問題無い・番外編
 
 

 天界より遣わされし1番目の使者が、2番目の使者と共にこの世界に現れたその翌年、

 魔界より遣わされし3人目の少年も、まるで彼らに導かれたかのようにこの世に生を受けた。
 
 
 
 
 

第B話 シンジ 保育
 
 

 セカンドインパクトが発生した3年後、箱根にある人工進化研究所という、

 国連直轄の機関へと続く、山間には不釣り合いな程に整備された道を、

 ゆっくりとした足取りで黙々と歩く1人の男性が居た。

 頭髪の中にかなり白いものが目立つようになってきたその男性は、

 カーキ色のスーツを身に纏い、細いダークグリーンのネクタイをしめている。

 セカンドインパクト以降、四季というものが無くなってしまい、

 代わりに”夏”が1年中続くようになっていたこの日本の平地においては、

 殆ど毎日のように夏日が続く事になり、この男性のようにきっちりとした服装をしていた場合、

 汗まみれになってしまうのが普通なのだが、

 細面で学者然としたその男の額には一筋の汗も浮かんではいない。

 尤もこれは、元々高所に存在しているこの地の気温がそれ程高くはないせいだろう。

 実際この箱根は、徳川の時代より天下の険としてその名が知れ渡っており、

 軽井沢には及ばないものの、1部の富裕層が別荘を構え、避暑地としている場所でもあるのだ。
 
 

 中年から老齢の域に差し掛かりつつあるその男性の名は 「冬月 コウゾウ」 と言い、

 セカンドインパクトが発生する迄は京○大学の教授を務めていた程の人物である。

 大学に居た当時は生物学においてその道の権威と迄詠われていた冬月であったが、

 セカンドインパクトの後に全地球を覆う事となった疫病の蔓延に彼は矢も楯もたまらず、

 その地位をあっさりと投げ捨てると、

 1人の医者として人々を救うためにその身を投じる事にしたのである。

 そうは言うものの彼の専攻は生物学であり、当然医師免許を保持していた訳では無いのだが、

 何しろあの人類史上最大の大災害の直後である。

 人手不足はどの分野においても深刻であり、まして病人と怪我人が巷に蔓延している昨今は、

 高度な知識と能力を要求される医者という職業は、とりわけその傾向が顕著であった。
 

 冬月は愛知県豊橋市跡の港に打ち捨てられた1隻のジャンク船の船内に、

 なけなしの私財を投じて必要最低限の医療器具を揃えて開業したのだが、

 その生活はわすが1年余りで終息の時を迎える事になる。

 これは彼が元々無免許のヤブ医者であり、お客が寄りつかなくなったというような事では無く、

 生物学者として高名を博していた彼の力を借りたいとの申し出があったからなのである。

 人類史上最大の被害をもたらしたセカンドインパクトの発生から2年近くが経由し、

 各国の政治経済が立ち直りの兆しをみせたこの時期、ようやく重い腰を上げた国連は、

 その原因を探るため、発生の中心源である南極に調査隊を送る事にしたのだが、

 その調査員の1人として、彼にも随行して貰えないかと打診したのだ。

 尤も、冬月本人としては最初はこの話しを断るつもりであったのだが、

 彼の元を訪ねてきた若い男の物言いにより、

 自分には選択の余地が無い事を知らされるのである。
 

「今頃南極行きかね?」

「国連理事会の正式な事件調査です。暫定的な組織ですが、
 ここでモグリの医者をやっているよりは、世の中のお役に立てると考えますが?
 ・・・・・冬月教授!」

「元、教授だよ!」

 その持って回った言い様が気に入らなかったのだろう、冬月は男の間違いを即座に訂正すると、

 手渡された調査員のリストに目を走らせるのだが、そこにはまだ彼の名前はない。

 ・・男の言う通り、名簿に名を連ねてセカンドインパクトの原因究明にあたるべきか?

 ・・それともごく普通の一般市民を救う、しがない町医者であり続けるか?

 研究者として、はたまた”人として”、本当ならば大いに迷って然るべき所である。

 だが、この”依頼”という形をとっている”命令”を拒否すれば、

 恐らく医師法違反とやらですぐさま手が後ろに回る事になるだろう。 

 そのため、冬月としては甚だ不本意ながら、男の要請を受け入れる事しか出来なかったのだが、

 屈服したという事を素直には言いたくなかったせいか、

 了承の言葉は極端に間接的なものとなるのであった。

「ところで私の欄が空白だが、推薦したのは誰だね?」
 
 
 
 
 

 そして冬月は南極の調査へと出発した訳だが、この旅は彼にとって、

 いやな事、つらい事のみを喚起させる、実に陰鬱なものとなるのである。

 出来る事ならもう2度と顔を見たくないと思っていた、

「六分儀 ゲンドウ」 という男と再開したのがまずその始まりで、

 次にかつての自分のゼミのマドンナの1人であり、彼自身もほのかな思いを抱いていた、

「碇 ユイ」 という女性とその男とが結婚し、「碇 ゲンドウ」

 に名前が代わった事を知らされるカードを渡された事でそれは決定的になるのである。

 しかもそんな冬月に対し、セカンドインパクト発生地におけるただ1人の生き残り、

「葛城 ミサト」 という14歳の少女の存在が更に追い打ちをかけるのである。

 案内役の男の言葉を借りれば”地獄を見た”せいか、もう”2年近くも口を開いていない”という、

 自分にとって旧知の関係にあった葛城博士の娘さんだというその哀れな少女を、

 調査船の隔離施設の格子窓越しに見た事で、痛惜の念を感じる冬月であった。
 
 

 しかし結果的に、この南極での調査は冬月に1つの決意を促す事になるのである。

 調査の終了後、国連はセカンドインパクトの原因を、『南極への大質量隕石の落下によるもの』

 と、正式に発表したのだが、実際に現場において調査にあたっていた冬月には、

 それがあからさまに情報操作されたものである事がわかっていたし、

 隠された真実の裏に、ゼーレ、そしてキールという人物が見え隠れしていた事から、

 彼はあの事件の闇の真相を知りたくなり、その究明に自身の全勢力をぶつけるのである。

 そして今日、彼はあちこちにばら蒔かれていたジグソーのピースをかき集める事に成功し、

 その原画を書き上げた関係者の1人と思われる碇 ゲンドウの元へ、

 復刻なったパズルを鑑定して貰うためにやってきたのである。

 恐らくこれは本物に間違いなく、ゲンドウもそれを肯定せざるを得ないだろう。
 

 ただ残念な事に、冬月は1つ勘違いを起こしていたのである。

 それは出来上がったこの絵が、完成されたものだと思いこんでいたために、

 セカンドインパクトに関する全ての情景が映し出されている物と錯覚してしまったのだ。

 確かに今彼の手元にあるものを総合すれば、それだけで充分価値のある、

 立派な物である事も間違いないのだが、実はこの絵はまだ続きがあり、

 それらを含めた複数点が一同に揃う事によって更にその価値を増す、絵巻物であったのだ。

 その事を知らなかった冬月は、この後自分が糾弾しに行った筈の人物によって、

 禁断の実を味わされてしまう事となるのである。
 
 

 右手に黒いアタッシュケースを携えた冬月が、建物の入り口に差し掛かった所、

 逆にその建物から出てきた1人の若い女性が居た。

 紫のシャツに白衣を纏ったその女性こそが、誰あろうかつての彼の教え子の1人であり、

 今はこの研究所の所長をしている人物の妻である、碇 ユイその人である。

 それ迄バインダーに綴られた書類に目を走らせていたユイであったが、

 冬月の存在に気がつくと速やかにそれを下に下ろし、

 かつての恩師に対する礼儀として、自分の方から挨拶の言葉を送り出す。
 

「お久しぶりです」

「ああ、暫く」

 恐らく誰しもが好感を持つであろうユイの言葉であったが、

 冬月は彼女も事件の当事者の1人であると確信していたので、

 ただ反射的にそれだけの言葉を口にすると、

 そのまま彼女の方を1度として見ようとせず、その左脇を通過していく。

 そんな堅苦しい冬月の様子にユイも気がついたようである。

 彼が自分の脇に差し掛かる迄は好意的な視線を投げかけていた彼女であったのだが、

 何の反応も示さず建物の中へと消えていく男の背を追いかける彼女の視線は、

 いつしかとまどいに満ちたものへと変わっていた。
 
 
 
 
 

 息子であるシンジをこの世に送り出した後、2年程産休をとって、

 一生懸命にその世話を続けていたユイが研究所の方に戻る事になったのは、

 シンジが2歳になって以前に比べるとそれ程手間がかからなくなったせいもあるが、

 それ以上に夫であるゲンドウの意向が強く働いたためであった。

 これは赤木ナオコ博士や惣流キョウコと共に東方の三賢者と呼ばれる事になった、

 彼女の聡明な頭脳をゲンドウが欲した事もあるが、むしろそれ以上に、

 彼女を息子であるシンジの側から引き離したいという考えから来たものである。
 

 つきあっていた頃から、シンジが産まれる迄の新婚の間。

 人に好かれるのは苦手だが疎まれるのには慣れていたゲンドウが、

 ユイから与えられた実に甘い刺激は、官能を根底から揺り動かされるような

 これ迄に味わった事のないものであった。

 そしてそれは、ゲンドウにとって最早それなくしては生きていく事すらかなわない、

 1種の協力な麻薬と同等の力を持つ迄に昇華を遂げていたのだ。

 ところがシンジが産まれてからというもの、ユイは愛しい自分の分身の世話にかかりきりとなり、

 夫である自分はあまり、どころか殆ど省みられる事がなくなってしまっていた事に加え、

 シンジのユイとゲンドウに対するなつき具合の違いが更にそれに輪をかける事となるのである。
 

 今からではとても想像できないが、当時のシンジはいつも母親の後をとことことついていく、

 実に人なつっこい、それでいて泣き虫な子供であり、ユイとしては片時も眼を離せなかった。

 ところが何故か、このシンジが父親であるゲンドウが側に居る際には、

 決して泣き声をあげなかったのである。

 ユイはそんなシンジの事を、

『もう〜〜、シンちゃんたら私と一緒に居る時は泣いてばっかりなのに、
 ゲンちゃんが側にくるとピタッと泣き止むんだから。そんなにパパの方が好きなのかしら?』

 などというふうに考えていたのだが、真実は全く逆であり、

 その事を1番良くわかっているのは、彼女の夫であり、シンジのパパであるゲンドウであった。

 何故かこの息子はこの世に生を受けた数時間後、初めての対面を果たしたその時から、

 父親の自分を敵意に満ちた眼差しで睨み付けた(少なくともゲンドウにはそう見えた)のである。

 以来息子は自分の前で泣いた顔を見せた事は1度として無いのである。

 それ迄どれだれ勢い良く声を張り上げ、それこそ滝のように涙を流していたとしても、

 父親の姿をチラッとでも見かけた途端に泣き止んでしまう。

 そう、シンジは母親を巡る永遠のライバルとして、

 ゲンドウにだけは泣いている顔を決して見せまいとしていたのだが、

 その反面、父親がおらずユイが側に居る場合は非常に良く泣いていた。

 つまりシンジにとって、”泣く”という事は母親の情愛を懸命に引き出そうとする、

 最良にして唯一の手段だったのである。

 しかし何故シンジはそんなに迄して母親の愛を受け取ろうとしたのだろうか?

 もしかしたら彼は感じ取っていたのかもしれない。

 後何年かしたら母親が自分の前から居なくなってしまう事を。
 
 

 とまあ、当時の碇家の様子は上記のような状態になる訳だが、

『何とかユイとシンジを引き離したい』 という、大人げない嫉妬心に囚われていたゲンドウは、

 前述の理由も合わせユイに再び研究所に戻るように懸命の説得を行ったのである。

 代々続く由緒正しい家柄の出身であるユイは、割と古風な価値観の持ち主であり、

 殊にシンジが誕生した後は、妻として、そして母として碇家を守っていく事を1番大事な事とし、

 一旦は完全に研究から身を引いていたのだ。

 しかしゲンドウからの度重なる要請と、これも先に述べたがシンジに対する手間が、

 あまりかからなくなった事もあり、ついに現場への復帰を決める事となるのだが、

 本当の理由が父親の息子に対する嫉妬とは・・・・ 露程も感じていないユイであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 冬月がゲンドウの元を訪れてから数日後の休日、

 研究所にほど近い芦の湖畔の風光明媚な一角に、彼と碇 ユイ母子の姿があった。

 陽光は湖面に反射してキラキラと眩いばかりに輝き、湖を吹き抜ける風は、

 3人に向けて何とも言い難い気持ち良さを運んできている。

 他人が見たら親子3代が仲良く散歩している中でふと立ち止まり、

 家族やその他の事に関して楽しく語らっている。恐らくそう見えた事だろう。

 それ程この3人の周りを流れている時間は穏やかで、実に良く風景に馴染んでおり、

 まるでセカンドインパクトが発生した事が嘘のようである。
 

 だが、そんな夢のような時間にいつ迄も浸っている訳にもいかないので、

 冬月は意を決すると話し始めるのだが、やはり一遍にこの雰囲気を壊すのは、

 忍びなかったのだろう、最初に彼の口をついて出たのは実に当たり障りの無い、

 昨今の気象に関する事柄であった。

「今日も変わらぬ日々か・・・ この国から秋が消えたのは寂しい限りだよ。
 ゼーレの持つ裏死海文書、そのシナリオのままだと十数年後に必ずサードインパクトが起こる」

「最後の悲劇を起こさないための組織。それがゼーレとゲヒルンですわ」

「私は君の考えに賛同する。ゼーレではないよ」

「冬月先生、あの封印を世界に解くのは大変危険です」

「資料は全て碇に渡してある。個人で出来る事ではないからね」

 冬月はそこ迄話した段階で一旦言葉を切ると、それ迄湖面を見つめていた視線を、

 自分の右斜め後方で息子のシンジを相手しているユイへと移動させると、

 ジーンズ地のミニスカートから漏れ出た彼女の健康的な太股が飛び込んできた。

 別段意識していた訳ではなくとも、普通そういった魅惑的なモノが眼に入ってきたら、

 大抵の男の場合、ついついそれに引き込まれてしまうものなのだが、

 照れ隠しなのか、それとももう枯れてしまったのか(オイ!) は知らないが、

 冬月は全く執着する様子も見せず、続きの言葉を口にする。
 

「この前のような真似はしないよ。それと何となく警告も受けている。
 あの連中が私を消すのは造作も無いようだ」

「生き残った人々もです。簡単なんですよ人を滅ぼすのは」

「だからといって、君が被験者になる事もあるまい」

「全ては流れのままにですわ。私はそのためにゼーレに居るのですから。
 シンジのためにも」

 今迄息子の相手をするためにしゃがんでいたユイであったが、

 そう言いながらシンジを抱きかかえて立ち上がる。

 まるで達観してしまった感のあるその口調から察するに、

 何とかして彼女を危険から遠ざけたいと思った冬月の意向もどうやら通じなかったようである。

 シンジの手によって顔をペチペチと叩かれているユイの表情は、

 穏やかでいて、それでいて凛とした趣がある・・・ 母としての強さというものを感じさせる。

 黙ってその横顔を見続ける事しか出来ない冬月。

 最終的に彼は人工進化研究所に勤務する事を選択するのだが、

 恐らくそれはゲンドウに誘われたからではなく、

 自分の力を少しでもこの女性のために役立てたいと考えたからなのだろう。
 

「ところで冬月先生、今晩の予定はどうなっています?」

「うん? 別にとりたてて用事がある訳ではない。まあ・・ いつも通り1人寂しく過ごすよ」

「でしたら家へいらっしゃいませんか? せっかくこうして再会出来たんですもの、
 それに、まだまだ先生とは話したい事もいっぱいありますし」

「君の家へかね?」

「ええ。きっとゲンちゃんも先生の事は歓迎してくれると思いますわ」

 せっかくのユイからのお誘いにも関わらず、冬月はちょっと考え込んでしまう。

 今や人妻となってしまった彼女からは、

 以前の初々しさをあまり感じとる事は出来なくなってしまっていたのだが、

 その分、学生時代にはさほど感じられなかった、

 色気というものが、大分醸しだされるようになってきている。

 そんな事もあって、冬月としても本当なら2つ返事で引き受けたい所なのだが、

 生憎、ユイの家を訪れるという事は、当然彼女のかたわらに居る、

 ゲンドウとも顔を合わせるという事であり、ついつい2の足を踏んでしまう。

「先生! 遠慮は無用ですよ。是非いらしてください」

「わかった。じゃあすまないが、お邪魔させて貰うよ」

「はい、お待ちしております」

 ユイの念押しによって、やはり最後は押し切られてしまう冬月。

 やはり彼女の魅力に比べたら、ゲンドウの嫌らしさなど敵ではないようであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ただいま、帰りました・・」

お帰りなさーい

 仕事を終え、愛しい妻と小憎らしい息子の待つマイホームへとたどり着いたゲンドウは、

 いつもと同じに疲労感を滲ませた口調で夫が帰宅した旨を告げる。

 とはいえ、人工進化研究所の中でも、所長である彼はろくすっぽ仕事らしい仕事はしておらず、

 はっきり言って疲れを感じるという事は全く無い筈なのだが、

 何故かユイより遅く帰宅した際にはなるべく疲労しているようにふるまっているのだ。

 これはシンジにかまいっきりのユイを、なるべく自分の方に向かせようという、

 実に稚拙な、しかし同じ男としては納得出来る面もある作戦なのだが、

 あまりうまくいったためしがない。

 今日も今日とて、妻は疲れきって帰宅した筈の夫を玄関迄迎えにくる事もなく、

 ただキッチンの方から型通りの返事を返しただけである。

 多少失望感を味わうゲンドウであったが、いつまでも玄関に居ても仕方がないので、

 一旦自分達の部屋に入ってクローゼットから着替えを取り出すと、

 それを小脇に抱え風呂場へと向かおうとするのだが、

 その途中においてリビングを通りかかった際、そこに居た先客から声をかけられる。

「やあ、お邪魔させて貰っているよ」

 突然現れたイレギュラーの存在に、思わず目を丸くするゲンドウ。

 一応彼が家長を務めている碇家においては、シンジという五月蠅い存在は居るものの、

 そんなものは妻であるユイの笑顔に比べたら、何程のものでもなかったのである。

 但しそれは、自分とユイ、そしてシンジという3人だけの空間での出来事であり、

 そこに新たにもう1人が加わるとなるとどのようになるのか?

 少なくとも現状より事態が好転する事はあり得ないだろう。

 そう確信したゲンドウは、この招かれざる客に一刻も早く退散願うべく、

 むすっとした表情を浮かべると、その老齢に差し掛かった人物を睨み付けるのであった。
 

『何故お前がここにいる』

 ゲンドウの事を良く知っている研究所の所員達が、そんなあからさまな表情を向けられた場合、

 普通であれば尻尾を巻いてすごすごと退散する所なのだが、

 セカンドインパクトの前から、より正確に言うならユイとゲンドウがつき合い始めた頃から、

 彼の事を知っていた冬月は、別段怯む事なく割と涼しい顔でそれを平然と受け流す。

 一方ゲンドウは自分の思惑がうまくいかなかった事で一層その表情を険しくし、

 今度は確実にその侵入者を撃退するために、先程自分が思った事をはっきりと、

 それでいて、妻には聞こえない程度の小声で口にしようとするのだが、

 その寸前、それ迄キッチンに居たユイが、両手で大きなお盆を抱えながら、

 リビングへとやってきたため、未遂に終わってしまう事になるのだった。
 

 ユイの持っていたお盆の上には、おそらく良く冷えているのだろう、

 表面に満遍なく汗を掻いた瓶のビールと、やはり表面の曇っている小振りのビールグラス、

 それと酒の肴の定番ともいうべき冷や奴に刺身、鶏の唐揚げなんかが乗っていて、

 その芳しき香りが鼻孔を刺激し、更には一層の空腹感を呼び覚ます。

 それもあってか、ゲンドウはそれ迄冬月に向けていた注意をそちらに取られる事になり、

 結果として妻であるユイの動きに見とれてしまう事になる。

 そんなゲンドウの様子に気づいた訳ではないが、

 ユイはリビングに敷かれたセンターラグの上に一旦膝を下ろすと、

 ビールとつまみをテーブルの上に載せながら突っ立ったままの夫に声をかける。

「ゲンちゃん」

「はい!」

「いつまでそうしてるつもり、早い所お風呂に入ってきたら」

「わ、わかったよ、ユイ」

 そう答えると大人しくバスへと向かうゲンドウ。

 殆ど妻の言いなりになっているゲンドウの姿に、かなりのギャップを感じつつも、

 夫を見事に操縦しているユイの姿には心中密かに喝采を送る冬月であった。
 
 

 やがて湯から上がったゲンドウがリビングへと戻ってきた時、

 そこにはソファーにゆったりと腰を下ろし、楽しく談笑するユイと冬月、

 そしてユイの膝の上にちょこんと座っているシンジの3人の姿があった。

 2人の間では仲々会話がはずんでいるようで、舌の通りも滑らかになっているせいだろうか、

 どうやら冬月のビールはもう既に3本目に入っているらしい、

 尤もユイがご相伴に預かっている所を見ると、実質的には互いに2本目になるようだが。

「あら、随分お早いようですけど・・ 湯加減はどうでした?」

問題無い

 ユイからの問いかけにそう答えるゲンドウであったが、本当の所、

 彼はシャワーを浴びたのみで、湯船にその身を浸す事はなかったのである。

 普段は割と長湯のゲンドウが、カラスの行水よりもとっとと早く入浴を終わらせたのは、

 言う迄も無いだろうが冬月の事が気にかかったからである。

 いったい何故あの男が自分とユイとのスゥィートホームに姿を見せたのか、

 この時点でまだ冬月からの協力の意を取り付けていなかったゲンドウには、

 その真意を読みとる事が出来てはいなかったのだ。

 そのために、最初はとっとと招かれざる珍客を追い返そうとしたゲンドウだったのだが、

 喩えわずかではあっても考える時間を持てた事で、『この男の出方を伺うべきだ』

 という結論を何とか導き出す事が出来、一刻も早くその話しを聞く事にしたのである。

 ところが、ゲンドウが意を決してリビングに戻って見ると、

 そこでは2人が実に楽しそうに過ごしているではないか。

 更には自慢の妻がヒヒ爺に酌をしているのが気に入らなかったゲンドウは、

 大人げなくも2人の間に割り込んでどっさりと座り込むと、

 余っていたグラスを取り上げ、ユイに向けて無言でそれを差し出す。

 ユイは 『しょうがないわね』 という表情を浮かべつつも夫である自分に対して、

 ビールを注いでくれる・・・・・

 と思っていたゲンドウだったのだが、残念ながらその予測は脆くも外れる事になる。
 

「ちょっとゲンちゃん! お客様に対して失礼でしょう!!」

「ユ、ユイ」

「全くもう。幾つになっても子供なんだから・・・ 申し訳ありません。冬月先生」

「なあに、別に気にしてはいないよ」

 冬月はそう言うと、子供じみた行動を取ったゲンドウに対し、嘲るような視線を浴びせかける。

 それを見たゲンドウは再びカッとなりかかるのだが、さすがに今度はそういう訳にもいかず、

 渋々思い留まるのだが、そんな自分の服を脇の方からクイクイと引っ張る者がいるので、

 そちらに目を向けると、いつのまにかユイの膝の上から床へと降り立っていた息子のシンジが、

 自分の服の裾を掴んでいるのが目に入ってきた。

『いったい、何だ! このガキ』

 喩え声に出す事はなくとも充分その意が汲み取れるゲンドウの表情を、

 普通の子が見たとしたならば例外なく泣き出してしまっていただろう。

 しかしシンジは、先刻の冬月と同じように平気な表情を浮かべたままでそれをやり過ごす・・・

 いや、それだけならまだしも、次の瞬間彼はゲンドウに向けて、

 口の端をほんの少し歪めたニヤッとした笑み、

 そう、『碇スマイル』 を浮かべてみせたのである。

 1度は我慢をしたゲンドウであったが、さすがにこれには堪忍袋の緒が切れたようである。

 勢い良く立ち上がるとシンジに掴みかかろうとするのだが、敵もさる者、

 たどたどしい手つきながらテーブルの上に置いてあるビールに手を伸ばし、

 何とかそれを両手で掴む事に成功する。

 しかしまだ2歳児にはビールの大瓶は重た過ぎたようで、持ち上げる所迄は行かないようだ。
 

 いったい何をしようとしているのだろうか?

 怒りに任せて立ち上がったゲンドウだが、

 そんな息子の仕草についつい引き込まれ、いつしか怒りを忘れてしまう。

 また冬月もシンジの行動の意味を理解する事は出来ず、

 唯一、母親であるユイだけが、息子がやろうとしている事に思い至る。

「シンちゃん! パパにビールを注いであげようとしているのね?」

 ユイの問いかけにシンジがこっくりと頷くと、

 それ迄彼に向けられていた2人の視線が、今度はゲンドウへと注がれていく。

 予想だにしなかった展開にとまどうゲンドウだったが、もう1度大人しくソファーに座り直すと、

 おずおずと右手に持ったコップを息子へと差し出す。

 しかしやっぱりシンジが瓶を持ち上げるのは難しいらしく、

 見かねたユイが息子の両手を支え持って、何とかコップにビールを注ぐ事に成功する。

「ほう、偉いなシンジ君は」

「ホント、お利口さんね、シンちゃん」

 どうやらシンジは見事、ユイと冬月との間で得点を稼ぐ事に成功したようである。

 それにしてもわずか2歳にして、これだけの如才なさを発揮するとは・・・

 実に将来が楽しみな少年である。

 尤も主役の座をすっかり奪われる形となったゲンドウは面白くなかったが、

 まさかそれをあからさまに現す事も出来ないので、

 ひとまずはビールに口をつけると、今一度場の雰囲気を読みにかかる。

 妻のユイにしろ、冬月にしろ、今は完全にシンジに注意が向いているので、

 情勢を述べるならば3対1といった所だろう。

 従ってまたしても息子にちょっかいを出すのは得策ではないと判断したゲンドウは、

 先刻の自分の考えを思い出し、冬月がここに来た意味を探るべく、再び行動を開始する。
 

「ところで冬月先生、突然の来訪は何かこの私に話したい事でもあったんですかな?」

 今回の冬月の行動について、『自分の誘いに対して何かしらの意志表示をしにきた』

 そう推測したゲンドウはそれの裏付けを取ろうとするのだが、

 実はそれは単に彼が深読みし過ぎているだけだという事をあっさりと妻に暴露されてしまう。

「そうじゃないわよゲンちゃん。私が冬月先生をお招きしたの」

「君が?」

「ええ、せっかく数年ぶりでお会い出来たんですから、再会をお祝いしようと思って」

「そうか・・」

 途端に気が抜けてしまうゲンドウ。

 どうやら自分の早とちりだったらしい。

 となると、とっとと退散して欲しい所なのだが、ユイの手前それを言う訳にもいかず、

 仕方なく今日は我慢をする事にしたのだが、喩え本心ではそう思っていても、

 普通の感覚の持ち主であれば、それなりに歓待の意を示す所なのだが、

 根が不器用なゲンドウはそんな事も出来はしないらしい。

 このままであれば、場を何とも言い難い沈黙が支配する所だったのだろうが、

 元々根が明るいユイが、それを打ち壊す提案を2人に投げかける。
 

「それじゃあちょっと遅くなっちゃったけど、全員が揃った事ですし乾杯しましょう」

「うむ、良いね」

「・・・・・」

「じゃ、行きますよ。カンパーイ」

「「カンパーイ」」

 カチン

 打ち突けられる3つのグラス。

 こうして宴はとりあえずその幕を上げたのだが、男2人の間では話す事が何もないので、

 会話が飛び交うのは専ら、ユイと冬月の間だけである。

 まあ別にそれだけならゲンドウとしても今迄何度となく経験して来た事であり、

 別段それを苦痛と思ったり、寂しさを感じた事など1度として無かったのだが、

 いかんせん今日の場合はそう言う訳にはいかなかった。

 まず第一にポジションが悪い、さっき無理矢理割り込んだせいで、

 自分はユイと冬月の間に挟まれる形で座っており、自分の目の前を、

 それも自分を無視して言葉が交わされているというのは、どうにも居心地の良いものではない。

 しかもそれをやっているのが、最愛の妻であるユイときては・・・

 何ともいたたまれなくなってきていたゲンドウであったが、そんな彼の膝を、

 ポンポンと軽く叩く者が居る、見ると息子のシンジがジッと自分を見つめているではないか、
 

『また自分を馬鹿にする気か?』

 日頃の息子の行動原理から疑心暗鬼に囚われるゲンドウであったが、

 なんとシンジは、父親が自分に気づいた事を確認した後、ゆっくりと2回、

”うんうん”と頷いてみせたのである。

 自分の予想を全く裏切る息子の行為にあっけに取られるゲンドウ。

 しかし、妻に見捨てられたような感覚を寸前迄味わっていた彼にとって、

『何にも言うな、僕は全てわかっている』 とでも言いたげな息子からの初めてのアプローチは、

 これ迄ずうっと反発しあってきた反動もあってか、絶大な効果をもたらしたようである。

シンジ、お前・・・・・

 なんだかんだ言ってもこの世でただ1人の血を分けた息子である。

『やっぱり自分の事は良くわかってくれていたんだ』

 感動に打ち震えたゲンドウは、我が子をその胸にかき抱こうとする。

 もしこれが実現していたならば、その後の2人の関係は、

 もっと変わったものになっていたかも知れないが、

 生憎それは寸前に放たれたユイのN2発言によって、叶わぬものとなってしまう。
 

「それで冬月先生、ゲンちゃんのアタシに対するプロポーズの言葉
 何て言ったと思います?」

「プロポーズの言葉かね・・ う〜ん。私自身まだ1度もやった事がないので想像がつかないが、
 定番として、『僕と結婚してください』 といった所かね?」

 突如放たれたとんでもない発言に、ゲンドウはギョッとしてユイの方に向きなおる。

 彼女の顔面はもう完璧に真っ赤になっており、もうすっかり出来上がっているようである。

 酒はまあ人並み程度に嗜むユイであるが、尊敬する冬月と久々に語らう事が出来た事が、

 余程嬉しかったのだろう、今日はいつもの倍以上のペースで酒量が進んだせいで、

 こんな短時間ですっかり酔っぱらってしまったようである。

 そのため、これから先、更に不適当な発言をされるかもしれない事を危惧したゲンドウは、

 何とかそれを抑えたいとは思ったのだが、何しろ相手は自分を”可愛い人”と評した人物である。

 うまく丸め込めるだけの言葉を思いつく事が出来ないで悩んでいるうちに、

 再び彼女の口が開かれる事となってしまう。

「残念ですけどハズレですわ冬月先生! そうですね、ヒントをあげましょう。それは”歴史”です」

「”歴史”かね?」

「ええ、歴史ですわ」

 どんどんとエスカレートしていくユイの様子に、ゲンドウは益々焦りを感じる事となり、

 尚一層対策を立てる事が困難になってしまう。

 他方、冬月はというと、いくらヒントを貰ったからとは言っても、それが単に”歴史”だけでは、

 あまりにも漠然としすぎていて、仲々答を纏める事が出来ないでいる。

 しかし根が真面目な彼としては、喩えそれが酔っぱらいの戯言だとしても、

 真剣に考える事しか出来ず、頭の中で色々な語句を思い描いては、

 それを打ち消すといった作業を何度となく繰り返していく。
 

「遥かな人類の歴史の中で、君と私とが出会ったのは偶然じゃない、2人は結ばれる運命なんだ」 

 そんなロマンチストじゃないな・・・

「歴史上で1番可愛い君に相応しいのは、歴史上で1番格好いいこの私だ」

 この男は結構リアリストだからな、自分の容姿がどの程度であるかは良く理解しているだろう・・

「結婚してくれないと、俺の歴史はこれで終わってしまう事になる。どうか俺を助けてくれ」

 可能性としては、何となくこれが1番高そうだな・・ 良し、これでいってみるか。

 そう冬月が決断し、その事をユイに向かって告げようとした時の事である。

 それ迄ゲンドウの側に居たシンジが、とことこと自分の所迄移動してきたため、

 冬月は一瞬それに気をとられ、発言を寸前で取り止める。

 そんな冬月に対し、シンジは次の瞬間、『碇スマイル』 を浮かべると、

 ついで何を思ったのか、手を後ろの方に回すと、やや偉そうにふんぞり返る。

 どこかで見た事のあるポーズに冬月が思念を巡らすと、まだわずか2歳の幼児の姿に、

 父親であるゲンドウの影がオーバーラップしてきて、どうにも違和感を感じてしまう。

 何故なら冬月は、シンジの性格は父親譲りだが、

 逆に外見は母親譲りだと感じていたからなのである。

 似ても似つかない筈の息子から父親の事をイメージするなど、本来有り得ない話しなのだが、

 事実は事実として謙虚に受け止められる資質を有している冬月は、

 何故そのように感じたのかを確かめるために、もう1度シンジの事を注視する。

 するとふいに、彼の胸中にゲンドウの放った言葉が浮かび上がってきた。
 

俺と一緒に人類の新たな歴史を作らないか

「ピンポン、ピンポーン」

「!?」

「スゴーイ! 流石は冬月先生!!
 一言一句たりとも間違っていない、完璧な正解ですわ!!!」

 ユイは尊敬の眼差しでかつての自分の恩師を見つめるのだが、それに比べて、

 賛辞を受けて然るべきの冬月の方はというと、何とも気の抜けたような表情を浮かべている。

「正解者の冬月先生には、ゲンちゃん秘蔵のとっておきの1本をプレゼントしま〜す。
 ちょっと待っててくださいね」

 ユイは元気良くそう言い放つと、その勢いのままリビングを出ていこうとするのだが、

 そんな彼女の意志とは裏腹に、どうやらもうアルコールが足の方に迄来始めているらしく、

 その足取りはフラフラとしており、何とも頼りないものになっている。

 それでもどこにぶつかる事も無くユイがリビングを去った後、

 残された2人の男達の間に、どうにも表現のしようのない、不思議な空気が横たわる。

 お互い、何か言いたい事があるのだが言えないでいる。

 決して破る事が難しくはないと思われた沈黙だったが、

 それをしたのはやはり、アドバンテージを握っている冬月の方だった。

「碇、お前という男は・・・ 以外とボギャブラリーが貧困なんだな」

「さすが冬月教授、まさかあの事に気づくとは・・・ 文学部に転向なさったらどうです」

 冬月からの指摘をそう言ってあしらおうとするゲンドウなのだが、

 やはりそこにはある程度の恥ずかしさが見え隠れしているようで、

 結果的に更なる追撃を許してしまう事になる。

「碇、お前に一言だけ言っておこう」

「何でしょうか? 冬月教授」

「確かに私はこの年でも独身だが、それは決して変な趣味があるからじゃない。
 それに・・ ユイ君が知ったら悲しむぞ」

「な・・・ 馬鹿な! 俺がお前に言ったのは決してそんな意味ではない」

「加えてシンジ君の事はどうするつもりなんだ。可哀想だろう、こんな可愛い子を」

「だから、俺にはそんな趣味はないといってるだろうが」

「どんな趣味がないんですって」

「「ユイ(君)」」

 なんか段々と変な方向へと話しが進んで行きかねない所だったのだが、

 寸前でユイが戻ってきた事により、男達は彼女の方に気をとられてしまい、

 話しそのものも中断してしまう事になる。

 ホッと安堵の息を漏らすゲンドウ。

 しかしそれ以上に、

 ジジイとオヤジの修羅場をこれ以上書かなくて済むのかと思うと、安心する作者であった。

(気持ち悪い!)
 

「何か怪しいわね〜、まさか男2人して、『あのう〜ご趣味は』 何てやってたんじゃないでしょうね」

「ユ、ユイ〜」

 何とも情けない声を出すゲンドウを見た冬月は、自分の得点を上げるために、

 以前ユイに向けていた温和な教育者の表情を作ると、

 彼女の誤解? を解くための説明を開始する。

「ははは、そんな事がある訳ないじゃないかユイ君」

「まあ、私にとっては学問そのものが趣味みたいなものだったからね、
 それ以外に趣味といっても特に無い。というような話しをしていたんだよ」

「ふう〜ん。そうなのゲンちゃん?」

「あ、ああ。冬月教授の言う通りだ」

 元より酔っぱらっていたユイの言葉はほぼ9割方冗談だったので、

 夫のこの言葉の後、彼女は大人しくその矛を収めるのだが、どうした訳か冬月は、

 表情を多少厳しいものに改めゲンドウの言葉が誤っている事を指摘する。
 

「元、教授だよ! 私は。それに明日からは新しい肩書きがつくからもうそれも必要なくなる。
 そうじゃないかね、碇 ゲンドウ所長! それにE計画責任者、碇 ユイ博士」 

「冬月・・・」

「先生・・・」

 決意に満ちた冬月の表情に、暫くの間見とれるユイとゲンドウ。

 酒宴はこの後も長々と続き、結局この日、冬月は碇邸に泊まっていく事になる。
 
 

 人工進化研究所を吸収したゲヒルンは、最終的に特務機関ネルフへと変貌するのだが、

 その組織体制が実質的に出来上がった記念すべき夜であった。

 ・・・・・・・・・・但し、そのメインスタッフのうち、2名の者がネルフの名を聞く事は無かったが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 そして人類にとって大いなる転換点となる2004年のその日。

 何故かシンジは朝から泣きじゃくっていた。

 いつもであればゲンドウの姿を見かけたら泣き止む筈なのだが、

 どういう訳かこの日は全然効き目が無く、

 しかも母親のユイにベッタリ張り付いたままで、決して離れようとはしなかった。

 しかし、元々そのつもりだった彼女はそのまま我が子を研究所へと連れて行くのだが、

 研究所に到着した後もシンジの涙は全く留まる所を知らなかった。

 さりとてこのままでは実験に支障をきたすので、ユイは可哀想だとは思ったものの、

 シンジを自分から無理矢理引き離すとゲンドウに託す事にする。

 ところがどうした事であろうか、今の今迄あれ程激しく泣いていたシンジが、

 その身をゲンドウに預けられるや否や、文字通りピタッと泣き止んだのである。

 家にいた時分では効果が無かったものが、

 何故かここに来たらいつもの状態に戻ったのであろうか?

 訝しむユイであったが、それ以上に母親としての自信を喪失していく。

 まあ無理もないだろう。自分がどんなに頑張っても泣き止んでくれない息子が、

 父親に関わる度に泣き止むのをこう毎度毎度見せつけられては。

 尤もこれはユイの勘違いであり、シンジの本心は別の所にあるのだが、

 まだ片言しか話せない3歳児が、自分の意志を全て伝えようとしてもそれは無理な話しであり、

 結局最後の最後迄、母と子の意志が完全に通じる事はなかった。
 

 ゲンドウに抱き留められた後、暫くは大人しくしていたシンジであったが、

 ユイが部屋を出ていった途端、父親の腕の中から飛び出すと、

 これから母親が乗り込む筈の初号機を見下ろす事の出来る窓にピッタリと張り付く。

 やがて母親を今1度その視界に収める事が出来たシンジは、

 瞬き1つせず、彼女の姿をジッと眺めつづける。
 

 その様子はまるで・・・・・

 これから消え行く母の姿を、自分の網膜にしっかりと焼き付けようとしているかのようである。
 
 

 生誕からわずか3年、「碇 ゲンドウ」 と 「碇 シンジ」、

 父と子のライバル関係はこのすぐ後に休止するのであった。
 
 
 
 
 

 天界より遣わされし1番目の使者と、2番目の使者が現れてから4年が経過したこの時から、

 魔界より遣わされし3人目の少年の、本当の意味での闘いがスタートした。
 
 
 


管理人のコメント
 
 ユイが永遠に消えてしまった日。
 シンジはきっとそのことが判っていたのでしょう。
 なんとも悲しい別れです。
 言葉を操ることが出来ないシンジ。
 泣くことでしか彼女を引き止める術を知らず、しかし結局彼女はエヴァの中へ。
 最後の姿を瞳に焼き付けた3歳のシンジの想いはどうだったのでしょうか。
 
 しかし、プロポーズの言葉には納得です。
 なるほど。さすが業師さん。
 捻りが効いていますね。
 ジジイとオヤジの修羅場。
 読んでみたいような気もしますが、とりあえずやめておきましょう。(笑)
 
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