幸徳秋水 2


 

 吾人は飽くまで戦争を非認す    (1904年 1月)


 凡ての時と所とに於ける凡ての罪悪を集むるとも決して一の野戦に依りて生ずる害悪に過ぐることなし(ヴォルテール)。
 戦争は人間の財産及び身体に関してよりも人間の道徳に関して更に大なる害悪を為す(エラスムス)。
 大砲と火器は残忍にして嫌悪すべき器械なり、予は信ず、是れ悪魔の直接の勧奨に依りて生ずるものなるを(ルーテル)。

 時は来れり、真理の為めに、正義の為めに、天下万生の利福の為めに、戦争防止を絶叫すべきの時は来れり。
 夫れ人類博愛の道を尽さしめんが為めに、人種の区別、政体の異動を問わず、世界を挙げて軍備を撤去し、戦争を禁絶するの急要なるは、平民新聞創刊の日、吾人既に宣言せり、爾後の紙上、未だ特に此一事に向って全力を傾注するの機を得ざりしと雖も、而も各欄、各項、事に接し物に触れて、毎に此旨義を説明論道するに力めたるは、具眼の読者の諒とせらるる所なる可きを信ず。
 而して今や日露両国の事、狡兒事を好みて頻りに人心を煽揚し、豎子計を失して深く危地に陥り、揆離扞格日は一日より甚だしきを致す、市虎三たび出て、不狂人も亦狂人を逐うて走らざることを得ず、勢いの駆る所、横死流血の惨を見る、亦測る可らざらんとす、殆哉岌乎たり、之に加うるに我同胞中或者は戦勝の虚栄を夢想するが為めに、或者は乗じて奇利を博せんが為めに、或者は好戦の慾心を満足せしめんが為めに、焦燥熱狂、出師を呼び、開戦を叫び、宛然悪魔の咆哮に似たり、吾人是に於て吾人同志の責任益々深きを感ず、然り、吾人が大に戦争防止を絶叫すべきの時は来れり。
 吾人は飽くまで戦争を非認す、之を道徳に見て恐る可きの罪悪也、之を政治に見て恐る可きの害毒也、之を経済に見て恐る可きの損失也、社会の正義は之が為めに破壊され、万民の利福は之が為めに蹂躙せらる、吾人は飽くまで戦争を非認し、之が防止を絶叫せざる可からず。
 嗚呼朝野戦争の為めに狂せざるなく、多数国民の眼は之が為めに昧み、多数国民の耳は之が為めに聾するの時、独り戦争防止を絶叫するは、双手江河を支うるよりも難きは、吾人之を知る、而も吾人は真理正義の命ずる所に従って、信ずる所を言わざる可らず、絶叫せざる可らず、即ち今月今日の平民新聞第十号の全紙面を挙げて之に宛つ。
 嗚呼我愛する同胞、今に於て其本に反れ、其狂熱より醒めよ、而して汝が刻々歩々に堕せんとする罪悪、害毒、損失より免がれよ、天の為せる禍いは猶お避く可し、自ら為せる禍いは避く可らず、戦争一度破裂する、其結果の勝と敗とに拘わらず、次で来る者は必ず無限の苦痛と悔恨ならん、真理の為めに、正義の為めに、天下万生の利福の為めに、半夜汝の良心に問え。  (平民新聞第十号)


 

 兵士を送る     (1904年 2月)


 行矣従軍の兵士、吾人今や諸君の行を止むるに由なし。
 諸君今や人を殺さんが為めに行く、否ざれば即ち人に殺されんが為めに行く、吾人は知る、是れ実に諸君の希う所にあらざることを、然れども兵士としての諸君は、単に一個の自動機械也、憐れむ可し、諸君は思想の自由を有せざる也、躰躯の自由を有せざる也、諸君の行くは諸君の罪に非ざる也、英霊なる人生を強て、自動機械と為せる現時の社会制度の罪也、吾人諸君と不幸にして此悪制度の下に生るるを如何せん、行矣、吾人今や諸君の行を止むるに由なし。
 嗚呼従軍の兵士、諸君の田畆は荒れん、諸君の業務は廃せられん、諸君の老親は独り門に倚り、諸君の妻兒は空しく飢に泣く、而して諸君の生還は元より期す可らざる也、而も諸君は行かざる可らず、行矣、行て諸君の職分とする所を尽せ、一個の機械となって動け、然れども露国の兵士も又人の子也、人の夫也、人の父也、諸君の同胞なる人類也、之を思うて慎んで彼等に対して残暴の行あること勿れ。
 嗚呼吾人今や諸君の行を止むるに由なし、吾人の為し得る所は、唯諸君の子孫をして再び此惨事に会する無らしめんが為に、今の悪制度廃止に尽力せんのみ、諸君が朔北の野に奮進するが如く、吾人も亦悪制度廃止の戦場に向って奮進せん、諸君若し死せば、諸君の子孫と共に為さん、諸君生還せば諸君と與に為さん。  (平民新聞第十四号)


 

 嗚呼増税!    (1904年 3月)


 嗚呼「戦争の為め」という一語は、有力なる麻酔剤なる哉、唯だ此一語を以て臨まる、聰者も其聰を蔽われ、明者もその明を昧まし、智者も其智を失い、勇者も其勇を喪うに足る、況んや聰明智勇ならざる今の議会政党の如きをや。
 彼等議会政党は今や尽く「戦争の為」という一語に麻酔して、其常識を棄て其理性を抛ち、而して全く其議会政党たる所以の精神能力を遺却して、単に一個の器械となり了れるを見る也、何の器械ぞや、曰く増税の器械是れ也、而して政府者は、巧みに這箇の便利なる自動器械を使用せり、而して六千餘万円の苛税は忽ち吾人の頭上に課せらる。
 嗚呼六千万円の増税、荷重なる増税よ、是れ実に「戦争の為め」なるべし、然れども如何に戦争の為めなりとて、富財は自然に天より降る者に非ず、地より湧く者に非ず、之を負担する国民の苦痛は、依然として苦痛ならざる可からず、然り、何人も之を以て愉快なり、幸福なりとする者はあらじ、而も国民は何故に如此きの苛税に忍ばざる可からざる乎、何故に如此きの苦痛と不幸とを予防すること能わざりし乎、之を除去すること能わざる乎、之に盲従せざる可からざる乎、彼等は答う「戦争の為め」に已むを得ざる也と、然らば則ち国民は何故に戦争ということを為さざる可らざる乎、之を廃する能わざる乎、之に盲従せざる可らざる乎。
 吾人は此際切に一般国民に向って望む、願わくば彼等姑く一切の感情の外に立ち、一切の迷信の表に出で、真に赤裸々の道理に向って此問題を一考せんことを。
 夫れ吾人の国家を組織するは何故ぞや、政府を設置するは何故ぞや、而して国家政府を維持せんが為に、其生産せる財富の一部を出して以て国家政府を支持するの資となすは何故ぞや、他なし、一に之に依て吾人の平和と幸福と進歩とを保続せんが為めのみに非ずや、換言すれば国家政府は唯だ吾人の平和と幸福と進歩とを来さしむるの方法器具に非ずや、租税は吾人の平和と幸福と進歩とを来さしむるの代価に非ずや、然り之れ誠に極めて簡単明白の事実也、古今東西幾万巻の政治書、財政書の論説する所と雖も、其目的は所詮之れ以上に出づるを許さず、決して之れ以外に在るべきの理なし。
 果して然りとせば、爰に一個の国家政府と名くる者あり、吾人の為めに決して何等の平和、幸福、進歩を供するなくして、却って吾人を圧制し束縛し掠奪するに過ぎずとせば、吾人は何の處にかその存在の必要を認むるを得る乎、爰に苛重の租税あり、吾人の為めに決して平和と進歩と幸福とを買い得ずして、却って殺戮、困乏、腐敗を以て酬いらるるに過ぎずとせば、吾人は何の處にか其支出の必要を認めんとする乎、若し如此くんば、吾人生民は初めより国家政府なきに如かざる也、初めより租税なきに如かざる也、単に増税の具たるに過ぎざる議会政党なきに如かざる也、亦是れ極めて簡単明白の道理にあらずや。
 吾人は今の日本の国家政府を以て、直ちに如此しという者に非ず、今の日本の国家政府を以て全然無用なりという者に非ず、然れども今回の戦争、及び「戦争の為め」に苛重の租税を徴せらるるに至りては、吾人が国家政府を組織し、之を支持する所以の根本の目的理由と、甚だ相副わざるを断言せずんばあらず。
 今の国際的戦争が、単に少数階級を利するも、一般国民の平和を撹乱し、幸福を損傷し、進歩を阻礙するの、極めて悲惨の事実たるは吾人の屡ば苦言せる所也、而も事遂に此に至れる者一に野心ある政治家之を唱え、功名に急なる軍人之を喜び、奸猾なる投機師之に賛し、而して多くの新聞記者、之に附和雷同し、曲筆舞文、競うて無邪気なる一般国民を煽動教唆せるの為めにあらずや、而して見よ、将師頻りに捷を奏するも、国民は為めに一粒の米を増せるに非ざる也、武威四方に輝くも国民は為めに一領の衣を得たるに非ざるなり、多数の同胞は鋒鏑に曝され、其遺族は飢餓に泣き、商工は萎靡し、物価は騰貴し、労働者は業を失い、小吏は俸給を削られ、而して軍債の応募は強られ、貯蓄の献納は促され、其極多額の苛税となって、一般細民の血を涸し骨を刳らずんば已まざらんとす、若し如此にして三月を経、五月を経、夏より秋に至らば、一般国民の悲境果して如何なるべきぞ、想うて茲に至れば吾人実に寒心に堪えず、少なくとも此一事に於ては、吾人は遂に国家という物、政府という物の必要を疑わざるを得ざる也。
 但だ吾人は今日に於て、決してトルストイの如く兵役を避躱せよ、租税を払う勿れという者に非ず、吾人は兵役の害悪を認め、租税の苦痛を感ずるも、而も是れ吾人国民が組織せる制度の不良なるが為めに来る者也、如何せん、国民既に此国家を組織し、此政府を置き、此軍備を設け、此議会政党を認めて、而して租税を払うべきことを約す、其無用なると有害なるを論ぜずして、遂に之に従わざるを得ざる也、国民が如此きの制度組織を承諾するの間は、彼等は遂に如何の不幸に遭遇し如何の苦痛を被るも、又已むことを得ざる也、之が抗議と防拒とは、唯だ法律の罪人たるに止まるのみ、吾人は実に之を遺憾とす。
 然らば即ち吾人国民は永遠に、如此きの苦痛と不幸とを除去する能わざる乎、盲従せざる可らざる乎、圧制、束縛、掠奪の境を脱して、真に平和と幸福と進歩との社会に入ること能わざる乎。
 何ぞ夫れ然らん、国民にして真に其不幸と苦痛とを除去せんと欲せば、直ちに起て其不幸と苦痛との来由を除去すべきのみ、来由とは何ぞや、現時国家の不良なる制度組織是れ也、政治家、投機師、軍人、貴族の政治を変じて、国民の政治となし、「戦争の為め」の政治を変じて、平和の為めの政治となし、圧制、束縛、掠奪の政治を変じて、平和、幸福、進歩の政治となすに在るのみ、而して之を為す如何、政権を国民全体に分配すること其始也、土地資本の私有を禁じて生産の結果を生産者の手中に収むる其終也、換言すれば現時の軍国制度、資本制度、階級制度を改更して社会主義的制度を実行するに在り、若能く如此くなれば、「井を鑿て飲み田を耕して食う、日出て作し日入て息う、帝力何ぞ、我に在らん哉」、雍々として真に楽しからずや、亦是れ極めて簡単明白の道理に非ずや。
 吾人は我国民が爾く簡単明白の事実と道理を解するなく、涙を飲で「戦争の為め」に其苦痛不幸を耐忍することを見て、社会主義者の任務の益々重大なるを感ず。  (平民新聞第二十号)


 

 新年の感     (1904年 1月)


 曰くお芽出度う! 曰くお芽出度う! 新年何が故に芽出度きか、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。
 武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の旧年は去れり、而して武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の新年は来れり、新年の新は猶旧年の旧の如し、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。
 然れども、旧観依然、徒らに斯くの如き者は国家組織の表面也、少しく深く社会の裏面に入れば、別に暗潮の熱を帯びて大いに動くあり、帽剣燦然として馬に跨る軍人の下に、其の奴隷の如き境遇の不平に慣れる兵士あるを見ずや、利を掠め色を漁するの外に一能事なき富豪の下に、其の衣食欠乏の無道に泣ける労働者あるを見ずや、曾ては一代少年の羨望を買いたりし政治家にして、今や心ある一書生の為に足其門に至るを耻とせらるるに非ずや、斯くの如きの暗潮が新年と共に更に新潮を加え来るべきは当然也。
 此意味よりすれば、吾人も亦新年の芽出度きを見ざるに非ず、吾人は此意味に於て新年の前途を祝しつつ、更に読者諸君に向って左の語を為す。
 曰くお芽出度う、曰くお芽出度う!  (平民新聞第八号)


 

 歌牌の娯楽     (1904年 1月)


 一

 一少女に問う、新年に於て何物か最も楽しき、対えて曰く、歌がるたを取るなりと、之れ有る哉、我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し姉に従いて、食と眠とを忘るること度々なりき、依て想う、歌がるたの遊戯、何ぞ爾く楽しかりしやと。

 二

 人多くは曰うべし、歌がるたの楽しきは競争に在りと、或いは然らん、然れども世の所謂競争なる者を見るに、大抵悲痛労苦の之に伴う多きが故に、人は皆之を避けんとす、特り歌がるたに在りて爾く楽しむ可しと為す者、別に其故無くんばあらじ、曰く有り、歌がるたの競争は、諸種の点に於て世の所謂競争と頗る其科を異にする者なり。

 三

 歌がるたの遊戯は、競争の遊戯なり、左れど此競争や、直ちに人生の最高理想を現実す、何ぞや、自由、平等、博愛。
 歌かるたの競争は自由なり、他人の為に役せらるるに非ず、境遇の為に駆らるるに非ず、進まんとして進み、止まんとして止む、唯我独尊、縦横無礙、真個の自由を享くる者に非ずや。
 歌かるたの競争は平等なり、其一たび席を設け陣を張るや、階級なく、門閥なく、金力なく、権勢なく、兄弟も姉妹も親子も主客も雇主被雇者も、皆同等の地歩を占め、同等の権利を有して、以て遺憾なく其技能を伸べ、其力量を角せしむ、真個の平等を楽しむ者に非ずや。
 歌がるたの競争は一面に於て多数の協同を意味するなり、皆な心を一にして相結び、排済なく、離間なく、中傷なく隠謀奸策なく、極めて公明、極めて正義の運動を為し、強、弱を扶け智、愚を救う、勝敗一決すれば相看て哄笑す、嬉々たり、雍々たり、和気掬するに堪たり、所謂衆と偕に楽しむ者、真個博愛の心の発揚さる者に非ずや。

 四

 故に歌がるたの楽しきは、唯だ其競争なるが為めに非ずして、其競争が、此時此際、一切の世俗の習慣、束縛、迷信を蝉脱して、真個の自由、平等、博愛を現ずればなり、孔子曰く、君子は争う所なし、必ずや射乎、揖譲して昇り、下りて飲む、其争いや君子なりと、歌がるたの争いや誠とに君子の争いなり、真なり、善なり、美なり、花の如く天使の如き少女が、新年に於て最も楽しとなす者、所以あり。

 五

 嗚呼天下の競争という者をして、尽く君子の争いならしめば、自由、平等、博愛なること、真なり善なり美なること、彼の歌がるたの競争の如くならしめば、如何に人生社会の楽しかるべきぞ、左れど見よ、人は生存の競争の為めに、却って其自由を束縛さるることなり、其平等を破壊さるるなり、其博愛の心を牋残せらるるなり、歌がるたの競争は、少女之を楽しめども、生存の競争の悲痛と労苦には、孟夏賁育も亦疲倦せざることを得ず、我等社会主義者、豈に徒らに競争を排せんや、万民の生を遂げしめんが為めに已むことを得ざればなり。

 六

 歌がるたを楽しめる少女よ。我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し、姉に従いて、食と眠りを忘れしこと屡ばなりき。今やこの楽しみなし。嗚呼老いけるかな。顧みて憮然之を久しくす。  (平民新聞第八号)


 

 朝鮮併呑論を評す     (1904年 7月)


 吾人は近刊の新聞雑誌に於て朝鮮に関する有力なる二論文を見たり、即ち左の如し、

「韓国経営の実行」「韓国経営と実力」(国民新聞社説、七月八日、十二日)
「朝鮮民族の運命を観じて日韓合同説を奨説す」(新人第七号社説)

 「国民」の徳富氏が如何に今の政府及び軍人に親しきかを知り、「新人」の海老名氏が如何に今の青年の一部に持て居るかを知る者は、吾人が此二論文を批評するを見て、決して無用の業と為さざるべし。
国民子先づ「韓国経営の実行」に於て曰く

 日露開戦以来既に五個月を経過し、日韓議定書調印後既に四個月を経過す、然りと雖も、此間に於ける韓国経営は・・・実質的に殆ど一の見るべきものあるなく、日韓議定書の精神の如き、未だ一として具体的に実現せられたるものなし。
御料荒蕪地開墾の要求の如き・・・韓廷内には異論沸騰して容易に之を承諾するの気色なし、・・・其理由は必ずしも一ならざるべしと雖も、我国の意志未だ充分に徹底せざることは大なる原因の一ならずんば非ず。
故に今日の急務は、我実力を以て韓廷に莅み、以て我意志を徹底せしめ、簡明直截に我が為さんと欲する所を為し我が行はんと欲する所を行なうに在り。
夫れ韓国に対するの途豈他あらんや、唯韓国が一に我国の保護の下にあることを知らしめ、実力を以て之を指導誘掖し、我に対して被保護者の実を挙げしむるのみ。
 嗚呼「日韓議定書の精神」とは何ぞや、「我国の意志」とは何ぞや、「我実力」とは何ぞや、吾人は未だここに其明答を得ず、然れども国民子は其最後に於て、韓国を「我国の保護の下に」置くべきを言えり、而して国民子更に其「韓国経営と実力」の冒頭に於て曰く、
 吾人は韓国の領土保全の為に両回の戦争に従事したり、而して其一回は今尚戦争中也。
 嗚呼「韓国の領土保全」乎、「独立扶植」の警語は何時の間にやら消え失せたるこそ笑止なれ、既に保護国と言うからは独立の二字は余り声高に語り得ざる筈也、清盛の甲は彌々多く法衣の裾より現れたり、而も其「領土保全」を説明するや亦更に甚だしきものあり、曰く、
吾人は韓人の好意に依頼しは彼国の領土を保全する能わず(評に曰く、措辞巧妙を極む)。
然らば即ち韓国の領土を保全するには唯だ我が実力を以てするあるのみ、実力の二字を今一層手緊しく言えば兵力のみ。
故に吾人は、韓国の要所に兵営を建築し我が軍隊をして、恒久に駐屯・・・せしめんことを望む。
されど韓国の領土は単に韓人の為のみに保全するにあらず、又我国の為に保全する也、即ち韓人の欲するにせよ、欲せざるにせよ、韓国の領土は是非共他国の侵略より保全せざる可らず。
故に吾人は韓国経営の第一着手として先づ軍事的経営を勧告す。
 清盛は既に自ら其法衣を脱ぎ棄てたり、実力とは、即ち兵力の事也、領土保全とは明かに領土併呑の事也、此に至っては独立も保護もあったものに非ず、世の義戦を説く者、世の「韓国独立扶植」を説く者、之を読で果して何の感あるか。
 次に吾人をして新人氏に聞かしめよ、新人子は「日清戦争の当時、日本軍が朝鮮独立の為に出征したるを喜び、日本帝国を東奔西馳して愛隣の大義を完うせんことを論じた」る人なり、而して「近頃宇内の大勢と東洋の形勢に深く感激する所あり、韓国民族に一片の忠言を呈」して曰く、
 韓国は大陸に圧せられざれば、大海に制せられて、遂に自主独立の権威を発揚すること能わざりき、其間中立を維持せんとするが如きは有名無実のみ、実なきの名は君子の耻づる所なり。事大主義は外に二帝国を有するときは勢い国家を二分せざるを得ざるなり。
因て今や世界の大勢に鑑み、鄰邦の盛衰を思い民族本来の特質を考え、・・・露に合同するか、日に合同するか、其一を撰ぶに在り。
世に属国ほど憐むべきものはあらざるなり、属国たらんよりは寧ろ滅亡するに若かず、又保護国となるも決して名誉にはあらざるなり、保護国とは体裁好き属国に外ならず。
韓国は日露孰れに合同すべきか・・・韓人の合同すべき民族が日本たることは火を見るよりも明なり。
 嗚呼狼は法衣を着すましたり、保護国は不可也、属国は不可也、而も只「合同」と称すれば甚だ可也、合同乎、合併乎、併呑乎、「実なきの名は君子の耻づる所なり」とせば、吾人は韓人が、無実の合同を為さんより「寧ろ滅亡するに如かず」と言わんことを恐る、此点に於て吾人は寧ろ国民子の露骨を愛す、新人子更に曰く、
スラブ民族が如何に異民族に悪感を懐き居るかは、彼れがユダヤ民族に対することにて明白なり、・・・韓人が露人と合同せんとするは・・・合同にあらずして併呑なり、韓人は到底使役せらるるのみ。
 吾人の見る所を以てすれば、日本民族が如何に異民族に悪感を懐き居るかは、彼れが謂ゆる新平民に対することにても明白也、日本人が如何に韓人を軽蔑し虐待せるかは、心ある者の常に憤慨せる所に非ずや、韓人が日本人と合同せんとする事あらば、そは合同に非ずして併呑也、韓人は到底使役せられんのみ、新人子最後に曰く、
日本民族より見れば、韓民族と合同することは或いは其光栄とする所にあらざるべし、故に日本人の未だ発せざるに先ち、東洋平和の大義に基き此合同を日本人に迫らば日本人も之を辞するの言葉なからん。
 嗚呼何ぞ其言の幽婉なるや、吾人は新人子を以て直ちに法衣を着たる狼なりと為す者に非ず、然れども此時此文を以て国民子の言に比すれば、吾人は実に此感なきを得ざる也。
 見よ、領土保全と称するも、合同と称するも、其結果は只ヨリ大なる日本帝国を作るに過ぎざることを、又見よ、今の合同を説く者も、領土保全を説く者も、同じく曾て韓国の独立扶植を説きたる者なることを、然らば則ち将来の事亦知るべきに非ずや、要は只其時の都合次第に在り。
 斯くて吾人は此の有力なる二論文が、或は騙し、百方苦心、韓国滅亡の為に働きつつあるを見たり、而して吾人は又日本の浮浪の輩が斯の如き論議を背後に負いて、或は長森案を韓廷に提出し、或は塩専売権、或は煙草専売権、或は仁川埋立工事、或は水田買収計画等に奔走し居るを見たり、日本が文明の為に戦いて東洋諸国を指導すと謂うものの其の公明正大なること一に何ぞ此に至るや。  (平民新聞第三十六号)


 

 トルストイ翁の非戦論を評す   (1904年 8月)


 一

 読者は本紙前号に訳載せるトルストイ翁の日露戦争論を読で、如何の感を生ぜしや、夫れ如此きの長編が、今年七十七歳の老人の筆に成れりということのみを以てするも、其精力の比なき、既に吾人の驚嘆を値するに餘あるに非ずや、況んや其勁健流麗の文(吾人の訳文の拙劣なる其筆致を伝うる能わざるは深く遺憾とする所也)を以て崇高雄大の想を行る、言言肺腑より出で、句々皆な心血、万丈の光彩陸離として火の如く、人をして起舞せしめずんば已まざるの概あるをや、吾人は之を読で、殆ど古代の聖賢若くば豫言者の声を聴くの思いありき。

 二

 而して吾人が特に本論に於て、感嘆崇敬措く能わざる所の者は、彼が戦時に於ける一般社会の心的及び物的情状を観察評論して、露国一億三千万人、日本四千五百万人の、曾て言うこと能わざる所を直言し、決して写す能わざる所を直写して、寸毫も忌憚する所なきに在り。
 見よ、彼の少年皇帝の昏迷、学者の曲学、外交家の譎詐、宗教家の堕落、新聞記者の煽動、投機師の営利、不幸なる多数労働者の疾痛惨憺、而して総て是等戦争の害毒罪悪より生ずる社会全体の危険を叙説するに於て、何者か能く翁の如く其眼光の精緻なる者ある乎、其筆鋒の鋭利なる者ある乎、何者か描き得て爾く有力なる者ある乎、爾く明白なる者ある乎、爾く大胆なる者ある乎、何者か爾く真に迫り神に入ることを得る者ある乎、然り、是れ豈に吾人の前に一幅戦時社会の活画図を展開せる者に非ずや。
 而して此活画図や、是れ現時の日露両国の社会に於ける事実也、然り大事実也、較著なる大事実也、如何に戦争を讃美し感嘆し、主張し、助成する者と雖も、一面に於ては決して是等の罪悪、害毒、危険の存在することを得可らず、何となれば是れ彼等が日夕実際に目賭し居れる所なれば也、但だ彼等従来其好戦的狂熱の為めに、強て自ら良心を麻痺せしめ是等の事実を看過し、黙視し、甚だしきは則ち之を隠蔽塗抹せんことを力めたりと雖も而も今や翁の如此く明白、有力、大胆なる描写指摘に逢う、彼等は猶お豁然として自覚せざることを得る乎、赧然として悔改せざることを得る乎。
 吾人は翁の大論文が、此点に於て、実に世間多数の麻痺せる良心に対して、絶好の注射剤たり得べきを信ず、否注射剤たらしむべきを希う、吾人が本篇を訳述して江湖に薦し所以の微意実に此に外ならず。

 三

 然共吾人を以て、全然トルストイ翁の所説に雷同盲従する者となさば、是大なる誤解也、吾人は元より翁が、戦争の罪悪、害毒及之より生ずる一般社会の危険を切言するを見て感嘆崇敬を禁ぜずと雖も、而も将来如何にして此罪悪、害毒、危険を救治防遏すべきかの問題に至ては、吾人は不幸にして翁と所見を異にする者也。
 翁が戦争の起因と其救治の方法を述ぶるや、滔々数千言、議論の巧、措辞の妙を極むと雖も、要は、戦争の起因は人々真個の宗教を喪失せるが為なり、故に之が救治や、人々をして自ら悔改めて神意に従わしむべし、即ち隣人を愛し己の欲する所を人に施さしむべしというに在る者の如し、単に如此きに過ぎずとせば、吾人豈に失望せざるを得んや、何となれば、是恰も「如何にして富むべきや」という問題に対して、「金を得るに在り」と答うるに均しければ也、是れ現時の問題を解決し得るの答弁にあらずして、唯だ問題を以て問題に答うる者に非ずや、吾人は此点に於て、翁が一關未だ透し得ざる者あるを惜む。
 吾人は必しも宗教を無用とし有害とするものに非ず、然れども人はパンのみにて生くる能わざるが如く、又聖書のみにて生くる者に非ず、霊なき人が死なるが如く、肉なき人も亦死なり、夫れ一飯にだも餐くこと能わざる者、安んぞ道を聞くに遑まあらんや、人は尽く夷斉に非ず、単に「悔改めよ」と叫ぶこと、幾千万年なるも、若し其生活の状態を変じて衣食を足らしむるに非ずんば、其相喰む相摶つ、依然として今日の如けんのみ。
 吾人社会主義者が非戦論を唱うるや、其救治の方法目的如此く茫漠たる者に非ず、吾人は此点に於て一貫の論理を有し、実際の企画を有す、吾人の所見に依れば今の国際戦争は、トルストイ翁の言えるが如く、単に人々が耶蘇の教義を忘却せるが為めにあらずして、実に列国経済的競争の激甚なるに在り、而して列国経済的競争の激甚なるは、現時の社会組織が資本家制度を以て其基礎となすに在り、(四月三日発行本紙第二十一号社説「列国競争の真相」参照)、故に将来国際間の戦争を絶滅して其惨害を避けんと欲せば、現時の資本家制度を転覆して、社会主義的制度を以て之に代えざる可らず、社会主義的制度一たび確立して、万民平等に其生を逐ぐるに至らば、彼等は何を苦しんで悲惨なる戦争を催起するの要あらんや。
 之を要するにトルストイ翁は、戦争の原因を以て個人の堕落に帰す、故に悔改めよと教えて之を救わんと欲す、吾人社会主義者は、戦争の原因を以て経済的競争に帰す、故に経済的競争を廃して之を防遏せんと欲す、是吾人が全然翁に服するを得ざる所以也。

 四

 吾人の翁と所見を異にする如此し、而も翁の言々実に肺腑に出で、句々皆な心血直言忌まず、党議憚らず、露国皇帝も亦一指を加うる能わずして、其所論は直ちに電報を以て万国に報道せらる、翁も亦一代の偉人高士なる哉。  (平民新聞第四十号)


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