メンバーの小屋

乱乱小屋

17. 面白くない映画

 好きな映画のことを、このN/ecrophiliaでは書くつもりだった。しかし、いざとなると抵抗が起こる。「この映画はこれこれで良かった・・」なんて、ゲロだもの。 食べてうまかったものを吐いてわざわざ見せるわけだから。他人様には迷惑至極。かと言って、自分のためだけに記録する習慣もないし。この個人のコーナーとやら自体が洗面器や電柱みたいなものだから、ゲロ吐いていいかなと思うが。まあそれでも良いという物好きは見てくれていい。私は他人の小間物屋は、指のすき間から見る程度には好き。 
 で、映画の話し。よく「あの映画はつまらないよ」とこともなげに言う人がいる。これは私には不思議に思える。「面白くない映画」を見ることは少ない私にとっては。元々映画って他者が創った幻想の世界。据膳で見ておもろいわけないと思う。他者の幻想だもの。見てる方も、自分の幻想を掛けなきゃ。幻想×幻想で始めて見ることが出来る。でもハリウッド製なら、少々の幻想充分見られるように出来ている。金をかけるのはその為。ドカンと爆弾が破裂する。誰が見てもドカンなわけだ。「誰が見ても」を徹底するには、本物の爆薬を使えば良いということになる。逆に「誰が見ても」わからない本物はダメなのだ。本物に近づこうと欲求すれば、金がかかることは言うまでもない。最近はCGが驚異的に発達したんで、より本物らしさも磨きがかかっているということになる。しかし、お膳立てが整いすぎると楽だけど、幻想過多な客は、自分の介入の度合が減って来て、かえって退屈を覚えてしまう。見ていてすぐ眠くなってしまう。良く言うカルト映画は、本来は、観客の幻想や妄想を強く刺激する映画のことだ。ストーリ展開はデタラメ、演技は大根、ちゃちなセットで表現としては稚拙でも(それがカルトの条件ということでもないが)何か「曳かれて」しまう。多くは計算して作られるものではない。
 要は、映画は、映画自身の出来不出来より、見る側の出来不出来に左右されるもの だと言うこと。ある時見た映画に、これは最高だ!と興奮しても、後に見たらこんな んだったっけ?と軽い幻滅を覚えることしばし。逆もまたしかり、こちらの見る準備 が整ってない映画もあり得る。この上もないコンディションで出会えれば望ましいが、また同じ状態で出会えないのも確かだ。それ故に面白い面白くないということの虚しさがある。

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