map_sさんの

KISSの温度「」Edition 19th

 

 

 


 寝室の中は、暗かった
 自分が横たわっているベッドの周りですら、ほとんど何も見えなかった
 照明も、他から届く灯りもない
 
 彼女はゆっくり身体を起こすと、窓があるはずの方向へと視線を向けた
 けれど、そこには月明かりも、星の瞬きもない
 今にも泣き出しそうな厚い雲が夜空を一面に覆っているのだと、彼女は思った
 
 
 
「………どうしたの?」
 
 
 
 暗闇の中から響く声
 ベッドのスプリングを小さく軋ませながら、彼は同じように上体を起こした
 彼女は何も見えるもののない空間を見つめたまま、ぽつりと呟いた
 
 
 
「……雨、降ってくるのかな」
 
「夜半過ぎには降り出すって、予報で言ってた」
 
「いつまで?」
 
「2・3日は続くって」
 
「そっか」
 
 
 
 彼女はそこで言葉を切ると、部屋の中を見回した
 
 
 
「……なんにも見えないね」
 
「今は灯りを点けてないから」
 
「真っ暗だわ」
 
「そうだね」
 
「窓際に行けば、少しは明るいかな」
 
「暗いのは、嫌?」
 
「ううん、平気」
 
 
 
 闇に向けて、彼女は腕を伸ばした
 見えない指先が、虚空を漂う
 ゆっくりと手を下ろしながら、彼女は言った
 
 
 
「………なんだか不思議」
 
「どうして?」
 
「アタシ達、声だけになったみたいじゃない?」
 
「声だけ、か………確かにそうだね」
 
「実体はないけど、声だけが会話してるって感じ」
 
「声と身体は、何か別のような気がするね」
 
「そう、まるで声と身体が切り離されているような感覚だわ」
 
「………でもさ」
 
 
 
 彼の手が、彼女の肩をそっと引いた
 その力に抗う事なく、彼女の背は彼の胸へと落ちてゆく
 彼女の身体を包み込んだ彼は、鳩尾の上で両手を重ねた
 
 
 
「こうすれば、ね」
 
「アナタを感じるわ」
 
「なんだか……いい香りがする」
 
 
 
 頬を触れ合わせていた彼が、ぽつりと呟いた
 
 
 
「香水、つけてるから」
 
「そっか」
 
「嫌い?」
 
「そんな事はないよ」
 
「エスケープ、よ」
 
「何?」
 
「香水の名前、Escape」
 
「脱出、か」
 
「そう」
 
「どこへ?」
 
 
 
 彼の言葉に彼女は小さく、楽しそうに笑った
 
 
 
「………どうしたの?」
 
「………変わったなぁ、って」
 
「変わった?」
 
「そ」
 
 
 
 彼女は彼の手に自分の手を重ね、ゆっくりと開いてゆく
 僅かな空間の中で身体を背後に捻ると、いきなり彼の胸へと飛び込んだ
 
 ベッド全体が大きく揺れ、やがてそれが収まった時
 仰向けになった彼の身体に、彼女の身体がぴったりと重なっていた
 
 
 
「ビックリさせないでよ」
 
「ナぁニ言ってンだか………驚いてもいないクセに」
 
「ははっ………わかっちゃったのか」
 
「当たり前じゃない。
 アナタのコトは、なんだって知ってるンだから」
 
 
 
 胸に顔を埋めた彼女の髪を、彼はそっと梳いてゆく
 彼女は瞳を閉じると、心地良さそうに吐息をついた
 
 
 
「………で?」
 
「で、って?」
 
「だから………変わったって、何がさ?」
 
「わかんない?」
 
「うん」
 
「ふふっ………そ−ゆートコは相変わらずなのに、ね」
 
「教えてよ」
 
「知りたい?」
 
「うん」
 
 
 
 彼女は楽しそうに微笑うと、右手で胸にそっと触れた
 
 
 
「……ドキドキ、してないね」
 
「うん」
 
「部屋の中は真っ暗だから、ナニも見えないけど……アタシ達、どんなカッコしてるのかなぁ?」
 
「生まれたままの姿、だね」
 
「前だったらサ、そんな余裕なんてなかったじゃない?」
 
「……そっか、そうだね」
 
「それが今はねぇ……こーンな風に余裕綽々、みたいな感じでサ。
 なンか、すっかり女慣れしちゃってるモンねぇ」
 
「女慣れって……酷い言い様だね」
 
「………アタシ以外にこンなコトしたら、殺すわよ?」
 
 
 
 言葉とは裏腹に、彼女の声はどこか嬉しさを感じさせる響きを持っていた
 それを態度でも示すかのように、彼女は裸の胸に頬を摺り寄せる
 彼は彼女の髪を梳く手を止める事なく、静かに言った
 
 
 
「余裕っていうより……安心、かな」
 
「…安心?」
 
「今はこんなに暗くって、何も目に映るものはない。
 深い、深い闇の中に自分だけが取り残された、って錯覚に陥りそうになる。
 ひとりじゃ………耐えられないかもしれない」
 
「うん……」
 
「でも……………今はひとりじゃない、この腕の中にアスカがいる。
 確かな温もりと、重みがある。
『今僕は此処にいる』って、『アスカが傍にいてくれる』って……実感できる。
 だから………安心、だね」
 
 
 
 髪を梳く手を止めた彼は、少しだけ力を込めて彼女を抱きしめた
 豊かなふたつのふくらみが、押し潰されて形を歪める
 
 
 
「………こうしてるとき、だけ?」
 
 
 
 僅かに苦しげな、それでいて嬉しさを十分に含んだ吐息と呟き
 彼女の口から漏れたそれに、彼は苦笑いを浮かべた
 
 
 
「いつもがそうじゃない、って訳じゃないよ?
 そりゃ、一緒にいる時は振り回されたりする事も多いけど……
 それでも傍にいたい、離れたくないって思うし」
 
「……うん」
 
「………離してくれそうもないし、ね」
 
 
 
 彼の言葉にぴくり、と彼女の肩が揺れた
 暫し無言の後、両手が彼の胸を強く押す
 思わぬ力強さに、背中に回していた彼の腕はゆっくりベッドへと落ちていった
 
 離れてゆくぬくもり、広がってゆく空間
 腰の上に感じる重さだけが、彼女がまだそこにいるという証しだった
 
 
 
「………アスカ?」
 
 
 
 馬乗りになったまま動かぬ彼女に向けて、彼は手を差し伸べようとした
 だが
 
 
 
「………なンか言ったかしら、バカシンジ?」
 
 
 
 何も見えないはずなのに、彼女の両手は正確に彼の頬を捉えた
 細い指先が口の中に進入し、力任せに左右へと引っ張ってゆく
 
 
 
「いひゃいよ、あふか」
 
「ったくもう………悪い口には、お仕置きね」
 
 
 
 ふ、っと腕の力が抜け、痛みから開放される
 それと同時に彼の唇にやわらかいものが重なり、舌が口内へと捻じ込まれた
 まるで蹂躙するように、全てを吸い尽くすかのように舌が暴れだす
 
 彼が快感の中に息苦しさを見出し始めた頃、ようやく満足したのか、彼女は唇をゆっくりと離した
 荒い吐息を繰り返しながら、彼の首元へと顔を埋める
 同じように頬を触れ合わせたまま、彼は深く息を吸った
 
 
 
「………アスカの香りだ」
 
「声だけじゃなくて、香りもあるのよ」
 
「脱出、か……」
 
「そうね」
 
「昔はずっとそれを願ってたっけ」
 
 
 
 彼の顔と枕に挟まれながら、彼女は少しくぐもった声で言った
 
 
 
「……今は?」
 
「必要ないだろ?」
 
「そんなことないわ」
 
「なんで?」
 
「理由なんていらないの」
 
「でも、どこへ?」
 
 
 
 くすり、と微笑った彼女は、彼の耳朶に唇を重ねる
 そして甘く、熱い吐息を乗せた声で、彼の耳へと囁いた
 
 
 
「………ここへ」
 

 


管理人のコメント
 『色香』
 とは、色と香りのことですが、国語辞典をによると「男の心をそそるような、女のあでやかな容色」とあります。
 個人的な感想ですが、本作品を読んだ時、『色香』というイメージが、浮かびました。
 月明かりさえないモノクロムの世界と、エンディングのKISSの唇の色。
 そしてアスカの香水の香りをテーマに据えた内容。
 細かいアイテムが微妙にからまりあい、奥深い作品に仕上がっているという印象を受けました。
 
 それにアスカさん「はだ○」ですからね!
 もうひとつの意味もばっちりです。(ぉ
 
 さて。実は本作品、罰ゲームで頂いたKISSです。
『KISSの温度』を書くのに罰ゲームとは、ネタにしてくれて嬉しい反面、書くのがイヤってことですね。そうなんですね? と小一時間ほど問い詰めたい気分にもなりますが、そこは大人ってことで、ムネのうちにしまっておくのでした。
 くすん。
 
 ともあれ、久しぶりのmap_s節。
 堪能させていただきました。
 ありがとうございます♪
 
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