大杉 栄 9


 

動物界の相互扶助 --生存競争についての一新説-- (1915年10月)


 この頃丸善に、ピョートル・クロポトキンの名著、『相互扶助論』(Mutual Aid, Peter Kropotkin.)の新版が来ている。これは一九○二年に初版を出して、その後ほとんど毎年のように版を重ねていたのだが、昨年以来の大戦争に関する思想界の必要に迫られて、本年の初めに従来の版よりもさらに四倍安の五十銭本となって現れたのだ。
 今日の戦争とともに、ことにドイツの態度を論評するために、例のトライチュケやベルンハーディの思想が、全世界に喧しく是非されている。というよりもむしろ、事実においてほとんど全世界を風靡している。トライチュケやベルンハーディの根本思想は、優勝劣敗である。弱肉強食である。暴力と策略とによって勝敗を決する生存競争である。戦争に附随するいっさいの出来事が、この思想によって是認されるとともに、戦争そのものもまた、等しくこれによって是認される。そしてはなはだしきはさらに積極的に、進化は競争にある、闘争にある、戦争は文明を生み出す勢力である、どうしても欠くことのできない、もっとも重要な生物学的必要である、とまで主張される。『相互扶助論』の新版は、この時代思潮に対抗して、新しき意味の生存競争、すなわち相互扶助の思想を普及するために現れたのだ。
 戦争ばかりではない。大小のあらゆる社会現象は常にこの生存競争の名によって、立ちどころに解釈されまた是認される。
 ダーウィンが『種の起原』を公けにして以来、進化論はいっさいの科学および哲学の根柢となった。そしてこの進化論の論拠である生存競争もしくは適者生存は、宇宙間のあらゆる問題を解く合鍵のようになった。しかしこの鍵は、科学者や哲学者の手によってのみ、扱われるのではない。ほとんど何人によっても、遠慮会釈なく、どこにでも使用される。ことにいかなる社会現象を観察し論断するするに当っても、自然科学の述語中この生存競争という言葉ほど、広く応用されるものはない。
 生物学の事実もしくは法則を、そのまま社会科学に応用することの可否は、今ここに説かない。けれども従来一般に説かれているような生存競争が、はたして生物界もしくは人類界の全事実であり、またそれが進化の全要素であるだろうか。そしてクロポトキンの『相互扶助論』はこれにいかなる解答を与えているだろうか。僕はこの名著を日本の読書界に推奨するとともに、次にその大要を紹介したい。

 僕はクロポトキンの相互扶助説を「生存競争についての一新説」であると言った。しかし厳密に言えば、これは新説ではなく、むしろダーウィニズムの正解もしくは補充である。
 もともとダーウィンの用いた生存競争という言葉の中には、広狭の二意義がある。すなわちその『種の起原』の中に、これは広い比喩的の意味であって、個々の生物が互いに食物を争奪するようなことばかりでなく、多くの生物が相依り相扶けて、外界の境遇と戦うがごとき場合を含むものである。また生物個々の生存の競争ばかりでなく、なお子孫を残す上の競争をも含むものである、と明らかに説いている。なおダーウィンはこの教義の生存競争を過重してはならぬことを誡めて、その『人類の由来』の中には、生存競争という言葉の本来の広い意味を、さらに詳かに説いている。いかに多くの動物の仲間では、食物に対する争奪が跡を絶っているか。いかに仲間同士の闘争に代って協同が行われているか。またその結果としていかに知力と道徳との発達を来たさしめているか、そしていかにそれが、やがて種族生存の第一条件となっているか。ダーウィンはこれらの幾多の事実を例証している。なお彼はわれわれに教えて言う。適者とは決して体力のもっとも強健なもの、もしくは性情のもっとも狡猾なものではなく、ただ社会全体の幸福のために、強者も弱者も一致協力して、相依り相扶ける道を知っている種族であると。
 けれどもまたダーウィン自身は、前に言った二者の中に、ことに狭義の生存競争、ただ食物を求めるための個々の闘争という一面の説明材料をのみ主として蒐めているので、他のさらに重要な一面がまったくその蔭に掩われてしまった。そして広義の生存競争をまったく忘れてしまったかのごとき観がある。ダーウィン以後の進化論者になると、この弊害がますますはなはだしくなって、動物世界は血に渇いた餓鬼どもの寄集まった修羅場である、個々の利益のために断えず残忍な闘争をするのが生物界の動かすべからざる原則である、とまで論ぜられるようになった。そして生存競争を、この狭義に押し止めて、さらにそれを人類社会にまで応用したものは、ダーウィニズムのもっとも有力な説明者の一人として認められている、かのハクスレーその人であった。彼は『生存競争とその人類に及ぼす影響』の中に原始人類について次のごとく言っている。
 「もっとも弱きもの、もっとも愚かなるものは死滅し、もっとも凶暴なるもの、もっとも慓悍なるもの、すなわち周囲の境遇と対抗するにもっとも適したものが生き残る。人生は絶え間のない自由闘争の巷であった。そして家族という制限された一時的の関係以外においては、ホッブスの説ける個人対万人の戦争が、実に生存の常態であったのである。」
 かくしてまたハクスレーは、今日の社会制度の根本たる財産の私有、およびその結果たる貧富の懸隔を承認した。日本でも、加藤弘之博士、丘浅次郎博士などは、このハクスレー流の好代表者である。そしてついに人類社会の日常生活にまでも、一々この生存競争という言葉が当てはめられて、友人を売って勢力を得るのも、節を屈して富を成すのも、他人を殺すのも、自ら縊るのも、ありとあらゆる人間生活はことごとくこの生存競争の一語に約められるようになった。自分さえ善ければ他人はどうでもいい、むしろ他人を殺しつつ自分を生かす、という賎劣な利己主義がいわゆる科学的祝聖を受けるような観を呈して来た。

 クロポトキンはまた、ダーウィニズムの正解もしくは補充たる、この相互扶助説の創見者ではない。
 ヘッケルは詩人ゲーテを進化論の創見者であると言っている。実際ゲーテは多分に博物学的天才を持っていた。この相互扶助の思想のごときもすでに彼の心の中に宿っていたのである。今から九十年近い昔であった。ある日、ゲーテの友人エッケルマンが彼を訪ねて来て、妙な出来事を話した。それは、このエッケルマンの飼っていた二羽のみそさざいの雛が籠から逃げ出して、その翌日駒鳥の翼の下にその子供と一緒に抱かれていた、ということであった。ゲーテはこの話に非常に感激して、「もしこのような事実が自然界を通じて一般の法則となっているということが分れば、今まで解くことのできなかった宇宙の多くの謎も釈然として解けてしまうだろう」と叫んだ。そして動物学者であるこのエッケルマンに、熱心にその研究を勧めて、必ずそこに自然の宝庫を開く鍵が見出されるのだと促したのであったが、不幸にしてこの研究は着手されなかった。しかしその後ブレームが、その著書の中に動物の相互扶助についての豊富な材料を蒐めているのは、確かにゲーテの言に動かされたものであろう。
 けれどもゲーテが想像によって得た漠然としたこの思想も、その後五十余年を経て、ロシアの一動物学者ケスレルの科学的研究によってようやく闡明されかけて来た。すなわちケスレルは、一八八○年の初め、ロシア博物学者大会の席上で、「相互扶助の法則について」という題で、その研究の結果を発表した。このロシア大学総長ケスレルは、ダーウィンの進化論を継承した学者の中で、生物の相互扶助をもって自然の一法則である、かつ進化の主たる一要素であることを認めた、恐らくは最初の人であったのである。
 ケスレルは、動物学から出たかの生存競争という言葉が、多数の学者によって濫用され、また少なくとも過重視されていたのに対して、「老動物学者」として黙っていられなくなったのだ。彼はその講演の中に説いて言う。
 「動物学者や、また人類に関する諸科学の学者等は、残忍な生存競争の法則のみを絶えず主張して、別に相互扶助という法則のあることを忘れ、またこの法則が少なくとも動物にとっては生存競争の法則よりも遥かに重要なものであることを看過している。」
 彼はなお、動物がその子孫を蕃殖させる必要上、互いに集合することを説いて、「個体が結合すればするほど、動物は互いに助力し合うようになり、種の存続と知力の増加との機会をいよいよ多からしめるものである」と主張している。そしてまた彼は、「動物の各綱、ことに高等の綱に属するものは、必ずこの相互扶助を実行している」と説き、甲虫や蝶類やその他種々の哺乳類の社会生活から得た実例を挙げて、自説を証明している。最後に彼は、人類の進化の上にもこの相互扶助がいわゆる生存競争よりも重要な役目をしていることを説いて、次のごとく結論している。
 「私は決して生存競争を否定するものではない。が動物界の進化発展、ことに人類の進化発展は、相互闘争よりも相互扶助によって、より多く促されることを主張したいのだ。元来あらゆる生物は二つの根本的要求を持っている。すなわち自己の栄養と種の蕃殖とがこれである。前者は動物を相互闘争と相互殺戮とに導き、後者は相互の親近と助力とに赴かしめる。しかし私はむしろ次のごとく主張したい。すなわち有機界の進歩においては、個体間の相互扶助がその相互闘争よりも遥かに主要なものである。」
 ケスレルのこの講演は、大会に出席したロシアの博物学者の心を大いに動かした。そしてわがクロポトキンもまた、その中の一人であったのだ。彼は、ダーウィンの『人類の由来』の中のある部分を少しく敷衍したに過ぎない、この講演に刺激されて、それ以来、この思想を発展さすための材料の蒐集に志したのであった。

 しかしクロポトキンは、ケスレルのこの講演によって、初めてこの問題に注意を向けたのではない。いかなる思想をも事実にもとづかせ、また事実に照らし合わして見なければ止まない、したがって寸時も事実の観察を怠ることのない、真の科学的精神に浸っていた彼は、すでによほど以前からダーウィニズムのいわゆる生存競争に疑惑を抱き、かつ相互扶助の大思想をその博大な心の中に萌していたのであった。彼はその『相互扶助論』の序論の冒頭に自ら語って言う。
 「私が青年時代に東シベリアおよび北満州を旅行した際、もっとも私に深い印象を与えた動物生活の二方面があった。一方に私は、幾多の動物の種が、これらの地方の峻酷なる自然に対して、激烈なる生存競争を営みつつあるのを見た。すなわち自然力のために動物の生命の上に定期的に大破壊が行われ、したがって私の観察し得た広大な地域に動物の数のはなはだ稀薄であるのを見た。そしてなお他方に私は、動物の数のきわめて稠密なる二、三の地方においても、生存の方法を求めるための激烈なる闘争を熱心に見つけ出そうとしたのであるが、同種の動物間にはついにそれを見出すことができなかった。しかるにこの食物を求めるための同種間の闘争ということは、大多数のダーウィニストによって生存競争の主なる特質であると認められ、また生物進化の主たる要素であると考えられていたのである。」
 冬の終り頃になると、ユーラシアの北部地方では恐ろしい吹雪が吹き捲って、それに続いて氷のような霜が全土を掩うてしまう。そしてこの吹雪と霜とは毎年のように百花開き百虫遊ぶ五月の中頃になると、再び逆襲して来る。また七、八月の頃になると、初霜初雪が降って、幾百万の昆虫や、鳥の二番目の卵が一時に屠られてしまう。もっと温暖な地方でも八、九月の頃になると、インド洋の気候風が運んで来る水蒸気が滝のような豪雨となって、ヨーロッパ諸国を合わしたほどの大平原が一面の洪水に漂わされる。さらに十一月になると、ドイツとフランスとを合わしたほどの地域が大雪の下に埋もれて、まったく反芻類の動物が棲むことのできないようになり、無数の動物が餓死する。
 クロポトキンはその旅行の間に、かくのごとき気候風土の中に生存する動物の生活を、北部アジアに観察し研究した。ダーウィンはこの峻酷なる自然に対する闘争、すなわち生物が自然力のためにその繁殖を制限されている事実を「繁殖過多に対する自然的障害」と言っているのであるが、クロポトキンはこの障害が動物界に重要な働きを及ぼしていることを認めない訳に行かなかった。しかしそれと同時にまた、いわゆる進化論者の説く「生存の方法を求めるための同種間の闘争」という事実が、よしある特殊の事情の下には行われているとしても、とうていさきの自然的障害と比較されるほどのものでないことをも知った。動物の数が多過ぎるよりは、むしろ少な過ぎるというのが地球の大部分を占める広漠たる北アジアのいたるところに見出される著しい事実である。かく動物の数の少なすぎるところに、多くの学者が言うような、同じ種の間の食物と生存との恐ろしい闘争が行われる筈がない。したがってまた、この闘争が新種を作り出す進化の上に重要な役目をするという筈がない。
 クロポトキンは一面にかくのごとき疑惑を抱くと同時に、また他の一面において、この疑惑をますます確かめるとともにさらに別個の法則を思わしめる新事実を発見した。すなわちいたるところの湖水地方に、数十種数百万の動物が、その子孫を育てるために、湖畔に群棲している。また齧歯類動物が一団体を成して植民しているところがある。また無数の鳥類が一群を成して大移住をする。北方の野や山が大雪に埋もれる頃になると幾千幾万という鹿が遠近のあちこちから集まって、黒龍江の浅瀬を求めて南方へ渉って行く。クロポトキンはこれらの光景を眼前に見るごとに、食物に対する争奪よりもむしろ相互の扶助という大事実が動物界に行われていることを知り、かつこの事実が動物の生命を維持し、その種を保存し、またその将来の進化を助ける最大要素となっていることを感じさせられた。
 なお、クロポトキンは、トランス・バイカリア地方の半野性的牛馬や、あるいは各所の野性反芻動物などを見て、ついに次のごとき結論を下し得るほどになった。「動物が前述のごとき自然的障害に遇うて食物の欠乏と戦った揚句には、かくのごとき災害に悩まされた動物の全種は、その健康と気力との上に大打撃を被って、容易に起つことのできない悲境に陥る。さればその種の向上的進化が、かかる激烈なる闘争の時期の間に萌したものとは、とうてい信じ得られない。」
 したがってクロポトキンはまた、その後ダーウィニズムと社会学との関係を研究する時にも、この問題についての諸学者の説に服することができなかった。人類は進歩せる知力と学問とをもって相互の間の生存競争の激しさを減ずることができる、という点は諸学者の等しく力説するところであった。けれども同時にまた彼等は、生活の方法を得んがために一動物が同種の他の動物と闘争するということ、および一人間が他の人間と闘争するということを、永久の「自然の法則」として承認する。しかしクロポトキンにとっては、同胞間に生活のための残忍な闘争のあることを信じ、またこの闘争が進化の一条件であると認めるのは、まだ証明を経ない事実を信じまた直接に観察しない事物を認めることとなるのであった。
 そしてこの時にクロポトキンは、かのケスレルの講演によって少なからぬ感動を与えられ、一道の光明がその眼前に輝くのを見たのであった。爾来彼は熱心に事実の蒐集に努めた。彼は、自然界の一法則としての、また進化の一要素としての、相互扶助に関する著書の出版が、必ず学術界の一大欠陥を補い得るものと堅く信じたのであった。
 一八八八年、ハクスレーがさきに言った『生存競争とその人類に及ぼす影響』を公けにするや、クロポトキンはその自然界の事実をはなはだしく誤り伝えているのに憤激して、当時第一流のこの進化論者に向って一大弁駁書を呈することに決心した。そして一八九○年から一八九六年にわたって、毎年一、二回ずつ雑誌『十九世紀』に発表したのが、この『相互扶助論』である。

 『相互扶助論』は「動物界の相互扶助」、「蒙昧人の相互扶助」、「野蛮人の相互扶助」、「中世都市の相互扶助」、および「近代社会の相互扶助」、五篇より成る。
 相互扶助をもって単に生物界の事実もしくは法則として論ずるのならば、「動物界の相互扶助」一篇で事は足りるのであった。けれどもさきに言ったごとく進化論者はいわゆる生存競争の観念をもって、ただちに哲学、史学、社会学等の動かすべからざる基礎のごとく認めてしまった。したがってクロポトキンは、動物の諸階級を通じて相互扶助が重要な役目を演じていることを論じた後に、さらに人類の進化におけるこの要素の価値をも論じなければならなかった。そしてまた、当時ハーバート・スペンサーのごとき、動物界の相互扶助の重要であることを認めても、なお人類間にそれを認めることを拒んだ進化論者が多かったので、この問題を論ずることがますます必要であった訳である。原始人の間では各個人とすべての人との戦争ということが、人生の全法則であった、と彼等は説いていた。そこでクロポトキンは、ホッブス以来十分な批評を経ないであまりに安々と繰返されて来たこの断定が、はたしていかなる程度まで人類進化の実状と一致し得るかを論証するために、さらに蒙昧時代と野蛮時代とに各々一篇を献げたのであった。
 そして相互扶助の諸制度が蒙昧人および野蛮人の創造的天才によって、いかに広くかついかに力強く人類最初の氏族時代および共産村落時代に発達したかを説き、これらの制度がいかに多く次の時代の進歩発展を助けるかに思い及んだ時、クロポトキンはさらに、有史以後の社会にその探究の歩を進める必要を感じた。ことに彼は、欧州史に暗黒時代の名をもって呼ばれている中世のいわゆる自由都市にもっとも興味深い観察を向けた。彼に取ってはこの暗黒時代がかえって光明時代であったのだ。実にこの「自由都市の相互扶助」一篇は、彼がもっとも努力してその概況と近代文明に及ぼした影響とを記述したところであり、かつもっとも創見と暗示とに富んだ一大文章である。
 最後にクロポトキンは、長い進化の歴史の間に人類が承継いで来た相互扶助の本能が、この本能の発達にもっとも都合の悪い制度の下にある今日においてすらも、なお社会の根幹をなしつつ活躍する事実を説いている。
 この蒙昧時代から近世社会に至る四篇は、従来の史書のただ主権者の逸話と戦争の状況とを記したに過ぎない歴史以外に、なお別個の、しかもさらに重要な歴史の存在することを示した一種の人類史である、社会史である。かくして本書は生物学や史学や社会学に新しき材料と観念とを与えた外に、さらに進んで倫理学や哲学に新しき方向を暗示する。
 従来では、愛や同情や犠牲が、道徳もしくは社会心の根本基礎とされていた。けれども動物の社会心をもってひとえに愛情と同情とに帰するのは、かえってその普遍性と価値とを減殺するものである。また人間の道徳の基礎をひとえに愛と同情との上に置いたのでは、全体としての人間の情緒を解釈することができない。愛や同情や犠牲は、確かに道徳的感情の向上的進化における、重要な要素であるに相違ない。けれども社会が動物や人類の間に成立する基礎は、決して愛でもなくまた同情でもない。これはさらにそれらの感情の奥底に、きわめて長い進化の行程を経て、動物と人間との裡に静かに発達してきたある本能である。そしてこの本能が、動物および人間に、相互扶助の精神の一大勢力であることを教え、社会生活を営むことによって歓楽を享有し得ることを教えたのである。さらに詳しく言えば社会心もしくは道徳の基礎は、相互扶助が各人に与える力の無意識的承認である。各人の幸福と万人の幸福との密接な関係の無意識的承認である。また自己の権利と等しく他人の権利をも尊重しなければならぬという、正義の感の無意識的承認である。この広いかつ必然の基礎の上に、さらに高尚な道徳的感情が発達する。
 クロポトキンの『相互扶助論』は、ダーウィンの『種の起原』と同じく、ほとんど全篇事実の羅列である。けれどもこの書に現れた動物や人間は、著者の議論に都合のいいようにのみ観察されたものである、動物の社会的性質のみが力説されて、その非社会的、利己的本能はまったく閑却されている、と批難する人があるかも知れぬ。クロポトキンはこの批難に対して答えて言う。
 「近時われわれは『苛酷な容赦のない生存競争』ということをしきりに耳にする。すなわち各動物はすべての他の動物と、各野蛮人はすべての他の野蛮人と、また各文明人はすべての他の文明人と、この生存競争を行っているという断定が、一信仰箇条となってしまった。で、何よりもまず、この説に反抗して、人類も他の動物もそれとはまったく異なった一面の生活を営んでいるということを示す幾多の実例を挙げなければならなかった。社会的性情が自然界におよび人類や動物の進化発展に与った重要性を示すことが必要であった。そしてまた、この社会的性情が、動物に食物獲得の便宜と防禦力とを与え、かつ動物の寿命を長からしめて、これによってその勢力の増進を促したこと、およびこの性情が人間社会に諸種の制度を与えてそれによって自然力との激しき闘争に打勝たしめ、歴史の幾変遷の間についに今日のごとき進化発展を遂げしめたことを、論証しなければならなかったのである。すなわち本書は相互扶助の法則を進化の主要なる一要素として論じたもので、勿論進化のあらゆる要素として、またその比較的価値を説こうとしたものではない。」

 ダーウィンの『種の起原』に一貫する思想は、動物の各群の間に食物と安全とを求めまた子孫を残すための本当の競争、本当の闘争が行われているということである。彼は最大限度まで動物をもって満たされている地域のあることをしばしば説き、かくのごとき過度の繁殖から自然に競争の起ることを推論した。けれどもかかる競争の真の証拠を求めるために、詳かに彼の著書を繙いて見る時に、われわれはその書中に十分納得するに足るべき事実のないことを見出すのである。試みに「生存競争は同種の動物およびその変種間にもっとも激烈である」と題する項目を読んで見るに、ダーウィンの平生に似ずこの項においてはまったく引例の豊富を見ることができない。同種の動物間の争闘については、この見出しの下にただ一つの実例すらも引かれていない。ただ当然の事実として論ぜられているのみである。また近縁種の間の競争については、わずかに五個の実例を挙げているに過ぎないが、しかもその中の一は今日では少なくとも疑わしい事実となっている。また同種の動物間の本当の競争の例として他の南アメリカの牛の話を引用しているが、これは飼養動物の間から例を取ってあるので、大した価値のあるものではない。
 かくダーウィン自身の著書について見てもはなはだ実例の少ないいわゆる生存競争は、空論に魅せられて実地の観察を怠る、もしくは実験室や動物園の中にその観察の範囲を限っている諸学者等によって、ただ自明の理として承認されてしまったのだ。けれども一度われわれが、これらの諸学者の書物を閉じ、また狭苦しい実験室や動物園の中を去って、森に入り野に出で山に登って動物の生活を研究するならば、ただちにわれわれは次のごとき事実を看取せざるを得ない。すなわち数限りない争闘と殺戮とが動物の異なれる綱の間に行われているのであるが、しかもそれと同時に、同じ程度にもしくはそれ以上に、相互扶助、相互支持、相互防禦というような現象が同種の動物間にあるいは少なくとも同一団体の動物間に行われている。社会的精神は相互争闘とともに自然界の一法則である。勿論この法則の比較的価値を、よし大ざっぱにもせよ、数学的に評価するのははなはだ困難な仕事であろう。けれどももしわれわれが直接の実験に徴して、「絶えず互いに争闘を事とするものと互いに扶助し合うものといずれが適者であるか」という問を自然界に発するならば、われわれはただちに、相互扶助の習慣を有する動物が正しく適者であるという解答を得るのである。それらの動物は確かに生残りのより多き機会を有し、かつもっとも善く知力の発達を遂げている。
 今その無数の事実の中から、蟻の社会生活の一端を描いて、この『相互扶助論』の紹介を終ることにしたい。

 蟻の巣を取ってその生活状態を見るに、多くの著書に記されている事実、すなわち食物の運搬や住居の建築や、子孫の育成や、蛾虫の飼養や、その他万端の仕事が、いずれも他人の指揮や命令を待つことのない任意的相互扶助の原則の下に行われている。そればかりではない。蟻の多くの種では、各々の蟻が互いに食物を分け合わなければならぬということが、その社会のもっとも重要な義務となっている。それも倉に貯えてある食物や道で拾って餌を分け合うばかりではない。誰でもその仲間のものから食物を乞われた場合には、自分が飲み込んですでに半ば消化されている食物をすら、いつでも吐き出して分けて遣らなければならぬことになっている。
 相異なれる種の蟻、もしくは平素仇同士の巣に属する二疋の蟻が、偶々途中で出遭った時には、互いに道を避けて近づかないようにする。これに反して、同じ巣または同じ植民団体の蟻が道で出遭えば、互いに相近づいて、しばらくその触鬢を揺動かして挨拶をする。そしてそのいずれかが餓えていて他の一方が満腹していれば、餓えている一方の蟻はただちに食物を要求する。その時に食物を要求された方の蟻は決してこの要求を拒むようなことをしない。すぐ口を開けて身構えをする。やがて透き通った一滴の液体を吐き出す。そしてそれを仲間の蟻に舐めさせる。これはフォーレルが初めて発見した事実であるが、この消化した食物を吐き出して仲間に与えるということは、蟻の社会のもっとも重要な一現象で、しかも稀れに起る珍奇な事実ではなく、餓え渇えた仲間を救済しまた幼虫を養育するのに常に行われているのである。そして十分満腹していながら仲間の救済を拒むような、利己的な奴がある時には、仲間はその蟻を敵としてもしくは敵以上の敵として取扱う。ことにそれが他の種との戦争の最中ででもあれば、敵に向っていた仲間等はただちに踵を回えして、敵に対するよりもさらに猛烈にこの貪欲ものを攻撃する。また敵種の蟻に食物を分けて遣るほどの侠気のある蟻は、その敵から親友として待遇される。これらの事実は、フォーレルやユーベルなどのもっとも精確な観察と周到な実験との結果もはや少しも疑う余地はない。
 蟻は一千種以上もあって、ブラジルなどでは、この国は人間のものではなく蟻のものだといわれているほど、その繁殖の盛んな動物である。けれども同じ巣または同じ植民団体の間には、いわゆる生存競争を少しも見出すことができない。もっとも異なれる種の間には激烈なる戦争が行われ、またかかる戦争にはずいぶん残虐な行為も見出される。しかし一社会の間には、相互扶助、犠牲、献身等の道徳が、その社会の動かすべからざる条規となっている。白蟻や黒蟻はいわゆる生存競争を努めて排斥しているのであるが、彼等が自然界の優者となったのも実はそのためなのである。
 蟻の知力の優れていることは、その巣を一見しただけでも分る。彼等の巣の精巧なことは実に驚くべきものである。その建築物は、身体に相応して見れば、われわれ人間の石造や煉瓦造りの大厦高楼よりも遥かに宏大である。敷石をしたその道路、円天井を張った地下室、大広間、穀物倉、いずれもみなわれわれの驚嘆に値しないものはない。また蟻は農業までも営んでいる。現に穀類の畑を持っていて、時々の収穫やら、芽麦の製造などに従事している。卵や幼虫を育てるにも、一定の合理的方法により、また蛾虫を育てるにも特別の室を設けている。この蛾虫は、リンネが「蟻の社会の牝牛」と名づけた、立派な家畜である。なお蟻の勇気と胆力とは、これらの優秀な知力と等しく、何人にも称讃の辞を惜しましめない。そしてこれらの力は、すべて彼等がその刻苦勤勉の生活において実行する相互扶助の自然の結果である。
 この相互扶助の生活を営んでいる結果として、蟻の社会には今一つ著しい特徴がある。すなわち各個体の間に、自由発意心が驚くべく発達していることである。相互扶助は勇気振興の第一条件たる相互信頼となる。そしてまたこの自由発意心は、勢力発達の第一条件である。この二つの精神が、動物界にも人類社会にも相互闘争よりも遥かに重要な進化の要素なのである。古い学者等は蟻の社会に帝王のあることや女王のあることや、また全体の仕事を指揮命令するものがあるというようなことを説いていた。けれどもユーベルやフォーレルなどの久しい歳月にわたる細密な観察が公けにされてからは、この説が転覆されて、蟻は他の権力命令によって動いているものでない、社会全体の幸福のために、銘々が思い立って、銘々がそその事に当るという自由な任意の行動をしていることが明白になった。ことに人間の社会では権力命令の是非とも必要だと言われている戦争ですらも、蟻の間ではやはりこの自由発意の原則によって行われている。何等他人の意志権力の交渉を受けないで、ただ万事を各個人の自由合意と自由発意とによって処理するというこの生活こそ、やがて、万物の霊長と自ら誇っている人間をも驚かすほどの、知恵と能力とをこの小さな動物に与えたのである。

 蟻はまた、この相互扶助の結果として、その身体にほとんど何等の防禦器官をも備えていない。その濃い褐色はいかにも敵の目につきやすい。その聳え立った丘のような巣は、森や野の間に散在して、いかにも敵の目に立ちやすい。それだのにその身には甲虫のような堅固な甲殻の防備もなければ、またその唯一の武器と頼む刺針すらも、大して恐るべきものではない。かつ蟻の卵と幼虫とは森に棲まっている大抵の動物が、珍味として舌鼓を鳴らすところのものである。それにもかかわらず幾千のその種は動物界の大部分を占めるほどに繁栄して、蟻征伐を専門とする飼食獣の餌食になるものすらきわめて少ない。
 なおこの小さな虫は、同じ森や野の中に棲まっている、大きな強い動物どもから恐るべき敵として憚られている。ある時フォーレルは一袋の蟻を野原に放して見た。すると蟋蟀は、自分の住居の穴を蟻の掠奪するに任せて、まず第一に逃げ出した。かまきりもきりぎりすも四方八方に逃げ失せた。蜘蛛や甲虫は獲物を棄ててわずかに身をもって遁れた。ついには蜜蜂の巣までも蟻の占領に帰してしまった。かくのごとき蟻の力はどこから出て来たのであろうか。それはいうまでもなく、その相互扶助からである、相互信頼からである。もっとも進歩した白蟻の種はしばらく除いてその他の蟻でもなお勢力の上では昆虫界の第一に位している。そして蟻の勇気に匹敵することのできるのは、もっとも勇敢な脊椎動物のみである。かつダーウィンによれば、「蟻の脳髄は、人類の脳髄にも優る、もっとも精巧なる細胞より成る。」
 もっとも白蟻や黒蟻は、まだそのいっさいの種を包容する大団結を組織するというような、進歩した思想には達していない。彼等の社会的本能は、一個の巣という範囲以外に、ほとんど及ぶことがない。それでも二つの異なれる種に属する二百巣あまりの植民団が、タンドル山とサレエブ山とに見出されたことをフォーレルは述べている。なおフォーレルによれば、この二種の植民団の各員は、互いに相親しんで、防禦同盟を結んでいたという。またマックはペンシルヴァニアで千六百巣ないし千七百巣の蟻が一団結を形づくって、互いに相親しんでいるという驚くべき事実を発見した。またベーツは二、三種の白蟻が共同の住居を造って、その蟻塚の間を円天井の廊下で連結さしている事実を見たという。
 僕はこの暗示に富んだ蟻の社会生活をもって、クロポトキンの著書に記された動物界の相互扶助を代表させると同時に、さらに読者諸君とともに、われわれ自身の生活している人類社会の生活を反省したい。僕はさきに「この本能の発達にもっとも都合の悪い状態の下にある今日」と言った。けれどもこの今日の社会においても、われわれがわれわれ自身の生活に顧みて、相互闘争によって得るところよりも相互扶助によって得るところの遥かに多いことがすぐに分る。そしてなおわれわれは、いわゆる「生存競争のもっとも激烈なる今日の社会」のために、どれほど悩まされ苦しめられているか知れぬ。
 そして僕はこの事実の十分な反省に資するために、再び繰り返して、この『相互扶助論』の名著を切にわが読書界に推奨したい。


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