「シンジくん・・・ごめんなさい・・・」
 
「もう・・・ダメなの? 」
 
「ええ・・・皮膚が、劣化してきたから・・・」
 
「・・・そう。」
 
 その日の朝。
 ・・・きっと綾波の、最後の朝。
 パジャマ越しの彼女の暖もりが消えてしまう、そんな一日の始まり・・・
 
「じゃ、さ? 今日は学校を休んで、何処か遊びに行こうよ。」
 
 僕は、僕に出来る限りの優しさを込めて、彼女に微笑んだ。
 この日が来ることは、あの日からずっと判っていたんだ。
 綾波と再び会えたあの日。
 世界から取り残された僕たちの時間が、再び動き始めたあの日。
 あの日から、僕は。 
 綾波とは何度でもサヨナラを繰り返すって、知っていたんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ま た ね。

 

喰う寝る36

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 結局、僕たちはいつも通りに登校した。
 遊園地だって、海だって山だって。
 今日までに充分楽しんできたから、最後はあたりまえな幸せを過ごしたい・・・そう彼女が望んだから。
 
 学校で、綾波はいろんな人に話しかけた。
 トウジ、ケンスケ、洞木さん、そしてアスカ。
 綾波が自分で作った友達とも、いつも通りの笑顔でおしゃべりしていた。
 みんなも綾波の事は知っているから、さよならは穏やかに済ませたみたいだ。
 
 アスカだけは、今度こそ奪ってみせる、なんて言ってたけど・・・何のコトだろう?
 
 ともあれ、給水塔の影で涼しい風に吹かれながら、みんなでお弁当を食べるいつもの時間。
 綾波は、柔らかい笑みを絶やすことなく過ごしていた。
 
「・・・!? 」
 
 ・・・崩壊が始まるその瞬間まで。
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・シンジくん、来て・・・」
 
 すっ・・・と立ち上がった彼女が、僕の手を取って囁く。
 手のひらから伝わる感触に、僕は時が来たと悟った。
 力を込めればペキッと音を立てて割れてしまいそうな、薄いプラスチックの手応え。
 
「・・・もう、時間が無いの。」
 
 だから、彼女の言葉に無言で頷く。
 
「シンジ、さよなら・・・か? 」
 
 トウジがしんみりと呟いた。
 輪を描いて座っていたみんなも、箸を休めて僕たちを見ている。
 
「ごめんなさい、ごはんの途中で・・・」
 
 応えたのは綾波。
 幸せな時間の中で逝ける喜びも、別れの寂しさには敵わないのだろう。
 今日の彼女は、いつもより少し饒舌だった。
 
「でも、次のわたしが、いつかきっと続きを食べるから。」
 
「・・・みんながきっと、わたしに食べさせてくれるから。」
 
「記憶は、身体が持って逝くけど・・・」
 
「わたしは、ずっと此処にいるもの。」
 
「だから・・・また、ね。」
 
 あまり長い話じゃ無かったけど、砂時計の砂は、殆ど使い切ってしまったようだった。
 彼女の身体を、キラキラと輝く結晶が覆い始める。
 
「ごめん、みんな。時間が無いからもう行くよ。」
 
 もはや歩くこともおぼつかない綾波を支えながら、給水塔の反対側・・・明るい日差しの下へと回り込んだ。
 コンクリートの壁にもたれるように座り込み、続いて僕の足の間に腰を降ろした彼女を、背後から抱きしめる。
 
「・・・シンジくん、空が青い・・・」
 
 遠くから届くような彼女の声。
 僕はその声に促され、首を反らせた。
 
 空には、雲一つ無かった。
 
「シンジくん・・・やっぱり、記憶も寂しいって思うの?」
 
 答えを胸に秘めたまま、僕は無言で空を見上げ続ける。
 
「・・・これは・・・記憶が滴下しているの?」
 
 彼女のお腹の前で組んだ指先に、暖かい物が一粒だけ落ちてきたから・・・
 
「駄目だよ、ちゃんと空を見上げなくっちゃ・・・」
 
 僕はかすれた声で、それだけを絞り出す。
 
「記憶・・・わたしの・・幸せの・・・」
 
 綾波の声が途切れた。
 砂のこぼれるような音が、微かに僕の鼓膜を震わせる。
 何かが弾けるような一瞬の圧迫感。
 
 ・・・彼女の重みが消えてゆく。
 
「駄目だよ、記憶を持っていっちゃ・・・」
 
 腕の中に唯一残った、合成繊維の軽い感触。
 
「綾波の記憶は・・・全部僕が、抱きしめてあげるんだから。」
 
 僕は、空を見つめ続けた。
 泉を溢れさせない術なんて、それ以外に思いつかなかったんだ・・・ 
 
 
 
 
 
 
 
 その日、僕は早退した。
 いつも綾波の手を握りしめていた左手には、彼女の制服が入った彼女の鞄。
 アスカが一緒に帰ろうかって言ってくれたけど、僕は丁寧に断った。
 これは、僕がやらなくちゃいけない事だから。
 
 マンションに帰り着いた時には、既にミサトさんが待っていた。
 無言で差し出された手に、僕は自分の鞄を手渡す。
 
「制服。・・・きれいに洗っておいてあげたいんです。」
 
「・・・そうね。順調にいったとしても、魂の定着作業は始まったばかりだしね。」
 
「・・・はい。」
 
 それに、僕たちの部屋も。
 綾波の心が安定するまでは、僕たち二人の写真は見せるわけにはいかないから。
 
 洗濯機の中で、綾波の匂いが消えてゆく。
 ダンボール箱の中に、紅い瞳が消えてゆく。
 
『また・・・ね。』
 
 彼女との約束。
 判ってる・・・判ってるんだ。
 ・・・でも。
 
 作業の合間、僕は何度も天井を見上げなければならなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
「ええ・・・ええ、判った。今から彼を連れていくわ・・・ええ、じゃあね。」
 
 フスマの向こうから、電話越しに会話するミサトさんの声が聞こえてきた。
 何よりも大切な、何人もの綾波たちに小さく謝って。
 最後のアルバムを箱に納め、ガムテープで封印を施す。
 
 ミサトさんが呼ぶのを待たずに、僕は洗面所に向かった。
 顔を洗ってサッパリしよう。
 鏡を覗いて髪型もチェックしよう。
 ひょっとしたら、歯も磨いた方が良いのかもしれない。
 
 だって。
 
 ・・・だって、これから綾波を迎えに行くのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 数十分後。
 僕は地上に新設された、ネルフの本部にいた。
 
「判っているとは思うけど、今のレイの身体は粗悪なコピーに過ぎないの。記憶だって、二人目までの物を断片的に持っているにすぎないわ。」
 
 リツコさんの声も、僕の耳には届かない。
 
「・・・ふふ、そうね。」
 
 高まる心を沈めようと瞑目する僕を見て、リツコさんは小さく笑った。
 
「たった一年の寿命しか持たない今のレイを、あなたは何人も幸せにしてきたものね・・・」
 
 《 Rei Ayanami : 07 》
 
 ・・・七人目の綾波。
 
 天井まで届く巨大なシリンダーの中、LCLに漂う綾波。
 
 きっと彼女は、僕を『碇くん』って呼ぶんだ。
 
 サードインパクトは既に訪れたのに、それでも命を与えられた事に戸惑うんだ。
 
 四人目みたいに、自殺を謀るかも知れない。
 
 五人目みたいに、僕を世界の全てにしてしまうかも知れない。
 
 六人目みたいに、限られた時間をカウントダウンしながら生きるのかも知れない。
 
 でも、彼女は。
 
 ううん、彼女の魂は。
 
 新しく産まれ落ちるたびに、僕に微笑んでくれるから。
 
 
 
 
「また会えたね、綾波。」
 
 
 
 
 何度でも、何度でも。
 
 
 
 僕たちは、新しい恋を始める。
 
 
 
 
 
 refrain.
 
 
 

 

 
  

 

 

 

 

 

 

管理人のコメント
 
 無限に繰り返すスパイラル。
 この先に光明はあるのでしょうか?
 シンジはレイを信じ、幾度となく生まれ変わる彼女を愛します。
 二人目の記憶しかもたないレイは、絶望と救いをシンジの中に見出します。
 悲しくも、美しいシンジとレイの物語。
 最後の『refrain.』がこの物語の全てを表しているような気がします。
 
 そういえばこのお話の中で、6人目のレイがシンジのことを呼んだ時。
 『シンジくん……』と言ったのがとても印象に残りました
 
 このお話には、MIDI の投稿も頂いております。
 あわせてお楽しみください。
 
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