メンバーの小屋

T小屋

Tの経歴

 東京都台東区に生まれる。

幼稚園の頃
 大人になったら何になるかと聞かれて「会社員」と答え、
 何という夢のない子供だろうと呆れられる。

小学生の頃
 男のくせに泣き虫で泣いてばかりいた。
 5年生になって生まれてはじめて級友を殴り、怒られて、また泣く。

 家庭科で使う裁縫箱やソロバンなど、クラスの皆はお揃いの
 物を買ってもらうのだが、うちの親は「家にある物を使え」と
 言って買ってくれなかった。
 そのために「うちは貧乏なんだ」と思い込んでいたが、
 とくに貧乏というわけでもなかったらしい。
 「他人と同じはイヤ」というアマノジャクな性格はこの頃から
 の影響か?

中学生の頃
 家が新宿区に引越したため新宿区の中学に入学する。
(そのため小学校・中学校を通しての友達はなし)

 プラモデル作りにハマり、飛行機や戦車、軍艦などにやたら詳しく
 なる。主に第二次世界大戦の戦記物をむさぼり読む。

高校生の頃
 都立高校に入る。またしても自分の中学から入ったのは一人だけ。
 レベルが高くなり、中学までの優等生から劣等生に。
 授業をさぼって映画館に通ったりする。
 当然受験に失敗して1年浪人。

大学生の頃
 応援団の親戚みたいなクラブに入り、体育会的な酒浸り暮らし。
 授業には全く出ず、成績は最悪。

 自主講座活動を手伝った縁で、東京都の環境アセスメント条例
 直接請求運動にかかわる。環境問題や原発問題を知る。

 当然のごとく留年したが、奇跡的に5年で卒業することに成功。

社会人になってから
 長野県の企業に入るが東京支店配属になり、1年半でやめて大阪へ行く。

 大阪でいろんな仕事をするが、不動産関係の事務所で地上げ業務を担当。
 そのスジの親分に社会の裏をいろいろ教わる。
 この頃、某左翼学院の主催する講座でN君やのんきち君と知り合う。

 某左翼学院の活動に違和感を感じN君、のんきち君らと不定期刊雑誌
「病気マガジン」を発行するが、長続きせず。

 不動産事務所を辞め、約3ヶ月東南アジアを旅行。

 東京のパチンコ関係のコンピュータ会社に入る。
 プログラミングを覚え、ほとんど休みなく仕事ばかりの日々。

 約7年勤め課長になったが社長の方針と合わず退職。
 3年間もブラブラ過ごす間、のんきち君、N君と
「アナーキー・イン・ニッポン」のHPを作る。

 三重県のガラス会社に入るが、会社が不渡りを出し、
 10ヶ月で東京に舞い戻る。

 仕事もせず、将来の希望もなく、毎日ダラダラ暮らす。

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