メンバーの小屋

森川小屋

2001年スペインの旅

行って来ました、スペインへ。色々なことがあって楽しい旅だったので、思わず柄にもなく日記を付けてしまいました。

なお、この日記は、森川の観点から見たものなので、他の二人の観点から見たスペイン旅行記は、以下のURLにて公開される予定になっているので、そちらを参照して下さい。

のんきちさん

noizさん (ファイル失踪中)

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時刻表の見間違えで、予定よりも一時間ばかり早く成田へ到着。食事をとって10:20頃チェックインをしようとする。のんきちさんが三人分をやっているときに、僕とnoizさんは離れてみている。ふと、掲示されているものを見ると、コペンハーゲン行きの飛行機は、機材到着の遅れから15:45に変更とのことだった。これでは、今日中にマドリードに着けない。それをのんきちさんに伝えると、のんきちさんが交渉。ちょっと大声を上げたりし、一時はコペンハーゲン一泊か?という状況だったが、最終的には、全日空(ANA)に変更し、フランクフルト経由で無事マドリード行きに乗れることになった。さすが、のんきちさん。

飛行機に乗ると、かなり空いていた。やはり、ANAで高いからだろう。エコノミーの後ろ半分はほとんど空いている。そこで、一人一セクション(三人掛けのとこ)を陣取ることにした。おかげで多少はゆったりと乗っていることができた。のんきちさんのおかげです。

16:30頃にフランクフルト到着。雪だ。驚いたことに、フランクフルト空港には多くの喫煙場所があり、しかも喫煙場所が締め切られていない(米国では考えられないことだ)。喫煙者も多かった。また、空港の本屋にはエロ本が堂々と置かれていたのにも驚いた。

18:00に出発予定の飛行機が遅れに遅れて19:00に出発。機内ではスペイン人の大人たちが騒ぎまくっている。スチュワーデスも一緒に笑ったりしている。国民性かな?機内食は僕好みだった。ワインもいける。

22:00、マドリード到着。タクシーでホテルまで行き、チェックイン。23:00にちょっとのみに行き、寝る。寝る前にネットに入ろうとするが、失敗。

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朝、8:00頃に起きて、朝食を取った後、再度ネットに入ることを試みたが、入れなかった。10:00すぎに、バルセロナ行きの列車のチケットを買うために、アトーチャへ行く。チケットを買った後で、近くの日本語できるというインターネットカフェへ。インターネットでマドリードのCNT本部や、FAL本部の住所と電話番号をゲット。日本のページにもアクセスし、書き込みをしたり、メールを送ったりする。その後、1時近くにホテルへ戻ってFALに電話する。電話口では、英語で話をし、FALは月曜日から水曜日までの午前中しか開いていないとのことだった。こちらが日本から来たアナキストだと伝えると、FALは開いていないが人が集まっているので、来ても構わないとのことだった。行き方を聞いたのだが、地名をこちらが分からず四苦八苦した。メトロの駅について、バスで移動しなければならない。メトロまでは良かった。バスの運転手に、行き先を聞こうとしたときに、バスの運賃の支払い方でトラブル。三人分を一気に払ったつもりが、一人分しか受け取ってくれないようだ。何とかお金を払って行き先を聞こうとしても、他の客と話をしてなかなかこちらがはなせない。やっとこさ話をしても、「まだまだ先だ」と怒鳴られる。この頑固おやじめ。いったい、無事につくのか?

道路にも通りの名前の表示がない。バス停に何度も停車するものの、そのバス停には何の表示もなく、名前すら分からない。バスは20分以上走っている。と、バスの運転手が、ぶっきらぼうに通りの名前を教えてくれた。やれやれ、やっとで着いたか。腹が減った。結構寂しい通りだ。人もまばらだ。どこかに飯屋でもないかと辺りを見回す。

と、目の前の家の二階に赤黒旗が翻っている。おお、ここだ。一軒家か?!

ひとまず腹ごしらえをしてからと思ったが、のんきちさんがすぐに入ろうと言うので中にはいる。玄関の呼び鈴を押し、日本から来たアナキストだと言って中に入れてもらう。一階は、ポスターやステッカーが張ってあって、パンクスが住んでいそうな感じ。英語ができる人はいないか聞いてみると、眼鏡を掛けた賢そうな青年(名前は聞いたが忘れた)が案内をしてくれた。二階に上がるとすぐにCNTの事務所があり、アナキスト=ブラッククロスらしき事務所(黒い十字架の上に握り拳のマーク)があった。CNTの事務所にはバクーニンとフェレルの肖像画がある。黒ヘルもあったのには苦笑。驚いたことに、そこにいるほとんどの人が若かった。電話で話をした女性がやってきて三階へ案内してくれる。三階がFALだ。貴重な本・新聞・雑誌・マイクロフィルム・ビデオなどが所狭しと並んでいた。フランコ時代にはアムステルダムにこうした資料を運んでおいたそうで、今、アムステルダムから持ってこようとしているらしい。アムステルダムの方では、FALの事務所では保管がうまくできないから、渡したくないようだ。ちょっと苦々しい様子。現在あるものは、全資料の内、ほんの10%だそうだ。

明日のお昼から、マス=ミーティングがアトーチャで開かれるという話を聞いた。それに参加したかったが、電車の時間・ホテルの予約などを考えて、断念した。そのかわり、11時から行われるデモだけに参加することにした。電車の時間を変更しなければならない。

明日のミーティングに出るためにバルセロナから来ている同志と逢い、日本で遊び半分に作ってきた無政府共産ステッカーを見せたら、くれ、というのであげた。フェレルの本を買った。至る所にサークルAがある。二階のベランダでは子供たちが三人ほど遊んでいる。犬も二匹いる。お昼(午後4時だ)を食べるために、一回のホールへ。ホールの壇上にも赤黒旗が掲げられている。お昼は、ヴェーガン=フードで、豆のカレーとサラダだった。僕的にはかなりおいしく、おなかもいっぱいになった。

食事を食べた後、アトーチャに戻り、切符の変更をした。バルに行きビールを飲んで、シェリー酒(癖があって、なかなかうまい)を飲んで、ギネス(600ペセタ以上した!)を飲んで、寝た。

2/4

デモ当日。朝、9:00に起きる。電話線をモバイルギアに繋ぎっぱなしで寝ていて、モバイルギアを落としてしまったため、電話線を挿入するカバーが壊れてしまっていた。

食事をとって、チェックアウトし、11:00にはアトーチャでスタンバイ。アトーチャの通りは坂になっている。下から上へと向かうのだろうか?警察がやたらといた。こんなに厳戒警備の中をやるのだろうか?誰もまだ来ている様子がない。アトーチャのマクドナルドの前でnoizさんが警察の写真を撮っていると、「no foto」と怒られる。その辺をぶらぶら見てみようとして、向かい側の通りへわたる。角を曲がろうとすると、CNTのステッカーを胸に着けた女性を発見。話しかけてみるが、英語はできないようだ。ただ、デモがここで行われるのは確かなようだ。しばらく煙草を吸いながら、何か起こるか待ってみる。坂の上方から人の一群が車道をやってくるのが見えた。どうも、赤黒旗のように見える。おおっ、と思って向こうに行ってみようとすると、先ほどの女性が「no manifestacion」と笑いながら言ってくる。どうもアナキストのデモではないようだ。何だろう?しばらくすると、馬に乗った騎兵隊のようなものが見えた。軍か何かの行進か?マーチは次第に近づいてくる。騎兵隊の後ろには、十字架がある。どうも宗教関係の行進のようだ。ちっ。

通りの左手の角から、赤黒旗を持ったグループがやってくる。先ほどの女性の友達だった。やはりCNTのデモはここで行われるようだ。しばらくすると、坂上方の歩道からも赤黒旗を持った一群がやってくる。いよいよか。宗教関係の行進は坂の一番下、僕らがいるところで終わった。しばらくすると坂の上から、シュプレヒコールが聞こえてきた。今度は本物のCNTのデモだ。こちらにやってくる。坂の上で始まったのか?坂の一番下でデモが止まった。結構な人数がいる。100人ぐらいだろうか?隣にいた普通のおじいさんが、僕に「CNTだよ。Confederacion 〜」と解説してくれる。知名度が高いのか?

昨日逢ったバルセロナの人がいた。話しかけて、デモに参加。一番前に陣取り、シュプレヒコールに加わろうとするが、何を言っているのか分からないため、叫べなかった。パンフレットを配っている人・ステッカーを配っている人がいた。もちろん、もらった。老若男女関係なくみんな集っている。普通のおばさんが赤黒旗を持っているぞ。警察のヘリコプターが空を飛ぶと、皆が一斉にはやし立てたり、歓声を上げたりしていた。シュプレヒコールは途切れない。赤黒旗がいたるところで翻っている。シュプレヒコール・旗・人。

だが、デモ自体は一向に行進しようとしない。この場で集まってガヤガヤして終わりなのだろうか?横断幕をnoizさんとのんきちさんが持った。シュプレヒコール。しばらくして、横断幕とnoizさん・のんきちさんが坂の上方へと移動した。何の前触れもなく、皆が坂の上方に向かって動き始めた。シュプレヒコール。道を完全に占領している。警察は歩道で見ているだけだ。

坂上へ向かう。赤黒旗が翻る。前の方ののんきちさん・noizさんに合流。後ろを振り返ると、最初の倍以上に人数が増えている。凄い。赤黒旗が翻る。シュプレヒコール。「資本主義を倒して、アナルコサンジカリズムを」

のんきちさん・noizさんの隣にいた親爺が、僕の帽子を指さして何か言っている。帽子を脱いだ。僕も調子に乗って帽子を脱いだ。どうも交換するつもりだったらしい。僕の帽子を取って、自分の帽子を僕にくれた。固い握手をしたが、僕自身は帽子はちょっともったいないなぁ、と思った。AK Pressで15ドルだったのに。まぁ、いいか。その代わりに、赤黒旗を持たせてくれ、と言ってみた。すると、「これは俺と一心同体だから駄目だ」とのお言葉。なんて親爺だ!

バルセロナから来た女性と話をして分かったのだが、デモ行進は坂上の広場まで行き、その辺りを動いてから終わるそうだ。その後にマス=ミーティングだ。だが、坂上に行くまでにすでに1時近くになっていた。僕らは1時にデモを抜けて駅へと向かった。デモの最中は気にしなかったが、少々寒かった。一つだけ心残りは、このデモが何のデモなのか聞きそびれてしまった、ということだ。スローガンの内容からすると、特にこれといった対象があるようには思えなかったのだが....バルセロナで聞くことにしよう。(後からCNTのHPを見て分かったことだが、全部で3500人集まったそうだ。デモのテーマは労働条件の改善だったと思われる)

バルセロナまでの列車からの風景は、冬なのに結構緑が多く、米国の砂漠地帯のようだった。風景に広がりがあって気持ちがいい。所々に見える家も、マドリードとは違って、古くからある昔ながらの寒村・工場地帯のようで興味深かった。食事を列車の中で取る。肉ばかりで閉口したが、チキンがあったので何とかなった。その後、列車の中で個人主義的アナキズムと社会的アナキズムの論争をした。

バルセロナに8:30に着く。メトロでランブラス通りまで行き、ホテルを探す。時間が遅いせいもあってか、ランブラス通り周辺は、物乞い・げろなどで雰囲気があまり良くない。だが、今回のホテルはかなりきれいで非常によい。バスタブもある。だが、モバイルギアの方は相変わらずつながらなかった。

荷物をおいて、一杯のみに出かける。少々おなかが空いていたので、サンドイッチを食べようと提案。近くのサンドイッチ屋に行くと、相変わらずの肉づくし。げっ、と思ってよくよくメニューを見ると、ちゃんと「Vegital」のセクションが。おおー、どれが一番腹の足しになるだろうかとさっと見て、一番下の何とかクラブというのを三人で注文する。しかーし、ハムとベーコンが入っている!メニューにも小さな文字でちゃんと書いてある。あぁ、焦りすぎたか。あきらめて、ハムとベーコンを取り出しながら食べた。その後、バーで一杯やって、寝た。シェリー酒はなかったが、ブランデーがうまかった。

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バルセロナ一日目。朝、9:00に起き、のんきちさんがやってきて再びローミングしてみるが、失敗。10:00過ぎに、階下に降りて食事をとろうとすると、10:00までだと言われ、断られそうになる。がっかりした表情を見せると、迷惑そうな顔を見せながらも、いいよ、と言ってテーブルにつかせてくれた。だが、出てきた料理は、パン二つ・オレンジジュース・コーヒーだけ。中央のテーブルにはシリアルなどがおいてあるものの、僕らは取れないみたい。遅く来たからか?何となく、ウェイター・ウェイトレスも早く帰ってほしそう。さっさと切り上げて、ホテルを出た。

のんきちさんが洗濯物を洗濯屋に出すというので、その場所まで行く。どうも、CNTの事務所はその近くにあるようだ。洗濯屋に行った後で、事務所のある建物を外から見る。以前来たメールによれば、午後7時以降に皆が集まるらしい。よって、そのぐらいの時間にまた来てみることにする。

のんきちさんが知っているEl Lokalというアナ系本屋に行くことにして、のんきちさんの記憶に沿って動いてみたが、なかなか見つからない。一時間かそこら歩いて、気がつくと、目の前にCNTの旗がある。最初は、別な支部か?そこと、さっきのとこは仲が悪いんじゃないか、などと詮索したが、あれ?っと思ってメールを読んでみると、CNTの本屋であることが判明。中に入ってみる。おじいさんが一人、驚いた顔で出てきた。英語が話せるか?と聞いてみたが、できない、とのことだった。のんきちさんが、僕らは日本から来たアナキストだ、本などを見たいのだが、と話をすると、おじいさんは、今はやっていないから午後7時過ぎに来なさいという。何だよ、メールでは午前・午後とやっていると書いていたのに。情報も当てにならないものだ。

CNT本屋の隣にパン屋があって見ていたら、食べたくなったので、中へ入って軽食を取った。のんきちさん・noizさんはジュースのみ。僕は食い過ぎなのかなぁ?その後、中華料理屋で昼食。昼食後、一旦ホテルに戻る。バルセロナの地図が必要だと思ったため、カウンターでもらう。ホテルに戻っても、僕は全然眠くないので、noizさんを誘ってインターネットカフェを探してみる。ホテル近くのスペイン語学校内にあった。たまたま日本語が読める環境のコンピュータを割り当てられたため、メールをチェックしたり、WEBを見たりして1時間ばかり遊んだ。

6時頃にEl Lokalへ。僕が住んでいたユージーンのパンク系レコード屋とラジカル本屋を合わせた感じ。模索舎+パンクショップといったところか。興味深い本が並んでいるが、スペイン語なので読めない。一応、そこで出しているファンジン・CNTの新聞・Solidaridad Obreraを買った。

のんきちさんが、月曜日はいつもミーティングとかあるから、明日、CNTの事務所には行けばいいのではないか、というので、断念し、念願のパエージャ(野菜だけのを注文したせいか大して美味しくなかった、スペインの飯はそれほどでもないな、というのが今のところの感想)を食べて、バルへ。差別問題などで議論は白熱したものの、僕は少々疲れていた。

2/6

昨日の失敗から、朝、9:30頃に朝食をとる。だが、相変わらずテーブルにつくと、パン・オレンジジュース・コーヒーだけだった。のんきちさんがシリアルを取りに行ったものの、拒否された。どうなっているんだろう?

カタルーニャ広場のインフォメーションに行って、Virus Editorialの住所とスペイン革命の資料について尋ねる。住所はゲット。だが、革命の資料については、そこでは分からないため、図書館に行けと教えられる。

図書館のある場所を地図に書いてもらったものの、うまく見つけられない。図書館に行ったとしてもCNTやアナキストについて分かるかどうか不明なので、とりあえず、Virus Editorialに行くことにする。地図で見ると、EL Lokalの近くだ。El Lokalの道を途中でそれて、隣の路地にはいるようだ。だが、いつものことながら、その路地が見あたらない。路地にはいると非常に雰囲気が悪い。昼間だから良いようなものの、夜は絶対来たくないようなところだ。ちょっと開けた広場のようなところで、のんきちさんが老人に聞いてみる。教えてもらったとおり行くと、やはり非常にやばそうな場所だった。本当にここで良いのか?と思っていると、あった。倉庫のような場所で、奥で人がパソコンを打っているのが見える。その手前にも一人いた。おいおい、二人しかいないのか?手前の人に本がほしいんだが、とのんきちさんが交渉。奥へ行け、といわれ、奥に行った。奥にいる人は英語ができないので、のんきちさんにがんばってもらう。どうもここでは本を売ってはいないようだ。El Lokalで買えといわれる。もっと、スペイン市民戦争時代の史跡とか文書とか見てみたいのだが、質問してもうまく伝わらない。うーん、残念。それにしても、こんなちっちゃなところで出版しているのかね?El Lokalにコーナーがあったから(一部では)かなり有名なのだろうが、??

というわけで、もう一度図書館探し。その前に、再びEl Lokalに寄る。店員が英語を話せないので四苦八苦したが、28バンド入っている西班牙パンクのコンピレーションCDを買った(日本で聞いてみたら、すげー良かったっす)。

何とか図書館らしい場所を見つけたが、そこは、スペイン文化局とでもいうようなところで、何をしているところかも皆目見当がつかず、本当にここで聞けば分かるのかどうかも不明。とりあえず聞いてみる。守衛の人に聞いてみたが、英語を理解せず、カウンターに連れて行かれる。カウンターには英語ができる人がいたので、その人に聞いてみた。電話を掛けたりして、探してくれた結果、二カ所あるようだ。一カ所目は海のそばにある博物館。もう一カ所は、バルセロナ郊外にある何とかという町の博物館にスペイン市民戦争の資料や写真があるらしい。よしよし。

僕は、日程の都合上、そのスペイン郊外の町などに行けるわけもなく、しょうがないから海のそばのカタルーニャ歴史博物館だけに行くことにする。

海に出ようと歩いていると、おなかが空いてきた。なんだか今日は無性にスパゲティかパスタが喰いたい。海岸のところにあるレストランで、呼び込みが英語で「何でもあるよ」というので入る。中にはいると、スパゲティのメニューなんて見あたらない。さらに、値段を見ると高いのばっかり。やられた、と思った。先ほどの呼び込みがやってきて言うには、「スパゲティで良いよね。」どうも作ってくれるらしい。「いくら?」と聞くと800ペセタ程度らしい。じゃぁいいや。どんなスパゲティか聞くと、ミートソースらしいから、僕は「オニオンとガーリックだけのスパゲティをくれ」と言った。noizさんとのんきちさんは「トマトソースのスパゲティ」とたのんでいた。ワインを飲みながら待っているとスパゲティが来た。noizさんとのんきちさんはトマトソースのスパゲティが来ていたが、僕には、「スパゲティ=ソロ」といわれて、本当にスパゲティだけのものがやってきた。全然伝わっていなかったらしい。しょうがないので、先ほどの英語ができる呼び込みのところにいって、抗議する。「分かった。」と言って持ってきてくれたのが、ガーリックが大量に入ったマヨネーズ。もう、面倒くさいので、あきらめてそれをスパゲティにかけて食った。不味くはないが、釈然としない。二度とこんなとこ来るもんか。観光客相手の店は絶対ぼる。やっぱりボルは良くないね。

気を取り直して、博物館へ。博物館では禿のスキンヘッドかと見間違うほどの親爺が対応してくれた。英語は話せないというので、のんきちさんが話をする。どうも、スペイン革命のことが分かる近代カタルーニャ博物館は、今はやっておらず三日後だかなんだかに開くとか。がーん。しょうがないから館外へ。どうしようか話をした後、どうせだから博物館を見て行こうということになり、もう一度館内へ。さっきのスキンヘッド親爺が何やら電話をしていてくれる。僕の方を見て、英語は大丈夫だろ?といっているようだ。ああ、と言うと、英語の話せる学芸員の人が来てくれるとのこと。ちょっと待っていると、学芸員の人がやってきた。 「僕らはスペイン市民戦争に興味があって、その史跡とか写真とかを見たいと思っていて、文化局で聞いたらここを紹介されたんだけど、何かあります?」 「この博物館には資料は少ししかないのよね。上の階の図書室に行けばいくつか本があるけれど、それも限られています。ただ、今、2:00でしょう。お昼休みなので、3:00まで待ってもらわないとだめね。郊外にあるもう一つの博物館にはもっといっぱいありますよ。」

というわけで、一旦ホテルに戻ってから出直すことにした。ホテルに帰る途中で昨日入ったインターネットカフェによる。今回のパソコンでは日本語が表示できなかった。noizさんとのんきちさんはローマ字で書き込みをしたが、僕は止めておいた。

ホテルに戻って、手紙を書こうと思ったが、ふと電話を電話屋でしてみようと思い立ち、電話屋に行く。noizさんは寝るという。noizさんはほんとによく寝る。一人で行く。電話屋で、7分程度話をしたが、それほど高くなかった(600ペセタ程度)。ホテルに戻り、部屋にはいると、noizさんは寝ていた。手紙を書く。4:30にのんきちさんがやってきたが、noizさんは寝ていた。noizさんを起こし、皆で博物館へ。のんきちさんに電話屋の話をすると、「それは凄い安い。そっから、日本のネットにつなげばメールのやりとりができるんじゃないか。」とのお言葉。おおー、流石。全然気がつかなかった。

そこで、電話屋にもう一度行く。最初につなげてみるとうまく行かなかった。のんきちさんの話では、通信速度を落とすとうまく行くとのことだった。半信半疑ながらやってみる。つながった!さすが。電話屋で、メールの受信をした。27件来ていたのには驚いたが、思ったほど値段が行かないので、安心。

再び博物館へ。図書室に行かずにまず歴史そのものをたどってみる。博物館の構造は、一階が特別展示室(イベントとかそんなのをやるようだ)・二階が原始時代から封建時代まで・三階が封建時代から産業革命前までの時代・四階が産業革命から現代までとなっている。五階がカフェテリアと図書室だ。一階は見ずに、二階から始めた。カタルーニャの歴史もなかなか面白い。15世紀には農民蜂起もあったようだ。が、やはり気になるのは、スペイン革命だ。四階の産業革命コーナーをさっと流して、労働運動のところへと行く。CNTの結成・FAIの革命歌・テロ・民衆蜂起・フランコの勝利など貴重な資料が満載だった。これに関しては、noizさんが写真を撮りまくっていたので、noizさんにお任せすることにしよう。僕が個人的に印象に残ったのは、アナキズム・アナキストが普通のこととして描かれていることだった。テロリストと同じ、といったような日本での(世界各国でそうだと思うが)通俗的な紹介はなされていない。

革命のセクションを長いこと見ていたら、閉館の時間になった。一階の売店でおみやげを買って、夕食を取った。ピザ屋だった。僕は、肉の入っていないピザを探すのに一苦労。のんきちはステーキを食べた。米国のステーキと比べて薄い。noizさんの頼んだピザは非常に塩辛かった。食事の後、CNTの事務所に向かう。

8:00頃、CNT事務所へ。昨日も見たけれども、何かやっている様子はあまりない。だが、取り合えず入ろうとすると、CNT事務所がある建物に入っていく老人がいたので、その人に続く。その老人がCNTの人かどうか見当がつかなかったため、階段で追い越し、先に事務所に入るとその老人も続いて来た。

CNT事務所はビルの二階にあり、マドリードのそれよりはかなり規模が小さい。デモに出たときに英語を話していた米国人の女性の話によれば、80人程度だとのことだったが、それも肯ける。事務所では勉強会か何か開かれていたようで、一室に若い人たちが小人数ながら集まっていた。それ以外は、僕らと一緒に入ってきた老人・部屋の中にいた老人の二人だけだ。二人とも英語を話せないので、のんきちさんに話はお任せする。CNTの説明や日本の状況について聞いていたようだ。その後、本(黒色戦線社的装丁だった)・新聞・バッヂを買ったりした。noizさんは頼み込んで赤黒旗をもらっていた。スペインの状況を知りたかったので地図を見せてくれるように、のんきちさんが話をすると、その爺さんスペイン全土の模型を持ってきた。だが、スペイン地図のいたるところに赤黒旗がたっているのでびっくり。こ、こんなにアナルコサンジカリズムは広がっているのか?noizさんが支部の住所を控えていた。FAIの中心はサラゴサだということが分かった。いやいや、のんきちさんはどうも冷や汗ものだったようだが、おかげでいい情報が得られました。のんきちさん、どうもありがとう。

外に出て、いつものバルへ。僕は、なんだか興奮していて頭が痛くなりそうだったので、もう酒はいいや、と思っていたら、席についた途端に白ワインとブランデーが目の前に出された。おいおい、何もこんなときに限って気を利かせなくても。それでも一応飲んだ。やっぱり頭が痛くなってきたので、ファンタリモンを飲んだ。三人とも興奮しているようで、いつもよりも沈黙の時間が多い。

部屋に帰ったときのための水がほしくなり、買いにいくことにして、バルを出た。歩いている途中、他のバルを見ていて、無性にそこに飛び込んで、「Viva la anarquia!」と叫びたくなった。僕はかなり興奮している(調子に乗っている)ようだ。

水を買うつもりだったが、通りを歩いている人がアイスを食べていたのを見たら、むしょうにアイスが食べたくなった。そこでアイス屋を探す。反対向きに歩いてきた人が食べていたのだから、このまま真っ直ぐ通りを歩けばいいはずだ。だが、ランブラス通りまで出てもない。ランブラスをしばらく歩き、ダンキンドーナツに31アイスクリームがあるのを発見。だが、米国の高校生らしき奴らが大挙して押し寄せている。これじゃあ、いつまでたっても買えやしない。聞こえてくる会話も、「〜だしー」とか、「〜みたいなー」といった言い方で、むかつく。お前ら、甘いものをセーブしろよ!今まで店員が一人だったのが、もう一人出てきたようだ。声を掛けてみるが、「私は違う」というジェスチャーをされる。しばらく見ていると、米国高校生の方にドーナツを渡してるじゃないか。のんきちさんが、「まだかー」と店員に怒鳴る。僕が店員を待っている間、noizさんとのんきちさんは赤黒旗を出してダンキンドーナツの前で写真を撮っていたようだ。やっとこさアイスを買ってホテルに戻って寝た。

2/7

今朝は、6:00に目が覚めてしまった。バスタブに湯を張り浸かる。いつもの朝飯を食って、11:00前ぐらいにホテルを出て、ワールドミュージック系CD屋へ行き、革命歌のCDを買う。

それから昨日の博物館へ。図書室には、ちゃんとアナキズム・サンジカリズム双方のセクションがある。数は多くはなかったが、なんだか嬉しかった。僕は、最近のCNTの動向などについてもっと知りたかったのだが、それは無いようだ。市民戦争中のものばかりだった。

昼は前も食べた中華。僕はエビチャーハンを頼んだ。noizさんとのんきちさんは昼食セットを頼んでいた。

そのままガウディを見に行く。ああいうのはよく分からん。金持ちが金をふんだんに使って作ったようにしか感じられなかった。

道を戻って、CNT本屋。最近のCNTについて書いた本がなくて、ちょっとがっかり。英語も話せなかったので、どうにもこうにも充分な話ができなかった。最近の状況や、CGTとの関係や、日本の状況や、この間のデモに出たとか、大体この間のマドリードのデモは何のデモかさえも聞いてないじゃないか。色々話したいこと・聞きたいことは山ほどあったのに!最後の日だぞ!落ち込みモードに入ってしまい、店の人からCNTマッチ箱を手渡されたりしたが、それどころではなかった。やっぱり、少なくともマドリードで本を買っておくべきだったんだ!ちくしょう。あと、一日あったら完全にマドリードに行くはずだ。あと三日あれば、マドリードに行って、FAIの本拠地サラゴサに行くだろう。と、ありもしない夢想をしながら、悔しがる。店の親爺が何をスペイン語でしゃべろうが、耳に入ってはこない。なんだか本当に気分が落ち込んできたぞ。まずい。それでも一冊最近の状況が書いてありそうなパンフ(1993年にアナキスト大会があったらしい)を買って、店を出る。

こんな時は、良いことはないもので、帰りに寄った飯屋がまずかった。デザートなんて既製品だ。腹はまだ減っている。のんきちさんがうどんを喰いたい、と言う。僕もその気になってきた。一旦ホテルへ帰って、日本料理屋をチェック。タクシーで日本料理屋へ。noizさんは「たぬきうどん」、僕は「たぬきそば」、のんきちさんは転向して「カツカレー」を喰った。満足満足。ホテルまで気分良く歩いて帰って、寝た。

2/8

朝6:30に起きる。シャワーを浴びて相変わらずのまずい朝飯。8:00にのんきちさんが部屋に来て一緒に空港へ向かう。noizさんは、今日以降滞在するホテルを探しに行った。お世話になりました、noizさん。

Renfeの駅を探して迷う。駅が見つかった。が、どの路線のどこ行きのに乗ればいいか分からない。英語を話せる駅員を捜したものの、誰も話せない。なんてこった。のんきちさんが周りの人に聞いてくれて、何とか空港行きの列車が分かった。本来ならば国際線なのだから2時間前に行くべきなのだろうが、どう考えても空港に到着するのは、早くて、出発1時間前だ。うーん、大丈夫か?「飛行機が遅れると謝るだけで済むのに、どうして乗客が遅れると置いてきぼりをくらうんだろう。理不尽だ。」などとあいも変わらず他人を責めることで精神の安定を図る。空港に着いた。カウンターを探すために走る。一度、スカンジナビアン航空のチケット購入所にのんきちさんが行ったものの、僕が「それ、チケット購入するところですよ」と言って別なカウンターを探しに行った。どこまで走っても、スカンジナビアン航空のカウンターが見あたらない。インフォメーションで聞くと、何と、のんきちさんが最初に行ったチケット購入所のすぐ近くだったのだ。ごめんなさい。にもかかわらず、のんきちさんは、再び走ってくれました。やっとこさでカウンターでチェックインし、無事搭乗できました(飛行機は30分遅れていた)。のんきちさん、お世話になりました。どうもありがとう。

ペンハーゲンで乗り換え。コペンハーゲンはきれいだけど、それだけな感じ。煙草もちゃんとコーナーになっている。広告も英語のものが多い。米国に毒されている感じだ。日本みたいなのかな?エロ本は相変わらず堂々とアダルトコーナーとして何のカバーもなくおかれていたけどね。ランブラスで道の真中の普通のキオスクでエロ本・ゲイ本・SM本が売っているよりはましかもしれないが。

帰りに乗ったスカンジナビアン航空はエコノミーなのに座席の感覚が広い。アイマスクと耳栓もくれた。お陰で機内でほとんどの時間を寝ることができた。ただし一つだけ注文がある。スチュワーデスは最悪。おばさんばかりなのは仕方がないとしても、対応が遅いのは何とかしてくれ。

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