「わび -侘茶の系譜-」(数江教一、塙新書 1973年)
- わびさびとセットで呼ばれる古典的美意識。意味も分からず陳腐化だけ進行しているのが現状だ。中国趣味的な東山書院文化が、村田珠光、武野紹鴎を経て、千利休を頂点とする侘茶へと結実する。全きもの至高のものを追求するいわば神の美ではなく、「冷え枯れる」美。生/死共起の人の美の発見である。それは利休に至り、物自体を解き放つ関係/差異の美へと昇華する。秀吉と言う光の権力に拮抗する闇の美。侘茶の秘密が、神秘化することなく簡明に述べられている好著。一座建立は果たして「エゴイズムの連合」なのか否かも読者への宿題としておこう。 (N)
「人斬りの秘伝書」(峰隆一郎、青春出版社 1998年)
- 武芸者にとって剣術とは何か?「殺人剣」「活人剣」という言葉がある。前者は相手を殺す剣。後者は相手を生かす剣だと言われる。その上で、殺人剣=悪。活人剣=善と価値づけるのが通常だ。著者はそれは間違いだと指摘する。殺人剣は己が斬られること。活人剣は己が生きること=人を斬ることだと。つまり相手のことはどうでもよいい。己を活かすか殺すかなんだと言う。したがって「武士道とは死ぬことと見つけたり」という武士とも異なり、武芸者は死んではならない、逃げてもいいから生き残る。その為の技術が剣術なのだ。で、その技術をどうして身につけるかであるが、鬼夜叉と言われた正しく剣鬼の伊東一刀斎は、弟子の小野善鬼にいわく「斬り覚えよ」と。
武芸者にはルサンチマンをその生育に持つものが多いという。そのルサンチマンを剣の駆動力に転換し、ひたすら斬ったそうだ。現代では斬り覚えよとまでは到底いかないが、非常時には役立つスキルだ。剣術のエッセンスを明確に抽出した好著。 (N)
「漂海民」(羽原又吉、岩波新書 1963年)
- 漂海民とは、一生の間船上で漁業を営みつつ暮らす人々のことである。かっては東南アジアに、中国に、そして日本に至る所に彼等の姿を見ることが出来た。なんらかの理由で陸上に住まいを持つことが許されなくなった人々たちをその起源とする。マイノリティとして差別をも受け、海上という常に生命の危険にさらされ続けた受難の歴史を有してはいるが、民族をも超え、地理的制約からも自由な彼等の生き方は、地上に住まうものにとっては、一陣の涼風である。本書は、新書というコンパクトさとは裏腹のスケール観ある力作。 (N)
「ユートピア紀行」(伊藤信吉 講談社文芸文庫 1997年)
- アナキズムの一つの潮流として、農を軸とした理想の共同体への指向がある。玉川信明は、日本においては、石川三四郎の「土民生活」をその典型としてあげている。石川は、自ら、東京郊外の千歳村に半農生活を営み、「土民思想」の実践をはかったのだ。その石川に続いて、有島武郎や武者小路実篤の名が見える。
本書もまた、大正期の資本制社会に、ほぼ時を同じくして立ち現われたと言ってよい3人の文学者たち、(有島武郎/「狩太共生農団」、宮沢賢治/「羅須地人協会」、武者小路実篤/「新しき村」)の試みを、現地を訪ね、その壮大にして挫折必至の夢の跡を、丹念に再現したものである。
「狩太共生農団」は、1922年(大正11年)の農場主有島武郎の農地解放宣言に、端を発する。自ら抱くキリスト教的社会主義思想が、「絶対悪たる私有財産の否認」へと到達するに及んでの行動である。しかし、その予見は、有島の農民文学「カインの末裔」に現われており、その実体化に至るまでの期間を、著者は丹念に追う。アメリカ留学の帰途に立ちよったロンドンで、有島は、クロポトキンに出会っている(1907年)。今も、有島記念館には、「相互扶助」の額が残っているそうだ。
宮沢賢治のユートピアは、「肥料相談所」という形からはじまる。肥料設計や稲作指導に勤しむ姿は、詩人であると同時に農の実践家である。すなわち「農村共同体を夢見る<ユートピア思想家>」としての風貌である。1926年(大正15年)には、「羅須地人協会」を設立し、稲作法などの農業技術の講座から、農民芸術、農民劇やオーケストラの結成まで、言わば農村文化運動を展開する。「羅須地人協会」の「羅須」とは、イギリスの社会思想家たるジョン・ラスキンJohn Ruskin(1819〜1900)から来るものではないかという説がある。著者も、明確な証拠はないとしながら、推定としては賛意し、その延長線上にウィリアム・モリスをも見据えている。
トルストイやクロポトキンの単なる紹介者や共鳴者ではなく、実践の道を、武蔵野・高井戸の農耕生活に求めた、江渡狄嶺(えと・てきれい)の下を訪れたこともある武者小路実篤であった。しかし、狄嶺に遅れること7年1918年(大正7年)に始めた「新しき村」は、狄嶺のそれとは、異なるコンセプトに基づくものである。資本主義でもなく社会主義でもない、第三のもの、すなわち人間主義や世界同胞主義をかかげた、全く「新しき社会」をめざすものであったのだ。
以上三者三様の、ユートピアへの格闘を、伊藤は、実証的かつそれぞれの後背にある思想にも骨太に迫る。自ら言うように、心情的にはアナーキスティックで、社会・政治的にはマルキシズムに惹かれ、日常的、生活場面的には、自律的・倫理的だというスタンスこそが、三者にも共通し、彼等への共感となっている為であろう。
現実に試みられたユートピアを、知るには格好の一冊である。 (N)
「知られざる革命」(ヴォーリン著 野田茂徳・野田千香子訳 現代思潮社 1966年)
- 20世紀初頭に勃発したロシア革命はボリシェヴィキだけのものだったのか? この問いに否をつきつけるものとして本著がある。
ヴォーリンはウクライナ農民の自由革命の先鋭としてたちあらわれたマフノヴィチナ(マフノ運動)の参謀役的存在として活動したアナキスト。と、彼の著作は当然、ボリシェヴィキ一色に塗り込められたロシア革命評価に、アナキズムや他の自由を求める運動を世に問うこととなる。原著では三部構成になっているが、訳書では第三部を全訳したものである。クロンシュタット叛乱は反革命ではなく反権力主義の人民の自由革命であったことから説き起こし、現在なおロシア近現代史の評価から取り残されているマフノ運動を叙述すること、これがその第三部のすべてであり、貴重な仕事となっている。ヴォーリン自身は自覚したアナキストであったが、彼自身述べているように、「アナキストがあまりいなかった」ロシアにおいて闘われた人民の革命それ自体が、系譜なきアナキズムのそれとなっていることを、図らずもこの本で照出した。
ヴォーリンは決してアナキストが正しいなどとは言わない。人民の革命のなかに広がる名もなきアナキズム、これを恬淡と叙述するその姿勢がかえってアナキズムびいきの心を強くするだろう。
1945年、肺結核に冒され、余命幾ばくもないなかパリで書き上げられたこの「知られざる革命」は2年後にようやく出版されが、ヴォーリンはすでに他界していた。 (noiztrakcer)
『カタロニア讃歌』ジョージ・オーウェル 新庄哲夫 訳(早川書房)
『スペインの遺書』アーサー・ケストラー 平田次三郎 訳(新泉社)
『スペインの戦場』フランツ・ボルケナウ 鈴木隆 訳(三一書房)
- この三冊はいずれもアナキズムとアナキストを中心に取り扱ったものではない。しかし、題材となっている「スペイン内戦」自体にアナキズムが色濃く関わっているため、アナキズムとアナキストに関する描写が度々出てくる。また、この三冊の著者はいずれもファシズムと共産主義という二つの専制に抗したその態度に置いて、アナキストに近しいものを持っているとも言えるだろう。
『カタロニア讃歌』は、トロツキスト組織に義勇兵として参加したオーウェルの手記。共産党によるアナキストとトロツキストへの弾圧を暴露していると共に、士気は高いが武器も物資もなく、しかし奇妙に明るい兵士達を描いた悲喜こもごもの戦争文学の傑作と言える。
『スペインの遺書』は、そのほとんどはファシスト軍の刑務所での獄中記だが、死を前にした人間の手記として、一種へそ曲がりな青春文学として読み応えがある。 『スペインの戦場』は、一番ジャーナリスティックな視点の作品で、カタルニア地方でのアナルコサンジカリストの自主管理工場運営や、共和政府公認の教会破壊などに詳しく触れている。
産業社会化が進行すれば共産主義のような「上からの近代化」の方が合理的なのは明白だが、内戦期のスペインの人民戦線陣営では、特に工業の発達したカタルニアでアナルコ・サンジカリズムによる自主運営がかなりの成功を収めた。「アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)」なんてことの言われる昨今、これは再評価されるべきかも知れない。
スペイン内戦は国際旅団義勇兵の英雄譚(ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」とかさ)や、人民戦線戦の敗北に終わるその悲劇的結末から、とかくロマンチックに語られがちだが、スペイン・アナキストを勝手に理想化して勝手な甘い幻想を持っちゃいけないぜ。スペインのアナキスト達は、昨日同志になったばかりの外国人義勇兵に配給の煙草を全部やってしまったりする(所有の観念が根本からぶっ壊れていたのだろう)一方、教会と見れば焼き討ちし聖職者と見れば残虐極まりない暴行を働くなど、人間の崇高さと残酷さの両面をかいま見せてくれる。人間ってのは複雑なものだ。 (佐藤<人民の敵>賢二)
『中国黒色革命論 師復とその思想』 (嵯峨 隆 著 社会評論社 2001年)
- 中国の戦前アナキスト、師復の評伝だが、1920年代までの中国アナ キズム史について分かりやすくまとめてある。師復については山鹿泰治を 通じて知っている人も多いと思うが、ここでもう一度紹介をしておこう。
師復は1884年生まれ。1900年(16歳)頃に科挙制度に疑問を抱 き、科挙の道を離れ、独学で学問をし、1902年に演説社を創立。改良 主義的な立場から社会改革を訴え、同時期にその地方ではじめての女学校 を創設した。1904年に来日、孫文の影響を受け、中国同盟会に加入。
1906年に帰国し、テロリストとして李準暗殺を首謀し、爆弾を作るが 、自爆。左手を失う。投獄され、獄中で仏教の影響を受けると共に、排満 民族主義の傾向を持つ論文を出版する。1909年に釈放され、1910 年には支那暗殺団を組織。1911年12月に解散。翌年アナキストに思 想転向し、エスペラント学校設立。個人道徳の修練団体、心社結成。翌年 、無政府共産主義の宣伝紙「民声」創刊。誌上で孫文や社会党を批判する 。1914年に無政府共産主義同志社を結成するも、翌年3月に死去。
著者が序章で「本書の目標とするところは、師復という人物の全体像を 時代状況の中で再現することでもあるが、それと同時に、思想全体の受け 手でもありまた送り手でもある彼の思想的営みを追うことを通じて、近代 中国におけるアナキズムの「受容−展開−継承(変容)」の過程をも明ら かにすることでもある。」と述べているように、師復以前の第一世代の思 想内容・それを師復がどのように受け継ぎ、どのように否定したのか・そ して師復以後の世代の葛藤と闘争についても述べられている。
読みやすく、内容もしっかりしているため、戦前中国アナキズムの入門 書としては格好のものだろう。一章終わる毎に「まとめ」(そのようには 書いていないが)があるのはさすがは大学の先生といったところか。 (森川莫人)
「夜の果ての旅」(セリーヌ、中公文庫 1989年)
- 暗い、徹底した人間不信の中にセリーヌのアナキズムはある。あまりにも人間の欺瞞をあばきすぎ、後年反ユダヤ主義におちいり不遇な人生を終えるセリーヌだが、この小説にはまた違う希望もあると思う。 (K)
「蝿の王」(ウィリアム・ゴールディング、新潮文庫 1975年)
- 「オバQ王国」を思い出したのだ。この「蝿の王」が明らかに少年漂流記物を下敷きにしたことは間違いなく、ルーツを同じくする両書が相似することに不思議はない。だが、「蝿の王」はノスタルジーのかけらもないハードな作品である。戦争の魔手を逃れんとして、結果無人島に囚われた少年たちは、大人たちも争いもない楽園に住まうはずだった。しかし、そこに現出したのは、島外の世界と同様、人間というものが抱えている根源的な暗黒が、少年たちにも例外なく浸食していく様である。理性・理知の無力、もたげる獣性、恐怖の発生。蝿の王の正体とは果たして何であったのか・・・後は一読されよ。
「オバQ王国」においても、オバQたちが、大人たちや大人たちの作るルールにうんざりして、南海のとある島に、子供たちの楽園を作ろうと試みるのだが、オバQ王の独裁から、クーデタが勃発し、大騒乱となりやがて崩壊を迎えてしまうというストーリーである。子供たちだけの王国という甘美な夢ははかなく崩れる。これもまた違った形の蝿の王と読める。 (N)
「悪霊」(ドストエフスキィ 江川卓/訳 新潮文庫 1971年)
- 19世紀後半ロシアのとある都市、メフィストフェレス的煽動家ヴェルホーヴェンスキーは、現実世界のすべてに軽蔑的な貴公子スタヴローギンと共に、無政府主義の陰謀組織を結成する……。ロシア・アナキズム史に陰惨な名を残す、いわば100年前の連合赤軍(或いはオウム)事件である「ネチャーエフ事件」をモデルにした小説。
古典と思って読んだら、論壇クラブの不毛ぶり、反体制ポーズを気取って若者の味方ヅラする文化人の醜悪な姿だとか、今日においても全然リアルだったりする。この「反動的」文学作品を越えられるようでなけりゃアナキストとしてはまだまだ甘い! 作中の、自殺という手段によってのみ実存を得ようとする虚無主義者スタヴローギンとキリーロフの姿は、アナキズムの極北であるとともに、『完全自殺マニュアル』世代を先取ったとも言うべきだろう。また、年老いた1848年革命のリベラル派世代と、無軌道なニヒリズムに走る1860年代の若者達の対比は、今日に当てはめれば、牧歌的な戦後民主主義の全共闘・ヒッピー世代と、裕福でありながら鬼畜系文化だのカルト宗教だの猟奇犯罪だのに耽溺する荒んだ現代の若者の対比になぞらえる事ができるかも知れない、というのはうがち過ぎだろうか?
結局はロシア・キリスト教への献身的信仰に行き着いてしまったドストエフスキィだが、彼の唱えた西欧近代理性主義への懐疑は今も有効。近代ロシアの姿は、西欧に立ち後れた専制的な農業国として近代日本の姿と相似だ。はじめ西欧近代志向に流れつつ、挫折して土着的志向に「転向」してゆく、という知識人の典型像も日露双方よく似てるしね。 (佐藤<人民の敵>賢二)
「くっすん大黒」「夫婦茶碗」(町田康 文藝春秋 1997年)
- ご存じパンクロッカー町田町蔵こと町田康の小説代表作。ロクに働きもせず、いいかげんに生きてる「人間の屑」を堂々と主人公に描いた作品である。貧乏と痴話喧嘩ばっかの結構悲惨な話でもあるはずなのだが、読後感が湿っぽくなることは決してない。世捨て人となることを怖れない覚悟と、奇妙な明るいニヒリズムが、この「ダメ人間小説」にからっとした味わいを与えている。
戦後の豊かさが飽和状態に達した現代、理屈をつけて社会に参加せずいい加減に生きるのは、実はかつての時代に比べれば結構簡単なことだ。実際、20代30代になってなお親元住まい無職なんて青年男女は今や少なくない。しかし、凡百のそういった甘えた自己正当化の輩と町田のスタンスが根本から異なるのは何だろうか? 町田の小説の主人公たちも虫のいい言葉を口にするが、町田自身は徹底して、おおよそ繊細ぶって同情を買う類の態度を拒否している。「ボクは弱いからこんな世の中じゃ生きられない」などとふぬけた事は決して言わない「その通り、俺はダメ人間だ、文句あっか!」というスタンスなのだ。 諸君、これこそが実存パンクって奴だぜ! (佐藤<人民の敵>賢二)
「シブミ」(トレヴェニアン 菊池光訳 早川書房 1980年)
- 主人公は、ロシア・ドイツ混血で上海生まれ。孤児となって、日本の軍人と囲碁名人に、囲碁を通して「シブミ」の極意を学ぶ。終戦直後、日本である事件をキッカケにフリーランスの殺し屋に。こう書くと「ゴルゴ13」みたいだね。
外人が説明する「禅」や「武士道」は、日本人の眼から見ると妙なものも多いけど、この本の「シブミ」もやはり外人による理解の域を出ないかもしれない。だがそれだけに、かえって多くのことを考えさせられる。今の日本人はそれ以下ではないのか。よき日本文化など遠の昔に絶滅してしまっている事実に、日本人自身が気付いていないのではないか。
主人公は「日本の伝統的な生活様式や倫理観がアメリカニズムによってひどく<堕落>しているのを知って日本を離れ」、二度と日本には戻らず、バスクの山奥にひっそり住んでいる。この本はアクションエンタテイメントとしても第一級の作品だが、考証もしっかりなされていて細部にもいいかげんな部分がない。日本・アメリカ・バスクの比較文化論としても十分に面白く読める。
CIAに代表されるアメリカニズムを徹底的にバカにしているのも痛快。 (T)
トルストイ民話集 イワンのばか他八篇(トルストイ著、中村白葉訳、岩波文庫)
- イワンは馬鹿だ。そのイワンが、悪魔の悪巧みで、一国を収めることになってしまった。王様のくせに、野良仕事。なぜなら、「王様だって食わなくちゃならんよ。」(p.39)大臣に払う金もなく、誰も勤めをしなくなりそうになると、「勤めなくなればそれでもいい、みんなにはその方が働くのに自由だろう。」(p.39)民衆が泥棒にあったと訴えに来ると、「そうか、よしよし!つまり入り用だったのだろう。」(p.39)悪魔にそそのかされ徴兵制をひくが、それに困惑した百姓が、「(兵隊に)出なければイワン王様がきっと死刑になさる」(p.48)ということの真偽を確かめに来ると、「どうしてたったひとりのわしにおまえたちを残らず死刑にするなんてことができるかね?」(p.48)当然、イワンの国には金などない。悪魔が金をばらまいても綺麗な石程度の認識しか民衆は持っていない。イワンの国にある唯一の制度は、手にたこのできている人は食卓につく資格があるが、手にたこのないものは、人の残りものを食わねばならない、というものだ。
本書にはその他八篇の民話が載っているが、余りにもキリスト教の説教くさくて我慢がならないものもある。個人的なお勧めは、表題「イワンのばかとそのふたりの兄弟」・「鶏の卵ほどの穀物」・「三人の隠者」だ。\460なり。 (M)
「蟹工船、一九二八・三・一」(小林多喜二著、岩波文庫)
- プロレタリア文学というと、とかく共産党との関連でしか見なされず、敬遠されることが多いが、この本はもっと一般的な抑圧された側の叛逆という観点から見て優れていると思う。この著者も特高によって虐殺されてしまった。 (M)