『なぁハルカ、ジャックと豆の木、って知ってるかい?』
 
 
『知ってるわよぉ、ソレくらい。
 ジャックが庭に豆を埋めたらソレが成長して、空の上まで伸びていったっていうアレでしょ?』
 
 
『その親戚がこの庭にもあるんだよ』
 
 
『はぁ?』
 
 
『実はこの木がそうなんだ』
 
 
『・・・・・』
 
 
『木とか植物っていうのは、土中から養分を吸い取って成長していく。
 この木の根元にはバディが埋まってるだろ?
 きっとあいつの身体は全部吸収されて、この木のてっぺんまで上ってるんじゃないかな。
 あいつはママが好きだったから、ママのところへ行こうとするだろうし。
 もしも・・・・・もしパパが死んだら、この木の根元に埋めてくれないか?
 そうすればこの木は天国に届くまで伸びていくかもしれない。
 そしたらさ、ハルカはいつでも好きな時にママに逢いに行けるだろ?』
 
 
『ちょっとぉ・・・・・変なコト言わないでよ、パパぁ!』
 
 
 
 そう言いながら、パパはこの木を見上げていた
 
 
 夏の、ある日のこと

 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 

GARDEN -2-
 JACK AND THE BEANSTALK
 B-PART
 
 written by map_s

 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝
 昨夜のことが頭から離れず、まともに寝付けなかった
 睡眠不足で重い身体を引きずってキッチンへ
 
 
 
「「おはよう」」
 
 
 
 いつもと何ら変わりのないふたりが、あたしを出迎えた
 マヤさんはお盆を持ってパタパタと走り回っている
 パパはコーヒーを飲みながら、新聞の記事を目で追っている
 
 何て言うか、拍子抜け
 あたしがあれだけ悩んだっていうのに、ふたりとも『何ともない』って顔してる
 何だか無性に腹が立つ
 
「おはよう」
「いただきます」
「ごちそうさま」
 
 あたしが口にしたのは、それだけ
 
 そそくさと朝食を済ませ席を立ち上がろうとしたあたしに、パパが問い掛けてきた
 
 
 
「・・・・・聞きたい事があるんじゃないのかい?」
 
「・・・・・別に」
 
「本当に?」
 
「ちょっと、シン「マヤさんは黙ってて」
 
 
 
 心配そうなマヤさんを、パパが押し留めた
 いつになく真剣な表情で見つめるパパ
 あたしは何となく耐えられなくて、視線を逸らした
 
 
 
「ハルカ、言いたい事はハッキリ言いなさい。
 そうでないと、後で後悔する事になるぞ?」
 
「・・・・・・」
 
「昨夜の事だろ?」
 
 
 
 あたしは小さく頷いた
 
 
 
「僕とマヤさんの関係・・・・・ハルカが見た通りだよ、否定はしない」
 
「・・・・・いつから?」
 
「ママが死んだ後だよ」
 
「何で・・・・・どうして?」
 
「理由なんて・・・・・ないよ」
 
 
 
 パパの言葉にあたしは肩を震せた
 
 パパとママはお互いが好きだったから結婚した
 だからあたしが生まれた
 なのに     パパはママが死んだから、マヤさんとああなったって言うの?
 ママの思い出の品を隠して、あたしに思い出させないようにして?
 
 
 
『アンタが想い人ばかりに目を向けていたら、アタシ達はどうなるの?』
 
 
 
 まさか     まさか、まさか!?
 想い人ってマヤさんのこと?
 だからママが死んだって平気でいられるわけ?
 それじゃあママが可哀想じゃない!
 
 その瞬間、画面に映っていたママと同じように怒りの火が点いた
 
 
 
「・・・・・ウソ言わないでよ・・・・・」
 
「嘘?何で嘘をつく必要が「だってウソじゃない!」
 
 
 
 あたしは席に座ったまま、パパを睨みつけた
 
 
 
「パパ、あたしにウソ吐いたじゃないの!
 ママの写真とかは何もないって!
 全部燃やしちゃったって!
 ママのこと忘れちゃったから・・・・・あたしに思い出させたくなかったから、だからあんなウソを吐いたんでしょぉ!?
 あたし・・・・・あたし、知ってるんだから!
 パパがママ以外に好きな人がいるんだって!
 だからママが死ぬ前の日にケンカしたんだって!」
 
「ハルカ・・・・・あの部屋に入ったの?」
 
「入ったわよ!写真も、DVDも全部見た!
 どうしてママは死んじゃったの?
 交通事故で死んだっていうのはホントなの!?」
 
「何が・・・・・言いたいのさ?」
 
「ママはあたしを幼稚園に迎えに行く途中で、信号無視の車に跳ねられたって聞いたよ。
 でも、それはパパ達が言ってたことでしょ?
 もしかしたら避けようとしてなかったのかもしれない!
 パパとのケンカのことでボーっとしてたのかもしれないじゃない!
 パパが・・・・・パパが悪いんじゃない!!
 パパがママを裏切ったから、だからママが死んじゃったんじゃない!!
 想い人って誰のことなのよ!!」
 
「・・・・・それは・・・・・」
 
 
 
 パパはそれ以上の言葉を言い淀むと、辛そうに視線を逸らした
 
 ズキン
 
 胸が痛む
 ココロが痛む
 
 でも止まらない
 止められない
 
 あたしは勢い込んで立ち上がった
 派手な音を立てて、椅子が倒れた
 
 
 
「何よ・・・・・何よ何よ何よぉ!
 言いたい事があるんなら言え、ってパパが言ったんじゃない!
 黙ってないで何とか言ったらどうなの、パパぁ!!」
 
「ハルカちゃん・・・・・もうやめなさい」
 
「マヤさんは黙ってて!
 他人のクセして、口を挟まないでよっ!!」
 
「ハルカ!」
 
 
 
 次の瞬間、あたしはひっぱたかれていた
 驚いたことに、あたしに手を上げたのは     マヤさんだった
 
 
 
「・・・・・確かに私は他人よ、あなた達と血の繋がりも何もないわ。
 でもね、それだけが家族の絆じゃないって事も知ってる・・・・・私にとってあなたは本当の娘同然なのよ。
 自分の娘が他人を、それも実の父親に対してそんな言葉を投げ掛けているのを止めないわけにはいかない。
 謝りなさい」
 
「何でよ!どうしてパパを庇うのよ!
 あたしだけじゃない・・・・・何も知らないの、あたしだけじゃない!!
 キライ・・・・・何も教えてくれないパパも、マヤさんも・・・・・・みんなダイッキライっ!!!」
 
「ハルカちゃん!?」
 
 
 
 制止する声を振り切り、あたしはキッチンから飛び出した
 そのまま玄関に走り、鞄を掴んで外へ駆け出していく
 
 その日が終業式で良かったと思う
 
 パパの真っ青な顔が
 マヤさんの哀しそうな瞳が
 頭から離れなかったから
 
 最悪の状態で、あたしの夏休みは始まった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あの日以来、パパとはまともに口を利いていない
 顔を合わせることすら稀になってしまった
 パパは朝早くから大学に出掛け
 どんなに遅くなっても家に帰ってから食事をしていたのに、外食が多くなった
 まるであたしを避けるように
 
 でも、それはあたしも同じこと
 ふたりとも口煩くないのをいいことに、友達の家にばかり入り浸るようになった
 夕食に誘われても断らず、帰宅時間も遅くなって
 時にはそのまま泊まったりもして
 
 ママの部屋にも入れなくなってしまった
 パパが机に鍵を掛けてしまったから
 
 互いの時間が噛み合わないままの、ぎくしゃくした関係
 
 あっというまに夏休みが過ぎていく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コンコンコン
 
 控え目なノックの音
 
 
 
「・・・・・はい?」
 
『ハルカちゃん、私・・・・・入っても良いかな?』
 
「・・・・・どうぞ」
 
 
 
 マヤさんはゆっくりとドアを開けると、お盆を片手に部屋へ入ってきた
 焼きたてのクッキーの香りがふわっ、と部屋の中に漂う
 マヤさんはフローリングの床に直接お盆を置き、その横に座った
 あたしもそれに倣い、ちょっとだけ離れた位置に座る
 
 
 
「・・・・・あのね、彼と話してみたのよ。
 あなたが知りたいと思っている事を伝えて良いのかどうか・・・・・」
 
「話して・・・・・くれるの?」
 
「ええ・・・・・ただ、ひとつだけ条件があるわ」
 
「条件?」
 
「今から話す事は誰にも言っちゃ駄目。
 国家機密レベルの内容も含まれるから、近親者であろうと話す事が出来ないんだけどね。
 でも、私たちの事を理解してもらう為にはどうしても外せないの。
 約束、してくれる?」
 
 
 
 あたしは目を丸くするしかなかった
 誰にも言うな、という条件だけなら簡単に飲める     と思う
 だけど、国家機密なんて単語が出てくるなんて思ってもみなかった
 冗談かとも思ったけど、マヤさんの表情を見ると本気なのがわかる
 
 ちょっとだけ間をおいて、あたしはハッキリと頷いた
 
 
 
「私がシンジ・・・・・君と初めて会ったのは、今から22年前になるわ。
 彼は中学生、私は国連に属する非公開組織のオペレータをしていたの。
 あなたのママ、アスカに出会ったのも同じ場所よ。
 ふたりは色々な事情があって、一緒に暮らす事になったの」
 
「え・・・・・中学生で同棲?」
 
「違うわ、同居よ。第一、保護者役の女性も一緒だったんだから。
 とにかく、ふたりは10ヶ月近くの間をひとつ屋根の下で暮らす事になったの。
 その頃・・・・・何が起きたか、授業で習った?」
 
「20年前くらい・・・・・サード・インパクト?」
 
「そう、サード・インパクト。
 あの事故のおかげで当時の第三新東京市は壊滅して、遷都計画はお流れになったわ。
 じゃ、サード・インパクトって何だか知ってる?」
 
「えっと、使徒だか何だかいうのが攻めてきて、それをやっつけるためにロボットが戦った。
 その最後の決戦で大爆発が起きて、街がメチャクチャになっちゃったんじゃなかったっけ?」
 
「そうね・・・・・一般的にはそのような形での情報操作がなされているわ」
 
「ねぇマヤさん、それが何か関係あるの?」
 
「ええ。
 あのね、私達・・・・・その現場に居たのよ」
 
「・・・・・は?」
 
「シンジ君とアスカはEVA初号機、弐号機の専属パイロット。
 そして私はオペレータとして、司令室から彼らの事を見ていたの」
 
 
 
 頭の中は完全にパニック状態だった
 パパとママの話を聞きたかっただけなのに、話がどっかに飛んで行っちゃったような気がして
 EVA?パイロット?何なの、それ?
 
 
 
「ふたりはそれこそ死と背中合わせの世界で戦い、傷付いていったわ。
 そして最後の使徒を倒し、全てが終わったと思った時・・・・・真の敵が現れたのよ」
 
「真の・・・・・敵?」
 
「ええ。人類補完計画を発動させようとした張本人、SEELEが最後に送り込んできた敵・・・・・戦略自衛隊、そしてEVAシリーズ」
 
「自衛隊って・・・・・人間じゃない!」
 
「そう、人間の敵は人間・・・・・地獄ってあんな感じなのか、って思ったわ。
 1000人近く居た職員の中で生き残ったのは、ほんの数十人。
 それ以外は全て・・・・・ヒトの手によって殺されたの」
 
「・・・・・・・・・・・」
 
「あなたのパパと初号機はね、人類補完計画の要だった。
 彼の精神を破壊し、依り代にする事でサード・インパクトを引き起こす・・・・・それが敵の目的だったわ。
 あのふたりも含めて私達は何も知らされなかった。
 知らないうちに計画に加担していたのよ。
 それを知るのはSEELE、そして私がいた組織の司令、副司令、私が尊敬していた先輩だけ。
 計画のベースとなったEVAの基礎理論を説いたのは碇 ユイ博士。
 そして日本での最高責任者は碇 ゲンドウNERV総司令。
 ・・・・・あなたのお祖父様、お祖母様よ」
 
「・・・・・・・・・・!!!」
 
「ユイ博士は基礎理論を説いただけで、補完計画を実行したわけではないの。
 あの悪魔のような計画は、全てSEELEが実行したものなの。
 司令のシナリオはまた別のものであったのだけれど・・・・・」
 
 
 
 たぶん、あたしは真っ青になっていたのだろう
 全身に嫌な汗が流れ、背筋が寒くなった
 
 サード・インパクトによる死傷者、行方不明者の数は全世界で数億人とも言われている
 学校の中にも、そのせいで亡くなった人が近親者にいる、って話も聞いた
 まさか自分の両親がそんなモノに関わっていたなんて信じられなかった
 
 
 
「・・・・・信じられないと思うけど、これは事実なの。
 残念だけど証拠は見せられないわ、個人所有できるようなものではないから。
 だから・・・・・私の言葉を信じてもらうしかないの」
 
「・・・・・・・・・・」
 
「話を続けるわね。
 結果から言うと、サード・インパクトは確かに起きたわ・・・・・不完全な形で。
 ヒトの形を保てなくなった人類は、溶け合いひとつになったの。
 私だってそうよ、何が何だかわからなかったけどね。
 気が付いた時には元に戻っていた・・・・・ヒトたる固体に、ね。
 それは全て彼のおかげなのよ」
 
「パパが?」
 
「ええ・・・・・もし彼の精神が完全に破壊されていたのなら、元の世界に戻る事はなかった。
 実際、一度は自我境界線が限りなくゼロに近い状態になったわ。
 でも、彼はギリギリのところで踏み止まって・・・・・今の世界があるのよ」
 
「なんだかよくわかんない・・・・・」
 
「理解する必要なんてないの。
 ただ、こんな事があった、って覚えてもらえれば良いわ」
 
「うん・・・・・それからどうしたの?」
 
「一時期は世界中で大混乱が起きたわ。
 自分の身に理解不能な出来事が起きたなら、誰だって困惑するものでしょう?
 それでも何とか立ち直って、世界中のあちこちで復旧作業が始まったの。
 ちょうどその頃ね、シンジが倒れたのは」
 
「倒れた?」
 
「・・・・・あなたのパパはね、サード・インパクトの責任は全て自分にある、そう思い込んでしまったの。
 まだ14歳の少年に耐え切れるようなものではなかったのよ。
 彼には何の責任もなく・・・・・悪いのは全て、私達大人だったのに・・・・・」
 
 
 
 マヤさんはそれっきり俯いたまま、肩を震わせていた
 聞いてはいけない、触れてはならないものだったのかもしれない
 胸が痛んだ
 
 
 
「・・・・・ごめんね、話の途中で。
 もう何十年も経つけど、未だにあの頃の事を思い出すと・・・・・」
 
 
 
 そんなことない、とあたしは首を横に振った
 マヤさんは目尻の涙を指で拭うと、小さく深呼吸してから再び話し始めた
 
 
 
「あの頃、シンジのそばには誰も居なかったの。
 彼の保護者役は既に亡くなっていたし、両親も同じ・・・・・アスカもね、同じように傷付いて帰国した後だった。
 それでも、何とか彼は持ち直したわ。
 それからずっと・・・・・私は彼の事を見ていたの。
 彼はひとり暮らしをしていたし、私も自分の仕事が忙しかったから滅多に逢う機会なんてなかった。
 でも、お互いの時間が合う時はいつも一緒に居たわ。
 あ・・・・・勘違いしないでね?
 私は彼とふたりっきりになったりする事はなかったの。
 私の他にも青葉、日向って男の人が居たから」
 
「日向さんって・・・・・マコトおじさん?」
 
「あ、そうね。日向さんには逢った事があるものね」
 
「うん。青葉さんって人は知らないけど・・・・・」
 
「青葉はね・・・・・私の夫だった人よ」
 
「え?それって・・・・・」
 
「ええ、別れたの。ハルカちゃんが生まれてすぐだったかしら?」
 
「何で?どうして?」
 
「・・・・・彼を愛していない事に気付いたから」
 
「まさか・・・・・パパのこと?」
 
「いいえ、違うわ」
 
「じゃあ、どうして結婚したの?」
 
「・・・・・誰かのぬくもりがなかったら、耐え切れなかったからよ」
 
 
 
 マヤさんは微笑していた
 今にも泣き出しそうな笑顔
 
 見ているあたしのほうが、辛くなるような     そんな表情をしていた
 
 
 
「私には憧れの人がいたの。
 その人は大学の先輩で、私の上司でもあったわ。
 いつもそばにいて、手伝いをして、少しでも手助けすることさえ出来れば・・・・・私は幸せだったの。
 けして結ばれる事はないのは知ってた、でも離れる事も出来なかったの」
 
「その人とはどうなったの?」
 
「死んだわ、サード・インパクトの時に。
 何度も忘れようとした・・・・・そしてその度に忘れられないと気付いた。
 青葉はね、それを承知の上で私と結婚したの。
 私の中にあるその人への想いもひっくるめて、私と一緒になりたいと言ってくれた。
 今目の前にいる相手を愛し、共に生きようとお互い努力したわ。
 でも、長続きする事はなかった。
 どうしても噛み合わない部分があって、その隙間は日に日に大きくなっていって・・・・・
 あの人には本当に申し訳なく思っているのよ。
 もう2度と逢う事もないでしょうけれど・・・・・」
 
「・・・・・・」
 
「シンジはあなたのママを・・・・・アスカの事を、今でも愛しているわ。
 けして忘れはしないし、愛情が薄れることもないのよ。
 あのふたりは7年という月日を経て再会し、再びひとつ屋根の下暮らし始めたわ。
 そして結婚し、あなたが生まれた・・・・・短い間だけれど、幸福の絶頂にいたの。
 それが突然の事故で崩れてしまった。
 アスカの死は、彼にとってどれだけショックだったかなんて計り知れない。
 あなたは知らないけれど、自殺を図った事さえあるのよ」
 
「そんな・・・・・」
 
「でもね、彼は踏み止まったの。
 あなたが居たから、アスカと同じ髪を、瞳を持ったあなたが居たから。
 自分と同じ哀しみを与えるわけにはいかない、そう言ってね」
 
「パパ・・・・・」
 
「私は黙って見ていられなかったの。
 彼の状態は酷いなんてものじゃなかった、なのに必死になって足掻いていた。
 少しでも役に立つことがあれば、って思ったからこの家に来たのよ。
 同じベッドに寝るまでそんなに時間は掛からなかった・・・・・互いに傷付いているのを知っていたから。
 私と彼との関係を許せない事は承知しているわ。
 それなら籍を入れれば良い、夫婦になれば良いって普通なら思うのでしょうけど・・・・・駄目なのよ。
 彼に愛情がないとは言わないし、彼が私を愛していないとも思わない。
 でもね、お互いの心の中には忘れられない人がいるのよ・・・・・形式上の結婚をしても、しなくても同じなの。
 どうしようもなく淋しい時、ぬくもりが欲しい時だけ身体を重ねる、それ以外はお互い干渉しない。
 それが、私達の関係。
 あなたの目には汚らしく映るかもしれないけど・・・・・」
 
 
 
 何も言えなかった
 あまりにもショックが大きすぎて
 哀しすぎて
 
 パパも、マヤさんも苦しんでいたんだ
 あたしの知らないところで
 
 なのに、あたしは
 何も知らないから、何も教えてもらえなかったからって勝手に怒って
 酷い言葉を投げつけて
 
 ふたりを傷つけてしまった
 
 自分が嫌だって思った
 
 
 
 そんな時だった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 車のエンジン音
 ドアの閉まる音
 門が開く音
 
 あたしは窓から外を見た
 
 
 
「あれ・・・・・パパ?」
 
 
 
 走り去るタクシー、そして玄関へと歩くパパの姿
 
 こんなに早い時間にパパが帰ってくるなんて珍しい
 それも、タクシーなんか使って
 
 思わずあたしは駆け出していた
 階段を駆け下り、スリッパのまま玄関を飛び出す
 
 何となく、嫌な感じがして
 
 
 
「ハルカ・・・・・?」
 
 
 
 パパはあたしをちらっと見ただけで、横を通り過ぎようとした
 だけど、急に崩れ落ちるように膝をついた
 
 顔色は真っ青で
 額に脂汗を浮かべて
 
 
 
「パパ!」
 
「ハルカ・・・・・ずっと、考えていたんだ・・・・・お前が言った通り、アスカは僕が殺したのかもしれないって・・・・・」
 
「・・・・・え?」
 
「運が悪かったって思い込もうとしていたんだ・・・・・彼女は間違っても自分から飛び出すような真似はしないって。
 だけどな、ハルカ・・・・・僕は確かにアスカ以外に好きなヒトが居たんだよ。
 そのヒトの事、忘れてなかったのも事実なんだ。
 もちろん、アスカの事は愛していた・・・・・いや、彼女以上に愛した人間は居ない。
 アスカはそれを知ってた・・・・・それでも僕の事を愛してくれたんだ・・・・・」
 
 
 
 あたしはそれが本当なら絶対に許せない、そう思っていた
 だけど、それは     パパも同じだったんだ
 パパが一番許せないって思ってたんだと     今、思い当たった
 
 でも
 あたしは何も言えなくて
 パパに触れることすら出来なくて
 
 ただ、その場に立ち尽くしていた
 
 
 
「・・・・・僕はいつもそうなんだ。
 失ってしまった後に、自分にとってどんなに大切だったのか気付いて・・・・・後悔する。
 どうしてだろう?どうして、僕は・・・・・同じ過ちを繰り返すんだ?
 ちゃんと伝えれば良いのに、自分の気持ちを素直に伝えなければ駄目だったのに。
 ・・・・・・どうして・・・・・」
 
「パパ・・・・・もうやめようよ、ねぇ?
 そんなに真っ青で、調子悪そうで・・・・・家の中に入ろ?ね?」
 
「アスカは・・・・・最後に何を思ったんだろう?
 僕と結婚なんてしなかったほうが幸せだったんじゃないのか?
 彼女にとって僕は疫病神でしかなかったんだ。
 僕の事を嫌い、憎んだまま忘れ去ってしまって・・・・・別の人生を歩んでいたほうが良かったんだ。
 生きて幸せでいてくれたら・・・・・その方がずっとマシだったんだ。
 僕の事を許さないままに死んでしまって・・・・・・アスカ、僕はどうすれば・・・・・・っっっ!?」
 
「パパぁっ!?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・・・ハルカ・・・・・もしもの事が起きたとしたら・・・・・後はマヤさんに任せてあるから・・・・・」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その一言を最後に
 
 
 
 
 パパは倒れた
 
 
 
 
 自分で吐いた血溜まりの中に
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あたしは身動きすらできず
 
 
 
 
 声すら上げられず
 
 
 
 
 ただ、祈っていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

           ママ
 
 
 天国のママ
 
 
 パパを連れて行かないで
 もしもパパが行きたいって言っても、連れて行ったりしないで
 
 
 あたし、イヤなんだから
 まだパパと仲直りしてない
 まだ聞きたいことだって
 言いたいことだっていっぱいあるの
 
 
 だから
 おねがい
 
 
 ママ          あたしをひとりにしないで

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『胃潰瘍ですね。幸いにも胃に穴は開いていないし、2週間ほどの加療で退院できるでしょう』
 
 
 
 そう言って先生は病室を出て行った
 マヤさんはお辞儀をしていたけど、あたしはパパのことだけを見ていた
 
 腕に刺さっている点滴のチューブ
 真っ白なシーツ
 運び込まれた時より少しは良くなった顔色
 
 救急車を呼ぶのも
 入院手続きをするのも
 着替えを持ってくるのも
 全てマヤさんがやってくれた
 
 あたしはパパのそばにいただけ
 じっと顔を見続けていただけ
 
 あたしの肩に、マヤさんの手が触れた
 
 
 
「・・・・・先生も大丈夫だって言ってたし、一度家に帰りましょう?」
 
「でも・・・・・」
 
「思い詰めたら駄目よ、あなたが先に参ってしまうわ。
 さ・・・・・後は看護婦さんに任せて、ね?」
 
 
 
 あたしは小さく頷くと、揃って病院を出た
 
 
 
 夕暮れの道路を、俯き加減で歩く
 マヤさんは病院を出てからずっと、あたしの手を握っていてくれた
 足元に長く伸びる影は、ずっと並んだまま
 
 
 
「・・・・・あの時も同じだったな」
 
 
 
 マヤさんは視線を空に向けたまま、ぽつっと言葉を漏らした
 
 
 
「・・・・・あの時?」
 
「ええ・・・・・話したでしょ?彼が倒れた、って」
 
「うん」
 
「食事は全然受け付けないし、食べても吐くだけで・・・・・ずっと点滴だけで過ごしてたわ。
 2度とも・・・・・ね。
 そんな姿を見て、私は・・・・・」
 
「・・・・・もういいよ、マヤさん」
 
 
 
 あたしは繋いだ手に力を込めた
 
 
 
「あたし、わかったんだ。
 パパが死ぬんじゃないか、って思ったら頭の中が真っ白になって、身体が動かなくなった。
 パパは大事な人を・・・・・いっぱいいっぱい亡くしてるんだよね。
 一緒にいられるのも、ふざけていられるのも、笑っていられるのもみんな・・・・・生きてるからなんだ。
 あたし、パパが無事で本当に良かったと思ってるの。
 これからもずっと一緒にいるんだ・・・・・パパと、あたしとマヤさんと3人で。
 ママの分まで一緒に・・・・ね?」
 
「・・・・・ハルカ・・・・・」
 
 
 
 マヤさんは立ち止まると、あたしを力いっぱい抱きしめた
 
 ちょっと痛かったけど
 苦しかったけど
 
 マヤさんは暖かくて
 やわらかくて
 心地良くて
 
 何だかママに抱きしめられているような気がした
 
 
 
 そして、ちょうど2週間後にパパは退院した
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『ハルカ、ちょっと来てくれないか?』
 
 
 
 ドア越しに聞こえたパパの声
 あたしは宿題のノートを閉じて、廊下へと出た
 
 廊下の端にパパはいた
 そして、ママの部屋へと入っていく
 パパの後について、あたしも部屋へと入った
 
 
 
「・・・・・本当はね、ハルカが中学生になったら開放しようと思っていたんだ。
 ちょっとだけ予定が早まったけど、これからは自由にして良いよ。
 ただし、たまに掃除をする事・・・・・良いかい?」
 
 
 
 あたしが頷くと、パパは頭にぽん、と手を触れてから部屋を出て行った
 そのまま自分の部屋に戻ったから、少し寝るんだろう
 パパの背中が部屋の中に消えるまで、あたしは頭だけを廊下に出して見ていた
 
 窓を開くと、気持ち良い風が部屋の中に入ってきた
 レースのカーテンが揺れる
 篭っていた空気が、きれいな空気へと入れ替わっていく
 
 その拍子に、テーブルに置いてあった紙がひらり、と落ちた
 空中でくるりと回転した後、吸い込まれるようにベッドの下へと落ちていく
 
 
 
「ンもう・・・・・」
 
 
 
 仕方なくベッドの下へと潜り込む
 その時だった
 
 
 
「・・・・・・あれ?」
 
 
 
 ベッドの足に隠れるように置いてあったケース
 うっすらと埃が被り、長い間そこにあったことがわかる
 あたしは手を伸ばし、そのケースを引っ張り出した
 ケースの中には、何のラベルも貼られていないDVDが一枚
 
      あたし、何か知ってる
 
 何故かそう思い、あたしは部屋を飛び出した
 
 
 
「ちょっとハルカちゃん?少しは静かに・・・・・」
 
「マヤさん!これ!」
 
 
 
 あたしはリビングに飛び込んで、テレビの電源を点けた
 DVDプレーヤーにディスクを入れて、待つのももどかしく再生ボタンを押す
 
 一瞬青い画面になった後、ママの背中が突然映し出された
 
 
 
「ハルカちゃん、これ・・・・・・」
 
「シっ、黙って!」
 
 


『ままぁ、こっちむいて?』

 
 
      これ、あたしが撮ってるんだ
 ママの格好から見て、ケンカの後なのかもしれない
 
 あたしの声に気付いたママが振り返る
 
 


『ちょっとハルカ?いじって壊さないでよ?』
 
『へぇきだよっ!』
 
『ンもう・・・・・』
 
『ねぇままぁ?
 ままはぱぱのこと、キライなの?』
 
『なに?ナマイキにインタビューの真似?
 ほらぁ、ちゃんと持ってないとダメでしょ?』
 
『いーからこたえなさいっ!』
 
『はぁ・・・・・しょうがないわねぇ。
 ママはぁ、パパのコトダ・イ・ス・キ!』

 
 
 ママは笑ってるような、困ってるような表情で答えた
 あたし     このこと、覚えてる     
 
 


『でもぉ、まま、ぱぱのことぶった・・・・・』
 
『ハルカ、アンタだって同じでしょ?
 ほら、だ〜〜いすきなケンタ君のコト、よくいじめてるじゃない?』
 
『そんなことしてないもんっ!』
 
『フフっ・・・・・ま、いいわ。
 あのね、ママはパパの奥さんでしょ?
 だからぁ、パパのコトは一番良く知ってなきゃイヤなのよ、わかる?』
 
『ん〜〜〜〜〜・・・・・』
 
『でもね?パパはあんまり自分のコト話してくれないの。
 だからかなぁ、さっきみたいにケンカになっちゃうのよね。
 ママはね、パパが何を思い、何を考えているのか・・・・・そういうコトも知りたいの。
 確かにさっきは言い過ぎちゃったのかもしんないなぁ・・・・・
 別にねぇ、過去のヒトを忘れろ、なんて言わないわよ。
 でも、今はアタシがそばにいるわけだし、アイツのコトこ〜〜〜んなに愛しちゃってるしぃ・・・・・』

 
 
 ママはハっとしたように顔を赤らめた
 そして、頬を真っ赤に染めたままカメラに詰め寄る
 
 なんだか、可愛いかも
 
 


『い、今のナシだからね!?
 ハルカ、パパに見せちゃダメだよ?』
 
『え〜〜〜〜〜?』
 
『ダメったら、ダメ!
 こぉんな恥ずかしいトコ、見られたりしたら・・・・・
 ・・・・・でも、タマに見てみようかな?
 例えばケンカした後とか、反省するために・・・・・ウン、そうしよう!』
 
『・・・・・まま?』
 
『と・に・か・く!
 コレはパパに見せちゃダメよ?
 約束だからね、ヤ・ク・ソ・ク!』
 
『うん!ヤクソクするっ!』

 
 
 
 
 
 
 どうして忘れてたんだろう
 こんな大事なことを
 
 約束してたんだね、ママ
 
 大好きだったんだね、ママ
 
 最後の最後まで、パパのこと大好きだったんだね
 
 安心したよ
 そして、ゴメンね
 
 
 
 
 
 あたし、泣いてた
 画像が消えて、青い画面になってもテレビを見つめたまま
 
 マヤさんがそっと肩を抱いてくれて
 その胸に抱かれた後も
 涙が止まらなかった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「パパ・・・・・これ」
 
「ん、何?」
 
「良いから見てね。
 じゃ、おやすみっ!」
 
 
 
 その晩、あたしはDVDをパパに手渡してからリビングを出た
 
 その後のことは知らない
 
 そっとしておきたかったし、パパが泣いてるところなんて見たくなかったから
 
 
 
 約束破っちゃったけど、もう時効だよね
 
 ゴメンね      ママ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こうして、あたしの夏休みは終わった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 

 9月1日
 
 
 始業式の日
 
 
 
「いってきまーすっ!」
 
 
「「いってらっしゃい」」
 
 
 
 パパとマヤさんに見送られて
 あたしは玄関を飛び出した
 
 
 バディのお墓へ声を掛けることも忘れない
 
 
 それから、あたしは空を見上げた
 
 
 
      ねぇ、ママ
 
 あのDVDを見てから、ママが身近になったような気がするの
 
 だからね
 
 これからもこうして声を掛けるから
 
 良いよね?
 
 
 
 今年の夏はいろんなことがあった
 怒ったり
 泣いたり
 ホント、忙しかった
 
 
 
 パパとマヤさんのこと、どうしようって思ったけど
 あたしが口を挟むことじゃないんだよね
 
 だから、今まで通り接していくつもり
 だってさ、他の家だって夫婦だったら同じようなこと、してるんでしょ?
 
      ママは怒ってるかもしれないけど
 
 
 
 パパが好きだった人のこと
 昔のこと
 
 知らないことはまだまだたくさんある
 もしかしたら、一生知らないままで終わるかもしれない
 
 
 
 ママがいないことに変わりはないし
 ママのこと思い出して、何度も泣くかもしれないけど
 
 
 
 でも、平気だよ
 
 
 
 あたしたちはつながってる
 
 
 
 たとえそばにいなくても
 想いはきっと届く
 
 
 
 パパが言った通り
 この木が天国まで伸びていって
 ママの元へ想いが伝わるかもしれないね
 
 
 
 ねぇ     ママ
 
 
 
 
「いってきまぁすっ!」
 
 
 
 
 あたしは木に向かって大きく手を振って
 
 
 
 門の外へと駆け出していった
 
 
 
 
 
 雲ひとつない、蒼い空が広がっていた
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

To be continued


 

 天空まで伸びていく木。
 それはシンジの希望だったのかもしれない。
 弱い心を支えあいながら、シンジとマヤは生きてきた。
 お互い、悲しいぐらい純粋に、届かぬ人を想いながら。
 
 ハルカの母――アスカは、シンジのことを大切に想っていた。
 そのことを思い出したハルカは、泣いた。
 そして、おそらくシンジも――
 
 天空まで伸びる木を伝わって、シンジの、ハルカの想いが、アスカの元へ届く。
 そう信じて――
 
 お話は、まだ続きます。


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