鈴の音のような電子音が部屋の中に響く
壁に掛けられた受話器がせわしなく点滅している
『早く私を手に取りなさい』と言わんばかりに
僕はキーボードを打つ手を止め、壁際へと歩いて行く
 
 


「・・・・・もしもし」

『あ、いた』

「・・・・・でなきゃ誰が電話を取るのさ?」

『ま、それもそうね。
あのさ、今から行っていい?』

「駄目、って言ったって聞かないだろ?」

『紅茶、煎れといてね』



 
 
 

     良かった、シンジがいた
ま、アイツならどこにも出かけてないのは判ってたけど

準備は万全
急いで出なきゃ     時間、ないもんね


 
 
 

プツッ
ツーッ、ツーッ、ツーッ     

小さな溜息とともに受話器をフックに戻す

いつもこう
言いたい事だけ言って
僕の都合などお構いなし

10分もしないうちに彼女はここへ訪れる
不機嫌になられたら面倒だし
僕はレポートの完成に遅れが出るのを覚悟して、キッチンへと向かう
 
 
 
 

もぉ、ヤだぁ!
なんなのよ、この寒さはぁ!
寒風吹き荒ぶ、ってのはこのコトかしら?

早く、早く、早く     
ちょっとくらい走ったって、汗なんかの心配はないわね

暖かいミルクティとシンジが待ってるんだから


 
 
 

ケトルに水を、ミルクパンには牛乳を
コンロに火を点け、待ち時間にポットの準備
真白な陶磁のポットをふたつ、肉厚のマグをふたつ
お気に入りのオレンジ・ペコーの缶を開き、3人分の茶葉をポットへ移す
ピーピーとがなりたてるケトルの火を止め、お湯をポットに注ぎこむ

お茶請けのバウムクーヘンは冷蔵庫の中
ちょっとだけ冷たい方がなんとなく好みだから

皿に切り分けたところでポットの蓋を取る
茶葉は十分に開ききり、湯気とともにやわらかな香りが漂う
もうひとつのポットに入れていた保温用のお湯を捨て、明るく透明な濃赤色に染まった紅茶を注ぐ
 
 
 
 

う〜〜〜〜、寒いよぉ!
とっとと中に     って、その前に!

汗は     大丈夫
髪は手櫛で十分ね
息も切れてないし

コンパクトの中のアタシ
いつも通りのアタシ

さぁって、行くわよ!


 
 
 

弱火にしていたミルクパンの表面に細かい泡が浮かび始めた時、玄関のチャイムが静かに鳴った

出迎えに行く必要などない、アスカは勝手に玄関を開ける
そして、甲高い足音を立てながらリビングへとやってくる
 
 


「う〜〜〜、寒い寒い寒い!!!」

「だったら、わざわざ来なくても良いのに・・・・・」

「なんか言ったァ!?」

「・・・・・別に」



 
 
 

ンもう     相変わらずなんだから!
なんでアタシがわざわざ寄るのかわかってないでしょ?
この鈍感大魔王!

     素直になれないアタシも悪いんだけど、サ


 

暖まったミルクを半分ずつマグへと注ぎ、お盆に載せてリビングへ
ポットから紅茶を注ぎ、彼女の目の前に置くと両手で包み込むように胸元へと引き寄せる
 
 


「はぁ・・・・・暖かい・・・・・」

「で、今日は?」

「リボン、結んで」

「何色?」

「あか」

「また?」

「良いじゃない、アタシの色なんだから」

「・・・・・わかったよ」






僕は紅茶を飲むのもそこそこに、ゆっくりと立ち上がった
 
 
 
 

     むぅ
なんか機嫌悪くない?

もしかして     迷惑     


 
 
 

「・・・・・たまには違う色にすれば良いのに」

「例えば?」

「青」

「やーよ、誰かさんを思い出しちゃうでしょ?」

「なら・・・・・黄色とか」

「黄色ねぇ・・・・・」

「オレンジ、橙色、柑子色、蜜柑色とか」

「やっぱさ、髪と同色系はつまんないじゃない?」

「赤だってそうじゃないか」

「いーのよ、前とは違うんだし」

「そんなもんかなぁ・・・・・」






以前、アスカの髪を留めていたヘッド・セット
いつしかそれは
僕が結ぶリボンに変わっていた

きっかけなんてとっくに忘れた
最初は上手くいかなかったけど
今ならどんな注文にも応じられるくらい

アスカのためにやってる事って
いつの間にか上達してるんだよね

     それだけ僕がヒマだって事なのかなぁ
 
 
 
 
 

シンジは、リボンを上手に結ぶ
アタシの髪を結い上げながら、とても優しく、とても器用に

こんな女の子のような部分も好きだ

シンジの指が髪に触れる
気持ち良くって、こそばゆくって
意識が自然と集中してしまう


 
 
 

「で、今日はどこへ行くの?」

「んー、ドライブ」

「こないだ言ってた大学生?」

「うん」

「その前に紹介された奴はどうしたのさ?」

「一度だけ会ったわよ。
でも、それきりね・・・・・・ツマんないオトコだったし」

「・・・・・冷たいね」



 
 
 

そしてシンジは黙ったまま髪を結う
手を止める事なく
淡々と、黙々と

初めて会った時から変わらない
アタシがどんな我侭を言っても怒らない
怒れない


 
 
 
 
 
 

なんで僕はアスカの髪を結わなければならないんだろう?

そう思いながらも、彼女には逆らえない
願いごとを叶えてしまう僕がいる
 
 


「アタシとデートできただけでも幸せなのよ、ソイツは」

「でもさ、これからデートだっていうのに・・・・・僕のところへ寄り道する事ないんじゃない?」

「デートなんかじゃないわよ!」

「はいはい・・・・・人助け、でしょ?
それでもさ、あんまり感心できることじゃないと思うけど、ね」

「仕方ないじゃない、アタシ・・・・・リボン結ぶのヘタなんだもん」

「・・・・・我侭なんだから、まったく・・・・・」

「文句あるっての?」

「・・・・・・いや、別に」



 
 
 

内向的で
いつも言葉を飲み込んで
自分を消して
目が合うと、視線を逸らして

だけど
いつも、優しい
いつも、見ていてくれる
いつも、気に掛けてくれている

それが嬉しい
そして、歯痒い


 
 
 

これから彼女は知らない男に逢いに行く
自分に向けられない笑顔を見せに
僕の知らないアスカを見せに

一度だけ見かけた事がある
楽しそうな、ほんの少しだけ陰のある横顔
近過ぎない、かといって遠過ぎる事もないふたりの距離
雑踏の中へと消えていく背中

胸が締め付けられるように痛かったのを、今でも覚えている
 
 


「・・・・・はい、できたよ」

「・・・・・ん、アリガト」



 
 
 
 

さっくりと大きく結った三つ編み
その先端を飾るリボン
鏡の中で、微かに微笑むアタシの顔

シンジは背後から正面へと戻り、ソファへと腰を落ち着ける
あくまで自然に振舞いながら、目を閉じながら紅茶を楽しむ

でも、アタシは知っている
背後から離れる時に吐く、微かな溜息を

溜息を吐きたいのはアタシなのに


 
 
 

「時間、大丈夫?」

「そうね・・・・・そろそろ行こうかなぁ」






『行かないでほしい』
心が叫んでいる

『そばにいてほしい』
堪えなければ、口に出てしまいそうになる

だけど、僕は何も言わない
何も、言えない

僕とアスカの関係

『元』チームメイト
『元』クラスメイト
『元』同居人

ただ、それだけ

彼女の事、好きだと思う
でも     確証はない

本当に好きなのか、ハッキリしない

それはアスカも同じ事

だから、できるだけさりげなく装う
僕とアスカの間には何もない、そう思い込む
 
 
 
 
 

『行くな、って言ってよ』

何を考えているの?
何も言ってくれないの?
アタシが別の男と付き合っても、何とも思わないの?

他の男なんてどうでもいい
会いたいと思うのはシンジだけ

でも
喉まで出掛かる言葉を、ぐっと飲み込む

言ったら終わりになるかもしれない
今の微妙な関係が

そばに居られなくなるかもしれない
シンジがどこかへ行ってしまうような気がして

わからない
でも
そんな気がするから


 
 
 

「長めのスカートのほうが良かったんじゃない?」

「いーのよ、砂浜をだーーーっと走るんだから。
キュロットのほうが動きやすいんだもん」

「そう・・・・・気を付けて」






臆病だから、言えない
 
 
 
 

臆病だから、聞けない

 
 
 

「じゃあ」



 
 
 

でも      

 
 
 

「あ・・・・・・・アスカ」





でも     
 
 


「何?」

「夕食はどうするの?」

「ん・・・・・・決めてない」

「・・・・・・久し振りに作ろうか?」

「・・・・・・ん」





アスカは小さく肯いて
笑顔を残して出掛けていった
 
 


廊下を歩きながら、髪の先をみつめる
シンジが結んだリボンがひらひら揺れてる
 
 
 
 

このリボンは





アスカの笑顔は
 
 


シンジだけが





アスカだけが
 
 


アタシにかけられる





僕にかけられる
 
 


魔法なのかもしれない
















リボン

written by map_s

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 map_sさんから『Luna Blu』一周年記念小説『リボン』を頂いてしまいました。
 こんなしっとりとした小説に、僕のコメントはヤボですが――(^^;
 
 アスカのリボンを結うシンジ。
> なんで僕はアスカの髪を結わなければならないんだろう?
 そう思いながらも、アスカには逆らえない。
 逆えない自分がいる。
 アスカが他の人と歩いているのを見た時
> 胸が締め付けられるように痛かったのを、今でも覚えている
 でも
> だけど、僕は何も言わない 何も、言えない
 
 シンジにリボンを結わせるアスカ。
> なんでアタシがわざわざ寄るのかわかってないでしょ?
 でも、シンジは気づかない。
> ――素直になれないアタシも悪いんだけど
 自分の気持ちに臆病になる
> 言ったら終わりになるかもしれない 今の微妙な関係が
 彼女も、一歩を踏み出せないまま。
 
 でも、二人が自分自身にかけた魔法――『呪縛』に気づいた時
 リボンの魔法は、その時こそ『勇気』と言う力を発揮することでしょう。
 
 map_sさん、いつも素敵な小説をありがとうございました。m(_ _)m


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