メンバーの小屋

乱乱小屋

19. 叔母の死

 昨年末から患っていた叔母が過日みまかった。この日があることは予想されていたことなのだが、忌まわしいことは遠ざけておきたいとする近しい人々にとっては、やはり「突然」のことなのであり、最後の臥所一ヵ月、献身的な看病を以ってしてもあがなえるものでなかったろう。
 私はと言えば、ごく幼き時を除いて、ここ何十年も、親戚付き合い等は皆無に近いということもあり、いよいよという話しを聞いても、葬式がどの所用に重なるかという予測を立てる以外に、ことさら自身が関心を持つまいと多寡をくくっていた。が、 私の中の幼い子供は、存外に叔母を記憶していたようで、その喪失感の強さに、今の私がとまどうばかりであった。むしろ滂沱と悲しむだけ悲しめればどんなに良かっただろうか。悲しむことも看過も出来ない宙吊りに、ほとほと当惑してしまった。
 ともあれ、気乗りしない病床へも見舞いに行った。手術には長けているが患者にはとかく無関心という評判の大病院で、彼女はおよそ死期を迎えるには緊張感の欠いた大部屋の入り口近く無造作に横たわっていた。死相というほどのことはなかったが、 澱んだ瞳で、私が来たことも定かではなく、「なにがなんだかわからない…」と、耳を口元に近づけても聞き取れないような小声でつぶやいた。そして膨れ上った腹部をなでさすりながら、「こんなになって…」、自らの思わぬ異形を気にしている様子だ った。病院側は、すでに用済みの患者を、最終工程のホスピスへと送りたがっていた 。私はそれがとても無理であることを実感した。
 事前にシミュレーションした甲斐もなく、やはり何も言えないままに病院を後にした。
 その後、家族の尽力もあり、自宅近くの海が見える病室へと移ることが出来た。そこで束の間の回復を見せ、穏やかに最後を迎えたということだ。
 「海が見える病室」と聞いただけで、私は妙に安堵したものだった。
 最後の言葉は、「ポンせんべい」「お母さん…お母さん…」とのこと。齢70の母親でもある彼女が、最後は子供となっていたのだろうか。

 遺体は、丁寧なエンバーミングによって、生気すら感じさせた。一人娘が、棺の中の母親の髪を、幾度となく手で梳いていた。
 そのような遺体も、ほどなく火葬でただの残骸となる。ガラガラと引き出された台の上、帚木で掃き捨てるには少なすぎる残りようだった。骨壷に収めてしまうと跡形もない。

 九相詩絵巻を思った。

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