時計の針は七時三十二分。
目覚まし時計の奏でる調子外れの朝のメロディが、華奢な指先によって沈黙する。
ショートカットの女性が落とす視線は、青年が浮かべる安らかな寝顔の上に命中した。
願わくば、このまま眠らせていてあげたい。
だが、大学の助手という青年の職業は、安い給料と厳しい上司で彼を縛り付けるのだ。
起こさなくてはならない・・・んだけど。
「・・・」
彼女の目元に表情は乏しいが、頬にさす淡い紅が彼女の心を物語る。
「・・・」
青年の寝顔を見つめる、温かい彫像。
「・・・」
見つめ続ける。
「・・・」
・・・まだ見ている。
ちっ・・・ちっ・・・ちっ・・・ピピピッピピピッピピ・・・
目覚まし時計に装備された二度寝防止機能が、彼女の意識を現世に戻した。
「・・・」
無言で時計を止めた彼女、その頬の色は更に深みを増している。
レースのカーテン越しに差し込む朝日を受け止めるその横顔に、今は恥ずかしそうな表情が微かに浮かんでいた。
頬に手を添え、熱を吸わせる。
表情が緩やかに凍ってゆく・・・
ふわん
うっかり舞い戻ってしまった微笑みを打ち消すかのように、慌てて頭を振り・・・
・・・きりっ
「・・・」
引き締まった表情で十数秒。
『わたし、怒ってるの』という顔が定着した事を確かめた彼女。
右手に提げたステンレスのトレイを、やおら青年の頭上に掲げる。
生かさず殺さずの絶妙な高度を、慎重に計って。
ボワワ〜ン・・・
青年の額と銀色の円盤が演じる素敵な出会いは、静謐な朝の空気を情けなく震わせた。
「・・・酷いよ、レイ。」
「でも、合理的だわ。あなた、揺すっても叩いても起きないもの。」
どんよりとした重さを纏った青年は、TVから流れる必要以上に明るいリポーターの声に、眉をしかめながら食卓についていた。
「う〜ん、最近は実験で忙しいからね・・・。」
「・・・その分は、講義中の居眠りで挽回している筈。・・・はい。」
マーガリンを塗ったトーストを手渡しながら、レイが冷たく言い放つ。
「伊吹先生が怒ってたわよ。学生の前で、あんな寝言はやめて欲しいって。」
「マヤさんが? どんな寝言だろ・・・」
レイの顔が真紅に染まる。
鋼の意志で無表情を貫いてはいるが、コーヒーに砂糖を入れる指先は、彼女の動揺を雄弁に物語っていた。
「・・・レイ? いつもは一つじゃなかったっけ? 」
「え・・・あぅ。いい、ちゃんと飲めるもの。」
シュガーポットの中身をまるごと放り込んだかの様なコーヒーを、レイは一口、ずずっと啜った。
「・・・。」
泣き出しそうな顔で、手の中のカップを見つめる。
ずずっ
もう一口。
「・・・ぷっ。もうっ、意地っ張りなんだから。」
自分のマグカップを差し出すシンジに、レイは首を横に振った。
「だめ、それはあなたの分。」
いいんだ、そろそろ出なきゃ・・・そう言いながら、ブラックのコーヒーをレイの好みに合わせる為に、シンジはシュガーポットに手を伸ばす。
「・・・で、僕の寝言って? 」
いよいよ朱を深めるレイの顔を面白そうに見つめながら、砂糖を掬うシンジ。
「・・・『レイ、愛してる』って。」
・・・。
・・・。
・・・。
「あなた? わたし、お砂糖は一杯でいい。」
真っ赤に頬を染めるシンジの手元に、空になったシュガーポットが残されていた。
・・・。
・・・。
・・・。
「・・・いいんだ、僕が飲むから。」
その日。
『行ってきます』のキスの甘さに、苦笑いを浮かべる若夫婦がいたという。