マレイ・ブクチン


  

インテリゲンチャと新知識人


編集者まえがき

 以下の講演は、1990年7月27日にヴァーモント州のゴダード短期大学において行われたthe continental Youth Greens conference第四回大会の開会講演として行われた。社会理論家マレイ=ブクチンは、その生態学に関する著作を1952年の食物に混在する化学添加物に関する論文で始め、長年にわたるエコロジー運動の活動家であり、The Ecology of FreedomRemaking Society(邦訳:エコロジーと社会)、The Philosophy of Social Ecologyを含めた書物の著者である。多くのやり方で、この対決的で考えを喚起するような講演は、知的著作の貧困・近代社会における学生生活の貧困・反対運動の欠如といった青年グリーンズ・青年アナキスト・左翼が今日直面している最も困難な諸問題の幾つかを表明している。さらにこの講演は、現在生じている社会的・生態学的崩壊という重荷を背負っている知的・政治的世界を再統合しようという革命的試みとしての社会生態学という政治的プロジェクトの簡便なイントロダクションとなっている。これらの理由から、さらにはそのウィットも含め、編集者は著者の了承を得て、この論文を出版することを決めた。
 読者は、1930年代の古典的な街頭演説スタイルを思い起こさせるようなやり方で著者の記憶から引きだされたこの講演に、批判的にかつ偏見抜きで、接していただきたい。今日最も刺激的な思索者の一人による疑いもなく論争を引き起こしそうで荒削りな仕事を、著者のペルソナ(伝統的アナキストスタイルにおける)を剥ぎ取り、同時に、その思想それ自体に価値を置くために、その欠点と長所と共に提示することが、私達編集者の意図である。私達がそうであるように読者もこの論文を楽しんでいただければ幸いである。
 この講演は、オルタナティヴ=フォーラムが出版する、一連の手紙とモノグラフにおける最初のものである。オルタナティヴ=フォーラムの目的は、大学外に、知的で創造的な現在進行中の活動に関するインフォーマルな議論のための一地域を作り出すことである。−− Eric Jacobson and M. Therese Walsh

 この論文は、Alternative Forum、第一巻第一号1991年秋号に掲載された。原文は、"Intelligentsia and the New Intellectuals"にて読むことができる。(訳者)


私はここで、私が感じている多くの懸念について論じようと思います。それが皆さんと関係があるかどうかはご自身で判断してください。最近、私は一人の親しい友達と出版社から、私がだいぶ前に着手していた本、スペインのアナキスト(Harper社刊、1977年(訳注:AK Pressより再版されている))を書き終えるように頼まれました。この本の始まりは1868年で、その終わりはいわゆるスペイン市民戦争の始まり、丁度スペイン革命勃発寸前の1936年です。実際、バルセロナなどの労働者が武器を手に取り、フランコの軍隊を止めようとしたところで終わっています。私が書いてくれと頼まれたのは、更にもう幾つかの章でした。そうすれば、この一つの本で、市民戦争、そして多分、できるだけ最近までを−−ただし、実質的に現在スペインには組織的アナキスト運動などないのですが−−その本で網羅することになるだろう、というわけでした。先週中ずっと、(社会生態学)研究所での仕事から回復しようと−−七十歳に近づいているため結構疲れるのですが−−しながら、私は多くの資料を読み、「社会革命」という題で次の章を始めようとがんばっていました。この本は更に四つか五つの章を加えることになり、決定版で充分安価な読みやすいスペイン=アナキスト史になるはずです。

その革命は驚くべきものです。それが呼び起こした記憶のためだけでなく、私が扱わねばならなかった資料の強烈さのためにです。実際、私は本を完成できなくなってしまったほどでした。私は、民衆が、多分歴史の中で最も革命的な労働者階級と農民が、ほとんど素晴らしいほど献身的にマシンガンの烈火の前面へと飛び込んで行ったこの時期の激烈さに打たれました。彼らがマシンガンを止めるためにその中に自分の体を投げ出したのなら、彼らは7月17日・18日・19日当時に反乱を起こしていた国粋主義者やファシストを黙らせるためにもそれを行ったことでしょう。私はこの時期を非常に鮮明に思い出すことができます。その詳細が新聞で報道されていたからです。人々は革命の熱意とスペイン民衆・労働者階級・農民の献身に絶対的に驚いていました。なんと壮大な運動だったことか。なんと英雄的な運動だったことか。今日その運動が存在しないことは何たる損失であろうか!更に重要なことに、今日それと同様のことが全くないことは何たる損失であろうか。これが私が現在感じていることです。お分かりでしょう。私は自分が奇妙な世界にいる異邦人のような気分でいるのです。だからこそ、この資料を読み返すことは非常に苦痛なのです。資料の中で、ほぼ51年前には、この運動は、私達が自分自身で行うと、そして他の人々も行うと期待していたことであるように思われていたのです。今日私の期待感はほとんどゼロです。民衆が高い理想によって育てられ、つき動かされ、世界を変えるために何も考えずに自分自身を争いの渦中に投じるだろう、今日ほとんど欠落している情熱によって民衆がつき動かされるだろう、そんな期待は持っていません。それは、叙事詩ほどの壮大さを持つ生き生きとした人間の詩だったのです。

私はこの数日間このことに没頭していました。そして、今夜何を話そうかと考えたときに、私を襲った一つのことは、このこと全てはどこへ行ってしまったのだろう?ということでした。私は、人は恐れずに自身をマシンガンの烈火の中に投げ出さねばならない、と言っているのではありません。思い出してください。その運動は、スペイン革命が勃発する70年も前に作り出されていたのです。しかし、私が最も恐ろしかったことは、初めて−−いや、私はここにいる皆さんの中で個人的によく知っている人もいますから、繰り返しになってしまいますが−−次のように問うことができたということなのです。左翼はどこにいるのか?左翼はどこにいるのか?言うまでもなく、リバータリアン左翼のことです。言うまでもなく、理想を持った左翼のことです。それら情熱的年月が持っていた理想主義は今どこにあるのか?フランス革命から1930年代までの百年間の蓄積だったスペイン革命に存在していた、そして1960年代にさえある程度まで存在していたそれらの強烈な感情は今どこにあるのか?私的な人生以外で、私の人生が持つ唯一の意味は、左翼の理想、それがいかなる形態を取ろうとも、を再び作り出し、復活させ、体現することなのです。

左翼はスペインが1930年代にそうであった状態へ戻ることはないでしょう。私はそのことを理解してしますし、私が1967年に本の資料を集めにスペインに行ったときにそれが分かりました。フランコは当時も生きていました。私はそこで起こっていた変化を見ました。スペイン半島のアナキストの中心地だったスペイン南部にあるアンダルシア地方の小さなスペイン部落全ての上にテレビのアンテナがありました。バルセロナのランブラス近くのモーテルに泊まったときのことを思い出します。そこは、6月や7月18日・19日に武器を要求していた何十万という人々でいっぱいだったところです。民衆がまさにその港にあるコロンブスの像からプラザ=カタロニアまでランブラスを埋め尽くしていたのです。物事が変わってしまったため、スペインはもう無くなってしまったのだ、と分かりました。The Embrazo は、消えうせようとしていました−−the embraceになったのです。私は、若い中産階級の精力的な、今で言うヤッピーが−−1967年は、ヤッピーという言葉についてすらだいぶ昔のことなのです−−米国製のアタッシュケースを手に、完璧な9時5時秘書の化粧をした女性と共に歩いているのを見ました。スペインは、社会基盤、つまり1930年代の歴史的伝統が、フランコによって最終的に一掃されてしまったため、死んでしまったのだと分かりました。それは、25万人もの人々を射殺してなされたのです。それは、フランコが権力を掌握した後も継続された、二十万人もの人々に対する銃殺を通じてなされたのです。スペインのいわゆる近代化とやらを通じてなされたのです。それは酷いものでした。スペインは突如として、本当に資本主義的になってしまい、資本主義的なもの全てがスペインの生活の全側面に浸透し始め、それは小さな部落にまで及んだのでした。

しかし、それでも、この世界は不合理である、と私は知っており、私は信じており、そして、私達の大部分が信じていると思っています。現代世界は人間性の真実ではありません。これは、人間的潜在能力の達成である社会ではありません。私達が今日持っていることは、ある種の怪奇な不合理性です。それが大きくなればなるほど、民衆は当然のことだと思うようになり、前提だとするようになるのです。しかし、実際は、不合理性に関する全てのことは−−特に私達のような生態学的精神を持ったものにとっては−−不自然なことなのです。言葉のあらゆる意味で、外的な非人間的自然に対抗しているだけでなく、人間の本質にも対抗しているのです。人間の魂に関して表現しているものが何であれ、人間の魂に関して創造的であるものが何であれ、愛しているものが、道徳的なものが、倫理的なものが、最終的に充分明瞭に述べられ美しく構成された社会を作り出さなければならないものが何であれ、今日それは、怪物のような預金と貸付の問題なのです。つまり、私達が今日扱っていることは、東側における革命ですらないのです。私達は回復について扱っているのです。ルーマニアはどこに戻るのでしょうか。ドイツはどこに戻るのでしょうか。そして次はチェコスロバキアです。そこでは、監獄にいるはずだった劇作家が政府を導き、民衆に最も中産階級的な微々たる説教をしているのです。私達はジョージ=ブッシュとその息子がその活動を続けているのを見ています。家族で商売をしているのです。それは、ゴッドファーザーではなく、A.A.つまり「全くアメリカ的(All American)」なのであり、有名ブランドもので、格好良く作られているのです。割れた顎と無表情の顔、荒っぽい見かけだが、澄んだ瞳を持っている、しかしそれでも破滅的に退屈なのです。

そこで、人は自問するでしょう。スラム街が腐りきり、何百万という人々がその分析家達に明確に表現することすらできないある種の被害を被っているときに、左翼の基盤は何なのだろうか?左翼になる人などいるのだろうか?それとも私達は完成してしまったのだろうか?私達は左翼を置き忘れてしまったのだろうか?誰もが死ぬように助言され、メディアが私達を広告漬けにし、私達に消費させるようにしている−−そして、高潔なエコロジストが、消費してはならない、子供を作りすぎだ、それは全て私達のせいなのだ、と私達を非難している−−一方で、左翼は意味のない言葉になり果ててしまったのか、という疑問を持つでしょう。これが、この冬の時代において、私の最も大きな懸念なのです。どのようにして、左翼を時代と関連したものに作り直せば良いのでしょうか?左翼はもはやスペイン=アナキストのようにはならないでしょう。スペイン=アナキストは復元できはしないのです。左翼はもはや労働者の運動にはならないでしょう。労働者自身はもはや「労働者」と呼ばれたいとは思っていません。労働者は「合州国の中産階級従業員」と呼ばれたがっているのです。これが我々が最近耳にするようになったレトリックなのです。現在、もしストライキをしようと思ったら、それは企業の利益となってしまうのです。これは新しい発展です。ストライキが企業利益になるだろうなどと歴史的に誰が予見しえたでしょうか?ストライキは組合をたたきつぶすための完璧な理由なのであり、さもなくば、その企業は、例えばメキシコでそうやっているように自動車労働者に対して、時給13ドルや14ドル払う代わりに、72セントだけ払えばいい国へと移るのです。これが、私が研究所で行おうとしていた一連の考察の主たるテーマなのです。どのような新しい関心事が、アナキストも含めてマルクスなどの人々が人間性の一般的関心事になると考えていた労働者階級の特殊な関心事と置き換わるのでしょうか?私達がここに集まっている理由は、完全な意識ではないにせよ、一つの直感的洞察を持っているからだと思います。その洞察は、その一般的関心事とは自然界との葛藤であるはずだ、そして、資本主義的発達の論理全体の中から崩壊すると思われていた資本主義が持つ本当の歴史的制限−−それらがどのようなものだとマルクスが考えていたにせよ、それらが内的なものだと彼が考えていたにせよ−−は、明らかに外的なものだ、というものです。これが、資本主義に対抗して生じていること、ヒエラルキー社会に対抗して生じていることなのです。テクノロジーや人口増大のような、私達が非難している全てのこと、つまり、環境保護運動において多くの人々が非難している全てのことは、今日の反生態学的な、種が進化して以来最も反生態学的な非合理システムの枠組み内で理解されねばならないのです。

エコロジー運動は、それが社会諸問題と結びついていなければ、意味がありません。私達が持つ全ての生態系諸問題は社会問題なのだという考えを持っていなければ、これら社会問題を解決することなしに、私達が扱うことが期待できる最大のことは、生態系諸問題に関する限り、弱々しい改良技術と調節です。最終的に私達は、オゾン層枯渇の結果を避けるために、比較的汚染物質が少ない酸素を呼吸し、完全に人口的な環境を創り出しているバイオシェルターに住むようになるでしょう。この恐ろしいほどのテクノクラート的解決策がなかったとしても−−実際、バックミンスター=フラーが数年前にニューヨーク市の上にドームをつけたらどうかと示唆していたのです−−、それらの解決策がなかったとしても、この社会は自然の世界に対して断固たる矛盾に立脚しているのです。何故なら、反生態学的なのは社会であって、私達が信じ込まされているように、間違った感受性ではないからです。この社会は、成長という、自然との葛藤という、有機的なものを無機的なものへと変えてしまうというシステムの中で罠にはまっているのです。したがって、今発達しつつあるいかなるエコロジー運動であれ、社会生態学(社会的エコロジー)にならねばならないのです。そして、生態系問題の根源は、ヒエラルキー・ある性による別な性の優越的支配・年上による年下の優越的支配・ある人種グループによる他の人種グループの優越的支配にある、と見なさなければならなくなるでしょう。そして、今日でも階級搾取は重要ですが、問題を諸階級という点では見なさなくなるでしょう。

しかし、左翼を団結させるために何が必要なのでしょうか?私達は左翼だけでなく、左翼主義者も生み出さねばなりません。最終的な革命だけでなく、革命家をも生み出さねばならないのです。私達は、これらの言葉の意味との接触を失いつつあります。私達はどこでその定義を見付けていいのか分からないのです。定義については、私達が本物の革命家と左翼主義者を見るためにスペインに戻らない限り、その全ての欠点については、私達が初期の革命的時期などに戻らない限り、分からないのです。私達は、私達を方向づけるために必要な思想の理論的総体だけでなく、社会における私達の生態学的見解の根源となる社会生態学を発達させなければなりません。自然の世界に向けた新しい感受性(これはたやすく明言できます−−単に、デヴォールとセッションズによるディープ=エコロジーを読めばいいだけで、何をすればいいのかということ以上のものを獲得できるでしょう。)だけでなく、様々な生態学的感受性とスピリチュアリティを超えるものを発達させなければなりません。私達は、本当に少なくとも、事物の理論化と一貫性を与えることのできる社会層、さらには、同時に公的領域の一部であったり、公的領域を創り出そうとしたりしている社会層を発達させねばならないのです。私達が今日合州国や世界の多くの場所、明らかに西欧で創り出していることは、良くても数多くの知識人です−−私達ですらも知識人を発達させていると見なすことができるのです。丁度、「左翼」という言葉が余りにも変質してしまって、DSA(Democratic Socialists of America)に加入したり、別な擬似マルクス主義グループやマルクス主義グループの名残に加入したり、民主党に入党したりしても、自分のことを左翼主義者だなどと呼んだりしているようなものです。テッド=ケネディでさえもが、ジョージ=ブッシュと比べれば、左翼主義者だなどとも言うことができ、そこでは中核が崩壊している民主党の左翼について語っている有様です−−私達は、何が左翼主義者なのかということの定義に関する感覚を失ってしまっているだけでなく、何が革命なのか、何が知識人なのかについての定義に関する感覚をも失っているのです。

理論化するときに重要なことは、現実性を一貫したものにすることです。一貫した理論の背後にある考えは、現実や現実に関する私達の理解を合理的にしようとすることです−−これが一貫性の背後にあるポイントなのです。一貫性とは文字通り、私達の理想がいかなるものであれ、私達が創り出そうとしている現実がいかなるものであれ、それについて考えぬき、理性を与えるプロセスなのです。それは、私達が住んでいる現実に対して合理的な理解を与えることを意味しています。だからといって、この現実が合理的だという意味ではありません。どのようにして現実が生じ、どこへその現実は向かっているのかについて理解するという意味です。私達は現在支離滅裂な時代に住んでいます。多元論という名の下に支離滅裂性を強調しているイデオロギーが大学にあります。それはポストモダニズムと呼ばれています。合理性の存在を否定し、歴史の存在を否定し、理想の存在を否定し、本質的に、私達の鼻先に題目をつき付けて、それを分析せよと問うているのです。これが知性が何たるかの全てであるとするなら、恐ろしいほどの誤謬です。知性が、偉大な伝統を新しい文脈に関連付けるために、それを身につけ、言い換え、再解釈し、その結果1930年代や1960年代や1970年代さえをも乗り越えることができるようにすることを意味しているのなら−−知性がそれを行うことを意味しているなら、私達は、ラッセル=ジャコビィが著書最後の知識人で−−皆さんの中でその本を読んだことがある人がいるかどうか分かりませんが−−議論していたような意味での知識人など創り出しはしないでしょう。ジャコビィは、大部分の知識人が大学教授になっているという事実を嘆いています。私達は、学問学会によって吸収されている知識人を生み出しているのです。その人達は、教室に自分の公的領域を見出し、講義項目にそって仕事をしています。こうした知識人は学問市場にのっており、この意味で、デパートやショッピングセンターで皆さんがよく見るジャンク=フードやガラクタと何ら変わらないのです。ラッセル=ジャコビィは「最後の知識人」というフレーズを間違って使っていました。何故なら、知識人は、大学教授であるという意味で現在も存在しているからです。だからと言って、全ての大学教授が悪いと言うわけではありません−−私もその一人でした。私は大学システムに捕らえられ、できるだけ早くそのシステムから離れようとしました。でも、それはここでの問題ではありません。私がお話していることは、もし私がこの言葉を使ってもかまわないのなら、基本的に新しい「社会契約」についてなのです。その契約の中で、物事を考えるはずの人々は、単にスキルを教える人々へと調教されているのです。「スキル」という言葉は、大学にいる知識人が今日行っていることを私達に説明してくれる便利な用語です。いかなる創造的才能が知識人の中に存在していようとも、大学への、そしてこのことに関して言えば、大企業と国家機械への吸収のために、知識人は結局制度の中に捕われてしまい、その結果そこから出ることができなくなってしまうのです。これが、ドイツの急進主義学生の指導者ルディ=ドゥチュケが定式化した「機関を通して長い行進」をしてきたドイツで実際に起こっていることなのです。彼らはドイツ緑の党の罠にはまってしまい、ドイツの国家機械の罠にはまり、ドイツ大学の罠にはまり、言葉の真の意味で創造的なのではなく、大部分官僚主義的な全くの専門家世界の罠にはまってしまっているのです。

ここで私達は−−これがラッセル=ジャコビィが別な言葉を使うこともできたと私が思う理由なのですが−−私が子供の頃に聞いたことのあるロシアの経験から生まれた言葉、「インテリゲンチャ」との接点を失ってしまったのです。インテリゲンチャとは、公的土俵で物事を考えそれでもなお公的土俵の中に生きていて、公的領域を創り出そうとしている人々のことでした。デニス=ディドロのように、どの大学も修了しなかったけれども、文章を書いていた−−その人生の大部分は実質的に貧困にあえいでいたのですが−−、読書をし創造的だった、民衆の生活に興奮しながらパリの街路を歩き、チェスをし、カフェでの議論に参加し、動乱の酵母として活動し、自分が歩むところいたるところで権威に挑戦し、彼がエンサイクロペディアをまとめていたときに聖職者が彼が行っていることを気にくわなかったため一定期間投獄された人物がいたものでした。知的発酵を創り出した生意気な人々や女性がいたものでした。その知的発酵が、1789年から1795年のフランス大革命を促すために最終的に多くのことをなしたパンフレットと文献を生み出したのです。そこでは、いわゆる「知識人」と理論家は、思索に従事しただけでなく、著作にも、そして恥ずかしがって隠れたりせずに、システムとの対決にも従事していたのです。彼らはこれらのことに従事しなければなりませんでした。さもなくば、知的に機能できはしなかったのです。そうしなければ、彼らは干上がってしまっていたでしょう−−次第に民衆(もしくは、少なくとも知識をほどほどに持っている人々)に浸透し、最終的にはフランス人民の全領域に広めながら、民衆全体を巻き込んだ思想の発酵がなければ、彼らは文字通り社会的に無味乾燥な存在となってしまっていたでしょう。これらの思想は皇室それ自体をも知的に堕落させたのです。このインテリゲンチャが理性の制裁に対して全ての物事を差し出しながら作り出した挑戦のために、貴族階級がそのアイデンティティの感覚を失い始めていたのです。

ここで「インテリゲンチャ」という言葉の確実なロシア語源を思いだしていただきたい。それは純粋にロシア語なのであって、英語ではありません。インテリゲンチャを形成していた人々は、他の人々と共にシベリアへ行きました。そして巨大な社会的発酵を作り出した人々の中には、トルストイのような人さえいたのです−−革命運動に身を投じた多くの女性は言うまでもありません。そうした人々は、多くの書物を書き、多くの思索をし、多くの行動をしたのです。精神と生活の相互作用−−この二つのものは分断されてなどいなければ、一方が他方に敵対してもいないのです−−そして制度外で活動しようという試み、実際、新しい制度を作り出そうという試みは、インテリゲンチャの持つ最高の役割だったのです。インテリゲンチャは、次第に、現実の意味を理解する能力が全くないというその次第に生じつつあった懸念・そのフラストレーション・その感情を、幅広い大衆に対して明確に述べるようになったのです。そして、最終的には、精神と魂の中で、旧式の封建制度的システムと、ある程度までその後の共和制度に対する大多数の人々のコミットメントを打ち砕いたのです。

そう、現在我々は、インテリゲンチャを発達させるという課題に直面しているのです。新しい知識人の一群ではありません。私達はインテリゲンチャを持っていました。現在、私達は知識人に取り囲まれています。知識人は「New York Review of Books」誌のページを埋め尽くしています。彼らは「Atlantic Monthly」誌のいたるところに顔を出しています。二千か三千はある風変わりな雑誌は言うまでもありません。その中で、知識人達はお互いに相手の背中を引っ掻き、できるだけ多くの質問を挟もうとし、そのことで、終身的地位や助教授から教授職への出世に申し込もうとしているのです。去年だけで500回も様々な本や教科書で引用されたと指摘できる人もいるでしょう。それが意味することは、主として、完全に凍死している思想の総体に捕われている御粗末な授業を維持するということなのです。だからこそ、私達が直面している問題は、インテリゲンチャを創り出すことなのです。しかし、私はインテリゲンチャが、最終的に人々を新しい思想に敏感にさせ、最終的に実践上の新しい方向性と新しい可能性を示唆する歴史的諸条件の代わりになるとは信じていません。しかし、結局、重要なことは、社会から孤立しつづけずに、現実を案出し、現実を一貫したものにし、いつでも社会と共に生き生きとした新陳代謝を行おうとすることなのです。方向性の感覚を提供するような合理的で有意義なやり方で現実を批判できるという意味で現実を一貫したものにすること、これが私達の目標でなければなりません。もう一度言いますが、当然、歴史的諸条件が私達と共にいなければなりません。しかし、ざっくばらんに言えば、今現在、歴史的諸条件は私達と共にはありません。私達が現在直面していることは根深い反動の時代に他ならないということを人々に信じ込ませようとしていたとするなら、私は大馬鹿者でしょう。しかし、ある種の発酵の兆しは存在しています。そこには、a stiffingがあり、意味を見付けようとする試みがあるという最初の予兆があるのです。現在生み出されつつある危機は、結局、生態学にその根を持っているのです。

さて、私達がまず最初に生み出そうとしている運動は、左翼なのでしょうか?現代は、左翼が全く存在しない歴史的時期になるのでしょうか?もしくは、左翼が単にリベラル程度の意味しか持っていないことになるのでしょうか?私達は、インテリゲンチャと呼ばれることから自分達自身を引き離し、言葉の最も浅い意味−−つまり、制度に組み込まれた思索者と、知恵を伝えるのではなく他人を訓練している制度に組み込まれた人々という意味−−での単なる知識人を生みだそうとしているのでしょうか?最後に、私達は自分の考えをどこに集中すべきなのかという正しい焦点を見出しているのでしょうか?私は、もう一度、この焦点は−−全部ではないにせよ、圧倒的に−−生態学的なものだと示しておきます。生態学的に生じている崩壊は、途方もないもので、それが生じている割合は本当に警告的で、今日多くの人々の精神を奮起させています。この時点で、スペインが1930年代に、欧州と米国が大不況時代と1930年代一般に直面していたような重大な危機的状況へ私達が突入する前の本当の疑問は、私達が、左翼がどのようなものか、どのような種類の理論総体が左翼が育成することができ、諸変革としての社会シーンと関係することができるのか、に関する自分達のヴィジョンを用意し組織を作ろうとするかどうかなのです。そして、最も重大なことは、私達は制度に組み込まれた訓練者−−精神の訓練者であれ技術の訓練者であれ−−である知識人を生み出しつづけるのだろうか、です。それが研究することと同じぐらい重要な、学校に行くことと同じぐらい重要な、多くの学者がそうかもしれないほど重要なことです。個人的な意味ではなく、広く同一にお話すれば、私達は制度の外にいるインテリゲンチャを、急進的運動−−左翼運動−−を活性化でき、一貫性を与えることができる新しい考えに関する組織的方法での発酵エージェントとなるインテリゲンチャを必要としているのです。

これは、重大な問題です。特に今日の若い人々が直面している問題です。私がもっと学問的な場で公式に教えているときに、私が出会った普通の見解は、「私はまず最初に自分の職業を見付けなければならない。その後で私は自分が自分の生活で何を行うのかを見付けよう。市民権の弁護士になろう、株式ブローカーになって生態調和的商品を促そう、エンジニアになってあれこれしよう、その後、私の政治生活と政治的思考をその回り組み立てよう。」なのだから、なおさらそうなのです。政治は自分の出世の二の次になり果てているのです。今日存在しているアノミー・今日存在している阻害・人々には未来がないという感覚、未来があるとしてもそれを定義することなどできないという感覚を持ってすれば、これは大部分の人達にとって理解できることでしょう。こうした言明は、次のように述べていた莫大な伝統とは相容れないのです。「私の職業は世界を変えることだ。その他のことで私が行うこと、私がする仕事が何であれ、私が従事することが何であれ、世界を変えることに従属しているに過ぎないし、世界を変えることを支援するために主として使われるのだ。」

私は、革命家がこれほどまでに確信を持てるようになりえるとは考えていません。そこには大きな危険があります。だから、私達はこれほどまでに大規模な同化作用を見ているのです。社会に完全に受け入れられる非常に快適で、急進主義的な職業が今日存在しているのです。この社会は、一貫した分析を持って社会に挑戦していない限り、全てのことを実践的に同化する能力を示してきました。ニヒリズムは今日完全に受け入れられています。「私が宣言書を書いたり、宣言書に署名するなら、その宣言は私は全てのことを拒絶する、というものだ」と述べて、システムを妨害しようと企図しないことは、私の観点からすればシステムとうまくやっているのです。私はニヒリズムを見てきました。ざっくばらんに言えば、ドイツのオートノーム(Autonomes)の間でそれは全く当然のものとなっています。彼らは、次第にスキンヘッド・擬似ナチ的立場に、向かっています。最も良い場合でも、それでも実例は限られた数しかないのですが、アナキストになっています。全てを拒絶することは、空洞を生みだし、その空洞に何が入り込むのかを誰も知らないのです。いかなるものであれ、普遍的ニヒリズムという・普遍的拒絶という・普遍的支離滅裂性という・理論の普遍的排除という・一貫した実践さえもを普遍的に排除するという空洞に入ることができるのです。数年前、私の友達が私に次のように言いました。「私はもう、市民権運動に関して戦うことに興味がなくなってしまった(これは市民権運動時代のことだったのです)。君がバリケードを作ったときには呼んでくれよ。」あぁ、バリケードがあろうとなかろうと、彼はどんどん遠くへ行ってしまい、今では何かをしようと彼を呼びだすことなどできなくなってしまいました。馬鹿馬鹿しいほど遠くまで行ってしまった極端主義もあります。余りにも普遍的に拒絶しているため、文字通り、空洞の中に何でも入ることができるようにしているニヒリズムです。私はドイツのオートノーム(Autonomes)には何も大きな感情を抱いてはいません。何故なら、そのニヒリズムが彼らの間で成長してきているからです。今日必要なことは、社会に対して本当に挑戦する代替案です。必要なことは、社会に対峙する理想と原理です。それらは理論だけでなく、理想でなければなりません。それらは最終的に民衆−−日常生活の諸問題に参画している人々と直接にだけでなく、研究し思索し始めている人々とも−−と共に新陳代謝して変化しなければなりません。これが、インテリゲンチャの持つ機能がそうあってしかるべきことなのです。私の観点では、これが、真に革命運動がなすことなのです。これが、左翼がそうあるはずの姿であり、左翼と共に理論がそうあるはずの姿なのです。単なるニヒリズムに還元されているため、皆さんは空洞を手にしているのです。ファシズムも含めて何でも中に入り込むことができるのです。そして、今日起こっていることがこれなのです。理性のない単なるスピリチュアリティに還元されてしまい、私達は支離滅裂性と共に取り残されているのです。一貫性を失っているため、私達は、私達が住んでいる社会の本質を解釈できず、私達は理想を、そのために戦う価値のある貴重な理想を、掲げることもできないのです。1936年から1937年までのスペインのアナキストが、そのために死んでもいいと考えていた理想をです。それはおびただしい数だったのです。民衆と共に新陳代謝を行うインテリゲンチャがいないため、私達は、明らかに制度に組み込まれた単なる学者・単なる知識人になっています。そして、システムは何でも受け入れることができるようになっているのです。システムはマルクス主義を学問分野にしてしまいました。私達は現在、マルクス主義101講座・マルクス主義102講座・マルクス主義201講座・大学院レベルのマルクス主義講座などを受講するのです。そして、目を転じれば、同じことがアナキズムについても生じる可能性があるのです。あなた方が墓場に住みたいと思う限り、ロシア=アナキストや、クロンシュタットで何が起こったのか、それが何になるかは知りませんが、何であれ文章を書こうと思う限り。お分かりでしょう。善意ではあるがそれでも多少大袈裟なアナキスト歴史家がそうしたように、まぁ少なくとも彼はアナキズム専門の歴史学者ですが、彼は、博物館のどこかでちょっとした論文を見付け、1921年に白兵がクロンシュタット水兵に送った手紙を見付けたと大喜びし、自分が見付けたのだからと、注釈程度のものでしかありえないものから本の一章を書き上げたのです。また、皆さんはシチュアシオニストになるかもしれない、オートノーム(Autonome)になるかもしれない、余りにも多くのガラス窓を壊さないように、少なくとも、自分がガラス窓を壊したときにはそれに保険がかかっていること確かめるようにしなさい。ところで、皆さんの多くは知らないでしょうが、これがチューリッヒで発達していること−−私がそこに行った時、1970年代にチューリッヒで起こった莫大な青年反乱−−の全てだったのです。信じられない出来事でした。全てのAは円で囲まれていました。銀行(bank)のAでさえも、通り(avenue)のAでさえもです。Aは円で囲まれ切り刻まれていたのです。この運動が今はどうなっているかご存知ですか?クラックです。システムに戻らなかった人達は、麻薬中毒になったり犯罪者になったりしたのです。そして、現在ではシステムは青年達を、システムが彼らをほしいところで掌握しているのです。青年達は本当の危険ではなかったのです。青年達は自分達で共食いするのに忙しいのです。

これらが私の心を通過している考えの幾つかです。今日でさえ、私はスペインのアナキストとその内部自己修練・コミットメント・理想主義という莫大な感覚について資料を読むと、同時に、理論によって知識を与えられねばならなかった理想主義をそこに見てしまいます。何故なら、それが彼らの最大の失敗だったからです。彼らの最大の失敗は、彼らがいつ反乱を起こすのか・反乱を起こしたら何をなさねばならないのか、もしくはいかなる結果が生じるのかを知らなかったことでした。結果として、政府に入閣し、彼らが50年から60年戦いつづけてきたその正に抑圧的な道具の一部となったのでした。さて、これまで私はこの本を書くことについて考えているときに私が持っていた様々に入り混じった感情を皆さんと分かち合ってきました。現在からは程遠く思えるけれども、何らかの芳醇な意味を私達に対して持っているはずの、今はもう死んでしまったが偉大なる戦闘で戦っていた何十万人の生き生きとした経験を通じて、私は、できるかどうか分かりませんが、このこと全てを伝えようとしました。どうもありがとう。

マレイ=ブクチン、1991年

原稿の書き起こしは、Eric Jacobson and M. Therese Walsh、1991年8月


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