さく、さく、さく、さく・・・・・・
 
 

重なるふたつの足音。

重なる事のないふたつの足跡。
 
 
 

『・・・・・・・海が、見たい』
 
 
 

助手席に滑り込んだ彼女が最初に言った言葉。

その2時間後、僕達は海岸線を歩いていた。
 
 

誰もいない海。

穏やかな波が、何度も打ち寄せては引いていく。
 
 

彼女は海に視線を向け、無言のままに歩き続ける。

僕は彼女の2歩後ろを、同じく無言のまま。
 
 

沈黙を破ったのは、彼女のほうだった。

足を止め、僕のほうに振り返る。
 
 
 

「・・・・・・気になるのね」
 

「・・・・・・え?」
 

「『僕は悩んでいます』って・・・・・顔に書いてあるわ」
 

「悩んでなんか・・・・・いないよ・・・・・」
 

「嘘」
 

「・・・・・・・・・・」
 

「・・・・・・・・・・あの人が、気になるのでしょう?」
 

「・・・・・違うよ」
 
 
 

彼女の瞳が、僕を射抜く。

どこか哀しげな、紅い瞳。
 
 

僕は視線に耐えられなかった。

そして、顔を微かに背ける。
 
 

彼女は視線を外すのと同時に、ゆっくりと歩き始めた。

僕の横を通り抜け、元来た浜辺を戻り始める。

足元に視線を落として。

少しだけ、俯き加減で。
 
 

僕は後を追う。

さっきと同じように、2歩後ろを。
 
 

行きに比べ、風が少しだけ強くなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 

Je te veux  〜7〜

written by map_s

 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「・・・そうですか・・・・おめでとうございます」
 
 
 

大学のカフェテラス。

午後だと言うのに、珍しく人影はまばら。

僕は久し振りにマヤさんと向かい合わせで座っていた。

内定が取れた、という言葉とは裏腹に、彼女の表情は沈みがちだった。
 
 
 

「なんか・・・・・浮かない顔してません?」
 

「ん・・・・・嬉しい事は嬉しいの・・・・でも、ね・・・・・」
 

「どうかしたんですか?」
 

「えっとね・・・・・私が受けた会社自体はこの街にあるところなんだけど、本社が大阪にあるのよ。
研修は本社で受ける事になっているのだけど、もしかしたらそのまま・・・・・って事もあるから、って」
 

「そのままって、大阪勤務になる可能性があるんですか?」
 

「・・・・・うん」
 

「でも・・・・・マヤさんの第一志望なんでしょ?」
 

「出来れば・・・・・離れたくないのよ、ココから」
 

「確かに住み慣れた街から離れるのは不安でしょうけど・・・・・」
 
 
 

僕の言葉に、彼女は小さく頭を振った。

手元のグラスに視線を向け、ストローで氷を弄びながら呟く。
 
 
 

「・・・・・そんな理由じゃないのよ」
 

「じゃ、どんな?」
 

「ねぇ、聞きたいんだけど・・・・・」
 

「何ですか?」
 

「あのね、シンジ君は・・・・・遠距離恋愛が我慢できると思う?」
 

「遠距離って・・・・・マヤさん、そういう人がいたんだ?」
 

「聞いてるのは私よ・・・・・で、どうかしら?」
 

「どうって言われても・・・・・・した事ないからわかりませんよ」
 

「そうよね・・・・・わかるわけないよね、未来の事なんて・・・・・」
 

「・・・・・・お互いの気の持ちようなんじゃないかな?」
 

「・・・・・・・」
 

「確かに、距離が離れれば会う回数とかは減るでしょうけど、連絡とかは何時だって取れますよね?
電話とか、メールとか・・・・・手段はいくらでもあるわけだし。
だから・・・・後はマヤさんが彼を想う気持ちと、彼がマヤさんを想う気持ち・・・・それしかないと思いますよ」
 

「・・・・そうね・・・・・やっぱりそれしかないわよね・・・・・」
 

「相手の人には伝えたんですか?」
 

「え?あ、うん・・・・・」
 

「なら問題ないんじゃないですか?
部外者の僕が口を挟む事じゃないし・・・・・・ふたりでじっくり話し合うべきですよ」
 

「・・・・問題はね、そこなのよ」
 

「・・・・・どうして?」
 

「・・・・・・まだ、ね・・・・・私の片思いなの。
それとなく相手には伝えているのよ、でもね・・・・・・でも、鈍感だから気付いてくれないのよ」
 

「・・・・・なんか驚いたな」
 

「驚いた?」
 

「うん・・・・・・マヤさんがね、そんな消極的な行動とってる、っていうのが」
 

「・・・・・・仕方ないじゃない」
 

「ハッキリと言っちゃえば良いじゃないですか?
マヤさんの言う通り、相手が鈍感なら・・・・・待ってたって返事は来ないんじゃない?」
 

「・・・・・答えを聞くのが、怖いのよ」
 

「・・・・・・・・」
 

「『好き』って言うのは簡単よ、でもね・・・・・・その一言で今までの関係が崩れてしまう事になったら、って考えると・・・・・・やっぱり怖いわ」
 
 
 

カラカラという氷の音が止まる。

マヤさんはグラスを見つめたまま、じっと動かない。

僕もまた、掛ける言葉が見つからずに黙ったままだった。
 
 

暫しの沈黙の後、意を決したように彼女が顔を上げた。
 
 
 

「・・・・・・でも、今のままじゃ片思いで終わっちゃうかもしれないのよね」
 

「・・・・そうですね」
 

「・・・・・・答えてくれるかな?」
 

「マヤさんから聞かない限り、誰も答えはしませんよ。
でも、マヤさんが真剣だったら必ず回答してくれると思いますよ」
 

「うん・・・・そうよね。
まずは私が聞いてみなきゃ・・・・・何も始まらないわ」
 

「そうですよ。
僕はマヤさんを応援してますから」
 

「応援なんて要らないわ」
 

「・・・・・え?」
 

「その代わりに、答えて」
 

「・・・・・はい?」
 

「私の好きな人はね・・・・・高校の時からの付き合いで、私の後輩なの。
最初は可愛いコ、っていう印象しか持ってなくて・・・・・弟がこんな感じだったら良いなぁ、って思うくらいだった。
私は一人っ子だったから、尚更・・・・ね。
でも、一緒にいるうち彼に惹かれていく自分に気付いたわ。
素直で、優しくって、笑顔が素敵で・・・・・・
高校を卒業してから、もう逢えないのかな・・・・って思っていたんだけど・・・・・・彼は同じ大学に入ってくれた。
キャンパスで再会した時・・・・・嬉しかった。
私の事を覚えていてくれたから。
私の強引な約束を覚えていてくれたから。
それからというもの、日に日に彼の事を好きになっていったわ。
でもね・・・・言えなかった。
今の関係に満足している自分と、もう一歩進みたい自分・・・・・・毎日葛藤していたわ。
それに・・・・彼の事を好きになったコもいたし」
 

「ま、マヤさん・・・・・・・」
 

「・・・・そうよ、私はあなたが好きなの。
ずっと前から好きだったのよ。
ずっと一緒にいたい、他のコなんかに取られたくないって・・・・・ずっと思ってたわ」
 

「・・・・・・・・・・・・・・」
 

「・・・・・シンジ君、答えを頂戴。
今すぐじゃなくて良い、いつでも構わない・・・・・でも、答えて。
私・・・・・・・待ってるから・・・・・・・・・・・・」
 

「マヤさんっ!?」
 
 
 

ガタンっ!
 
 

マヤさんは勢い良く立ち上がると、小走りでその場を去っていった。
 
 

僕はただ、彼女の後ろ姿を眺めている以外になかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 

「はぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
 

Cafe Citrullus vulgaris でバイト中の僕。

今日は何度目だろうか、という溜息を吐く。
 
 

頭の中でぐるぐると回る言葉。
 
 
 

『私は、あなたが好きです。
自分ではどうしようもないくらい』
 

『・・・・そうよ、私はあなたが好きなの。
ずっと前から好きだったのよ。
ずっと一緒にいたい、他のコなんかに取られたくないって・・・・・ずっと思ってたわ』
 
 
 

・・・・・・・・どうして?
何故?
僕なんかの・・・・何処が良いって言うの?
 
 
 

『キライ、キライ、キライっ!!!
アンタなんか大っキライよぉっ!!!』
 
 
 

何故か、彼女の言葉が思い浮かぶ。

あの日以来、一度も会っていない彼女。
 
 

完全に自分がわからなくなっていた。
 
 

告白された相手の顔が、浮かんでは消えていく。

拒絶された相手の顔が、浮かんでは消えていく。
 
 

僕は・・・・・・・何を望むのか?

・・・・・・・・誰が好きなんだ?
 
 
 
 

「・・・・すいませ〜ん」
 

「あ・・・・ハイ!」
 
 
 

お客さんに呼ばれ、思考を中断してテーブルへと向かう。

そして、オーダーミス。
 
 

これの、繰り返し。
 
 
 

「・・・・なぁ、疲れてるんじゃないのか?」
 

「あ・・・いえ、大丈夫です」
 
 
 

ミスを繰り返す僕に怒りもせず、逆に心配してくれる加持さん。

気丈に振る舞おうとしたけれど、ぎこちない笑顔しか出来なかったみたいだ。

僕の顔を見た途端、少しだけ眉を歪めた。
 
 
 

「ミサト・・・・おい、ミサト!」
 

「・・・・ん?どうしたの?」
 

「お前さ、フロアのほう回ってくれるか?」
 

「何よ、どうしたの?」
 

「いや、な・・・・・」
 
 
 

顎をしゃくる加持さん、僕に視線を移すミサトさん。

言葉もないのに、それだけで意志の疎通が出来たみたい。

『仕方ないわね・・・・』といった表情でカウンターから出てくる。
 
 
 

「・・・・・シンちゃん、少し休みなさいな。
どうせ今日はヒマなんだし・・・・・なんなら早退しても良いわよ?」
 

「いえ、大丈夫ですよミサトさん」
 

「ナぁニ言ってンだか・・・・・・・・ホラ、遠慮なんかしないで良いからっ!」
 

「でも・・・・・」
 
 
 

ミサトさんは腕を組みながら、言い淀む僕をじっと見ていた。

そして、残っていた最後の客が帰ると同時に、加持さんに向かって言った。
 
 
 

「・・・・ね、リョウジ。
今日は早仕舞いしちゃって良いかな?」
 

「ん〜〜〜?
・・・・・・・・ま、タマにはいいだろ・・・・・・後片付けは任しときな」
 

「サンキュ♪
ついでにコーヒーとアレ、よろしくぅ♪」
 

「はいはい・・・・・・・仰せの通りに、奥様」
 
 
 

加持さんは苦笑しながらドアのほうへと歩いていった。

ミサトさんは僕の腕を取ると、カウンターの端の席へ強引に引っ張っていく。

スツールを斜めに、半ば向かい合うように僕達は座った。
 
 
 

「さて・・・・・悩みを聞きましょうか、シンちゃん?」
 

「・・・・・・・・・・・・」
 

「こないだお店に来たコのコト?」
 

「・・・・・・・・・・・」
 

「もう・・・・・黙ってちゃ何にもわからないわよっ!?」
 

「おいおい・・・・・無茶な事言ってンじゃないぞ?」
 
 
 

加持さんはコーヒーと缶ビールをカウンターに置いた。
 
 
 

「イイのよぉ・・・・・アタシに任せなさいって♪」
 

「ま・・・・・・いいけどな・・・・・」
 
 
 

プシュッ
 
 

んぐ・・・・・んぐ・・・・・・・んぐ・・・・・・・・・
 
 
 

「・・・・っはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
や〜〜〜っぱコレがないとねぇ〜〜〜♪」
 

「・・・・お前なぁ、ソレが相談受ける態度かぁ?」
 

「だぁっ!
ウルサいからアッチ行っててよ、もぅ・・・・・・・」
 

「へいへい・・・・・・
シンジ君、逃げたくなったらいつでも声を掛けてくれな?」
 
 
 

僕は思わず笑ってしまった。

いつもと変わらないふたり。

あくまで自然体のふたり。

いつも僕を見守って、気遣ってくれる・・・・・兄、そして姉。
 
 

少しだけ気が楽になった僕は、ぽつりぽつりと話し始めた。
 
 

綾波の事。
 
 

マヤさんの事。
 
 

そして、惣流さんの事。
 
 
 

全てを話し終えた時、手をつけていなかったコーヒーはすっかり冷え切っていた。
 
 
 

「・・・・・・・自分の気持ちがわからない、か・・・・・・」
 
 
 

ミサトさんはビールの残りを一気に飲み干すと、真剣な表情で僕を見た。
 
 
 

「・・・・・・シンちゃんはどうしたい?」
 

「どうって・・・・・良くわからないんです。
自分は彼女達の事を好きなんだろうし、誰と付き合ってもきっと楽しいと思う。
けど・・・・・・・」
 

「じゃ、質問を変えるわ。
シンジ君は・・・・・・・誰が一番好き?」
 

「・・・・わかりません」
 

「一番気になるのは、誰?」
 

「・・・・・・・・・・・・・」
 

「・・・ねぇ、シンジ君。
綾波さんと伊吹さん、このふたりはあなたに告白してきた。
でも、惣流さんは違うのよね?
なのに、彼女の事が忘れられないって事は・・・・・彼女が一番気になる存在じゃないの?」
 

「そう・・・・かもしれません。
でも、それは・・・・どうして『キライ』って言われたのか、その理由を知りたいからなのかも・・・・」
 

「ホントに嫌われたと思ってる?」
 

「だって・・・・ハッキリ言われたんですよ?」
 

「フフっ・・・・・」
 
 
 

ミサトさんはさも可笑しそうにクスクスと笑った。

訳もわからず、憮然とする僕。
 
 
 

「・・・・あ、ゴメンゴメン。
なんていうかさ、シンちゃんもまだまだ・・・・ってね♪」
 

「何なんですか、一体・・・・」
 

「・・・・ね、シンちゃん。
私とリョウジが付き合い出す前の事・・・・・覚えてる?」
 

「・・・・・えっと・・・・・・大学に入ってから暫くして、ですよね?」
 

「そうよ・・・・・・
あの頃の私って、アイツの顔見るだけでギャーギャー言ってたでしょ?
傍にいるのも、顔を見るのも嫌だ、って・・・・・・」
 

「いっつも加持さんは苦笑してましたよね。
父さんも、母さんも何も言えなくって・・・・・・・」
 

「・・・・・・裏返しなのよ」
 

「裏返し?」
 

「そ、愛情の裏返し。
『嫌よ嫌よも好きのうち』って、知らないかな?
・・・・・一目惚れだったのよね、リョウジは・・・・・・
初めて会った時、なんかピン!と来るものがあったの。
それからずっと一緒にいて、どんどん好きになっていったわ・・・・・伊吹さんがあなたを好きになったように、ね。
・・・・・・でもアイツってさ、随分モテモテ君だったじゃない?
ラブレターとか、バースデイ・プレゼント・・・・・あとはバレンタイン、かな。
他の女の子からたくさんの贈り物を貰って、それでいて特定の彼女は作らない。
なのに、いつも私の傍にいて、ちょっかいばかり・・・・・・
そんなアイツの考えてる事がね・・・・・わからなかったのよ」
 

「・・・・・・・・」
 

「私が出来た唯一の表現が、『キライ』って言い続ける事だったってわけ。
好きなのに、こんなに好きなのに・・・・・・それを言い出せない。
それどころか、アイツが自分から離れるような事ばかり言って・・・・・・・
正直、辛かったわ。
なんで素直になれないんだろう・・・・・って、ずっと思ってた・・・・・・」
 
 
 

ミサトさんはどこか遠いところを見ているような目で、話を続けた。
 
 
 

「・・・・・そんな時にね、あの事件があったの。
事件、っていうほど大袈裟なものじゃないけど・・・・・
・・・・・アイツね、私の親友の家に泊ったの。
リツコ・・・・覚えてるわよね?
そう、用事があって彼女の家に朝早くから行った時の事。
玄関口で男物の靴を見かけて。
どことなく慌てているリツコを見て。
極め付けは・・・・・・アイツの声が奥から聞こえてきたの。
私・・・・・駆け出してた。
リツコの制止も聞かず、ただ闇雲に・・・・・ね」
 

「・・・・それで、どうしたんですか?」
 

「ヒドいものよ・・・・・半年は口を利かなかったわ。
ふたりとも必死になって弁解しようとしたけど、私はそれを全て無視したの。
教室とかでも席を離して、授業が終わったら飛び出したりして・・・・・
仕方ないと思うわ。
とてもじゃないけど顔を見れる状態じゃなかったし・・・・・・それ以上傷つきたくないって思っていたから」
 

「・・・・・・・・・・・」
 

「忘れようとしたわ・・・・・アイツの事も、リツコの事も。
でも、出来なかった。
キライにもなれなかった・・・・・・・・・」
 

「ミサト・・・・さん・・・・・・・・・」
 

「今考えてみれば、私・・・・・荒れてたわよね、あの頃。
シンジ君にもあたってたし・・・・・ゴメンね、自分が悪いのに・・・・・迷惑だったでしょ?」
 

「いえ、良いんです。
で・・・・その後どうして?」
 

「ひっぱたかれたの」
 

「え?」
 

「突然だったわ。
リツコが家に来て、それで・・・・・・私を思いっきりひっぱたいたの。
呆然としてる私の前で、彼女は全てを話してくれたわ。
あの日、アイツが相談にやってきて、終電がなくなったから仕方なく・・・・って。
相談の中身は、私の事だって。
どうして自分が嫌われたのか理由がわからない、何か知らないか・・・・ってね。
リツコ・・・・・泣いてた。
それでも必死に、アイツを庇ってた。
私とアイツの仲が元通りになるように、説得してくれたの。
・・・・・・・・・・・・・・・・リツコも好きだったのよ、リョウジの事・・・・・・・」
 

「そう・・・・だったんだ・・・・・」
 

「・・・・・私ね、アスカちゃんだったかしら?
彼女に会った事はないけど、きっと私と同じだと思うの。
不器用なのよ、自分の感情を表に出すのが。
だから・・・・・・あなたの事、キライって言ったんじゃないかしら?
私と一緒にいた、って言う噂を聞いて、疑心暗鬼になって・・・・・」
 

「・・・・・・・・・・・・・」
 

「ねぇ、シンジ君。
彼女の本心を聞けるのはあなただけよ。
そして、引き止める事が出来るのもあなただけ・・・・・・
彼女の本心が聞きたいのなら、彼女を離したくないのなら・・・・・・・あなたが行動しなくちゃ駄目。
勿論、付き合うとか付き合わないとかは別の話よ?
あなたは自分で答えを出さなければならない。
誰が好きなのか・・・・・・ハッキリさせるためにも、ね」
 

「・・・・・・・・・・・僕は・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
 

答えがみつからなかった。

明確な、解答が。
 
 

だから僕は口を噤む。
 
 

そんな僕を、暖かいものが包み込んだ。

頬に当たるそれが、ミサトさんの胸だと理解するには数瞬の時が掛かった。
 
 
 

「みっ・・・・・・ミサトさんっ!?」
 

「考えたって答えが出ない事もあるのよ?
ううん、寧ろそのほうが多いのかもしれないわ・・・・・
思った通りに行動してみなさい、シンジ君。
結果ばかりを考えていちゃ駄目。
回り道したって良いのよ・・・・・・・時間はあるのだから」
 
 
 

トクン、トクン、と聞こえる鼓動。

頭に上った血が、少しづつ降りていく。
 
 

・・・・そうか・・・・・・

昔っからそうなんだよね、ミサトさんって。

こうして僕を抱きしめて、落ち着かせてくれて・・・・・・
 
 

・・・・でも、恥ずかしい事に変わりはないけど。
 
 

僕の考えている事が通じたのか、彼女はゆっくりと身体を離した。

そして、優しく微笑む。
 
 
 

「・・・・・行ってらっしゃい、シンちゃん。
そして確かめてきなさい・・・・・・彼女の気持ち、自分の気持ちを。
すぐに、とは言わないけど・・・・・待たせすぎても駄目よ?」
 

「わかったよ、ミサトさん。
僕が動かなきゃ駄目なんだよね・・・・・自分でマヤさんに言った通りに。
どんな結果になるかはわからない、けど・・・・・・後悔しないためにも、彼女達に会うよ。
そして・・・・・・感じるがままに動いてみる」
 

「そうしなさい、シンちゃん。
もしも誰も選べなかった時は・・・・・おねーさんが慰めてあげるから♪」
 

「な・・・・・バカ言わないでよっ!」
 

「バカって・・・・ひっどぉぉぉいっ!
私との事は遊びだったのねっ!?」
 

「ンもう・・・・・・人妻の言う科白じゃないよ!」
 

「なんだぁ?またコイツがアホな事言ったのかぁ?」
 
 
 

厨房からひょっこりと顔を出した加持さんが、呆れたような口調で言う。

無論、黙っているミサトさんなんかじゃない。
 
 
 

「ちょっとぉ・・・・・またってのはナニよ、またって!?」
 

「いつもの事だろうがお前は、全く・・・・・
いい加減自分の歳も考えろって・・・・・・あ、やべ(汗)」
 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・リョウジ・・・・・・・・・・アンタとはじっっっっっ・・・・・・・くりと話さなきゃならないようね?(怒)」
 
 
 

怒りのオーラを身に纏いながら、カウンターの奥へと歩を進めるミサトさん。

加持さんは心持ち引き攣った表情ながらも、『早く行け』とウインク。

僕は軽く会釈してから外へと出た。
 
 

加持さんの無事を祈りながら・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ルノーを路肩に停め、僕は目を瞑る。

少しだけ大きなアイドリング音と、微かに聞こえるハザードのカチカチという点滅音。

僕の耳に飛び込んでくる音は、それだけ。
 
 

『考えたって答えが出ない事もある』とミサトさんは言った。

確かにそれもそうだと思う。

だけど、僕はゆっくりと考えてみた。
 
 

考える、とは違うのかもしれない。

自分の心をじっくりと探っていたのだから。
 
 

僕を好きだと言ってくれた、綾波。

僕は彼女をどう見ていた?

どう接していた?
 
 

僕を好きだと言ってくれた、マヤさん。

僕は彼女をどう見ていた?

どう接していた?
 
 

僕をキライだと言った、惣流さん。

僕は彼女をどう見ていた?

どう接していた?
 
 

過去の出来事を思い出す。

彼女達と共に過ごした日々。
 
 

一つ目の結論。

僕は3人とも好きだ、という事。
 
 

それじゃぁ、全員と付き合う事が出来るのか?
 
 

否。

誰かを選ばなければならない。
 
 

では、誰を選ぶ?

どんな基準で?

どういう理由で?
 
 

基準?

理由?

そんなモノが必要なの?
 
 

じゃぁどうやって選べば良いのさ・・・・・
 
 
 
 

『一番気になるのは、誰?』
 
 
 
 

・・・・・・・・・・そっか。

そうなんだ。
 
 

僕は彼女の事をずっと気にしていたんだ。

ハッキリ言われたのに。

『キライ』って、言われたのに。
 
 

彼女だけが、違うんだ。

『好き』っていう感情が。
 
 

綾波は『妹のようで』好き。

マヤさんは『姉のようで』好き。
 
 

でも・・・・・・彼女は姉でも妹でもない。
 
 

口は悪いし。

我侭なところもあるし。

自分勝手なところもあれば、強引すぎるって事もある。

感情的で、コロコロと猫の目のように機嫌が変わる。

僕には手に負えないような、じゃじゃ馬。
 
 

・・・・・でも。
 
 

そんな彼女を追っていたんだ、僕は。

そんな彼女だからこそ、僕は惹かれたのかもしれない。
 
 

ミサトさんが言う通り、彼女は僕の事を好きでいてくれるのかはわからない。

彼女が言った通り、嫌いだって事も十分考えられる。
 
 

だけど、自分の気持ちに気付いた以上は後悔したくない。
 
 

僕は祈るような気持ちで、携帯のボタンに指を掛けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

閑静な住宅街。

その一角に建てられた、マンション。
 
 

エントランスの近くにルノーを停めた僕は、ふぅっ、と息を吐いてからインタフォンを押した。
 
 
 

『・・・・・・・はい』
 

「あ、碇です・・・・・ゴメンね、こんな時間に」
 

『ロックを解除するから、上がってきて』
 

「うん・・・・・ありがとう」
 
 
 

音もなく開く自動ドア。

セキュリティのために、居住者にしか開けられないドアを進む。

エレベータに乗り込み、4のボタンを押す。

ドアが閉まり、浮遊感に包まれる。

そして、目的の階でドアが開く。
 
 

誰もいない廊下を歩く僕。

驚くほどに冷静だった。

もっとドキドキするかと思っていたのに。
 
 

そして、彼女の名前が書いてあるプレートを確認すると、静かにインタフォンのボタンを押した。
 
 
 

『・・・・ちょっと待っててね』
 
 
 

インタフォン越しに聞こえる声、そしてドアのロックが解除された音。
 
 

開いたドアの向こうに、驚愕の表情をしたカノジョが立っていた。
 
 
 

「・・・・なんで・・・・・・どうしてぇ?」
 

「・・・・・・話がしたいんだ。
ちょっとだけ、出てくれないかな?」
 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
 

玄関のサンダルを突っかけ、外に出てくるカノジョ。

俯いたまま、視線を合わせようとしない。
 
 
 

「あの・・・・・さ、サークル辞めるって本当?」
 

「・・・・・ナニよ・・・・・そんなくだらない事でわざわざ来たってワケぇ?」
 

「理由を教えてよ」
 

「・・・・・アンタなんかに言う必要はないでしょ?
話はそれだけ?
なら・・・・・・・・帰ってよ」
 

「いや、帰らないよ」
 

「こンな非常識な時間に、それも女性の部屋に押しかけてくるなんて・・・・・・アンタ、アタマおかしいンじゃない?」
 

「・・・・・・・・・・どうしても言いたい事があったんだ」
 

「・・・・・・・・・・・・アタシはナニも話す事はないわよ?」
 

「いいから聞いてくれないかな?」
 
 
 

カノジョの沈黙を肯定と取った僕は、視線を逸らさずに口を開いた。
 
 
 

「・・・・・噂の事、聞いてると思うけど・・・・・・あれは誤解なんだ。
あの日、僕を迎えに来たのはバイト先の人で、昔からお世話に・・・」
 

「・・・・・だから、なんだって言うの!?」
 

「いいから聞いてよ。
・・・・・とにかく、彼女と僕とは疚しい関係じゃない。
それが、一つ目。
それから・・・・・・サークルを辞めるって言う話、撤回して欲しいんだ。
どうせならキチンと続けたほうが良いと思うし、惣流さんがいなくなると寂しいし」
 

「・・・・・・・・・・・・」
 

「・・・・・・そして、これが最後。
君には嫌いだ、って宣言されたけど・・・・・・・僕は君が好きです。
惣流・アスカ・ラングレーという女性が好きです」
 

「・・・・・・・・・!!!」
 
 
 

カノジョの肩が、ビクン、と震えた。
 
 
 

「これだけはどうしても伝えたかった。
誤解されたままの状態も嫌だったし、迷惑かもしれないけど・・・・・・・
もし、君が辞める原因が僕にあるとするなら、その必要はないよ。
僕がいなくなれば良いだけの事なんだし・・・・・」
 

「・・・・・・・・・・・どうして?
 

「・・・え?」
 

「・・・・どうしてそんなに優しくするのよ・・・・・・・」
 
 
 

か細いカノジョの声。

語尾が、震えていた。
 
 
 

「なんでよ・・・・・・アタシ、こんなにイヤなオンナなんだよ?
アンタにいっつも我侭ばかり言って、困らせて、キライだって言って・・・・・・
アンタにはレイがいるじゃない!
マヤだっているじゃない!!
なのに・・・・・どうして・・・・・・なんでアタシなのよ!?」
 

「・・・・・理由なんてないよ」
 
 
 

僕は俯く彼女の頬にそっと手を触れた。

やわらかく、暖かなカノジョ。
 
 

「理由なんて要らない。
僕は君が好きなんだ・・・・・・・他の誰でもない、惣流・アスカ・ラングレーが。
・・・・・・それじゃ、駄目・・・・かな?」
 

「・・・・・・・・・・・・・・・・ダメ、じゃない・・・・・・・・・・・・・・」
 
 
 

僕の手に、暖かなものが触れた。

それは、涙。

そして、カノジョの手。

愛しむように頬を擦りつけながら、包んだ手は離さない。
 
 
 

「・・・・・ねぇ・・・・・・」
 

「・・・何?」
 

「・・・・・・・・・・・・・信じて、良いの?」
 

「信じて欲しい・・・・・・」
 
 
 

月明かりに映える、カノジョの栗色の髪。
 
 

それが小さく頷いたのは、ほんの少し後の事だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 

「・・・・・そっかぁ・・・・・・・・・・・・・・・」
 

「・・・・・・・・・・ゴメン」
 

「・・・・・ひとつだけお願いして、良い?」
 

「何?」
 

「・・・・・ひっぱたかせて」
 
 
 

僕は黙って目を閉じ、来るべき衝撃に備えた。
 
 

マヤさんが胸に飛び込んできたのは、その直後だった。
 
 

僕は黙ったまま、泣きじゃくる彼女の肩を抱く以外何も出来なかった。
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 

「・・・・・・そう、あの人を選んだのね・・・・・・」
 

「・・・・ゴメン」
 

「謝る事なんてないの・・・・・・キチンと話してくれて、嬉しかった」
 

「綾波・・・・・・・」
 

「・・・・・これからも良い友達でいてね・・・・・じゃ、さよなら・・・・・・」
 
 
 

今までで一番奇麗な笑顔を返してくれた彼女。
 
 

去り行く背中を、僕はその場に立ち尽くしたまま・・・・・・・・・・・・ずっと見ていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

カランカランカラン・・・・・・
 
 
 
 

「・・・・よぉ、いらっしゃい」
 
 
 

加持さんはにっこりと微笑むと、顎をしゃくって窓際の席を示した。

僕は頷くと、そのまま窓際へと歩を進めた。
 
 

歩く度にギシっ、と鳴る床板。

栗色の髪がふわっと浮き上がり、彼女の顔が僕のほうへと振り返る。

僕は小さく手を上げた後、彼女の正面の席へと腰を降ろす。
 
 

カタン
 
 

注文もしていないのに、テーブルに置かれたコーヒー。

僕の好きな、グァテマラ。

ウインクをしてからテーブルを離れる、ミサトさん。

僕はすうっ、と香りを吸い込んだ後、ほろ苦いコーヒーを口にした。
 
 

スピーカーから聞こえてくる、ピアノの調べ。

適度に抑えられた音量が、落ち着いた雰囲気の店内にしっくりと馴染む。
 
 

彼女はリズムを取る指を止め、僕をじっと見た。
 
 
 

「・・・・・終わったの?」
 

「うん・・・・・・終わった」
 

「そう・・・・・・・」
 
 
 

ほんの少し哀しみを含んだ、彼女の蒼い瞳。

それは、彼女の優しさ。

申し訳ない、と思う気持ち。
 
 

僕は彼女の笑顔が見たいから、ほんの少しだけおどけてみせる。
 
 
 

「ね、この曲・・・・・」
 

「・・・・ん?」
 

「・・・・僕の気持ちを代弁してる」
 

「・・・・・・ばぁ、か」
 
 
 

クスっ、と微笑う彼女。

そう、僕はこの笑顔を見たかったんだ・・・・・
 
 

僕はありったけの想いを乗せて、彼女に微笑みかけた。
 
 
 
 

「さて、と・・・・・・これからどうしようか、アスカ?」
 
 
 
 

ふたりの時間が、ゆっくりと動き始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

<了>
 
 
 



 
 

後書き、または悪足掻き
 

なおさんへ、最終話です。
 

こんな駄作を良くもまぁ・・・・・・続けてきたもんですね(汗)

快く掲載して頂いた事に感謝してますm(__)m
 

サティの「Je te veux」・・・・・・・・和訳では「お前が欲しい」ですよね。

シンちゃんにラストで言わせた科白に乗せてみましたが・・・やっぱクサかったかな(^^;;

いや、私は言えませんよ、そんな・・・・・・・恥ずかしい(笑)
 

始まりが弐萬ヒット、終わりが参萬っていうのも偶然なんだろうか(笑)

いや、狙ってたワケぢゃないッスよ?マヂで。
 

ま、これからもお付き合いして頂くつもりなので、宜しくですm(__)m
 

・・・・・つぎはるな・ぶるかぴゅあ・そうる?(/ー\)
 

 

 


 悩んで、悩んで……
 出した、結論。
 自分は、誰が好きなのか?
 誰が、本当に大切なのか?
 好きなる、理由……
 >「・・・・・理由なんてないよ」
 ……必要じゃないのかもしれない。
 たとえ「嫌い」と言われても。
 
 >僕なんかの・・・・何処が良いって言うの?
 自分が好かれるとは思っていなかったから
 カノジョの気持ちに、気が付かなかった
 自分の気持ちにも、気が付かなかった
 
 >だけど、自分の気持ちに気付いた以上は後悔したくない。
 自分の心を探ったとき
 妹でもない。姉でもない。
 カノジョのことが、
 カノジョだけが特別な存在として
 自分の気持ちを見つめたら……答えがそこに、あった。
 
 「ほんの少し」だけ、おどけて
 そして、「その」言葉を言うべきヒトを、見つめて
 
 『Je te veux』
 完結です。
 map_sさん、本当にお疲れ様でした。
 こんなすばらしい小説を頂いて感謝しています。
 こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。


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