天界より遣わされし３番目の使者を、遂に地へと落としめした
魔界より遣わされし３人目の少年が、次に興味を抱いたのは２番目の使者であった。
第７話 シンジ 審問
薄明かりに照らし出されたエヴァ初号機のエントリープラグの中、
そこには最初にエヴァに搭乗した時とは異なり、
上半身は白を基調に下半身はブルーのプラグスーツに身を包んだシンジが、
頭には当然ヘッドセットもつけて、リツコの説明に耳を傾けている。
「おはようシンジ君。調子はどう！」
「問題無い」
「それは結構。エヴァの出現位置、非常用電源、兵装ビルの配置、回収スポット、
全部頭に入っているわね？」
「問題無い」
「では、もう１度おさらいするわ。通常エヴァは有線からの電力供給で稼働しています。
非常時に体内電池に切り替えると、蓄電容量の関係でフルで１分。
ゲインを利用してもせいぜい５分しか稼働できないの。
これがあたし達の科学の限界って訳。お解りね？」
「問題無い」
「では昨日の続き、インダクションモード。始めるわよ」
知らない者がこのリツコとシンジの会話を聞いていたならば、
シンジに対してやる気があるのか疑ってかかっていた所だろうが、
シンジの事を良く知っているリツコは、全然気にした風でもなく、
それどころかむしろ嬉しそうに会話の最後を締めくくった。
リツコの言葉が終了すると同時に初号機の電源が体内に切り替わり、カウントダウンを始める。
どうやらここはエヴァのシミュレーションルームのようであり、
４方を壁に囲まれた閉鎖された空間の中に、
上空より様々なケーブルを取り付けられた初号機がただ１機のみ、ポツンと存在している。
はたから見ればいったい何をしているのかよくわからないだろうが、
シンジの元へは第三新東京市と使徒の情報が、ＣＧ（コンピュータグラフィックス）を使った、
ＶＲ（バーチャルリアリティ）として送り届けられているのだ。
シンジは、パレットガンというショートライフルのようなもので、
（とは言っても、エヴァに合わせてあるのでかなり巨大だが）
仮想空間に映し出された第三使徒サキエルに対し次々と弾丸を打ち込んでいき、
打ち込まれたサキエルの方は、後方に倒れ込むと爆発してしまう。
次から次へと素早く目標を倒していくシンジ。
現実の物ではなくＶＲとはいえその動作は素早く、
銃を扱い始めてわずか数日しか経っていないとはとても思えないものだった。
「しかし、よく乗る気になってくれましたね。シンジ君」
初号機を見下ろす位置に設けられたコントロールルームにおいて、
シンジの訓練の様子を見守っている３人の女性のうち、
マヤが自分の左側に位置するリツコに声をかける。
さらにリツコのやや左後方には、ミサトが厳しい表情のまま腕を組んでいる。
「そうね、彼はどちらかというとトップに立って部下を使いこなすタイプの人間のように見えるけど、
いざと言う時にはキチッと自分の手で物事を処理する。出来る能力も持っているのよ。
ここら辺は、司令とはちょっと違う所かしらね」
マヤの疑問に対して、やや的外れかな？ とも思えなくもないリツコの意見だったが、
その内容については、シンジの本質と言うものを良く見抜いている。
さすがはリツコさん。といった所であろうか。
それまで厳しい表情を保っていたミサトもフッと頬を緩めると、
リツコの意見に対し、うんうんと大きくうなずいていた。
マヤはというと、『まだ何となくわからない』 といった感じでリツコの横顔を眺め続けている。
本来争い事が嫌いな彼女が、軍隊とも言うべきネルフに奉職を志したのは、
自分が尊敬する先輩であるリツコがここに籍を置いていたからに他ならず、
幸運にも彼女の下で働くという機会を得る事が出来た時の嬉しさは今でもはっきりと覚えている。
そんなマヤにとって、大学時代から伝説の存在で有った 「赤木リツコ博士」 だが、
彼女はこの碇シンジという少年に出会ってから、はっきりと変わっていた。
天才にありがちな人を冷たく拒絶する棘が取れ、
人間として、女性として、以前とは比べ物にならないぐらい魅力的になっている。
事実、技術部の作業員達の間には、それ迄なんとなく彼女を敬遠する動きがあったのだが、
最近は親しく話しているのをよく見かける事があるし、
中にはこっそり彼女の写真を身に付け始めている者も出てきているらしい、
という話すら出ている程だ。
以前の彼女は自分にとってあこがれの存在でもあり、
またそれが為に近づき難い雰囲気もあったのだが、
今ははっきりとその存在を身近に感じることが出来、自分としても嬉しく思っていた。
それを引き出したのは、碇シンジというまだ１４歳の中学２年生の少年なのだ。
初めて彼と話した時、マヤはこの少年に底知れぬ恐怖感を覚えていたのだが、
その一方で、彼は自分を惹きつけて止まない、たまらない魅力も持っているのだ。
今だシンジとは正面から直接対面した事の無かったマヤであったが、
その存在が、最近自分の中で急速に大きくなっていくのを彼女はひしひしと感じていた。
ふーー
今日唯一のメニューである射撃訓練が全て終了した後、
シンジはＡ級勤務員の更衣室に戻ってくると、
ベンチに腰を下ろし、プラグスーツの上半身をはだけていく。
やがて少年らしい瑞々しい肢体が晒け出されたかと思うと、下を向き軽くため息をついた。
髪は今までエントリープラグに入っていたせいで、ＬＣＬで濡れており、
顎の所から時折滴が１滴２滴と床に落ちていく。
以前のミサトやリツコならば秘密カメラを取り付けたくなるだろうし、
その道のおネーさん達が見れば、すぐさまスケブを取り出しているだろう。
一見すると彼の肉体は細くて、ひ弱で、華奢な感じを受け、
実際こうして体全体の輪郭をなぞってみても、その印象が変わる事はない。
だがもう少し目をこらしてみると、表面上のそれとはうらはらに、
しなやかな中に、キッチリと筋肉が詰め込まれているのが見えてくる。
特にキリッと締め上がった尻は何とも言い難い。
（そろそろ止めよう。何か・・・ アブナクなってきたぞ）
第三新東京市、そしてネルフへ戻ってきたシンジは、
正式にエヴァ初号機のパイロットとして登録されたのであるが、
その結果彼には、Ａ級勤務員資格を有するＩＤカードと、
先に述べたプラグスーツとヘッドセット、そしてこのロッカーが与えられたのである。
その他に宿舎と、また当然ながら様々な手当がかなり、
というより法外と言って良い程支払われる事になったのである。
もちろんこの契約交渉についてはかなり難航したのであるが、
何故か赤木技術部長と葛城作戦部長のジョイント�癸海�強烈なサポートに回り、
最終的に碇、冬月の�癸院ぃ殴灰鵐咾魄掬櫃垢觧�に成功したのである。
結果これにより一番の被害を被ったのは、言う迄もなく実務の�癸院‥澤酩�司令である。
例の世界征服実行委員会（確かそうだよね？）において、
ゲンドウは息子シンジとぐるになって予算を横取りする族議員と思われているので、
この親子の暴走に際し、「どうしてベークライトを注入しなかったのだ」、
との叱責を受けたのである。
（う〜ん。間違ってはいないと思うんだが？）
「冬月先生。後を頼みます」
「まったく碇のやつめ、雑務は全てわしに押しつけおって」
尚これは未確認であるが、
「赤木技術部長と葛城作戦部長の２人がシンジの擁護に回った背景には、
『碇シンジ氏（１４歳） ［元第二新東京市立第四中学校生徒会副会長］ より、
両部長に対し多額のリベートが支払われた』
との内部告発が有り、第三新東京○検特捜部が査察に入ったのであるが、
何ら物的証拠を見つけ出す事が出来ず、現在も内偵を進めている」
という情報があるらしい。
まあしかし、これはあくまで噂であろう。
２人の生活を見ても、以前と比べて殊更派手になったという様子も見受けられないし、
こっそりＭＡＧＩにアクセスして、シンジの口座内容を見ても変化はない。
ただ１点気になる点があるのだが、それはこの情報が囁かれ始めた頃から、
両部長のお肌の艶や腰のキレが、以前と比較するとかなり良くなっているのが目につき、
それに比例しているのであろうか？
フェロモンの発生度合いがとても高くなっているようなのである。
はっ これはもしや、頂いたワ○ロをまさか２人してエステにでも注ぎ込んでいるのでは？
（う〜んしかし、お肌の艶はともかくとして、腰のキレってのは？・・・）
ここは一つ今後の進展を注意深く見守・・
「これから暴くつもり？ でも駄目よ！
こわ〜いお姉さんが見ているわ」
・・る迄も無いでしょう。あの２人に限ってそんな事がある訳ありませんものね。ハ、ハ、ハ
しばらくしてシャワーを浴びＬＣＬを洗い流したシンジが再びロッカーの前に戻ってきた。
左手には缶入りのスポーツドリンクを手にしている。
缶の表面が汗をかいている所を見ると、結構冷えていて飲み頃の様だ。
シンジは缶を開け、ドリンクを一口だけ喉へと流し込むと先程とは別のベンチに腰を下ろす。
何かしらまた考え事をしているようだが、相変わらずのポーカーフェイスのため、
残念ながら彼の心中を推し量る事は出来ない。
やがてドリンクを全てを飲み干した彼は、
立ち上がると自分のロッカーから荷物の入ったディパックを取り出し右肩にかけ、
帰宅の途につくため更衣室の出口へと向かった。
「シンジ・・君。ここ数日、本当にお疲れさまでした」
更衣室を出たシンジに不意に声がかけられる。
シンジは多少びっくりしながら、それでもやはり顔には出さず、
声のかけられた方へと目を向けると、リツコが立っているではないか。
「検査結果の報告に来たんだけど、お疲れのようだったらまた次の機会にするけど？」
「・・・・・・・・・・いや、別に問題無い。と言っても立ち話もなんだな・・・・
リツコ、お前の部屋へお邪魔してもかまわないか？」
シンジはリツコの問いかけに対して数瞬考えるそぶりをみせた。
自分がここに来てからの数日間は検査と、そして訓練のスケジュールが目白押しだったのだ。
まず初めに人間ドックに入れられ、体中のありとあらゆる部分について精密な、
それこそ微に入り・細に入りといった感じで徹底的に検査を実施されたのである。
それが終わった次の日、今度は身体能力のテストである。
肺活量、握力、背筋力、ジャンプ力といった基本的な所から始まり、
反復横飛び、５０ｍダッシュ、１５００ｍ走と、多岐にわたる項目を黙々とこなすシンジ。
傍目には何の苦労も無く、すいすいとメニューをこなして行くかのように見えていたが、
普段から恒常的に使っている部分の筋肉ばかりではないのだ。
さすがにその後の数日は軽い筋肉痛に悩まされた。
そしていよいよ実際にエヴァを使った訓練の開始である。
とは言っても現在エヴァが使用できる武器の数は限られており、
接近戦においてはプログレッシブナイフ、遠方戦の場合はパレットガンと、
この２種類しか無いのである。
もちろんリツコは新しい武器については色々と研究を続けているのだが、
何しろエヴァの大きさに合った物で、尚かつ実戦で役に立つ物となると、
仲々難しいのが現状である。
さて実際のエヴァの訓練の話だが、シンジの場合、
今日までずっとパレットガンでの遠方戦を想定したシミュレーションが続いているのだが、
これにはちゃんとした理由がある。
接近戦の場合は格闘技に長けていた方が当然有利である。
とは言っても人にはそれぞれ、向き・不向きというものが有り、
また体格・体力的な面も当然個人差があるので、一概に同等の指導を行うのでは無く、
各人にそれぞれ合った指導を行った方が、合理的かつ効果的である。
そのため、シンジの接近戦に対する訓練は、彼の身体的なデータを揃えた所で、
彼に最も合うメニューを用意してから、という事になっているのである。
おそらくリツコの話というのは、単に検査の結果だけでなく、
そこらへんの事もふまえているものと思われる。
「わかったわ。それじゃついてきてくれるかしら？」
「問題無い」
シンジは簡潔に答えると、リツコの後について彼女の部屋へと向かった。
「リツコ」
「え？」
それ迄無言だったシンジだが、リツコの部屋の扉の前迄来ると突然彼女に対して声をかけた。
思わずカードキーをスリットに差し込もうとしていたリツコの手が止まる。
ここ迄来ていったい何を？
訝しむリツコに対しシンジが問いかけたのは、まるっきり意味不明の事だった。
「最近、テレビとラジオの調子はどうだ？ 僕の家の方は両方とも全く駄目だ」
「・・・・・・・うちもそうなのよ。本当、困ったものだわ」
シンジの問いかけに対しほんの少しだけ間が開いたが、
リツコはクスッと笑いかけながらさらりと返答する。
止まっていた手も再び動き出し、部屋の扉が圧縮空気の音と共に開いていく。
答えを聞いたシンジはというと、『碇スマイル』を浮かべたかと思うと、
リツコの後に次いで部屋へと入っていった。
（う〜ん。でも、まあ予想はつくよね？）
ネルフ内部においては、部長以上の役職者にはそれぞれ個室が割り当てられているのである。
もちろん一番贅沢なのは、司令であるゲンドウが普段在籍しているネルフ総司令官公務室、
と言いたい所だが、実は副司令の冬月の部屋が最も金がかけられているのである。
何しろ副司令はバブルとか何とかいう時代に人生の内で最も油の乗った時期を過ごしたため、
そういった生活が身に染みついてしまい、その外見とはうらはらに贅沢が大好きだった。
・・・・・・訳では決してない。
（コラ！ いい加減にしろよ。ここ迄引っ張っといて）
本来ならば対外的な客を迎えた場合、それを接待するのは、
当然司令であるゲンドウの役目の筈なのだが、何しろ当の本人があの調子である。
しかもだだっ広い部屋に自分の机がポツンと一つ。来客用のソファーさえ置いていない。
こんな所へお客を案内したりしたら、接待どころかかえって怒らせてしまうだろう。
そのため冬月の本意では無いのだが、彼の言う所の 「雑務」 については、
全て彼が受け持たざるをえなくなっているのである。
その反面という訳でもないのだが、リツコやミサトなどの部長職の部屋は簡単な物だった。
元々さして広くない上に、中に置いてあるのは自分の執務用の机と来客用の椅子が１脚、
あとは壁にくくりつけの書棚。と、こんな所である。
尤もリツコの場合は自分専用の研究室を貰っており、
普段はそちらで過ごす事の方が多いのだが、そのせいだろうか、
初めて訪れたリツコの部屋からは人の存在感という物が希薄に感じられた。
机の上にはノートパソコンと、この時代でも紙の書類はまだまだ健在のようで、
それを入れておくための箱（ただし中身は空っぽ）の二つだけだし、
壁の書棚も本がびっしりと言う訳ではなく、あちこちに隙間が見受けられる。
こういった事も先程の感覚に拍車をかけているものと思われるが、
もし彼が訪問したのが、だいたいいつもリツコの研究室にたむろしていて、
自分の部屋に顔を出す事が殆ど無いミサトの部屋だったならば、
間違いなく別の感じを得ていただろう。
「うっさい！」
シンジを来客用の椅子にいざなった後、
リツコは自分の机に回り込み、立ったままでシンジに話しかける。
「私の方から先に話を始めても構わないでしょうか？」
「問題無い。それから立ったままでは疲れるだろう？ 腰掛けたらどうだ」
そういって軽く微笑むシンジ。今度のはどうやら『碇スマイル』ではないようだ。
シンジの了承をもらったリツコは、お礼の言葉を述べ椅子に腰を下ろした後、
机の引き出しからバインダーを取り出した。
しかしどうやらそこに綴じられている内容については、既に自分の頭の中に入っているようで、
中身に目を落とす事も無く、シンジに対して検査結果の説明を始めた。
「ありがとうございます。それではまず検査の結果ですけど、
健康面においては全く問題ありません。安心してください。」
「次に身体能力の方では、全体的にパワー不足といった感じですけど、
これは中学２年生の平均値と比較した場合であって、シンジ様の体格を考慮しますと、
十分合格と言える内容だと思います。
あとスピードとスタミナについては申し分無い成績です。」
そこまで言い切るとリツコは一旦話を止め、シンジの様子を伺ったのだが、
相変わらずその表情に変化というものは見受けられず、特に意見も無さそうだったので、
リツコは説明を続ける事にした。
「この次の訓練からは近接戦闘を考慮して、シンジ様自身に格闘技の教習を受けて貰います。
もちろんその際はこのデータを基にして、シンジ様に最も合ったメニューを用意致しますが」
「わかった。そこら辺はリツコにまかせるよ。ところで話はこれで終わりか？」
「はい。私の方は以上ですが。シンジ様の方は何か？」
どうやらリツコの話は終わったらしい。
シンジはこの前から頭に引っかかっていた事を、躊躇する事無くリツコに質問する事にした。
「この前来た使徒とかいうやつに名前はついているのか？」
「名前・・・ ですか？」
「そうだ名前だ！」
リツコはシンジの真意が奈辺にあるのか計りかねたが、とりあえず正直に返答する事にした。
「名前はサキエル、第３使徒サキエルと言いますが。それが何か？」
リツコの返答を聞いて黙り込んでしまうシンジ。
『やはりあの時自分の頭に浮かんだ名前と全く同じだ。偶然の一致・・・・・ 有り得ない！』
シンジが母親のユイから得た様々な情報の中には、使徒の項目も含まれており、
それらが複数体、正確には１４体いる事迄把握していたのだが、
さすがに使徒１体・１体の名前迄は確認していない。
それなのに何故、第３使徒の名前を知っていたのか？
シンジはリツコに確認した上でもう一度検討しようと思っていたのだが、
その答えを聞かされたこの段階になって、ようやくその手法が無い事に思い至る。
外れていれば何の問題も無く、単なる自分の勘違いで終了する筈のものだったのだが、
逆に正解であったが故に、そこから先へは１歩も進める事が出来ず、
サキエルの事については早くも手詰まりになってしまったようだ。
黙り込んでしまったシンジに対し、
リツコは何とか声をかけようと必死に会話の糸口を探すのだが、
仲々うまい言葉が見つからない。
そろそろ途方に暮れかかろうかという段になって、
シンジの方から再び質問が寄せられたのだが、それはさっきの使徒の話とは全く違う物だった。
「リツコ」
「はい」
「綾波レイというのはいったい何者なんだ？」
瞬間息を呑むリツコ。普段冷静な彼女らしくもない。
だがしかし、それだけこの問題が重要であるという事を物語っている。
とは言ってもリツコのそれは、常人ならまず気づかない程度の微妙なものであり、
シンジだからこそ、リツコの心の機微を察知出来たと言えよう。
「言いたくない・・・ というのなら無理には聞かんが？」
「いえ、お話致します。ただ一つだけお願いがあります。」
「何だ？」
「これからお話する事を聞いた後でも、どうか変わらずレイと接してやってほしいのですが、
何故ならその内容がシンジ様とレイとのこれまでの関係を、根底から覆しかねない、
それだけ重大なものだからです。」
レイの事を気遣うリツコだが、実は彼女自身が自分の口から出てきたこの言葉に驚いていた。
これまで他人の事を思いやる事など決して無かった自分なのに、
ましてその相手がレイだなどと、
リツコは逆になんとなくおかしくなってしまい軽い笑みを浮かべる。
シンジはそれをどのように受け取ったのか？ やはりその表情からは読みとる事は出来ない。
「確約は出来ん。だが問題無いだろう」
「・・・・・・わかりました」
決して百点満点とは言えないシンジの答えだったが、
リツコはむしろそこにシンジの誠実さを感じ取っていた。
誰しも未来の事など完璧に予測できる者などいないのだが、
シンジの物言いはそれに向かって努力する姿勢が感じられたため、
リツコはシンジに全てを話す決心をした。
・・・・・・・・・・・・・・・話は今から１０年前に遡る。
無論当時リツコはまだ大学生であり、
ミサト達と一緒にほんのわずかであるが青春を謳歌していた時、
シンジはまだ４歳で、いつも母親の後をとことことついていく、
今からはとても想像できないが、人なつっこい、それでいて泣き虫な子供だった時、
神が気まぐれにアダムを作ったように、
”綾波レイ”彼女もまた神の気まぐれによりこの世に生を受けたのだろうか？
否、そうではない。彼女は・・・ 初めの人間アダムの最初の妻。 そして・・・
「レイの話に入る前にエヴァの・・ 初号機の話をさせて頂いてよろしいでしょうか？」
「まて、基本的な所は把握している。要するにあの中には母さんが入っているんだろう？」
突然のシンジの言葉に再び息を呑むリツコ。
委員会の連中を別にすれば、ネルフ内部でこの事を知っているのは、
司令のゲンドウ、副司令の冬月、そして自分、と３人しかいない筈なのである。
ゲンドウの性格からしてシンジにこの事を漏らす筈が無いし、冬月は言わずもがなである。
その事について確認しようとするより早く、シンジは補足の言葉をつけ加えた。
「驚く事はない。
僕は１０年前、母さんが目の前であれの中に消えていくのをしっかりと見ていたんだ」
「おまけにその後、僕は死んだと言われている母さんの遺体を・・・ 遺骨すら見ていない。
冬山で遭難したとか、川や海で溺れて死体が上がらないとか言うのならともかくな、
となると残る可能性は一つしかない。母さんは今でもそこにいる」
「・・・・・・・・・・」
言葉もないリツコ。
だがシンジは、
実際自分が既にエヴァの中で１度母親のユイと出会っている事は明かさなかった。
これは別に他意があった訳ではなく、話したからといって状況が変化するとも思えないし、
なにより無用の混乱を引き起こしたく無かったのである。
「シンジ様・・・」
ややあってからようやくリツコは口を開いたのだが、その口元は悲しそうに引き結ばれており、
シンジを見る視線にも憐憫が見て取れる。
「リツコが気にする事ではない。それより話を続けてくれないか？」
「は、はい。わかりました」
シンジの言葉にリツコは思わず我に返ると、話を再開する事にした。
「シンジ様のお母様、ユイさんを救い出す為に１つの計画が実行されたのです。
それはサルベージ計画というものでその名前の通り、ユイさんを掬いだそうというものでしたが、
結局それは完全にはうまくいきませんでした。」
「”完全には”と言う事は、ある程度成果は有ったのだな？」
「はい。この計画によって１人の女性が掬い出される事になるのですが、
それはユイさんではなく・・」
「綾波だったという訳だ！」
「ええ、その通りです。ただその際精神はともかくとして、彼女の肉体迄も完全に再構成できるか、
当時の技術ではかなり不安があったのです。
そのために一旦彼女の精神を落ち着ける依り代を用意すると言う事になり、
それに使われたのが・・」
そこまで話して再び口ごもるリツコ。
シンジにしても綾波が母親の分身ではないかという事は、当のユイから聞いていたので、
別段驚くには値しなかったのだが、「依り代」 などというものは初耳である。
その先を早く聞きたかったのだが、シンジは辛抱強く再びリツコが口を開いてくれるのを、
ジッと待つ事にした。
「シンジ様・・・ 先程私はこの前の使徒の事を”第３使徒サキエル”と言いましたよね」
「ああ確か・・・ 第１がアダム、第２がリリスとか言ったっけ？」
「シンジ様、どうしてその事を知ってらっしゃるんですか！」
「ああ母さんから聞いたんだ。
そしてエヴァンゲリオンとは、その使徒のクローン体で有るという事もな」
「・・・・・成る程、そういう事だったんですか」
再びシンジから発せられた衝撃の告白は、またしてもリツコに大いなる影響を与え、
彼が 『母から聞いた』 という事を１０年前の事というふうに、勘違いをさせてしまうのである。
ところが実際、シンジが彼の母親からアダムとリリスの事を聞かされたのは、
ついこの前の出来事であり、彼自身全く意識する事なく、ついポロッと漏らしてしまったのだ。
「依り代をどうするのかという事に関しましては色々な考えが有りましたが、
結局最終的に採用されたのは、エヴァと同じ使徒のクローン体を使用するという案でした」
「ま、待て、という事は、まさか・・・」
「ええ、サルベージに当たって、なるべく拒絶の原因は少なくしようという事だったのですが・・・
結論を申し上げます。レイの依り代に使われたのは第二使徒リリスなのです」
「・・・・・・・・・・」
今度はシンジが言葉を無くす番だった。
それはそうだろう、リツコの言う事が本当・・・ なのだろうが、
だとするとレイ自身が 「使徒」 という事になってしまう。
成る程、話に先立ってリツコが言っていたのはこの事だったのか、と思い至るシンジ。
先程はああ言ったが、さて自分は今後どのようにレイとつき合って行くべきか？
・・・・・考える迄もない。自分はあの時レイに向かって言ったではないか、「仲間だからだ」 と。
『それに今までの話を総合すると、僕から見た彼女は、”妹”というのが一番当てはまりそうだし、
その”妹”が 「使徒」 ってのも変わってて良いか、でも友達には自慢出来ないな』
（何考えてんだよシンジ）
「シンジ様、確かにレイの肉体にはリリスが依り代として使われています。
ですがその一方でユイさんのＤＮＡが検出されているのも事実なのです。で、ですから・・・」
レイの事をかばってあげたいと思ったリツコだったが、
黙り込んでしまったシンジの胸中を察すると、話を止めざるをえなかった。
やはり話すべきでは無かったのだろうか？
後悔がリツコの胸に湧き上がりかけてきたその時だった。
「大丈夫だ。心配かけたな。問題無い」
びっくりしてシンジの表情をまじまじと眺めるリツコ。
尤もシンジの表情というのは、変化する方が珍しいのだが、
リツコ自身が感じた所では、そこには気負いも不自然さも特には見受けられない。
やっばり自分の選んだご主人様に間違いは無かった。
もう何度目になるかわからないが、
リツコは彼に仕えられる事の喜びをまたしても噛み締めていた。
「続けてくれ」
リツコはシンジの言葉に促され、再びサルベージ計画の顛末について話し始めた。
「結局サルベージ計画はうまく行きませんでした。レイは精神と肉体を得ましたが、
それはあくまで”綾波レイ”のものであり”碇ユイ”のものではなかったのです」
「そうか」
相づちを打つシンジ。途中レイが使徒であるというイレギュラーは有ったものの、
それを除けば今リツコから得た情報も、母ユイから得た情報も大筋で合致している。
シンジはリツコに労いの言葉をかけ、この場を辞そうと考え腰を浮かしかけたのだが、
それを中途で止めざるを得なくなる言葉がまさかリツコの口から出てくるとは、
この時のシンジには当然ながらその片鱗すら浮かんでいなかった。
「最初の失敗の後、再び行われたサルベージ計画の結果は以前よりも悪いものでした。
生を取り戻す事には成功したものの、２人目の綾波レイには精神は生まれなかったのです」
「ま、待て。２人目だと？」
シンジはリツコの口から飛び出した新しい事実に、
再び腰を落ち着けると確認のための言葉を口にする。
それに対してリツコは更に衝撃の事実をシンジに伝える。
「ええ、サルベージ計画は都合１６回実施され、１６人の綾波レイが生まれているんです。
ですが精神を伴って生まれたのは最初の１人目のみ、後の１５人は何と言って良いのか・・・」
シンジは驚くよりもむしろ呆れてしまった。
『１６人だと・・・・・ いったい何考えてるんだ父さん』
そして次に浮かんできたのは、残りの綾波は今どうしているんだ？ という事である。
シンジは躊躇する事なく、その事をリツコに尋ねる。
「残りの１５人のレイは今どうしているんだ？」
「実は１６人のうち２人は既に事故で亡くなっているんです。１人は幼少のうちに、
そしてもう１人は、エヴァ零号機の起動実験の際に重傷を負って・・・・
ですから今私と同居しているのは３人目の綾波レイという事になります。」
『２人亡くなっているにしてもまだ１４人もいるのか、こりゃ結婚式の祝儀も大きな痛手だし、
そのスピーチを考えるのだって一苦労だ。まてまて将来的に２人づつ子供が産まれたとしたら、
２８人も甥っ子や姪っ子にお年玉を出さなくちゃならないのか？！ 勘弁してくれよ』
何か話が突拍子もない事になってしまったため、
さすがのシンジの考えも壊れてしまったようである。
そのため仲々カンが良く、表情や話し方など、相手の変化の機微を察知するのが鋭い彼が、
リツコが最後のセリフを語った後に、その表情が曇った事に気づく事は無く、
彼女はホッと胸をなで下ろすのだが、この棘はしばらくの間彼女を悩ます事になる。
「あれ、待てよ？ さっき確か 「精神を伴って生まれたのは最初の１人目のみ」 と言っていたな、
と言う事はたまたま今の３人目のレイがその人物だという事か？」
「いいえ、そうではありません。
レイは何故か亡くなるとその精神が次のレイに引き継がれるのです。
どうしてそうなるのか、理由は今の所全くわかっておりませんが、
今のレイは間違いなく３人目の綾波レイなのです」
「わかった。最後に一つだけ、残りの連中は今どうなっているんだ？」
「後の１３人についてはこの施設の中にいます。
場所や状況についてはまた別な機会に・・・
実際にご自分の目でご覧になられた方が良いかと思います」
「ああ、わかったその時はよろしく頼む」
答えるシンジだがその言葉には全く力が無かった。
何しろ一辺に１４人も妹が出来たのだ。嬉しさよりも脱力感が先に来てもまあ仕方無いだろう。
（話が違う方向にイッちゃってるぞ オイ）
結局シンジはこの日マンションに帰り着いた後、夕食も取らずに寝てしまった。
それだけ精神的な疲弊が激しかったという事だろう。
ただ唯一の救いは明日は土曜日であり、
こちらに来て初めて休日を迎えられるという事であった。
天界より遣わされし２番目の使者が、自分の妹になった事に、
魔界より遣わされし３人目の少年は、将来への大いなる不安をかきたてられた。
第三新東京市にやって来て初めての休日に、シンジはいったい何をしようというのか？
ミサトは自分を取り込もうとするシンジに対し、
懸命に抗おうとするがやはり彼女の力ではどうにもならない。
しかしシンジは、最後になって己の目論見をミサトに破られる事となる。
次回 問題無い 第８話 シンジ 休日
さ〜て、この次も サービスしちゃうわよ