問題無い
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者を、自らの 「妹」 とするための交渉の中で、

 魔界より遣わされし3人目の少年は、母の意志をゲンドウに明かす事となった。
 
 
 
 
 

第12話 シンジ 相談
 
 

「シンジ!」

「何だい? 父さん」

「やはりお前を生かしておいたのは間違いだったようだ」

 ゲンドウはそう言いながら、まるで陽炎のようにゆらっとした感じで立ち上がると、

 懐から銃を取りだし、シンジの額へと狙いを定める。
 

「碇!」

 脇から冬月が何とかたしなめようとするが、尋常でないゲンドウの様子に、

 それ以上声をかけるのをためらってしまう。

 だがシンジの方はというと臆した様子は全く見られず、

 いつもと同様に冷静な口調でゲンドウを問い質す。

「自分が何をしようとしているのかわかっているのかい? 父さん」

「わかっているさ。お前は俺から全てを取り上げようとしているという事がな。
 ユイ、そしてレイ、更にはリツコ君までも・・・」

「よすんだ碇! シンジ君がいないくなってしまったら、
 人類そのものが滅亡してしまうかもしれないんだぞ」

「かまいませんよ。彼女達のいない世界など、私にとっては何の意味も持たないものですからね。
 冬月・・・・ 先生。後を頼みます」

「碇!!」

 ターン。
 
 
 
 
 

イヤーー・・・・

 研究室にリツコの悲鳴が響き渡る。

 ここに取り残される形となっていた彼女は、先程からシンジとゲンドウとの事を、

 色々考えていたのだが、どうも1人でいるとろくな考えが浮かんでこない。

 特に今のなんかは最悪のシナリオだ。

(テメー、いくらなんでもやりすぎだ。マジで問題無いは今回が最終回かと思ったぞ)

 頭を振ってイヤな考えを追い出そうとするリツコだが、そんな彼女の努力とは裏腹に、

 悪い想像が次から次へと頭の中を巡ってきては、彼女の気持ちをどんどんと暗くしていく。
 

『ネルフ司令。愛人を寝取られた事に腹を立て、息子を殺害』

『痴情の果て、ネルフ司令父子を弄んだマッドサイエンティストの愛欲の精算』

『母と父、娘と息子、親子二代に渡る歪んだ三角関係を産み出したネルフの温床とは』

 このような三面記事の大見出しが頭の中をぐるぐると回っていて、

 このままではどうにも耐えられなくなりそうだったが、

 彼女の思考を中断する来客を知らせるチャイムの音が、

 まさにグッドタイミングで研究室へと鳴り響いた。
 
 
 
 
 

 キンコン

「はい。どうぞ」

「失礼します」

 シュッ

 シンジが戻ってきたものと思ったリツコは、チャイムと同時に立ち上がり、

 返事をしながらドアの方へと顔を向けたのだが、

 ドアが開かれる圧縮空気音と同時に研究室に姿を見せたのは、

 彼女の想いとは裏腹に、シンジではなくマヤであったたため、

 落胆の表情も露わにリツコは再び椅子へと腰を下ろしてしまう。

 そんな彼女の、いかにも元気の無さそうな様子に気づき、

 心配になったマヤは、本来の用件を後回しにしてその事を尋ねる事にした。
 

「どうしました先輩。大丈夫ですか? 具合が悪いんでしたら医局までご一緒しましょうか」

「ありがとうマヤ。でも心配しないで、私なら大丈夫よ」

 元々軍隊的色合いが濃いネルフには、本部内に小規模な医院程の医療施設が整えてあり、

 ほんのちょっとした怪我や、一通りの応急手当、そして勿論軽い病気などにも対応可能であり、

 マヤはリツコを心配してそこへの同行を申し出たのであるが、

 決して具合が悪い訳ではなく、その原因も分かっているリツコは、

 そう言ってマヤの心遣いをさりげなく辞退した。

 そして自分は大丈夫だという事をアピールするために、軽い笑みをマヤへと向けたのだが、

 リツコの事を良く知るマヤには、逆にそれが無理しているものとしか見えなかった。
 

 何と言ってもマヤにとって、リツコは遠い憧れの存在であり、

 これまで先輩の歩んで来た道の後をずっと追いかけて来たかいが実って、

 今では彼女の片腕として信頼されている。という自負もある。

 元々元気を全方面に巻き散らかしているミサトとは違い、

 常に冷静で、落ち着いた感のあったリツコであったが、

 シンジがこちらにやってきてからというもの、それ迄の彼女にはなかった 『自然な笑み』、

 というものもよく見せるようになっていたのだが、今の表情はそれ以前の時を思い返してみても、

 思い当たる事のない程、覇気のないものであったのだ。
 
 

「先輩、でも」

「いいのよ。別に具合が悪い訳じゃないの。ただちょっと心配事があって」

「心配事って何ですか? 私なんかじゃ力にはなれないかもしれませんけど、
 それでも一人で悩んでいるよりは、誰かに打ち明けた方がスッキリすると思います。
 是非、私に話してください」

 執拗に食い下がるマヤに、リツコは内心 『しまった』 と思っていた。

 マヤは大学からこっち、ずっと自分と同じルートを辿ってきており、

 ここネルフにおいても自分の片腕的存在としてよく頑張ってくれているし、慕ってもくれている。

 当然普通の人間ならば、そういった人物は大抵可愛く見えてくるものなのであるが、

 潔癖性でやや男性恐怖症の傾向も少しあるマヤの場合は、

 単なる尊敬だけでなく、それ以外の感情も混じっていると感じられる時があり、

 その気の無いリツコがそんな視線を感じると背中を悪寒が走り抜けていくのだ。
 

 ところがここしばらくというもの、要するにシンジがやって来てからなのだが、そんな事もなく、

 安心していたのだが、こうして2人きりになってみると以前と全然変わっていない。

 どうやって話題をかわそうかとリツコが思案していると、そんな彼女の思いが届いたのであろうか、

 チャイムの音が再び研究室に響きわたった。
 
 

 キンコン

「はい。どうぞ、マヤ後でね」

「わかりました」

 リツコは内心 『助かった』 と思いつつも、一応はマヤへの気遣いを見せ、

 マヤも多少不満げながら、来客とあっては仕方ないと、ここは一旦矛を納める。
 

 シュッ

「失礼する」

 どうやら今度こそシンジが研究室へ戻ってきたようである。

 リツコはシンジが無事な様子であるのでホッと安堵の溜息をつくが、

 どこか見えない箇所に銃創や、刃物で刺されたような後がないか、

 頭のてっぺんから足のつま先まで、何度も何度も素早い視線を走らせる。
 

 さすがにその様子は不自然だと感じ取ったのだろう。

 シンジは自分に向けられた奇妙な視線の意味をリツコに尋ねる。

「リツコ、どうかしたのか?」

「いえ、あの、シンジさ・・君どこか怪我とかしてない?」

「別に、問題無い

「良かった」

 意味不明ながらもリツコの問いにキチンと返事を返すシンジの体は、

 当然の事ながらどこにも異常はない。

 はっきりとシンジの口から無事を知らされたリツコは、肩から力が抜けて行くのを感じていたが、

 マヤの存在を思い出し、2人を正式に引き合わせる事にした。
 

「確か直接顔を合わせるのは初めてだったわよね?
 シンジ君、紹介するわ。こちら伊吹マヤ二尉、私の下で色々と手伝ってもらっているの」
 マヤ、あなたはもう知っていると思うけど、碇シンジ君よ」

「シンジだ。よろしく」

「い、伊吹・・ マヤです。よろしくお願いします」

 お互いに自己紹介をする2人だが、シンジはいつもと変わらぬ様子なのに比べ、

 マヤの方からは明らかに緊張の度合いが感じられ、リツコは 『オヤ』 と思ってしまう。

 先程も述べたが、マヤはやや男性恐怖症気味の所があり、

 男性と会話する事が元々得意ではなく、同僚である青葉や日向とも、

 最初のうちは仲々うち解けられなかったのだが、さすがに最近は慣れてきたのだろう。

 3人でふざけあったり、笑ったりしているのをたまに聞く事がある。
 

『けれどもそれは 『慣れ』 が生じたからであって、年下であっても男性はやっぱり苦手なのかも』

 リツコはそのように判断したのだが、残念ながらこの判断を下すのに、

 ある重要なファクターが抜け落ちている事に、神の身ならぬリツコが気づく筈もなかった。

 2人が電話越しにではあるが、”直接言葉をかわした事がある”という事に。

 だがさすがにマヤとの関係が深いリツコは、(別に変な意味では無い)

 マヤが普段とは違う行動をもう一つ取っている事には気づいたようだ。

 青葉や日向とはよく会話するようになったマヤだが、その場合でも決して相手の目を見て、

 要するに相手に対して正面にむきあって話す事はこれまで無かったのだが、

 今初めて向き合ったシンジに対しては、その顔面、いや瞳をしっかりと捉えて離そうとしない。

 はたしてそれが、初対面以来自分に対して馴れ馴れしい態度を取っている、

 この生意気な14歳の少年への反発からなのか? あるいわそれとも・・・
 
 

 リツコが判断に迷っている時、当事者であるマヤも又迷っていた。

 はっきりいって怖い。とてつもなくシンジの事が怖い。

 狂おしい。この身が焼かれん程に狂おしい。

 碇シンジ・・・ いったい彼は何者なんだろう?
 
 

 シンジは3人の中で唯1人平静であった。

 目の前に居る、初対面であるこのマヤと言う女性が見せているような態度は、

 過去何度と無く経験している。

 そのためこういった場合の対処方法を既に完全に習得しているシンジは、

 決して焦ったりするような事は無く、まずは彼女の緊張をほぐしにかかる。
 

「別にとって食おうという訳じゃない、そんなに緊張せずとも大丈夫だ」

(大嘘つきめ!)

 そう言うと彼女に対して、一旦ふっと表情を和らげたシンジにつられるように、

 マヤもその肩の力を抜いていく。

 そしてシンジは緊張感が程良くほぐれた頃合いを見計らって、

 マヤに握手を求めるために右手をスッと前に出す。
 

 しかしそれに対して、マヤはすぐさま手を伸ばす事は出来なかった。

 視線をシンジの顔から右手に移したまま動きが止まってしまうマヤ。

 潔癖性の彼女は、これ迄自分の意志で男性の手を握ろうとした事が、

 1度も無かったからなのであるが、今目の前に有るシンジの右手は華奢で繊細で、

 それ程”男”というものを如実に感じさせるものでは無い。 

 とうとうマヤは意を決して自分の右手をシンジへと預けていくのだが、

 その行為は、自ら罠に飛び込んでいく愚かな子羊そのものであった。
 

 マヤが己の右手を自分に委ねた、ほんの一瞬の間だけ力を込めるシンジ。

 ハッとして再び彼の方を向くマヤに対し、

 シンジはまさに絶妙のタイミングで『碇スマイル』を浮かべて見せる。

 それは獲物の心臓を一撃で打ち抜く、正確かつ強大な破壊力を持っており、

 マヤは手を離すどころか、視線すら動かす事が出来なくなってしまう。

 その全身からは急速に力が抜けて行き、思わずその場にへたりこみそうになるが、

 シンジはまるでそうなる事が初めからわかっていたかのように、またしてもその寸前で手を離す。

 なんとか踏みとどまったマヤを、シンジはいけしゃあしゃあと気遣ってみせる。

「大丈夫か?マヤ」

「え、ええ、大丈夫よシンジ君」

 答えるマヤを満足そうに見つめるシンジ。

 全く焦る必要はない。もう獲物は己の手の内にあるのだ。

 しかし調理するのはまだ早い。何故なら肉は腐る寸前が一番、旨味が出るのだから。
 
 

「マヤ、申し訳ないが先に僕の方の話を進めさせてくれないか? 時間はとらせない」

「はい・・・ わかりました。どうぞ・・ シンジ君、お先に」

 この言葉にハッとしてマヤの所を見つめるリツコ。

 言葉自体はどうという事は無いのだが、その調子に何とも言えない艶っぽさが感じられたのだが、

 案の定マヤは、その瞳の焦点が今やシンジに固定されてしまっていて、そこから動きそうにない。

 心の中で小さなため息をつきながらも、その一方でマヤからは解放されたという事で、

 ちょっぴり安心感も感じているリツコであった。
 

「ありがとう。リツコ、レイの件だが」

「どうでした」

「とりあえずOKはもらった。詳細は・・ そうだな、今晩はマンションの方に戻れそうか?」

「今日は予定が無いから大丈夫よ」

「それじゃその時に、レイも交えて話す事にするよ」

「わかったわ」

 シンジは本当に簡潔にこの場での話を纏め上げると、研究室を辞する事にした。

 勿論その前にマヤに挨拶するのを忘れずに。
 

「じゃ、マヤ僕はこれで」

「もういいんですか?」

「ああ、おかげで助かったよ」

 そう言いながらシンジは、ほんの軽くだけ『碇スマイル』をマヤに振り向けると、

 さっさと研究室を出て行ってしまう。

 残されたマヤは結局何が何だか、ちんぷんかんぷんだったため、

 リツコに話の詳しい内容を問い質す。
 

「先輩。シンジ君の話っていったい何の事だったんですか?」

 マヤの単純な質問に対し、瞬間リツコはどのように返答するべきか思案してしまったが、

 シンジはとりあえずOKをもらったと言っていた事から、いずれは全員に知れ渡る事になる。

 しかしそうは言っても、リツコ自身詳細な内容については、

 今晩シンジから教えてもらうまではわからないので、逆にその事を正直にマヤに伝え、

 事がはっきりとする迄、しばらく待ってもらう事にしたのであった。
 
 
 
 
 

「あれシンちゃん、どうしてこんな所にいるの? 何か忘れ物でもしたの」

 帰りのゲートへと向かっていたシンジは、正面からやってきたミサトと鉢合わせしてしまい、

 質問されてしまう。

 どうも遅番で出勤してきたミサトと、タイミングがピッタリ合ってしまったらしく、

 返ろうとする自分に対し、これから彼女は自分のオフィスに向かうようだ。

「ちょっと父さんに”呼び出された”んでな」

「司令に? いったいどんな用事だったの?」

 興味津々と言った感じでシンジに質問をするミサト。野次馬根性丸出しである。

 それにしてもシンジは何故”呼び出された”という事にしたのだろうか?
 

 これには冬月との交渉が大いに関係している。

 レイを 「妹」 にする事の了解を得られた(無理矢理得た)シンジは、

 全く立ち直る気配を見せないゲンドウに代わって、その後の交渉は、

 冬月との間で色々細部を詰めていったのだが、まず最初に引っかかったのが、

『過去は一切抹消済みのレイが、シンジの妹であった事がどうやってわかったのか』

 という点であり、検討した結果、それ以外の点も含め、

『元々ゲンドウはこの事を知っており、それをシンジに伝えた』 という事で纏まったのである。

 そのため、本当はシンジの方から持ちかけた話だったのだが、

 ゲンドウの方からシンジに対してコンタクトを取ったという形にしたのである。
 

 全ての話を終え、シンジが司令室を出ようとする時になっても、

 ゲンドウは椅子にどっかりと腰を下ろしたまま、動く気配が見られない。

 10年前自分を捨てた男ではあるが、やはり父は父だ。

 とはいえ今の図式で言えば、勝者はシンジであり、ゲンドウは敗者である。

 そして勝者が敗者に対してしてやれる事は何も無いのだ。

 逆にそれを行ってしまえば、かえって残酷な絵図が出来上がってしまう。
 

 シンジはゲンドウではなく、冬月に対してだけ一言声を発すると司令室を退出したのだ。

「冬月・・・・ 先生。後を頼みます」
 
 
 
 
 

「レイの事でちょっとな」

「レイの事? ねーねーいったいどんな事なのよ。お姉さんに教えたーさい」

 シンジは言おうか言うまいか少し考えてしまったが、とりあえず今日の夜レイ本人と話しをして、

 目処をつけた後からにする事にし、この場は何とかごまかす事にした。

「多分話すと長くなると思うんで、明日ミサトが帰ってきたら全部話すよ」

「え〜〜、ん〜〜、ま、しょうがないか。そのかわり約束よ。破ったら2日間、エビちゅ抜きは撤回よ」

「わかったわかった。ところでミサト、もしかして今晩は泊まりか?」

「そうなのよ。という事で私の夕食はいらないから。じゃ〜ね〜」
 

 そう言うとミサトは上機嫌でオフィスへとスタスタ向かってしまい、

 後に残されたシンジは相変わらず脳天気なミサトの様子に、苦笑を浮かべながら、

 自分は本部から退出するため、ゲートへと向かった。

 どっちにも転んでも自分が損をする事のない約束を、あのシンジ相手に取り付けるとは、

 葛城ミサト・・・ ネルフ作戦部長の肩書きは伊達では無いようである。
 

 しかしシンジがミサトに対しレイの事を話さなかったのは正解だったろう。

 リツコとマヤの場合と違い、ミサトがその事実を知ったならば、

 1時間としないうちにネルフ全体に情報が蔓延する事になるのは必死の情勢であり、

 ヘタをしたらシンジが話すより先に、レイの耳に入る事になったかもしれないからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ピンポーン

「はーい」

 シュッ

「いらっしゃい、シンジ様。どうぞ入って下さい」

 シンジが来るのを今や遅しと、殆どドアの前から移動する事無く待っていたリツコは、

 呼び鈴と同時にドアを開け、シンジを中へと招き入れる。

「これ、つまらないものだけど」

「そんな、別に気を使っていただかなくても、申し訳ありません」

問題無い

 そういってシンジがリツコに渡したのは、クッキーやパイなどのお菓子の詰め合わせのようだ。
 

 あの後シンジは本部を出てから、昼間ヒカリに案内された彼女お奨めのお菓子屋に、

 本日2度目の足を運び、これを調達してきたのである。

 勿論多少、気を使ったという事もあるが、元々紅茶の好きな彼は、

 それに見合ったお茶請けにも目がなかったのである。
 

「レイは?」

「リビングにいます。こちらです」

 そう言っていそいそとシンジを案内していくリツコ。とても嬉しそうである。

 現在のリツコのスタイルは、ライトグリーンのポロシャツに、アイボリーのスリムパンツ、

 といったいでたちで、勿論白衣は着ていない。

 いつも本部にいる際のスタイル。特にレザーのタイトスカートとダークブラウンのストッキングを、

 シンジは仲々気に入っており、

(それはお前自身の話しだろう、シンジにかこつけるのは止めろ)

 多少違和感は感じたものの、こういったライト系のラフなスタイルも彼女にはマッチしている。

 結局、美人は何を着ても似合うという事か。
 
 

「やあ、レイ。今晩わ・・」

「今晩わ」

 リツコに連れられリビングへとやって来たシンジだが、レイの服装を見て黙り込んでしまう。

 何故なら彼女は学校の制服のままでいたからである。

 どうして着替えないのだろうか?

 疑問を抱きつつシンジは視線をレイから脇のリツコへと移動させる。

 そんなシンジの問いかけとも言える態度に対し、リツコはバツが悪そうに理由を話し始めた。
 

「その・・レイは制服以外の服を持っていないんです。それで・・
 一緒に買い物に行ってあげられればいいんでしょうけど、私もここの所忙しかったものですから」

 申し訳なさそうに話すリツコの言い分から、大体の事情を察したシンジは、

 こういった点から始めなくてはならないのかと、少し気が重くなるのを感じていたが、

 それとは逆に、やりがいみたいな物も感じていた。
 

「ま、仕方ないさ、リツコは忙しいんだし。
 レイ、今度の休みにでも僕と一緒に服を見に行かないかい」

「制服ならまだ余ってるわ」

「いやそうじゃなくて、普段着る服を見に行こう」

「制服も普段着ているわ」

「う〜んつまり、制服ではなくて私服なんだが」

「どうしてそういう事言うの? 何故制服では駄目なの?」

「駄目って事はないよ。世の中にはそういった趣味に傾倒している人もたくさんいるし」

(オイ!)

「でもやっぱりいつもいっつも同じ制服ばっかりじゃ飽きてしまうし、」
 それに服を替える事により、気分を変える事も出来る。
 何より僕がレイの私服姿を1度見てみたいんだ。きっと似合う筈だから」

 レイは何故か知らぬが顔面が紅潮していくのを感じていた。

 シンジの言い分を完全に納得したわけではないが、ひとまず了承の言葉を口にする。

「わかったわ」

「よし、決まった。時間とかはまた後で連絡するよ」

「良かったわね、レイ。 シンジ様申し訳ありません」

問題無い

 何とかこの場は納まったようであるが、出だしでこの様子では・・・・

 はたしてこの後の本題の時はいったいどうなってしまうのだろうか?
 
 

「ところでシンジ様お食事は? もしまだでしたら私たちとご一緒しませんか?」

「実はその通りなんだが・・ いいのか?」

「ええ、お口に合うかどうかはわかりませんが」

「悪いな。それじゃせっかくだからご馳走になるよ」

「どうぞどうぞ」

 最初からそのつもりではなかったのだが、シンジはせっかくのリツコの好意に甘える事にした。

 ミサトは今晩泊まりだと言うし、いろんな意味でちょうど良いタイミングだったのかもしれない。

 対するリツコは、定刻になると引継もそこそこに本部を出て、色々準備した甲斐があったようで、

『愛する男に自分の手料理を食べてもらえる』 という女のしあわせをしみじみと感じ取っていた。
 
 
 
 
 

 食事の後の後片付けも終了し綺麗になったテーブルの上に、シンジが持ってきたお菓子と、

 リツコの入れたコーヒーが置かれていく。

 シンジとは違いリツコはコーヒー党なので自然こうなったのだが、

 別にコーヒーが嫌いではないシンジはどうという事はないのだが、

 はたしてレイはどんな様子かと気になったのだが、

 彼女もシンジと同様、表情が表に出てくる事が殆どないため、

 実際どのような事を考えているのかを伺い知る事は出来ない。

 だがリツコに促されると、ごく当たり前にカップに口をつけた所を見ると、

 別段問題無いようである。
 

 それを確認したシンジは何となく嬉しくなっていく感じがしていたが、

 すぐさま気持ちを切り替えると、本日訪問した最大の目的である、

 自分にとっても、レイにとっても、将来を大きく左右しかねない重要な話を切り出す事にした。
 
 

「レイ」

「何、碇君」

「実は今日、父さんから君の事について、色々聞かされた事があるんだ」

「碇司令から?」

「ああ、君の出生に関する事とか」

「・・・・・・」
 
 

 シンジの言葉に思わず息を呑むレイ。

 自分がただの人間では無い事はよくわかっていたが、

 これまでその事が表立って問題になった事は無かった。

 当たり前だ。隠してきたのだから。

 この事を知っているのは、ゲンドウ、冬月、そしてリツコ、この3人だけの筈だった。

 しかしこれまで、その事について嘆いたり、悲しんだりした事は1度も無かった。

 自分は人間ではなく、使徒でもなく、その反面人間でも有り、使徒でもある。

 この、どうしても覆す事の出来ない事実についてあれこれ悩むよりも、現実の人間との、

 正確にはゲンドウとの”絆”が彼女にとって、この世で唯一価値を見いだせる物だったのだ。

 尤も、本来生まれてもおかしくなかった彼女とゲンドウ以外の絆を断ち切っていたのは、

 他ならぬゲンドウだったのだが。
 

 だが、そこに変化が訪れた。

 碇シンジ・・・ 碇司令の息子だという少年の出現である。

 何故か知らぬが、彼とは初めて会った時から確固たる”絆”が感じられた。

 生まれて(”産まれて”ではない)初めて、自分から他人に質問をした。

 自分に対して、「仲間だからだ」 と言ってくれた。

 これだけの事が起こったのは、10年間生きてきた彼女にとって、

(1人目の綾波レイからの時間を通算すればだが)当然初めての出来事であった。
 

 しかも変化は自分だけでなくリツコにも及んだのである。

 それ迄ある意味、ゲンドウよりも近い場所に立っていながら、疎遠な関係であった2人であるが、

 シンジの出現に伴い同居するようになり、シンジの歓迎会から帰宅した際には、

「普通の人」 として、ぎこちないながらも温かく自分を迎え入れてくれたのである。

 ここ最近になってようやく感じられるようになってきた幸福感。

 もしかしたらそれが自分の手の中から出て行ってしまうのかもしれないと思うと、

 核心へとまず1歩踏み出したシンジの言葉に、レイは返す言葉を持たなかった。

 しかしシンジは、そんなレイの様子には委細構わず話を続ける。
 

「そこでだ・・・ レイ、唐突だが正式に僕の妹にならないか?」

「何を言うのよ!?」

 瞬間、レイにはシンジが何を言っているのか、理解する事が出来なかった。

 その辺の事は見越していたのか、シンジはもう少しわかりやすいようにと、順序立てて説明する。

「レイ、君は母さんの、碇ユイの遺伝子を持っているんだろう?」

「それは・・・ そうです」

「僕も・・・ 母さんの遺伝子を半分(かどうかは怪しいが)持っている。
 つまり、遺伝上から言えば、間違いなく君と僕は兄妹なんだ」

「兄妹・・・」

「とはいっても、家族や兄妹なんてものは、そんな単純な事だけで決められる物じゃない。
 君には君の生活も有るだろうし、逆に僕の事を認められないという場合もあるだろう。
 だから他の誰かの意見ではなく、君自身が考えてそして結論を出して欲しいんだ」

「兄妹・・・ 同一の親を持つ子息・女の間で、男性が年長で女性が年下の場合の関係を表すもの」

 確かにレイの言うとおりなのかもしれないが、どうやらまだ彼女の混乱は続いているようであり、

 シンジは一旦間をおく事にした。
 

「なあレイ、僕の事は好きか?」

「よくわからない。けど・・・」

「けど?」
 
 

 この少年といると・・・・・・・・・・・・安心出来る。
 
 

 この少年といると・・・・・・・・・・・・懐かしい。
 
 

 この少年といると・・・・・・・・・・・・嬉しい。
 
 

 そうだ自分はこの少年といると嬉しいのだ。

 その事に気づいたレイは、シンジに自分の想いを告げる。

「碇君といると嬉しい」

「それで良いんだよ、レイ。前にも言ったが、知らないものを知りたいと思う気持ち。
 そして、それについて考える事は、人間としてごく自然な事であり、
 また、とても大事な事なんだ」

「碇君」

「先程の件だが、焦ることは無い。自分で考え自分で決めなさい。
 それが出来る限り君は立派な・・・ いや、ごく普通の人間だよ」

 こっくりとうなずくレイの胸の内が、何やら温かい物で満たされていくかたわら、

 それ迄黙って2人の様子を見守っていたリツコは、この碇シンジという少年の持つ、

 度量の大きさというものに触れ、改めて彼に仕える事のできる喜びを噛み締めているのだった。
 
 
 
 
 

「さてと、それじゃそろそろいい時間だし、この辺で失礼するよ」

「あら、もうお帰りになられるんですか? どうせ奥さんは今晩戻られないんですし、」
 せっかくだから泊まって行かれたらどうですか」

「そうもいかんよ、アレは普段のカンはすこぶる鈍いんだが、
 どういう訳か、こういう事に関してだけは信じられない力を発揮するんでな」

「まあ」
 

 冗談めいたリツコの口調に対し、はっきり言って事実である事を冗談として返すシンジ。

 あれからある程度の時間が経過したのだが、この間3人は、

 ネルフの内部の事に関する世間話でそれなりに盛り上がっていたのである。

 レイは会話の中身にこそ突っ込んではいけないものの、

 先程のシンジの言葉に感ずる所があったのだろうか?

 2人の何気ない話しにも真面目に耳を傾け、時には相づちを打ちと、

 はたの2人にもその真剣さがよくわかる程であった。

 しかしさすがにここ迄の話題にはついて行けなかったと見え、

『よくわからない』 と言った表情で2人の会話を聞いているしかなかったようである。
 
 
 
 
 

 シンジを見送るために玄関まで出てきた2人に対し、靴を履き終えたシンジが声をかける。

「遅く迄すまなかったな、リツコ」

「いいえ、とんでもありません」

「レイ、おやすみ」

「おやすみなさい。・・・・・・・・・・・」

 レイが最後、シンジに向けて何か言いたげな様子だったため、

 シンジは次の言葉を発するのをしばし控えていたのだが、

 どうしたのだろう、レイの口から新たな言葉が発せられる事は無かった。
 

「おやすみ、リツコ」

「おやすみなさい。シンジ様」

 レイの言葉をしばらく待ってみたシンジだったが、どうも駄目なようなので、

 あきらめてリツコに挨拶した後、2人のマンションを出て帰宅の途についた。

 いったいレイはシンジに対して何を言いたかったのだろうか、

 結局この場ではわからずじまいだった。
 
 
 
 
 

 ふー

 バスから上がったリツコは、ごく薄いピンク色のバスローブに身を通し、

 濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら自室へ戻るため、リビングを通りかかる。

 するとどういう訳か、リツコより先に入浴を済ませたレイが、白地にオレンジの縦縞で、

 右の胸元には猫のワンポイントマークが織り込んであるパジャマに身を包んで、

 無言のまま椅子に座り込んでいるではないか。

 しかしそのパジャマの袖口と裾の部分が折り返してある所を見ると、

 どうもこれも元々はリツコの物で有ったのを、レイが拝借しているらしい。
 

 実際最初の頃は結構大変だったのだ。

 レイの場合、バスから上がったらそのまま、いわゆる素っ裸のままで部屋まで移動していたので、

 かえってリツコの方が羞恥心を感じていたのである。

 そこから下着、そしてパジャマ、と段々に着用させる事が出来るようになってきたのだが、

 レイは下着を除けば私服は一切持っていなかったので、

 リツコが自分のお気に入りの物を貸与したのである。

 本当は普段着用する衣類についても、リツコはなんとかしてやりたかったのだが、

 先刻シンジに述べた通り、とにかく繁忙な彼女にはその時間が取れなかったのである。
 

 さてレイに戻るが、どうもじっと何かを考え込んでいるようで、

 リツコが通りかかった事にも気づいていないようだ。

「どうしたの? レイ」

「赤木博士」

『赤木博士・・・・ か』

「ねえレイ、私の呼び方だけど、名字じゃなくて名前で呼んで良いわよ。
 試しに1度呼んでみて ”リツコさん” て」

「リツコ・・ さん・・・・ ?」

「そう、それで良いわ。ところでレイ、こんな所でどうしたの? 何か考え事かしら?」

 多少はにかんだ様子でリツコの申し出通り、彼女の事を名前で呼ぶレイ。

 それを受けてリツコは、名前を呼ばれた事を肯定しつつ、

 彼女が1人悩んでいた事の力になれればと思い、レイに対して声をかける。
 

 先程シンジに言われた 『妹になる』 という事で悩んでいるのだろうか?

 リツコは漠然とそんな事を考えていたのだが、レイの思考は彼女が思っているよりも、

 更に1歩進んでいたのであった。
 

「碇君!」

「シンジ様がどうかしたの?」

「何と呼んで良いかわからない」

「どういう事なの?」

「碇君は私の兄、私は碇君の妹、碇君と私は兄妹。
 妹が兄を呼ぶ時、どう呼んで良いのかわからない?」

 リツコはレイの言葉に思わずポカンとしてしまい、

 次の瞬間には 『そんな事もわからないのか』、とも思ったが、

 レイをこの様に育てたのは、語弊はあるかもしれないがゲンドウであり、自分でもある。

 知能はあっても知識の無い少女、綾波レイ。

 この娘を本当の意味での普通の娘にするのが、罪滅ぼしであり、自分の役割でもある。

 そう考えたリツコは、とびっきりの笑顔レイに向けながら、

 彼女の質問に対して、とても優しげな口調で解答を返した。

「そういう時はねレイ、こう言うのよ 「お兄ちゃん」 て」

 シンジが帰る時、レイが言えなかった言葉はこれだったのかもしれない。
 
 
 
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者は、生まれて初めて自らの意志で考え、

 魔界より遣わされし3人目の少年の、「妹」 となる事を決意したのであった。
 
 

                                                         
 
 

 自分を兄として認めるレイの発言に、珍しく取り乱すシンジ。

 絆を深めた2人とヒカリは屋上へと向かうが、その後をつける1人の男がいた。

 ヒカリとシンジは薬漬けと言っても良いレイの食事を懸念し、それぞれ己の弁当を提供する。

 次回 問題無い  第13話 シンジ 昼食

 さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ