問題無い・番外編
 
 

 天界より遣わされし1番目の使者と、2番目の使者がこの世界に現れるその前年、

 魔界より遣わされし3人目の少年の、母と父は運命と言う名の螺旋を描き始めた。
 
 
 
 
 

第A話 シンジ 誕生
 
 

 セカンドインパクトが発生する前年、当時まだ季節というものが存在していたこの日本において、

 最もすごしやすい時期と云えた秋の京都、丹後の山中には、

 色鮮やかな紅葉が立ち並び、それを見る人々の目を楽しませ、心を和ませていた。

 今もその登山道の中腹あたりを、1組のカップル、と言うにはいささか不釣り合いな男女が、

 ハイキングのためゆっくりとした足取りで山頂へと向かっている。

 先を行く男性は、壮年からまもなく実年への入り口にさしかかろうかという年齢であり、

 人並みよりほんの少しだけ身長は高そうで、

 顔の方はというと顎のラインがかなり鋭く、細面という形容がピッタリと合う容貌をしている。
 

 一方後ろを行く女性は、まだ20代半ばよりは前、といった感じで、

 前を行く男性とは親子程も年が離れているように見える。

 結構小柄ではあるが、目鼻立ちのはっきりとした、やはり細身で仲々の美女である。

 ただ、欲を言えばもう少し、いやもう2回りくらいその体形に凹凸が欲しい所である。

大きなお世話です!
 

 その彼女が前を行く男性に対し、何か声をかけたかと思うと、

 先行していたその男性は、驚きの口調も露わに後方の女性を振り返った。

「本当かね!?」

「はい。六分儀さんとおつきあいさせて頂いてます」

 固まったまま、しばらく女性の顔をじっくりと眺めている男性に対し、

 女性の方は何がそんなに不思議なのだろうといった感じで、男性の事をキョトンと見返している。

 彼女の口調と表情はごくごく自然な物であり、そこには不審な点は全く感じられないのだが、

 男性はそこに何か別な物を感じ取ったのであろうか?

 まるで教え諭すかのように彼女に声をかけた。
 

「ユイ君!」

「はい、何でしょうか?」

「私の知り合いに、何人か警察の者が居るんだがね、皆優秀でしかも口は堅い」

「はあ」

「だから私を信用して本当の事を言ってくれないかね? いったい彼に何をされたんだ」

「あ、あの冬月先生、いったい何の話しなんでしょうか?」
 

 それ迄はいかにも”のほほん”といった感じだった女性の口調が、

 初めてとまどいといった物に彩られる。

 今更説明するのもなんだが、

 男性の方は京○大学でつい先だって教授へと就任した 「冬月 コウゾウ」 であり、

 女性の方は彼のゼミのマドンナの1人、「碇 ユイ」 後にシンジの母親となる人物である。
 

 人付き合いが割と苦手で、この年になっても今だ独身であった冬月は、

「冬月先生、今度2人でハイキングにでも行きませんか?」

 という、自分の娘程であるユイの誘いに、一も二も無く同意したのである。

 自分としても、『年甲斐が無いな』 とは思ったものの、同じゼミの男子学生から、

 絶大な人気を誇っているユイから名指しで、しかも2人きりというお誘いであれば無理もない。

 例え冬月で無くても、彼女の事を知っている男性がこのような誘いを受けたならば、

 誰しもがパックリと食いついた事であろう。

 そんなワクワクする気持ちを、年の功で抑え込みながら登山道を登っていた冬月に対し、

 ユイは 「六分儀 ゲンドウ」 という男とつき合っていると告白したのである。
 
 
 
 
 

「六分儀 ゲンドウ」 つい先日初めて会った男なのだが、その第一印象は、『イヤな男』 だった。

 どういう理由かはわからなかったのだが、警察に収容されたその男は、

 1度も面識の無い自分を保証人として指名してきたのである。

 その事で警察から電話がかかってきた時、それ迄1度も会った事の無い男だったので、

 一旦は断ろうかも思ったのだが、以前自分の恩師とも言える教授から、

「君は優秀だが、人のつき合いというものを軽く見ているのがいかんな!」

 と言われていた事もあって、『何事も経験だ』 とその役目を引き受ける事にしたのである。
 

 前々から何度かその悪名を伺ってはいたが、京都府警の中で初めて会ったその男は、

 前評判とは裏腹に実に痛々しい姿を晒していた。

 左の頬には、おそらく殴られた時のものであると思われる痣がくっきりと浮かび上がっており、

 ぐるりと包帯が巻かれた右腕は、

 痛さのためか背広に袖を通す事もはばかられる状態のようである。
 

 しかしその姿とは対照的にその男は、全身からふてぶてしい態度、というものを漂わせていた。

 かなりの長身の上に、ギョロッとした目、顎の周辺にかけて不精髭が生えている。

 刑事達の指示や意見にはおとなしく従ってはいるものの、

 まるでその様子は、大手柄を立てて刑務所に収監されたヤクザの組員が、

 1日も早く仮出所の日を迎え娑婆に戻るため、猫を被っているようにしか見えない。
 

 自分を案内してくれた警官が、ゲンドウと面会する前に話してくれた所によると、

 どうも酔っぱらって喧嘩をしたらしい。

 ただ意外な事に、相手の方は殆ど無傷で、彼はむしろ被害者と言えるらしく、

 京○大学の教授である自分が身元引受人として名乗り出ると、

 警察は素直に彼の身柄を引き渡してくれたのである。
 
 
 
 
 

「ある人物からあなたの噂を聞きましてね、1度お会いしたかったんですよ」

「酔って喧嘩とは・・ 意外と安っぽい男だな!」

「話す間もなく一方的に絡まれましてね、
 人に好かれるのは苦手ですが、疎まれるのは慣れています」

 警察署の玄関先迄出てきた所で、急にゲンドウは馴れ馴れしい態度で自分に語りかけてきた。

 やはり先程迄の従順な態度は自分の立場というものをよくわきまえた上での演技だったらしく、

 不遜さを前面に出してきたゲンドウに対し、皮肉と侮蔑を込めた言葉を浴びせたのだが、

 その男は全く動じる事無く、全然言い訳になっていない言葉をさらりと返す。
 

『これ以上こんなろくでもない男と関わりにはなりたくない』

 そう判断し、捨てゼリフを残してその場を離れようと彼に対して背を向け歩き始める。

「まあ、私には関係の無い事だ」

「冬月先生、どうやらアナタは僕が期待した通りの人のようだ」

 ところがどうした訳かその男は、そう言いながら後を尾けるように歩き始めたのだ。

 勿論気持ちの良いものでは無かったが、さりとて追っ払うのも大人げないと感じていたので、

 間を数メートルおいた、男2人の奇妙な行進はしばらくの間続く事になったのである。
 
 
 
 
 

 そんな事があったおかげで、冬月はゲンドウという男に対して、

 すっかり不信感を抱き、嫌悪していたのである。

 そのためユイの口からゲンドウとつき合っているなどという事を聞いた際に、

 てっきり冬月は、ユイが何か弱みを握られて脅されているか、

 あるいわ、今はやりのストーカー行為の被害に遭っていて、

 そして彼女は遠回しにその事で自分に対して救済を求めてきている。

 そう思い込んでしまったのであるが、当然事実とは違う事なので、

 ユイは冬月が何を言っているのか理解が出来なかったのである。
 
 

「いや・・・ だからだな、彼に尾けられたりだとか、
 その・・・・・・ 手荒く扱われたりだとかしてるんじゃないのかね」

 最初の方はともかく、後半の台詞はユイを傷つけてはいけないと、

 慎重に語句を選び、額に汗を掻きながら話す冬月。

 ところがユイの方は、そんな冬月の気遣いを、

『娘を嫁に出す父親の心境なのね』

 などと、いかにも彼女らしい、ボケまくった考えで捉えてしまったため、

 この実直なお父さんを安心させてあげようと、全く的外れな答えを返す。

「大丈夫ですよ! あの人にそんな度胸なんかありませんもの。あれで意外と小心者なんですよ」
 

 今度は冬月の方がユイのこの言葉にあっけにとられてしまった。

 小心者? あの男が小心者? とても信じられない冬月であったが、ユイの様子からは、

 怯えや、無理をしているさまは全然見られない。

 となるとやっばり本当の事なのかもしれないが、どうしても冬月には信じ切れない。

 もう1度ユイに確認しようかとも思ったが、彼女がとても聡明である事も知っていた冬月は、

 とりあえず矛を納める事にし、再び前を向いて歩き始めるのだが、

 それでもついつい正直な感想が口をついて出てしまう。
 

「君があの男と並んで歩くとは・・」

「あら、冬月先生あの人はとても可愛い人なんですよ。みんな知らないだけです」

”美女と野獣”そんな感慨が込められた冬月の言葉であったが、

 ユイの方はそんな冬月の気持ちを知ってか知らずか、さらりとその言葉を受け流す。

 だがユイのその言葉はかえって冬月に混乱をもたらしてしまう。

 可愛い? あの男が可愛い? 今1度後ろを振り返れば、

 自分が大層驚いている事がわかられてしまう事を自覚している冬月は、

 決して歩みを止める事無く、またしても正直な感想を口にする。
 

「知らない方が幸せかもしれんな」

「あの人に紹介した事、ご迷惑でした?」

「いや、面白い男である事は認めるよ、好きにはなれんがね」

 そんな冬月の後ろ姿を眺めながら、ユイはクスッとした笑いを浮かべる。

『冬月先生ったら焼き餅焼いていらっしゃるのね』

 彼女にかかればどんな男でも、そう、あのゲンドウですらも”可愛い人”になってしまう、

 もしかしたらこの世界で最強の存在は、彼女なのかもしれなかった。
 
 
 
 
 

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ

 突如大声を上げて立ち上がった目にも鮮やかな赤毛の美女を、店中の客が注目している。

 イエローのTシャツにブルーのスリムジーンズと、まるで雪国の信号機のようなその女性は、

(雪の多い地方では信号機に雪が積もるのを防ぐため、信号機を縦に設置している)

 ただでさえ注目を集めやすいのに、立ち上がった事で更に余計な好奇の目に晒されてしまう。
 

 染めているのでは無く、元々その色である髪は、まがいものとは一線どころか、

 三線・四線ぐらいの格差があるし、目鼻立ちのはっきりした掘りの深い容貌、

 皮膚はまるで博多人形を思い起こさせるように白く、そして艶がある。

 文句無しに 「横綱」 と言えるプロポーションは、あのマリリン・モンローよりは、

 ほんの少しだけ小振りだが、モンローやミロのヴィーナスと同じ、

 女体が最も美しく見えるという黄金比を形成している。
 

 服の上からでも、酔客達の目を存分に楽しませてくれていた彼女だが、

 そのかたわらに座っていた女性の方がかえって恥ずかしくなったようで、

 もしかしたら酔っているせいかもしれないが、

 顔をほんのり赤らめながら、彼女を諫める言葉をやんわりと口にする。

「ほらキョウコ、みんな見てるじゃない。恥ずかしいから座りなさいよ」
 

 言われた赤毛の美女が店内をぐるりと見回すと、それ迄彼女を注視していた男どもが、

 慌てて眼を逸らしていくのがわかる。

 尤も彼女の場合は、見られる事に快感を覚えるタイプだったので、

(オイ!)

 意気地なしの男達に、むしろ不満を覚えた程だったのだが、隣の女性の言に従って、

 まずはおとなしく席へと腰を下ろす。
 

 普通女性の2人連れの場合、片方が美人で有れば、もう片方は顔の造作が不自由で、

 野郎2人とつるむ事になった場合、男の方はどっちがどっちの相手をするかで、

 喧嘩になるのがお約束であるのだが、

 赤毛の隣の女性はそんな事は無く、負けず劣らずといった容姿を備えている、

 こちらは黒髪で小柄な日本的美人のようであった。

 事実先程からこの美女2人組の所には、何人もの男達が入れ替わり立ち替わり、

 一緒に呑まないかとの誘いをかけてきていたのだが、赤毛の方が、

「大事な話しをしている」

 と、えらい剣幕でそういった男どもを追い払うという事を繰り返していたのである。
 
 

 黒髪の女性をよく見てみると、冬月ゼミのマドンナの1人、あの 「碇 ユイ」 その人である。

 そのユイに 「キョウコ」 と呼ばれた赤毛の女性こそが、冬月ゼミのもう1人のマドンナ、

「惣流 キョウコ」 後にアスカの母親となる人物である。

 大学近くのこの居酒屋はリーズナブルな料金で、

 いわゆる”苦学生”達の好評を博してはいたのだが、

 彼女達のような、要するにイイ女がグラスを傾けるのには、かなり場違いな感じを受ける。

 やっばり作者の好みとしては、彼女達、特に赤毛のキョウコさんあたりには、

 シックな黒のナイトドレス(当然胸元は大きく開いている)に身を包み、

 高級パブのカウンターで、ブランデーベースのサイドカーあたりを、1人静かに口にするのが、

 最も映えるシチュエーションだと思うのだが、皆様はどう思われるであろうか?

(いつもの事ながら、イイ加減にせんか! このスケベオヤジが!!)
 

「止めなよユイ! 何もあんな男選ばなくたって、ユイだったらよりどりみどりじゃないの!!」

「人の彼氏を掴まえて、いくらなんでも”あんな男”って事はないでしょ、
 それにアナタやみんなにはわからないけどああ見えて結構可愛い所があるんだから」

 自分の担当教授で、年輩の男性である冬月の時には、割とあっさり受け流したユイであったが、

 同性で同年齢の親友キョウコから言われた事は、さすがにムッとしたようで、

 やや、感情の入り交じった声で彼女に対して反論する。

 さっきからこの2人が何をしていたのかというと、前述の言葉からもわかる通り、

 ユイが現在つき合っているという、男性の事について話しをしていたのだ。
 

 キョウコがそれ迄聞いていたその男の噂は、芳しく無い、というよりは、

 はっきり言って悪いものばかりだったのである。

 しかもどういう訳かその男と、無二の親友であるユイがつきあい始めたという、

 愚にもつかない悪い冗談(の筈だった)が、学内に流れ出したため、

 キョウコは事の真偽を確かめるために、ユイを呑みにへと誘い出したのである。

 当初のキョウコの予定では、彼女からの確認をユイがあっさりと否定した後、

 それを肴に2人で盛り上がるつもりだったのだが、

 実際にはユイはキョウコの質問をあっさりと、ただし肯定してしまったのである。

 そこで冒頭のキョウコの驚きの台詞へと繋がるのだが、

 嘘が大嫌いなユイがはっきりとゲンドウの事を認めているのにも関わらず、

 今だキョウコは半信半疑の状態であった。
 

「可愛いって・・・ 誰が?」

「決まってるでしょ、ゲンちゃんよ」

「ゲンちゃんて・・・・・・・      まさかとは思うけど、誰?」

「もう、ゲンちゃんって言ったら、六分儀 ゲンドウの事に決まってるでしょ」

(ユイさん以外誰も言わんぞ!)
 

 ユイを見るキョウコの視線が、さっき迄とはまるで変わってしまっている。

 何というか・・ まるで哀れみを覚えるような目つきでユイの事を眺めるキョウコ。

 その体も何となく引き気味のように感じられる。

 ユイの方も、そんな親友の様子が変な事には気づいていたが、言葉を発しようとする前に、

 突然親友の大きく開かれた左の掌が目の前に突き出されてきて、

 そのタイミングを逸してしまう。
 

 一方キョウコの方はというと、ユイに対して左の掌を突き出したまま、

 右手にジョッキを握りしめると、まだ3分の2は残っていたであろうか、

 そこに注がれている生ビールを一気に喉へと流し込み始めた。

「ングッ ングッ ングッ ングッ ングッ ングッ ングッ ングッ ングッ ングッ
 プハーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」

 後年のミサトもかくや、という見事な飲みっぷりであるが、

 キョウコは空になったジョッキを勢い良くテーブルの上にドンと降ろすと、

 それ迄掲げていた左手を降ろし、ユイの方にキッと向き直った。

 その厳しい表情に気圧される物を感じたユイであったが、

 次の瞬間に親友の口から語られた言葉は、実に意外な物であった。
 

「わかったわユイ! もう私は何も言わない」

「わかってくれたのね!! キョウコ」

「ええ、アナタの好きにすれば良いわ」

「ありがとう、キョウコ」

 やっぱり1番の親友だ。他の誰もが・・・・・

 いや、自分しか気づく事の無かったあのゲンドウの魅力を、やっぱり彼女はわかってくれた。

 そう感激し、多少眼を潤ませているユイの耳に、更に嬉しい響きが届いてくる。

「そうと決まれば親友の前途を祝福して、もう1度乾杯しなくちゃねっ・・ て、
 ビールが無いじゃないの! おネーさーん。ビールビール」
 
 

 やがて並々と注がれたキョウコのジョッキと、まだ殆ど減っていないユイのジョッキが、

 再びカチンと音を立てる。

「「カンパ〜イ」」

 親友のキョウコに認めてもらえたのがよっぽど嬉しかったのか、

 ユイはいつもよりも多めのビールを1回に喉に流し込んだのだが、

 それでも彼女がジョッキを置いた時点では、まだキョウコの方はジョッキに口をつけたままだった。
 

 カタン

 やがてキョウコがジョッキを置くのを見計らったユイから、今度はキョウコに対して声がかかる。

「ね〜キョウコ」

「何よ、ユイ?」

「アナタにも良い人が出来たら真っ先に私に教えてね!
 今度は私がアナタのために乾杯してあげる」

「ハイハイ、その時を楽しみにしてるわよ」

「キットよ」

「わかったわよ」
 

 実に幸せそうな表情を浮かべているユイに対して、どういう訳か、

 今し方その彼女を祝ってやったキョウコは浮かない顔をしている。

 やっぱりああは言ったものの、内心ではゲンドウの事を認めたくは無かったのであろうか?

『ユイ・・・・・ 前々からアンタの感性はどっかズレてると思ってたけど・・・・
 でもまさかコモドドラゴン(あんな男)を可愛いと言うとは思わなかったわ、ご愁傷さま』

 キョウコからはとんでもないように思われているゲンドウであった。
 
 
 
 
 

 冬月とキョウコ、自分が最も尊敬する人物と、信頼する人物とにゲンドウの事を認めて貰えた、

(と勘違いしている)ユイのそれからの行動は実に迅速であった。

 元々彼女は、学者になるのと同等以上に結婚願望が強かったので、

 いくらゲンドウが渋ろうとも、全く意に介する事無く、当然彼の予定や意見など全く無視して、

 強引に自分の両親に引き合わせる事を決定してしまったのである。

 ゲンドウの方は普段、”のほほん”と言うのを絵に描いたようなユイに、

 これだけの行動力が有るとは思いもよらず、気がついた時にはという、

 古ぼけた木の表札が貼り付けてある、大きな木造の門構えを持つ旧家の前に立たされていた。
 

「ほら、行くわよゲンちゃん!」

 自分が何故、今この場所に立っているのかも理解出来ないまま、

 屋敷へと入って行くと言うよりは、まるでユイに首輪を付けられたかの如くの動きを示すゲンドウ。

 その姿はまるで、屠殺場へと引かれていく子牛のようであり、

 遠くから哀しいドナドナの唄が聞こえていた。

(あのな〜)
 
 

「お帰りなさい、ユイお嬢さん」

「ただいま」

 玄関へと向かう途中のユイに声をかけたのは、ハウスキーパーというよりは、

”家政婦さん”というのがしっくりくるような、かなり年輩の女性であった。

 といっても彼女の場合は、紹介所から臨時に派遣されて、

 その家の秘密を色々見て歩くような事は無い。

(コラコラ)

 この家にずっと古くから住み込みで働いていて、

 ユイもそのオシメを変えて貰ったという、すっかり馴染みの存在の女性である。
 

「ちょっとアンタ、どうしてこんな所に居るの?
 ここはアンタみたいなチンピラが顔を出すような所じゃ無いのよ!」

「い、いや、私はだな・・・」

「全く、門が開いてたからって勝手に入り込むなんて、とっとと出て行きなさい」

 ユイの後を離れてとぼとぼとついてくるゲンドウの姿を見つけるなり、

 どういう訳かその家政婦は、もの凄い剣幕でいきなり食ってかかったのであるが、

 まあ無理もあるまい。

 この時のゲンドウは髭こそ生やしていなかったものの、ギョロッとした眼を上目使いにしながら、

 周りをキョトキョトと落ち着かない様子で眺めており、元々のその胡乱な雰囲気と合わせて、

 例え家政婦でなくても、どう見てもチンピラかコソ泥にしか見えなかっただろう。
 

 その勢いに圧倒されたゲンドウは、自分の主張を披露する間もなく、

 屋敷から追い出されそうになるのだが、慌ててユイが間に割って入る。

「ち、違うのよ、彼が・・・・」

「お嬢さん。何も心配する事は有りませんよ、全部この私に任せてくれれば良いんです」

 しかし家政婦はそんなユイの言葉にも耳を貸す事無く、

 この家に奉公する自分の使命感に燃え、なおもゲンドウの放逐に力を注ぐ。

「今日はユイお嬢さんが大切な男性を連れてくるという大事な日なんですからね、
 ほら、今のうちなら眼をつぶってあげるから、早くしないと本当に警察を呼ぶわよ」

「す、すまなかった。それではこれで失礼する」

 もうすっかり家政婦の勢いに飲み込まれてしまったゲンドウであったが、実は内心ホッとしながら、

 今来た道を戻るため門の方に向かおうときびすを返した所で、彼に対してユイから声がかかる。
 

「ちょっとゲンちゃん! どこへ行くつもりなの!?」

 行くも地獄、戻るも地獄、とはこの事であろうか。

 家政婦という前門の狼と、ユイという後門の虎に睨みつけられたゲンドウは、

 まるっきり身動きが取れない状態になってしまうのだが、

 意外にも彼に対して救いの手を差し伸べたのは、

 後門の虎・ユイではなくて、前門の狼・家政婦の方であった。
 

「ちょっと待って下さいよ、ユイお嬢さん。ゲンちゃん・・ て」

「彼の名前よ、六分儀 ゲンドウって言うの」

「するとお嬢さんが言っていた男性って、もしかして・・・・」

「彼の事よ!」

「・・・・・・・・・」

 家政婦はしばしの間呆然としていたが、やがて立ち直ると、

 ゲンドウの事を頭の天辺から足のつま先迄、くまなくジロジロと眺め渡す。

『この男がユイお嬢さんのお相手?』

 到底信じられないが、昔っからユイは嘘が大嫌いだったので、

 間違いはないのだろうが、それにしても・・・・・
 

「わかりました。どうやら私が勘違いしていたようですね。スイマセンでした」

「わかってくれれば良いのよ。しばらくお世話になりますから、ほら、ゲンちゃんも」

「あ、ああ・・ お世話になります」

「いえいえ、先程は大変失礼致しました。
 こちらこそユイお嬢さんがいつもお世話になっております。ゆっくりしていって下さいね」

 ユイにせっつかれ、ゲンドウは家政婦の女性に挨拶をするのだが、

 それはいかにも渋々といった感じで、全く心がこもっていない。

 というよりこの時のゲンドウは全く思いも寄らぬ展開の前に、

 すっかりその思考は停止していたのである。

 しかしその女性は全く気にした様子もなく、むしろ彼らを労うような言葉を口にしたのであった。
 

「じゃ、ゲンちゃん行きましょう! それじゃまた後で」

 そう家政婦に挨拶すると、ゲンドウを従えて母屋へと向かうユイ。

 その後ろを、まるで鉛の靴を履いてでもいるかのような足取りでついていくゲンドウ。

 2人が居なくなり、1人中庭に取り残される形となった家政婦は、一際大きな溜息をつく。

「まさかユイお嬢さんがあんな男を選ぶなんて・・・・・
 でも考えてみればお嬢さんは子供の頃から、鼠や蜘蛛や蛇といったものが大好きだったものね」

 言っちゃあ何だが、どうもユイの趣味の悪さは筋金入りのようであった。
 
 
 
 
 

 ゲンドウとユイの家族との対面を無事? 終わらせた2人は、

 色々紆余曲折は有ったものの、翌年ウェディング・ベルを鳴らす事が決定する。

(ゲンドウの両親は早くに亡くなっていたため、ユイが彼の家族に会う事は無かった)

 ユイの希望としては、尊敬する冬月あたりに仲人を努めて貰いたかったのだが、

 何分彼は独身であったため、残念ながらその資格は無く、結局ユイの親戚筋から、

 結構な肩書きを持っている人物が選ばれて、その任に当たる事になった。
 

 しかし残念ながら、この2人の結婚式が実現する事はついに無かったのである。

 理由は・・・ 言う迄も無いだろう。セカンドインパクトの勃発である。

 特にゲンドウは前日迄、発生元である南極で調査に当たっていたため、

 その安否が気遣われていたのだが、無事で有る事が確認されると、

 あわよくばゲンドウになりかわって自分がユイと、

 と都合の良い事を考えていた、彼の事を良く知る男どもは皆一様に、

「悪運の強い奴め!」

 と、吐き捨てたという。
 

 ともあれ。結婚式そのものは中止になったものの、

 2人は新居を購入し、嬉し恥ずかし、新婚生活を始める事になるのであるが、

 何分にも非常に厳しいご時世とあって、その暮らしぶりは蜜月とは程遠いものであった。

 おまけに夫はアレである。

 うさんくささを絵に描いたようなゲンドウは、近隣との挨拶すら満足に出来ず、

 引っ越していった当初は、その関係が段々と悪化に向かって行っていたのだが、

 ユイは懸命にゲンドウの操縦を行い、更に持ち前の明るさとボケ? をいかして、

 近所の奥さん連中とも打ち解けていき、次第に彼女は人気者になっていった。
 

 そんなある日、彼女の元に思いがけない来客がやって来た。

 無二の親友、惣流キョウコである。

 しかも彼女は、かたわらに仲々ハンサムな男性を伴っていたのである。

 アメリカ人だと言うその男性は、ユイの目から見て、どうもキョウコとは釣り合わないように見えた。

 と言ってもそれは、かつてユイとゲンドウとの間柄をキョウコが評価したのとは異なり、

 何となくキョウコの存在は、その男性にとって重荷になるように感じられたのである。
 

 親友であるという点を差し引き、贔屓目無しで見たとしても、キョウコが科学者としては勿論、

 女性としても、人間としても優秀である事は疑う余地の無い物である。

 それに比べて、そのラングレーというらしい男性は、いかにも平凡で物足りなさを感じさせる。

 しかし他ならぬキョウコ自身が選んだ男性である。

 表面には現れない、どこかしら良い所を持っているのだろうと、

 ユイは彼の事を好意的に受け止める事にし、かつて親友が自分に対してそうであったように、

 快く? 2人の事を祝福する事にしたのである。
 

 そしてかねてからの約束通り、この夜2人は夫と夫となるべき男を放り出し、

 独身時代に戻って楽しいお酒を酌み交わす事になるのだが、

 その最初の乾杯の音頭を執ったのは、勿論ユイの方であった。
 
 

 キョウコとその夫となる人物がドイツに旅だった後、

 2人の事以上にユイを喜ばせる出来事が有った。

 そう・・ おめでた、である。

 その事を夫であるゲンドウに告げた際には、最初キョトンとしていたものの、

 やがてその意味を理解してくれたらしく、喜びを爆発! というのには程遠いが、

 とりあえず、自分に対して祝福の言葉をかけてくれた。

 曰く。

「おめでとう。ユイ」

 頬をほんの少しだけ赤く染めたその姿は、はたから見る限り不気味以外の何物でもなかったが、

 絞り出すかのように語られたたった一言の言葉に、

 益々ゲンドウの事を可愛いと思ってしまうユイであった。
 

 はっきり言ってゲンドウなんぞとは比べ物にならない程有能で、しかも人気者でもあるユイは、

 いくら妊娠したからといってもおいそれと休みを取る事は出来ず、

 大きなお腹を抱えたまま、懸命に研究に打ち込んでいたのだが、

 さすがに産み月も間近となるとそういう訳にもいかず、

 出産の準備のため、とある産婦人科に入院する事となるのだが、

 まさか、この事が新たなる悲劇の引き金になるとは、誰にも解る筈が無かった。
 

 ユイの初めの計画では、2人揃って病院を訪ねる予定だったのだが、

”産婦人科”という事で、ゲンドウがおもいっきり拒否反応を示したため、

 まずはユイ1人で準備を整えて、入院する事となってしまった。

 まあでも、これは仕方無いだろう。

 例えゲンドウでなくても、男であれば誰でも産婦人科の敷居とは高いものである。

 そうはいっても初めての出産を控えて不安におののく新妻を、

(本当はユイの場合は、全然そんな事は無かったが)

 ずうっと1人ぽっちにしておく訳にはいかないので、数日後にゲンドウは妻の元を訪れるのだが、

 これがそもそもの発端となってしまう。
 

 ゲンドウは、当然の事ながらユイが何号室に居るのかわからなかったため、

 受付で部屋のb聞いてから、彼女の部屋へと向かう。

 部屋の入り口の所に来た時にはさすがに緊張したが、意を決して扉の前に立つと、

 自動ドアが静かな音と共に開いていき、完全に開ききった所でゲンドウは室内に入っていく。

 ところがいざ中に入って、室内の様子を見渡してみると、肝心のユイの姿が見あたらない。
 

 普通の感覚の持ち主であれば、ユイの夫で有る事を愛想良く名乗った上で、

(愛想の良いゲンドウなんて全く想像できんが)

 妻がどこかに出かけているのかどうかを、尋ねる所なのだろうが、

 例によってゲンドウにそんな事が出来る筈も無く、

 つかつかと一番近くにあったベッドに居た妊婦の所に近寄ると、

 いきなり前口上無しで質問を切り出した。

「ここに碇 ユイという女性が居る筈だがどこに行った?」
 

 ハッキリ言ってヤクザの脅しである。

 まだ母になる前、ある意味女性の一生のうちで、最も庇護を必要とする時期にこれはたまらず、

 その妊婦は怯えたような眼でゲンドウの事を見つめ返すだけで、

 全く言葉を発する事が出来ないでいるようである。

 さすがにゲンドウもその様子には気づいたようで、もう一度部屋の中を見回してみると、

 他の妊婦の女性達は自分の事を不審げに見ているか、

 それとは逆にゲンドウとは眼を合わさないようにしており、

 何人かは枕元にあるスイッチを必至で何回も押している者も居る。
 

 インターホンからは、看護婦が何が起きているのか確認する声が聞こえてくるが、

 それに応答しようとする者は皆無である。

 部屋全体が異様な雰囲気に包まれており、何となくやばそうだと感じ取ったゲンドウは、

 無言のまま部屋を後にするため、入り口へときびすを返すとそこには・・・ 

 肝っ玉母さんというような形容がピッタリくる年輩の看護婦が、

 ゲンドウの行く手を遮るべく立ち塞がっていた。
 

 その落ち着き、そして貫禄からして婦長だと思われるその看護婦は、ゲンドウを相手にしても、

 全くひるむ様子を見せず、正面からどうどうとゲンドウの素性の確認を始めた。

「アナタ、ここにいったい何の用事があるんですか!」

「い、いや私は・・・」

「はっきりしなさいよ、ここに何の用事があるの!?」

 もうすっかり婦長の剣幕に圧倒されているゲンドウであったが、

 それでも何とか自分がここに来た目的を話す事に成功する。
 

「ユイ、そう・・ 碇 ユイの面会にやってきたのだ」

「碇 ユイさん?」

「そうだ。この部屋に居る碇 ユイの面会に来たのだが、本人が不在だったので帰る所だ」

『自分は何らやましい事はしていない』

 かろうじてそういう考えを導きだす事が出来たゲンドウは、そう言って胸を張るのだが、

 次の瞬間、婦長の口から出た言葉により、その主張は根底から覆される事になる。
 

「ここは碇 ユイさんの部屋じゃありませんよ」

「!?」

「怪しいわねアンタ。最近この近くで話題になってる変質者って、やっぱりアンタの事でしょ、
 さっき警察を呼んだから、おとなしくしなさい」

 婦長の言葉に呆然となってしまうゲンドウ。

 受付で確認した際には、間違いなくこの部屋のbセった筈だ。

 それなのに婦長はここにはユイはいないという。

 いったいどうしたら良いのか? 途方に暮れるゲンドウであった。
 

 実は彼がこのような状態に陥ったのには、れっきとした理由がある。

 受付を担当していた職員は、どう見ても怪しい人物としか見えないゲンドウに不審を抱き、

 彼が訪ねたユイに万一の事が有っては大変と、デタラメな部屋b教えたのだ。

 そうして時間を稼いでいる間に警察と連絡を取り、

 またそれと同時にその事を婦長にも告げたのである。
 

 当然の事だが、ゲンドウにはそういった経緯があった事などわかる筈もなかったので、

 この場をどのようにして切り抜けようかと、考えをめぐらすのだが、

 何分突発的な出来事であるため仲々うまい考えが浮かんでこない。

 しかも悪い事にそうこうしているうちに、連絡を受けた警官が2名、到着してしまったようだ。
 

「どうしました?」

「この人どうも挙動が不審なんですよ。おまわりさん、ちょっとこの人を調べて貰えませんか?」

 まずは状況を確認した警官は、婦長の言葉が終了した後、ゲンドウの事を値踏みする。

 目つきの悪い、いかにも怪しそうなゲンドウの出で立ちに、警官達も不審の念を抱いたようで、

 定番である職務質問を開始する。
 

「ちょっといいかね、アナタの名前は?」

「碇 ゲンドウだ」

「ここで何をしていたのかね?」

「わ、私は別に、何も変な事はしていない」

「はいはい、それを調べるのが警察の役目だからね。
 もう1度聞くけどここで何をしていたんだね?」

「別に私は何もしていない。妻のユイの所を訪ねて来ただけだ」

 ここ迄話した所でようやく婦長の表情が 『おや?』 と、いったものに変わる。

 そう言えば名前も碇 ゲンドウと言っていた。

 あの可愛らしいユイさんの夫が、如何にもうさんくさげなこの男だというのだろうか?

 到底信じられない話しだが、事の真偽を確かめなくてはならないと思った婦長が、

 その事を口に出すより早く、それを裏付ける人物が丁度タイミング良く登場する。
 

「あらゲンちゃん、どうしたのこんな所で?」

 全員が声のした方に向き直ると、そこには先程来話題になっていた碇 ユイ本人が、

 大きなお腹を抱えて、ゲンドウを初めとした人々の集まりを、不思議そうな眼で見つめている。

 年の功、と言ったら良いのだろうか、やはり1番最初に我に返った婦長が、

 ユイ本人にゲンドウの事を確認する。
 

「ユイさん!」

「はい、何ですか婦長さん?」

「この人の事を”ゲンちゃん”て呼んだけど、この人っていったい?」

「ええ、私の夫の碇 ゲンドウです」

 ギリギリの土壇場で、ゲンドウがユイの夫である事は認めて貰えたようであるのだが、

 この場にいたユイとゲンドウを除く全員が、最初にユイの顔を見た後、

 ゲンドウの顔を眺めて顔をしかめていき、

 例外なく”信じられない”といった表情をかもし出していった。
 
 
 
 
 

 とまあ、このような騒ぎは有ったのだが、その後はゲンドウが訪ねていっても、

 逆に最初の時、変質者と間違われた事で、丁寧に応対して貰えるようになっていた。

 そしてゲンドウとユイのみならず、人類の命運を左右する運命の2001年6月6日。

 その日は朝からどんよりとした雲が立ちこめ、お昼過ぎには土砂降りの雨とともに、

 大地を轟かす雷鳴がひっきりなしに鳴り響くという、

 あまりといえばあんまりな状況の中で、その赤ん坊はついに産声を上げたのである。
 
 

 その赤ん坊は男の子であったため、以前にゲンドウがユイに対して言っていた子供の名前、

 即ち、男の子であれば、シンジ。女の子であれば、レイ。という案に従って、

 後日、「碇 シンジ」 と命名される事になる。
 

 パッと見、女の子にも見えるその赤ん坊は、かなりユイに似ており、

 出産に立ち会った看護婦達は口々に、

「お母さんに似て、とても可愛らしい赤ちゃんですよ」

 と、ゲンドウとユイに対して言ってくれたのである。

 ユイが喜んだのは勿論の事であるが、中には前述の言葉に続いて、

「良かったわね、パパに似なくて」

 と、思わず本音? を漏らす者もいて、ユイとは対照的にゲンドウの方は不機嫌だったという。
 

 しかし何といっても2人にとって初めての子供である。

 出産直後、この時ばかりは父親の顔になったゲンドウが、ユイに対して労りの言葉をかけてやる。

「ご苦労だったなユイ!」

「ありがとう。ゲンちゃん」

 ベッドに横たわる妻のかたわらには、初めての子が静かに寝息を立てており、

 それを夫がとても満足そうな表情を浮かべて見つめている。

 もしかしたら碇家の親子3人にとって、この時が最も幸福な時間だったのかもしれない。

 しかし、残念ながら至福の時間は長くは続かなかった。

 なぜなら次の瞬間、ユイの傍らに寝かせられていた赤ん坊が、

 突然火がついたように泣き出してしまったのである。
 
 

 出産直後で既に全体力を使い果たしていたユイであったが、

 母親としての本能で赤ん坊をあやしにかかるのだが、一向に泣きやむ気配が無い。

 おっぱいを与えようとしても、受け取る気配は全く無く、おしめも濡れている様子は無い。

 つらそうなユイに代わり、今度は傍らについていた看護婦があやしにかかるのだが、

 やはりそれが収まる気配は感じられず、最早どうしようも無くなった看護婦は、

 もしかしてなんらかの異常がこの赤ん坊に起きているのではないかと思うようになり、

 先生を呼びに行こうとするのだが、その前に最後の望みと、

 赤ん坊を父親であるゲンドウへと託す事にする。
 

 ゲンドウにとって生まれたての赤ん坊を抱くなど、初めての経験だったが、

 何といっても自分とユイの子供である。

 おっかなびっくりではあったが、看護婦からゆっくりと我が子をその腕の中に引き取る。

 するとどうした事だろうか、それ迄何をしても全く効果の無かったその赤ん坊が、

 ゲンドウの腕の中に抱かれた途端、ピタッと泣き止んだのである。

 あっけにとられるゲンドウ。驚くユイと看護婦。

 そしてユイの口から語られた言葉は、

 ゲンドウに父親としての実感をひしひしと感じさせる物となる。
 

「あら、賢い子ね、パパの事がわかるんだわ! 良かったわねゲンちゃん」

「本当ですね、私もびっくりしました」

 相づちを打つ看護婦の言葉に、ゲンドウは相好をくずしながら赤ん坊の顔を覗き込むのだが、

 途端にその表情が、ギョッとしたものに変わっていく。

 何故かその赤ん坊は自分を睨み付けていた(少なくともゲンドウにはそう見えた)のである。

 ところがゲンドウが驚いた事に満足したかのように、

 次の瞬間、赤ん坊は口の端をほんの少し歪めたニヤッとした笑み、

 そう『碇スマイル』を浮かべる。
 
 

 生後わずか数時間、「碇 ゲンドウ」 と 「碇 シンジ」、

 父と子の永遠のライバル関係がスタートした瞬間であった。
 
 
 
 
 

 天界より遣わされし1番目の使者が、2番目の使者と共にこの世界に現れたその翌年、

 魔界より遣わされし3人目の少年も、まるで彼らに導かれたかのようにこの世に生を受けた。