メンバーの小屋

乱乱小屋

6. 5年たったら

 その翌日、唯一機能していた阪急西宮駅に向かった。車窓から食い入るように外を見る。当初あった意外の変化のなさの楽観は、到着前に打ち砕かれた。瞬間、車内はくぐもった悲鳴に満たされた。
 構内には、何かの大イベントぐらいの人出で埋め尽くされてはいたが、話し声がほとんど聞かれなかったのが異様だった。人の流れに脚立を突き立ててカメラに収めようとする連中には、罵声があびせられた。この使命感に燃えた連中は、「ここここ、こっちが絵になるぞ」などとのたまいつ徘徊していた。
 私は、西宮から東灘区へ向かって歩いた。至る所に充満する消煙と、砂ぼこり、狂ったようにがなりたてるサイレンの中、避難する一団。救援に向かう一団、それぞれ交差しあいつつ歩く。怪獣映画でにげまどう人々、あるいは戦災?記憶を手繰ってみようとするが無駄な試み。倒壊した家家は、車に轢かれた猫か犬が内臓をぶちまけたようだった。電信柱も柱も家も歪んでいた。平行感覚がおかしくなった。まれに通る車同士が、交差点で奇妙な動き方をし合う。信号が黒く沈黙していたからだ。あるべき秩序がなくなっていたのだ。
 かろうじて残った商店の入り口に「当分の間休みます。」との貼紙。「当分?」と思う。「求人募集」も虚しい。看板、宣伝すべての記号が無意味になっていた。

 いくつかのシーンを覚えている。起っていることについて色々考えたがどう整理のつきようもなかった。今だについていない。失ったのはかって暮らした街だ。身近な人を失ったわけではない。それでも存外の悲嘆の大きさに自分でも戸惑う時がある。

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