Delo Truda


アナキスト総同盟組織綱領(案)


 このパンフレットは、1926年6月20日に、アルシーノフ・マフノ・イダ=メット・ヴァレフスキー・リンスキーといったパリに亡命中のロシア人アナキストのグループによって「デロ=トルーダ(労働者の大義)」誌に発表された。発表当時からマラテスタを筆頭に多くのアナキストから批判されてきたが、綱領主義アナキズム基本文献であるにも関わらず、テキスト全体の邦訳は今だにされておらず、テキストの検証をせずに批判だけをもって論じられていることが多い。このパンフレットの序文・その背景・綱領主義全般については、アナキズム誌第二号で日和佐隆氏が解説しているため、参照していただきたい。
 本邦訳は、英訳からの重訳であり、英文の原文はネストル=マフノ アーカイヴで読むことができる。これまでの英訳は仏語のテキストからの翻訳だったが、この英訳は露語から直接翻訳されており、翻訳に際しては仏語のテキストと露語のテキストを比較したものだという。(訳者)

序文

 アナキスト諸君!

 アナキズム思想が影響力を持ち、紛れもなく建設的な性格を持っているにも関わらず、社会革命に関するアナキズムの立場が明快で完全なものであるにも関わらず、無政府共産主義を求めた闘争においてアナキストが勇敢な行為を見せ、数多くの犠牲を払ったにも関わらず、次のことが明々白々となっている。すなわち、これら全てにも関わらず、アナキズム運動は常に脆弱で、労働者階級闘争史において、ほとんどの場合、決定的要素としてではなく、むしろ些末な現象として特徴付けられているのである。

 アナキズム思想の建設的内容と議論の余地のないほどの妥当性と、アナキズム運動の無惨な状態とのコントラストは、数多くの要因で説明できようが、主たる要因は、アナキズムの世界に組織的諸原則と組織的諸関係とが欠落していることにある。

 万国において、アナキズム運動を示しているのは様々な地元組織だが、組織毎の理論と戦術は矛盾し、自分達の活動において将来の計画も継続性も持っていない。こうした組織は、しばらくすると潰れ、ほとんどもしくは全くその跡形も残さないものだ。

 革命的アナキズムのこうした情況は、全体として見るならば、慢性的組織全般解体病としか表現し得ないであろう。この解体病が、黄熱病のようにアナキズム運動という生命体を蝕み、数十年にわたり苦しめている。

 だが、疑いもなく、この解体病の根元は、理論が持つ多くの欠点、特に、アナキズムの個人性原則を歪めて解釈し、いかなる説明責任もないかのようにあまりにも頻繁に誤解されている点にある。個人的快楽のための自己表現を熱愛している人々は、アナキズム運動の混沌たる状態に頑迷に固執し、それを防衛するために、アナキズムの不変の諸原則とその伝道者たちを引き合いに出す。

 しかし、不変の諸原則と伝道者たちが示しているのは、正反対のことである。

 分散は破滅を意味する。団結は生と発展を保証する。社会闘争に関するこの法則は、諸階級と諸政党にも等しく当てはまる。

 アナキズムは、美しい空想でも抽象的哲学概念でもなく、労働者大衆の社会運動である。この理由からだけでも、一つの組織にその諸力を結集しなければならず、社会的階級闘争の現実と戦術で必要とあらば、常に扇動し続けなければならないのだ。

 クロポトキンは次のように述べていた。「我々は確信している。ロシアにおけるアナキズム党の形成は、全般的革命活動に不利となるどころか、極めて望ましく有効である。」(バクーニン著「パリコミューン」(ロシア語版)の序文、1892年)

 バクーニンも総アナキスト組織の考えに反対したことはない。逆に、第一インターナショナル内部でのその活動と共に、組織に関する彼の情熱は、まさしくそうした様式の組織を積極的に擁護していた人として彼を見なすだけの権利を我々に与えているのだ。

 大雑把にいって、アナキズムの活動的闘士のほとんど全てが、消散してしまうような活動に反対し、共通の目的と共通の戦略によって団結したアナキズム運動を夢見ていた。

 全体組織の必要性が最も強烈に感じられたのは1917年のロシア革命中だった。何故なら、アナキズム運動が最大の分裂と崩壊を示したのはこの革命の過程においてだったからである。全体組織がないために、多くのアナキズム闘士はボルシェヴィキ集団へ離脱していった。今日、多くの闘士が、自分の莫大な能力を行使できなくなる受動性の状態に置かれてしまっている理由も、全体組織の欠如なのである。

 アナキズム運動への参加者の大部分を引き付け、アナキズムに向かう共通の戦略的・政治的方向性を確立し、そのことで、運動全体の指針としての役目を果たす組織が必要不可欠なのである。

 もうとっくに、アナキズムが非組織という沼地から浮上し、理論と戦略の上で最も重要な諸問題について延々と続く動揺に終止符を打ち、その明確に分かる目的と集団的組織的実践に向かって断固として進む時期なのだ。

 だが、こうした組織が必要不可欠だと単に述べるだけでは不充分である。それを創り出す手段を確立することも必要なのである。

 我々は、「総合」の手段を使って組織を創り出すという考えを理論的にも実践的にも根拠のないものだとして拒否する。「統合」とはすなわち、様々なアナキズム諸派の支持者を一つにまとめる、というものだ。諸要素の寄せ集め(その理論と実践という点で)を包含するこのような組織は、アナキズム運動に影響するあらゆる問題について多種多様な見解を持つ人々の機械的集合以外の何者でもなく、現実に直面すると必ずや崩壊してしまうであろう。

 アナルコサンジカリズムのアプローチもアナキズムの組織的難しさを解決しない。アナルコサンジカリズムは、アナキズムを優先事項にはできず、労働者の世界に侵入し、その中へと踏み込んでいくという考えに主として関心を持っているものである。しかし、そこに足がかりを得たとしても、全般的アナキスト組織がなければ、労働者の世界で何も達成できはしない。

 全般的組織問題の解決を導くことができる唯一のアプローチは、我々の見解では、特定の理論的・戦略的・組織的立場を基に、すなわち、程度の差こそあれ概ね完成された同質のプログラムを基に、アナキズムの活動的闘士を募ることである。

 こうしたプログラムを起草することが、ここ数十年間の社会闘争がアナキストに要求している主要課題の一つである。そして、亡命ロシア人アナキスト集団はその活動の大部分をこの課題に捧げるつもりである。

 以下に公刊する「組織綱領」は、こうしたプログラムの概略であり、骨格である。これは、アナキスト勢力を、闘争可能な一つの能動的革命的アナキスト集団−−アナキスト総同盟−−へと結集する第一段階としての役目を果たさねばならない。

 我々は、この綱領について様々な欠陥があることについて何ら思い違いをするものではない。新しく実際的であると同時に批判的な出発はいかなるものでもそうだが、疑いもなく、この綱領には穴がある。ある種の肝心な立場が綱領から除外されているとか、他の立場が適切に展開されていないとか、さらには、ある部分が余りにも詳しく書かれ過ぎていたり、くどすぎたりする、といった点があるかも知れない。これらは全てあり得ることだ。だが、そんなことは問題ではない。重要なことは、全般的組織のための土台が構築されねばならず、この綱領によって、必要な範囲まで、この目的が達成されている、ということである。全般的集団−−アナキスト総同盟−−の課題は、アナキスト運動全体に対する完全なプログラムへとこの綱領を転化すべく、綱領をさらに精緻化し、改善することなのだ。

 我々は、もう一つの点についても割り切っている。

 我々は、いわゆる個人主義や「支離滅裂な」アナキズムからの多くの代表者が、口から泡を吹きながら、こんなものはアナキズム諸原則に違反していると我々を非難し、我々を攻撃するだろうと予想している。だが、こうした個人主義分子や支離滅裂な分子が「アナキズム諸原則」と言うことで意味しているのは、横柄な態度・混乱・無責任である。これは、我々の運動にほとんど治療不可能な損傷だけを負わせてきた。これは、我々のエネルギーと情熱全てをもって闘わねばならないことである。このために、我々は、この方面からのいかなる攻撃も穏やかに受け流すことができる。

 我々の希望は、他の人々−−アナキズムに誠実であり続けている人々・アナキズム運動の悲劇を生き延びてきた労働者たち・解決方法を探し求めて骨を折っている労働者たち−−にある。

 そして、我々はアナキスト青年に大きな望みを持っているのだ。若い同志たちは、ロシア革命の嵐の中で生まれ、最初からあらゆる範囲の建設的諸問題全てに飲み込まれており、アナキズムの積極的な組織諸原則の実行を間違いなく主張するだろう。

 我々は、アナキスト闘士個々人、そして、世界各国に散らばっているあらゆるロシア人アナキスト組織に呼びかける。全般的組織綱領に基づき、一つの革命集団へと団結しよう。

 この綱領が、革命の標語になることを、ロシアのアナキズム運動闘士皆の集合点になることを、アナキスト総同盟の誕生を示すことを!

組織的アナキズム運動万歳!
アナキスト総同盟万歳!
世界の労働者の社会革命万歳!

亡命ロシア人アナキスト集団
書記、ピヨトール=アルシーノフ
1926年6月20日


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