僕の家には、広い庭がある
 
 
 
 草木が生い茂り、四季折々の顔を見せる庭
 
 
 
 僕にとって一番お気に入りの場所
 
 
 
『そのうち掘立て小屋でも建てて、ココで生活しようなんて言い出すんじゃないでしょうね?』
 
 僕を探しに来た妻の常套句だ
 
 もう何度この台詞を言われたことか
 
 
 
 それでも僕はこの場所に立つ
 
 
 
 穏やかな風を頬に受け
 
 風に運ばれた緑の香りを楽しみ
 
 かさかさと揺れる木の葉の音を聞き
 
 木漏れ日に目を細めながら
 
 
 
 まるで自分だけがこの世界の住人であるかのように
 
 
 
 そして僕は
 
 過去へと思いを巡らせる
 
 
 
 ここに辿り着いた道程を忘れないために
 
 思い出が色褪せないように
 
 僕が僕であるために
 
 
 
 幾度となく繰り返した記憶の旅を
 
 再び歩み始める

 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 

GARDEN
 
 
 written by map_s

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 物心ついた時から
 両親は居なかった
 母はこの世になく
 父は僕を捨てた
 
 幼い僕のそばに居たのは
 一番遠くの他人でしかなかった
 
 彼らは僕を見なかった
 気にも留めなかった
 僕はココに居るのに
 僕という存在が彼らの目には映らない
 
 僕は息を潜めて過ごした
 感情を殺して
『良い子』という仮面を被って
 
 捨てられるのが、怖かったから
 
 14歳の時
 僕はこの街へと呼び出された
 唯一の肉親で
 絶対の他人である
 父に
 
『来い』
 
 この言葉だけが
 父と僕との繋がり
 
『死』と隣り合わせの生活
 辛い
 哀しい
 そんな毎日
 
 何度も泣いた
 何度も逃げ出そうとした
 
 でも
 逃げ出せなかった
 
 友人
 家族
 かけがえのない人達と出逢い
 暗闇の中に
 微かな希望の光を見てしまったから
 
 僕は戦い続けた
 抗い続けた
 身体を傷付け
 心を傷付け
 血の涙を流しながら
 
 そして
 全てを失った
 
 父は母のみを追い続けてこの世に背を向けた
 母は全てを見守る為に旅立っていった
 
 姉は十字架に全てを託し
 姉の親友は絶望という弾丸に身を貫かれた
 
 母を思わせた紅い瞳の少女は
 無の世界へと帰っていった
 
 蒼い瞳の少女は
『気持ち悪い』という言葉と
 悔恨という楔を胸に打ち付け
 苦悩という足枷を遺し
 僕のそばから去っていった
 
 僕に残ったのは
 絶望的なほどの孤独感
 
 ただそれだけ
 
 それでも僕は生き続けた
 そう約束したから
 それが僕の望みだったから
 
 そして
 2019年6月6日
 僕は18歳になった
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
「久し振りだね、シンジ君・・・・・暫く会わぬうちに、また大きくなったな・・・・・・」
 
 
 
 半年ぶりに再会した『保護者』は、目を細めながらゆっくりと近付いてきた
 いつしか追い越してしまった僕の顔を見上げ、うんうんと肯きながら2度、3度と肩を叩く
 
 
 
「お久し振りです、冬月さん・・・・・ご無沙汰してました」
 
「固い挨拶は抜きだ、とりあえず座りなさい」
 
「・・・・・はい」
 
 
 
 僕は冬月さんに勧められるがままに、革張りのソファに腰を落ち着けた
 その正面に冬月さんも座る
 秘書と思しき女性が紅茶を置いて辞した後、冬月さんは静かな笑顔で近況を聞き始めた
 
 曰く、元気にしているか、とか
 曰く、生活に不満はないか、とか
 曰く、寂しい事や辛い事はないか、とか          
 
 彼が聞き、僕が答える
 ただそれだけの、取り留めのない会話
 嫌だとは思わない、寧ろ心地良く思える静かな時間が過ぎていく
 
 昔は嫌っていた
 お互い必要な事以外は話さなかったから
 何を考えているのかわからなかったから
 僕は利用されるだけの存在     そう思っていたから
 
 でも、今は違う
 
 ひとりぼっちになった僕をあれこれと面倒見てくれた人
 NERV総司令として多忙を極める中、時間を割いてはこうして話を聞いてくれる
 絆を持つ数少ない人のひとり
 僕の父親代わり
 
 この人にとっては僕への贖罪なのかもしれない
 けれど、言葉の端々に浮かぶ優しさや暖かさが僕の心に染み込んでいるのは確かだった
 
 僕の脳裏にふと、目覚めた時の事が浮かび上がる
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 冬月さんはあの瓦礫の山へ戻ってきた、数少ない生存者だった
 その他には日向さん、青葉さん、マヤさん     そして名も知らぬ人達
 最初は何が起きたのか理解すら出来なかったけど、とにかく再会できた喜びに彼らは涙を流した
 
 しかし、彼らの戦いはまだ終わっていなかった
 戻ってきた僕らを待っていたのは、全世界からの糾弾、非難     そして断罪を望む声
 各国の首脳と呼ばれる人達が、自らの罪を隠し民衆の不平や憎悪を他に逸らすためのスケープゴートとしてNERVを利用した結果だった
 その中でも僕     情報が漏れていなかったために実名公開はされなかったけど     EVA初号機パイロットに対する弾劾の声が最も大きかった
 何しろ世界を混乱へ導き、多くの人々の命を奪ったサード・インパクトの実行犯だったのだから
 
 日々高まる非難の声に対し、彼ら     ただ、僕は『その場に居た』だけ     は反撃した
『人類補完計画』     SEELEとNERVが行った全人類への諸行の、悪行の公開という手段を以って
 SEELEが企てた計画、死海文書、EVAに、使徒に関する記録、そして戦略自衛隊による残虐の限りを尽くしている映像
 僕のパーソナル・データやEVAの根幹に関する資料など、全てを公開したわけではない
 けれど、MAGIオリジナルを介し全世界のメディアへと配信されたそれは、明らかに状況を一変させた
 各国で罷免運動が相次ぎ、暴動やクーデターにまで発展する国まで現れた
 今までNERVに向けられていた怒りの矛先が一転して自分達へと向けられた事に気付いた時、彼らは自分達が袋小路に追い詰められている事を悟った
 
 そして混乱が収束した時、NERVは、EVAパイロット達は『世界を救った英雄』と称されるようになった
 
 そんな中、僕だけは変わらなかった
 大切な人たちを失い、たったひとりだけ残ったアスカすら僕の元から去り     僕は他人を拒絶した
 辛うじて崩壊を免れたコンフォートマンションの一室で膝を抱えたまま
 ドアを叩きながら泣き叫ぶような声で呼ぶマヤさんや、説得を試みようとした青葉さん、日向さんの声を無視して
 自分の殻に篭り、食事すらせず、誰ひとりとも接触する事を拒んだ
 やがてその声すら聞こえなくなり、過ぎ去る時間の、重い手足の感覚がなくなり     僕の意識は深い闇の底へと落ちていった
 
 僕が次に目覚めたのは、一ヵ月後だった(らしい)
 何の反応もない事に不安を感じた青葉さんがドアを蹴破り、血の混じった吐瀉物の中で横たわっている僕を発見したそうだ
 極度の栄養失調、そして胃潰瘍
 あと半日でも発見が遅れていたら、間違いなく助かる見込みはなかった、と医者は診断した
 
 僕の目に映ったのは見慣れた病院の天井
 目を真っ赤に腫らして泣いているマヤさん
 不安と安堵が混じった表情の青葉さん
 天井を見上げながら涙を堪える日向さん
 
 直後
 
 病室に鳴り響く、乾いた音
 一瞬、僕は何が起きたのか理解できなかった
 次第に熱を帯びていく頬と込み上げてくる痛みが、自分がひっぱたかれた事を自覚させた
 振り抜いた腕をそのままに、肩をワナワナと震わせている冬月さんが、居た
 
 
 
『君は・・・・・・君は何をしていたのだ!?
 何の為にこの世界を望み、こうして生き長らえているのだ!?
 全ての罪過を一身に背負い、死を以って贖罪と為す為だけに戻ってきたとでも言いたいのか!?
 それは違う・・・・断じて違う!
 何も知らぬ君達を利用し、過ちだと知りながらも計画の遂行のみを推し進めてきた我々こそが咎を受けるべきなのだ!』
 
『・・・・・・・・そんな事はどうでも良いんです・・・・・・・・僕は・・・・・・・・・生きている価値がないから・・・・・・・・』
 
『・・・・・価値?』
 
『・・・・僕はダメだ・・・・ダメなんですよ・・・・・・・優しさの欠片も、人を思い遣る気持ちもない・・・・・ただ、人を傷付けるだけの存在なんですよ。
 なら、僕なんて居なくて良いんです・・・・・・何もせず、このまま・・・・・・』
 
『・・・・・本当にそう思っているのか?』
 
『・・・・・』
 
『自分には価値が無い、何も無い・・・・・・だから、死を選ぶ。
 それが君の本心なのかね?』
 
『・・・・・何がいけないんですか?
 僕に選択権はないんですか?
 今までこんなに苦しんできたのに・・・・・辛い事ばかりだったのに・・・・・・・僕はまだ、自分の事を自分で決めちゃいけないんですか!?
 何も知らない僕をあんなモノに乗せて、死にそうな目に遭わせて、勝手に責任を背負わせて・・・・・・
 人類のために死ね、って言って他のと同じじゃないか!!
 それを・・・・・・・・今度は全てが終わったからって、生きろって言うの!?
 じゃあ僕の意思はどうなるのさ!!
 僕は何も望んじゃいけないって言うの!?
 ・・・・・・・・・・もう・・・・・・・・・・・・これ以上僕を支配しようとしないでよ!自由にさせてよ!!
 せめて・・・・・・・・・・死に方くらい僕に決めさせてよっ!!』
 
『・・・・・・・・もう一度聞く。
 君は、自ら死を選ぶのだな?』
 
『・・・・・・・・・・・・・僕に遺された選択肢は、それ以外にない・・・・・・・・』
 
『・・・・・・・そうか。
 青葉君、銃を貸し給え』
 
『なっ・・・・・・・何を言っているんですか、司令!?』
 
『早く出すんだ!』
 
『・・・・・・・・・・・・・・・』
 
 
 
 その気迫の前に、青葉さんは黙って拳銃を取り出した
 冬月さんは黒光りするその銃把を僕に差出し、冷ややかな視線を向けた
 
 
 
『我々が見届けよう。
 扱い方は習った筈だ・・・・・・・・さぁ、手に取り給え』
 
 
 
 僕は力も満足に入らない手で、その銃を握った
 弾倉から銃弾を装填し、銃身をこめかみに当て、引き金を引きさえすれば     僕の望みは叶う
 ただそれだけの事なのに     僕の手は凍りついたように動かなかった
 
 何の感情も感じられない声が、僕の耳に届く
 
 
 
『・・・・・・どうした?
 偽りの「生」はいらない・・・・・・だから死を望むのではないのか?
 それとも、怖いのかね?』
 
『・・・・・・ぼく・・・・・は・・・・・・・』
 
『・・・・・・・・・』
 
 
 
 沈黙が僕を襲う
 全身に冷や汗が噴きだし、震えが止まらなくなる
 歯の根が合わず、カチカチカチカチと耳障りな音が頭に響く
 
 動けなかった
 自ら望んでいたのに
 
 フラッシュ・バックする光景
 
 階段下に蹲る僕
 カチリ、と撃鉄が起こされる
 
 
 
『・・・・・悪く思うなよ、坊主・・・・・・』
 
 
 
 駆け寄る足音
 銃声
 一瞬前までヒトだった肉塊が横たわり、床に、壁に飛び散る血漿
 
 僕は死ななかった、死ねなかった
 ミサトさんが、僕の腕を死の淵から引っ張りあげたから
 
 
 
 (アンタまだ生きてるんでしょ!?)
 
 (だったらしっかり生きて、それから死になさい!)
 
 (同情なんかしないわよ)
 
 (自分が傷つくのがイヤだったら、何もせずに死になさい)
 
 (他人だからどうだってぇのよっ!?)
 
 (アンタ、このままやめるつもり!?)
 
 (今ここで何もしなかったら、私、赦さないからね・・・・・・一生アンタを赦さないからね)
 
 (今の自分が絶対じゃないわ・・・・・後で間違いに気付き、後悔する・・・・・・私はその繰り返しだった)
 
 (ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ・・・・でも、その度に前に進めた気がする)
 
 (いい、シンジ君・・・・・もう一度EVAに乗ってケリをつけなさい・・・・・EVAに乗っていた自分に)
 
 (何の為にここに来たのか、何の為にここに居るのか、今の自分の答えを見付けなさい)
 
 (そして、ケリを付けたら・・・・・・必ず戻ってくるのよ)
 
 (・・・・・・・約束よ)
 
 
 
 
 
 (・・・・・・・・・ミサト・・・・・・さん・・・・・・・)
 
 
 
 優しい、哀しい、寂しい笑顔
 涙が溢れ出した
 
 あれだけ泣いたのに
 身体中の水分が全部抜けてしまうかのように、泣き続けたのに
 
 突然、僕の手を誰かの手が包み込んだ
 皺枯れた感触の、大きくて暖かい手
 涙で霞んだ視界に、冬月さんの顔が浮かび上がった
 
 
 
『ヒトの人生はその者の人生だ。
 当人が選んだ人生には、誰も口を挟む事は赦されぬのかもしれん・・・・・・・だがな、シンジ君。
 自ら死を選ぶような真似はヒトとして最も赦されぬ行為なのだよ。
 それは逃げでしかない・・・・・現実に、周囲に、何より己に対する・・・・・・・な。
 ヒトは愚かな生き物だ・・・・多くの時や努力を費やした割に、すぐに無に還してしまう・・・・・・
 そして脆く・・・・・あえなく・・・・・・儚い存在だ。
 だが、生きていさえすれば、何度でもやり直しが利く。
 年老いた私と違い、若い君にはまだ時間がある・・・・・絶望するにはまだ早い。
 君は自分に価値が無いと言ったが、生きる事にこそ価値があるのだよ。
 精一杯生きなさい・・・・・・・・・仮初めではない、君の人生を』
 
 
 
 僕は泣いた
 大声をあげて
 
 
『あの日』以来はじめて、『生きたい』と思った
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・・・・どうした、シンジ君?」
 
 
 
 冬月さんの問い掛けに、僕は現実へと引き戻された
 何も言わなくなった僕を、少しだけ怪訝そうな表情で見つめる冬月さん
 僕は苦笑いしながら、あの日の事を思い出していた、と告げた
 返ってきたのは「そうか」という一言だけだった
 
 暫しの沈黙の後、僕は呼び出された理由を聞いた
 
 
 
「ところで、お話とは何なのでしょうか?」
 
「・・・・ああ、そうだったな。
 君もこの6月で18歳だな・・・・・おめでとう」
 
「ありがとうございます」
 
「実は・・・・・いや、話はあの場所に行ってからにしよう。
 ・・・・・・着いて来なさい」
 
 
 
 冬月さんはやおらに立ち上がると、そのままスタスタと歩き出した
 僕は慌てて後を追う
 駐車場まで行くと、黒塗りの車が僕達を待っていた
 黙って乗り込む冬月さん、後に従う僕
 エレベータの中でも、車の中でも冬月さんはずっと無言だった
 腕を組み、目を閉じたまま
 市街地から高速、そしてまた市街地へと走る車は、やがて一軒の家の前に到着した
 
 大きな門
 高い塀が、門の脇から長々と続く
 その塀よりも高く伸びる木々
 
 車を待たせたまま冬月さんは門をくぐっていく
 木々のトンネルを十数メートルほど歩くと、突然視界が開けた
 目の前にあるのは、白い洋館
 建てられてから相当の年月を経ているようだ
 庭のほうも、どちらかといえば荒れ放題になっている
 
 僕は何故こんな場所に連れて来られたのか、疑問をそのまま口に出した
 その答えにはかなり驚いたけど
 
 
 
「・・・・・ここはかつて、君の両親が住んでいた家だ」
 
「父さんと・・・・・母さんが?」
 
「ああ・・・・・少し昔話をしようか」
 
 
 
 冬月さんはぽつり、ぽつりと話を始めた
 父さんと母さんは大学時代に知り合った事
 母さんの家は資産家だったという事
 身寄りのない父さんとの結婚に周囲は反対したが、母さんの祖父     つまり僕の曾祖父が条件付で認めたという事
 その条件が、碇の姓を名乗るのとこの家に住む、というふたつだった事
 
 
 
「誰も住んでいない割には状態は良い方だと思わんかね?」
 
「そうですね・・・・・20年近く放置されていたとは思えません」
 
「・・・・・4年前まではキチンと管理されていたのだよ。
 それを指示していたのは、碇だ・・・・・」
 
 「父さんが?」
 
「ああ
 かつて私はこの家の存在を君の母親・・・・・・ユイ君から聞いた。
 昔の事なのですっかり忘れていたのだが、碇の遺産を整理した時にこの家の権利書を偶然見つけたのだよ。
 調べたところ、奴はNERVとは全く関連の無い不動産会社にここの管理を任せていたようだ。
 尤も、、4年前の混乱でその会社自体が消滅してしまったようだがね」
 
「・・・・・・・・・・・」
 
「ここは碇にとって唯一の『帰るべき家』だったのかもしれんな・・・・・・・」
 
 
 
 冬月さんは脇に抱えていた茶封筒を僕に差し出した
 哀しい言葉と共に
 
 
 
「この中に家屋の権利書と、奴が遺した遺産の全てが入っている。
 本当ならば君が成人した時に渡そうと思っていたのだが、事情が変わってね」
 
「・・・・・事情、ですか?」
 
「・・・・・私はもう長くはない。
 残念ながら、君の成人した姿を見ることは叶わん」
 
「・・・・・・・・・・・まさか!!!」
 
「このところ調子を崩していたので、先日検査を受けたのだが・・・・・・・もって3ヶ月だそうだ」
 
「そんな・・・・・」
 
「ユイ君、そして碇と出会い、私の生き方は変わった。
 あのまま一介の教授で居たならば、また違った形ので一生を過ごしたとも思う。
 だが、少なくとも私の人生を生きてきた・・・・・数多くの過ちを犯し、また失敗もしたがね。
 馬鹿で、どうしようもなくて、みっともなくて情けない・・・・・そんな『人間らしい』人生だった。
 あの悪魔のような計画の首謀者が言う台詞ではないだろうが・・・・・・私は己の寿命を全う出来る事を嬉しく思うよ」
 
 
 
 何も言えなかった
 言いたい事、伝えたい事はたくさんあるのに
 冬月さんはとても穏やかな表情で空を見上げた
 
 
 
「シンジ君、君はもう大人の仲間入りをした。
 自分の意志で決定し、自分の足で歩まなくてはならん。
 この家は君の両親が残したものだ、だが住むも良し、売るも良し・・・・・・・この家をどうするかは君の自由だ」
 
「・・・・・・・」
 
「ゆっくりと考えれば良い、時間は十分すぎるほどにあるのだからな・・・・・・
 私は車に戻っているから、中を確かめなさい」
 
 
 
 冬月さんは踵を返すと、そのまま門の方へと歩いていった
 僕は封筒の中を見た
 
 家屋の権利書
 相続に関連する書類が数通
 実印
 遺産額が記載された通帳
 
 
 
「・・・・・なんだろ、これ?」
 
 
 
 最後に出てきたのは、何の飾りもない、古ぼけた封筒
 中には便箋が2枚
 僕は何の気もなく便箋を開いた
 
 それは、母さんが父さんへと宛てた手紙だった
 女性らしいやわらかな、丁寧な文字で書かれた手紙
 父さんと過ごした日々の思い出や、実験に関する事が記されていた
 
 そして、最後の方に
 
 
 
 
 
 
 
『私はこの実験を終えたとき、この世の者ではなくなるでしょう
 シンジはあまりにも身勝手な私の事を赦してくれないかもしれません
 
 けれど、ゲンドウさん・・・・・貴方なら解ってくれる筈です
 やりたい事をやれ、と私に教えてくださった貴方なら
 
 これからの私に出来るのは、EVAの中で貴方達を見守る事だけです
 だから貴方にお願いします
 
 シンジに、子供達に伝えてあげてください
 
 人をまっすぐに愛すること
 傷ついても自分の力で立ち上がれるよう、強い心を持つこと
 そして、自分の人生を幸福に生きること
 
 私に出来なかったすべてのことを託したいのです
 
 私は自分の身体がなくなればそれでおしまいだと思っていました
 けれど、今は違います
 例えば貴方と暮らした、シンジと暮らした日々が私の記憶の中に残っているように、きっと貴方は私の事を覚えていてくださっているでしょう
 そしてまた同じように実体がなくなった後でも、私はEVAの中に留まり、貴方達の事を見つめ続けていくのです
 
 つぐなうために
 愛するために
 育てるために
 
 私の祈りがほんの少しでも貴方達の下へ届きますように』
 
 
 
 
 
 
 
 
 涙が溢れて止まらなかった
 嬉しくて、哀しくて
 
 父さんの思い出
 母さんの思い出
 僕の知らないふたりの思い出
 それがこの家には詰まっている
 
 そう考えたら、絶対に護らなければならないと思った
 
 ここが僕たちの『家』なんだと
 
 車に戻りその事を告げると、冬月さんは満足そうに何度も肯いた
 
 
 
「・・・・・これでようやく肩の荷が下りたよ。
 碇の奴、最後の最後まで面倒を掛けおって・・・・・・」
 
 
 
 言葉とは裏腹に穏やかだった表情を、僕は一生忘れないだろう
 
 
 冬月さんが逝ったのは、それから2ヵ月後だった
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌年、高校を卒業してからこの家に移り住んだ
 屋内の掃除や庭の手入れなど、やらなければならない事は多かった
 日向さん、青葉さん、マヤさんが手伝いに来てくれたから、何とかなったけど
 
 あの家が『お化け屋敷』と呼ばれているのを知ったのは暫くしてから
 ずっと人が住んでなくて、手入れもされずに放置されていたのだから当然だと思う
 その話をしてくれた八百屋のおばさんは、僕がひとりで住んでいると聞いた途端目を丸くしていた
 父さんと母さんの話をしたら、もっと驚いていたけど
 父さんとはほとんど面識がなかったけど、母さんはお客として利用していたらしい
『確かに面影はあるわね・・・・』なんて言われたけど、母さんの顔を覚えていない僕としては嬉しさ半分、恥ずかしさ半分って感じだった
 
 おばさんから話が広まったのか、商店街の人はみんな優しくしてくれた
 買い物のときにおまけしてくれたりとか、夕飯に誘ってくれたりとか
 ほんの些細な事だけど、なんだか嬉しかった
 
 平日は大学へ、休日は家で過ごす
 そんな生活パターンが固まりつつある頃、家にお客さんが訪れるようになった
 それは近所の子供達
 たまたま庭でチェロを弾いていた時、物珍しそうな顔でこっちを見ていて
 中に招き入れてあげた時、最初はおどおどしていたけど時間が経つにつれて慣れてきたようで、帰り際には笑顔で手を振ってくれた
 それから、週末には庭で遊ぶ子供の笑い声が絶えなくなった
 
 小さな演奏会みたいなのを始めたのもその頃
 チェロに興味を持った子がいて、その子に弾き方を教えてあげたのがきっかけ
 ピアノやバイオリンを習っている子とかもいたから、リビングの窓を全開にして、ピアノを窓際へ移動して
 ずっとひとりで練習していたから、誰かに合わせて演奏する事なんてなかった
 決して上手いとは言えなかったけど、いつも楽しく弾けたと思う
 
 こんな風に他人と触れ合うようになって
 傷ついた心も、少しずつ癒されていって
 
 あっという間に3年の月日が流れた
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2023年
 僕は大学4年になっていた
 そして6月6日
 22歳の誕生日
 大学も自主休講にして、誰にも会わず、誰からの電話も取らず
 僕はひとり、庭に寝転んで一日を過ごしていた
 
 去年も、その前の年もマヤさん達がお祝いしようと言ってくれたけど、僕は丁寧に断った
 この日だけはひとりで過ごしたい、そう思ったから
 ちゃんと理由を説明したからわかってくれたのか、今年は何も言わずにいてくれた
 
 青空に浮かぶ白い雲の流れを眼で追ったり
 小鳥のさえずりや、風が吹くたびに触れ合う木の葉の音を聞いたり
 何も考えず、ただぼんやりと過ごす一日
 
 ここには僕ひとりしか居ない
 けれど、いつも傍に誰かが居るような気がする
 
 父さん
 母さん
 ミサトさん
 加持さん
 リツコさん
 冬月さん
 カヲル君
 綾波
 
 僕の傍に居た人達
 僕から離れていった人達
 
 既にこの世に居ない人達
 
 ここに居る筈もないのに、何故か傍に居るように感じる
 
 現実ではなく、夢
 この庭に居れば見れる夢
 この庭でなくては見れない夢
 
 夢の中の住人となった僕は、ただそこに居るだけ
 
 
 
 
 
 浮かんでは消えていく、顔、顔、顔
 
 そして最後に、彼女のことを思い出す
 
 いつも勝気で
 自信に溢れていて
 明るくて
 元気で
 口を開けば文句ばかり
 そのくせ、優しかったり寂しがり屋だったりして
 
 活気に溢れていて
 
 最後には壊れていった少女
 
 惣流・アスカ・ラングレー
 
 彼女の事を
 
 何一つ忘れてはいない
 オーバー・ザ・レインボウでの出会いも
 ユニゾン特訓も
 楽しく、騒がしく、ちょっとだけ辛かった同居生活も
 幾度となく生死の境を彷徨った戦闘の日々も
 
『あの日』、彼女の首に手を掛けた時の感触も
 
 嫌われ、憎悪すらされているのは解りきっている
 僕は何度も彼女を殺そうとしたのだから
 自発的じゃなかった時も、そうだった時も
 僕は彼女を見ていなかった
 考えていたのは自分の事だけ
 
 何も言わずに彼女は日本を去っていった
 何一つ連絡も、ない
 それは当然だと思う
 僕はそれだけの事を、彼女に対し行ってきたのだから
 
 もし彼女に再会できたなら、今までの非礼を謝りたい
 NERVの誰かに聞けば、居場所くらいは教えてくれるだろう
 そう考えていた時期もあった
 
 けれど、何もしなかった
 僕にそんな資格などない
 ずっと、そう思っていたから
 
 
 
「・・・・・まだ忘れてないなんて、やっぱり僕は・・・・・・・・」
 
 
 
 誰にも聞かれる事のない呟きは、風に乗ってどこかへと消えていった
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 青空が夕日の赤に染まり、やがて紫色の夜空へと変化し始めた頃、家の中からチャイムの音が聞こえた
 誰かが来た事を示す合図
 
 でも、僕は動かなかった
 今日一日は誰とも会う気は無かったから
 
 最初は静かに、やがて乱暴に、幾度も乱暴に鳴らされるチャイム
 暫し後、その音がパッタリと途絶えた
 ようやく諦めて帰ったのだろう     そう思った時
 
 砂利を踏みしめる音、芝生の擦れる音
 誰も来る筈のない庭に訪れた、突然の来訪者
 僕は寝転んだまま、足音の止まった方向へと視線を向けた
 
 
 
 そして、次の瞬間・・・・・・・僕の時間が、止まった
 
 
 
 足元に置かれた小ぶりなボストン・バッグ
 紅いハイヒール
 すらりと伸びた足
 風にたなびくレモンイエローのワンピース
 両手を腰に当て、さらに成長した胸を張って
 形の良い眉を吊り上げて、頬を膨らませ口をへの字に曲げて
 怒りのこもった視線で僕を睨み付ける顔が、そこにあった
 
 僕はといえば
 頭の後ろで手を組みながら仰向けになっていて
 顔だけを彼女の方に向けて
 ぽかん、と口を大きく開けて
 何も言わず、何も言えず
 
 彼女の口が開いたのは、暫しの沈黙の後
 
 
 
「・・・・・いつまで寝っ転がってンのよ?
 まさか、アタシのスカートが捲れあがるのを待ってるワケぇ!?」
 
「え・・・・・うわわっ!!」
 
 
 
 彼女の一言でようやく我に戻った僕は、慌てて飛び起きた
 だけど、状況が掴めていない事に変わりはない
 軽いパニック状態に陥っている僕の傍へ、彼女は歩を進めてきた
 
 
 
 パァンっ!!!
 
 
 
「・・・・痛っ!!!」
 
「・・・・・・コレで全部チャラにしてあげるわ。
 一発で済ませてあげるんだから、感謝しなさいよっ!?」
 
 
 
 ビシっ、という音が聞こえそうな勢いで僕を指差す彼女
 何がなんだかわからない僕は、ただ呆然と突っ立っているだけ
 
 
 
「はぁ・・・・・アンタ、ボケボケっとしたトコは相変わらずねぇ?
 まぁ良いわ、こんなトコに突っ立ってないでサッサと中に入れてよ。
 長旅で疲れてるんだから、キチンと持て成しなさいよね!?」
 
「え・・・・あ・・・・・・待ってよ、アスカ!」
 
 
 
 クルリと振り返り、スタスタと歩き始める彼女
 僕は慌ててその背中を追った     その場に置きっ放しになったバッグを手にするのを忘れることなく
 
 7年前に突然いなくなったアスカは、その時と同じく突然僕の目の前に現われた
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 テーブルの上に紅茶を置く
 アスカは何も言わず、カップを口にする
 彼女の正面のソファに座り、僕も同じように紅茶を飲む
 
 無言
 沈黙
 
      重い雰囲気が身体に圧し掛かってくる
 
 目を閉じ、黙ったままのアスカをまともに見ることができない
 意識が自分の中へと沈んでいく
 
 
 
 何故、突然現れたの?
      そんなのわかるわけないじゃないか
 
 どうしてこの場所が?
      マヤさんとかに聞いたんだろうな、きっと
 
 何しに来たの?
      聞かなきゃわかるわけない
 
 僕は嫌われているんじゃなかったのか?
      復讐しに来たのかもしれない
 
 僕は何をしているんだ?
      何もせずに座っているだけだろ
 
 僕はどうすれば良い?
                知らないよ、そんなこと
 
 
 
「・・・・・ぇってば、ねぇ!」
 
「え?」
 
 
 
 僕を呼ぶ声に顔を上げると、すぐ目の前にアスカの顔があった
 テーブルに両手をついて、身を乗り出して
 鼻と鼻が触れ合いそうなほど、近くに
 
 慌てた僕は、ソファの背へと思いっきり身体を引いた
 いつもの場所とは違い、背もたれの向こう側に壁はない
 勢いに負けたソファの足が宙に浮き、何もない空間へとゆっくり倒れかけていった
 
 
 
「う・・・・うわわわっ!?」
 
「シンジっ!?」
 
 
 
 少しでも重心を前に向けようと伸ばした僕の腕をアスカが掴んだ
 だけど、勢いと重力には勝てなくて     
 
 
 
「キャアァァァァァァァっ!!」
 
「・・・・・・・・っっ!」
 
 
 
 後頭部に響く鈍い音、そして柔らかな圧迫感
 僕の意識は、そこで途絶えた
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
「クッククククク・・・・・・・」
 
「もう・・・・・・いい加減笑うの、やめてよ・・・・・・」
 
 
 
 ぷっくりと膨らんだ後頭部に保冷剤入りのタオルを当て、横目でアスカを見る僕
 アスカは目尻に涙を溜めながら、さも可笑しそうにクスクスと笑っていた
 
 ソファとアスカごと倒れた僕は、フローリングの床にしこたま頭を打ち付け、そのまま失神してしまった
 彼女はちょうど僕の真上に落下したらしく、怪我ひとつない
 その時はかなり焦っていたらしいけど、それでも僕のために保冷剤を用意して頭を冷やしてくれた
 僕の意識が戻り、見事なタンコブが出来上がっているのを見てから現在へと至るわけで
 
 僕は新しく煎れ直した紅茶を一口啜った
 
 
 
「だってさぁ、あの時のアンタの間抜け顔っていったら・・・・・・クックックックッ・・・・・・・」
 
「はぁ・・・・・・・」
 
 
 
 目尻の涙を拭いながらも笑う事を止めないアスカ
 こうなったら、彼女が落ち着くまではどうしようもない
 僕は思いっきり溜息を吐きながら、ガックリと頭を垂れた
 
 さっきまでの重苦しい雰囲気はどこかに行ってしまったから、それはそれで良いかなんて思いつつ
 
 
 
「でもアンタ、全然変わってないのねぇ・・・・・・ドジなトコなんか、まるっきり♪」
 
「な・・・・あれはアスカが悪いんだろ?
 誰だって驚くさ、いきなり・・・・・・・・キスしようと思えばできるくらいの距離に顔があったら・・・・・・・・」
 
「バ・・・・・バカ言ってンじゃないわよっ!
 ヒトがせっかく呼んでやってるっていうのに、ボケボケ〜〜〜〜っとして返事しなかったのはアンタでしょーがっ!?」
 
「仕方ないだろ?考え事してたんだから・・・・・」
 
「何考えてたのよ?」
 
「良いじゃないか、何考えてたって」
 
「・・・・・・ふーん、ヒトに言えないコト考えてたんだ・・・・・・・もしかして、えっちなコトかなぁ?」
 
「はぁ?」
 
「ま、アタシみたいな絶世の美女を目の前にしたら当然でしょうけど♪
 アンタもムッツリスケベに磨きがかかったわねぇ」
 
「なんだよ、それ・・・・・」
 
「言ったまんまの意味よ。
 アンタ、昔はアタシのコトオカズにしてあ〜んなコトやこ〜〜〜んなコトしてたじゃない?」
 
「・・・・・・・・・・もう、してないよ」
 
「もう?
 ってコトは前にヤってたってコトでしょぉ!?」
 
「・・・・・否定は出来ないよ」
 
「フン!どーせオトコなんてみんな同じじゃない。
 オンナと見たらケダモノになるだけよ・・・・・・」
 
「・・・・・・・・」
 
「外見ばっか気にしちゃってさ、中身を見ようともしやしない。
 オンナをアクセサリーのひとつだとでも思ってンのかしらね?
 ココロを求めるフリをして、実際はカラダだけが目的・・・・・あーあ、オトコなんていなけりゃいいのにっ!」
 
「・・・・・何が言いたいのさ?
 アスカ、誰かに振られたの?」
 
「そんなコトあるわけないでしょ?
 言い寄ってくるオトコはゴマンといるのよ、アタシが振ってやってンの!」
 
「あ、そう・・・・・」
 
 
 
 憮然とした表情で紅茶のカップを口にするアスカ
 相変わらずだ、と僕は思った
 同居していた一年間
 その間に、何度こんな彼女の姿を見てきたことか
 あまり変わっていない彼女
 その事が、なんとなく嬉しく感じた
 
 
 
 
 
 
 でも
 それは上辺だけの会話でしかなかった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 取り留めのない会話の中、アスカはふと思い出したように切り出してきた
 
 
 
「・・・・・・・ところでさ、今日ってアンタの誕生日だったんじゃないの?」
 
「覚えてくれてたんだ?」
 
「べ、別に覚えてたわけじゃないわよ!
 たまたまよ、そう・・・・・たまたま思い出してやっただけよ!」
 
「はいはい」
 
「なんかカンに触るわねぇ、その返事・・・・・・ま、いいわ。
 ンで、寂しがり屋のシンちゃんが記念日にひとりぼっちってのはどういうわけ?」
 
「もう誕生日を祝うような歳じゃないよ」
 
「あ〜ら、『ひとりじゃ寂しい』『ボクに構ってよ〜〜〜』なぁんて泣いてたシンちゃんにしては随分オトナになったじゃない?
 ひとりでも寂しくない、なんてカッコつけてるだけなんじゃないのぉ?」
 
「・・・・・誰だってひとりでゆっくり考えたい、って思う時くらいあるだろ?」
 
「へぇ・・・・・・さすがは『無敵のシンジ様』よねぇ・・・・・
 いつもは周りにヒトがたぁ〜〜〜っくさんいるから、今日くらいはひとりで浸りたい、なんて考えてるんだ」
 
「そんなんじゃないよ」
 
「でもさ、この大きな屋敷にひとりで住んでるんでしょ?
 あ、まさか・・・・・誰か同居人がいるとか?」
 
「居ないよ、誰も
 ・・・・・なんかさ、今日のアスカって質問ばかりだね」
 
「悪い?」
 
「いや、そういうわけじゃないけど・・・・・」
 
「・・・・・・なぁんか歯切れが悪いわね。
 疚しいことでもあるってぇの?」
 
「・・・・・・ないよ、そんなの」
 
「フン、どーだか・・・・・」
 
 
 
 なんとなくだけど、刺があるような気がした
 アスカの態度に、言葉に
 少しずつ、雰囲気が険悪になっていく
 
 
 
「アンタさ、ホント変わってないわね・・・・・そうやって表面だけ取り繕うトコなんて、まさにそのまんま」
 
「どういう意味さ?」
 
「今言った通りよ。
 アタシのコトが鬱陶しいとか思ってるんでしょ?
 平然と対応してるように見せかけといて、腹の中では何考えてるんだか・・・・」
 
「何も考えてないさ・・・・・嫌なら嫌だってハッキリ言うよ」
 
「あ〜ら、アンタが他人に自分の意思をハッキリと伝えるコトなんてできるのぉ?
 いつも他人の顔色ばっか窺ってて、他人に合わせて流されるだけのアンタが?」
 
「・・・・・僕だってこの7年で少しは成長したと思ってる
 アスカが知らない事だってあるよ」
 
「へぇ・・・・・・じゃぁさ、7年前にアタシにしたコトについて、どう思ってるの?」
 
「・・・・・・悪かったと思ってる
 いくら謝罪の言葉を並べたって、それだけじゃ済まないとも」
 
「その割には、謝罪のひとつも寄越さなかったんじゃない?
 マヤあたりにでも聞けば、アタシの居場所くらい簡単にわかるはずよ。
 なのに、アンタは何もしなかった・・・・・・・・連絡ひとつ取らずにね。
 アタシがこうしてアンタの前に現れなかったら、そのままうやむやにしようと思ってたんじゃないの?」
 
「違うよ!」
 
「違わないじゃない!
 じゃぁ何で何もしなかったのよ!?」
 
「・・・・・・・それは・・・・・・・・」
 
「言ってごらんなさいよ!その理由ってヤツを!
 言えるわけないわよねぇ?
 毎日毎日のほほ〜〜〜んとして、何も考えずに平和な振りして暮らしてたに決まってるんだからっ!」
 
「・・・・・・・・・・・」
 
「覚えてる?アンタがアタシにしたコトを?
 アタシの心を汚して。
 アタシの身体を汚して。
 アタシを見殺しにして・・・・・・・・・
 ホントはアタシじゃなくったって、誰でも・・・・・ファーストだって、ミサトだって構わなかったのよ。
 ふたりが怖かったから、アタシが居たから、一緒に住んでたからってアタシに逃げてきたんじゃない。
 自分が好かれたいから、誰かに見てもらいたいからってアタシに縋ってきただけ。
 アタシをわかったつもりでいて、護ってやろうなんて傲慢な考えをもってただけ。
 それでいて、利用価値がなくなったらハイ、サヨナラ・・・・・お払い箱には興味も持たない、ってね。
 で、今は誰?
 マヤ?それともホントのアンタを知らない誰か?
 フン・・・・都合が悪くなったらすぐ黙る。
 何が『成長した』よ?
 全然変わってないじゃない!
 アンタの頭の中ってさ、自分に都合の良いコトしか入ってないんじゃないの?
 ホント、最低・・・・・・・・」
 
 
 
 アスカは僕を汚い物でも見るかのような目つきで見下していた
 何を言われても仕方がない
 確かに、僕が悪いのだから
 彼女にそれだけの事をしたのは僕なのだから
 
 でも
 突然現われて、言いたい放題言われて黙っているほど大人じゃなかった
 僕は相当怒っていたんだと思う
 僕が顔を上げた途端、アスカの表情が強張ったから
 
 
 
「確かにそうさ・・・・・僕は最低だよ。
 全てがひとつになった世界を嫌い、元に戻したのも僕だよ!
 何もかも僕が悪い・・・・・それくらい自分でもわかってるさ!
 自分勝手で、自己満足でしかない自分だけの世界を作って!
 アスカが言う通り、昔から何も変わってないんだよ、きっと!!」
 
「ちょ・・・・・何よ、いきなり?」
 
「じゃあアスカはどうなんだよ?
 自分は変わったって言えるのかよ!?
 自分勝手なところとか、何も変わってないじゃないか!」
 
 
 
 僕は思わず立ち上がっていた
 拳を握り締め、肩を震わせて
 
 
 
「僕はアスカに謝りたかった。
 絶対に赦されないのはわかってる、それでも謝りたかったんだ。
 ・・・・・・・なのにアスカは居なくなった。
 僕にチャンスすら与えず、僕を捨てていったんだ。
 当然だよね、僕はアスカに嫌われ、憎まれているんだから・・・・・・・・・」
 
「・・・・・ちが・・・・・・あたしは・・・・」
 
「何度もアスカの居場所を聞こうかと思ったよ。
 もしアスカに殺されたとしても、それはそれで仕方ないと思ってた。
 でも・・・・・・アスカには新しい生活がある、僕が目の前に現れたら嫌なことを思い出させてしまう・・・・・そう考えたら、何もできなかった!
 偽善かもしれない、独り善がりかもしれない・・・・・でも、僕はアスカの事を考えていたんだ!
 なのに・・・・・・・なのに、なのに!!
 何も言わずに消えたと思ったら、また突然現れて!
 人の気も知らないで言いたい放題言って!!
 その割には肝心な事は何も言わないで!」
 
「し、シンジ・・・・・」
 
「もうわかんないよ!
 僕にどうしろって言うのさ?
 僕はどうすれば良いのさ!?」
 
 
 
 止まらない、止められない
 爆発した感情が溢れ出し、僕自身にはどうしようもなくなっていた
 自制心の欠片も見失った僕は、護身用として預けられていた拳銃を戸棚から取り出し、アスカの目の前に突き出す
 僕の突発的な行動を見て、アスカも大声を上げながら勢い良く立ち上がった
 
 
 
「何でそんなモン取り出してンの!?
 バカな真似は止めなさいよっ!」
 
「そんなに憎いんだったら殺せば良いだろ!?
 ここで何が起きたとしても、NERVが上手く処理してくれるさ!」
 
「とにかく落ち着きなさい!
 誰がアンタを殺したいなんて言ったの!?」
 
「違うのかよ!?
 それとも、自分の手を汚したくないって言うのか?
 だったら自分で死んでやるよ!」
 
 
 
 僕は拳銃の初弾を装填すると、自分のこめかみに当てて引金に指を掛けた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 乾いた音、そして硝煙の匂い
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 顔にかかる金色の髪、身体全体に感じる重さ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 僕が引金を引くのと、アスカがテーブルを足場に飛び掛かって来たのはほぼ同時だった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 僕の上に馬乗りになったアスカは
 僕の右腕を掴んだ
 強張っている指を拳銃から引き剥がし
 部屋の隅へと滑らせる
 
 そして
 
 
 
 
 冷たい手が僕の首に添えられ
 細い指に力が込められ
 頚動脈を
 気道を
 押し潰すかのように重心を移動させた
 
 まるであの日の僕のように
 
 
 
 
 頭の芯がボーっとなり
 視界が歪んでいく
 
 苦しい
 苦しい
 クルシイ
 
 これで死ぬんだ
 僕は死ぬんだ
 
 
 
 
 死を目前にしているにも拘らず
 昂ぶりもしない
 恐怖もない
 
 あるのは開放感だけ
 全ての柵から逃れられる喜びだけ
 
 
 
 
 あの時
 僕がアスカの首を締めた時
 彼女もこんなに落ち着いていたのだろうか
 
 僕はどんな顔をしていたのだろうか
 
 アスカは何を想うのだろうか
 
 ただそれだけが知りたくて
 視界を塞ぐ金色のカーテンを
 力の入らぬ右手でそっと開いた
 
 
 
 
 指先が
 微かに
 アスカの頬に触れた
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・・・・・ごほっ!ごほごほごほごほっ!!!」
 
 
 
 締められていた首が開放され、新鮮な空気が肺の中に飛び込む
 僕は思いっきり咳き込んでしまった
 
 胸の上で、アスカは泣いていた
 嗚咽を噛締めるように
 肩を小刻みに震わせて
 力なく、両手を胸に打ちつけながら
 
 息がまともにできるようになり、次第に落ち着きを取り戻していく僕
 まだ力の入らない腕を、そっと彼女の背中に回した
 なんとなく、そうしなければならないと思って
 
 とくん、とくん、とくん
 心臓の鼓動が重なる
 体温が重なる
 
 どれくらいそのままでいたのだろうか
 いつしかアスカは泣き止んでいた
 頬を胸に埋めたまま
 
 沈黙を破ったのは、アスカの方だった
 
 
 
「・・・・・・バカ・・・・」
 
「・・・・・・・・」
 
「・・・・・・・救いようのないバカよ、アンタ・・・・・・・・」
 
「・・・・・・・ゴメン」
 
「ホント、変わってない・・・・・内罰的で、自虐的で、自分勝手で、他人のコトを・・・アタシのコトを何も考えないで・・・・・・
 アンタなんか・・・・・・・ダイッキライ・・・・・・・・・」
 
「・・・・・・・そうだね、僕はバカだから・・・・・嫌われたって仕方ない・・・・・・」
 
 
 
 アスカは小さく首を横に振った
 何度も、何度も
 
 
 
「違う・・・・・違うの・・・・・・
 アタシが言いたいのはそんなコトじゃない・・・・・
 アタシは・・・・・・・・自分自身が・・・・・思ったことを伝えられない、素直じゃない自分が・・・・・一番キライ・・・・・・・」
 
「アスカ・・・・?」
 
「・・・・・ホントはあんなコト言うつもりなんてなかった。
 シンジを哀しませるつもりなんてなかった。
 怒らせるつもりなんてなかった。
 ただ・・・・・シンジに会いたくって・・・・・・それだけだったのに・・・・・・」
 
「・・・・・・・・」
 
「『アンタは変わってない』なんて偉そうなコト言ったけど・・・・でも、変わってないのはアタシなの。
 昔から・・・・・そして今も・・・・・・
 あの時、アンタよりも先に目覚めたアタシは、一度だけアンタの病室に行ったわ。
 アンタが憎かったから・・・・・殺したいほど。
 まだ混乱の最中だからアタシ達の監視の目も緩いはずって・・・・・予想通りだったわ。
 病室を抜け出しても、アンタの病室に入っても誰も来なかった。
 たぶんアタシ・・・狂ってたんだと思う。
 これでアンタを消すことができる、全ての元凶であるアンタを・・・・・・そう考えたら背筋が粟立ったもの・・・・・快感で。
 ・・・・・でもね、何も出来なかった。
 ベッドに寝ているシンジの枕元に立った時、アンタの顔を見た途端・・・・・身体が金縛りにあったように動かなくなったのよ。
 アンタの寝顔、苦しそうに歪んでた。
 寝汗をかいて、両手でシーツをぎゅっと握り締めて・・・・・
 アタシ、今でも覚えてるわ・・・・・シンジがうわ言のように呟いていたの。
『アスカ・・・・・ゴメン・・・・・』って。
 その寝言を聞いた瞬間、アタシ駆け出してた。
 自分の病室に駆け戻って、シーツを頭まですっぽりと被って・・・・・身体の芯から寒気がしたわ。
 ココロから憎かった・・・・・・けど・・・・・・シンジを拠り所にしてたのよ、アタシ。
 アンタを消せば楽になれる、だけどアンタが消えたら、アタシ自身がどうなるのか・・・・わからなくなった。
 そう・・・・・怖かったのよ、シンジがいなくなることが。
 間もなくしてドイツから帰還命令が出て・・・・・アタシ、一も二もなくその話に乗ったわ。
 シンジのそばにいたら、アタシはシンジを傷つけようとする。
 そして、ソレは確実に自分へと返ってくる・・・・・それに気づいたから。
 ・・・・・シンジが言った通りよ、アタシはアンタから逃げたの。
 自分のコトしか考えず、他のコトは全て意識の外へと追いやって・・・・・」
 
「・・・・・自分を責めないで、アスカ。
 さっきも言ったけど、補完計画を発動させたのも・・・・・それを途中で中止したのも僕なんだ。
 それだけじゃない、僕はアスカを求めながらも殺そうとしたんだ。
 アスカは悪くない、悪くないんだよ・・・・・全て僕のせいなんだ」
 
「そんなコトない!
 シンジも、アタシも犠牲者だったんだよ・・・・・補完計画の。
 ・・・・・アタシね・・・・一部分だけかもしれないけど、マヤから彼女の知っているコト全部聞いたの」
 
「マヤさん・・・・・から?」
 
「・・・・ドイツに帰ってからも、不安が払拭されるコトはなかった。
 NERVでもやるコトはなかったし、時間は思い切り余ってた。
 勉強なんてやる気は起こらなかったわ。
 アタシね、ずっと遊び呆けてた・・・・・街に出ればいくらでも言い寄ってくるオトコはいたから、相手に不自由はしなかったし。
 ディスコで朝まで狂ったように踊ったり、バーやクラブで浴びるほどにアルコールを口にして。
 セックスとドラッグ以外は何でもやったわね、きっと。
 寝れなかったのよ・・・・ひとりになるのが怖かったの。
 毎晩のように悪夢に魘されて、満足に寝るコトすらできなかった。
 だからアタシ、日本での生活、EVAのコト・・・・・シンジのコト忘れようとしたの。
 セラピーにも通って、悪夢を見ないようにするにはどうすれば良いかって相談したわ。
 でも、根本的な改善をしない限り治癒の見込みはない、って言われて・・・・・だから、マヤに聞いたのよ。
 彼女、すぐに飛んできてくれたわ・・・・・・そして、部外秘の資料を見せてくれた。
 副司令がね、許可を下さったの。
 ミサトが書いた観察日誌とか、誰も閲覧してはならない資料とか、全部。
 アタシが壊れた後、ずっと寝ている間になにが起きたのか。
 包み隠すコトなく、全てを。
 ・・・・・・・・正直、ショックだった。
 アタシだったら耐え切れなかったと思う。
 それだけのコトがシンジに降りかかっていたなんて・・・・・思いもよらなかったの。
 シンジ、辛かったんだよね・・・・・苦しんでたんだよね・・・・・・・でも、アタシは・・・・・・」
 
 
 
 アスカは僕のシャツをぎゅっと握り締めた。
 言葉の端々からくぐもった嗚咽が漏れてくる。
 僕は背中に回した腕の力を強くした。
 
 
 
「・・・・・マヤに頼んで、シンジがどんな生活をしているのかも聞いたわ。
 一度自殺しかけたけど、何とか立ち直ったコトも。
 副司令が親代わりになって、一人暮らしを始めたコトも。
 ココに移り住んだコトも、全部聞いたの。
 シンジは頑張ってるのに、アタシは何をしているんだろう?って思ったわ。
 バカシンジなんかに負けるわけにはいかない、そう考えたらやる気が出てきたのよ・・・・可笑しい話ね。
 アンタのコト嫌ってるはずなのに、いつのまにか同列、ううン、それ以上に意識してたのよ。
 勉強だけじゃなくって料理とか家事とか・・・・・シンジがやっていたコト全てを凌駕すべく、アタシは頑張っていこうって決心したの。
 いざ始めるとかなりの重労働だったってコト、思い知らされたわ。
 シンジはいつも嫌な顔ひとつ見せるコトなく、こんなに大変なコトしてたんだって。
 日に日に、シンジの存在がアタシの中で大きくなっていった・・・・・違う、とっくに大きくなっていたコトに気付いたのよ。
 忘れようとしても、忘れるコトのできないくらい大きく・・・・・」
 
「・・・・・・・・・・」
 
「アタシ、シンジに会いたくてしょうがなかった。
 ただそれだけしか頭の中になかった。
 ずっとガマンしてた・・・・・まだ、逢う資格がないって。
 自分のコトすら満足に出来ないのに、自分自身の足で立つコトも出来ないのに、逢えるワケがないって。
 だから、必死になったわ。
 でもね、ある程度形になって、自信がついたとき・・・・・今度は怖くなったの。
 だって、アタシ・・・・・シンジに何もして上げられなかったもの。
 いつも我侭ばかり言って、困らせて、罵ったり貶したり・・・・・絶対に嫌われてると思ってた。
 バカな話よね、自分で拒絶しておいて拒絶されるのが怖いなんて・・・・・」
 
「・・・・・・でも、アスカは逢いに来てくれた・・・・・・」
 
「・・・・・・・ウン。
 怖かったけど、スッキリさせたかったから。
 シンジに逢いたい、って気持ちが勝ったのね、きっと」
 
「やっぱりアスカは強いや・・・・・・僕は何も出来なかったもの。
 ウジウジ考えているばかりで、何もしようとしなかった。
 結局、何も変わってなかったんだ、僕は」
 
「いいの・・・・・いいのよシンジ。
 今はアタシの話を聞いて」
 
「・・・・・・・・うん」
 
「あのね、さっきシンジの顔を見た時、アタシすっごくドキドキしてたの。
 もう心臓が壊れそうなくらい高鳴ってた。
 この7年の間にシンジはどんなに変わったんだろう、アタシはシンジの目にどう映っているんだろうって考えてた。
 でも、シンジは・・・・・アタシを見てくれなかった。
 ずっと視線を逸らしてた。
 昔と変わりなくシンジは優しかった、でも・・・・・アタシを見ようとしてくれなかった。
 やっぱり嫌われてるんだ、アタシはココにいちゃいけないんだって思ったら・・・・・哀しくて、悔しくて・・・・・」
 
「・・・・・・ゴメン」
 
「そしたらね、口が勝手に開いてたの。
 アタシ、ワザとシンジが傷つくことばかり言ってたよね。
 どうせ嫌われてるんだったら、もう2度と逢いたくないくらいに嫌われればいいや、って自棄になってたんだ、きっと。
 ・・・・・でも、やっぱりアタシ・・・・・・自分のコトしか考えてなかったんだよ。
 シンジが拳銃を取り出した時・・・・・後悔したもの。
 シンジを怒らせるように仕向けたのはアタシなのに、触れてはいけない傷を抉ってしまったって・・・・・
 あの時のシンジの目、ものすごく哀しそうだった。
 そんな目で見て欲しくなんてなかった、けど・・・・・そうしたのはアタシなのよ。
 シンジがそこまで苦しんでいるなんて、思いもよらなかったの」
 
「・・・・・・・・・・」
 
「アタシ、夢中で飛びついたわ。
 気が付いた時には、シンジの上に乗ってた。
 もうダメだって、シンジを苦しめちゃいけないって思った。
 だから・・・・・・アタシ、首を締めたの。
 シンジを楽にしてあげて、アタシも後を追おうと思ってた。
『あの日』、シンジがアタシの首を締めた時も同じコトを考えていたのかなぁ、って。
 それしか考えられなくて、ただひたすらに・・・・・・でもね、シンジの指が頬に触れた時、正気に戻ったのよ。
 気付いてなかっただろうけど・・・・・・笑ってたんだよ、シンジは?
 真っ青な顔して、殺されかけてるっていうのに・・・・・
 ねぇ、どうして?
 どうしてシンジは笑ってたの?
 どうしてアタシを抱きしめたの?
 どうしてアタシを突き放さずに、アタシを受け容れてくれたの?」
 
 
 
 アスカが僕を見つめていた
 少しだけ腫れた瞼の下から覗く蒼眼
 
 嫌悪も
 狂気も
 恐怖も
 哀願も
 何の色もない
 純粋な、瞳
 
 だからだろうか
 僕は何の気負いもなく
 素直に自分の思いを伝えることが出来たのは
 
 
 
「・・・・これで開放されるんだ、って思ってた。
 僕は色んなモノを背負い込んでいて、悩んでいて・・・・・その苦しみから開放される、って喜びがあった。
 アスカの手にかかって死ぬのなら、それでも良いかな、って・・・・ただ・・・・・」
 
「・・・・・ただ?」
 
「さっきアスカも言ったよね、『アタシの首を締めた時も同じコトを考えていたのかなぁ』って。
 僕もそれを考えてたんだ。
 あの時、僕は自分の我侭でこの世界を・・・・・アスカのそばに居られる世界を作り出した。
 紅い海の辺で目覚めた時、現実なのか夢なのかわからなかったけど、僕が作った世界だって事だけはわかったような気がした。
 隣にアスカが寝ているのに気付いた時、嬉しくもあり・・・・・・哀しくもあったんだ。
 だって、アスカは何も見ていなかった、何も感じていなかったから。
 ただ、そこに居るだけ。
 生きていながら死んでいるような、そんな感じで。
 世界中の生命体が溶け合いひとつになった瞬間、僕と綾波・・・・・そしてアスカだけが固体として、ヒトとして残っていたんだ。
 それを思い出した時、僕は絶望したんだと思う。
 アスカは僕を拒絶したから、生きる望みを失っていたから心の壁を崩すことはなかったって。
 こんな世界に残ることを望んでいない、全ては僕の自己満足なんだって、それに気付いたから・・・・・」
 
「・・・・・・・・・」
 
「自分勝手だよね。
 アスカの気持ちなんて何も考えず、この世に引き留めておきながら壊そうとするなんて・・・・・最低だ、僕は。
 でも、あの時の僕はアスカを楽にしてあげようって思ってた。
 そして、自分も後を追って自殺しようって・・・・・・だから、アスカの首に手をかけた・・・・・・・けど、出来なかったんだ。
 今のアスカと同じさ、アスカの手が僕の頬に触れて、ぬくもりを感じて・・・・・それで正気に戻ったんだ。
 それからの事は良く覚えていないんだ。
 僕はもうグシャグシャに泣いていたし、何も考えられなかったから」
 
「・・・・・・・そっか」
 
 
 
 アスカは視線を逸らすことなく、僕をじっと見つめていた
 心なしか表情がやわらかくなったような気がする
 
 さっきまでの緊張感も、切迫した空気もどこかへ消えてしまった
 ふたりの間には静かな時間が流れていくだけ
 
 アスカはゆっくりと身体を起こした
 僕は名残惜しさを感じながらも、背中に回していた手を解き放す
 表情に出ていたのだろうか、アスカはクスっと微笑むと、僕の手に指を絡めた
 
 
 
「・・・・・ねぇシンジ?
 アタシ達ってさ、ホント・・・・・似てたんだね」
 
「・・・・・そう、かもしれない」
 
「アタシはさ、自分の弱さを隠そうとしてずっと強がってた。
 シンジは自分の感情を殺すことで周囲に合わせようとしていた。
 全然正反対に見えるふたりだけど、根本は同じだった・・・・・淋しくて、ひとりになるのが嫌で、いつも誰かを求めていて。
 いつもそばにいたのに、互いを求めようとはしなかった・・・・・ううン、ソレを表に出さなかっただけ。
 ・・・・・フフッ、バカだよね、アタシ達・・・・・・」
 
「・・・・・・そうだね。
 僕は自分が男だからって余計な意地を張ってた。
 自分を表に出さなかったし、思っていた事も口に出さずに。
 アスカが眩しかったよ、いつも活発で、思った通りに行動できて。
 それを羨ましく感じ、妬ましいとも思っていたかもしれない」
 
「それはアタシだって同じよ。
 アタシもシンジのコト、妬ましく思ってた部分があるもの。
 いつもはナヨナヨしてて弱々しいトコばかり目に付くクセして、肝心なトコはしっかり締めて。
 芯の強さっていうのかな?
 ホントは気付いてたのに、それを認めたらダメだって思い込んで。
 シンジの良い所をもっと素直に認めるコトさえ出来たら、もう少しマシな関係を作れたのかもしれない・・・・・」
 
「素直に、かぁ・・・・・」
 
「・・・・・・もう、ダメなのかな?」
 
「え?」
 
 
 
 その一言と共に、アスカの手に力が込められた
 僕はアスカを見た
 俯き加減の彼女の表情は、長い髪に遮られて窺い知ることが出来なかった
 だから、僕は問い掛ける
 
 
 
「ダメって・・・・・?」
 
「・・・・・アタシ達、さっきから過去形でしか話してないの、気付いた?」
 
「・・・・・いや、気付いてなかった」
 
「つまりソレは、アタシ達の関係が既に終わった、ってコトなのかな?」
 
「・・・・・わからないよ」
 
「・・・・・アタシね、今自分でも信じられないほどに素直に言えると思うの。
 だから・・・・・聞いてくれる?」
 
「・・・・・うん」
 
「あのね・・・・・アタシ、やり直したいの。
 もしあの時の関係が終わっていたとするのなら、また新しく作りたいの。
 アタシはシンジの良い所も、悪い所も知ってる。
 シンジだってそう、アタシのコトを一番理解してくれてると思う。
 でも、お互い100パーセントじゃない、まだ知らない部分だってたくさんあるはず。
 それを知りたい・・・・・わかり合いたいのよ。
 だから、その・・・・・また一緒に・・・・・・ダメ、かな?」
 
「え・・・・・」
 
「・・・・・ダメ?」
 
 
 
 アスカが上目遣いで僕を見つめていた
 正直、僕の頭はパニック状態
 だから、こんな一言しか言えなかった
 
 
 
「・・・・・どうして?」
 
「どうしてって・・・・・・それは・・・・・・」
 
「だって、アスカは僕の事憎いんじゃないの?
 嫌ってたんじゃないの?
 どうして・・・・・何で僕なのさ?」
 
「・・・・・・・鈍感・・・・・・」
 
「何?聞こえないよ、アスカ」
 
「何でもないわよ!
 で、どうなの?シンジはアタシをココに置いてくれるの、くれないの?」
 
「そ、そりゃ・・・・・居てくれると嬉しい、けど・・・・・」
 
「なら、決まりね♪」
 
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 
「ナニよぉ?」
 
「だ、だってさ、あの頃とは違うんだよ?
 ミサトさんだって居ないんだし、僕とアスカ、ふたりっきりなんて・・・・・マズいよ、絶対・・・・・」
 
変なコト言わないでよ、意識しちゃうじゃない・・・・・」
 
ゴメン・・・・・」
 
 
 
 アスカは真っ赤な顔をしていた
 僕も負けないくらいに顔が熱かったけど
 
 それでも結局押し切られて
 僕も嫌じゃなかったから
 
 突然、僕は同居人を迎える事になった
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 それから
 僕の生活が華やかになったのは言うまでもない
 
 アスカとの同居を伝えた時
 日向さんは笑顔で喜んでくれた
 青葉さんはニヤニヤ笑いながら、とんでもない事を耳元で囁いた
 マヤさんは青葉さんの耳を捻り上げながら、それでもしっかりと釘を刺した
 
 アスカは周囲の人達とすぐに打ち解けるようになった
 人を引き付ける笑顔
 角が取れ、穏やかになった性格
 子供は苦手、なんて言いながらちゃんと相手もして
 小学生の男の子にラブレターをもらった、なんて目を丸くしてたっけ
 
 いつもふたりで一緒に過ごした
 そして様々な事を話した
 
 幼い頃の事
 離れていた間の事
 日々の暮らしの事
 
 時には喧嘩もした
 何日か口すら利かない時もあった
 
 それでも、楽しかった
 
 買い物へ行ったり
 旅行に出掛けたり
 リビングで雨音を聞いたり
 深酒をして二日酔いになったり
 庭でぼんやりと時を過ごしたり
 
 
 
 
 いつしか自然に『好き』と言えるようになって
 いつしか自然に肌を重ねるようになって
 
 
 
 
 とある日曜日
 
 僕はいつものように庭で寝転がっていた
 
 
 
 
 
「ねぇシンジ、ニュースがあるの」
 
「ニュース?」
 
「うん・・・・あのね、アタシ・・・・・今日病院へ行ってきたんだ」
 
「病院?アスカ、どこか悪いの?」
 
「ううン、悪くなんかないわ。
 とってもいいコトなの。
 あのね・・・・・・3ヶ月だって。
 アナタとアタシの子供よ、シンジ」
 
「・・・・・・本当に?」
 
「ええ、ウソなんて吐いても仕方ないでしょ?
 言っとくけど、反対したってムダだからね。
 アタシ産むわ、そしてここで育てていくの」
 
「僕達の、子供・・・・・」
 
「・・・・・・イヤ?」
 
「そんなわけないじゃないか。
 名前を考えなくっちゃね・・・・・・それより先に結婚式かな?」
 
「・・・・・ホント?ホントに良いの?」
 
「・・・・・当たり前だろ?
 順番が逆になっちゃったけど、アスカ・・・・・その・・・・・大切に、するよ・・・・・」
 
「シンジ・・・・・ありがとう・・・・・」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この庭に大勢の人が集まって
 笑顔に包まれて
 祝福に包まれて
 
 
 
 
 惣流・アスカ・ラングレーは
 
 
 
 
 碇アスカになった
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 今となっては
 
 あの短いようで長かったあの1年が
 
 夢か幻のように思える
 
 
 
 けれど
 
 この庭に立つと
 
 それは現実なのだと
 
 夢ではないのだと
 
 気付かされる
 
 
 
 様々な枝が作る微妙な陰影の中に
 
 もういないヒトの姿を思い出して
 
 僕はそっと心の中で話し掛ける
 
 
 
      父さん
 
 アナタは無事に母さんの元に辿り着けたの?
 
 そこで母さんはアナタの為に優しく微笑んでくれた?
 
 
 
      母さん
 
 まだ僕を、僕の家族達を見守っていてくれてる?
 
 父さんとは仲良くやっているのかな?
 
 
 
      ミサトさん
 
      リツコさん
 
 辛い事や
 
 悲しい事
 
 過去のいざこざや
 
 怒りも忘れて
 
 アナタはそこで幸せになれたの?
 
 
 
      加持さん
 
 アナタの求めた真実は見つかりましたか?
 
 アナタを想い
 
 嘆き
 
 涙を流したヒトと再び出逢えたのですか?
 
 
 
      冬月さん
 
 僕は生きています
 
 愛する家族と共に
 
 支え合いながら
 
 これで     良いんですよね?
 
 
 
      綾波
 
 僕はキミと逢いたいと思った
 
 分かり合いたいと思った
 
 なのにキミは戻ってこなかった
 
 自分自身をイメージしなかった
 
 未来を想像しなかった
 
 どうして?
 
 どうしてこの世界に生きることを望まなかったの?
 
 
 
      ねぇ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「パパぁ〜〜、どこぉ?」
 
 
 
 僕を呼ぶ小さな声
 
 カサカサと草を分け、近づいてくる足音
 
 
 
 意識が現実へと引き戻される
 
 
 
 2028年、夏
 
 現在へと
 
 
 
「パパぁ!」
 
 
 
 声のする方向へと振り向く
 
 僕の目に飛び込んできたのは
 
 向日葵のような笑顔で駆け寄る愛娘
 
 そして、足元に絡みつくように戯れながら走る子犬
 
 
 
 腰を折り、胸元に飛び込んできた娘を抱き上げる僕
 
 
 
「・・・・・ハルカ、どうしたの?」
 
「ママが呼んでるよ?もうゴハンだって!」
 
「そっか・・・・・・じゃ、早く戻らなきゃね?」
 
「うん!」
 
 
 
 僕は一度だけ空を見上げると
 
 娘を抱いたまま、その場所を離れた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 平凡で穏やかな家庭
 
 
 
 かつて僕が手に入れられなかったモノ
 
 
 
 結婚して
 
 子供を育て
 
 平凡だけど
 
 幸せな家庭を作る
 
 
 
 ささやかな夢
 
 
 
 父さんにも
 
 母さんにも
 
 出来なかった夢
 
 
 
 それを叶える事は
 
 きっとふたりの供養になるだろう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 答えのない問いを繰り返し
 
 叶わぬ願いや
 
 果たされなかった望みを
 
 ひとつひとつ織り上げるように
 
 僕は生きていく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 これからもずっと
 
 この庭では
 
 様々な花が咲き誇るだろう
 
 
 誘うように
 
 責めるように
 
 見守るように
 
 
 僕はもう一生この庭から離れられない
 
 そしていつか年老いて死んだ後も
 
 この庭の一部となり
 
 養分となって
 
 花を咲かせ続けていく
 
 
 
 
 
 
 
 それが僕の夢だ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この庭で
 
 
 この世のものとは思えない楽園で
 
 
 僕は生き続ける
 
 
 
 
 かけがえのない人達と共に
 
 
 
 
 いつまでも

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

To be continued

 


 大作です。
 テキストベースで約60K、HTML化すると70K近く。
 しかも、一度事故でファイルを消してしまってからの復活です。
 僕も一度消してしまったことがあるのですが ―― それもたった5Kのやつ。
 そんな短いのでも書き直すのは大変だったのに……
 
 庭。
 それは彼の父と母が最後まで得られることがなかった『平凡で穏やかな家庭』を象徴していることは想像に難くありません。
 シンジの終着点。
 そして、――「ハルカ」の出発点。
 
 最後の『to bo continued』
 素直に取れば、続編があるということ。
 もう一つの意味は、「ここから始まる」
 シンジとアスカの娘「ハルカ」の物語はまだ始まったばかり――。
 
 『Luna Blu』10万ヒット記念作品。
 map_sさん、本当にありがとうございました。


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