アナキズムFAQ

何故マフノ叛乱運動はボルシェヴィズムの代案を示していたと言えるのか?

 ロシア革命におけるボルシェヴィキの行動をレーニン主義者が擁護する際のキーワードは、他に選択肢がなかったというものである。革命が獲得したものとロシアにおける革命賛同左翼をボルシェヴィキが攻撃が攻撃したのだと告発すると、白色テロル・ロシアの原始的状態と反動的農民・帝国主義軍隊の侵略(ただ、誰に聞くかによってその実数は全く異なる可能性があるし、実際に異なっている)・その他の「自然の力」といったことを含む主張に出会う。こうしたことに対処できるのは、生き残るためにあらゆることに立ち向かう中央集権型権威主義体制だけだと信じ込まされるのである。

 しかし、これは真実ではない。その理由は3つある。

 第一に、革命に対する攻撃の多く(ソヴィエトの解散・工場委員会の弱体化・社会主義者とアナキストの弾圧など)は、内線開始前に始まっていた。そのため、革命の衰退を未だに起こってもいない出来事のせいだと非難するのは無理なのである(詳細はこの付録のセクション3「ロシア革命の衰退は何が原因だったのか?」を参照)。

 第二に、レーニン主義者は自分たちのイデオロギーを「現実主義的」だと表現したがる。革命が直面する諸問題を認識し、必要な解決策を提供できる、というわけだ。事実に反することだが、アナキストは支配階級が単に「消え失せる」と考えている(セクションH.2.1を参照)とか、「成熟した」共産主義が「一夜にして」出現すると考えている(セクションH.2.5を参照)と主張する者までいる。ボルシェヴィズムだけが、革命中の内戦は避けられないと認識し、必要な解決策つまり「労働者の国家」を提供できる、と主張されるのである。レーニン自身は次のように論じていた。「内戦を回避した革命は歴史的に一つもなかった。貝殻の中で生活しているのでなければ、並外れて複雑な情況がなくとも誰もが内戦があり得ると思うだろう。」[Will the Bolsheviks Maintain Power?, p. 81] 従って、現代のレーニン信奉者たちが、ロシア革命の衰退を自分たちが不可避だと分かっていると主張するまさにその諸要因(内戦と並外れた諸情況)のせいだと非難したところで、信用するわけにはいかないのだ!

 第三に、そしてレーニン主義者にとって遥かに屈辱的だろうが、当時の革命的ロシアにも、それ以前の革命やそれ以後の革命にも、ボルシェヴィキの戦術とは比べられないほど非常に効果的に革命を防衛する方法が存在する。この方法は、革命が解放した労働者大衆の莫大な創造的エネルギーに頼っていた。

 ロシア革命中にこの方法を最大限示した実例が、ウクライナ南東部である。内戦の大部分で、この地域はボルシェヴィキ型の中央集権国家装置なしに運営されていた。その代わり、自由ソヴィエトというアナキズム思想に基づいていた。そこでは「反乱が無政府主義の黒旗を掲げ、無権力と労働大衆の自治への道へ歩みだした」。[アルシノフ、マフノ運動史、邦訳書、48ページ] これが生じた場を創ったのはパルチザン部隊だった。パルチザン部隊は、脱走に対する処刑・一般兵の願望よりも任命された帝政将校の優先・ボルシェヴィキが愛してやまない敬礼といった「効率性」は使わず、投票で選ばれた将校と自発的規律を伴う義勇軍として活動していた。この運動はその指導者、ウクライナのアナキスト、ネストル=マフノの名前をとってマフノ叛乱と呼ばれた。叛乱軍の先頭ワゴンに掲げられた黒旗には「自由か、死か」「土地を農民へ、工場を労働者へ」というスローガンが刻まれていた。これらのスローガンがマフノ叛乱が何を求めて戦っていたのかを要約している。つまり、リバータリアン社会主義社会である。1919年秋の絶頂期に、マフノ叛乱はおよそ4万人の規模に達し、その影響力は、ウクライナのソヴィエト共和国の約3分の1に相当する、7百万人以上の住民がいる広大な地域に及んでいた。

 このことが、マフノ叛乱の重要性を説明してくれる。クリストファー=リードは次のように述べている。「ボルシェヴィキが自分たちの正当性を主張する際に、主として次の論拠に頼る。つまり、自分たちだけがロシアの労働者と農民にとって同様の大惨事(反革命)が起きないようにできるのであり、無慈悲でしつこい敵に直面する際には自分たちが使う手厳しい方法が必要なのだ、と。」しかし、リードは「ウクライナのマフノ叛乱運動は、反革命と戦う方法は一つ以上あったことを示している」と論じている。[From Tsar to Soviets, pp. 258-9] これこそがマフノ叛乱運動が非常に重要な理由なのだ。何故、ボルシェヴィズムの理念に対する代案が過去に存在し、現在も存在しているのかを示してくれるのだ。ここに、ボルシェヴィキと全く同じ「並外れた諸情況」の中で活動した大衆運動がある。ボルシェヴィキはこの情況の中で同じ方針を実践しなかった。実際、中央主権型でトップダウンの政党権力を支持してソヴィエト・仕事場・軍部民主主義を弾圧し、党独裁の遂行を正当化するよう政策方針を修正したのである。逆に、マフノ叛乱は労働者階級の自治を実行し、促進できるようできる限りのことをすべて行ったのだった。

 このように、国家資本主義・党独裁の方向にボルシェヴィキの政策が向かっていったことを革命中に生じた諸問題のせいだとすることは難しい。マフノ叛乱は、同じ情況に直面して、労働者階級の自律と自由を保護するべくできる限りのことを行ったのだから。実際、マフノ叛乱が直面した諸問題はいろいろな意味でもっと大きいものだったと言えよう。ウクライナは他の地域よりもロシア内戦中に戦闘が多かったと思われる。ボルシェヴィキとは違い、マフノ叛乱は運動の中心地を失い、再度解放しなければならなかった。再度解放するために、彼らはオーストリア軍・ドイツ軍、ウクライナ民族主義者、ボルシェヴィキ・デニキンとウランゲリの白軍と戦った。ドン川に戻ったコサックや独立派の「緑」軍との小規模な小競り合いもあった。アナキストは、自分たちの運動が存在していた4年の間、こうした様々な部隊すべてと戦ったのである。この戦争は血なまぐさいものだっただけでなく、戦線が常に変化していた。前進し、退却し、従来型に近い戦争から機動性のあるパルチザン戦争へと変化していた。その結果、この地方にはいつもどこにも安全な「後衛」地域がなくなり、建設的な活動はほとんどできなくなった。セクション4は、こうした時期の軍事キャンペーンをまとめている。この時期の戦闘がどれほど激烈だったのか簡潔に理解するためには、マフノ叛乱の中心地だったグリャイポーレという町が1917年から1921年の間に16回ほど支配者が変わったことを考えてみれば良いだろう。

 明らかに、戦闘(そして戦闘がもたらした混乱)という点で、マフノ叛乱にはボルシェヴィキ(陥落しそうになったことはあったが、一度たりともペトログラードやモスクワという本拠地を失うことがなかった)がもたらした相対的平和はなかった。従って、ボルシェヴィキの弾圧的で独裁的な政策を正当化するために利用された諸問題は、マフノ叛乱にも当てはまる。それにもかかわらず、ウクライナでのマフノ叛乱活動は、建前上必要だとされたボルシェヴィキの方法に対する代案が存在していたことを証明した。ボルシェヴィキは言論・集会・出版の自由を弾圧していたが、マフノ叛乱はそれらを奨励した。ボルシェヴィキはソヴィエトを自分たちの政府の単なる暗号に変え、ソヴィエト権力を弱体化させたが、マフノ叛乱は労働者階級の参加と自由ソヴィエトを促した。セクション7で論じるが、マフノ叛乱は可能な限りいつでもどこでも労働者階級の自主管理という考えを適用したのだった。

 残念ながら、マフノ叛乱運動は革命の最中にはあまり知られていなかった。アナキストではない人々がこの運動を解説していることはほとんどなく、言及している少数の歴史家も運動を中傷していることが多い。しかし、コーンバンディ兄弟が正しく述べているように、この運動は「多分、他のどの運動よりもうまく、ロシア革命は大規模な解放的影響力を持ち得たかもしれないということを示している。」同様に、スターリニストやトロツキストの著述家がほとんど完全にこの運動を無視している(触れているときには中傷している)理由も単純である。「この運動は、ボルシェヴィキが労働者と農民を嘘と中傷で押さえつけ、血なまぐさい大虐殺で押しつぶしてしまっていることを示しているのだ。」[Daniel and Gabriel Cohn-Bendit, Obsolete Communism: The Left-Wing Alternative, p. 200]

 FAQのこのセクションは、この重要な社会運動の性質と歴史について述べる。これから証明することになるが、「マフノ反乱−−それは農民と労働者の下からの運動だった。その歴史は運動の根底に大衆の革命的な自治によって労働の自由を確立しようという志向があったことを示している。」 [アルシノフ、前掲邦訳書、189ページ] 彼らはこの目標を極度に困難な情況で達成し、労働者階級の自由を制限しようとするあらゆる企てに、それがどこからやってこようと、抵抗したのだった。マフノ自身が以下のように書いていたことがある:

 「ウクライナでの我々の実践ははっきりと示していた。農民の問題には、ボルシェヴィズムが押し付けた解決策とは全く異なる解決策があった。我々の経験をロシアの他の場所へ広めることができたなら、地方と都市との致命的な分断は作られなかっただろう。何年も続く飢饉を避け、農民と労働者との無益な闘争を避けられたであろう。もっと重要なことだが、革命は成長し、全く異なる方針に沿って発展したであろう。(中略)我々は皆戦士であり労働者でもあった。民衆集会が意思決定をした。軍隊生活では、稼働している全てのゲリラ分遣隊の代理人で構成される戦争委員会が意思決定を行った。要約すれば、誰もが集団的作業に参加し、権力を独占することになる管理者階級の誕生を防いでいたのだ。そして、我々は成功した。我々が成功し、ボルシェヴィキの官僚的実践はまやかしだと示したから、トロツキーはウクライナとボルシェヴィキ当局との合意に背いて赤軍を派遣して我々と戦わせたのだ。ボルシェヴィズムはウクライナとクロンシュタットに対して軍事的には勝利したが、革命史はいつの日か我々を称賛し、この勝利者を反革命でロシア革命の墓掘り人だと非難するだろう。」[Abel Paz, Durruti: The People Armed, p. 88-9 で引用]

 当時、ウクライナのアナキズム運動は、はっきりと区別できる二つの様相を持っていた。様々なソヴィエトや集団を通じて運営されるナバト(警鐘)連合と呼ばれる政治的で非軍事的な組織と、司令官ネストル=マフノの名前に因んでよく知られているマフノフシチナ(「マフノ運動」の意)である(後者の正式名称は「ウクライナ革命叛乱軍」)。FAQのこのセクションでは双方の組織を取り上げるが、主な焦点はマフノフシチナに当たる。

 マフノ叛乱運動についてさらに情報を求めるのであれば、次の本を参照するとよい。この運動のアナキスト側からの解説は、ピョトール=アルシノフによる卓越した著書『マフノ運動史』(郡山堂前訳、2003年、社会評論社)とヴォーリンによる『知られざる革命』(野田茂徳・野田千香子訳、1975年、国書刊行会)である。ヴォーリンの著作はアルシノフの著作からかなり引用しているが、それ以外の有用な資料も含んでいる。アナキストではない人々による解説としては、マイケル=マレのNestor Makhno in the Russian Civil Warが必読である。運動の歴史・社会的背景・政治思想という点で有用な情報が載っている。マレは自分の著作をマイケル=パリジュのThe Anarchism of Nestor Makhno, 1918-1921を補足するものだと見なしている。パリジュの本は主としてこの運動の軍事面の解説だが、確かに、社会的・政治的側面も取り上げている部分がある。残念だが、どちらの本も手に入れにくい(訳註:2017年10月5日現在、マレの本パリジュの本もインターネット上で読むことができる)。ポール=アヴリッチ著The Russian Anarchistsにはこの運動を短く解説した部分があり、Anarchist Portraitsにはネストル=マフノの章がある。アヴリッチのThe Anarchists in the Russian Revolutionにはマフノ叛乱運動の原資料が載っている。ダニエル=ゲランは「神もなく、主人もなく」(長谷川進・江口幹訳、河出書房新社、1973年)の第2巻にマフノとマフノ叛乱運動のセクションを設けている。この部分には、アルシノフの本からの抜粋だけでなく、この運動の様々な宣言文やレーニンとの会談の模様をマフノが報告した文章も含まれている。クリストファー=リード著From Tsar to Sovietsにはマフノ叛乱運動に関する優れたセクションがある。サージ=シプコ(Serge Cipko)はNestor Makhno: A Mini-Historiography of the Anarchist Revolution in Ukraine, 1917-1921The Raven, no. 13)においてマフノ叛乱運動に関する様々な著作をうまく概説している。アレクサンドル=スキルダはペレストロイカ時代のソヴィエトでマフノがどのように解説されていたのかの要旨をThe Rehabilitation of Makhno (The Raven, no. 8)という小論で示している。スキルダによる伝記Nestor Makhno: Le Cosaque de l'anarchieはこの運動について現在手に入れられる中で最良の解説書である。

 最後になるが、様々な名称について一言。原資料の中で名前の綴りがかなり多様なものがある。例えば、マフノの故郷は Gulyai Pole・Gulyai Polye・ Huliai-Pole・Hulyai Poleと翻訳されてきた。他の場所の名前も同様である。山賊のGrigor'ev も Hryhor'iv や Hryhoriyiv と翻訳されてきた。ここでは、ほとんどの場合、マイケル=マレの訳語を基本とすることにしている(つまり、Hulyai Pole と Hryhoriyiv)。(訳註:日本語訳に際しては、郡山堂前の訳語を基本とすることにした。)

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