問題無い
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者が、自分の妹になった事に、

 魔界より遣わされし3人目の少年は、将来への大いなる不安をかきたてられた。
 
 
 
 
 

第8話 シンジ 休日
 
 

 今日は土曜日、シンジがここ第三新東京市、と言うよりはネルフに来て初めての休日である。

 国連の特務機関で有り、「人類の最後の砦」 

 などど偉そうにのたまうネルフも、一応は週休2日制をとっている。

 ゴルフに行く者、街角でウィンドーショッピングを楽しむ者、釣りに出かける者、

 ゲーセンでストレスを解消する者、1日中インターネットにいそしむ者。

 一般の職員はそれぞれ思い思いに休日を過ごしている事だろう。
 

 とは言ってもシンジの生活のパターンは平日のそれと変わる事はない。

 朝5時50分に目覚ましで目を覚ました後、その後10分間はベッドの中で至福の時を過ごす。

 これがミサトであったなら、またしても深い眠りの森に誘われてしまう所だろうが、

 シンジの場合は決してそんな事はなく、

 6:00ジャストになるとベッドから降りてまずはトイレへと向かう。

 彼の就寝時のスタイルは基本的にTシャツとショートパンツなので、

 そのまま外出しても差し支えないものであり、室内を歩き回る分については全く問題無いだろう。
 

 彼は何か特別な事情が無い限り、歯を磨くのは食事の後にしているので、

 とりあえず冷たい水で顔をスッキリとした後、朝食の用意にとりかかる。

 前日の内に炊飯器はスイッチを入れるだけにしてあり、後は味噌汁とおかずを用意するだけだ。

 ミサトは朝帰り(変な意味ではない)をしてまだ寝ているため、

 なるべく音を立てないように気を使う。

 どうやら味噌汁の具は大根とジャガイモと豆腐のようだが、

 シンジは器具など使わず綺麗に包丁で皮を剥いていく。

 その手つきはとても鮮やかであり、彼の意外な一面を垣間見る事ができる。

 やがて右側の電熱器にかけられた鍋の中から、ほんの少し湯気が立ち上ったのを見ると、

 とりあえずジャガイモだけを中に入れる。

 豆腐はもちろんだが、大根は結構薄くカットしてある為、もう少し後のようだ。
 

 それと並行して電熱器の中央部分にあるグリルでは、

 焼き鮭のおいしそうな匂いがそろそろ立ち込め始めており、

 シンジは時折その加減を確認しつつ、お新香と味付け海苔をそれぞれ1人分づつ用意する。

 それが終わると今度は冷蔵庫からレタスとキュウリ、紫オニオンとトマトを取り出すと水洗いし、

 素早く水を切ると、これまた手際よくスライスしボウルへとまとめて入れていく、

 当然この間、頃合いを見ては味噌汁に大根と豆腐をそれぞれ入れるのも忘れていない。

 更にボウルの中にはツナ缶とスイートコーンを入れ、

 混ぜ合わせるとガラス製の皿に盛り合わせ、上から特製のドレッシングをかける。
 

 そうしているうちにどうやら味噌汁の方も出来上がりつつあるようだ。

 シンジは味噌汁に味噌(だし入り)を入れると、電熱器のスイッチを切る。

 ガスとは違い電熱器は余熱があるのでこういった芸当が可能になるのだ。

 沸き立つまでの短い時間の間に食器を並べ鮭を取り出す。

 まるで計ったかのように電熱器の所へ戻ると、沸き立つ寸前の鍋を下ろす。

 あとはもうご飯と味噌汁をよそうだけである。
 

 年頃で結婚願望の強いお姉さん達から見れば、是非ともお婿さんにほしい。

 そう思えるだけのシンジの手際の良さである。

 尤もたとえお婿さんに出来たとしても、

 逆に今度は自分の方が調教されてしまう可能性であるが。
 
 
 
 
 

「ふわ〜〜〜〜ああ。シンジ君おはよう(はあと)」

 腐肉に群がるハイエナの様に、その匂いを嗅ぎつけてきたのだろうか、

 通常では考えられない事だが、何とミサトが起きてきたのである。

 多分明日はこの第三新東京市にもおそらく15年ぶりに雪が降るだろう。

ちょっと、いくら何でもあんまりじゃないの!
 
 

 ミサトのスタイルは起き抜けのままのようであり、

 上半身はタンクトップ1枚に下半身はショートパンツ、

 髪はボサボサのままであり、右手でその頭を、左手ではお尻をポリポリと掻いている。

 どう見ても作者と同じオヤジの仕種である。

 作者はまだ本物のオヤジなので救いがあるが、

(大バカヤロー)

 まだ何とか20代を保っている女性の姿としては救いがたいものがある。

うっさいわね
 
 

 今迄何10人もの女性と閨を伴にしてきたシンジでも、

 さすがにこれだけのはいなかったようで眉をひそめている。
 

 トイレにでもいくのかなと思われたが、ミサトはまるで匂いに引かれるように、

 つつつ〜とシンジの食卓の前に移動すると、もの欲しそうにシンジの膳を眺め始めた。
 

 ご飯は既によそってあり、味噌汁を椀に注いでいる途中だったシンジは、

 とりあえずそれだけを終わらせるとミサトに声をかけた。

「欲しいのか?」

 シンジの問いかけに対し、コクコクと首を振るミサト。

 まるで今にもよだれを垂らさんばかりだが、まあ無理もあるまい。

 ここ10年というものミサトが 『まともな朝食』 というものにありついたのは数えるしかなく、

 彼女にとって今眼前に展開している光景は、

『給料日前に大枚を下ろして人におごってやるステーキ』 よりも、更に贅沢な物に映っていた。

 シンジはそんなミサトを無言で見つめていたが、何を思ったか、

 ふいに左手の掌を上に向けてミサトの方へ差し出した。
 

「お手」

「ワン!」

 まるで条件反射のように右手をシンジに預けてしまったミサトは、

 直後にハッと気がついて慌てて手を引っ込めるが後の祭りである。

 シンジの方はどうかというと、

 両肩が小刻みに震えており、必死に笑いをこらえているのが伺える。
 

「もう〜〜シンちゃん!」

 ミサトは顔を赤くしてシンジに喰ってかかるが、当然迫力が無い。

「悪かった。良ければ食べろ」

 シンジはそう言うとミサトの箸を取り出し彼女に預け、

 自分は立ち上がってスタスタとキッチンの方に向かってしまう。

 取り残された形となったミサトは、怒りをぶつける相手を失いとまどってしまうが、

 それもつかの間、やはり朝食に再び目を奪われ、

 素早くテーブルを回り込むと今迄シンジが座っていた個所に腰を下ろした。

「いっただきま〜す」

 ミサトの実に幸せそうな声が朝のダイニングに元気に響き渡った。
 
 

 さてキッチンに向かったシンジの方はどうしたかと言うと、

 冷蔵庫から鮭の切り身の残りを取り出して、それをグリルに入れると、

 お新香と味付け海苔、ご飯と味噌汁の椀を1組、お盆の上に用意する。

 しばらくしてから焼きあがった鮭も盆へと乗せると、シンジはテーブルの方へ戻っていった。
 
 

「ごちそうさまでした。は〜〜食った食った」

 シンジがテーブルの方に戻ってくるのとほぼ同時に、ミサトの方は食べ終わったようである。

 しかしその格好といったら、おもいっきり背もたれにのけぞったまま、腹をポンポンと叩いている。

 相変わらずオヤジ度100%丸出しのようで、シンジも思わず歩みを止めてしまう。

 先程は眉をひそめる程度だったが、今度は心底呆れ返ってしまったようである。

 まあでもそのまま立ちつくしていもしょうがないので、シンジはミサトの斜め向かいに腰掛けると、

 まずはご飯茶碗をミサトに差し出す。
 

「ミサト」

 シンジから声をかけられ彼が戻ってきた事に気づいたミサトは、

 彼から茶碗を受取ると、それにご飯をよそっていく。

「はい。シンジ君」

 ミサトはご飯茶碗をシンジに返すのと引き換えに、

 今度は味噌汁の椀を受取ると、それに味噌汁を注いでいく。

 その様子をシンジは無言で見つめていたが、

 味噌汁椀を受取るとミサトに対してボソっと呟いた。
 

「ミサト」

「何、シンジ君?」

「お前、今のままじゃ嫁に行けんぞ」

グサッ
 

 急所をピンポイントに直撃するシンジの言葉に3度目の大きなダメージを受けるミサト。

 だが逆に3度目という事で慣れてきたのか、立ち直りも早くなってきたようで、

 鮮やかなシンジの攻撃に対し、何とかクロスを返す事を試みる。
 

「そうね〜、もし嫁き遅れたらシンちゃんにもらってもらおうかしら?」

 だがどうした事だろうか、シンジはそれを聞いた瞬間、

 箸に伸ばしかけた手を止めると、ミサトの事を真剣なまなざしで見つめ初めた。
 

 見つめられたミサトの方も思わずドキッとしてしまう。

 ミサトから見たシンジのマスクは彼女の好み400%なので、

 父親以上に性格が悪い事は重々承知しているのだが、

 あの唇から囁かれる言葉には、どうしても逆らえなくなってしまうのである。
 

のような魅力的な女性からのご指名とあれば仕方無ないな、
 4年後を楽しみにしているよ・・・・ ミサトさん

 今の今迄呼び捨てにしていたのに、わざわざ 「さんづけ」 をするあたりが小憎らしい。

 しかしまあ、そう言いながらもニヤッと『碇スマイル』を浮かべた所を見ると、

 やっぱりシンジはミサトの事をもて遊んでいるらしい、しかもかなりの余裕を持って。

 一方『碇スマイル』を目撃したミサトの背筋には悪寒が走っていた。

 と同時にエヴァの射撃訓練の際、リツコがシンジを評して言った言葉が鮮明に脳裏に蘇ってくる。

『いざと言う時にはキチッと自分の手で物事を処理する。出来る能力も持っているのよ。
 ここら辺は、司令とはちょっと違う所かしらね』

 ま、まずい・・・ このままでは・・・・・ このままでは・・・・・・・
 

 残念ながらミサトの渾身の1撃も、シンジのダブルクロスの前には全く通用せず、

 最早彼女にはトリプルクロスを繰り出すだけの余力は残っていなかった。
 

「き、気持ちは嬉しいけど・・・ シンジ君は私よりまだまだ若いんだから、
 きっとシンちゃんの年齢に似合った素敵な女の子がいる筈よ」

「そんな事はないよ。ミサトさんはとても魅力的だし、むしろ僕にはもったいないくらいだ。
 それに昔から言うじゃないか 『年上の女房は金の草鞋を履いても探せ』 ってね」

 事ここに至って身体極まったミサトは、

 何とか最後の力を振り絞りコーナーからの脱出を試みるのだが、

 表面上は一分の隙も見せないシンジに翻弄されてしまう。

 彼が、シンジが、実は心中深くではもう楽しくてたまらくなっている事に気づかぬままに。
 

『じょ、冗談じゃないわ。 助けて、誰か〜 誰か〜、助けて〜』

 ディモス(悪魔)の花嫁として今まさにさらわれようとしているミサト。

 彼女の心からの救済の叫びに呼応し、本当であれば救出に現れる筈の王子は、

 残念ながら遠いドイツの地で、やはり・・・ ディモスの相手を努めさせられていた。
 
 

 ガタッ

 ビクッ

 必死に現実からの逃避を図っていたミサトだが、突然の物音に現実に引き戻されてしまう。

 見るとシンジが立ち上がって玄関の方に向かっているではないか。

 いったいどうして?

 ミサトはシンジが向かった玄関の方に目を向けるが、

 あいにく死角になっているため、シンジが何をしに行ったのか確認する事が出来ない。
 

 程なくして戻ってきたシンジの左手に握られている物を見て、

 ミサトは全身の力が急に抜けていき、

 それに伴って頭の回転の方も段々と停止に向かっていくのを感じていた。
 

 シンジが玄関から持ってきた物は、そう 「新聞」 である。

 シンジは自分が読みたい記事の部分が視覚に収まるように、新聞を器用に折り畳み、

 片手でそれを掲げ持つと、その態勢のままで食事を取り始める。

 う〜ん。やっぱり碇(六分儀)家の男達には、「新聞を読みながら朝食を取る」

 という事が、遺伝子に組み込まれているらしい。
 

「いただきます」

 新聞を横目に見ながら、ご飯と味噌汁の茶碗をテーブルの上に置いたままで、

 箸だけを使い、黙々と食事を続けるシンジ。

 時折箸を持つ手を休めると味噌汁をすすり、新聞を折り返す。

 はっきりいって行儀は悪い。お母さんがいたら注意してもらいたいのだが、

 食事を取るスピードそのものは普通の人と比較してもそれ程変わりはないため、

 これなら会議に遅れて冬月先生からユイさんがお小言を頂戴する事はないだろう。

「君はモテるからな」

(馬鹿言ってないで、さっさと着替えろ・・・ アレ?)
 
 

「ごちそうさまでした」

 ピクッ

 シンジのこの言葉に、それ迄思考が停止していて全く動けなかったミサトが、

 わずかに反応をみせるが、どうもエンジンはかかりきらなかったようで、

 アイドリング状態に移行する事もなく、再びストップしてしまう。

 どうやらシンジの方は朝食を取り終わったらしいが、ミサトの再起動は失敗したようである。

 それに気づいたのだろうか? シンジはミサトを正面から見据えると彼女に対して呼びかけた。
 

「ミサト」

 それまで必死に現実からの逃避を図っていたミサトだが、

 シンジの突然の呼びかけに無情にも現実に引き戻されてしまう。

 自分の目の前にはやはりシンジが座っており、食事を終えた彼が自分の方を見ている。

 先程のシンジとのやり取りは夢ではなかったのか?

 これが・・・  厳しい現実というものなのか?

 リツコは自分の結婚式の時どれくらいご祝儀を包んでくれるのか?

 いや、そもそも結婚式に出席してくれるのか?

(どさくさ紛れに何考えてんだよ! ミサト)

 動悸は激しくなる一方で、喉はカラカラ、

 頭はカラ回りを繰り返すだけで一向に進展が見られない。

 しかしミサトは何とか気力をかき集めると、恐る恐るといった感じでシンジに返事をした。
 

「な、何? シンジ君」

「お茶をくれ」

「・・・・・あ、はいはい、ただいま」

 一瞬ミサトはシンジが何を言っているのかわからなかったのだが、

 単に食後のお茶を請求しているのだとわかって、

 慌てて急須を取り出し、そこにお茶缶からお茶っ葉を入るとポットからお湯を注ぐ。

 あのミサトでもどうやらお茶の入れ方は知っていたようだ。
 

「どうぞ」

「うむ」

 ミサトは再び恐る恐るといった感じでシンジの顔色を伺うが、

 肝心のシンジの方は茶を啜っているばかりで、一向に先程の話に戻る気配が無い。

 シンジの様子を観察する限り、さっきの話は立ち消えになったと解釈して良いのだろうか?

 確認したいのはやまやまだが、かえって寝た子を起こすような事になっては困る。

 さりとてこのままほっぽっといても、忘れかけていた4年後の、彼が18歳になったある日。

 突然自分の元を訪れてきて、強制的に婚姻届にハンコを押させられるハメになりそうな、

 そんな気がしてしょうがない。
 
 
 
 
 

『4年間、待たせてすまなかったな、ミサト』

『え!?』

 自分の目の前に立っている男性は、「少年」 と呼ぶにはしっかりし過ぎているが、

「青年」 と呼ぶには今しばらく時間がかかりそうな、「若者」 である。

 背は自分よりも既に頭一つ分くらい高く、それだけを見る限り、

 最早彼女の趣味の範疇からは大きく逸脱していたが、

(オイ!)

 骨格そのものはむしろすらっとしており、かなりのハンサムガイで有るのだが、

 そのくせどことなく危険な匂いも漂わせている。

 という、女性をキャーキャー言わせる要素を満載したその若者の手には、

 何やら1枚の紙が握られており、そこにはその若者だろうと思われる名前が記載されている。
 

[碇シンジ]

『あなた、もしかして、シンジ君!?』

『オイオイ、今更何言ってるんだミサト! 夫である僕に対して水くさいじゃないか』

『ちょっ! 冗談は止めて頂戴!! 何でアナタが私の夫なのよ』

『全く! ミサトはしょうがないな、ほら、ここを良く見てご覧』

 そう言うとシンジは、自分が握っている紙の彼自身の名前が書いてある場所より、

 ほんの少し脇の方を指さす。

 どうやらそこにも誰かの名前が書いてあるようであり、

 シンジに言われるまま、ミサトがその部分を注意して見てみると、

 何と自分の名前が書いてあるではないか、しかも名字が [葛城] ではなく・・・
 

[碇ミサト]

『良くやったなシンジ』

『!』

 それだけでも驚いているミサトの背後から、急に聞き慣れた、

 しかしあまり聞きたくない男の声が聞こえてきた。

『葛城一尉、いやミサト君、これからは私の事はお父さんと呼んでくれたまえ』

『ヒィーーーーーーーーーーーーーー』
 
 
 
 
 

 あまりにもおぞましい妄想にさすがに我に返るミサト。

 しかしショックが大きすぎたせいだろうか?

 現実と妄想の区別がつかなくなり、更に余計な事を考えてしまう。

『どうしよう、どうしよう・・・ そ、そうだわ、私が結婚しちゃってればいいんだ。
 ネルフのいい男、いい男・・・ ロンゲは趣味じゃないし、メガネはたよりないし、(可哀そうな2人)
 こうして見るとネルフってろくな男がいやしないわね』

(そりゃあ、あんまりだよミサトさん)

『やっぱり私にはアイツしかいないのかしら?・・・ か・・・ ブルブルブル・・・
 こうなったら一か八か、覚悟を決めて彼にもう1度確認するしかないわ。
 そうよ、どのみち今より状況が悪化する事なんて無いハズ・・・ なんだから』
 

「シンジ君」

「何だ?」

「あの、さっきの・・・ 4年後の話なんだけど・・・」

 そう言いながら自分の方を恐る恐る覗き込むミサトを見て、

 シンジは 『ちょっと虐めすぎたかな』 と感じていた。

 彼女は自分がこれ迄関係を持ってきた数多ある女性達の中でも、出色の存在であり、

 とても気に入っているのであるが、それが故に逆についつい虐めたくなってしまうのだ。

 ガキのする事だなとは思うものの、おもしろいものはしょうがない。

 ミサトにとっては迷惑な話であろうが。
 

 まあでもここら辺が潮時かなと判断したシンジは、ミサトを鎖から解放してやる事にした。

 だが逆の意味から捉えると、ここが彼の優れた所で有り、また恐ろしい所でもあるのだ。

 獲物を追いつめても、相手にまだ力が少しでも残っていると判断した場合は、

 決してあせる事なく、むしろ逃げ道を1つ用意しておいてやる。

 そうする事によって安心感を与え、追い込んだ相手を決して窮鼠にさせる事無く、

 じっくりと時間をかけて仕留めていく。

 敵を倒す場合はもとより、自分の麾下に位置する人材を取り込んでいく場合も、

 この方法は非常に安全かつ有効であり、

 果てはこれ迄幾度となく発生しそうになった女性達との間のトラブルを、

 全て無事に乗り切って来たのも、こういった周到さを彼が備えていたがためである。
 

「そうだな4年後迄にミサト・・ につり合う男性になれるかどうかはわからないが、
 努力だけはしてみるつもりだ。」

「そうは言ってもミサトにはミサトの人生があるのだから、別に僕を待つ必要はない。
 そういう相手が出来たのなら、隠さずに正直に話してくれ。
 僕に出来る精一杯の祝福を送らせてもらおう」

 ミサトはシンジの思いがけない言葉にポカンとなってしまう。

 まさかシンジの口からこのような言葉が語られるとは思ってもみなかったのである。

 勿論、不満がある訳が無いのたが、

 こうもあっさり引き下がられるとかえって不気味な感じがして、

 ミサトはもう1度、シンジの真意がどこら辺にあるのか確認する事にした。
 

「シンジ君・・ でも、あなた本当にそれで良いの?」

「別に僕は問題無いよ、それに例えそうなったとしても最初の方でミサト自身が言ったじゃないか、
『シンジ君は私よりまだまだ若いんだから、
 きっとシンちゃんの年齢に似合った素敵な女の子がいる筈よ』 ってね」

 シンジの言い分を信じるならば、この話はとりあえずここで一旦終了となるのだが、

 ミサトはまだ半信半疑であった。

 しかしこれ以上話しを続けた所で新たな進展が見られるとも思えない。

 ミサトは半ば無理にではあったが自分を納得させて、今迄の話に終止符を打つ事にした。
 

「シンジ君、お茶、もう一杯どう?」

「そうだな、せっかくだから頂こう」

 どうやら 『日常の生活』 というやつに戻る事が出来たようである。

 平穏そのものともいえるこの空気を取り戻したミサトは、その偉大さをしみじみと味わっていた。
 

「ミサト」

「何? シンジ君」

「お前確か、今日1日開いていた筈だよな?」

「ええ、今日は特に予定は入ってないけど」

 ミサトは一瞬、どうしてシンジが自分の予定を知っているのかと思ったが、

 多分リツコにでも聞いたのだろうと思い至り、それ以上は別段深く考える事もなく、

 シンジからの確認を素直に肯定する。
 

「そうか、ならば今日は1日、僕につきあってもらうぞ」

「つ、つきあうって何をすれば良いの?」

 ミサトはシンジのつきあうという言葉に少し動揺しかけたが、

 少なくとも表面上は平静を装ってシンジに返答を返した。
 

「それは勿論、若い男女が、休日に、2人きりで、ヤル事、と言えば決まっているだろう」

 ドキッとするミサト。内心は嬉しさ爆発状態なのだが、一応は困ってみせるフリをする。

「でも、まだ朝早いし、それにこんなに天気も良いのに」

「どうせヤルならなるべく早く始めた方が良いだろう! ましてや天気が良いとなれば尚更だ」

『キャー やっぱシンちゃんて大胆。おネーさん困っちゃう』

「でも、ここの後片付けもまだ終わってないのに」

 ついさっき迄、何とかシンジの魔の手から逃れようと懸命の努力をしていたあれは、

 いったい何だったんだろう?
 

「それじゃ、ここの後片付はミサトに頼む。
 僕はその間にまずは洗濯の方から始めるから、それが終わったら今度は掃除だけど、
 部屋全般は僕がするから、ミサトはトイレとお風呂の方を頼む」

「あ、あのシンちゃん?」

「何だ?」

「いったい何の話?」

 シンジの考えてる事と自分の考えてる事は違うんじゃないかな、と感じ始めたミサトは、

 その事を質問してみる事にしたのだが、案の定ミサトのカンは珍しく的中する事となる。

「だからさっきから言っているだろう。掃除と洗濯を2人で手分けして実施するという話だ」
 

「・・・・・・・・・」

 絶句してしまうミサト。

 掃除と洗濯、自分がこの世で最も苦手とするものである。

 そうとわかれば長居は無用。

 葛城作戦部長はすぐさま戦略的撤退を速やかに実施する事にした。

「シンジ君ごめ〜ん。良く考えたら第3使徒に関する残務処理がまだ残ってたのよ。
 だから残念だけど、掃除と洗濯はこの次の機会って事にして」

(最低だ。大人って)

「そうか、ならしょうがないな。
 確かリツコは休みだと言っていたから、彼女にでも来て手伝ってもらうか」

 ギョッとするミサト。

 リツコは第3使徒に関する残務処理のうち、

 作戦部に関与する部分については、既に終了している事を知っているのだ。

 そんな彼女に手伝いに来られたんじゃあ、

 自分の作戦が露呈してしまう事は、火を見るよりも明らかであり、

 作戦を中止し、自己の保護を最優先にするしかミサトには道は残されていなかった。
 

「待って、・・・良く考えたら私の勘違いだったわ、あれに関する残務処理は既に終わっていたわ」

「そうなのか。それじゃさっき言った通りで頼む」

 そう言って立ち上がったシンジの口元を良く見てみると例の『碇スマイル』が浮かんでいる。

 どうもミサトの作戦は最初からシンジに喝破されていたらしい。

 わずか14歳にして、ネルフ作戦部長であるミサトの秀逸な作戦を打ち破るとは、

 碇シンジ・・・ おそるべし少年である。

(それ程のものか? どう聞いても、誰が聞いてもバレバレだと思うが)
 
 

 その後シンジは脱衣場に向かうと、そこから洗濯物を入れるためのバスケットを取ってきた。

 ミサトは仕方なくシンジの分も含めてお互いの膳をキッチンへ運んでいると、

 シンジがバスケットを抱えたまま自分の部屋の方向へと向かって行くではないか。

 もしやと思い慌てて自室へと向かうと、

 やはりそこではシンジがあっちこっちに脱ぎ散らかされた衣装を拾って、

 次々とバスケットに放り込んでいて、当然その中にはランジェリー類もいくつか含まれている。

 そして今またシンジがそれに手を出そうとしているのに気づいたミサトは、

 顔を真っ赤にしながら、シンジが手にする寸前に横合いからそれをひったくった。
 

「シ、シンジ君。私の洗濯物は私が自分で洗うから、あなたは自分の物だけ洗濯して頂戴!」

「別に気にする必要は無い。それにわざわざ1回で済むものを、2回に分けるのは非効率的だ」

 焦りまくった口調でシンジの好意を辞退する旨を伝えるミサトだが、

 シンジの方はまるで気にした風でもなく、あっさりとそれを退けられてしまう。

 とはいってもあのミサトでも、自分の下着を他人に触られるのは恥ずかしいものと見え、

 何とか止めてもらおうと必死になってシンジに食い下がる。

あのって何よ!あのって
 

「で、でも、ほら、やっぱり、し、下着とかもあるし・・・」

「ああ、その事か」

「そう、その事なのよ」

問題無い。素材はキチンと確認して、シルクとかについてはちゃんと手洗いするよ」

『そんな事されたらかえって恥ずいじゃないの〜』

「あ、あのね、シンジ君・・・・」

 どう説明したらシンジに理解してもらえるのだろうか?

 ミサトは必死に考えるのだが、事が事だけに仲々良い案が浮かんでこない。
 

 シンジの方はというと、自分の目の前で下着を握り締めたままオロオロしているミサトを、

 不思議そうに眺めていたが、さすがに察する所があったのだろう。

 まずはその事を確認しようと、ミサトに対して混乱を解消するため、やや大きめな声をかけた。
 

「ミサト!」

「な、何?」

「要するにお前は、僕に下着を洗って欲しくはないんだな?」

「そ、そうなのよ。ご免なさいね、シンちゃんのせっかくの好意に水を差すような真似をして」

 ミサトはようやく自分の真意が伝わった事がとても嬉しかったのだろう。

 いたく感激した様子でシンジの確認を肯定する。

 それに対してシンジ自身は、わだかまりも、また変に固執する必要も何ら存在しなかったため、

 ミサトの意向を汲んでやる事にした。
 

「別にそんな事を気にする必要は無い。それならそうとはっきり言えば良いんだ」

『いや、だって、こんな事はっきり言える訳無いじゃない』

「次からはちゃんと仕分けしておいてくれ、とりあえずこの中に入ってる分は今返しておく」

 シンジはそう言ってバスケットをひっくり返し、中の衣服を全部畳の上にあけたかと思うと、

 下着とそれ以外の物とを次々と仕分けしていく。

 当然ミサトとしては止めさせたかったのだが、逆に恥ずかしさのあまりいたたまれず、

 手を出す事が出来なかった。
 

「じゃ、これは返しておくから、ちゃんと洗濯しておくんだぞ」

「はい。ありがとうございます」

 シンジはそういって一纏めにした下着をミサトへと渡した。

 受け取ったミサトの方はというと、気力も何も全て無くしたといった感じで、

 シンジに対してただ条件反射的にお礼の言葉を返すだけで精一杯であり、

 何となく自分がシンジの子供にでもなったような感覚を味わっていた。
 

「おいミサト」

「おとうさん」

「はあ?」

 シンジは急に反応の鈍くなったミサトの事を訝しみ声をかけてみると、

 突然意味不明の事を言われて面喰らってしまう。

 だが次の瞬間に我に返ったミサトは慌てて場を取り繕う。
 

「ううん、何でもないの。こっちの話」

「本当に大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫。全然問題無いって」

「・・・・・まあいい。じゃ食事の後片付けの方、なるべく早く頼むぞ」

 そう言うとシンジは立ち上がって部屋を出ていってしまった。

 多分今度は自分の洗濯物を取りに行ったのだろう。

 残されたミサトは、しょうがなく紙袋を探してきて、それに下着を入れると、

 自らは食器を洗うためキッチンへと向かった。
 
 
 
 
 

パリーン

キャッ

『・・・やったな』

 シンジが洗濯機のスタートボタンを押すのとほぼ同時に、

 キッチンの方から説明不要の音が聞こえてくる。

 だがシンジの表情を見てみると、多少予想はしていたようで別段変化は感じられない。
 

パリーン

あーん、もう

『・・・またか』

 さっきの音が聞こえてからまだ1分と経っていないのに、

 またしてもキッチンの方から先程と同じ音が聞こえてきた。

 脱衣場を出て掃除機の置いてある納戸の所へと向かおうとしていたシンジの表情だが、

 今度はややあきれたような感じが伺える。
 

ガッチャン

どうしてー、何でー

『・・・・・・イイ加減にしろよ』

 またまたほんのわずかの時間の後に、キッチンの方から聞こえてきた3度目の音に、

 さすがのシンジの忍耐力もほぼ限界に近づいたようで、

 納戸に収納してある掃除機を取りだそうとしている手を止めると、

 彼にしては非常に珍しい、憤怒の表情でキッチンへと向かった。
 
 

 キッチンへとやって来たシンジはすかさず被害状況の把握に努めた。

 中皿2枚と茶碗1つが大破といった所のようで、ミサトは黙々と被害箇所の復旧に努めており、

 現在は大きな欠片を1つづつ丁寧に拾い集めている。

 シンジはとりあえず責任追及は後回しにして、箒とちりとりを補給するため、

 一旦戦場から離脱する事にした。
 

「ありがとうシンジ君」

問題無い

 実際はそうでも無かったのだが、シンジは何とか平静を装ってミサトに相対した。

 まあ起こってしまった事は仕方ない。今後同じ過ちを繰り返させない事の方が肝要なのだ。

 そうシンジは判断すると、

 事故の全容を把握すべくミサトに対して当時の状況を確認する事にした。
 

「ミサト、何故食器を”手で”洗おうとしたんだ?」

「何言ってるのよシンちゃん。手で洗わなきゃどうやって洗うのよ?
 まさか足で洗うってんじゃないでしょうね」

 聞いているシンジは、何となく本当に頭が痛くなってきたような気がした。

 ミサトの問いに対して口では答える事無く、

 システムキッチンの1部分を指さしミサトに問いかける。
 

「ミサトあれは何だ?」

「何って、乾燥機でしょ」

 確かにシンジが指さした物は、正面から見ると乾燥機に結構似ていると言えよう。

 ただ普通乾燥機は正面のガラス張りの部分が円形であるのに対して、

 これは四角で中の状態が全て見られるようになっており、

 取っ手についても乾燥機の場合は左右のどらかについているのに、

 これは上部についており、そこから手前に引いて開くような構造になっているらしい。
 

「どこの世界に乾燥機の付いたシステムキッチンがあるんだ!
 
 

 結局この日シンジの目論見が完遂する事はなかった。

 理由は・・・ ミサトの名誉の為に言わないでおいた方が良いだろう。
 

 だが1つだけ、ミサトがシンジの指さした物を、

「乾燥機」 と言ったのは決して間違いでは無かったのだ。

 尤もあれは 「食器洗い器 兼 乾燥機」 だったが。
 
 
 
 
 

 天界より遣わされし2番目の使者は、一中において孤立した立場にあったのだが、

 魔界より遣わされし3人目の少年と、今後新たなる関係を構築していく事となる。
 
 

                                                         
 
 

 転校手続きが終了し、いよいよ第一中学へと初めて登校していくシンジ。

 ネルフに続き、彼の存在は一中にどんな波紋を巻き起こすのか?

 そしてシンジは、第一中において己の優秀な片腕となる人物を見いだす事となる。

 次回 問題無い  第9話 シンジ 登校

 さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ