マレイ・ブクチン


  

社会的アナキズムかライフスタイル=アナキズムか その3

=== 掛け橋不可能な亀裂 ===

原始人の神話化

反テクノロジー主義と反文明主義の当然の帰結は、原始人主義である。有史以前のエデンの園的な賛美とその憶測の純潔に対する一種の回帰願望である(原注)。ブラッドフォードのようなライフスタイル=アナキストは、原住民族とエデンの園的な有史以前の神話からそのインスピレーションを導き出している。ブラッドフォードによれば原始民族は、『テクノロジーを拒絶していた。』原始民族は、『器械を用いる技術や実際的な技術の相対的重要性を最小限にし、(中略)恍惚的技術の重要性を拡大していた。』これは、原住民族が、物活論(アニミズム)という信仰を持ちながら、動物の生命と原生地帯の『愛』に満たされていたからだった。彼等にとっては、『動物・植物・自然の物体』は『「人間」であり、親類でさえ』あったのである(CIB、11ページ)。

(原注:我々に、我々のテクノロジーを顕著に、抜本的にさえも、減らすように忠告している人達は、同時に我々に、ありったけの論理をつくして、「石器時代」へ−−少なくとも、(前期・中期・後期の)新石器時代や旧石器時代へ−−戻るように忠告している。我々が「原始世界」へ戻ることなどできはしないという論法に対して、ブラッドフォードは、その論理ではなく、それを実際に述べている人々を攻撃している。『大企業の技術者と左翼やサンジカリストの資本主義批評家どもは、テクノロジー支配に関する自分達以外のいかなる見解をも(中略)「後戻り的」で、石器時代へ戻ろうとする「テクノ恐怖症的」願望だとして』簡単に片付けてしまっている、と彼は不満を述べている(CIB、脚注3)。ここでは、テクノロジーの進歩それ自体を望ましいとすることが、多分人間と人間以外の自然に対する、「支配」の拡大を望ましいとしていることを意味している、といういいかげんな噂はとりあえず脇に置いておこう。だが、「大企業の技術者ども」と「左翼やサンジカリストの資本主義批評家ども」は、確かに間違いなく、テクノロジーとその使用方法に対するその見解という点で、お互いに置換可能なのだ。「左翼やサンジカリストの資本主義批評家ども」が、資本主義に対する真面目な階級抵抗に賞賛に価するほど関与しているという事実を考えてみると、今日彼等が大きな労働運動の支持を得ることができていないことは、祝典の機会などではなく、喪に服すべき悲劇なのである。)

従って、ブラッドフォードは、有史以前の食糧探索文化の生活方法を「恐ろしく・獣のようで・放浪的な、血生臭い生存闘争」と決めつけている「公式的」見解に異論を唱えている。むしろ、彼は「原始世界」をマーシャル=サーリンが「本来の裕福な社会」と呼んだものとして崇拝している。

『裕福な、なぜならその必要物はほとんどなく、その欲望全ては簡単に達せられるからだ。その道具一式は洗練され軽く、その見解は言語学的に複雑で概念的に深遠だが単純で万人に接触可能である。その文化は発展性があり恍惚的である。所有制度がなく共有で、平等主義的で協働的である。(中略)無政府で、(中略)仕事をする必要もない。ダンスの社会であり、歌う社会であり、祝宴の社会であり、夢を見続ける社会なのである。』(CIB、10ページ)

ブラッドフォードによれば、「原始世界」の住民は、自然の世界と調和して生活しており、多くの余暇時間を含め、その裕福さの利益全てを享受していた。狩猟と採取は今日人々が一日八時間つぎ込んでいる労力よりも少なくてすむため、原始社会では『仕事をする必要がなかった』、と彼は強調している。彼は確かに、原始社会は『時折飢えを経験することができた』ことを情け深くも認めている。しかし、この「飢え」は非常に象徴的で、自ら課したものだった。なぜなら原始民族は『相互の密接な関係を促したり、遊んだり、ヴィジョンを見たりするために、時々(自らすすんで)飢えた』(CIB、10ページ)からだというのである。

この馬鹿げた戯言を論駁することはおろか、その戯言自体を整理するだけでも一本のエッセイが必要となるであろう。真理の数が少ない上に、全くの幻想とご茶混ぜになっていたり、覆われていたりするからである。ブラッドフォードの説明は、『より批判的な(中略)人類学』による『原始民族とその直系子孫の見解とのより多くの接触』に基づいているという(CIB、10ページ)。実際、彼の「批判的人類学」の多くは、1966年4月にシカゴ大学で開かれた「狩人としての人間」シンポジウムで提出された考えから導き出されているようだ(*16)。このシンポジウムに寄稿された論文の大部分は非常に価値があるものだったのだが、中には1960年代のカウンターカルチャーに浸透していた−−そして現代まで長く患っている−−「原始性」の素朴な神話化に従っていたものもあった。当時の多くの人類学者に影響を及ぼしていたヒッピー文化が断言していたことは、今日の狩猟採取民族は、他の世界で機能している社会・経済的諸力によって無視され続けているが、彼等は旧石器時代と新石器時代の生活方法の孤立したなごりとして、未だに太古の状態のままで生活している、ということだった。さらに、狩猟者・採取者として、彼等の生活は非常に健康で平和的であり、豊富な自然の恵みの上に今も昔も生活している、とも述べていた。

例えば、その会議の論文集を共同編集したリチャード=B=リーは、「原始」民族のカロリー摂取は非常に高く、一日数時間だけ探索するために必要だったある種の人跡未踏の「裕福さ」へと向かって進むことで、食物供給も豊富だった、と見積もっていた。『自然な状態の生活は、必ずしも、不潔で・残酷で・貧窮しているわけではない』とリーは書いている。例えば、カラハリ砂漠の!Kungブッシュマンの生息地域は、『自然に生じている食物が豊富にある。』ドーブ地域のブッシュマンは、リーによれば、現在でも新石器時代に入る寸前の状態にいる。

『ブッシュマン民族が公式に発見されていた範囲の中で最も生産性の低い地域に閉じ込められているにも関わらず、彼等は今日でさえ野生の植物と肉によって生活している。過去、彼等がアフリカ生息圏の中で最高の場所を選んでいた時代には、さらに実りある生計基盤がこうした狩猟採取生活者達の特徴となっていた見込みが高い。』(*17)

そんなことはない!−−以下で簡単に考察して見よう。

「原始生活」に夢中になっている人々は、誰も彼もが、あたかも原人と人類という全く異なる種族が、同種の社会組織で生活していたかのように、有史以前の数千年間を一括りにしてしまう。「有史以前」という言葉は、非常に不明確である。幾つかの異なる種を含めたヒト属に関して言えば、三万年ほど前のオーリニャック文化(南フランスオーリニャック周辺で発見された旧石器時代後期の文化)とマグダリニアン期(旧石器時代後期の最後)の食糧調達者達(「Homo sapiens sapiens」)の「見解」を、「Homo sapiens neanderthalensis」(ネアンデルタール人)や「Homo erectus」(直立原人)のそれと同等に扱うことなどできはしない。彼等の道具一式・芸術能力・会話能力は全く異なっていたのだ。

もう一つの問題は、様々な時代において有史以前の狩猟採取者や食糧探索者達は、どの程度、ヒエラルキーのない社会で生活していたのか、である。二万五千年ほど前のSungir(現在の東欧)墓地についていかなる推論をしても構わない(そして、その生活について我々に教えてくれる旧石器民族が我々の周りにいない)としても、二人の青年の墓跡から出土した膨大な宝石・槍・象牙の槍・ビーズの衣服のコレクションは、人類が食物耕作生活に定住するずっと前に身分の高い家族が存在していたことを示しているのだ。旧石器時代の大部分の文化は、多分比較的平等主義的なものだっただろうが、旧石器時代の平等主義に対するレトリックをちりばめた賛歌の下に包含されることなどできないほど著しい多種多様な程度・タイプ・範囲の支配と共に、ヒエラルキーは旧石器時代後期にすでに存在していたと思われる。

ここで生じるさらなる問題は、様々な時代におけるコミュニケーション能力の多様性−−初期の場合、その欠如−−である。書き言葉は有史時代になるまで見られなかったため、初期の「Homo sapiens sapiens」の言語でさえ、「概念的に深遠だった」わけではなかった。絵文字・象形文字、とどのつまりは過去の知識のために「原始」民族が頼っていた記憶手段は、明らかに文化的に制限されているのである。「概念的に深遠な」思考はともかく、世代の累積的知識を記録する文字知識なしには、歴史的記憶を保持することなど困難である。むしろ、それらは時間と共に失われ、甚だしく歪められてしまうのだ。とりわけ、口述で伝えられた歴史が厳しい批評対象となることは少なく、むしろ、エリート「予言者」やシャーマンの道具となってしまいやすいのである。こうした人々は、ブラッドフォードが呼んでいるような「詩人の原形」とは全く異なり、自分自身の社会利権を果たすためにその「知識」を使っていたように思われる。(*18)

これらのことは、一貫して優れた反文明的原始人主義者ジョン=ザーザンの下へと我々を導く。「アナーキー:武装した欲望」誌(Anarchy: A Journal of Desire Armed)の一貫した寄稿者の一人であるザーザンにとって、話言葉・言語・書き言葉の欠如は積極的に評価すべき賜物なのである。「狩人としての人間」という時間の歪みのもう一人の住人であるザーザンは、その著書「未来の原始人」(Future Primitive: FP)の中で、『実際、家畜や農業以前の生活は、主として、レジャー・自然との親交・感覚的知恵・男女の平等・健康が一体となったものだった』という立場を堅持している(*19)。「狩人としての人間」との違いは、ザーザンの「原始性」のヴィジョンの方が四足動物に非常に近い、ということである。実際、ザーザン流の旧石器人類学では、「Homo sapiens」を一方とし、「Homo habilis」・「Homo erectus」・そして「ずっと有害になった」ネアンデルタール人を他方とした場合の双方の解剖学的区別は疑わしいとされる。初期の「Homo」(ヒト)諸種は全て、彼の観点では、「Homo sapiens」の精神的・肉体的能力を有しており、さらに二百万年以上にもわたって原始的喜悦の中で生活していたのだ。

これらのヒト科種族が現代人と同じ知性を有しているのなら、何故彼等はテクノロジーの革新を創造しなかったのだろう、と素朴に質問したくなってしまうことだろう。ザーザンは快活に次のように推論している。『狩猟採取者としての存在の成功と満足によって与えられた知性が、「進歩」の著しい欠如のその正なる理由なのだ。これが全くもって本当だと思われる。労働の分業・牧畜・記号文化−−これらは明らかに(!)最近になるまで拒絶されていたのだった。』「ヒト」科種族は『長い間、文化よりも自然を「選んで」』おり、「文化」はザーザンにとって『基本的記号諸形式の操作』(強調は筆者)を意味している−−邪魔者の締め出し(an alienating encumbrance)だ。実際、彼は次のように続けている。『知性が十全にそれらを行う能力を持っていたにも関わらず、時間・言語(この時代全体もしくはその大部分における、明らかに文字と、多分、話言葉も)・数字・芸術の具象化の余地などなかったのだ。』(FP、23ページ、24ページ)

とどのつまり、ヒト科種族は記号操作も、話すことも、ものを書くこともできたのだが、そうした能力に頼ることなく彼等はお互いに理解し合い、本能的にその環境を理解することができたため、慎重にそれらの能力を拒絶したというのである。従って、ザーザンは、とある人類学者が次のような瞑想をしているのにうんうんと肯いているわけだ。『サン・ブッシュマンの自然との霊的交渉』が到達していたのは、『神秘的と呼んでも良いほどの経験のレベルだった。例えば、彼等はゾウ・ライオン・アンテロープ(そしてバオバブの木でさえも)であるかのように実際に感じるということがどういうことなのかを知っていたように思われる。』(FP、33−34ページ)

言語・洗練された道具・俗事・労働の分業(多分彼等は一度やって見て不満の声をあげたのだろう、「ふん!」)を拒絶するという意識的「決定」をしたのは、「Homo habilis」(初めて道具を使った猿人)だったそうだ。ここで言っておかねばならないが、「Homo habilis」は、現代人のほぼ半分の大きさの脳しか持っておらず、多分明瞭な発音で話をする解剖学的能力を持っていなかったと思われる。しかし、我々はザーザンの並外れた権威によって、「habilis」(そして多分、大体「二百万年前」頃から存在しているのであろう「Australopithecus afarensis」(アウストラロピテクス)でさえも)は、これらの機能を「十全に行う知性」を持っていた−−まさか!−−のだがそれらを使うことを拒否していたのだ、と叱られてしまうのだ。ザーザン主義の旧石器人類学では、初期のヒト科種族や人間は、崇高な知恵を使った発話のような極めて重要な文化的特性を採用することも拒否することもできたことになっている。修道僧が沈黙の誓いを立てるようなものだ。

しかし、一度その沈黙の誓いが破られた時から、「全て」がおかしくなってしまったのだ!神とザーザンしか知らない何らかの理由で、

『記号文化の出現は、操作と支配というその「先天的な」意思と共に、すぐに自然の家畜化への扉を開けてしまった。自然の領域内で他の野生種族と調和していた二百万年の人間生活の後に、農業が我々のライフスタイルを、我々の「適応」の仕方を前例のないやり方で変えてしまったのだ。それまでこのようなラジカルな変化が、一種族の中でこれほどまでに徹底的でこれほどまでに急速に起こったことはなかった。(中略)言語・習慣・芸術を通じた自己の家畜化は、その後動植物の飼い馴らしを「刺激した」のだ。』(FP、27−28ページ、強調は筆者)

このはったりには、真に目を引くほどの一種の見事さがある。明らかに異なる時代・ヒト科種族とヒト諸種・生態学的状況とテクノロジーの状況が全て一まとめに、「自然の領域内での」共有生活へと掃き集められてしまっている。人間と非人間的自然との非常に複雑な弁証法的対立のザーザンによる単純化は、その前に畏敬の念を持って立たねばならないほど、余りにも還元主義的で余りにも単純化しすぎなメンタリティを示している。

確かに、我々は非常に多くのことを、特に「人間の本質」とよく呼ばれていることの無常性について、石器時代の文化−−拙著「自由の生態学」の中で私は有機的社会と呼んでいる−−から学ぶことができる。彼等の集団内の協働精神、そして最も優れている場合には、その平等主義的見解は、驚嘆に価する−−彼等が生活していた不安定な世界からすれば社会的に必要なことだった−−だけでなく、競争と貪欲が本質的人間特性であるという神話とは逆の、人間行動の順応性の有無を言わさぬ証拠を提示しているのである。実際、彼等の用益権の実践と平等者の不平等は、生態調和社会に大きく関連している。

だが、まさにその「原始的」もしくは有史以前の民族は、非人間的自然が良くて猫かぶり、最悪の場合完全に腹黒いものだと「崇めていた」のだ。村落・街・都市といった「不自然な」環境がなくとも、「生息地」とは区別されるようなまさにその「自然」という観念はなおも「概念化」されねばならなかったのだ−−ザーザンの観点では真に締め出しの経験である。我々の遠い祖先が、歴史文化の人々がしたほどにも道具的ではなく自然の世界を見ていたという見込みもない。彼等自身の物質的関心−−生存と幸福−−への当然の配慮と共に、有史以前の民族は、出来るだけ多くの獲物を追いつめていたと思われ、もし彼等が擬人的属性を持って動物の世界を想像力で満たしていたなら、また確かにそうだったのだが、それは、動物の世界を単に崇拝する目的だけでなく、それを操作する目的を持ってそれとコミュニケーションをとろうとしてのことだったのだろう。

従って、この非常に道具的な目的を心に、彼等は「話をする」動物達・動物の「部族」(彼等自身の社会構造を摸していることが多かった)・返事をしてくれる動物の「魂」を出現させていたのだった。当然、その知識は限定的なものであったため、彼らは夢を現実だと信じていた。夢の中では、人間は空を飛ぶかもしれないし、動物が話をするかもしれない。不可解な、恐ろしいことも多い夢の世界を彼等は現実だと見なしていた。獲物たる動物を支配する・生息地を生存目的で使用する・天候の移り変わりに対処する・こうしたことなどを行うために、有史以前の民族は、直接的にであれ儀式的にであれ比喩的にであれ、『これらの事象を擬人化し、彼等に「話しかけ」』ねばならなかったのだ。

実際は、有史以前の民族は、出来るだけ断固たる態度でその環境に介入しようとしていたのではないだろうか。例えば、「Homo erectus」以後のヒト諸種は、火の使用を学習するやいなや、多分獲物を崖の上や食肉処理し易い自然の袋小路へと追い込むために、火を使って森を焼き払ったのではないだろうか。有史以前の民族の「生命崇拝」は、従って、動物・植物・山々(悪魔的かつ慈悲深い神々の大きな家だとして恐れていた可能性は高い)に対する愛情ではなく、食物供給を促し制御するための非常に実際的な関心事の現れだったのだ(*20)。

ブラッドフォードが「原始社会」の行為としている「自然の愛」も、今日の食糧探索民族を正確に描写しているわけではない。むしろ彼等は仕事と獲物を残忍に扱うことが多いのである。例えば、イチュリの森のピグミー族は罠にかかった獲物を非常にサディスティックに苦しめており、エスキモー族はそのハスキー犬を酷使することが普通であった(*21)。欧州人と接触する前のアメリカ原住民族について言えば、食物を栽培し、狩りの時に獲物を見つけ易くするために火を使って土地を一掃することで、欧州人が出会った『パラダイス』が『明らかに人間らしく』されていたほどにまで、大陸の多くの部分を大規模に変貌させたのであった(*22)。

多くのインディアン部族がその場にいる食用動物を激減させ、物質的生活手段を得るために新たなテリトリーへと移動しなければならなかったように思えるのは止むを得まい。実際、彼等が元々からそこにいる部族を追い出すために戦争を起こさなかったとすれば、それは驚くべきことである。彼等の遠い祖先は、氷河紀後期の北米の巨大ほ乳類数種(特に、マンモス・マストドン・長角バイソン・馬・ラクダを)を絶滅せしめたのかも知れない。厚く堆積しているバイソンの骨は、大量殺戮と北米の通常は水のない狭い水路の多くでの「流れ作業」的畜殺を示している場所で今でも発見されている(*23)。

また、農業をしていた民族では、土地の使用は必ずしも生態学的に優しいものではなかった。スペイン人の征服以前の中央メキシコ高原のパツクアロ湖周辺では、『有史以前の土地利用は実際には環境保護主義者のそれのようではなく』、高率の土壌腐蝕を引き起こしていた、とカール=W=バッツアーは書いている。実際、原住民族の農業実践は『旧世界における前産業社会的土地利用と同じぐらい害を与える類のものだった可能性がある』のだ(*24)。森林の過剰削減と持続可能な農業をできなかったことは、マヤ人社会の土台を徐々に崩し、その崩壊に寄与していた、と示している研究もある(*25)。

今日の食糧探索諸文化の生活様式が祖先のそれを正確に反映しているかどうかを知ることなど我々にはできないであろう(原注)。近代原住民俗文化は何前年もの間に発展して来ただけでなく、西洋研究者の研究以前から、他文化からの数え切れないほどの特性の流布によって、明らかに変貌していたのだった。実際、クリフォード=ジーツがどちらかといえば刺々しく述べていたのだが、近代原始人主義者が初期の人間性と関連づけている原始民族文化には原始時代的なところなど、全くとは言えないにせよ、ほとんどないのだ。『(現存原住民族の太古の原始性は)ピグミーにおいても、エスキモーにおいてもそれほどのものではないということ、こうした民族は実際には、彼等を現在の彼等にせしめ、そしてそのようにせしめ続けている大規模な社会変化過程の産物なのだということを、しぶしぶながらも、おそまきながらも実感することは、(民族学という)分野に本質的な危機を導く何らかの衝撃として生じてきている。』(*26)多くの「原始」民族は、彼等が住んでいた森林同様、「ダンス=ウィズ=ウルヴズ」で全く逆の描き方をされている北米南北戦争時にラコタ=インディアンがそうだったよりも、欧州人が接して来た時に既に「無垢」などではなかったのだ。非常に客引き的な現存原住民族の「原始的」信仰システムの多くには、明らかにキリスト教の影響が見られる。例えば、ブラック=エルクは熱心なカトリックだった(*27)し、十九世紀後半のパイウート族とラコタ族の交霊ダンスは、キリスト教の福音伝導主義的至福千年説(キリストが再臨して地上を統治するという千年間)信仰に深く影響を受けていたのだ。

(原注:L=スーザン=ブラウンによって、私の『ヒエラルキーの全くない「有機的」社会の「証拠」には、議論の余地がある』(160ページ、強調は筆者)と再び述べられるのも奇妙なことだ。もし、『男女の調和と完全なる平等』は、現存の『人類学的証拠』を元に一貫して証明することが出来る、とか、『性別による労働分業』は、必ずしも『男女の平等と両立』しているわけではないと主張することが、ブラウンが引用しているマージョリー=コーエンによって『説得力のないこと』だとされるのなら、私が言いえることはただ一つ、よかろう!である。彼等は周りにいて我々に話しをしてくれてもいなければ、ましてや何かについて「説得力ある」証拠を提示してくれているわけでもないのだ。同じことが、私が「自由の生態学」で示していた男女の関係についても言うことができる。実際、「男女の調和」に関する現代「人類学の証拠」全ては、近代人類学者が原住民族を調査するずっと以前に欧州文化によって、良かれ悪しかれ、条件調節させられていたのだ。

あの本で私が示そうとしていたことは、男女の平等と不平等の「弁証法」だったのであり、有史以前に関する決定的説明−−ブラウン・コーエン・私自身が永遠に絶対手に入れることができない知識−−ではなかった。私は近代データを思弁的に使ったのだ。ブラウンがいかなる種類の支持データもない二つの文章で軽率にも簡単に片付けていた、私の結論が「理性的」だと示すためにである。

「どの様にして」階級制度が生じたのかに関する私の主張に「証拠」がないとしたブラウンの主張について言えば、中央アメリカに関する最近の文献は、マヤ文明の絵文字の解読に従い、ヒエラルキーの出現に関する私の再現像を立証している。最後に、私がその優位性は多分ヒエラルキーの初期形態であろうと主張している元老政治についても、人類学文献に記述されている中で最も普及したヒエラルキー発展の一つなのである。)

真面目な人類学研究では、「恍惚的で」太古の狩人という概念は、「狩人としての人間」シンポジウム以来三十年と残ってはいない。「原始的裕福さ」という神話の狂信的帰依者によって引用されている「裕福な狩人」社会の大部分は、園芸的な社会システムから−−多分彼らの願望に全く反して−−文字通り発展したのだった。カラハリ砂漠のサン民族は、砂漠に追いやられる前には園芸者だったと現在では知られている。エドウィン=ウィルムセンによれば、数百年前には、サン語を話す民族は集団で農業をしていたそうだ。彼らがインド洋にまで拡大したネットワークの中で近隣の農業支配権を交換し合っていたことは言うまでもない。その遺跡は、西暦千年までに、彼等の領域であるドーブは、陶器を造り・鉄を使い・牛の群れを連れていた人々であふれていたことを示している。1840年までにそれらと共に欧州へ輸出されたのは膨大な量の象牙だった。象牙の大部分は、サン民族自身が狩り立てたゾウからのものであり、彼等は疑いもなく厚皮動物という「兄弟」の大量虐殺を、ザーザンが彼等に帰属させている非常に大きな感受性を持って行ったのだった。1960年代の研究者を非常に魅了したサン民族の二次的な食糧探索的生活様式は、実際には、19世紀後半の経済変化の結果なのだ。その一方で、『外からの観察者が想像していたそっけなさは(中略)在来のものではなく、商業資本の崩壊によって作り出されたのだった。』(*28)従って、『アフリカ経済の辺境部にいる現在のサン語を話す民族の状態は』とウィルムセンは次のように記している。

『植民地時代の社会政策・経済・その余波という点だけで説明することができる。彼らが食糧探索者だと見なされているのは、現在の千年期以前に始まり今世紀初頭の数十年で頂点に達した歴史的諸過程の外で遊んでいる最下級階層へ彼らが追放されたためなのである。』(*29)

アマゾンのユークィ族も、1960年代に誉めたたえられた太古の食糧探索社会の縮図にた易くなってしまい得る。1950年代まで欧州人に研究されていなかったこの民族はイノシシの鉤づめと弓矢程度の道具一式しか持っていなかった。彼等を研究したアリン=M=スティアーマンは書いている。『火を起こすこともできなかったことに加え、船舶も・家畜(犬でさえ)も・石材も・儀式の専門家も持っておらず、ただ初歩的な宇宙哲学を持っていたにすぎなかった。彼等は放浪者として生涯を暮らし、彼等の食糧探索技能が与えてくれる獲物などの食物を捜してボリヴィア低地の森をさまよっていたのである。』(*30)彼等は、作物を育てることなど全くしなかったし、魚を取るために鉤と糸を使う経験もなかったのだ。

しかし、平等主義者からは程遠く、ユークィ族は、その社会を特権的エリート階級と軽蔑対象の労働奴隷集団とに分けて、世襲的奴隷制度を維持していた。この特徴は現在では昔の園芸的生活方式の名残だと見なされている。ユークィ族は奴隷所有していた前コロンビア期社会の子孫であると思われ、『時間とともに彼らは文化剥奪を経験し、移動しやすくあり続け、土地を食い物にしていく為の必要物となっていた文化的伝統の多くを失っていった。しかし、彼らの文化の多くの要素は失われていったかもしれないが、残ったものもあった。奴隷制度は、明らかにそれらの内の一つだったのだ。』(*31)

「太古の」食糧探索者たちという神話が粉々に崩れ去っただけでなく、「裕福な」食糧探索者たちのカロリー摂取に関するリチャード=リー自身のデータも、ウィルムセンとその共同研究者によって重大に問題視されている(*32)。!Kung民族の平均寿命は大体五十歳だった。乳幼児死亡率は高く、ウィルムセンによれば(ブラッドフォードには申し訳ないが!)、この民族は収穫の少ない季節には病気と飢餓に襲われていたのだった。(リー自身はこの根拠に関する観点を1960年代以来変えて来ている)

同時に、初期の我々の祖先の生活が喜びに満ちたものなどではなかったことはほぼ確実である。事実、彼等にとって人生とは、実際全く残忍で、一般に短命で、物質的に非常に厳しいものだった。彼等の寿命に関する解剖学的調査結果によれば、半数が幼児期もしくは二十歳前に死んでおり、五十年以上生きていたものはほとんどいなかったという(原注)。彼等は狩猟採取者というよりも死体漁りだった可能性が高く、多分ヒョウやハイエナの餌食となっていたことだろう(*33)。

(原注:このぞっとするような統計については、コリーン=シェア=ウッドの「人間の病気と健康:生物文化的観点」(パロ=アルト、カリフォルニア:Mayfield Publishing Co.、1979)の17ページ〜23ページを参照して頂きたい。ネアンデルタール人−−ザーザンが主張していたように「有害な」民族だったことからは程遠く、最近では素晴らしい民族だったとの批評を受けている−−については、クリストファー=ストリンガーとクライヴ=ギャンブルの「ネアンデルタール人を求めて」(ニューヨーク:Thames and Hudson、1993)において寛大に扱われている。しかし、これらの著者達の結論は次のようなものだった。『ネアンデルタール人が送っていた酷い生活とそれによって生じた肉体の消耗について我々が知っていることを鑑みれば、彼等に変質性関節疾患が多く見られることは驚くべきことではないだろう。しかし、重大な怪我が多かったことの方がもっと驚くべきことであり、それは、ネアンデルタール人社会における「老年」に達していなかった人々にとってさえ、どれほどその生活が危険に満ちていたかを示しているのである。』(94ページ〜95ページ)

有史以前の人々の中には、疑いもなく、八千年前ごろにフロリダの湿地帯にいた食糧探索者達のように、70歳代まで生きていた人達もいたが、それらは非常に希な例外なのである。しかし、最後まで頑張った原始人だけがこうした例外を手に入れ、その例外をルールにしてしまったのだろう。あぁ、その通りだ−−文明下にいる大部分の人間にとってこれらの状況は酷いものである。しかし、文明には制限のない喜び・御馳走・愛が莫大に見られると主張しようとする人がはたしているだろうか?)

有史以前とその後の食糧探索民族は、自身の集団・部族・一族の成員に対しては、通常、協働的で平和的であった。しかし、他の集団・部族・一族の成員に対して、彼等は好戦的であることが多く、彼等の財産を奪い、土地を盗もうとして大量虐殺を行うことさえあった。先祖の中でも最も至福に満ちていた、例の(もし我々が原始人主義者を信じるのであれば)「Homo erectus」は、ポール=ジャンセンズがまとめたデータによれば、人間同士の虐殺という荒涼たる記録を後世に残している(*34)。中国とジャワ島の多くの人々は火山の噴火によって死んでいたとされているが、ジャワ島において、致命傷を負った頭部が切り落とされていた四十人の死体に関しては、その説明のもっともらしさはない−−『火山のせいなどでは決してない』とコリーン=シェア=ウッドは冷淡に述べている(*35)。近代の食糧探索民族について言えば、アメリカ原住民部族間の闘争は余りにも多すぎて如何に膨大な長さで引用してもしきれないほどである−−北米南西部におけるアナサジ族とその近隣部族、そして、モヒカン族とヒューロン族間の情け容赦ない闘争について見てみれば、前者の諸部族は最終的にイロクォイ同盟(この同盟それ自体は、作らなければお互いに撲滅しあうことになりかねなかったため、生存のためのものだった)を作らざるをえず、後者の場合、ヒューロン族をほぼ全滅させ、残ったヒューロン族諸部落も追放することになってしまったのだ。

ブラッドフォードが断言しているように有史以前の民族の「欲望が簡単に達せられる」とすれば、それは正確には、彼等の生活の物質的条件−−ひいては彼等の欲望−−が非常にシンプルだったからだったのだ。このことは、大規模に「革新している」のではなく「適応している」、自身の欲求に合わせてその生息地を「変えている」のではなく与えられた生息地に「順応している」いかなる生活形態についても言えるだろう。確かに、初期の人類は生息場所について優れた理解をしていた。結局、彼等は知的水準の高い、想像的な人々だったのかもしれない。だが、彼等の「恍惚的な」文化は、不可避的に、喜びと「歌い、祝宴をあげ、夢を見る」ことによってだけでなく、迷信と操作され易い恐怖とによって満たされていたのだ。

我々の遠い先祖も現存原住民族も、現代の原始人主義者達によって彼等に帰されている「魔術化された」ディズニーランド的考えを持っていたなら、生存し続けることなどできなかっただろう。確かに、欧州人は原住民族にいかなる荘厳な社会的施しをも与えてはいなかった。全く逆であった。帝国主義者は土着民族に、甚だしい搾取・徹底的な大量虐殺・彼等が免疫を持っていない病気・恥知らずの略奪をもたらしたのだった。いかなるアニミズム的呪いも、この襲撃を防げなかったし防ぐこともできなかったのだ。銃弾を防ぐとされた幽霊シャツの神話に全く痛々しく裏切られてしまった、1890年のウーンデッド=ニーの悲劇のように。

決定的に重要なことは、ライフスタイル=アナキストが持つ原始人主義への回帰は、種としての人間性が持つ最も顕著な特徴と、欧米文明が潜在的に持っている解放的な側面を無視している、ということである。人間が他の動物と大きく異なっているのは、周囲の世界の単なる「適応」以上のことをしている点である。人間は世界を「革新」し、新世界を創り出すのである。人間としての自身の諸力を発見するだけでなく、個々人としても種としても発達するために、もっと適した世界を自分達の周りに創り出すのだ。現在の不合理な社会によってこの能力が歪められてはいるが、世界を変える能力は天分であり、人間の生物学的進化の賜物−−テクノロジー・理性・文明の単なる産物ではなく−−なのである。自身をアナキストと呼んでいる例の人々こそ、適応性と受動性というむき出しのメッセージを持った人間動物説に近接し、革命的思想・理想・実践を持つ数世紀を汚し、教区制度・神秘主義・迷信から自身を解放して世界を変えようとなされた人間性の記憶されるべき努力を中傷している原始人主義を進歩させるべきなのだ。

ライフスタイル=アナキストにとって、特に反文明的で原始人主義的ジャンルにとって、歴史それ自体は全ての区別・和解・発展段階・社会的特性を吸収する下劣な一枚岩(モノリス)となっている。資本主義とその矛盾点は、全てをむさぼり食らう文明と、ニュアンスも区別もないテクノロジー的至上命令の付随現象へと還元されている。我々が歴史を人間性の「理性的」要素−−自由・自己意識・協働へと「発展している」潜在可能性−−の開花として捉えている限り、歴史は人間の感受性・制度・知性・知識の教化の複合的説明、もしくは以前ならば「人間性の教育」と呼ばれていたことなのである。ザーザン・ブラッドフォード・彼等のお仲間が程度の差こそあれマルティン=ハイデッガーのそれと非常によく似たやり方で行っているように、歴史を、人間動物説的「信憑性」からの一貫した「転落」だとして扱うことは、人間発展の時代を特徴づけている自由・個性・自己意識という発展している諸理想−−これらの目的を達成するための拡大しつづける革命的闘争は言うまでもなく−−を無視することなのである。

反文明的ライフスタイル=アナキズムは、二十世紀の終わり数十年間を特徴づけている社会的堕落の単なる一側面でしかない。資本主義が、自然史をより単純でそれほど細分化されていない地理学的動物学的時代へと戻してしまうことで、自然史の解明に脅威を与えているように、反文明的ライフスタイル=アナキズムは、未発達で曖昧な、人間堕落以前の世界−−人間性が「神の恩寵からの転落」以前に存在していた「罪のない」前テクノロジー・前文明社会−−へと人間の魂とその歴史を引き戻すという点で、資本主義と共犯関係にある。ホメーロスの「オデッセイア」に描かれているロートスの実を食べた人達のように、人間が「真正」なのは、過去も未来もない−−記憶や観念形成に煩わされることもなく、伝統もなく、生成によって挑戦されることもない−−永遠の現在に生きている時だというわけだ。

皮肉なことに、原始人主義者が理想化している社会は、実際には、マックス=シュチルナーの個人主義後継者達が誉めたたえているラジカルな個人主義を排除してしまうだろう。近代の「原始」部落は強力に描き出された個々人を生み出しているが、習慣の力と集団としての高い連帯性がその厳しい諸条件によって促されているため、エゴの優越性を賞賛しているシュチルナー主義アナキストが要求している類の発展性のある個人主義的行動の余地をほとんど許してはいない。今日、原始人主義に遊び半分で手を出すことは、正しくは、裕福な都会人の特権なのだ。彼等は、飢えている人々・貧乏人・都市の路上に住まざるをえない「放浪生活者」だけでなく、働き過ぎの労働者にも許されていない空想のおもちゃを買うことができるのだ。子持ちで働いている現代女性は、どれほど最小限であったにせよ、日常的な家事から解放される−−家計収入の大部分を得るため仕事に行く前に−−ために、洗濯機なしではやっていけないだろう。皮肉なことに、「第五権力」誌を出しているコレクティブでさえ、コンピュータなしではやって行けなくなったことが分かり、それを「無理矢理」買わざるをえなくなってしまい、不誠実な否認を述べていたのだった。『ムカつく!』(*36)。反テクノロジー的文章を作るために最新テクノロジーを使いながら、そのテクノロジーを非難することは不誠実なだけでなく、信心ぶった様相をも持っている。こうしたコンピュータへの「ムカつき」は、日曜礼拝の時に、御馳走で腹を膨らませながら、清貧の美徳を誉めそやしている特権階級のげっぷにしか見えないのだ。

[つづく]



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