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北京-莫斯科 国際列車 No.3 旅行記 その1

[1.発車]

 1997年2月5日午前7時40分、モスクワ行き国際列車は北京駅を発車する。(参照--列車時刻表)
日本だったら発車のベルや放送などで発車の気配を感じることができるが、ここではそのような気配はまったく見せない。気が付いたら動き出していた。

 友達ののんきち君とぼくは2等寝台の8号車に乗っている。
 8号車には4人用のコンパートメントが9室あるが、乗客は三組だけなので一部屋を二人で使っている。
 部屋は、一辺が2メートル四方で、上段のベッドはたたんである。シンプルだがガッチリした作りだ。調べてみたらドイツ製の車両であった。
 ベッド兼用の椅子には青いビロードのカバーがかかっている。(テカテカしていて一見豪華なのだが、実はこのカバーが静電気の発生源であることが、後になってわかった。)
小さなテーブルには、まっ白なテーブルクロスがかけてある。
車内はあまり暖かくない(15度から18度くらい)。照明も薄暗いので何か「さむざむ」としている。「外は寒いが、中はTシャツ1枚」という話を聞いていたのだが、あてがはずれた。
 車掌さんが各部屋に高さが40cm位の大型の魔法瓶を配ってくれた。キャップがコルク製の旧式な魔法瓶だが、保温力はなかなか良い。このお湯で熱いお茶を入れてからだを暖めよう。
(暖房は石炭式で、各車両には2人ずつ乗っている中国人の車掌さんがメンテナンスしている。極寒のモンゴルやシベリアを通るので24時間火を絶やさないようにしなければならないし、途中の駅では補充の石炭を積み込む作業もあるので、けっこう大変だ。)
 まだ列車に乗ってから1時間位しか経っていない。これからモスクワまでの6日間、約130時間をここで過ごすのかと思ったら、憂鬱になってきた。

[2.乗客]

 右隣の部屋は、たくさんの荷物を積み込んだ中国人のおじさんである。まるで引越荷物のようだ。ロシアに皮製のジャンパーやコートを売りに行く行商人らしい。(ロシアの各駅で、集まってくる人々相手に盛んに商売をしていた。)
 左隣は日本人の学生二人組だ。横浜の大学4年生で、卒業旅行に列車でヨーロッパへ行くのが夢だったという。言葉の通じる道連れができたのはうれしい。
   さっそくのんきち君は、隣の大学生U君と1等車を探検に行った。しばらくすると何やら騒がしい。のんきち君が誰かに謝っているみたいだ。どうしたのだろう?
 聞いてみると、1等車のコンパートメントは2人部屋で、各部屋にシャワールームがついているそうだ。そこを開いたら突然、警報ブザーが鳴り、1等車の車掌さんがとんできて怒られたのだそうだ。

[3.風景]

 窓の外の景色は日本とはまるで違う。野にも山にもあまり木が生えていない。緑よりも茶色が多い。
 列車は徐々に山岳地帯へ入っていく。鉄道と平行して走るオンボロバスと競争になった。屋根に大きな荷物を載せたバスが道を登って行く。
 「あのバスはモンゴル行きの地獄バスだ。あれに乗っていなくて良かったな。」とのんきち君が言う。確かにあのバスよりは、こちらの方がはるかに楽だろう。そう思うと少しは気が楽になった。
 突然、万里の長城が見えてきた。けわしい山にへばりつくように、城が続いている。あんな登れそうにない山の上に、よくも作ったものだ。城なんかなくたって、この山を越えるのは容易ではない。北方の民族がよほど恐ろしかったのだろう。
  険しい山地を抜け、張家口・大同などの駅に停車する。このあたりは内モンゴルと呼ばれる地域で、かつて日本が占領していた時代に「蒙彊自治政府」というカイライ政権を作り、アヘンの栽培や炭鉱での強制労働など、良からぬことをいろいろやっていた所だそうだ。

[4.食堂車]

 朝から何も食べていなかったのでお腹が減った。時刻は午後1時ころだ。隣の大学生と一緒に食堂車へ行く。食堂車は結構混んでいて、僕らで満席になった。白人のバックパッカーらしき人達や、車掌さんたちのグループもテーブルについている。料理はなかなかおいしそうだ。メニューは中国語なので、適当に指差して注文する。チンジャオロースなどの炒め物中心の中華料理はなかなかうまい。楽しみは食べることくらいなのだが、すぐに食べ終わってしまった。
 国境を越えると、食堂車はその国の車両に付け替えられるそうだ。したがって、中国の食堂車は今日だけである。モンゴルやロシアの食堂車ではどんな料理が出るのだろう。
 部屋に戻ってもすることがないので、紙で将棋を作ることにした。列車は揺れるので作りにくかったがなんとか完成した。
のんきち君と勝負するが3連敗。悔しいので将棋はやめて本を読む。
 将棋・読書・昼寝。これが旅行中の日課になった。

[5.国境の駅・二連]

 夜9時前に、中国側の国境の駅「二連」に着く。中国とモンゴル・ロシアでは鉄道の軌道幅が異なるので、台車の交換をするため全員下車して駅で待つことになる。軌道幅はロシア側が広いものと思っていたが、中国側の方が広いようである。
 外に出てみるととても寒い。地面には雪も積もっている。駅舎の方へ歩いて行くと、列車は僕らの荷物を載せたまま、どこかへ走り去ってしまった。大丈夫なのだろうか。なんだか不安である。
 駅前には露店がたくさんあった。余っていた中国元で、変な「クラッカー」とカップラーメンを買う。英語が全く通じないので高いのか安いのか全然わからない。クラッカーには怪しげなカタカナで「ビトケッス」と書いてある。「ビスケット」のつもりだろうか?
 U君たちは、中国人の制服姿の姉さんに中国語を習ったり、記念写真を撮ったりしている。
 白人たちはビールを箱ごと買い込んでいる。
 待合室はとても寒い。それでも外よりはましだ。
 ふるえながら約2時間も待って、ようやく列車が来た。やれやれ。乗り込んでみると暖かくてほっとする。ベッドメイキングもされていた。4人部屋なので毛布も一人2枚使えそうだ。

[6.モンゴルへ]

 二連からしばらく走ったところで停車。国境のパスポートチェックがあるらしい。
係官がやってきて、パスポートを調べスタンプを押してくれる。中国の官憲の制服は皆似ているので、軍人なのか、警察なのか、鉄道員なのか見分けがつかない。部屋の中に隠れている者がいないか、ベッドの下や荷物棚まで綿密に調べていた。荷物の中味は調べなかった。

 少し走って、今度はモンゴル側の入国チェックだ。時刻はすでに午前零時を回っている。
モンゴルの係官は乗馬ズボンにブーツという軍人風のいかめしいスタイル。にこりともせず、なんだかおっかない。また、税関の職員が別にやってきて、申告書を書かされる。ロシア文字で書かれた申告書に書くように言われたが、まったく読めない。日本の旅行代理店でもらった英語の申告書に記入して渡すと、スタンプを押して返してくれた。部屋の中を調べるのは中国側と同じ。

 チェックはこれで終わりだろうか。わからなかったが寒いので毛布をかぶっていた。
 やがて列車が走り出す。時計は午前2時近い。眠ろうとするが、窓の方から冷気がやってきてとても寒く、なかなか眠れない。シベリアはもっと寒いだろう。先が思いやられる。

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