心地よい木陰から見上げる公園の空を、平和を告げる鳥達が渡ってゆく。
わたしの髪と同じ色彩が、天球を眩く包む。
遠くに浮かぶ白い雲に、ちっぽけな自分を改めて感じる。
世界って、とても綺麗・・・
風にあおられた前髪が、悪戯っぽくおでこをくすぐった。
その感触が、なんだかとても嬉しくて・・・
「ふふっ・・・」
きっとわたしは、キレイに笑えたと思う・・・
「ちょ〜っと、レイ!? 現実逃避してケラケラ笑ってるんじゃないわよ!!」
ぺたんと座り込んだわたしの目の前に、一台の自転車がブレーキを鳴らしながら急停車した。
ドロップハンドルの真っ赤なロードサイクル・・・アスカだ。
「ちょっと転んだだけでナニよ。
自転車に乗りたいって言いだしたのはアンタでしょ!?」
左手は腰、右手でわたしを指さして、背中に背負うは『ビシィッ!!』という擬音。
あ・・・伸ばした指先の反りが、15%増量中(当社比)・・・精進したわね?アスカ・・・
「だめ、アスカ。ちょっとひと休み・・・」
「なあに甘えてんのっ! アタシのように風を切って走りたくないのっ!!」
アスカの厳しい叱咤に、わたしは口を尖らせてみた。
でも、彼女は侮れないわ。
わたしを追い込む術を心得ているもの。
「ほら、シンジだって待ってるでしょっ!?」
右手をまっすぐ伸ばしたまま、ブンッと勢いよく振り返るアスカ。
50m程離れた所で、不安げにこちらを見守る碇くんがいる。
「・・・わかったわ・・・」
のろのろと立ち上がり、シンジから借りた青い自転車を起こすと、フェンダーの傷が目に付いた。
「碇くん・・・また傷付けてしまったの・・・」
愛する人の宝物を傷付けた事が悲しくてグシュッと涙ぐんでしまったけど、そんなわたしを励ますように、彼の言葉が脳裏に甦る。
『傷なんていいんだよ、綾波さえ怪我しなければね?それより、頑張って一緒にサイクリングに行こうね!』
「・・・碇くん、わたし・・・がんばる。」
ふるふると頭を振って涙の雫を振り払い、自転車に跨る。
碇くんとのサイクリング・・・これもきっと、絆になるわ。
わたしの幸せな夢想の一時は、アスカの声に邪魔された。
「レイ、シンジのトコまで競争しましょ?」
競争なんて無駄だわ。
碇くんの腕の中は、わたしだけの聖域。
あなたが先にゴールするなんてあり得ない・・・と思うけど・・・
「アスカ、ずるい・・・」
碇くんから借りた自転車は、前後にサスペンションを装備したダウンヒル向けのMTB。極太のタイヤは路面抵抗が大きくて、スピードを出しにくい。
対してアスカのロードサイクルは、細身のカーボンフレームを採用した超軽量モデル。速さのみを追求したスペシャルと言ってもいいわ。
「し、仕方無いでしょう?これはアタシのなんだから・・・」
「・・・それ、とって。」
「だ、駄目よ。・・・ハンデあげるから、ね?ねっ?」
大粒の汗を流し始めるアスカ。
・・・少し、楽しい。
「だめ。それ、とるの。」
「ひぇ〜ん、それだけは許してぇ〜!」
アスカはついに泣きを入れた。
わたしが指さす先にあるモノは、アスカの自転車からにょっきり伸びた頑丈そうな補助輪。
・・・実は彼女、わたし以上に自転車が苦手だったりするんだけど。
でも、彼女がときおり垣間見せる底力は不気味だわ。
勝利は確実に掴むもの、不安要素は根こそぎ殲滅なの。
とりあえず、口撃ね?
「アスカ、格好悪い・・・ブザマだわ。」
「いいのよっ!天災美少女アスカ様を支えるには、タイヤ二本じゃ不足なのっ!!」
成果は期待しなかったけど・・・それにしても、とても論理的な意見とは思えないわ。
・・・ところであなた、妙な自覚はあるのね?
「うううっ・・・さすがのアタシでも、これじゃハンデつけすぎよね・・・」
遙か前方に位置するレイの背中を睨みながら、アスカは少しだけ後悔していた。
ゴールまでレイは10m、アスカは50m。
言葉少ないレイではあるが、あれでなかなか口がたつ。
巨大なハンデと、賭け金として今夜のデザートを用いるコトの双方を、補助輪使用の代償として認めさせられたのだ。
アスカの心に浮かぶもの・・・
マンションを出る前にこっそり覗いた冷蔵庫、鎮座致しますはシンジ謹製のチーズケーキ。
「きっと今夜のデザートはアレよね・・・アタシ一人だけ、シンジのケーキが食べられないなんて・・・」
暗い表情のアスカ。瞳の輝きが徐々に薄れていく。
「アタシひとりだけ・・・ひとりはいや・・・ひとりはいや・・・」
一方レイ。スタート地点に到着したものの、アスカは遙か後方である。
「・・・スタートの合図・・・どうするの?」
もっともな疑問を浮かべ、可愛らしく頚を傾けたりなんかして。
「ひとりはいや・・・ひとりはいや・・・ひとりはいや・・・」
極めて個性的な方法で集中力を高め続けるアスカに、やがて臨界が訪れ・・・
「こんっちくっしょおおおおおおおっ!!!!」
野獣の目をして吠えるアスカ。
のどかに餌をつついていたハトが一斉に飛び立ち、散歩中の老婆は腰を抜かして口からエクトプラズムを吐き出し、隣近所のワンちゃん達も声をそろえて騒ぎだし・・・
・・・とにかく、恐ろしいまでの蛮声であった。
「・・・・・・ひっ!?」
突然の大声に驚いたレイが振り返ると、遙か彼方から来襲するのは赤鬼の姿。
紅い髪を曳き千切らんばかりに振り乱し、狂気に取り憑かれた眼光の破壊力たるや、過粒子砲何するモノぞ。
華奢な自転車のタイヤは美しい脚が産み出す強大なパワーで瞬時に張り裂け、むき出しになったホイールの巻き上げた火花が、地獄の鬼の姿を現世に暴き出す。
「あうあう・・・」
魂に訴えるスタートシグナル。
恐怖に我を失いながらも、必死にペダルを漕ぎだすレイ。
にわかに空はかき曇り、雲の隙間をイナズマがはしる。天は鬼を欲したか!?
「ううっ、碇くん・・・碇くぅん・・・」
捕まったら命は無い。
愛しい少年との別れを意味するその事実は、予感ではなく現実として彼女を追い立てる。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、レイは懸命に逃げ続けた。
「アタシはぁっ! アンタなんかにぃっ!!」
猛然と加速を続けるアスカ。
高速で移動する彼女の背後には、強力な負圧が発生する。急激な気圧の低下によって大気は結露し、雲状の帯となって尾を引いた・・・いわゆる飛行機雲である。その速度が知れよう。
「ううっ・・・あうっ!?」
そもそも、練習中の身であるレイが、上手く自転車を走らせられる筈も無い。
恐怖によるプレッシャーも要因の一つとなって、ついに転倒してしまう。
「あうっ、あうっ・・・ひいっ!!?」
擦り剥いた膝の痛みも忘れ、怯えた視線を肩越しに向けるレイ。
天下る雷光によってモノトーンに照らし出された人型のそれは、ソドムかゴモラか?
手を伸ばせば届きそうな距離にまで迫った終局に、レイは震える足で再び自転車に跨った。
よろよろと走るレイ、速度にして推定5q/h。
歩く速さにほぼ等しい。
たいして、どっかんアスカ。
推定520km/h、羽根が無くとも飛ぶ速さである。
これで、アスカがレイに追いつけないワケが無いのだが・・・
・・・ウサギとカメのパラドックス・・・
ウサギはカメに追いつくが、カメはウサギが走った時間だけ前に進む。
ふたたびカメに追いついたとき、やはりカメは前に進んでいる。
結果、ウサギはカメに永遠に追いつけない・・・
古典的な数学の矛盾に助けられ、シンジの待つゴールにレイが辿り着こうとした、その瞬間!
・・・バリバリバリバリッ!!!!
ゼウスの鉄槌、突然の落雷がアスカを襲った。
「キャァァァアアアアッ!!!!」
絹を裂くような悲鳴と共に。
シュゴオオオォッ!!
残像を残して加速するアスカ。
触れることなくレイを弾き飛ばし・・・
ォォォォ・・・・・・・
微かな空振を残して、忽然とその姿を消した・・・
シンジは、唇を覆う柔らかい感触に意識を取り戻した。
跳ね飛ばされたレイを必死に受け止めた時、偶然口づけてしまったようだ。
気を失ったレイを優しく抱きしめたまま、軽く頭を振って正気づけ、アスカの姿を求めるが。
「アスカ?・・・アスカァ!!」
シンジの瞳に映るのは、アスカのタイヤの航跡で、ちろちろと燃える残り火だけ・・・
その夜、アスカはゴキゲンだった。
二人分のチーズケーキを前に、とろけそうな笑顔を浮かべている。
何が起こったのか訊ねても、にこにこ笑って応えない。
ミサトは、アスカから渡された新聞を手に頭をひねっていた。
『ドクから貰ったの。』
手渡される時のアスカの言葉も謎だったが。
三ヶ月後の競馬新聞。
なぜ、そんなものが此処にあるのか、ミサトが理解することはついに無かった。
なおのコメント(^ー^)/
キスをしたのはレイちゃん。(^^)
なので、「R」にしてみました。
でもこのお話、アスカさんが主役かな?(笑)
それにしても、この短期間に次々にアイディアが出て食う寝る36さん。
すごいです。(^-^)