喰う寝る36さんの
KISSの温度「T」Edition

 高校に入ってすぐ、ワシとケンスケはバイクの免許を取った。
 センセも一緒にどや?・・・って誘ぉたけど、惣流に無理や言われて、シンジは一緒にゃ取れんかったな。
 
 ・・・ワシ、なしてこんなン思い出しとるんやろ?
 ああ、そういや、あんときゃ此処で飯喰うたんやったな・・・
 
 
 トウジは、第三東京を眼下に見おろす展望台の上で、煙草に火を灯した。
 緩やかに流れる煙を目で追った先には、薄手のキャミソールで胸元を強調した女が夜風に吹かれている。
 飲み屋で知り合って、一目で心を奪われて、必死に口説いた女。
 彼女の耳を飾る大粒の真珠は、彼が二ヶ月分の給料と引き替えたものだ。
 
 
 ・・・いや、ほんま。イインチョが単車を転がして来たときゃ驚いたで。ワシが免許取るぅ言うた時には、あんだけ反対しとったクセにのぅ。ケンスケに聞いた言うて、いきなり峠に現れおって。
 ・・・へへ、えらいへっぴり腰やったっけか。
 
 
「ねぇ、トウジぃ、こんなトコつまんないよぉ。寒いだけじゃん?」
「なんや、カズミ。夜景が見たいテ言いだしたンは自分やないか。」
「関係ないでしょ?つまんないモノはつまんないわよ。」
 
 ・・・なんや、ワガママなオナゴやなぁ。
 イインチョは、オモロイ言うてほいほい来よったけどな?
 
 
 トウジの胸に、懐かしい思い出が甦る。
 
 アルコール電池で駆動する緑のバイクと、リアシートに括りつけられた不似合いなバスケット。
 それを見て散々笑ったトウジは、バスケットの中から出てきた豪華なお弁当を前に、へこへこ頭を下げる事になった。
 
 いや、あンときゃマズったで。あないなモン入っとるテ知っとったら、ハナっから『イインチョらしくてエエで』って正直に言うたんやけどな。
 そうそう、確かにココで飯ィ喰いよったわ。んで、途中で雨が降って来おったんや・・・
 
 
 
「きゃっ?いっけない、早く片付けなくちゃ!」
 
 敏感な山の大気は、その気まぐれで若い二人を翻弄する。
 和やかな昼食を突然降り出した雨に中断され、ヒカリは残念そうに・・・でも手際よく弁当を片づけ始めた。
 
「なんや、イインチョ。そない慌てんでもエエて。これくらいの雨やったら長くは降らんやろ。」
「なに言ってるの!?お布団干してるのよ、すぐ帰って取り込まなきゃ!!」
「なんや、イインチョらし・・・」
 
 絶句するトウジ。いきいきとしたヒカリの頬に、濡れた髪が貼りつく。
 睫毛からの滴りが、彼女の黒瞳を潤い豊かに彩る。
 雫のせいか、或いは弁当の唐揚げのせいか?
 桜花の花びらを思わせる小振りな唇が濡れた艶を放つ様は、普段の彼女の印象に隠された少女の色香を、存分に晒け出していた。
 
「・・・? どうしたの、鈴原?」
 
 騒々しさでは右に出る者無しの少年の突然の沈黙に、訝しげに振り向く少女。
 自分を見つめる少年の熱のこもった眼差しに頬を染めながら、恥ずかしげに俯く・・・と。
 ブルゾンを脱ぎ、白のポロシャツ一枚となった彼女の双丘を、雨に纏わりついた布地がくっきりと暴き出す。
 
「鈴原っ! フケツよっ!!」
 
 羞恥に浮かぶ涙は、裏切られた悲しみの色。
 
 ・・・鈴原が、鈴原があんな目で私を見るなんて!?
 
 少年の瞳が描いた物が欲情ではなく憧憬であったと気付くには、彼女はあまりに若すぎた。
 手にしていたバスケットを放りだし、ヘルメットも被らずバイクに跨るヒカリ。
 雨の降り始めの時期が、最も路面が滑りやすい危険な状態である事を、まだ彼女は知らない。
 しばし呆然としていたトウジも、まともな状態とは思えないヒカリが走り出した路面の危なさに気付き、慌てて後を追った。
 
 ・・・ヒカリは、最初のコーナーに横たわっていた。
 ガードレールと縁石の間に挟まれたバイクが、空しくタイヤを空転させている。
 燃料電池のアルコール臭が鼻につく中、ヒカリに駆け寄るトウジ。
 
「こないでよっ!」
 
 路面に顔を埋めたまま、涙声で叫ぶ少女。
 状況を理解出来ない少年はいったん足を止めたものの、少女の身を案ずる気持ちが先に立つ。
 
「どないした、怪我ないか?」
 
 ヒカリの肩に手をやり、ゆっくりと起こすトウジ。
 が、少女はその手を払いのけ、身を守るかのように自身を抱きしめた。
 
「いやっ!嫌らしい目で見ないで!!」
「な、なんや、なんのハナシやねん?」
 
 要領のつかめないトウジ。
 
「さっき見てたじゃない、嫌らしい目で私を見てたじゃない!!」
「ちゃう、あれは・・・」
 
 ・・・言わなくてはいけない。さもなくば、この少女を自分は傷付けてしまう。
 しかし、言うわけにはいかない。少年の稚拙なプライドが、素直になることを許さない。
 
 おまえに、見とれてたんや・・・
 
 少女を救う一言を、少年は口に出来ずにいた。
 
「信じてたのに! 鈴原は違うって信じてたのにっ!!」
 
 幼い潔癖さが吐いたそれは、あまりに独善的ではあった。
 が、その痛々しい幼さゆえに、少年は自らの『男』に目覚める。
 
 守ってやりたい・・・
 
 少女は震えていた。
 裏切られたという悲しみ。路面に叩きつけられた恐怖。身体をむしばむ苦痛。
 そして・・・雨の冷たさ。
 
 暖めてやりたい・・・
 
 沸き上がる保護欲に駆られて、少年は少女を抱きしめる。
 
 すまんかった・・・すまんかった・・・すまんかった・・・
 
 冷え切った少女の身体に罪悪感を募らせる少年。
 ただのクラスメートに過ぎなかった少女に、愛しさを覚えた瞬間である。
 
 だが、しかし。
 
「イィヤァァァァァァァァァァッ!!!!」
 
 怯えた少女の口をついて出た物は。
 
 恐怖に歪んだ拒絶の絶叫だった・・・
 
 
 
 ま、あれからもイインチョは友達やったけどな・・・
 
 思い出に浸りながら、峠を下るトウジ。
 助手席の女は、コンパクトを覗きながら化粧をなおしている。
 
「トウジぃ、このまま踊りに行こうよ。」
 
 その後、芽生えた恋心を隠し通したまま高校を卒業し、トウジは設計屋で下積みに入った。
 通信制の大学で構造理論を学びながら、実習の単位は実務で所得するという制度のおかげで、生活苦に喘ぐこともなく建築士の資格を得られるのだ。
 短大に進んだヒカリとは、その後連絡は取っていない。
 卒業式の後、アスカから伝えられたヒカリの呼び出しに、トウジは応えることなく帰ってしまった。
 
「すまん、今日はそんな気分やないわ。」
 
 カズミというきらびやかな女に入れあげたのは、胸にぽっかり空いた空虚さを埋めたかったからかも知れない。
 彼女から教わった様々な遊びは、その新鮮さでトウジの心を満たした。
 しかし何事も鮮度という物があり、それが失われた現在となっては、全て退屈なだけだった。
 
「ふぅん・・・いいわ、一人で行くから店の前で降ろしてよ。」
「ほか、すまんな。」
 
 おざなりに謝って、歓楽街へとハンドルをきる。
 女も言葉を返すことなく、鏡に映る自分を飾り立てる事に集中していた。
 
「・・・着いたで。」
 
 ボンネットからのネオンの照り返しに、その顔を極彩色に染める女。
 
「アリガト。・・・ンッ・・・じゃ、またね。」
 
 助手席から身を乗り出すと、トウジの唇に紅を移して去っていった。
 
「おう、またな。」
 
 平然と返し、手首で唇を拭うトウジ。赤く汚れた手首を、無表情に眺める。
 オナゴの唇に、ホンマはこんなンいらんのじゃ・・・
 脳裏に甦るのは、桜の色。
 
「カズミィ!!」
 
 何かに急かされるように車を降りて、彼は叫ぶ。
 
「すまん、『またね』は無しじゃ!!」
 
 そして車に飛び乗ると、呆然とたたずむ女を残して学生街へと走り去った。
 
 
「・・・うん・・・うん、ごめんね・・・ううん、私が悪かったのよ・・・」
 
 とある学生寮の一室。あどけなさを残した若い女性が、両手で包み込むように受話器を握りしめている。
 一度は短く切り詰められた彼女の髪も、今では腰の辺りで柔らかな波を描き。
 
「・・・えっ・・・ううん、いいわ・・・ばか、昔のハナシじゃない・・・」
 
 前髪に隠れた瞳は、微かに潤いをたたえる。
 
「・・・それで、いまどこなの?・・・えっ、寮の前!?」
 
 自室のカーテンを開いて見おろした先に、逞しくなった男の姿を認めて。
 
「待ってて、すぐ行くから!!」
 
 桜花の唇が、美しく咲いた。
 
 
 
 
 ソバカスのバーテンが店を開く、五年前の話である。
 
 
 

kuneru36@olive.freemail.ne.jp

なおのコメント(^ー^)/

 うっうっうっ。え〜話やなぁ。
 まるで、ドラマみたいや。
 このトウジって、わいと一緒の名前やな。
 ん、ヒカリって……こ、こりゃ、ワイの奥さんの名前やんか!
 
 ……最近コメント不調(ーー;


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