メンバーの小屋

乱乱小屋

XENAKIS 0108

01-8-13
ついに小泉天皇が靖国に行きやがった。小泉系のメディアでは特攻隊に涙したとか、 またぞろ「美談」の垂れ流し、あの一連の戦争の「悲劇」「悲惨」はそれこそくさる ほどある。それを適当にチョイスして自分の物語に付け加えるのは、戦争肯定派、否 定派問わずいつものことだ。靖国に反対している宗教者が、彼の地での「白色テロ」 に倒れた烈士を慰霊する戯画も事実ある。
それはさておき、小泉の靖国参拝に賭ける熱意が相当なものであったことは確か。参 議院選挙の遺族票獲得の為とだけは言い切れぬ。私が邪推するに、これから「小泉改 革」を断行するにともない生じるであろう痛み/犠牲者に対してのメッセージなのだ 。かって国家の為に一命を捨てた兵隊たちがいたように、お前たちも国難に命をささ げよというわけなのだ。早くいえば「国家の為に死ね!」。兵隊さんのお陰で拾った 命、今こそ御恩に報いなさい、だ。真に心優しきライオンハートじゃないか。

01-8-12
世の中に、暴力を以て他人を打ち倒したい屈服させたいと願う連中がごまんといると いうことに今さら気付いたなんてとぼける気はない。この8/9にも「イスラム聖戦」 が起こしてたが、自爆してまで他者/敵に対して報復/抹殺したいと考える連中が存 在するぐらいだもの。かく言う私にもそこはかとなくそんな願望もあるだろう。えら そうにも言えぬ。
ただ、狂気にかられての大量無差別殺人ならまだしも、大義をふりかざす連中の暴力 嗜好には、いささかヘキヘキする。その血気にはやった凄んだ言葉の数々を掲示板で も時折目にする。「不正義に対する怒り」・・なるほど聞こえは良い。しかし、その 中に暗いものを見てしまうのは、私の単なる妄想だろうか。なんでそんなに闘いたい のだろうか。力で相手をねじ伏せることで、何を得るっていうのか。躾に名を借りた 幼児虐待もどきに過ぎぬ。そんな連中の作るユートピアが、現世に変わらず否より酷 い地獄になることは明白だ。一回鏡で己が憤怒の形相を見つめるがよい。

01-8-11
石原慎太郎が、「新しい歴史教科書をつくる会」の事務所が放火された事件について 、「版元の事務所に火をつけるなんてばかな現象で、どうかしている。ピリピリして いる外国がやらせたわけじゃないだろうけど、それを担いで先走りというか、こうい うばかな現象というのは、言論に対する挑戦だ」(朝日新聞8/14)とのたまっている 。「外国がやらせたわけじゃないだろうけど」と相変わらずの妄想もチラリと見える 。放火実行者の「革労協」を名指しせず、「ばかな現象」とぼかした言い方を繰り返 しているのは、「革労協」という意志ある存在に対する怯えだろう。先の「外国」云 々と相まってこいつが、忌まわしいもの恐ろしいものを遠ざけたいとする、実は見か けによらずの臆病者であることがわかる。しかし奴のこういう臆病さが危ないわけだ。

01-8-02
直島・家プロジェクトの「角屋」と「南寺」を訪ねる。前者は好みの宮島達男の作品 が民家に組み込んであり、後者は安藤忠雄の設計した暗室の家だ。前者はもう少し涼 しい中で体験したかったが、蛍に似た発光ダイオード(おそらく)のカウンターがせつなく美しい。後者はJ.タレルの作品が見られることよりも、安藤の用意した完璧と も言える暗さが気持ちいい。なのに、どこぞのアホどもがギャアギャア騒ぎ、大事な私の静寂をぶちこわした。意味のない時間が耐え難いというなら、遺体になったときも喚けよ。

01-8-01
N/ecrophiliaは、私のうつ気分を表現するものとしてあった。しかし、始終軽いうつ状態にある私にとって書くことが快とはならない。徒労なだけ。んで、快となるようにこのXENAKISを設けてみた。おそらく私にとっての快は、他人にとっての不快だろうから、勝手に読んで気分を害されても一切保証はしない。また、苦情に対しても一切受け付ける気がないので、そのことだけあらかじめ言っておく。

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