メンバーの小屋

乱乱小屋

13. ダンピールの海

 盛夏。私の住まう港町に、「戦没した船と海員の資料館」がオープンされた。大戦 で、輸送船として徴用され、撃沈された民間船の写真と遺品や資料等を集めたものだ。
 その数字。1941年から1945年の間、戦没船は2.741隻、戦没船員は60.331名が確認 されている。徴用された船の実に88%が撃沈され、船員たちの死亡率は、約43%(陸 軍23% 海軍18%)という高さだ。
 「護送船団方式」という言葉。最近ではそれが終わったなどと、銀行のサバイバル ぶりが語られるという段取りになっている。しかし、かっての日本にその比喩は通じ ない。海上護衛など、端から念頭にはなかったのだから。第1次大戦で、連合軍商船 がはらった総トン数1.285万トンの犠牲も、旧軍には教訓とはなり得なかったようだ 。 それでも、1944年の4月以降になって、大船団主義が採用されることになる。だ が時すでに・・であるのは言うまでもない。このあたりは、『魔性の歴史』(森本忠 夫著 光人社NF文庫)に詳しい。関心のある方は一読を。
 私が、件の資料館を訪ねたのも、『ダンピールの海』(土井全二郎著 丸善ブック ス)で、戦時下の軍事輸送にあたった民間船員たちの記録を目にしたためだ。
 タイトルは、「ダンピールの悲劇」と呼ばれる、ニューギニア方面支援輸送作戦「 81号作戦」(1943年2月)の大惨事から来ている。すでにガダルカナルで、優秀な輸 送艦艇を消耗してしまい。残ったのは低速の小ぶりの船ばかり。全滅は必死だからや めたらどうかと、異例の申し入れをした参謀の警告も無視され、「命令だから全滅覚 悟でやってもらいたい」と強行されたのがこの作戦である。予想通り3600人余りの犠 牲者を出してしまう。作戦終了後、現地の軍司令官は「(敵)航空兵力に関して多分 に希望観測に立脚して何とかなるべしと考えていたるところ大なる誤謬ありき」と今 後このような「原始的作戦」はやめるように報告している。
 無謀とも言える必死の闘い狩り出された船員たちも、戦地での扱いは、「船員を叩 殺せ、兵隊が一人助かる」と暴言をはく下士官や、それが現に実行されたこともあっ たように「軍馬・軍犬・軍鳩」以下で、食料や被服の配給もなく、放棄されていたの が現状である。「心眼を開け。心眼を開けば、闇夜といえども(敵潜)の潜望鏡は見 えるはずだ。真剣に見つめていば、心眼が開いておれば、必ず眼底に映る。それが見 えないのは、心がたるんでいる証拠だ」と、会議の席上で、船団行動における船長の 対応を非難する海軍大佐すらいたようだ。
 このダンピール以外にも、全編、ただただ船が沈められ、人が死んだという話が延 々と綴られている。

 姿形もなく、ただ数字として、かろうじて船の写真として記録されている船員たち。

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