた。民主主義が社会生活全体に拡大していたのだ。[Collectives in the Spanish Revolution, pp. 205-7]

 こうした集産体は、数千のコミューンと仕事場、産業の全部門、数十万もの人々、スペイン全土を包含する諸連合を組織したのだった。
 言い換えれば、これは可能なのだ。これは上手くいったのだ。コミュニケーション技術の莫大な改善と共に、以前よりもさらにずっと実行可能になっているのである。こうした自主管理社会に到達するかどうかは、私たちが自由になりたいと思っているかどうかにかかっているのだ。

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