民主主義を徹底せよ
by Murray Bookchin

(Kick It Over誌の編集者がタイムリーに行ったマレイ=ブクチンのインタビュー)


本論分は、1985年にアナキスト雑誌、Kick It Overがブクチンに行ったインタビューである。原文は、Radicalizing Democracy: An Interview with Murray Bookchinで読むことができる。原文にいくつか誤字が見られたため修正しておいた。

内容:

  • サイバネティック革命について
  • 新しい哲学的パラダイムに向けて
  • ドイツ「緑の党」の矛盾
  • 急進的民主主義運動の構築

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我々はどこから来たのか?我々は何なのか?
我々はどこへ行くのか? K.I.O. Interviews Murray Bookchin

マレイ=ブクチンは、多くの本とパンフレットの著者である。その最も有名なものには、Post-Scarcity AnarchismThe Ecology of Freedomがある。Kick It Overコレクティブのメンバーの中にも、彼の思想に深く影響を受けている者がいる。このインタビューは、1985年初頭にオンタリオ州ウォータールーで行われた地域経済発展に関する会議の時に行われた。惜しみない援助をしてくれたスティーブ=Hと、惜しみなく貴重な時間をとってくれたマレイ=ブクチンに謝意を表す。このインタビューは、ロン=ヘイレイが行い、アレキサンドラ=ディーヴォンが編集した。

K.I.O.:著作の中であなたは、我々は、狩猟採取生活から農業へ、農業から工業への移行と同じぐらい大規模な変化を現在経験している、と書いていますね。このことについてもう少し詳しく述べてもらえますか?また、何故、それが現在生じているのかについても述べてもらえますか?

マレイ=ブクチン:私が思っていた変化とは、サイバネーション・遺伝子工学・原子工学・多くの分野における電子テクノロジーの洗練・非常に洗練された監視手段の開発のことです。この変化の規模は、絶対的に、驚愕すべきものです。今日、私たちが目にしていることは、完全にモラルに反した経済と社会なのです。この経済と社会が最も根元的なレベルで事物の神秘と生命の神秘を明らかにしてきたわけです。この社会は、社会的善を生み出すやり方で、この知識を利用することなど決してできません。確かに、テーブルから落ちてくるご馳走のおこぼれもあります。しかし、資本主義とヒエラルキー社会に関する私の知識と全経験からすれば、一般的に、ほとんど全ての進歩は、最良の場合でも約束にすぎず、最悪の場合には世界を徹底的に荒廃させるものなのです。

従って、私自身の生涯だけでこれまでに現れてきたこの組み合わせ、事物の最も深遠なる神秘を、特に原子力を理解し、事物をエネルギーと生命工学へ変換することについて語るならば、私は、私たちは途方もなく重要な革命に直面していると感じますし、この革命が資本と国家の手の中にある以上、社会に対するそのインパクトは極めて破滅的なものになりかねない、と感じています。これが支配とヒエラルキーに利用されるのと同じように、人間社会やこの惑星の生態学に利益をもたらすとは予見できません。全てのテクノロジー革新は、多かれ少なかれ、支配とヒエラルキーに利用されてきたのです。

この革命の範囲は、多くのやり方でその輪郭を描くことができるでしょう。まず第一に、サイバネティックスは、ブルーカラーであれホワイトカラーであれ、専門職ではないほとんどあらゆる種類の労働者階級の立場をないがしろにする恐れがあります。サイバネーションが導入されれば−−そうなるのも単に時間の問題なのですが−−、それは数千万の人々に取って代わることでしょう。産業労働者階級は、少なくとも主要な欧州−米国の中心地では、十中八九、合州国において4百万ほどの数になってしまった農家と同じような数の階層へと減少させられるでしょう。

すでに私たちは米国労働運動の衰退を目撃しています。組織的労働組合運動は、三人に一人(これも衰退した労働力なのですが)から、五人に一人へと減少しています。これは、初歩レベルの労働組合主義においてさえ階級意識が減少している、ということを映し出しています。私はサンジカリズムについて述べているのではありません。普通の平凡な労働組合について述べているのです。また、労働力は、2700万に近い数になった後に、例えば1700万以上にはならず、最終的には1000万に減り、700万に減り、500万に減るだろう、と予測できます。こんなことも予測できないなど、極度に近視眼なのです。

私は、農業従事者が3000万人ほどだった時代を生きていましたが、現在では、たった400万人しかいません。これは、まず第一に生産が行われる方法について、途方もない革命です。そして、この社会の階級構造における途方もない革命なのです。

よくよく思い出してほしいのですが、マルクス主義者だろうと、アナキストだろうと、特にサンジカリストの場合はそうなのですが、その前提は、民衆がさらにプロレタリアート化し、プロレタリアートの力は生産手段を統御する能力にある、ということでした。マルクス主義は言うに及ばず、アナルコサンジカリズムの主要概念の一つは、労働者階級は全能の勢力であり、労働者階級がゼネストを行うことでシステムが混乱する、という考えだったのです。しかし、労働者階級の数が非常に減少し、産業の多くがロボット化しているのなら、ゼネストのような概念は全く無意味になってしまうのです。

これが最初の結論となるでしょう。つまり、強力な勢力としての労働者の減少です。もう一つの結論は、このことが引き起こす政治的問題です。非常に多くの、いわば「無関係な」人々と共に、どのような政治構造がそうした人々を取り扱うのでしょうか?この社会に居場所がない数千万の人々とどのように付き合おうというのでしょうか?そうした人々はどのように使われるのでしょうか?どのように雇用されるのでしょうか?

合州国において、我々は、共和制の諸原理を中心として構築された大きく農村的な憲法をいまだに持っています。これはブルジョア階級すらも受け入れたくはなかったものです。ブルジョア階級は、共和制諸原理から恩恵を受けていますが、共和制諸原理を受け入れたいとは思っていませんでした。それらは、ヴァージニア州の貴族階級が土地に基づいて形成した諸原理なのです。貴族階級は、どれほど資本主義に閉じこめられていたとしても、農村的観点を保持していたのです。これらは小規模農家から出現した諸原理であり、商業ブルジョア階級に譲歩しているのであって、産業ブルジョア階級とではありません。これが米国共和制と米国民主主義が崇敬している像なのです。同様に、カナダ連合主義の諸側面も含めることができるでしょう。私たちが「ブルジョア革命構造」だと示している諸構造は、資本主義の将来の発展とは全く相容れないのです。

米国憲法に存在している抑制と均衡−−急進主義者としての私たちは、民衆に権力を与えていないという理由で非常に反動的だと以前は見なしていたのですが−−は、実際には、行政権をチェックする働きをし、米国の政治生命の全体主義化を抑制しているのです。レーガンは、ベイルートから海軍を引き上げねばなりませんでした。彼は、抑制と均衡のために、たやすくニカラグアを侵攻できなかったのです。抑制と均衡は、以前は非民主的だと見なされていたのですが、現在は、実際に、非常に権威主義的な大統領が世界で自分の好き勝手を行うことを禁じているのです。

同様に、私たちは今でも共和制システムを持っています。この共和制システムは、民主主義的特徴を伴っており、この特徴が抗議行動を可能にし、民意を可能にし、民衆操作・民衆統制(特に、経済的消滅に瀕している民衆の)の代案になっています。だから、私は、莫大な緊張が構築されているのを、いわゆる「ブルジョア」の過去と資本主義の未来との危機を、理解できるのです。私たちがこの莫大な危機を見過ごすことができるとは思いません。ブルジョアの過去は、この緊張についてリバータリアン的特徴を持っています。ニューイングランドのタウンミーティング・自治体管理と地元管理・政府は小さいほど良いという米国の神話・独立と個人主義に対する米国の信念です。こうしたこと全ては、サイバネティック経済に対するアンチテーゼです。権力の統合の中でそれ自体の利益を持っている莫大な割合の官僚機構は言うに及ばず、国内規模・世界規模でサイバネティック経済を管理するためには、非常に中央集権化された大企業経済と非常に中央集権された政治システムが必要なのです。こうした矛盾は向き合うべきものです。これらは、極度に急進的な潜在性を持っており、何とかして私たちはこれを取り扱わねばなりません。

K.I.O.:あなたの著作のいくつかの中で、あなたやあなたの同僚たちは、マルクス主義の専門用語を使えば、それぞれの生産様式が、どのようにしてある種の認識論を、つまり世界の見方を創り出すようになるのか、について述べています。この経済的変革と同じぐらいの、簡単にコメントする価値があるイデオロギー的傾向が他にもあるのでしょうか?

ブクチン:そうですね、最も重要なものは、認識論的見解としての商品が思考方法へ侵入していることでしょうか。「その考え、買った」とか、「ボトムライン(訳注:決算書の最終行のことから転じて、要点のことを指している)は何ですか?」とか、「何かフィードバックをください」といった表現にこのことが表れています。こうした表現は、軽く見られてはなりません。これらは、システム理論とサイバネティックスに従うという単なる語法上の試みではありません。これらはビジネスとサイバネティックスのメンタリティを本当に反映しているのであり、認識論の観点からは非常に重大なことなのです。

近代企業は一つのシステムであり、フローチャートで図示するときの方法はフィードバックという観点で行われ、システム理論が現在私たちの思考にほとんど帝国主義的に普及するようになっていることは偶然ではありません。私たちはその言葉を使っているのです。フィードバック・インプット・アウトプット。私たちは、ギリシアの言葉、「dialogos」という意味ではもはや対話をしていません。「logos」とは、話すということだけでなく、精神も意味しているのです。私たちは、データという意味で情報を使っており、何かに対して形態を与えるという意味では使っていません。私たちは、現在、プロセスではなく、類型論(辞書的定義によれば、類やシンボルに関する学説や研究のこと)という点で思考しています。そして、私たちは、フロー図式を発達させ、変化する社会という考えと哲学的に相容れないパターンを示しているのです。私たちは、所与の社会が持つ力学的均衡という点で考えているのであって、社会に自己破壊の種子を組み込んでいる変化し自己変換的で自滅的な経済という弁証法概念という点ではありません。

この種の論理・サイバネティック精神構造は、現状への順応を露わにしています。大企業があるということを前提と見なしているのです−−どのようにすれば、大企業を効率よく、効果的にできるのだろうか?大企業が破壊的な場合には、どのようにすればもっと破壊的になるのだろうか、大企業が悪質な場合には、どのようにしてもっと悪質にできるのだろうか?こうしたことが、私たちの言語にだけでなく、多くの思考が言語によって形成されている以上、私たちの思考能力にも重大に影響しているのです。私たちは、言語を本当に洗浄しなければなりません。さもなくば、私たちの革命的思考はこの精神構造によって堕落させられるに違いありません。既に、ユルゲン=ハバーマスのような著作者は類型論とフロー図式を使っているのです。この人はマルクス主義者だと公言していますが、私に言わせれば完全にマルクス主義とは決別しているのであり、衰退は社会秩序に潜在しているという内在的発展の考えを中心に構築されている弁証法精神構造さえとも決別しています。類型論アプローチは、いかなる衰退も見ることはありません。単に見取り図を見るだけであり、ここで情報は本当に形式なのであり、社会的構造を設計する上で与えられるデータだというだけではないのです。社会構造が静的なものだと仮定し、従って、肝心なことは、社会があたかもエンジンと同じであるかのようにして、内部の仕組みを吟味することだ。そして、行わねばならないことは、パーツが効率よく機能しているかどうか、技術的にパーツを改善できるかどうか、なのだ。というわけで、自分がそうしているとは知らずに、一つの習慣の問題として現状の中で生きているのです。

K.I.O.:あなたが話されていることは、情報中心の経済に向かう傾向全体に関わっていると思われます。これが、私を非常に悩ませているのです。過去、経済のボトムラインは、実物財とサービス財、実質財産の生産だといつも仮定されていました。現在、経済的に進んでいることの多くは、情報の購入・販売・加工のように思えます。このことが経済的に何を意味しているのか、何故これが今起こっているのか、そして、もっと伝統的な経済プロセスとはどのように関連しているのかについて簡単にコメントしていただければと思います。

ブクチン:あなたが「ボトムライン」と言っていたのは興味深いですね。私は批判しているのではありません。ただ、私たちが資本主義の「パラダイム」と類型論の中でどれほどまで動いているのかということを意識せずに、こうしたことをいかに述べているのかについて示してみただけのことです。

私たちは、商品を生み出そうとしています。私たちが単に述べていることは、「情報」と呼ばれているものも商品だ、というだけのことで、大げさに重要だと仮定されているのです。しかし、情報は、単に売買できるだけではなく、生産するためにも使われるます。したがって、私は、私たちが情報化時代に突入しているというよりも、経済的にであれ、政治的にであれ、心理的にであれ、あらゆる種類の操作目的で情報を蓄積する方法を学んでいるのだと思います。

私は「情報」という言葉を使うことに抵抗があります。これは、私が「脱産業化」という言葉を使うことに抵抗があるのと同じです。私は、こうしたことは、経済をサイバネーション化しているのだと思いますし、経済は物品を、その大部分が軍用になるであろう物品を、生み出すでしょう。合州国においては、新しいやり方で再産業化するほども、脱産業化などしてはいないのです。米国は経済を戦争経済へと転換しています。その最大の産物は、ミサイル・ロケット・人工衛星・宇宙テクノロジー・兵器であり、それ以外のものは、その産物と関連しています。そうした産物は、一般に、日本人やアジア人に織物を生産させ、メキシコと第三世界の人々に伝統的資本主義が持つブルーカラー型の産業製品を生産させようと待ちかまえています。ところで、それらは、兵器産業を支援する、少なくとも、その最小限のニーズを満たすためには、いつも、米国で充分に保つことができるのです。

K.I.O.:サイバネーションに向かう傾向と共に、多くの経済的分極化が生じていますが、真実を言えば、私はさらにこの分極化が進むのではないかと思っています。つまり、多くの人々が北米で巨額の金を手にすることになるのではないか、という意味でです。労働者階級の貧困化から離れて、よどみない消費主義に向かう傾向のように、第三世界の搾取からこれは生じるのでしょうか?多くの人々が経済的に剰余となる以上、何が生じるのでしょうか?消費者として人為的に維持されるのでしょうか、それとも、貧乏になってしまうのでしょうか?

ブクチン:私には多くの人々が何を行うのか予想できません。このことは、私の人生を越えていますし、私の歳月を越えていますし、私の時代を超えています。私が提供できることといえば、様々な可能性だけなのです。それらは、社会全体を軍隊化することもあり得ます。そこではあらゆる社会階層が、本質的に、制服を着ていようといまいと、軍のために活動することになるでしょう。それらは、何らかの産児制限のシステムを開始しなければならないかもしれません。私は大量虐殺について述べているのではなく、人口を減少させる方法について述べています。

それらは二重社会と二重経済を創造するかもしれません。そこには、非常に裕福な人々と独りでやりくりする人々がいることでしょう。

ブレードランナーという近未来物語がありますが、これは私がこれまで見た中でも最もリアリスティックなものです。少なくとも、未来がそのようになる可能性という点で、最もリアリスティックです。そこには、社会にいくつかの階層を持った経済があり、特権者は超高層ビルに住む一方で、街頭にはむさ苦しくその日暮らしのルンペンプロレタリア階級が住んでいるのです。バイオエンジニアリングが非常に重要な役割を演じています。いずれにせよ、私たちは非常に統制された社会を持たねばならないでしょう。それだけを私は確信しています。それがどれほど全体主義的になるのかどれほど権威主義的になるのかを予測するのは難しいでしょう。

K.I.O.:私にとって最も不快なことの一つは、解放的力という点でも、あなたが述べていた事柄のいくつかという点でも、現在何が生じているのか、どのような異なる諸傾向が存在しているのかを予測するのがこれほど難しいと感じられたことはない、ということです。状況が矛盾しているのです。

ブクチン:その通りです。資本主義がその完全な階級基盤を再編成しているからです。資本主義は純粋なシステムなどではありません。私たちは、成熟すればそれが資本主義なのだろうと仮定しているだけで、今でも、成熟した資本主義がどのようなものかわからないのです。19世紀の資本主義社会は、莫大な数の前産業的諸特徴を持っていました。正直なところ、産業の中には資本主義がありましたが、いったん直接的な産業部門を離れると、本当に前資本主義的で前産業的な町内へと戻っていたのです。家族農場や大家族の一員だったのです。ショッピングモールやスーパーマーケットなどなく、家族経営の小売店があるだけでした。

現在、特に1950年代以降−−私が、第二次世界大戦を、単に資本主義の歴史だけでなく、人間の歴史における途方もない転換点だと見なしていることを思い出してください−−、自宅に帰るということは、テレビの形態をした即座のメディア統制に帰ることなのです。あなたはベータマックスやビデオに配線をつないでいます。電話を持っています。高層マンションで核家族で生活していたり、単身で生活していたりします。ショッピングモールもあります。自動車もあります。資本主義はあなたが使用する言語の中で、あなたが確立する諸関係の中で、あなたの生活に侵入しています。資本主義は、多かれ少なかれ、作動し始めており、私たちは成熟した資本主義がどのようなものであるかについて何らかのことを目にし始めています。もしくは、少なくとも、前産業的で半封建的な族長的形態が非常に入り交じっていた初期の資本主義システムと対比して、成熟した資本主義形態の始まりを理解してきているのです。

私は、以前の社会の方が良かったなどと述べているのではありません。少なくとも、地域ネットワークによって、マスメディアがあまり存在しない中での対話によって、今日多くの青年たちが想像もできないほどの教育システムによって、叛逆の魂を培養することができていたのだ、と述べているのです。1917年のロシアを詳しく調べようとも、1930年代のスペインを詳しく調べようとも−−そして、あらゆる段階で、その他の反乱があったのですが−−、印象的なほどに生じていた資本主義に対する反乱は、本当に、仕事着を着た農民の活動だったのです。革命的労働者の運動は本当は仕事着を着た農民の運動でした。こうした人々は二つの文化の間にある緊張の中に存在していた民衆だったのです。1930年代ですら、そう考えられていました。民衆は二つの文化の緊張状態に生きていたためであり、その文化の一つは、前資本主義的で前産業的な文化であり、もう一つは、産業的で資本主義的な文化だったのです。

従って、純粋な労働者階級などフィクションなのです。先天的労働者階級はフィクションです。事実、どこであれ労働者階級が先天的になったところでは、労働者階級はシステムに組み込まれてしまっていたのです。これが最も顕著だったのは、ドイツでした。そこでは労働者革命のチャンスなどどのみち全くなかったのです。ローザ=ルクセンブルグといえどもそうだったのです。ただ、ローザ=ルクセンブルグは、中央欧州で労働者革命が成功するチャンスはない、と理解していましたが。

今日まで、革命について語るとき、それは、農民集団の全国革命のことを指しています。従って、資本主義に対する反乱は、通常、当初から資本主義に縁もゆかりもない階級の中で生じるものでした。彼らがたまたま工場にいたから、労働者と名付けられたのです。でも、彼らは村落から一歩外に出ただけだったということが忘れ去られています。ロシアでもそうでした。スペインでもそうでした。職人と熟練工によるパリコミューンのフランスでも大いにそうだったのです。コミューンを導いたのは産業労働者ではなく、1789年〜1794年の昔のサン=キュロット(コンサイス=オクスフォード辞典によれば、文字通り、半ズボンをはいていない、フランス革命中のパリの下層階級共和主義者たち)だったのです。

今日の英国における鉱山労働者さえも、未だに、村落に住んでいます。彼らは、ロンドンのプロレタリア階級ではありません。ロンドンのプロレタリア階級は、自分たちのストライキに対して著しく冷淡なのです。それほど労働者階級は完全に消滅しているのです。絶滅寸前の状態であり、労働者−−マルクスが非常に賛美していた大量生産産業にいる産業プロレタリア−−が革命的だったのかそうではなかったのか(仮に、彼らが労働者としてではなく、階級として革命的になり得ていたとすればの話ですが)など、本当の問題ではありません。労働者は、急進化する可能性を持っています。私が述べていることは、階級として簡潔に一元化されている、資本主義の胎内にいるプロレタリア階級は、正のその資本主義の拡張を通じて資本主義的社会秩序を破壊するだろう、という見解についてです。事実、資本主義のまさにその拡張は、資本に対する、あらゆる種類の革命的対立、少なくとも暴動的対立という唯一の有望な約束を示している階級をまさしく破壊しているのです。

K.I.O.:科学と哲学(特に、生物学)で、興味深い発展が見られています。自然における協働を分析する新しい方法が開発されています。哲学ではパラダイムシフトと事物を分析する新しい方法が語られています。例えば、デヴィッド=ボーンは、「包含秩序」(implicate order)という理論に関する著書を書いています。あたかも、こうした小さな断片を全て寄せ集めて、何か新しいものを作りだそうとしているように思えるのですが、そのことが起こる見込みについてはいかがですか?

ブクチン:そうですね、まず第一に、私は、世論以上の何かについて基盤づくりを発展させることが大事だと思います。世論は、例えば、火曜日には民衆の51%が望ましいとしているという理由で死刑制度は良い考えだと見なし、水曜日には、民衆の51%が反対しているという理由で使役精度は悪いと見なすのです。この相対主義的倫理は、いかなる実質も意味も全く欠如しています。従って、私は、倫理は、客観的なものを基盤としていなければならない、と思っているのです。古代ギリシア人は、自然の中にその基盤を置くことで、それを行おうとしていました。彼らが考えていたことは、自然法という概念、つまり自然哲学だったのです。

生態学はそのプロジェクトを再開しています。ある概念や善や徳に客観的な基盤を与えるものを探し求めているのです。何が正しく何が間違っているかの基準は、「私に良いことは私に良い。あなたに良いことはあなたに良い。」(純粋に機能的で私生活中心主義的道徳です)という単なる変遷の対象ではありません。

私は、自分の著作で、ヴィクトリア朝時代の自然の概念とは全く対立する倫理アプローチを発展させてきました。ヴィクトリア朝時代の自然概念は、自然は残虐の領域−−あたかも自然が道徳をもっているかのように−−であり、自然はけちであり、自然は盲聾であり、宿命論である、というもので、社会は、理性の領域であり、自由の領域である、というものでした。宿命論的自然概念は、少ない資源やけちな自然と対照的に、テクノロジーが解放の領域だ、というのです。逆に、生態学のアプローチでは、自然は道徳的でも、残虐的でも、そういったことのどれでもありません。逆に、自然は豊潤(多産で、肥沃で、豊かにする−−編者注)で、永続的に革新的で、機会と複雑さの領域であり、一つの後に別なものが継承するエコシステムの領域なのです(that succeed one upon the other)。そして、自然から現れた社会を、いわば、ランク付けでき、自然と連続した倫理を発展させることができるのです。

この点についてもっと詳しく解説することもできますが、それには、お互いに対立する立場に置かれている精神と肉体、社会と自然の間に存する二元論をどのようにすれば克服できるのかを示す全く別な議論が必要です。動物共同体・植物共同体と人間社会とを著しく区別していることは諸制度を持っていないということなのです。この諸制度が、ニコラス二世は知的・心理的に郵便局を運営するために必要な能力を身につけてはいなかったにもかかわらず彼をロシア皇帝にならしめた制度、ルイ十七世を普通の錠前師以上のものにせしめ、数百万の人々の運命を支配できるようにせしめたのです。

従って、社会と動植物共同体との区別はなされねばなりません。ですが、私には、母子関係(何故母子だけなのだろうか?−−編者)を媒介として、どのようにして、若い人たちのだらだらと続く幼年時代に社会が根を張り始めるのかを理解できます。ここで、社会性(sociation)が発達するのです。これは、明らかに人間の特性です。これが、最初は母親を中心とし、その後に全体としての社会へと拡張する家族的諸関係の連結を究極的に導くのです。従って、社会の起源は、ホッブスが主張したことや多くの「徹底した個人主義者たち」がそうしているように、個々人が全員に敵対しているといったものではありません。社会の起源は、結局のところ、協調・参画・共有・思いやりにあるのです。

そこで、私はこうした二元論は、歴史的観点を使って克服できると思っています。精神が肉体と別なものにはなり得ません。なぜなら、精神は肉体から出現しているからです。実際、単一で受動的な細胞から神経ネットワークへ、複雑な神経システムの発達へ、最終的には異なる形態の脳とそのその統合へという、精神の自然な発展史があるのです。

だから、私は、精神と自然との架け橋を扱う必要を感じていません。なぜなら、精神は自然から出現したのですから。二元論的概念を扱う必要もないのです。私の自然のイメージは、征服されるべきケチな自然、残酷な自然、盲目の自然でもありません。逆に、より大きな複雑さを永久に引き起こし、さらに大きな複雑さを生ぜしめ、どれほど胚種的であろうとも動物と植物が進化的発達に参画する新しい進化の道筋を開く(そして、意志と選択を擬人的に押しつけたくはありませんが、意志と選択のような何かを与えてくれる)、多産な自然なのです。故に、単なる自然淘汰があるだけではありません。自身の進化に対する種の参画があるのです。進化は、遺伝的変化や突然変異からと同じぐらい、種それ自身からも生じる能動的プロセスなのです。

これら全てのことが、胚種的自由は自然から生じるという考えが導かれます。と言っても、選択・意志・意識的決定を行使している私たちが知っているような自由ではありません。胚種的自由は、動物が自分自身の淘汰に、ある意味では生存するために自分自身を淘汰することに参画する中で、その機会が創り出されるのです。これは、自然における生存の問題だけではなく、発展・成長・複雑さの問題なのです。そう、この点からすれば、自由は、複雑さと同じぐらい重要な、進化における主題なのだと思い始めることができるようになってきたのです。同様に、神経システムの発達は、進化における主題です。意識、もしくは意識に向かう運動も進化における主題です。動植物の進化は社会的進化へと次第に変化するのです。従って、私が倫理に対する一つの基盤が創り出されているということを非常に強く感じているのはこのためです。私は、自然が倫理的だと述べているのではありません。私たちが倫理的なのです。しかし、倫理の基盤を探求することはできます。自由は、生命進化の主題なのです。単なる観念論の目標などではないのです。

現在出現している多くの環境哲学について私が当惑していることは、それらがシステム理論を中心に構成されていることです。私は、システム理論を非常に価値あるものだと見なしています。しかし、それは大部分が還元主義的であり、私は既にシステム理論に対する批判のいくつかを述べてきました−−システム理論は、いくつかの点では大企業理論なのです。だからといって、システム理論が誤りだとは言いません。システム分析に役立つ分野だけに単に入植しているということであれば、です。でも、その分野を帝国の支配下におき、これが全ての事物の総体だなどと述べることは、受動−受容的認識論もしくはタオイズムが生態哲学の全てだと主張するのと同じぐらい、私を不安にさせ、当惑させるのです。

私が現在目にするようになってきていることは、善意ある多くのエコロジストがシステム理論をその方法論・パラダイムとして使っている、ということです。そこでは、受動的受容的なメンタリティが使われています。「干渉するな。のんびりしろ。自然のままにさせておけ。いかなるテクノロジーも自然に干渉しているのだ。」というわけです。人間は、自然を支配しようとせずに、自己意識的に自然に介入できる、と私は信じています。人間は自然の産物として、自己意識的自然として行動することができ、自然進化のいわば種子と共に進みながら、複雑さと自発的発展という進化プロセスを促すことができると私は信じています。

従って、私の生態哲学−−私がこの言葉を使ってかまわないのなら−−は、現在活躍している他の生態哲学の多くとは幾分異なっています。重要なことは、民衆が生態哲学の必要性を感じており、それは哲学者からではなく、科学者に−−充分奇妙なことですが−−由来しているということです。民衆はそれを必要としており、自然を侮辱し自然を時代遅れだと見なしている哲学が、科学コミュニティ(今や哲学へと次第に転じてきていたり、それ自身の哲学を構築してきているのですが)と対決しているのは、皮肉なものです。そして、急進的哲学を私たちが構築できないのであれば、非常に奇怪なもの−−「血と土」とか「利己的遺伝子」のような、そして、E=O=ウィルソンの社会生物学:新しい総合で示されている諸見解のような−−を含めた、非常に反動的な哲学を手にすることになるでしょう。

K.I.O:友人が私に話してくれたことで興味深かったのが、ドイツの1920年代にいた「ニューエイジ」とフェミニスト精神主義コミュニティの多くが、ナチの神秘主義に同調していた、という話でした。

ブクチン:私がドイツと深い関係を持ち、その過去について多くの本を読み込んで以来、このことが莫大に私を困惑させています。この企てはドイツの「緑の党」にその傾向を転嫁してきていますが、私はこれをドイツで起こったことのグロテスクな単純化だと見なしています。完全に分断されたワンダーフォーゲルがその一例です。その分子の中には、ファシストになったものもいれば、社会主義者になったものもいます。反動主義者になったものもいれば、革命家になったものもいました。

K.I.O.:ワンダーフォーゲルとは何ですか?

MB:「ワンダーフォーゲル」とは、「渡り鳥」という意味です。これは20世紀初頭に発展した青年運動で、自然・集団生活・自然界に親しむことに関するロマンチックな愛で満たされ、自分自身の中に直感的感情を発見しようとし、資本主義への嫌悪に満ちていました。こうした運動に全体論への傾向−−血と土の神話を持ったファシズムを導いたに違いない民衆の共同体精神−−程度のものを見るなど、非常に一方的です。そうした運動が、そのような方向に向かわねばならなかったなどということは決してなく、その運動が常にそうした方向に向かったということもありません。「ワンダーフォーゲル」運動にいた多くの人々は、その後に、エルンスト=ブロッホのようなマルクス主義者の自然哲学に流れ込んだり、本質的に、グシュタフ=ランダウアーのようなアナキストになったりしたのです。その運動の全ての人がナチになったわけではありません。

事実、ナチズムは第一次世界大戦で戦場にいたフランス兵士の友情からもっと育っていたのです。ヒトラーはこれを本当の共同体だと見なしていたものでした。前線にいる戦士たちの共同体です。大部分の人々は、ドイツ思想、ドイツの詩、ヘルダーリン・ヘーゲル・シェリングにすら遡るドイツのロマン主義的伝統における有機的動向を利用しようとしていたのですが、ヒトラー自身は畜生であり、自分が含めることができると思ったものなら何でも利用し、非常にはっきりと言ってかまわないのなら社会主義思想をも利用したのです。ナチの旗はシュワスティカが描かれた赤旗でした。ちょうど、ムッソリーニが、イタリアでのアナキズムの人気のために黒いシャツを取り入れたのと同じです。彼らは「黒シャツ」と呼ばれていました。黒いシャツの選択は、アナキズム的心情やイタリアの労働者が持つサンジカリズム諸傾向と同一視しようという試みだったのです。それならば、アナキズムがファシズムを導いたということを意味しているのでしょうか?私は、ドイツのロマン主義的伝統がファシズムを導いたという事実以上に、社会主義と社会民主主義がファシズムを導いたというもっとましな実例を挙げることもできます。

ヒトラーは、自分の党を国家社会主義ドイツ労働者党と呼んでいました。彼らは、社会民主主義を「un camerade」と表現していたのです。彼らは、社会民主主義が持つ大衆動員テクニックを使っていました。事実、ヒトラーは、初めてヴィエナを訪れたとき、ヴィエナで莫大な労働者集団が赤旗を持ってデモを行っているのを見て、圧倒され、それに影響され、ニューレンブルグ行進用に完全なる劇場を最終的に創り出したのです。彼のプログラムは反資本主義でした。彼は、社会主義運動の言葉を採用しました。私は、マルクス主義とファシズムが等価だということをここで述べた方がよいでしょうか?

K.I.O.:できればお願いします。

MB:マルクスがファシストだったとは思いません。彼がファシズムの土台を作ろうとしていたとも思いません。同様に、私は、シェリングがファシストだったとも、「ワンダーフォーゲル」運動がファシズムの基礎を作ったとも信じていないのです。これは明らかにナンセンスです。さらに、ヒトラーはこうしたこと全てについてシニカルだったのです。彼は、自分が発見できた全ての思想を利用し、折衷的な寄せ集めへと継ぎ接ぎしました。ナチ党の内部では、このことのために、グレゴール=シュトラッサーが導いた分裂が創り出されたのです。彼は、ナチ党がプロシアのユンカーと資本主義者に同調しているとして、党を分裂させ、攻撃し、社会プログラムを継続するべきだと主張したのでした。当然、ヒトラーは、突撃隊員を粛正しました。なぜなら、ブルジョア階級とユンカーが、人種差別主義や血と土のファシズム神話よりも社会主義にもっとコミットしていたこの強力な遠征や運動を恐れていたからです。

従って、このことは純然たる戯言なのです。そんなことをいっている人たちは、社会主義からヒトラーをどれほど得ることができ、アナキズムからムッソリーニをどれほど得ることができるのか思い出さないのでしょうか?ムッソリーニは、プルードンを師匠だと見なしていました。私は、アナキズムや社会主義がナチズムを導いたなどと言っているのではありません。でも、私は、人々が、ドイツのロマン主義運動や「ワンダーフォーゲル」運動が、そして、ドイツにおける自然の愛の運動がナチズムに流れ込んだなどという主張をどこで止めるのか、と述べているのです。何故、それほどまでに選択的なのでしょうか?自分自身のイデオロギーを見て、どの程度までそれがファシズムに流れ込んでいるのか、そして、そのために一つの事例をどれほど強引に仕立て上げることができるのかを発見すれば良いではありませんか?これが私を激怒させるのです。なぜなら、ドイツの「緑の党」は、その生態学的観点故に、いたるところで有罪とされているからです。これは、最もがさつな類の還元主義だと言うだけでなく、非常に複雑なドイツ史と、共産社会に関する生態学的な見解が20世紀の政治で果たしている非常に複雑な役割を卑俗化しているのだと思います。

K.I.O.:北米では、グリーン運動はごちゃ混ぜになっているように思います。私は、カナダでは−−このことはどこでも真なのですが−−死体にたかる蠅のように、緑の政治に見せられたものすごい数の出世第一主義者がいます。同様に、運動内部には多くのテクノクラート的偏流もあります。緑の運動に関して北米で−−もっと広く言えば世界中で−−どのようなことが出現していると思われますか?何がその複雑さとその見解の相違の原因だと思いますか?

ブクチン:まず最初に、私が緑の政治と言うことで何を意味しているのかを説明させてください。というのも、私は議会政治を意味してはいませんし、国家に屈服することも、その内部で機能しようとすることも信じていないからです。これは大きな間違いです。私は、リバータリアン政治を信じています。私が基本的に述べていることは、アナルコサンジカリズムは、資本主義を変革する、そして私の意見では望むらくはこのシステムから完全に私たちを解放する、今日の力を説明するためにも、それを動員するためにも、もはや充分ではない、ということなのです。

政治ということで私は何を意味しているのでしょうか?私は、まず第一に、ギリシア的意味での政治に帰っています。私は治国策(statecraft)について述べているのではありません。治国策は、国家管理に関する見解を持った国家内部の政党として機能しています。私が政治という言葉を使うときには、元々の古代ギリシアの意味でのポリスという言葉、アテネのポリスに戻っているのです。

皆さんにお願いしたいのですが、私が既に知っていることを指摘しないでいただきたい。アテネのポリスは、家父長制でした。軍国主義的でした。奴隷社会があり、同時に非常に偏狭な場合が多かったのです。私が古代アテネ的意味で政治について語るとき、私はその最良の特徴、市民がアテネでの顔を付き合わせた民主主義に参加し、意志決定をし、軍事的な事柄に巻き込まれたときには義勇軍システムを持ち、自身の武器を持ち、ローテーション=システムを持っていたという事実です。こうしたことは全くリバータリアン的考えです。従って、私が政治について語るときには、分権的で連邦的でローテーションを中心に構築され、くじ引きを中心に構築され、望むらくはできる限りコンセンサスに近づく形でのポリスとコミュニティ−−ここには、自身の事柄を管理する能動的な市民集団がいます−−という意味で述べているのです。これが私にとって政治が意味することなのです。私がリバータリアン政治について語るときには、私は、文字通り、民主的なだけでなく、リバータリアンで、私的所有権のない分権型社会を中心に構築された政治を意味しているのです。そこでは、集産化と、結局のところ経済の自治体所有があるのです。

私は、同時に、政治(politics)を治国策(statecraft)と全く区別してこなかったことは大きな誤りだったと信じていますし、不幸にして、善意ある同志たちの多くがこの二つを混乱して使ってきたと思っています。私は、この二つを別々に考えることが非常に大切だと思います。私は、CNTが1936年に行ったように人民戦線政府に参加などはしないでしょう。でも、同じ理由で、私は、地方レベルで、地域構造、町内構造−−市民評議会と市民集会−−を再び創り出し、復活させ、復元しようとしなければならない、そして、コミュニティを管理するための本物の土台を形成しようとしなければならないと信じているのです。従って、私は地方では投票しますが、全国レベルでは投票しないのです。

ドイツ「緑の党」がドイツのブンデスターク(訳注:ドイツ下院)での活動を重大に捕らえている、という点について私は賛同していません。彼らがそれを劇として演じている時にはおもしろいと思っています。それを大いに楽しむことができるのですが、同時に、彼らがドイツのブンデスタークを乗っ取ろうと世に出ているのであれば、それは認識が甘く、そのことが社会民主主義者や自由主義者たちとの協調政治を導いているのだと思うのです。それは、全く私の言う政治ではありません。「緑の党」には、その危険に大いに気づき、本当にそれに敵対しようとする諸傾向があります。その多くはもっと急進的で、「緑の党」の原理主義者たちの中にはリバータリアンの諸傾向もあるのです。私はそうした人たちに大きな敬意を持っています。

今日、私たちは工場でサンジカリスト運動を形成することはできません。なぜなら、工場は完全にではないにせよ消滅しつつあり、少なくとも大部分が縮小しつつあり、労働力は機械によって莫大に置き換えられているからです。これが、社会主義革命・アナキスト革命の標準句です。私は、リバータリアンが参加する領域はどこなのかを自問せねばなりませんでした。それは、いつでも地方自治体の(communal)領域だったのです。サンジカリズムがアナキズムの伝統に出現するずっと前、プルードンにまで遡り、クロポトキンに見られるコミュナリストの伝統があったのです。私には、何故このことがこれほどまで完全に無視されているのか分かりません。従って、私がまじめにこのことを受け取るならば、そして、現代にアップデートし、完全にその論理を探求しようとするならば、私は自問しなければなりませんでした。隣近所と地域社会を復元するために、私は何をできるのだろうか?どのようにすれば、民衆に、英国国会やブンデスタークや米国議会に入らずに(あたかも、どのみちそれを行う充分なチャンスがあるかのようですが、ありがたいことにそんなチャンスなどないのです)、草の根レベルでその地域社会を管理しするように権能を与えることができるのだろうか?そして、議会主義の悪い習慣を発達させるのではなく、ヴァーモント州バーリントン市の町内評議会で私たちが持っているような町内集会−−タウンミーティングのような諸形態−−を創り出し、諸集会を連邦させ、リバータリアンの伝統に基づいた中央集権国家に反対する二重権力へと諸地域を連合させるように民衆に権能を与えることができるのだろうか?

民主主義革命は、ブルジョア革命だと誤って呼ばれています。フランス革命は資本主義を確立するために戦われたのではありません。資本主義がフランス革命を糧にしたのです。利用したのです。躍起になってフランス革命に反対したのです。このことは立憲君主体制のためになされたのです。そのモデルはイングランドであり、米国ではありませんでした。合州国では、大西洋沿岸都市で、農民と通商利権や貴族階級との間に甚だしい闘争がありました。1787年のダン=シャイの反乱は、新しい憲法をとりまとめ、連邦規約を可能にしましたが、この新しい憲法はそれでもなおリバータリアン的特徴を保持していたのです。

私は共和国を民主化し、民主主義を徹底し、草の根レベルでそれを行うことに賛成しています。このことには、リバータリアン的諸制度を確立することが含まれるでしょう。このことは米国の伝統と完全に一致しています。私たちは、もはや、ロシア革命に戻ることも、スペイン革命に戻ることもできないのです。こうした革命は、北米の民衆には縁遠いことなのです。通信委員会(Committees of Correspondence)をボルシェビキ政党に変換することはできません。タウンミーティングをソヴィエトに変換することもできません。共和制や民主制を、もしくは、民主主義が充満している共和制を、中央集権国家や立憲君主制やプロレタリア独裁に変換することもできません。マルクス主義者だからといって、この共和制をプロレタリア独裁に変換することもできなければ、別な側にいるからといって、サンジカリスト社会に変換することもできないのです。特に、米国の労働組合がその基本的な諸問題に関してだけで死滅している時代においては。私たちは民主主義革命の言葉で話し始めねばならないと私は信じています。私たちはそのリバータリアン的内容を発見し、拡張しなければなりません。私には他の答えが見あたらないのです−−現在直面している諸問題に対して、戦略的にも、戦術的にも、政治的にも、経済的にも。私たちは、過去に生きることはできません。偉大なる労働運動が持つ伝統的スローガンを単に繰り返すことなどできはしないのです。それはもう存在していないのですし、ポーランド・ハンガリー・チェコスロバキアがそうだったとしても、さらにもう一度出現することなどないでしょう。それらは、19世紀の社会主義・アナキズム運動のような啓蒙の産物ではないのです。後者は、フランス革命と米国革命から生み出されたのです。

現在、私たちはボルシェビキ革命の加護の下で生きています。20世紀は、私たちの最大の失敗であったボルシェビキの成功という暗がりに生きていただけなのです。ボルシェビキの成功は冷戦を生み出し、あらゆる急進主義運動を麻痺させました。どちらの側につくのか、冷戦の一方につくのか、他方につくのかしかありませんでした。私たちは、この罠を飛び越えねばなりません。私たちはそれから抜け出さねばならないのです。私たちは間違っていたのだという立場から大部分を見てみれば、私は、資本主義は出現・成長・腐敗という昔の弁証法的循環に従ったシステムではないという意見をあえて言ってもいいのではないかと思います。資本主義は癌なのです。資本主義はいつも癌だったのです。社会がこれまで被ってきた中でも最大の病気なのです。

ラダイト(訳注:19世紀初頭の英国で機械化に反対した熟練労働者組織)は本当に正しかったのです。だからといって、私は石器時代に戻れなどというつもりはありません。そうではなく、ラダイトが、近代機械は、資本主義の手の中では、長期的には社会の奴隷化を意味しているとして、近代機械を止めようとしていたときにはいつも正しかったのだ、ということを述べているのです。当時、ラダイトは、私たちがこれまで賞賛してきたよりももっと多くの洞察を示していたのです。英国の地主階級の一部が農民を土地に縛り付けておこうとし、資本主義の手から保護しようとしていた−−地主階級がどれほど利己的だったにせよ−−ことは、少なくとも、資本主義に歯止めをかけるものでした。

資本主義は、はびこることを許されてしまいました。元々は進歩的なものとして現れ、その進歩的な段階に、テクノロジーを構築しようとしていました。資本主義は、革命を起こすであろうプロレタリア階級を創り出そうとしていたのです。しかし、現在第三世界で生じているあらゆる革命の舞台に本当に登場しているのは叛逆する農民たちなのです。皮肉の中の皮肉です!バクーニンは現代に生きていて、マルクス主義パラダイムを嘲笑するべきなのです。

資本主義は社会の癌です。これまでいつも社会の癌だったのです。社会の病気だったのです。社会の悪性腫瘍なのです。その発展を止めることができるものはなんであれ−−資本主義よりもさらに悪いものでなければ−−必要だろう、と述べることに私は何ら躊躇しません。過去に、マルクス主義者として持っていた多くの立場を反省し、アナキストとしての立場さえもある程度まで反省し、この二世紀にわたる急進主義者たちは近代世界史を読み誤っていたのだということを認識しました。ちょうど、女性運動が家父長制度の出現と共にどこで道を誤ってしまったのかを発見するために数千年前に戻らねばならなかったように、資本主義の出現と共に私たちがどこで道を誤ってしまったのかを私は実感しています。私たちが道を踏み外したのは数百年前だったのです。しかし、私たちは、これまで、資本主義の進歩的役割について、テクノロジーの進歩的役割について、プロレタリア階級の進歩的役割について、ヴィクトリア王朝時代のイデオロギーを使って活動してきています。これらの概念は全て誤りだったのです。もう一度言いますが、だからといって石器時代にもどれなどと言っているのではありません。テクノロジーに反対するなどとも言っていません。私が反対しているのは、資本主義市場社会です。私はこれを悪徳だ−−まさにその当初から社会の癌だった−−と信じています。これは、他の社会が、それをいつも止めようとしていた伝統的社会が、崩壊した場所にいつも現れてきたのです。腐生有機体なのです−−伝統的諸形態が崩壊した場所でしか育ち、現れることができない、伝統的社会の根っこを食い物にするカビのようなものなのです。資本主義が現代世界を健全に照らし出す光だったことなど一度もありません。このことが、150年にわたる革命思想について私に熟慮させ、いくつかの非常に遠大な疑問を自問させているのです。

(さて)私は資本主義を破壊的だと見なしていますが、それは、資本主義が全ての物事を解体するであろうという意味でです(これは、私たち(マルクス主義者)が自滅ということで意味しているものではありません。私たちは、自滅することが資本主義に敵対する力を創り出し、テクノロジーの成長を阻止するだろうと考えていたのです)。逆に、資本主義はテクノロジー的に発狂し、世界に前例がないほどテクノロジー的成長を促しています。テクノロジーは宇宙空間にも飛び出しています。しかし、付け加えるならば、私は、いわゆるブルジョア革命はブルジョア革命ではなかったと思っています。フランス革命は、ブルジョア階級の過失でした。サン=キュロットに敵対したのは、立憲君主派ブルジョア階級でした。米国において、米国革命はハミルトンを慄然とさせたのです。ハミルトンは君主制を確立することを叫び(そして、彼は米国ブルジョア階級の異議だったのです)、ワシントンに、キング=ジョージ一世になるようにと警告したのです。ワシントンは、自分がヴァージニア州の貴族だからと拒否し、共和制システムの長所を主張し、その結果、米国で王制に向かう発展を阻止したのです。制定された憲法の骨子を作ったのは、強欲なブルジョア階級ではなく、大部分、農村の諸階級だったのです。その多くが資本主義に巻き込まれていたとしても、それでもなお、農村の諸階級だったのであり、自作農階級であり、どれほど下層階級を抑制すると叫んでいたとしても非資本主義的価値観を持ったヴァージニア州の貴族たちだったのです。

そこで、今、私は、私たちはこうした革命からリバータリアン的要因を顕在化させなければならない、と実感しています。なぜなら、私は、現存しているブルジョア階級が、スペイン革命を再び可能にすることができるなどと信じてはいないからです。再現されたとしても6時間と持たないでしょう。4日間などもってのほかです。敵はバズーカ砲とミサイルを持ってやってくるのです。グリーンベレーを引き連れ、レーダーを持ち、爆撃機を使ってやってきて、数日など問題にならないぐらいのうちに全てを一掃してしまうでしょう。チリでは、兵器を洗練することすらなくともそうなったのでした。彼らは、望むなら、世論や国内の意見を気にかけないのなら、水素爆弾でヴェトナム戦争に終止符を打つこともできたでしょう。しかし、私たちがこうしたことを述べているとき、実際に私たちは何を言っているのでしょうか?私たちは、彼ら自身の共和国諸制度が、その軍事作戦を無効にし、彼ら自身の民主主義と共和国諸制度が、彼らが好き勝手に活動することをできなくさせている、と述べているのです。それならば、彼らは、こうした共和国諸制度と民主主義諸制度を取り除かねばならないでしょう。私たちの仕事は、それを止めさせ、それらの諸制度を拡大させ、そのリバータリアン的側面を自治体レベルで発揮させ、最終的に、地方レベルでの権能を持った市民性という対抗力と連邦的諸関係システムを創り出すことなのです。私は、偏狭で孤立した都市のことを述べているのではなく、連邦的二重権力について述べているのです。それは、英国革命からスペイン革命までにわたる革命的時代の最高理想の名の下に、中央集権に反対するでしょう。民衆はそれほど遠い先まで考え、この経験全体を再評価する用意があるのでしょうか?もしくは、私は10年前や10年後にいて、その結果、誰もこのことを受け入れることができないのでしょうか?これが、私がこうした意見を声にすると、私が個人的に直面するジレンマなのです。

ドイツの「緑の党」は前途有望な発展を示していますが、それは権力を奪おうとか政党として機能しようという点ではありません。ドイツの「緑の党」について驚くべきことは、私が暗に論じている様々な問題について分派化(factionalization)がなされていることです。彼らはそうした諸問題について私ほど意識的ではないのだと思います。と言うよりも、彼らはそうした諸問題に関して私が彼らがそうすべきだと思うほどにも意識的ではありません。しかし、彼らは、それらの諸問題は彼らが議論しているものだと直感的に感じており、「緑の党」内部にいる様々な分派が、「緑の党」を想像できる中で最も急進的な運動へと、つまり、私が欧州などの場所で見てきた中で最も急進的な運動へと転化してきたのです。カナダや合州国の「緑の党」について語るとき、ドイツの「緑の党」は、議会外の運動から出現し、その限界にたぶん到達したのだ、ということを思い出してください。どれほど遠くまで議会外運動は進むことができるのでしょうか?ある種のサンジカリズム運動に参加し、スペインでのCNTがそうだったようにそれ自体を安定させねばならないか、もしくは、暴動に参加し、暴動状態のドイツを想像するしかないのです!つまり、彼らはどこかに動かざるをえないのです。さもなくば、非常に多くの北米議会外運動がそうであったように、その議会外運動は社会民主主義へと解散して戻るか、混乱してしまうかするでしょう。だからこそ、政治的領域に向かって動かねばならないのなら、問題は、どのような種類の政治的領域に向かって動くのか、なのです。権威主義的になろうとしていたのでしょうか、自由主義になろうとしていたのでしょうか、それともリバータリアンになろうとしていたのでしょうか?全体としてみれば、彼らはリバータリアンの方向を選びました。現在、彼らはそのリバータリアン的方向性が、代表者のローテーションや議会外運動との密接な繋がりを保持するのかどうかを見出そうとしています。それとも、彼らは、厳格な治国策議員制度形態へと移るのでしょうか?これらがドイツで戦われている闘争なのです。

米国とカナダでは、こうしたこと全ては、トップダウンで生じています。6人の人々が集まり、『見て見ろ、ドイツの「緑の党」は非常に成功しているぞ』と言っているのです。彼らはその理由を分かっていません。彼らは、数百・数千の人々が原子炉と戦う運動を、ミサイルと戦う運動を、市民発議権運動の闘争を創り出し、その中には社会民主党よりもキリスト教民主党に近い人々が多く参加しているということを理解しておらず、「緑の党」はその運動から出現したのだということを理解していないのです。ここで、いかなる社会運動もなく、彼らは党を組織し、党をできるだけ権威主義的にし、どのような議会制度運動を彼らが創り出そうとしているのかを民衆に指示し始めています。私は、リバータリアンがそうした発展を地方レベルで始めることが非常に重要だと思います。さもなくば、この推進力全ては、権威主義者たちやマルクス主義者たちに乗っ取られてしまうでしょう。マルクス主義者たちは、多くの場合当初は私たちが始めることを頻繁に、抜け目なく乗っ取っているのです。従って、私は、私たちがこうした事柄を熟慮し、徹底的に議論し、注意深く検討することが非常に大切だと思っているのです。さもなくば、スペイン・1848年のパリ=コミューン・バリケードにいるバクーニン・ペトログラードにいるクロポトキンという古めかしい白昼夢を夢見ることになり、そうこうするうちに、歴史がただただ私たちを追い越していくだけになることでしょう。

K.I.0.:ちょっと思ったのですが、ドイツであなたはどのようなリバータリアン的傾向を目にしてこられたのですか?

ブクチン:そうですね、ドイツで私が目にした中で最も驚いたのは、「緑の党」の人々や私が出会ったり、話をしたりした人々、そして、リバータリアン政治運動を発展させようとする計画について行われている議論の種類でした。このことを最もはっきりと見たのは、レメルの「緑の党」とフランクフルト市議会でした。彼らは、非常に強力なリバータリアン傾向を持っているフンディス(fundis)(さらに急進的な「緑の党」がそう呼ばれているのですが)です。彼らは社会民主党と無関係のままでい続けようとしており、議会外運動との密接な連携を持った自分たち自身のリバータリアン組織形態を発展させようと熱望しています。ドイツ北部の共産主義連盟のエベルマンのようなレーニン主義・毛沢東主義者とその仲間たちが変質したことは素晴らしい発展です。彼らは大規模な変化を経験しています。私は、彼らと議論してきました。その一人が私に次のように話してくれました。『二年前なら、あなたが言ったことは忌み嫌われたことでしょうが、今私はあなたが述べていることの90%に賛成します。』そして、彼らのほとんどがそのレーニン主義諸原理を全て放棄し、非常にリバータリアン的な方向に移ってきています。ところで、これらの人々は、ハンブルクの労働運動にいた強硬派の毛沢東主義者です。ハンブルクには、造船所の労働者たちがいます。つまり、本物の深刻なプロレタリアの「赤のハンブルク」なのです。ここは、ヒトラーが一度だけ訪れ、次のように言ったのでした。『忌々しいハンブルクめ、ドイツから叩き出せるのなら、大喜びなのだが。』彼は、外科手術を施すように、それを実行したいと思っていたのでした。これらは1930年代の社会党・共産党の拠点だったのです。

このことには、ものすごく勇気づけられます。ドイツでは、この議会外運動を通じて、複雑なネットワークが確立されています。このネットワークこそ非常に勇気づけられるものなのであり、私は、「緑の党」の軌道修正として働いてくれればよいと望んでいます。「緑の党」が社会民主党に同調するのなら、彼らは非常に悲劇的な論理に従うことになってしまいます。彼らは自身のアイデンティティを失ってしまうでしょう。私が学んだ非常に大切なことは、政治活動は教育なのだということです。単なる権力ではないのです。リバータリアン政治運動を発展させようとすることは、民衆を教育することを意味するのであって、権力を取ることを意味するのではなく、民衆が自分自身に権能を与えるように教育することなのです。これが、私が全国レベルではなく地方レベルを強調する理由です。私の関心は、コミュナリスト、地域社会志向型の雰囲気にあり、私は、1980年代に応用した場合のその論理を突き詰めようとしているだけなのです。

K.I.O.:過去10年間で市庁は、本当に階層化された(stratified)のでしょうか?

MB:されました。国家はあらゆるところに出現しています。現在の問題は都市や町を、お互いに相互連邦化し、資源が行き来できるようなある種のネットワークを発展させることにより、国家から解放しようとすることです。国家政府(state governement)と共存して自治体政府があるという安定した状況を求めているのではありません。私は、地方の諸制度−−中央集権国家に対して動的に対立する町内集会、町内評議会−−を発展させることに関心を持っているのです。私の最も重要な関心事は経済的政治的権力の中央集権化を止めることです。ちょうど、ラダイトが産業化を止めようとしたようにです。彼らがそうした理由は、機械に反対していたからではなく、賃金労働と工場システムに反対していたからであり、産業化が自分たちの生活方法を脅かしていると実感していたからなのでした。同様に、私の関心事は、強力な国家と共存する自治体連邦を確立することではありません。私の関心事は、自治体レベル国家の中央集権に歯止めをかけるように行動し、究極的には、リバータリアン形態で構造化された町・都市・村落の自由自治体連邦によって中央集権国家の廃絶を導くことなのです。

ご存じの通り、このことは、長年にわたる理想です。この理想は初期のスイス連邦に属していました。現在のスイスではありません。ニューイングランドに存在していた理想でした。ニューハンプシャー州・ヴァーモント州・上流の渓谷にいる農民は、米国革命の最後に町と都市からなる共和国を確立しようとし、米国革命の直後に、合州国中央集権国家に反対していました。これらが、米国人が理解できる諸概念であり、昔の経済国有化という社会主義諸概念とは著しく異なった意味を持っている諸概念なのです。同時に、単なる集産化ではなく、経済の自治体化プログラムもあることを思い出してください。群区が土地の管理をしなければなりません。群区は産業の管理もしなければなりません。集産化それ自体は、多くの異なる方向性を示す可能性を持っています。だからこそ、スペインでは、労働組合の調整的役割は中央集権的特徴抜きにはならなかったのです。スペイン革命中のスペイン産業コレクティブを都合よく考えるのは止めましょう。市場経済の中では、集産化された諸産業間での競争もあり得るのです。自治体化は町内組織やタウンミーティングを通じて自治体が経済を管理することを意味しているのです。

従って、私はある種のリバータリアン政治について話しているだけではない、ということを思い出してください。私は同時に自治体主義経済について話しているのです。多くの人々は、こうした考えは私が最近考案したと思っているようですが、そうではありません。1971年に出版されたAnarchosの最終号で、私は、「春期攻撃・夏期休暇」という論文を書きました。春の攻撃をしていたのは60年代の日々でした。私は、春に攻撃を行い、そして、夏に休暇を取り、全てが死に絶えるという考えを嘲笑していました。しかし、私がその論説で押し進めていたことは−−約15年前に押し進めていた考えについて話しているのですが−−、革命から出現した北米リバータリアン伝統に基づいたコミューン群からなるコミューンだったのです。その中で、私は、自治体政府を制圧し、全国的に自治体を連邦化し、自治体連邦を中央集権国家に対置するために、アナキストが地域の政治運動に介入し、新しい種類の地方構造−−町内集会・タウンミーティング・町内評議会といった自治体構造−−を創造することが必要だと書いていたのです。これらは全て1971年に明らかにされ、誰かが私に、アナキストはいかなる類の選挙にも参加するべきではないと返事を書き、その見解を持っているということで私を批判したのです。

K.I.O.:それならば、マレイ、あなたはアナキストは市議会(city government)に出馬すべきだと言っているのですか?

MB:いいえ。私は、あなたがそう呼んでいるような市議会が、草の根レベルで再構成されねばならない、と言っているのです。そうした政府は伝統的な国権主義形態の政府には実際にはならないでしょう。従って、アナキストが行うべきことは、組織諸形態を創造するために地域の政治運動に参加し、いったんそうした諸形態が確立されたならば、それに立候補することをためらわないこと、さもなくば、そうした諸形態を確立するための綱領に関わることなのです。草の根自治体主義レベルで選挙プロセスに参加するには二つの方法があります。一つは、そうした諸形態を創造する手助けをすることです。私たちはバーリントン市でこのことを行おうとしてきました。私たちは、町内計画立案集会を確立し、バーリントン市の五つの区で集会を確立するようにerlabling法律をもたらすという考えを計画したのです。現在、私たちは五カ所の町内集会を持っています。それらを計画したのは社会主義者たちではありませんでした。彼らは、自分たちの手柄だとしていますが、彼らが計画したのではありません。さて、私はあなたが機能できる二つの方法があると言いました。一つは、そうした集会を創り出すために活動することです。もう一つは、自治体レベルでそうした諸形態や諸組織を確立することに向けた見解を持って出馬したり、誰かを出馬させたり、出馬した人を支援したりすることです。ただし、私たちは、自分の地域社会をリバータリアン化し、草の根民主主義を創造し制度化しなければならないのです。このことが、権力の中央集権化を協調的に政治的に妨げることができるのです。

Writings by Murray Bookchin

The Concept of Social Ecology: 50 cents
Workers and the Peace Movement: $1.75
Bevond Neo-Marxism: 75 cents
A Return to First principles: 75 cents
Last Chance: An Appeal for Social and Ecological Sanity: $2.50