問題無い
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者を、自分にとってどういう位置づけにすれば良いのか、

 魔界より遣わされし3人目の少年は、今後判断を迫られる事となった。
 
 
 
 
 

第10話 シンジ 検討
 
 

「多少散らかってるが、まあ上がってくれ」

「お、お邪魔します」

 お昼休みの終わりから続いていた動悸がより一層激しさを増していく。

 何とシンジはいきなり自分を自宅へと招待したのである。
 

 無論、異性の部屋にしかも1人で足を踏み入れる事に抵抗が無かったわけではないが、

 心のほとんどを既に彼によって塗り替えられていた彼女には、

 シンジの言葉はまるで催眠術か何かのように、その心を魅了して止まなかったのである。

 だが、はずむ思いでシンジの家の玄関に足を踏み入れたヒカリだったが、

 その1歩目でそれが急速に縮んでいく物が彼女の目に飛び込んでくる。

 それは綺麗に揃えて置いてある女性用の1足の靴であった。

 シンジが最初に玄関に足を踏み入れた時にはそれぞれあっちの方向を向いていたのを、

 キチンと揃え直したのである。

 ここらへんは意外とマメなシンジであった。
 

『どうしてこんなところにこんな物が? まさか碇君は女性と同棲してるんじゃ・・・・
 不潔よ・・・ 不潔だわ碇君』

 両手で顔を覆い、イヤンイヤンモードに入りそうになったヒカリだが、

 その様子を事前に察知したのか、シンジからの声がそれを阻止する。

「ああ、それは僕の保護者をしている女性の物だ。別に気にする必要はない」

『保護者って、碇君の両親はどうなっているのかしら?
 そういえば私は学校にいる間、碇君の事何にも聞く事が出来なかったじゃない。
 も〜、みんなずるいんだから』

「ヒカリ?」

「え、あ、ううん何でもないの」

 自分の考えにしばし没頭していたヒカリだが、シンジの言葉にすぐさま我に返った。
 
 
 
 
 

「どこでも好きな所に座ってくれ、今お茶を入れる」

 シンジはそう言うとダイニングからキッチンへと向かう。

 残されたヒカリはというと、シンジの事を気遣い何となく気が引けたため、

 シンジが戻ってくるのを立ったままで待っていた。
 

「何だ、別に気を遣う必要はなかったのに。遠慮せずに座ってくれ」

 戻ってきたシンジはヒカリがまだ立ったままなのに気づき、腰を下ろすようヒカリを促す。

 さすがにこう迄言われると、ヒカリ自身別に我を張っていたわけではないので、

 シンジの言葉に従って静かに椅子を引くと腰を下ろした。
 

 シンジが手に持ってきたお盆の上にはティーポットとカップが3客、

 それにお菓子屋で仕入れてきたケーキが3つ乗せられている。

 シンジはまず紅茶をそのうちの2つにだけ注ぐと、1つをヒカリへと差し出す。

「どうぞ」

「いただきます」

「ちょっと待っててくれ、今保護者を連れてくるから」

 シンジはそう言うとミサトの部屋へと向かったのだが、残されたヒカリはというと、

『保護者に会ってくれって、い、碇君、それってまさか、そんな・・・ 私達はまだ中学生なのに
 で、でも碇君だったら私・・・ 全てを・・・ いやだ私ったら不潔よ、不潔』

 両手で顔を覆い、イヤンイヤンモードに入ってしまっていた。
 
 

「ミサト、僕だ。いるんだろ?」

ZZZZZZZZZZ

「おいミサト、お客さんだ。出てきて挨拶しろ」

ZZZZZZ
 

 このマンションの間取りだが共有のスペースはともかくとして、

 各個の部屋はそれぞれ襖で仕切られているという最近にしては珍しい作りとなっているため、

 シンジはノックをせずに、部屋の外からミサトに声を掛けたのだが、

 それに対してのミサトの返事は・・・ ミサトの名誉の為に聞かなかった事にしよう。

(バレバレだって)
 

「しょうがない。せっかくおいしいケーキと”エビちゅ”を用意したんだが、僕が頂いてしまおう」

(何で? ケーキとエビちゅ)

 シンジがそう言い放ってダイニングへ戻るため、きびすを返したその瞬間の事である。

 ガラッ ダンッ

 勢い良く開いた襖のぶつかる音がする。

 思惑通りの展開に『碇スマイル』を浮かべながら、ミサトの部屋を振り返るシンジ。

 だが次の瞬間、たちまち『碇スマイル』は消え失せ、変わりにあきれ果てた表情が浮かぶ。

 あれだけ勢い良く襖を開け放ったミサトだが、その顔は下を向いており、

 しかも両目は閉じられたままで、なんとか立ってはいるものの、

 その体は左右にゆっくりと揺れており、実際は今だ爆睡中といった感じであった。

 それにしてもエビちゅに対する執念の深さがこれ程のものとは、

 葛城ミサト、その野獣の持つ本性をまざまざと見せつけられた今回の出来事であった。

誰が野獣よ、誰が!
 

「おい。ミサト」

「んあ?」

 ようやくシンクロ率が上昇してきたようで、

 シンジの問いかけにようやくミサトが反応を見せ始めるが、

 それはまたまだ鈍く、起動するか・しないか、微妙な程度でしかない。

「ミサト、お客さんが来てるんだ。こっちに来て挨拶しろ」

「ふぁい。わかったわ」

「それからダイニングに来る時だが、寝呆けてそのままの格好で来るんじゃないぞ!
 裸のままじゃ僕の方が恥ずかしいからな」

「ふぁ・・・・・・・・・・・ え!」

 慌てて視線を自分の体へと落とすミサト。

 胸は・・・ ちゃんとタンクトップに覆われている。

 下は・・・ ちゃんとショートパンツを履いている。
 

「ちょっと、シンちゃ・・・・・・ どこが・・・」

 おかしいのかとシンジの方に向き直ったミサトだが、

 つい今の今迄目の前に居たはずのシンジの姿は既に見えなくなってしまっていた。

 どうもさっさとダイニングに戻ってしまったようで、

 からかわれたのだとわかったミサトは当然いきり立ったのだが、既に後の祭りであった。
 
 

「今来ると思うから、もう少し待っててくれ」

「はい、わかりました」

 シンジがダイニングに戻ってきた時には、さすがにヒカリも通常モードに戻っていたが、

 どうもまだ尾を引いているようで、「保護者」 と会うのに緊張しまくっている。

 シンジは妙だなとは思ったものの、自分がいなくなった後のダイニングで、

 ヒカリが何をしていたかなど知る由もなかったので、とりあえずヒカリの向かい側に腰を下ろし、

 ミサトがやって来るのを待つ事にした。
 
 
 
 
 

「ちょっとシンちゃ・・・」

 シンジに対してせめて一言文句を言おうと勢い込んでダイニングへやって来たミサトだったが、

 シンジの向かい側に1人の少女が座っているのを見つけ、その勢いは急速に衰えていった。

「来たか、ミサト、紹介しよう。クラスメートの洞木ヒカリだ。
 ヒカリ、彼女は葛城ミサトといい、僕の保護者だ」

「初めまして、洞木ヒカリといいます。よろしくお願いします」

「いえ、こちらこそよろしく」
 

 シンジの紹介に続きヒカリは立ち上がると、

 シンジの 「保護者」 だというミサトに元気よく自分をアピールする。

 ミサトの方はというと、ヒカリの元気良さに圧倒されたようで、

 かろうじて返事をする事しか出来なかったのだが、次の瞬間には素早くヒカリの値踏みに踏み切り、

 ヒカリにしても今後シンジとつき合っていく上で、この女性を味方につけられるか否かは、

 非常に重要な問題なので、決して不興を買う事の無いよう、ミサトをじっくりと観察する事にした。

『ふ〜ん、意外と地味な娘ね。
 てっきりシンちゃんはレイみたいなタイプが好きだと思っていたんだけど、
 実際はこういう普通の娘が好みだったのかしら?』

『シンジ君の保護者という割には随分若く見えるけど、親戚のお姉さんか何かなのかしら?』
 

「2人とも立ちっ放しでいる必要はないだろう。座ったらどうだ。」

 立ったままの2人を見上げ、1人座ったままのシンジが監視体制の解除を呼びかける。

 この提案に対し、やはりこれまで幾度となくこういった緊張状態を潜り抜けて来たミサトが、

 その経験を生かし、ヒカリに対してまずは余裕のある所を披露する。

「そうね。座りましょう洞木さん」

「はい。わかりました」

 ミサトはそう言うとごく自然な感じでシンジの隣へと腰を下ろし、

 それにつられるように、ヒカリは返事をすると自らも静かに腰を下ろした。
 

 シンジは2人が席に着いた事を確認すると、残った一つのティーカップに紅茶を注ぎ、

 ケーキと一緒にそれをミサトの前に差し出す。

 だがミサトの方は、紅茶にチラッと視線を向けただけで、すぐにそれをシンジへと移す。

 シンジはその視線が意味する所を十分理解した上で、更にそ知らぬ顔で紅茶を薦めるのだが、

 仲々にあきらめの悪いミサトは食い下がりを見せる。

「冷めないうちに、ど〜〜〜ぞ」

「エビちゅ」

「確か、この後またネルフに出かけなくてはならない筈だな。飲酒運転は厳禁だ!」

「・・・・・・・・」

 心の中で滂沱の涙を流すミサトであった。
 

 当然の事ながらヒカリには 「エビちゅ」 の意味がわからなかったため、

 2人の会話を黙って聞いているしかなく、何となく寂しい気持ちになりかかっていたのだが、

 気を取り直すと、ミサトに取入るべくその如才ないところをここぞとばかりに発揮し始めた。

「でも碇君、葛城さんてあなたの保護者にしては随分若くてしかも美人ですね」

「あら、そうかしら〜?」

 ヒカリはわざとミサト本人ではなく、シンジに向けて話を振る。

 それに対してミサトは、シンジが答えるより早く話に割り込んできた。

 先程迄の落ち込みも何のその、この気分転換がいとも簡単に行える事がミサトの長所であり、

 これが無ければ、現在のネルフ作戦部長という地位も、もしかしたら無かったかもしれない。
 

 シンジはそんなミサトをジト目で見つめていたが、逆に自分に向けられた視線を感じ、

 視線を前方へと向けると、ヒカリが何か自分に対して訴えかけようとしているのに気づく。

 そこはさすがにするどいシンジの事、

 すかさずヒカリをフォローする言葉をミサトにかけてやる事にした。

「ああ、彼女は父の部下なんだが、
 理由があって同居できない父に代わって保護者という大役を引き受けてもらっているんだ。
 本当なら中学生の保護者なんて彼女に対して失礼なんだが、色々と事情があってね」

「そうなんですか。でもそんな大切な役目を見事にこなしていらっしゃるなんてすごいですよね」

「そう、そう思う?」

「ええ、とてもご立派です」

「いや〜嬉しい事言ってくれるわね〜、ヒカリちゃんだったわよね?
 私の事はミサトでいいから、これからもよろしくね」

「はい。よろしくお願いします」

 シンジとヒカリ、2人がかりの攻撃にすっかりその気になるミサト。

 もう少し持ち上げれば木にも登りかねない勢いである。

「それじゃお姉さんは退散するから。
 お客さん、後はお2人でよろしくやってちょ〜〜だい。クヒヒヒヒ」

 ミサトはそう言いながら、ティーカップとケーキを乗せた皿を両手に持って、

 そろそろとダイニングを出て行く。

 残された2人はというと、シンジはあきれ顔でミサトを見送ったのに対し、

 ヒカリは真っ赤になって下を向いてしまった。
 

「まったく困ったやつだ。なあヒカリ?」

「え、あ、うん。そうね」

 苦笑しながらヒカリに話し掛けるシンジ。

 それに対してヒカリの方はやはりまだ恥ずかしいのか、シンジの方を向く事が出来ないでいる。

 そんなヒカリの様子にシンジは、しばらく感じていなかった初々しい気持ち、

 という物を思い出したような気になり、彼女に対する印象を更に良くしていった。
 
 

「ヒカリ、今日君に家に来てもらったのは勿論昼間のお礼の意味もあるが、
 もう一つ、君に質問したい事があったからなんだ」

「何かしら? 私にわかればいいんだけど」

 ヒカリの様子を伺っていたシンジは、ある程度時間が経過しそろそろいい頃合いかなと判断し、

 それまでとはガラっと口調を変えて、真剣な声で彼女に語り掛け、

 それまで下を向いていたヒカリもその声に引込まれシンジの方に向き直った。
 

 ところがシンジは話し始めようかという寸前でそれをストップしてしまう。

 ヒカリは何か言いづらい事なのかとシンジの様子を伺うと、

 シンジは人差し指を唇の前に立てて見せる。

 いわゆる 「静かに」 のポーズだ。

 ヒカリがうなづくとシンジは音を出さないように椅子から立ち上がり、

 先程ミサトが退散していった方向へと向かった。
 
 

 壁の影に隠れて 「聞き耳」 を立てていたミサトだが、

 その目の前が不意に暗くなったので視線を正面に戻すと、

 シンジが「碇スマイル」を浮かべて立っているではないか。

「こんな所で何してるんだミサト?」

「え、いや・・・ あの・・・ トイレ・・・ そうトイレにでも行こうかな〜と・・・・」

「ほう。じゃその耳に当てられた手は一体なんだ?」

「ちょっ、ちょっ〜ち耳の後ろがかゆくって・・・・」
 

 そういってミサトは耳の後ろに当てた左手で、そのままそこらそこら近辺をコリコリと掻き始める。

「痒いのは耳の後ろではなくて耳の中何じゃないのか?
 どうせなら良く聞こえるように僕が耳掃除でもしてあげようか、ん?」

「いえ、私結構耳は良い方なんで、それじゃこれで失礼しま〜す」

 ミサトはそう言うと決してシンジとは視線を合わせようとはせず、

 つつつ〜と後ずさりながら自分の部屋へと消えていこうとするが、

 その寸前、シンジのお仕置きの言葉がミサトに届く。

「2日間、エビちゅ抜き」

 パタン

しょ、しょんなー

 襖が閉じられミサト1人しかいない部屋の中、情けなく小さな声が響き渡った。
 
 
 
 
 

「質問に入る前にヒカリには僕がこの第三新東京市に来た訳を話しておこう。
 この前の怪獣騒ぎの事は知っているね?」

 ダイニングへと戻ってきたシンジは再び真剣な表情になり、ヒカリに問いかける。

 それに対し、無言のままでうなづくヒカリ、シンジはそれを確認すると再び言葉を続けていく。

「あれを倒したネルフのロボットに乗っていたのは僕なんだ」

 シンジの衝撃の告白に思わず息を呑むヒカリ、と同時にこんな大事な事を、

 自分なんかに話しても大丈夫なのか、というシンジの事を危惧する気持ちと、

 自分には話してくれた、という安堵の気持ちが交錯し、ヒカリの心中は激しく揺れ動いていた。
 

 発表されたシナリオB−22

 内容を要約してしまえば、

『第三新東京市に侵攻してきた正体不明の怪獣(以後、その呼称を”使徒”と称する)に対し、

 政府および国連はその持てる兵力を全て駆使し、これの殲滅に当たった結果、

 最終的にネルフの所有する汎用人型決戦兵器(通称エヴァンゲリオン)

 により目標を完遂するに至る。

 尚、今回の使徒の侵攻に際し、民間人に負傷者が数十名発生した模様であるが、

 幸いにも死者は0であり、軍関係については負傷者も0である』
 

 という物であり、エヴァについても有る程度の仕様は公開されていたのだ。

 とは言っても、まさかそのパイロットがわずか14歳の少年だという事は、

 一般常識に照らし合わせても、あるいわ人道的にも認められる筈も無いので、

 極秘事項として取り扱われ、正体がバレる事は無い。筈なのだが・・・
 

 実際ヒカリにしても、いやヒカリでなくても、

 一般常識の有る中学生以上の知能を持った正常な人間であれば、

『中学生があんなロボットを操縦するだって? ○ン○ムじゃあるまいし、そんなのは絶対・・・
 いや仮に操縦そのものは可能だったたとしても、軍という組織がそれを許すはずが無い。
 実際に操縦しているのは、相当な訓練を受けた軍人だ』

 と誰しもが思うだろう。

 ところがシンジはそれを自らヒカリに明かしてしまった。

 いったい彼の真意は奈辺にあるのだろうか?
 
 

「でも碇さん。そんな大事な事、私なんかに話して大丈夫なの?」

問題無い。それに僕はヒカリの事を信頼している」

「あ、ありがとう」

 ヒカリはシンジの事を気遣うが、逆にシンジの言葉を受け、顔を赤らめうつむいてしまう

 自分はシンジに信頼されている。

 その事はヒカリの胸中深く入り込み、たまらない喜びを彼女にもたらした。
 

「それで肝心の質問なんだが」

「はい。なあに碇さん」

 そう言えば先程もそうだったが、

 ヒカリがシンジを呼ぶ際の敬称がいつのまにか 「君」 から 「さん」 に変わってしまっている。

 これはヒカリが知らず知らずのうちにシンジの中に囚われてしまっていた証といえるだろう。

 反面シンジの方は、これ迄もこういった事は日常茶飯事だったため、

 全く気にする様子は見受けられなかった。

「綾波レイの事なんだが、実は彼女もあのロボットのパイロットなんだ」

「え、綾波さんも!」

「それで今日彼女の事を少し観察していたんだが、
 彼女はクラスの連中とほとんど交流を持っていないみたいなんだが、何か理由があるのか?」

「・・・・・・」

 それで今日シンジはレイの所に挨拶に行ったのかと納得したヒカリであったが、

 肝心のシンジからの問いに対しては、ヒカリは答える術を持たなかった。
 

 クラスで1人孤立している彼女の事については、委員長として気にかけていたのは事実だが、

 具体的にはなんら手を差し伸べる事は出来なかった。

『彼女は1人でいるのが好きなのだ』 と半ば無理矢理自分を納得させていたのだが、

 彼女があのロボットのパイロットだったとしたら、その重要性・機密性から他人と話したくても、

 あるいわ他人と触れ合いたくても、許されなかったのかもしれない。
 

 彼女に何もしてやる事が出来なかった。

 くやしくて・・・

 悲しくて・・・

『自分は委員長失格だ』 ヒカリはそんな事迄考えていた。

 勿論、本当は彼女の責任等では無いのだが、

 責任感の強い彼女にはそうは思えなかったのである。 
 

「どうしたヒカリ?」

「ううん、何でもないわ」

 黙り込んでしまった彼女を訝しんでシンジが声をかけるが、

 彼に心配をかけてはいけないと思ったヒカリは、気丈な所を見せてシンジを安心させようとする。
 

『何でもない』 事など無い。当然シンジにも察しはついていたが、

 父親と違いその人物本来の持つ能力・実力を引き出す事に長けているシンジは、

 彼女自身の判断を尊重し、特にそれ以上問い質す事はしなかった。

 そしてヒカリはほんの少しだけ間をおくと、レイの事をしっかりとした口調で話し始めた。
 

「綾波さんはすごい美人だから、入学した時は男子生徒から大変な人気があったんだけれど、
 自分からは全然話さないし、話しかけられても適当に返事するだけで、
 全然人とつき合おうとしなかったの。
 そうしているうちに段々とこちらから綾波さんに話し掛けようとする人も減っていってしまって」

「成る程な」

 おおよそ自分の予想していた通りだ。

 外見、そして知識こそ中学生のそれを保っているが、

 情緒・精神面においては彼女はまだ幼児と同じなのだ。

 自我が確立されているのかどうか、それすらも怪しい。
 

『母さんの事と言い、綾波の事と言い、我が父親ながらろくな事をしないな』

 シンジは相手に面と向って嫌味を言うのが大好きだが、あまり愚痴をいうタイプでは無い。

(但しこの嫌味はあくまで自分より上位の者にだけ向けられ、決して下位の者を向く事は無い)

『愚痴や不満を述べている暇があったら、解決策を検討した方が建設的だ』

 というのが彼の考えであり、実際にそれが良く行動に反映されている。

 にもかかわらず、彼が父親の事を否定的に捉えたのは、

 家族の絆が乏しい中で育ってきた彼に、新たな絆が生まれようとしているからなのかもしれない。

 本性は別にしても、やはり彼も 「人間」 なのだろう。
 

「碇さん、私の方から聞いてもいいかしら?」

「何だ?」

「あの、もしかしてロボットのパイロットの人達って他人と接触する事を制限されているの?」

 シンジはヒカリが言わんとしている事を瞬時に理解すると、即座にそれを否定する。

「勿論。ある程度、いやかなりの機密保持が求められているのは事実だ。
 だがそれはあくまで技術・情報に係わる部分のみで、
 プライベートで他人との接触を制限されるという事は決して無い」

「そう」

「ヒカリが気に病む必要は無い。彼女はちょっと特殊なんだ」

「でも!」

「ありがとう。彼女の事を気にかけてくれて。
 これからもよろしく頼むよ。勿論僕も一緒に頑張るから」

 尚も食い下がろうとする彼女をシンジはやんわりとしりぞけると、この話しを締めくくる事にした。
 

 ところが逆にシンジのこの言葉がヒカリの心中を波立てる事となってしまう。

 シンジはどうしてこんなにもレイの事を気にするのだろうか?

 同じロボットのパイロットとして秘密を共有する者どうし、だけとは思えない何かがあるような、

 ヒカリはそんな気がし始めていた。

『やっぱり碇さん。綾波さんの事が・・・ 綾波さんは碇さんの事をどう・・・
 そう言えば今日、碇さんが綾波さんの所へ挨拶に行った時・・・
 綾波さん笑ってた。綾波さんの笑顔初めて見たけど何て・・ 何て素敵だったんだろう』

 改めて綾波の笑顔を思い出して見ると、それは女の自分から見てもとても素敵なものとして、

 彼女の網膜に焼き付いている事にヒカリは気づいた。
 

 尤も実際のその瞬間は、

 それ迄1度として笑顔どころか表情というものを浮かべた事の無かった彼女が、

 初めて笑ったという事で、教室内はその笑顔に魅せられるどころか、

 それを「魔性の微笑み」として、かかわらないようにする事にしたのである。

 実際次の休み時間以降、レイの事について何か聞かれるかと、シンジは身構えていたのだが、

 見事に肩透かしを食らわされ、面食らった程なのである。
 

「レイの事を僕が気にかけているのは事実だが、決してヒカリの考えているようなものじゃない」

 ハッとしてシンジを直視するヒカリ。カンが良い、いやそんなレベルでは無い。

 彼は自分の事を全てわかってくれているのではないか、ヒカリはそう考えると同時に、

 嬉しさが自分の心の中全体に広がっていくのを感じていた。

「今はまだ話せる段階ではないが、いずれレイとの関係についてはヒカリにキチンと話す」

「うん。わかった」
 

 シンジはヒカリにレイとの事を話しながら奇妙な感覚を味わっていた。

 これまで何十人もの女性と関係を持ってきた彼であったが、その事について悩んだり、

 罪悪感を感じたり、あるいわ逆に高揚感を感じたりした事はこれ迄1度も無かったのである。

 何故なら彼にとってそうなる事が自然な事だったからである。

 呼吸をする時 「息を吸おう、息を吐こう」 などと考える人はいないし、

 エヴァでさえも最初は歩こうと考えた事もあったが、

 最近は考えるより早く自然と体が動くようになっている。

 これらの事と女性との関係はシンジにとって同義なのだ。

 ところがレイの事となると色々な事を考えてしまう。
 

 母親の意思、そして母親とリリスの遺伝子を持ってこの世に生を受けた綾波レイという少女。

 単純に考えるのなら自分の妹とも言えるだろう。

『お兄ちゃん。か・・・ それもいいかも知れんな』

 アブない思考に陥りかけている・・・ かもしれないシンジであった。

(アブないのはおメーだ)
 
 
 
 
 

 それからしばらくの間2人はとりとめのない話しを続けていたのだが、

 夕食の準備もしなくてならないヒカリは、

 ある程度の頃合いを見計らってシンジに帰宅する事を告げる。

「そろそろいい時間だし・・ 私」

「送っていくよ」

「そんな、まだ日も高いし、遠いですからいいですよ」

「遠慮はいらないよ、それにもう少しヒカリと一緒にいたいんだ」

 ヒカリはシンジの決め台詞に真っ赤になって固まってしまう。

「じゃ、行こうか」

 そういうとシンジは椅子から立ち上がり、

 ヒカリの側に廻ると本当にごく自然な感じで彼女の手を取る。
 
 
 
 
 

 碇 シンジ ・・・・ 特に意識せずともあっさりと禁断のドアに手をかけられる。

            誠に恐ろしい少年である。
 
 
 
 
 

 マンションからヒカリの家までは大体3kmちょっとといった所で、

 歩くとすれば40分位かかるであろうか、

 そのため2人はたまたまバスがタイミング良くやってきたのでそれに乗り、

 どうやらヒカリの家に到着したようである。

「それじゃ碇さん。また明日」

「ああ・・」

 シンジと別れなくてはならないという事で多少寂しい思いを味わいながら、

 逆にそれを隠そうとヒカリが元気な声をあげるのだが、

 答えるシンジの声に何故か覇気が感じられない。

 どうしたのかなと思いながら、ヒカリがシンジの顔を覗き込むと、

 シンジが自分の事をじっくりと見つめているではないか。

 思わず恥ずかしくなり、目線を外そうとするが逆に益々その瞳に引込まれていってしまう。

 数瞬後、シンジの表情に浮かんだ『碇スマイル』によって、

 完全に囚われの身となってしまったヒカリ。

 長く伸びた2人の影が1つになるのにそれ程の時間はかからなかった。
 
 
 
 
 

 碇 シンジ ・・・・ 彼にとっては禁断のドアを押し開けるのもいとも簡単な事なのである。

            やはり己が本性に魔を纏った少年である。
 
 
 
 
 

 シンジはヒカリと別れた後、すぐにはマンションに戻ろうとはせず、

 携帯を取り出すと、どこかに連絡を取り始めた。

 ガチャ

 数回呼び出し音が鳴った後相手が出たようだが、いったい誰に電話を入れたのだろうか?

「僕だ」

「シンジ様、何かご用でしょうか? 今日は訓練はオフのはずでしたが」

「リツコに少し相談したい事があるんだが、今日はずうっとそっち(ネルフ)か?」

「ええ、予定ではそうなってますが、シンジ様のご用とあらば今すぐそちらに伺います」

「いや、僕の方がそっちに行こう。ところで今はどこに居るんだ?」

「研究室の方ですが、よろしいのですか?」

問題無い

「わかりました。お待ちしております。では失礼します」
 

 どうやらシンジが連絡を取った相手はリツコらしい。

 わざわざ訓練がオフの日にネルフに行って、いったいリツコと何を話そうというのだろうか?

 これ迄の経緯を考えるとやはりレイの事なのだろうか?

 シンジは携帯をしまうと、何故かあたりをキョロキョロと見回し始めた。
 

 いた。 黒スーツに黒いサングラス、いかにもあやしい人物です。

 と体全体を使ってパフォーマンスを実施している保安部の人間に、

 シンジはスタスタと近づいていきその正面に立つと、

 自分をガードしている筈のこの人物に命令を伝えた。

「これからネルフ本部に向かう。足を用意してくれ」

「は?」
 

 言われた方は当然の事だが、シンジが何を言っているのか瞬間的には理解できないでいた。

 そんな彼に対し、シンジが続けて要請を出す。

「急いでいるんだ。早くしてくれ」

「わかりました」

 男は自分の携帯を取り出すと、至急シンジを収容してもらえるように依頼をかける。

 といっても、この男が所持している携帯は、シンジが持っている一般の物とは異なり、

 通話内容にスクランブルがかけられる特殊仕様の物である。

 従って、少なくともここ第三新東京市内で通話を行う分においては、

 盗聴は絶対不可能なものとなっているのだ。

 自分にはまだコールは入っていないが、何かまたエマージェンシーな事が発生しており、

 この碇シンジことサードチルドレンを招請しなければならない事が起こっている。

 任務遂行に忠実な彼は、この時のシンジの行動をそのように判断していたのだが、

 無論それは、単なる彼の勘違いであった。
 
 

 話がついたらしく、黒スーツはシンジを近くの公園へと連れていく。

 こんな所でどうしようというんだと、シンジが思っていると、5分と経たないうちに、

 上空からジェットエンジンの醸し出すタービン音が聞こえてくる。

 会話が全く不可能になる程の騒音と気流を、あたり一面にまき散らしながら、

 目の前へと降りてくるVTOL。

 おまけにこいつは輸送用ではなく戦闘用のようだ。

(付近の住民のみなさんごめんなさい)

 シンジはこういった方面に関しては、特に深い興味を持っていなかったので、

 どうという事は無かったのだが、前話に登場した彼のクラスの出席番号1番、

 相田ケンスケは、こういった兵器関係のフリークだったのである。

 そのため、後に噂話しとしてVTOLが町中に降りてきた事を聞かされた彼は、

 その場に居合わせなかった事を地団駄踏んで悔しがったのであるが、

 それはまた別なお話しである。
 

 達成感溢れる表情を浮かべている黒スーツに比べシンジはというと、

 はっきり言って呆れてしまっていた。

 確かに 「急いでいるんだ。早くしてくれ」 とは言ったものの、まさかこんな事になるとは、

 世間一般の常識と、軍人のそれとの乖離を垣間見たシンジであった。

 しかしそうとばかりも言ってもおれまい。

 さすがに自分達のすぐ側迄近づいてくる者はいないが、

 周辺には 『いったい何事がおこったのか』 と野次馬達が自分達を遠巻きにして見つめている。

「今後このような事が無いように」 と注意を促したかったシンジであったが、

 前述の通り、彼らにとってはこれが常識なのである。

 頭ごなしに叱りつければ、かえって反発を招く事になるのは間違いなく、

 その事に思い至ったシンジは黒スーツの所へと近づくと、

 まずは彼に対して労いの言葉をかけてやる事にした。
 

「ご苦労。おかげて早く済みそうだ」

「恐縮です」

「だがさすがにこれはやりすぎだ。周りの者の表情を良く見てみたまえ」

 黒スーツはシンジに言われて周囲をざっと見渡してみる。

 自分達を遠くから眺めている人々がいる事には気づいていたが、

 彼の脳裏に有ったのは自分の任務を的確・迅速に処理する事だけだったので、

『周囲の者が自分達をどのように思っているのか』 という事は考慮の範囲外であったのである。

 だが、今改めてその表情を窺ってみると、勿論野次馬根性まる出しの者もいたが、

 大多数の者は自分達の事を不安げに見つめている。

 ここに至って黒スーツも、自分の行為が周囲にいらん不安感を与えてしまった事を痛感した。
 

「次回は注意したまえ」

「は、申し訳有りません」

 部下を伸ばすための第一の秘訣、それはまず相手を褒める事だ。

 そして第二の秘訣は、相手を納得させられるような叱り方をする事だ。

 この両方がうまく行える人物は管理職として必ず成功するという。

 逆に言えば、このどちらもうまく行えない人物は、管理職としては失格だ。

 とは言っても両方は無理としても、せめて片方は実施出来る度量をもった人物が、

 せめて全体の2割ぐらいいれば日本株式会社もここ迄ひどくはならなかったろうに。

 ○長のバカヤロー

(何の話をしとる、何の)
 
 

 キャノピーが開けられ、梯子を登って復座の後ろに乗り込んだシンジは、

 ヘルメットを受け取りエアマスクをつけて、操縦者にスタンバイOKのサインを送る。

 再びタービン音と気流をあたりにまき散らしながら、VTOLは一路ネルフ本部へと向かった。
 
 
 
 
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者を、自分の 「妹」 として接する事を決心した

 魔界より遣わされし3人目の少年は、それを確定させるべく、具体的行動を開始した。
 
 

                                                         
 
 

 シンジがリツコに対してうち明けた、懸念されていたレイとの関係の決着は、

 父と子の挟間で揺れ動いていた彼女にとっても、結果として一つの区切りをつけるものとなる。

 そして10年ぶりに相対するゲンドウとシンジは、それぞれが己の主張をぶつけ合う。

 次回 問題無い  第11話 シンジ 論戦

 さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ