喰う寝る36さんの
KISSの温度「S」Edition 4th


『それ』の口から、ダラリと舌が垂れ下がった。
 荒い吐息を漏らしながら圧倒的な存在感をまき散らすその生き物に、シンジはベッドの下で震えることしか出来ない。
 
 チャ〜チャラ〜、チャチャチャ・・・
 
 リビングのテレビが、軽薄な音楽を喚き散らす。
 いつもシンジが楽しみにしている番組だが、ブラウン管の中に映っているだろう幻影も、今のシンジの慰めとはなり得なかった。
 
 ミシ・・・ミシ・・・
 
 廊下が軋む。
 何かを確かめるように、ゆっくりと、ゆっくりと。
 キッチンの方から近付いてきた音は、シンジの部屋を覗き込み、やがて玄関の方へと消えてゆく。
 
 堪えていた息を深く吐き出し、シンジは恐る恐るベッドの下から這い出る。
 注意深く耳を澄ますが、『あの』生き物の気配は感じない。
 二、三度右手を握りしめ、唇をきつく引き絞って、リビングへの移動を開始するシンジ。
 
 部屋の扉から恐る恐る顔を覗かせ、左右を不安げに見渡して。
 危険が無いことを確かめ、ようやく廊下へと一歩踏み出した。
 
 キシッ・・・
 
 自らの足元から響いた異音に、シンジの心臓は早鐘を打つ。
 張り裂けそうな胸を必死に押さえ、周囲を警戒する。
 仮に足首まで埋まる絨毯が敷かれ、全ての足音が消されたとしても、この鼓動は遙か彼方の敵をおびき寄せるに違いないだろう。
『やつ』を倒す術が無い以上、今は一刻も早く、安全な処へ逃げなければならない。
 
 シャァァァァ・・・
 
 押し殺したような吐息が聞こえた。
 
 シンジの心臓が、一瞬だが確実に止まった。
 血が凍る。
 背筋を流れる冷たい汗に、身体が小刻みに震える。
 恐怖に収縮した瞳孔に、世界が暗く映る。
 
 ミシ、ミシ、ミシ・・・
 
 獲物の気配を鋭敏に感じ取った『それ』の足音が、はっきりと近付いてきて・・・
 
「・・・ひっ!?」
 
 シンジの前に姿を現した。
 
 キシャアアァァァァァッ!!
 
 両手を胸のまえに力無くぶらつかせた『それ』は、大きく左右に重心を移動させながら、見上げるような巨体を運んでくる。
 
 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ
 
 背中を湾曲させ、のしかかるように前傾し、次第に速度を増す『それ』。
 シンジは必死にリビングへと走る。
 
 ガチャッ・・・ガチャガチャッ・・・
 
 焦りが手元を狂わせる。
 ドアノブを捻り、手前に引く・・・
 ただそれだけの動作が、果てしない試練となってシンジの前に立ち塞がる。
 
 ・・・ドッ・・・フシュゥゥゥ・・・
 
 足音が止まった。
 追いつめた獲物を吟味する冷たい視線が、背中を突き刺す。
 
「ひぃ?・・・開いてっ、開いてよぉっ!」
 
 もはや、涙に歪んで周囲もよく判らない。
 
 フハァァァァ・・・
 
 首筋に、生ぬるい吐息が纏わりつく。
 
 グルルルル・・・ 
 
 ぬらつく光沢にまみれた『それ』の舌が、シンジの襟元を這おうとした刹那。
 
 ・・・チャッ
 
 ようやく開いた扉に、身を滑り込ませるシンジ。
 大きめの窓から差し込む日差しが、彼の視界を白く埋める。
 騒がしいテレビの音が、人の世たる安心感をもたらす。
 
 次なる逃げ場を求めて、シンジはキッチンへと歩を進めるが・・・
 
 キィィィィ・・・
 
 まだ手も触れぬキッチンの扉が、シンジの目の前で重々しく開き・・・
 
「あうっ!?」
 
 まるで体重など無いかのように、シンジの身体が宙に浮いた。
 
「・・・ギャアアァァァッ!!」
 
 リビングを、悲痛な悲鳴が満たす。
 
 ドンッ・・・グチャッ・・・
 
 鈍い打撲音の、湿った響き。
 
 フゴオオオォォォッ!!
 
 荒々しい咆吼・・・
 
 
 
「・・・あなた、またシンジを苛めてましたね?」
 
 幼いシンジを抱き上げて、リビングと廊下の境目に所在なく立つゲンドウを睨みつけるユイ。
 
「うっうっ、おかあしゃん、おかあしゃあんっ!」
 
 ユイの胸に顔を埋め、泣きじゃくるシンジ。
 
「いや、あの、これは親子のコミュニケーションでだな、つまり・・・その・・・」
 
 ひたすら狼狽えるゲンドウ。
 
 日曜の朝日が照らし出す、三者三様の表情。
 ・・・碇家の力関係が知れようという物である。
 
「もうっ、言い訳は結構ですっ!・・・怖かったでしゅね〜、よちよち。」
 
 シンジをあやしながら、ユイはテレビのスイッチに手を伸ばし・・・
 
『そこまでだ、ドラコ獣! 我々ナオレンジャーが相手になってや・・・』
 
 ぷちっ
 
 お子さまに人気の戦隊ものを、電波の彼方へ消し去った。
 
「ああっ、ユイ・・・それは私が楽しみにしていた・・・」
 
「お黙りなさいっ! こんなモノを見てリアルな怪獣ごっこを研究する暇があったら、トイレのお掃除でもして下さいっ!!」
 
「ふっ・・・ふぇぇぇ・・・」
 
 ユイの剣幕に驚いて再び泣き出すシンジを、ユイは優しく抱きなおして。
 
「あらら、怖くないのよぉ〜、泣かないでね・・・ちゅっ♪」
 
 きゃっきゃと笑う我が子への視線とは対照的に、夫を見る眼差しは冷たい。
 
「ユイ〜〜〜ッ、私にはしてくれないのか〜〜〜?」
 
 崩れ落ちるゲンドウを丁寧に無視しながら。
 
「さぁ〜、ホットケーキでも焼きましょうね〜♪」 
 
 彼女はシンジを連れて、キッチンへと戻っていった。
 
 
 
 以上、シンジの人格形成における一コマ。 
 
 
 

kuneru36@olive.freemail.ne.jp

なおのコメント(^ー^)/

 喰う寝る36さんから八萬記念に頂いてしまいました。
 新作の準備で忙しい中ありがとうございます。<プレッシャー(笑)
 何故かゲンドウがラブリー。(^-^)/
 前半は恐怖映画を見ているみたいで手に汗握りました。(笑)


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