木々は芽吹き
 

さまざまな色の花が庭を占領し始める
 
 
 


 

再び巡ってきた季節
 
 
 

思い思いに旅立ってゆく人
 

期待に胸を膨らませる人
 

別れと出逢いが交錯する季節
 
 
 

けれど僕は
 

相変わらずこの場所に立ち続けている
 
 
 

『平凡でしあわせな家庭をつくること』
 
 
 

そんな約束と
 

忘れ形見を遺して
 

さっさと逝ってしまった妻を
 

忘れないように
 

再び出逢う日まで
 
 
 
 
 

立ち去る寸前の冬がふと思い付いたように振り返って
 

ふぅ、と冷たい北風を吹き起こした
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 

GARDEN  -3-

Unfit in love

written by map_s
 
 
















「おふぁよぉ・・・・・・」
 
 

ずるぺたと足を引き摺り、いかにも『寝起きです』と言いたげな格好でリビングに入ってきた娘
僕は苦笑混じりに朝の挨拶をする
 
 

「おはよう・・・・・ちゃんと起きれたみたいだね?」

「目覚まし3個も鳴らされたら、誰だって起きるわよぅ・・・・・ふわぁぁぁぁぁ・・・・・」

「良いじゃないか、今日で学校も終わりなんだし。
いつまでもマヤさんに頼りっぱなしじゃなくて、最後くらいは自分で締めなきゃね」

「ぶー・・・・・」
 
 

寝惚け眼を手で擦りながら、ハルカは僕の目の前を通り過ぎていく
キッチンから聞こえてくるふたりの声を耳にしながら、マグカップに口を付ける

世帯主である僕
一人娘のハルカ
そして同居人のマヤさん
それが我が家のメンバーだ

平凡とは言い難いだろう
だけど、それなりにしあわせな家庭

そんな『家族』に囲まれて、僕は毎日を過ごしている
 
 

















「ゴメンね、本当なら出席したかったんだけど・・・・・」

「良いよぉ、別に・・・・・ホントならパパにだって来てもらわなくっても良いくらいなんだし。
だから気にしないで行ってきてよ、ネ?」

「・・・・・うん・・・・・」

「あ、じゃあサ?
申し訳なく思うのなら、その分お土産奮発してよ」

「ぷっ・・・・・わかったわ。
今晩も早めに戻って、何か美味しいものでも食べに行く?」

「ウン、決まり!
・・・・・って、もうこんな時間じゃない!?
じゃ、行ってきまーすっ!」
 
 

軽く手を振りながら、玄関を駆け出していくハルカ
朝陽を浴びて煌く髪が、追いすがる風を振り払っていく

今日、ハルカは中学校の卒業式を迎える
マヤさんも一緒に式を見に行くつもりだったのだが、生憎彼女は従姉妹の結婚式と重なってしまったのだ
ずっと気にしていたマヤさん、そして気にしなくても良いと言うハルカ
何日も続いていた会話は、いともあっさりとした結末を迎えた

元気な足音が少しずつ小さくなり、やがて消えてゆく
音も立てず閉じたドアを、僕達は暫くの間見つめていた
 
 

「意外とあっさりだったね・・・・・もっと寂しがるかと思ったのに」

「ハルカちゃんなりに気を使ってくれたんじゃない?
それに、あなたさえいれば十分なのかも知れないし、ね」

「そんな事ないよ。
ハルカに・・・・・いや、僕たちにとってマヤさんは家族なんだから」

「・・・・・ありがとう」
 
 

マヤさんはふ、と微笑むと、腰を下ろしパンプスに足を通す
そして、足元のボストン・バッグを手にした
 
 

「私もそろそろ時間だから」

「あ・・・・うん」

「なるべく早い時間に帰るから、夜は一緒に・・・・・ね」
 
 

春物のスーツに身を包んだ彼女
両手でバッグを持ち、僕を見上げている

でも、その時の僕は彼女を見ていなかったかもしれない
 
 
 

『日帰りなんて言わずにゆっくりしてくれば良いじゃないか。
ずっと・・・・・帰ってないんだろ?』

『良いの』

『でも・・・・・』

『・・・・・あそこへ入所する時にも散々な事を言われたわ。
まして・・・・・・今更・・・・・・・』
 
 

脳裏に浮かんでいたのは、数日前に交わした会話
哀しげな横顔
寂しそうな口調
 
 
 

「・・・・・じゃ、行ってくるわ」
 
 

そう言ってくるり、と背を向ける彼女
その背中に、僕は何も言わなかった

いや、言えなかった
 
 

『そうであっても家族なのだから、ゆっくりしてくれば良い』
 
 

そんな、たった一言が
 
 

閉じたドアの向こうへと消えた背中
ひとり取り残された僕
 
 
 
 
 
 
 
 

なんだろう
この言い様のない不安は
 
 








     もしもこのまま彼女が戻って来なかったら     















リビングで静かに鳴り出した電話
その音が耳に届くまで、僕は玄関先でただ立ち尽くすだけだった
 
 



























講堂内に流れる音楽
居並ぶ生徒、先生、そしてその家族

卒業生がひとりずつ名を呼ばれ、壇上へと歩んでゆく
そして学校長から卒業証書を受け取り、反対側へと降りてゆく

百数十人いる卒業生の最後に、ハルカの名が呼ばれた
小さく会釈をし、両手で証書を恭しく受け取る
そして、そのまま壇上に残るとマイクの前へと立った
 
 

『卒業生答辞
卒業生代表、碇 ハルカ』
 
 

司会進行役の声
ハルカは小さく深呼吸をすると、良く通った声でゆっくりと話し始めた
 
 

背筋を伸ばし、両手を身体の前で組み
一言一言を噛み締めるかのように落ち着いて紡ぎ出すハルカ

僕は一瞬、自分が学生であった頃に戻ったかのような感覚にとらわれた
 
 

あの頃
もしも普通の学生であったとするならば
もしもあんな事に巻き込まれていなかったのなら

僕はこうして卒業を迎え
壇上に立つアスカを見上げていたはず
 
 

何故か、そう思えて
 
 

講堂内を包む拍手で、僕は我に戻る
僕の視界の先には、胸を張って歩くハルカの姿があった

階段を下り、自分の席に腰掛けるまで
僕は彼女から視線を外さずに見ていた

この姿を忘れないように
この目に、この時を焼き付けるかのように
 
 



























「・・・・・・パパぁ!」
 
 

講堂から流れ出るかのように続く人の列から、見慣れた金色の髪が僕のほうへと向かってくる
片手に丸めた証書を、表情には少しだけ恥ずかしげな色を称えて
 
 

「・・・・・格好良かったよ、ハルカ」

「ヤだ・・・・・見てたの?」

「そりゃそうさ、愛娘の晴れ舞台だからね」

「ンもう・・・・・だからイヤだって言ったのに・・・・・」
 
 

頬を微かに赤らめ、そっぽをむくハルカ
亡き妻と同じような仕草が、思わず笑みを浮かばせた
 
 

「ちょっとぉ、ナニ笑ってるの?」

「いや、ゴメンゴメン・・・・・・・つい、ね」

「もう・・・・・」

「・・・・・この後の予定は?」

「んー・・・・・一度教室に戻って、それでお終い。
でも、友達とお昼食べようってコトになってるから、すぐには帰らないよ?」

「そっか」

「・・・・・どうかしたの?」

「・・・・・さっきね、教授から電話が入って・・・・・今から大学に行かなきゃならなくなったんだ」

「はぁ・・・・・そんなコトだと思った」

「悪いな、晩飯はマヤさんとふたりで食べてくれよ。
ちょっと伸びそうだから、もしかしたら夜は遅くなるかもしれない」

「・・・・・・うーん・・・・・」

「・・・・・どうした?」

「・・・・・ん?
あ、いや・・・・・何でもないの」
 
 

僕が差し出した紙幣を受け取りながら、ハルカは僕をじっと見つめた
 
 
 

「ハルカぁ!?
先行くよー?」

「あ、今行く!
・・・・・じゃ、アタシ友達が待ってるから・・・・・」

「ああ・・・・・?」
 
 

呼ばれた声のほうに向かって、ハルカは駆け出した
僕はまんじりとしない何かを感じながらも、娘の背を目で追う
級友に囲まれ、笑顔になるハルカ
 
 

そんな娘の様子を見ながら、僕は思った
 
 

     何も不安になる事はない

ハルカはこんなに素直に伸びやかに育っているし
マヤさんだって夜には帰ってくる

我が家は今までも、そしてこれからも
きっと変わらず平和だろう

そう、きっと大丈夫だ          
 
 
 
 

僕は笑顔で手を振るハルカに小さく応えながら、その場を後にした
 
 
 
 
 

その後に起こる騒動を、何一つ想像する事なく     
 
 




























「・・・・・・・ふぅ」
 
 

僕は部屋の中でタイを緩めながら、少しだけ重い気分を息と共に吐き出した
 
 
 

十時を僅かに過ぎた時間
帰宅した僕を待っていたのは、娘の一言だった
 
 
 

『・・・・・え?』

『ンもう・・・・・だからぁ、さっきマヤさんから電話があったの。
やっぱり今夜は向こうに泊まる事になったんだってサ』

『・・・・・・・』

『ちょっと・・・・・どうしたの?』

『あ、いや・・・・・・つまり、今晩はお前とふたりきりって事か・・・・・』

『・・・・・・・アタシとふたりきりじゃ、イヤ?』
 
 

じっと僕を見つめるハルカの瞳
何故かその視線に耐えられなくて
まるで逃げるように自分の部屋へと入ってしまった
 
 

『・・・・・着替えたらリビングに来てよね。
おスシ・・・・・・とってあるンだから』
 
 

その一言を、背に受けながら
 
 
 

ノロノロと着替えを終え、部屋を出て行く
リビングのドアを開けた僕の視界には、急須を傾けているハルカの姿
 
 
 

「・・・・・待っててくれたのか」

「良いから食べよ?」

「あ・・・・・・うん」
 
 

テーブルを間に挟んで差し向かいに座るふたり
けれど、なかなか会話が出てこない
 
 
 

「えーと・・・・・そうだ、あの後どうしたの?」

「別に・・・・・お昼食べて、その後喋って・・・・・それだけ」

「そっか」

「・・・・・」

「あ、ウニ食べるか?」

「良いよ、別に」

「・・・・・」
 
 
 
 

     気まずい
何故だか判らないけど、空気が重い

よくよく考えてみると、今までこんな時は滅多になかった
僕とハルカ、ふたりきりで過ごす時間は

何を話せば良いのか
どう話せば良いのか
思った事が口に出せない
気が焦るばかりで、何も言えない
 
 

そんな僕の心を読み取ったのか、ハルカは箸を持つ手を止めて僕を見つめた
 
 

「・・・・・なぁんか、ヘン」

「変って・・・・・何が?」

「だってサ、いつもは必ずマヤさんがいるじゃない?
パパが遅くなるのはしょっちゅうだから、ふたりで先に夕食を済ませる事も多かったし。
実の父親より他人のマヤさんと過ごす時間が多いなんて、やっぱヘンよ」

「・・・・・他人、なんて言うなよ。
ずっと一緒に暮らしてきたんだし、家族も同然だろう?」

「そりゃ、マヤさんはママハハ同然だし、パパの恋人でもあるけどサ・・・・・けど・・・・・」

「けど・・・・・何?」

「ん〜〜〜・・・・だからぁ・・・・・・・」
 
 

ハルカは眉根を寄せながら目を閉じる
そして、そのまま
 
 

「・・・・・だからぁ、アタシは・・・・・マヤさんがどうのって言いたいんじゃなくて・・・・・」

「だから、何さ?」

「・・・・・・・もういい!」
 
 

ハルカはテーブルに箸を乱暴に置くと、いきなり腰を上げた
そして、振り返る事なくドアへと向かう
 
 

「・・・・・どうしたのさ、一体?
それに、スシだってこんなに・・・・・・」

「食欲ないの!」
 
 

大きな音を立て、乱暴に閉じられたドア
呆然と見つめる僕
 
 

     何なんだ、一体?
 
 
 
 
 

僕は残ったスシにラップを掛けると、使った食器もそのままに部屋へと戻った
ベッドに身体を投げ出し、深い溜息を吐く
 
 

枕元に飾ってあるアスカのフォトスタンドが、物言わぬまま僕を見下ろしていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 

     アスカ

もしも君が生きていたならば、全ては円満だったのだろうか?
僕たちは     平凡な家族でいられたのだろうか?
 

ハルカが生まれる少し前
君は大きなお腹をソファに沈めながら、こんな話をしていた
 
 
 
 

『だからぁ、パパにママ、それとガキンチョがたくさん・・・・・基本でしょ?
このコは春に生まれるンだから、男のコなら『ハルオ』とか『ハルキ』とか・・・・・女のコなら『ハルカ』がいいなぁ。
それで次のコからは夏、秋、冬って続けてくの。
いいでしょ?』

『そんなのふたりめが秋に生まれたらどうするのさ?
それに、5人目とかさ」

『だーいじょうぶよ、ちゃんと計画立てれば♪』

『・・・・・計画って・・・・・』

『まぁ、なんとかなるって♪』
 
 
 
 

コロコロと笑う君
そんな君の明るさが、どれだけ僕を救ってくれたことか
 
 

     ただ時折、ハッキリとは正体のわからない不安が顔を覗かせる事もあったけれど     
 
 
 
 

『・・・・・大学に残るの?』

『うん・・・・・どうして?』

『ううン・・・・・ただね、司令も副司令も大学の研究所にいた、って言ってたじゃない?
だから、血筋なのかなぁって・・・・・』
 
 
 
 

     そう言われるまで気付かなかった

自分の意志で決めたはずの仕事だったのに
無意識のうちに影響を受けていたなんて
 
 
 
 

『・・・・・どうして怒るのよ?
なんでそんなに司令に・・・・・お父さんにこだわるの?
アタシに何か隠しているの?
ねぇ・・・・・ちゃんと言ってよ、シンジ!』
 
 
 
 

言えるはずがなかった
僕が父さんにどんな思いを抱いていたか
 
 

『自分が父親になる』
 
 

その事にどれだけ怯えていたか
 
 

君がこの世からいなくなって
僕は自分をコントロールできなくなって
自分を傷つける事でしか
自分を感じる事ができなくなった時
 
 
 
 

『・・・・・・もうやめて!
そんなに自分を責めないで!
過去ばかり振り返っても仕方ないでしょう・・・・・あなたには護るべき子供がいるのよ?
助けが要るのなら・・・・・私がいるから。
だから、しっかりして・・・・・・お願いだから・・・・・・』
 
 
 
 

     そんな風にマヤさんに抱きしめられながら

彼女の体温に包まれながら

僕が誰を思い出していたかなんて
 
 

     言えるはずもない
 
 
 
 
 
 
 
 

僕は両手で目の前を覆った
 
 

フォトスタンドの中で微笑みかけてくいる妻を
 
 

今、自分が見上げている天井を
 
 

そこにいるであろう娘の姿を
 
 

     見たくなかったから
 
 














 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『・・・・・ンっ・・・・・・・・ハぁぁぁっ・・・・・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 

僕の腕の中で彼女がナく
 
 

目を固く閉じ
 
 

頬を上気させ
 
 

小指を軽く甘噛みながら
 
 

溢れ出る吐息
 
 

悦楽に高ぶる声
 
 
 
 
 
 

『・・・・・・・・シンジ・・・・・・・・・しん・・・・・・じぃっ・・・・・・!』
 
 
 
 
 
 

薄らと開く瞼
 
 

潤んだ蒼い瞳
 
 
 
 
 
 

次の瞬間
 
 
 
 

彼女は姿を変えて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

          パパ          
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

















僕はベッドから跳ね起きた
 

全身に冷たい汗が伝い落ちる
 
 

     ウソだ

僕はそんなことを望んではいない
 
 

確かに僕は縋ったかもしれない

アスカに

そして、マヤさんに
 
 
 
 
 
 

母さんを追い求めながら

リツコさんを抱いた

父さんと同じく
 
 
 
 
 
 

     でも僕は違う

父さんとは違うんだ
 
 





     ボクハアノオトコトハチガウンダ     









第一、僕は誓ったじゃないか

アスカと共に

ごく普通の父親になるって
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

          普通?
 
 
 

じゃぁ普通って何?
 
 

普通の家庭って何なんだ?
 
 
 
 

僕は普通の家庭を知らない
家庭で育っていないんだから判るはずもない
 
 

『人は自分が育てられたように子供を育てる』
 
 

確か、どこかの本でそう書いてあった
 
 
 
 
 
 
 

     だとすれば

ああはなるまいと思いながらも

何時の間にか父親と同じような道を進んだ僕が

いつか     
 
 














     自分を見失う時が来ないとも限らないじゃないか     














































耳を澄ましていなければ聞こえないほど、小さく
 
 
 
 
 
 
 

ドアがノックされたのは
 
 
 
 
 
 

その直後だった
 
 



















『・・・・・・パパ?』
 
 

『パパぁ・・・・・・起きてる?』
 
 

『ねぇ・・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 

ドアの外から聞こえてくるか細い声
僕は反射的に布団へと潜り込んだ
 
 

息を潜め
瞼を閉じ
時が過ぎ去るのを待つ
 
 
 
 
 
 
 
 

『・・・・・・パパってばぁ・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 

     これは夢だ
まだ夢なんだ、きっと
そうに決まってる
 
 

でなきゃ     こんな時間に何の用があるって言うんだ?
 
 
 
 
 
 
 
 

『・・・・・・寝てるの?』
 
 
 
 
 
 
 
 

ドアが開く音
部屋に差し込んできた光
 
 
 
 
 
 
 
 

『・・・・・ね、パパ・・・・・・・起きてよぉ・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 

     どうして
何故鍵を付けておかなかったんだろう
 
 
 
 
 
 
 
 

『ねぇってばぁ・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 

     なんて
そんな事を考えてる場合じゃない
 
 

何事なのか確かめれば良いじゃないか
さも、今起きたようなフリをして     
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『パパったらぁ・・・・・・・お願いだから・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ハルカ     お前こそ早く用件を言ってくれ
らしくないじゃないか     そんな風に声を潜めて
 
 

どこか     思い詰めたような          声で     
 
 

一体どうしたって          
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

もうっ!早く起きてって言ってンじゃない、バカシンジぃっ!!
 
 
 
 
 

「な・・・・・・・・親に向かってなんてクチ聴くんだよ、お前は!?
 
 
 
 
 

親だったらムスメのピンチにさっさと起きなさいよっ!!
 
 
 
 
 

「・・・・・・・・・・はぁ?」
 
 





















十数分後、リビング
僕はハルカと共にソファに腰掛けながら、目の前で繰り広げられる惨劇の映像に目を向けていた
 
 

「・・・・・なぁ」

「何よ?」

「さっきゴキブリ一匹にあれだけ大騒ぎしておいて・・・・・・こういう映画は平気なのか?」

「アレはアレ、コレはコレだもン」

「はぁ・・・・・・・」
 
 

なんて事はない
ハルカは夜中にトイレに行き、部屋に戻ったところで壁に張り付いたゴキブリを発見したのだ
で、ソイツを刺激せぬようにそっと僕を起こしに来て     
 

そもそもそんな時間になんでトイレに起きたかと言うと、夕食前にアイスを3つばかり食べたからだそうだ
そのうちの2つは僕とマヤさんの分であったのは言うまでもない
それでは食欲がない、と言うのも当然だろう
 
 

          お陰で頭が妄想モードから現実モードに切り替わったから良かったけれど
 
 

ポテトチップスの袋に手を突っ込みながらも画面からは目を離さないハルカ
ぼんやりと見つめる僕の視線に気付いたのか、突然ポテトを僕のほうに差し出す
 
 

「・・・・・はい」

「いや、いいよ」

「なぁんだ、食べたいから見てたンじゃないの?」

「別にそういうわけじゃないさ」

「じゃぁ、何?」

「・・・・・ついさっきゴキブリ見かけた後だってのに、良く食べれるな・・・・・ってさ」

「・・・・・失礼な。
別にゴキブリ食べてるわけじゃないモン」

「・・・・・」

「いーじゃない、せっかく親子水入らずなんだしさぁ・・・・・」

「・・・・・え?」
 
 

ハルカは昼間と同じようにそっぽを向いた
 
 

「ホント、ニブチンなんだからぁ・・・・・・
せっかくムスメが親子の団欒しよう、って言ってるンだよ?
ホントはサ、晩御飯だってもっと楽しく食べるつもりだったのに・・・・・なんかパパはボンヤリしてるし。
だいたい、アタシがアイス3つも食べたのもパパの帰りが遅くておナカ減ったからなんだからね?」

「あ、ああ・・・・・・・そうなのか」

「それに、サ」

「?」

「ホラ・・・・・・マヤさんがいたらこんな風に夜更かしできないし、アイスだって一個だけって言われるし・・・・・・
こういう時でないとハメ外せないし♪
パパだって同じじゃないの?」

「どうして・・・・・同じなのさ」

「そんなにタバコばっか吸ってたら、怒られるでしょ?」
 
 

ハルカが指差す先には、タバコを咥えた僕がいた
なんとなく決まりが悪くなって、僕はまだ吸い差しのタバコを灰皿へと捻じ込む
 
 

「・・・・・別に慌てて消さなくても良いのに」

「でもなぁ・・・・・」

「アタシ、パパがタバコ吸ってるの姿ってけっこうシブいと思うけどな」

「・・・・・・・」
 
 

そう言って笑顔を見せるハルカ
僕は思わずその表情を呆けて見ていた
 

まるで、アスカがそこにいるようで
 
 

「・・・・・でもサ、だからって当然のようにスパスパ吸われるのはハラ立つけどね。
要は節度の問題よね・・・・・ウンウン」

「・・・・・あ、さいですかぁ・・・・・・」
 
 

なめられているのか、からかわれているのか

でも、それくらいのほうが良いのかも知れない
 
 

     こうして安心していられるのなら
 
 
 
 

「なぁ」

「ン?」

「ビール・・・・・持ってきてよ」

「えぇ〜〜〜?
自分で行ってよぉ・・・・・・」

「一口飲ませてやるから、な?」

「ホント?」

「ああ・・・・・一口だけだぞ?」

「やったぁ♪」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ハルカはポテトを食べながら
僕はビールを飲みながら
 

ふたりだけの深夜の上映会は
スタッフ・ロールが画面を流れていくまで
延々と続けられていった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「・・・・・おい」

「・・・・・」

「DVD、終わったぞ・・・・・・まだ見るのか?」

「・・・・・ハルカ?」
 
 
 

コツン、と肩に掛かる重さ

あどけない寝顔
 
 
 

胸の奥の忘れていたトゲが痛むような気がする
 
 
 

いつまでこんな風に過ごせるのだろう
 
 
 

この愛しさがいつか別のものへ変わりはしないだろうか
 
 
 

     この穏やかな生活を、自分の手で壊さずにいられるのだろうか
 
 
 
 
 
 

僕はハルカをそっと横たえると、その身体をブランケットで包み込む
 
 
 

「・・・・・・ん・・・・・・・・もう・・・・・食べれない・・・・・・・・よぉ・・・・・・・・」
 
 
 

ちいさな寝言が僕の耳に届く
ムニャムニャと何かを呟きながら、ハルカは眠り続ける
 
 
 
 

     大丈夫だ
 

ハルカはまだ子供だし
 

フォトスタンドの中のアスカはずっと笑っているし
 

マヤさんだって明日には帰ってくる
 
 
 

だから、大丈夫
 
 
 
 

今はまだ
 
 
 
 

大丈夫だ          
 
 





















翌朝、マヤさんは始発で帰宅した
午前のまだ早い時間
みやげ物やデジカメの画像を見ながら、僕達は『家族』団欒の時を過ごす
 
 

「うっわぁ・・・・・・・お嫁さん、キレイ!
ねぇねぇ、良い結婚式だったの?」

「・・・・・そうね。
ハルカちゃんが結婚する時もこんな感じかしら・・・・・って、柄にもなくシンミリしちゃった」

「そだね・・・・・マヤさんもサ、アタシの結婚式にはママハハとして参列してよ?」

「ふふっ・・・・・何年後かしらね?」
 
 

微笑みながら話すマヤさんの肩を、僕はそっと抱いた
ちょっと驚いた表情を向ける彼女
そんな彼女の耳元に口を寄せ、僕は囁いた
 
 

「・・・・・・帰ってきてくれてありがとう」

「・・・・・・・バカね、私の帰る場所は・・・・・・・ここしかないでしょう?」
 
 

彼女の手が僕の手に重なる
肩に感じる重み、微かに漂う彼女の香り
僕は目を閉じ、彼女の髪にそっと顔を埋めた
 
 
 
 
 

「ンもう・・・・・・ヒトの目の前でイチャイチャするなぁ〜〜〜〜!!!
 
 
 
 
 

ハルカの怒声がリビングに響き渡ったのは、その直後だった
 
 














 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

幼かった娘は成長し
 

親は年老いてゆき     
 
 
 

それはどんな家族でも同じことなのだろう
 
 
 

季節は巡り
 

時は足早に過ぎ去ってゆく
 
 
 

いつか
 

ハルカも僕の元から羽ばたき
 

何処かへと旅立ってゆくだろう
 
 
 

けれど
 

別れの時が訪れるまで
 

僕は此処に立ち続け
 

胸の中で語り掛けるだろう
 
 
 

こっちは大丈夫
 

みんな元気だから
 

なんとか頑張ってるから
 
 
 

いつか交わした約束     
 
 
 

幸せな家庭を作ろうという約束を
 

叶えるために


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
To be .........

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


管理人のコメント
 ――僕は父さんとは違うんだ。
 シンジは自分の心に戸惑い、動揺する。
 今はまだ大丈夫。
 自分に言い聞かせるように唱える言葉が重く響きます。
 
 平凡でしあわせな家庭をつくること。
 それはアスカと交わされた約束。
 それを叶えるためにシンジは胸の中で語りかけます。
 別れの時が訪れるまで。
 
 お話は、続きます。


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