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ルドルフ・シュタイナーとマックス・シュティルナーの変な関係

 あはー、この二人は名前が似ているね。

 別に名前のお話ではなく、前に週刊誌かなんかで読んだのですが、ドイツやアメリカばかりでなく日本でもバカガキの「お受験」にシュタイナー教育が人気なんだそうです。シュタイナー教育をやっている幼稚園などはかなりの倍率で入学が難しいと書いてありました。

 ぼくはシュタイナーのオカルトじみたところがイヤだし、日本人でシュタイナー教育を受けた奴やそれを薦めている進歩的な教育者も吐き気がするので、なんの関心もありませんでしたが、ある本に「聖マックス」(注1)ことシュティルナーとシュタイナー(ほら名前がややこしいでしょ)の関係について書かれていたので興味を持ち、読んでしまいました。この本ではジョン・ヘンリー・マッケイに宛てたシュタイナーの手紙が紹介されています。「拝啓、ただいま出版されたばかりの小著『自由の哲学』が私の出版元であるベルリンのエミール・フェルバー社を通してお手もとに届いたことと存じます。(中略)、本書の第一部はシュティルナーの人生観のための哲学的基礎工事を行おうとしています。『自由の哲学』の後半部で、私はそれまでの前提を論理学的に首尾一貫させましたが、この部分は、私の信じますところでは『唯一者とその所有』の論述と完全に一致しております。また『自由の理念』の章の終わりでは、個体と社会との関係についても、近代自然科学からもシュティルナー哲学からもひとしく受け入れられる事柄を論じたつもりです。」

 うーん、シュタイナーはただのいかれたオカルトオヤジなのかと思っていたが、なかなかいい奴じゃん。気に入りました!

 さらに別の手紙では「けれども、私の思想がそうした言葉の意味する範囲で判断され得るならば、つまり『個人主義的アナキスト』という言葉が私にも該当するかを言わねばならないとしたら、私は無条件で『はい』と答えざるを得ません。そしてこうした呼称を私自身に適用するからには、その時点で『私たち』『個人主義的アナキスト』は、いわいる『行為の宣伝』(注2)を信望する者たちとは、何によって一線を画しているのかを簡潔に、はっきり述べておきたいと思います」

 このオヤジはアナキストだったんだな、うーん、この事実をシュタイナー教育を受けた奴や、それを推進している教育者はどう思っているんだろうか? まさか幼稚園で、国家、政府、教会、社会、家族などを「あきまへんがな!」と否定して教えているんじゃないだろうな。それならとんでもなく、おもしろいんだがな!

 ついでに幼稚園児に「僕は何物にも無関心だ」ich hab mein sach auf Nichts gestelltと日本語とドイツ語で暗唱させて欲しいな! これじゃー、シュティルナーユーゲントかな。

 まあ、まさかテキストに「自由の哲学」を使っているとは思えないが、根底にシュタイナーのシュティルネリアン(注3)としての思想(無思想?)が入っているなら、この子供たちはまさにアンファン・テリブル(恐るべき子供たち)だな。

 だが、ぼくはこのアンファン・テリブルに何の期待もしていない、小さな時からバカ親に純粋培養され、まさに自己(注4)で考えることが出来ないガキに何かを期待する方が間違いなのであって、ゆくゆくはエリート(ごくわずかだとは思うが)になるべき運命を背負わせれて、まったく自己の思考を個人に還元できないバカガキには共同体の維持に懸命になる反アナキストしか出てこないだろう。中にはバカ親の重荷に耐えられずに、国家や社会ではなく、家族の崩壊くらいは出来るガキがいるかもしれないが、せいぜいその程度のものだろう。まあ、くだらないエリートになるよりバカ親を殺した方が、自己も振り替えれていいかも?

 「しかし国家が僕の原則に対して僕に責任を負わせ、何らかの原則を僕から要求するということは、僕をしてかく怪しませるに十分である。すなわち、国家は僕の『頭の狂い』に何の関わりがあるか、と。大ありである」 マックス・シュティルナー

(注1)
 いわずとしれたマルクスが書いた「ドイツ・イデオロギー」の中のシュティルナー批判の名称である。しかし当時、この本はエンゲルスがやっきになって売り込んだが、本にはならなかったそうである。だから当然シュティルナーも読んでいないみたいだが、仮に読んでいても反論しなかったと思う。だってあまりにまとはずれな批判なんだもん。だからといって「どこがじゃ!」と反論しないでください。もう一度「ドイツ・イデオロギー」を読む気はしないし、また本も持っていないので。
 そういえば昔「ドイツ・イデオロギー」を買ったことがあるが、「聖マックス批判」は入っていなかったと思う。まあ、フォイエルバッハやバウアーの批判だけで十分とコミュニストは思ったのだろうか? それならヘーゲル左派のことなど何も知らないバカとしかいいようがないな!

(注2)
 「行為の宣伝」とはテロリズムのことです。当時のアナキストは「行為の宣伝」派と「非宣伝」派にわかれていたようです。シュタイナーは手紙の中でこういっています「また、ルケーニのような男が、たまたまオーストリアの皇后であった一人の婦人を刺し殺したりするならば、当然、彼にはそれに勝るとも劣らぬほど忌まわしく思えます。こうしたことと戦うことは、個人主義的アナキズムの第一の鉄則であります。そして彼が、こうした暴力を承認しようとするならば、その時には彼はなぜ自分が国家と戦っているかを知らないということを認めざる得ないのです。」

(注3) 
 シュティルネリアンという言葉はシュティルナーを理解していないということになるらしいが、それなら逆にシュティルネリアンを使ってやろうと思う。ぼくはシュティルナー原理主義のシュティルネリアンです。

(注4) 
 シュタイナー教育では自己で思考することを目指しているみたいだ。それが公教育へのアンチテーゼらしい。だが「お受験」教育をしている奴が自己でなど思考できるとしたら大間違いだ。<br>
 ドイツではシュタイナー学校が「バカ学校」と呼ばれていた時期もあったそうだ。だがシュタイナー信者の反論では「シュタイナー学校を出た人間は高い地位を得ている人が多い」と書かれていた、たとえば医者などの職業である。それもどれだけよりよい医者になっているかが問題なのだそうだ。

くだらない!

もしほんとうに自由を目指すなら学校など行かないことだ。

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